でんこの元ネタ

でんこの元ネタ
■EX No.03 波篠すすぐ(Namishino Susugu)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:3月5日

■出身駅: なし(車両は広島新幹線電気区に所属)
すすぐ03


日本の現在及び過去において「波篠」という駅が存在した事はありません。
ですので駅や鉄道施設の名称から取られた名前では無いという事となります。

すすぐ12
「波」が水に関する言葉であることは説明するまでも無いでしょう。
風などでうねる水の様子を指す言葉で「波浪」「波濤」といった言葉もあります。
すすぐ11
「篠」という言葉は細く群がって生える根笹の一種の篠竹を意味します。
この篠竹をモチーフとして、まるで篠竹の様な激しく多量の雨の振る様子を
「篠を束ねる」「篠を突く」と言います


こうして並べてみると、「波」も「篠」も激しい水の様子を表わす言葉である事が分かります。
波篠すすぐのモチーフとされるスラブ洗浄車は高圧の水を噴霧して
新幹線のスラブ軌道を洗浄する高圧洗浄を行う車両
です。
この高圧の水のイメージから連想される「波」と「篠」という文字を使って
「波篠」という苗字としたのでは無いか、と推測されます。


すすぐ13
こちらはJR西日本の博多総合車両所広島支所の正門の様子です。
山陽新幹線の3つある車両基地で一番東に位置する基地であり、
広島駅からおよそ2.5kmほど北東に位置している車両基地には
新幹線の営業車両の他に車両検査を行う検査棟などもあり
構内には新幹線保線作業用の保線車両も留置されているのが見えます。
すすぐ15
この車両基地の北端に近い付近にご覧の通り
HTM350SWスラブ洗浄車も留置されている姿を見る事ができます。


すすぐ16
こちらはJR西日本の芸備線の矢賀駅の駅舎外観です。
隣は広島駅であり北東に2.2kmほどの距離にあります。
すすぐ17
この矢賀駅に隣接した南側にはご覧の矢賀踏切があります。
西側の2線はJR芸備線の在来線線路です。
すすぐ18
芸備線の線路のすぐ東側には併走して高架線がありますが、
この高架線が博多総合車両所広島支所の車両基地へと通じる新幹線の側線です。
広島駅の東側のちょうどマツダスタジアムの北付近で分岐して
芸備線と併走して車両基地へと通じています。
すすぐ19
こちらは矢賀駅の駅構内の様子ですが、
ご覧の通り駅ホームの東側に隣接して新幹線の高架線が併走しています。
すすぐ20
駅ホームから東側の新幹線高架の向こう側を覗くと地上に車止めが見えます。
この線路は新幹線車両基地の留置線の一つです。
すすぐ21
ちょうど矢賀駅付近が車両基地の最南端にあたる為、
ときおりローカル駅のホームから新幹線を間近で見る事ができます
すすぐ22
矢賀駅から芸備線の線路の西側を併走する道路を北上すると
ご覧の通り徐々に地上へと降りてくる新幹線高架線を見る事ができます。
すすぐ23
駅から500mほどで工場宿舎踏切という踏切に差し掛かりますが
この踏切から北側付近に、我々が新幹線車両基地だと認識できる光景が広がっています。
すすぐ24
工場宿舎踏切のすぐ北側の脇には跨線橋の階段があり、
博多総合車両所広島支所の真ん中を跨ぐ跨線橋へと上がる事ができます。
すすぐ25
跨線橋の上からはご覧の通り車両基地内が一望できます。

すすぐ26
エクストラでんこの波篠すすぐのいわゆる「実家駅」は現在のところ設定されていませんが、
車両留置場所の博多総合車両所広島支所の南端にある
この矢賀駅が一番近い駅である事は間違い無いでしょう。



■モデル車両: JR西日本 新幹線スラブ洗浄車(NICHIJO HTM350SW)
すすぐ01



日本の鉄道では現在ATC(自動列車制御装置:Automatic Train Control)
という装置が用いられています。これは運転士に最高速度をリアルタイムで現示して、
列車が制限速度を超えた場合に自動的にブレーキをかけて速度を落とすというシステムです。

地上の信号機による信号確認が困難であると想定される場所に用いられるシステムであり、
高速運転で地上信号機では見落とす可能性の高い新幹線をはじめ、
地下鉄や長大なトンネル区間のある線区、都市部などのダイヤの緻密な
稠密線区などで仕様されています。

日本で最初にATCが実用化されたのは1961年(昭和36年)の営団地下鉄日比谷線ですが、
車内信号方式というATCの標準的な仕様を確立したのは
1964年(昭和39年)に開業の東海道新幹線となります。


ATCの基本的なシステムとしては、レールにATC信号の電流を流し
変化を列車車上のATC受信機で受信する事で速度や列車位置などを判別するもので、
その為に鉄道のレールは電気的に接続されてATCの回路となっています

一方でATCが用いられるトンネル内などは当然ながら雨が降ってもレールが濡れません。
すると埃や塵などの汚れが雨で洗い流されるという事が無いので
トンネル内では非常に埃や汚れが溜まり易いという状況になります。

鉄道は鉄のレールの上を鉄輪が走るので当然削れた金属粉なども発生します。
泥や埃などと混ざった粉塵などは線路に電流を流すATCの回路にとって
電流を妨害する要因でありATC信号レベルの低下を招くという結果となります。
また場合によっては汚れで軌道の回路がショートする事もあり故障の原因ともなります。

こうした状況がある中で開発されたのがスラブ洗浄車であり、
新幹線のトンネル内のレールを止めている金具部分の汚れを洗浄することで
ATC信号レベルの低下や短絡を防止
しています。
すすぐ02
こちらは2017年(平成29年)のJR西日本での主な保守用車や事業用車の保有台数の表です。
表を見るとスラブ洗浄車の保有台数は1台である事が分かります。
ですので広島にある1台がJR西日本のスラブ洗浄車の全てであるという事です。
すすぐ04
このJR西日本のスラブ洗浄車はNICHIJO(旧・日本除雪機製作所)HTM350SWという車両です。
鉄道車両ではなく軌道モーターカーに分類される車両であり法規上は機械扱いとなります。
ですので実際に線路上で洗浄作業を行う際には
正規の列車が入れないようにする「線路閉鎖」を行う必要
があります。
すすぐ05
HTM350SWの車体にはご覧の通り「広島新幹線電気区」の文字が書かれています。
文字通り広島地区の新幹線の電気設備を管理保守する部門であり、
信号通信に関わるスラブ洗浄作業を行う機械のHTM350SWも
この広島新幹線電気区の所属となっています。
すすぐ06
JR西日本の山陽新幹線では博多、岡山、広島の三ヶ所に車両基地がありますが
広島電気区所属のHTM350SWは、広島駅の北東に位置する
博多総合車両所広島支所の車両基地内に日中は留置されています。
すすぐ07
車両は2009年(平成21年)6月に製造されており、
JR西日本の保線車両で用いられるエメラルドグリーン(    で塗られています。
車体の手すりや梯子などは黄色(    となっています。
すすぐ08
その車体の下部を見るとローラーブラシやタンクが見えます。
作業時にはタンクからの水を噴霧して高圧洗浄を行い
回転するローラーブラシを当てる事で洗浄を行っています。
すすぐ09
駅メモのエクストラでんこの波篠すすぐはHTM350SWスラブ洗浄車がモチーフとなります。
衣装はエメラルドグリーンを基調に黄色があしらわれており実車と同じカラーリングです。
髪や腕に青が使われているのは車体のJRロゴにも使われている
JR西日本のコーポレートカラーの青(    がモチーフかと思われます。

また波篠すすぐ誕生日が3月5日に設定されているのは
形式名称のHTM350SWから
取られていると考えられています。
駅メモではしばしば製造日や営業開始日が不明な車両モチーフのでんこの誕生日を
形式名称の番号から取る例が見られることからこれに倣ったものと思われます。

すすぐ10
このHTM350SWスラブ洗浄車を作ったNICHIJO
元々は北海道の留萠鉄道の子会社として1962年(昭和37年)に作られた
日本除雪機製作所という会社でした。
名前の通り日本の鉄道用ロータリー除雪車開発の先駆けであり
国鉄の除雪車開発にも影響を与えたという企業です。

近年では駅メモラーにはある意味おなじみのDMV(デュアル・モード・ビークル)車両を
2004年(平成16年)にJR北海道との共同開発で製作
しています。


【写真撮影:2021年10月】

でんこの元ネタ
■No.87 観音町ひめ(Kanoncho Hime)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:3月14日

■出身駅: 広島電鉄 本線 観音町停留場(広島)
ひめ02



ひめ03
こちらは広島電鉄の本線が併用軌道で走っている市道西1区342号線の光景です。
この付近の広電は道の幅が狭い区間を通っており電停のホームが狭くなっています。
ひめ05
広島駅方から進んできた軌道が天満町交差点に差し掛かる手前にあるのが
ご覧の広島電鉄本線の観音町停留場となります。相対式2面2線となっていますが
コンクリートのホームの安全地帯があるのみで上屋などはありません。
ひめ06
反対の東側から見た観音町停留場。
軌道は1912年(大正元年)12月には当地に敷かれ開通していましたが
停留場は1921年(大正10年)以前にこの地に開業したとされています。
ひめ04
こちらは観音町停留場付近の地図です。広島駅方の隣の天満町停留場との間で
数度にわたって移設や名称変更が行われており現在の観音町停留場は4代目にあたります。
ひめ07
観音町停留場から切り返して市道西1区342号線を東の広島駅方へと戻ると
200mほどで隣の天満町停留場があり肉眼でも見る事ができます。
この区間の間を観音町停留場は何度か移設を繰り返しました。
ひめ09
ご覧のとおり観音町停留場は道幅の狭い場所に作られている為、
電車が停まると道路には片側車一台分の余地しかありません。
その為車内アナウンスでも注意を喚起する放送がされています。
ひめ08
こちらは観音町停留場の南側の西行きホームの様子です。
2系統(広島駅━広電宮島口)と3系統(広電西広島━広島港)の電車が停車をする
いわば下り線ホームとも言えるホームとなります。
停留場を出ると軌道はすぐに南へとカーブを描いています。
ひめ10
ホーム上にはほぼ構造物は無く、駅名標は西寄りの道路脇の電柱に取り付けられています。
西行きホームなので次の停留場は西観音町となっています。
ひめ11
切り返して宮島口方から見た西行きホーム。
ひめ12
ホーム東側寄りの道脇の電柱に電車接近表示器が取り付けられています。
ひめ13
広島駅方のホーム東端の安全地帯の標識の裏には
時刻表と路線図がありました。
ひめ30
西行きホームの南側道路沿いにはご覧の保育園の敷地があります。
軌道のある市道の南側は西区観音町となります。
ひめ31
停留場付近の道路はご覧の通り片側に車1台分の幅しか無く歩道もありません。
ホームの安全地帯はあるものの幅は狭く、保育園前付近には乗客の待てる場所が無いので
保育園東側の医院の駐車場付近が暗黙の乗客待機場所となっていました。

ひめ14
反対の道路東側にある東行きホームの様子です。
2系統が広島駅方面行き、3系統が広島港方面行きの電車が使用するホームです。
こちらのホームは中心市街地へと向かううわば上り線とも言えるでしょう。
ひめ15
ホーム東端の脇にある電柱にある駅名標。
こちらのホームの駅名標は次の停留場が天満町となっています。
ひめ16
切り返して見た東行きホーム。
ひめ17
やはりこちらのホームも安全地帯の標識裏に時刻表と路線図がありました。
ひめ18
この東行きホームは軌道の右カーブすぐの場所にある為、
入線してきた電車がホームに接触しないように
西端側が切り欠き状になっていてホーム幅が狭くなっています。
ひめ19
ホーム西端側の道路脇電柱に取り付けられた電車接近表示器。
ひめ32
東行きホームの北側は西区天満町の地名となりますが、
道路脇にはタワーマンションと民家があって
こちらも乗客の待機する場所はありません。
ひめ33
ですのでこちら側の乗客はご覧のタワーマンションの
駐車場の敷地で電車待ちをしている姿が日常的に見られます。

ひめ20
観音町停留場のすぐ西側には天満町交差点があり、
南北に中広通り(市道駅前観音線)が交わっています。
広電の軌道はこの交差点を南側へと曲がって進んでいます。
ひめ21
天満町交差点から南に中広通りを下ると
200mほどで平和大通りと交わります。
ひめ22
平和大通りとの交差点は西観音町電停東交差点という名称であり
名前の通りすぐ横に次の停留場が置かれています。
広電の軌道はこの交差点で西へと曲がっており西広島駅方面へと向かっています。
ひめ24
軌道の通る中広通り付近の地図。
平和大通りは100m道路として戦後に作られたもので
1.3kmほど東に進むと平和記念公園があります。
ひめ23
中広通りを北へと戻って再び天満町交差点まで。
ひめ25
天満町交差点から北の中広通りは2kmほどでJR横川駅前までつながっており、
その先は城北通りと名を変えてJR広島駅前まで通じています。
ひめ26
切り返して中広通りを南へと戻って天満町交差点まで。

ひめ27
観音町停留場から西側の天満町交差点方向を見ると
中広通りの向こう側にも道が続いています。
1964年(昭和39年)に太田川放水路の工事によって
軌道のルートが付け替えられるまではこの道に広電が走っていました。
ひめ28
観音町停留場からこの旧線跡の道は西広島駅へとまっすぐ一直線に伸びています。
写真の付近にはかつて福島川という川が流れていて、
太田川放水路の拡張改修に伴って河川付け替えで埋め立てられた場所となります。
ひめ29
切り返して東の観音町停留場方向へ。

ひめ34
停留場の名称の由来は当地の地名である観音町からですが、
「観音」と書いて「かんん」と読む地名となっています。

停留場からは南東500mほどの東観音町にある江戸時代創建の永徳寺観音院が
観音町の地名の由来
なのだそうですが、観音院自体は「かんのんいん」と読むそうですし、
地元の人々も「かんのんまち」と呼ぶ事も多い様子です。

「ん」や「つ」の後の特定の音が変化する事を練声といい
「観音」を「かんのん」と読むのも連声の一つです。
一説には広島市が住居表示上では連声を採用していない事が
「かんおん」という読みとなった理由ではともされていますが正確な理由については不明です。



■モデル車両: 広島電鉄5200形電車「Green mover APEX」
ひめ01



ひめ36
日本国内の路面電車で超低床車両が導入されるにあたって
当初はドイツ等の外国製車両が中心となっていました。
こうした中で広島電鉄で1999年(平成11年)から導入されたのが
独シーメンス社のコンビーノである5000形です。
ひめ37
余談ですが、駅メモのでんこのベアトリスの元ネタ車両は
オランダ・アムステルダムの路面電車でシーメンス社製のコンビーノ
です。
広島の5000系はシーメンス社では「Combino Hiroshima」という名前で
厳密には別の車両ですが同じコンビーノの系列の車両という事になります。
ひめ35
外国製車両を運用するにあたって一番の問題点は保守での部品調達であり、
また外国設計の車両では日本の環境と微妙なズレが生じる点でした。
こうした経緯から近畿車輛、三菱重工業、東洋電機製造で共同開発されたのが
「JTRAM」という超低床車両であり、広島電鉄の5100形と新1000形がこの系列にあたります。
ひめ38
2005年(平成17年)に5100形、2013年(平成23年)に新1000形が導入された広島電鉄で
新たに2019年(令和元年)に導入されたのが広島電鉄5200形となります。
超低床電車「JTRAM」シリーズの第3弾として作られた5200形には
「Green mover APEX」の愛称が与えられています。
ひめ39
「APEX」は「頂点」「極地」といった意味があり
「JTRAM」や広電のGreen moverシリーズの最先端の意味が込められています。
5200形をモチーフとする駅メモのでんこの観音町ひめが「最先端のでんこ」と主張する設定は
この愛称の「APEX」が元
になっているのだと思われます。
ひめ66
車両の外装には白(    をベースとして黒(    グレー(    を用いて
モノトーンの色調となっています。そのモノトーンにアクセントとして緑(    を加える事で
「未来×スピード」をコンセプトとしたデザインとなっています。
ひめ67
この「モノトーン+アクセント」のデザインは内装にも用いられており、
洗練された印象を与えるとともに、手すりなどの視認性を高める事にも成功をしています。
ひめ40
余談ですが、観音町ひめの髪の色がピンクであるのは
かつて広島電鉄で宮島線直通の車両に施された「広電直通色」呼ばれた
オリエントピーチ(    が元ではないか、という話もあります。
しかしながら実際の所は公式に発表されていませんので由来は不明です。



【上動画はクリックで再生します。】
こちらは5200形「Green mover APEX」の観音町停留場への入線の様子です。
以下では車両について詳細を見てみたいと思います。

ひめ41
5200形(Green mover APEX)は全長30mの5車体連接車であり、
宮島口方から B、D、E、C、A車と5車両の連接となっています。


ひめ42
まずは広島駅方の先頭部となるA車です。
5200形は5連接3台車となっており、先頭車体に電動台車が設置されています。
ですので広島駅方先頭のA車も車体下にモーター搭載の台車があります
編成略記号ではMcとなりM(電動車)c(制御車)で運転台のある動力車両となります。
ひめ43
A車の車内の様子です。
2+2人掛けシートが4列で、中央の2列は半分がカウンターとなっていて
1人掛けとなっているので4名、2名、2名、4名で計12席分の座席があります。
ひめ44
広島方の先頭部の光景です。
降車用の乗降扉があり運転席脇に料金箱が設置されています。
運転台は先頭部右寄りに設けられています。
ひめ45
切り返して見た車内。こちらがA車中央部付近の両側にあるカウンターです。
座席のモケットにはドットと曲線の図柄が施されていますが
これは広島の川の流れをモチーフにしているのだそうです。
ひめ46
近年の各社の新型の路面電車車両には運転席での後方確認用カメラが設けられていますが
この5200形にもご覧の通りカメラが設置されていて運転席のモニターで見る事ができます。


ひめ47
広島方の2番目に連接されるC車です。この車両は台車が車体下に無くフローティング、
つまり前後の車体に支えられて宙に浮いた状態となっている車両となります。
先頭車両方向を向いた状態で右側に2つ、左側に1つ乗降扉があり、
両側とも中央部の乗降扉は両開きで幅が広く車椅子に対応しています。
ひめ56
このC車の広島駅方寄りの屋根上にはご覧のシングルアームパンタグラフが搭載されています。
5200形の編成でパンタグラフは前後2番目に位置するC車とD車に
それぞれ1基づつの計2基が装備されています。
ひめ57
駅メモで広島電鉄5200形をモチーフとするでんこの観音町ひめの背中のパンタグラフは
並べてみると5200形のものと同じ物である事が分かります。
ひめ48
車内の様子です。乗降扉の正面には5人掛けのロングシートが配されており
車端部のスペースにも幅に合わせた座席が設置されています。
ひめ50
2つ乗降扉がある右側。編成中央部に近い手前側の扉は片開きで
整理券発券機とICカード精算機があります。
ひめ51
2つの乗降扉の間のロングシートは優先座席に。
窓などにステッカーが貼られておりつり革も黄色くなっていますが
座席モケットは通常席と同じ物が用いられています。
ひめ52
その奥の、2つの乗降扉の先頭車両寄りは両開きで幅が広くなっていますが
脇には車掌が乗務するスペースがあり運賃精算機やスイッチ類があります。
ひめ49
車掌の向かい側はご覧の車椅子などのフリースペースが。
ひめ53
車両番号は連接部付近に設置されていました。
ひめ54
切り返して見たC車車内の様子。座席は5人掛けロングシートが2つに
2人掛けロングシート1脚、1人掛けシート2脚で計14席となっています。


ひめ55
こちらは5連接の中央部に位置するE車です。
編成に3つある台車のうちの一つがこの車両の下にあります。
モーターなど動力は無い付随台車であり、この車両の編成略記号もT(付随車)となります。
ひめ58
E車の車内の様子です。乗降扉はこの車両には無く、
両側に7人掛けロングシートが並んで合計14席が設置されています。
ひめ59
切り返して見た車内。


ひめ60
宮島口方2両目に連接されているD車です。
この車両も台車が車両下に無いフローティング状態の車両となります。
パンタグラフを屋根上に装備している車両ですが、5200形では基本的に
走行時に後寄りの1基のみのパンタグラフを使用するので
片方はご覧の通り下げられています。
ひめ61
D車車内の様子です。基本的な構造はC車と同様ですので
14席分の座席が設けられています。
ひめ62
切り返して見た車内。


ひめ63
最後は宮島口方の先頭に連接されているB車です。
こちらの車両にも電動台車があり、編成略記号M(電動車)c(制御車)となります。
ひめ64
宮島口方の先頭部の運転台付近の様子です。
ひめ65
車内客室の光景です。
A車と同様の構造なので座席数は12席となります。


ひめ68
現在広島電鉄では5200形Green mover APEXについては6編成が運用されています。
一番最初の編成である5201号車が広島電鉄で営業運転を開始したのは
2019年(令和元年)3月14日
のことでした。
ひめ69
駅メモのでんこの観音町ひめの誕生日が3月14日に設定されていますが
これは5200形Green mover APEXの5201号車の営業運転開始日が元
と考えて良いと思われます。


【写真撮影:2021年10月】

でんこの元ネタ
■No.108 勝山ていら(Katsuyama Teira)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:9月17日

■出身駅: えちぜん鉄道勝山永平寺線 勝山駅(福井)
ていら01



ていら03
こちらは九頭竜川の上流に位置する福井県勝山市に架かる勝山橋の西詰め付近の光景です。
勝山橋は県道131号勝山停車場線の西端付近に位置する橋で
現在の橋は1999年(平成11年)に架橋された三代目となります。
ていら04
九頭竜川の西岸にある駅と東側にある勝山の市街地、
そして国道へと連絡する停車場線に架かる橋は
下路式鋼ローゼ橋と呼ばれる形状で、その独特な外観から
地元では「恐竜の背骨」と呼ばれています。
ていら05
勝山橋の東詰の交差点付近の様子です。
県道131号勝山停車場線はこの交差点で左手の川沿いへと曲がっています。
正面の道は500mほどで勝山市役所の前へと通じており
こちら側が勝山の中心市街地となっています。
ていら06
橋の東詰の北側にはご覧のフクイラプトルのモニュメントが。
フクイラプトルは勝山市で発掘され、学名が決まるまでは
「カツヤマリュウ」と呼ばれていた肉食恐竜です。
勝山市では1982年(昭和57年)に中生代白亜紀前期の化石が出土して以来
調査が進んで日本で発掘された恐竜化石の大部分を占めるまでとなったことから
「恐竜のまち」のキャッチフレーズが市を挙げての観光振興の骨格となっています。
ていら07
切り返して勝山橋を戻り、再び九頭竜川の西岸へと戻ります。
ていら08
勝山橋側から見た勝山橋西詰交差点の信号。
橋から奥への道が県道131号勝山停車場線です。
ていら09
西詰交差点から九頭竜川西岸を南へと伸びる道路の脇には
大阪特殊合金の勝山工場が見えます。
ていら10
反対の北側に伸びる道は県道168号藤巻下荒井線で
この交差点で西側から北側の九頭竜川西岸へと県道は進路を変えています。
ていら11
交差点から西へと県道131号勝山停車場線を進むと
80mほどで停車場線の終端となる駅前ロータリーが見えてきます。
ていら12
駅前ロータリーの様子です。駅前広場は2011年(平成23年)に整備されたもので
東側のロータリー奥にはタクシーの車寄せがあって屋根が設けられています。
ていら13
南側は駅舎に面しておりバスの停留場が設けられて
歩道も広めに作られています。
ていら14
ロータリーの中央部の島には恐竜の親子のモニュメントがありますが、
これは勝山市で発掘されたフクイサウルスを復元したもので
駅前広場の改修に際して市の玄関口である駅前に置かれたものです。
ていら15
そしてロータリーの出口付近にあるのがこちらのテキ6形電気機関車保存庫です。
テキ6形はえちぜん鉄道の前身である京都電燈福井支社越前電気鉄道部で
1920年(大正9年)に作られ長らく主力として活躍した機関車です。
ていら16
1993年(平成5年)まで現役として働いた後も「日本国内に現存する現役最古の電気機関車」として
車庫の入換機としてのほかイベントでも時折姿を見せていました。
その後車籍が復活されるなどしましたが2003年(平成15年)にえちぜん鉄道で最後の除籍となり
2009年(平成21年)からこちらの勝山駅前で動態保存されているものです。
ていら17
そしてロータリー奥のこちらが勝山駅の駅舎の外観となります。
1914年(大正3年)3月11日に越前電気鉄道の延伸によって開業した駅で
開業時は終着駅でしたが2ヶ月でさらなる延伸によって途中駅となっています。

京福電気鉄道時代の1974年(昭和49年)には国鉄越美北線と競合する
当駅から京福大野駅間が廃止され終着駅となり、その後えちぜん鉄道へと継承されて
勝山永平寺線の駅として現在に至っています。
ていら18
現在の駅舎は1914年(大正3年)の開業当時からのものであり、
木造2階建て寄棟造桟瓦葺の駅舎は地方鉄道における駅舎本屋の好例として
2004年(平成16年)に国指定登録有形文化財に登録されています。
参考
文化庁 国指定文化財等データベース「えちぜん鉄道勝山駅本屋」
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00003853

ていら19
南東側の駅舎前の光景。平屋部分の駅舎は後から増築された部分なのだそうです。
ていら20
平屋部分の奥へと進むと南側には駅駐輪場の建屋があります。
駅のレンタサイクルもこちらに置かれていました。
ていら21
そして平屋の前の駅広場奥南側には大阪特殊金属の工場の敷地があり
駅から工場への通用口が設けられていました。
ていら22
駅舎の入口へと戻って中に入ります。
入ると木製のベンチとテーブルの置かれた待合室があり、
右手にえちてつカフェ、左手に改札があります。
ていら23
待合室の右手にあるえち鉄カフェ
ていら24
2014年(平成26年)6月にオープンした直営のカフェは
大正時代築の駅舎を生かしたレトロな雰囲気となっています。
ていら25
カフェと反対の左側にある改札前の様子です。
終日駅員が配置される有人駅なので券売窓口に職員が常駐しています。
ていら26
ホームへと出る改札口付近の様子。
ていら27
こちらが勝山駅のホームの様子です。
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線の駅となります。
駅舎のある北側の単式ホームが1番線で、終着駅ですので下り福井方面行きとなります。
この1番線ホームには駅名標がありません
ていら28
ホームの南東端の先には100mほど線路が続いています。
留置線として使われているこの線路はかつて京福大野駅まで通じていた
京福電気鉄道越前本線の1974年(昭和49年)廃止区間の名残りです。
線路の先の大阪特殊合金勝山工場の敷地の中央がかつての廃線跡であり、
工場より先は県道168号藤巻下荒井線が廃線跡となります。
ていら29
切り返して見た1番線ホーム。ホームの地面にはご覧のとおり
恐竜の足跡のペイントが施されています。
ていら30
改札の横付近に置かれていた計量の秤。
ていら31
ホーム南西側の福井方の様子です。
2番線への連絡の構内踏切がホーム端に設けられています。
ていら32
踏切へと下る階段とバリアフリーのスロープ。
横から見るとかつてのホームを削って作られているのが分かります。
ていら33
再び切り返して福井方の南西から見た1番線ホーム。
ていら34
勝山駅の1番線と2番線とを連絡する構内踏切です。
ていら35
踏切の反対側には2番線ホームへの通路が。
ていら36
通路のスロープ脇にある勝山の観光案内看板。
ていら37
勝山駅の2番線ホームの様子です。島式ホームではありますが、
旅客使用されているのは駅舎側の2番線のみであり実質的に単式ホームとなっています。
ていら38
ホーム上にある待合所の建屋。
この木造の待合所は駅舎とは別に単独で国指定重要文化財に指定されています。
参考
文化庁 国指定文化財等データベース「えちぜん鉄道勝山駅ホーム待合所」
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00003854

ていら39
2番ホーム南東端付近の光景。
こちら側はホームが後から増設された様な作りとなっています。
ていら40
2番線ホームの反対側にある3番線の線路です。
保線機械の留置線として使われているとの事ですが
レールの状態はそもそも最近使われた形跡がありません。
ていら41
こちらは2番線ホームの福井方の北西側の光景です。
待合所などはこちら側に集約されています。
ていら42
2番線ホームから構内踏切の方へと戻ると駅舎と反対側の南側にも通路が延びており、
3番線の線路の先に駐車場に通じる出口があります。
ていら43
駅の外側から見た南側の駅出入口付近。
ていら44
駅南側には広大な駐車場があります。これはえちぜん鉄道勝山駅駐車場であり
無料で190台が停めることができる規模となっています。
ていら45
出入口脇には乗降客が待ち合わせなどで利用できる
屋根つきのベンチまで設けられています。

ていら46
駅舎から駅前ロータリーへと戻り、駅前の道へと出て
勝山橋とは反対側の南側へと進みます。
ていら47
するとすぐにえちぜん鉄道の勝山踏切が見えてきます。
ていら48
踏切の北西脇にある駅駐輪場。
ていら49
渡った反対側の踏切南東側脇には駅裏の駐車場の入口があります。
ていら50
駐車場の脇を進むと踏切から60mほどでご覧のつきあたりのT字路となります。
勝山橋西詰交差点からこのつきあたりまでのおよそ200mの区間は
県道131号勝山停車場線と県道168号藤巻下荒井線の重複共用区間となっています。
ていら51
つきあたりの山の上にある石像。
かつての木造の勝山橋を重量で渡れなかった為にこの場所に据えられたのだとか。
ていら52
そしてこのT字路から南東方向へと伸びるご覧の道が
県道168号藤巻下荒井線の続きで福井県大野市方面へと通じています。
写真では大阪特殊金属の工場を迂回していますが、工場裏からの区間は
京福電気鉄道の廃線跡を県道に転用したものとなっています。
ていら53
この県道の、駅と反対の南側は小鹿山という山となっています。
駅裏の真正面付近には「バンビライン」と名づけられた登山道の入口があります。

ていら54
そして勝山駅から北へ直線でおよそ3kmほどの場所に
勝山町の恐竜観光のメイン施設でもある福井県立恐竜博物館があります。
ていら55
こちらが福井県立恐竜博物館の建物の外観です。
恐竜博物館は1982年(昭和57年)に勝山市で恐竜の化石が発掘された事を契機に
一旦福井県立博物館として福井市に作られた施設が前身で、
自然史分野に関する展示が分離されて2000年(平成12年)に
恐竜博物館して当地に作られました。
ていら56
この恐竜博物館はカナダのロイヤル・ティレル古生物学博物館、
中国の自貢恐竜博物館と並んで世界三大恐竜博物館の一つに数えられているそうで
日本における恐竜博物館の代表格となっています。
ていら57
駅メモのでんこである勝山ていらは恐竜好きのキャラクターとして描かれていますが、
その名前の「ていら」は恐竜のティラノサウルス(Tyrannosaurus)が由来
であると考えられています。
ていら86
福井に行くと各所で見かけるこちらは「ダイノベンチ」と呼ばれる
福井県立恐竜博物館をアピールする長椅子です。
フクイラプトルをモチーフとした「恐竜博士」が座っており
右手には恐竜の専門書、左手には鳥脚類ヒプシロフォドンの頭骨を持っています。



■モデル車両: えちぜん鉄道MC7000形電車
ていら02


ていら58
えちぜん鉄道MC7000形電車は2013年(平成25年)2月4日に
第1編成が運用を開始した車両で翌年11月までに2両編成6本の計12両が導入されました。
ていら59
【上写真・飯田線を走る119系R編成】
MC7000形は国鉄で1982年(昭和57年)から1983年(昭和58年)にかけて作られた
直流近郊形の119系電車が元の車両となっています。
1980年代に国鉄では吊り掛け駆動方式の旧型国電の置き換えが進められましたが
119系は飯田線の旧形電車を置換えるために製造された車両です。

1989年(平成元年)から冷房化改造が進められて41両が5000番台へと改番されましたが、
飯田線北部区間でのワンマン運転開始に対応する為に1999年(平成11年)から
2両編成7本の計14両がワンマン化改造を施されて新たに5300番台に改番されています。

そして飯田線に新たに213系5000番台の配転や313系3000番台への置き換えが進む中で
119系5300番台はJR東海での運用を終了する事となります。
2012年(平成24年)に3編成6両、翌年の2013年(平成25年)にも3編成6両の
計6編成12両がえちぜん鉄道へと譲渡され、大阪車輌工業での改造が施されて
新たにえちぜん鉄道MC7000形・TC7000形となっています。
ていら60
国鉄119系5300番台からえちぜん鉄道MC7000形への改造で一番の変更点は
なんといっても前面部の運転台ブロックを新造パーツへと交換した事でしょう。
その為JR東海時代とは全く異なった前面外観へと変貌を遂げています。
ていら61
【上写真・えちぜん鉄道MC6100形電車】
飯田線時代は長距離運用も多く高運転台となっていましたが
えちぜん鉄道ではそこまで運用距離は無く併結運転も無いので
先に走るMC6000形・MC6100形と良く似た低運転台へと改造されています。
ていら84
そして外観からは見えない改造では、飯田線の直流1500Vから
えちぜん鉄道の直流600V電化へと移行するにあたって
主電動機を直流モーターから交流モーターへと交換改造されており、
併せて主制御器も地方民鉄の車両としては珍しいVVVFインバータ制御となっています。
ていら62
また119系の時代にひし形パンタグラフであった集電装置は
MC7000形となってシングルアームパンタグラフへと交換され、
数も車両の前後に計2基(119系時代には1基のみ)となっています。

駅メモのでんこの勝山ていらの背中のパンタグラフもシングルアームの形状ですので
改造後のえちぜん鉄道へ転属となってからの車両がモチーフである事が分かります。
またえちぜん鉄道ではシングルアームパンタの車両はMC7000形のみですので
この点からも勝山ていらのモチーフがMC7000形である事が類推されます。
ていら85
また福井県では京福電気鉄道が半年間に2度も電車同士の列車衝突事故を契機に廃止となり、
冬季の交通の確保などの観点から福井県や沿線自治体が第三セクターを設立して
事業継承を行ってえちぜん鉄道が誕生したという経緯があります。

このえちぜん鉄道が設立されたのが2002年(平成14年)9月17日であり、
駅メモのでんこの勝山ていらの誕生日が9月17日に設定されているのは
えちぜん鉄道の設立日が元ネタ
であると考えられています。
ていら87
そしてえちぜん鉄道で特徴的であるのが車内アテンダントの乗務です。
自動券売機を各駅に置く予算が無い事などから始まった苦肉の策は
観光客の案内や高齢者の補助の為に女性アテンダントを採用したところ
客数を飛躍的に増やすことに成功し、全国各地の民鉄がえちぜん鉄道に倣って
女性アテンダントの乗務を開始
したというものとなっています。



【上動画はクリックで再生します。】
こちらはえちぜん鉄道MC7000形が福井口駅を出発する動画です。
それでは以下で編成の各車両について見てみたいと思います。

ていら63
2両編成の福井方に編成されるMC7000形です。
編成略記号はM(動力車)c(制御車)でモーター搭載の運転台がある制御電動車となりますが、
えちぜん鉄道では形式名に編成略記号がそのまま使われています。
ご覧の通り屋根上の両端にはシングルアームパンタが計2基搭載されています。
ていら65
車内へと入って福井方車端の運転台付近の様子です。
飯田線時代に119系5300番台ワンマン改造がされているので
基本的な構造は当時の状態を継承している様です。
ドア脇にはアテンダントが使う車内用ハンドマイクが。
ていら70
運転台後方の壁上の運賃表示機。液晶ディスプレイとなっています。
乗降扉の上にはえちぜん鉄道の路線図が。
ていら71
運転台の中の様子です。
ていら67
座席はドアの間に固定式のクロスシート、ドア脇にロングシートの
セミクロスシートとなっていて飯田線時代と変わっていません。
ていら68
勝山方車端部付近。ドア横の連結部側には4人掛けのロングシートが設置されています。
連結部の貫通扉には仕切りドアがありますが開放固定となっています。
ていら69
切り返して勝山方から福井方を望んだ車内。


ていら64
こちらは勝山方に編成されているTC7000形です。
T(付随車)c(制御車)で動力を持たない運転台のある制御車両となります。
ていら72
こちらは車内の様子で、福井方の車端の連結部付近の光景です。
片側の座席が撤去されて車椅子用のフリースペースとなっています。
壁際にはヒーターが設置されています。
ていら73
その反対側にはご覧の区画されたスペースが。
これは飯田線119系の時代にはトイレが設置されていた場所です。
比較的近距離路線のえちぜん鉄道ではトイレは不要と判断され撤去されましたが
壁を取り払うことはできなかった様子でご覧の通りとなりました。
ていら74
旧トイレ跡に連なる2人掛けロングシート。
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連結部側から勝山方先頭の運転台方向へと見た車内の様子です。
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座席は飯田線時代と同じ形状のままですが、座席モケットは交換されており
青地にえちぜん鉄道のマークが入っています。
ていら77
勝山方の運転台付近の光景です。
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運転台の中の様子。
ていら79
最前列の運転台真後ろのドア脇のロングシートは
2両ともご覧の優先座席となっています。
ステッカーでの表示があり、座席モケットも薄青となっています。
ていら80
切り返し勝山方から福井方を見た車内の様子です。
ていら82
通路天井にはえちぜん鉄道となってから設置された液晶モニターがあります。
ていら81
JR時代の冷房化改造で天井にはエアコンが設置されていますが、
当時からご覧の扇風機は残されており、今でも壁のスイッチで作動するそうです。
ていら83
車内の各所には国鉄時代からの表記板が残っていました。


【写真撮影:2021年10月】

でんこの元ネタ
■EX No.04 末永てすと(Suenaga Tesuto)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:5月8日

■出身駅: なし(車両は東海道新幹線の保線所などに留置)
てすと14


日本の鉄道において現在、過去ともに「末永」という駅は存在しません。

R400確認車は終電後の夜間が活動時間で始発電車の発車前には基地へと戻らないとならないという
その特性上から、東海道新幹線の保線所や新幹線駅近くに留置されています。

「末永」という文字からは「末永く」という言葉が連想されますが、
意味は「永遠・永久と思える長い時間」となります。
雨の日も台風の日も毎日地道な確認作業を行っているR400確認車には
イメージ的にも合ったネーミングだと思います。


R400確認車をモチーフとしている駅メモのでんこの末永てすとは誕生日が5月8日に設定されています。
残念ながら公式にも発表は無いので誕生日の由来については不明です。



■モデル車両: JR東海 R400高速確認車
てすと01



R400高速確認車は1993年(平成5年)頃からR300Aの後継車両として
東海道新幹線向けに導入が開始された車両で、国鉄向けの軌道モータカーで
ほぼ100%のシェアを持っていた富士重工によって作られた車両です。

富士重工が2003年(平成15年)に鉄道事業から撤退した為、
以後は技術移転を受けた新潟トランシスによって製造が行われています。
R400のRとは「Researcher(リサーチャー)」の略で和訳すると「調査員」の意味となります。
東海道新幹線の全線で運用されており、日中は保守基地や一部の駅で見ることができます。
てすと02
新幹線では終電から始発までの夜間に線路の保線作業が行われており、
作業が終わると最後にR400確認車が保守作業後の落失物等の有無や
始発列車の運行に支障が無いかの安全確認
を行います。
この確認車が通過した後の線路には作業員は立ち入りが禁止され
新幹線の走行に対する安全が担保されます。

てすと03
富士重工で製造していた時代のR400確認車はエンジンが1基のみの搭載でしたが、
新潟トランシス製造の2005年(平成17年)以降の車体については
いすゞ製インタークーラー付ディーゼルターボエンジンを2基搭載しており
8800cc200馬力の出力で最高速度120km/hまでの走行が可能です。
エンジンを2基搭載する事で万が一1基が故障しても残りのエンジンで
基地までの帰還が可能
となっています。
てすと04
実際の本線上での走行は規則で70km/hまでとなっているそうで、
保線作業後の明け方近くに駅間を往復して確認作業を行っています。
実際の作業はJR東海の子会社でドクターイエローの検測業務なども行う
日本機械保線で行っているそうですが、駅間距離が長い区間では
本線上で乗員は乗り継ぎ交代をしているそうです。
てすと13
現在運用されているR400確認車はエンジン2基の新潟トランシス車がメインの様子です。
エンジンが2基となった車両は車体側面にルーバーがあるので見分ける事ができます。
ルーバーの無いエンジン1基の富士重工車は現在では見かけないので
恐らく更新されてしまったのだと思われます。
てすと05
前面ガラスは扇形の大きなもので前面展望を確保しており、
窓下には多数の前照灯が並んでいます。
これによって夜間でもオペレータの視界を確保しており
目視による確認行為を重視した構成となっています。
てすと08
2018年(平成30年)7月に駅メモで追加されたエクストラでんこの末長てすとは
このR400高速確認車をモチーフとしたでんこです。
てすと09
衣装の左胸のポケットは前面ガラスがモチーフである事が分かりますし、
異様に多い前閉じのボタンは同じくずらりと並んだ前照灯がモチーフと思われます。
てすと10
腰ポケットは車体を横から見た形と同じですし、
工具バックも保線車両であることから持っているのだとと思われます。

【上動画はクリックで再生します。】
こちらは米原保線所の構内を移動するR400確認車の動画です。
日中にアップで撮れる場所はなかなか無いのでタイミングが合わないと見られません。


このR400確認車は東海道新幹線の保線基地や駅の一角に車庫が置かれています。
500km以上ある東海道新幹線では20ヵ所の保線所があるそうで、
区間を分担して各地に確認車が配置されている様です。
以下はそのうちの一部についてです。
てすと11
三島駅の東方に隣接しているJR東海三島車両所の一角にあるR400確認車の車庫です。
当地には新幹線の三島保線所も置かれているのでこの場所に車庫があるのだと思われます。
在来線の三島駅ホーム東端から見える位置にあります。
てすと15
静岡県の東静岡駅の駅東側にある静岡保線所です。
駅のホームからも見える位置に保線車両が留置されており、
その一角に確認車の車庫が置かれています。
てすと06
こちらは名古屋のJR東海名古屋車両所の一角にあるR400確認車が留置される車庫です。
名鉄の栄生駅の目の前にあり、ホームからも確認車を見る事ができます。
てすと07
米原駅の北側あるJR東海の米原保線所の光景です。
北端付近に保線車両が留置されており、R400確認車も見る事ができます。
てすと16
京都駅の新幹線ホームのホーム西端の新大阪方に隣接して
保線車両の留置線が設けられており、ご覧の通りR400確認車も日中は留置されています。
分かりやすい場所にあるので比較的見つけやすい場所だと思われます。

てすと12
近年はR600という新しい確認車も現れ実際に東海道新幹線でも配備され始めています。
エンジンが1基から2基へと増設された事で車両が更新された経緯もありますので
今後前照灯がLEDのR600確認車へと車両の置き換えが進む可能性も十分にあるでしょう。
R400確認車の末長てすとに会える時間はもしかしたら短いのかもしれないので
早めに見る事をお勧めします。


【写真撮影:2021年5月ほか】

でんこの元ネタ
■No.23 八潮みらい(Yashio Mirai)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:8月24日

■出身駅: 首都圏新都市鉄道(つくばエクスプレス) 八潮駅(埼玉)
みらい01



みらい42
こちらはつくばエクスプレスの八潮駅の南口の駅舎外観です。
駅は2005年(平成17年)8月24日のつくばエクスプレス開業によって設置されました。
ご覧の通り線路が高架線なので駅も高架駅となっています。
みらい43
駅メモのでんこの八潮みらいの誕生日が8月24日に設定されていますが
これはつくばエクスプレスの開業日が元と考えて良いと思われます。
みらい61
こちらは南口駅前ロータリーの様子です。
みらい44
駅舎沿いにバス停が設けられており、
ロータリー中央部はタクシープールとなっています。
みらい45
駅周辺は元々田んぼのひろがる低地でしたが
つくばエクスプレスの開業に伴って土地区画整理事業によって整備され
南口ロータリーは2009年(平成21年)9月より供用を開始しています。
みらい59
みらい46
南口ロータリーの南側に面して設けられたやしお駅前公園。
2015年(平成27年)に作られて駅前に約1.4haの面積を有しています。
みらい47
ロータリーから100mほど東へと進むと八潮駅南口交差点のT字路に突き当たります。
みらい51
T字路の正面にあるラーメン屋。
みらい52
その北隣の並びにはご覧のスーパーマーケットの敷地が広がります。
みらい48
この交差点には都市計画道路八潮三郷東西線という片側2車線の整備された道路が交わっており
北へ100mほど進むと県道54号松戸草加線との交差点があります。
みらい49
県道54号線を越えると八潮三郷東西線の道路はご覧の通り車線が減って幅が狭くなります。
元々田んぼの中の何も無い地域に駅が作られ、それに合わせて都市計画道路が作られたので
現在でもまだまだ駅前の道路は整備の途上という訳です。
みらい50
切り返して駅方向へと戻ります。
駅前の区域ですが開発からまだ10年あまりの街なので
沿道に並ぶ建物も比較的新しくニュータウン独特の雰囲気があります。

みらい53
八潮駅南口交差点から南側へ。
みらい54
250mほどで次の信号となりますが、
その間の道の西側はやしお駅前公園の敷地となっています。
みらい55
さらに進んで茜町交差点の信号に。
この先も足立区方面へと八潮三郷東西線は続いていますが
1kmほど先でやはり2車線の道路は終わってその先は整備されておらず、
住宅地の中の道路となっています。
みらい56
茜町交差点から北へと駅方向へ戻って八潮駅南口交差点へ。
みらい57
交差点北西角にあるパチンコ屋の前を通って駅南口ロータリーへと戻ります。
みらい58
八潮三郷東西線から駅ロータリーへの連絡道路を戻った光景。
やしお駅前公園のある南側の歩道はご覧の通りかなり広めに作られています。

みらい62
駅南口から駅舎の中へと入ります。
みらい60
高架駅なので北口と南口、実際には東西方向へと高架下を連絡する
コンコースが設けられており、そのコンコース北側に改札口が設けられています。
みらい64
改札の北口寄りにある切符の自動券売機。
みらい65
反対の改札南口寄り側にはコンビニ店舗があります。
みらい63
改札正面のコンコースを挟んだ南側には、ガード下へとつくばエクスプレスが展開する
駅商業施設であるTX AVENUE八潮の中央通路が延びています。
みらい66
TX AVENUE八潮の様子。実際にはガード下に数店舗が並ぶ
小規模な駅ナカ商店街といったところです。

みらい67
こちらは八潮駅の北口の駅舎外観です。
出口には貝殻のシェルのようなひさしが設けられています。
みらい68
北口の駅前ロータリーの様子。こちらのロータリーは
2005年(平成17年)8月の駅開業に合わせて整備され供用開始したものです。
みらい69
中央部にはタクシープールが設けられており、
駅舎の反対側の西側は大型商業施設の入口が面しています。
みらい70
ロータリーから西へと120mほど進むと八潮駅北口交差点へと差し掛かります。
このロータリーからの道路も北口ロータリーと一緒に作られたものです。
みらい71
この八潮北口交差点と交わっているのは都市計画道路桁三郷線で
この交差点前後の1.4kmほどの区間も北口ロータリーと一緒に作られ供用されました。
みらい76
そして交差点の北東角にはフレスポ八潮という大型ショッピングセンターがあります。
こちらは駅開業後の2006年(平成18年)4月に開業した施設で北口ロータリーにも面しており、
駅周辺の新興地域開発の要となっています。
みらい72
八潮駅北口交差点を過ぎてさらに西へと進むと150mほどで
県道116号八潮三郷線と交わり八潮駅入口交差点の信号となります。
みらい73
こちらは駅開業当時の八潮市の市報ですが、
ご覧の通りロータリーからこの県道116号線の交差点までが
八潮駅開業に合わせて新規供用された道路となります。
みらい74
県道116号線の真上には首都高速6号三郷線の高架が通っています。
みらい75
この八潮駅入口交差点の北東角側は首都高の八潮パーキングエリアがあり、
外から徒歩で施設を利用できる入口が設けられています。
みらい77
八潮駅入口交差点から高速の高架をくぐった西側には
「市役所通り」と名づけられた道が伸びています。
元々市役所のある八潮市の中心市街地は駅から1.5kmほど北西に位置しており
駅やパーキングのあるこちらは倉庫や工場、田んぼの広がる地域でした。

みらい78
八潮駅の北口へと戻ります。
みらい79
駅舎の中へと戻り改札前へ。
八潮駅の改札はこちらの一ヶ所のみとなります。
みらい80
改札の内側から見た光景。
自動改札機が並んでおり、有人改札は駅務室の中を通るタイプです。
みらい81
構内へと入るとすぐに両脇にホームへのエスカレーターがあります。
改札口の直近にエスカレーターを配置する事で
ホームへの上り下りをスムースにしています。
みらい82
改札内コンコース内様子です。
4線の高架下は広めの印象があります。
みらい83
東側は大きな窓で駅前が望め、
ベンチが置かれて構内の待合室となっています。
みらい84
エレベーターはガラス張りの大型のものが2基あり
両開きの扉で車椅子が乗りやすい様に配慮されています。
みらい85
西側の階段前にある改札内のパブリックアート。
「進化する街」と題されたステンドグラスで八潮市の市の花クチナシ、
市の木イチョウ、市の鳥ハクセキレイが配され
中川の水面をイメージした作品となっています。
みらい86
コンコース奥の様子です。
両側にはそれぞれのホームへの階段があります。
みらい87
その奥のいエレベーター裏手のトイレなどのあるスペース。
みらい88
切り返して改札方面を見た様子です。


みらい96
こちらは下り線つくば方面行きの1、2番線ホームの様子です。
八潮駅は島式ホーム2面4線の駅となっており、こちらの下りホームも島式1面2線となっています。
みらい97
秋葉原方のホーム南端の光景です。
外側の1番線が下り本線で、内側の2番線が普通列車の待避線となっています。
八潮駅では緩急接続があって普通列車を区間快速が追い抜くので
その際に2番線に普通列車が入ります。
みらい98
ホームにはホームドアが設置されています。
その為つくばエクスプレスでは全線で自動列車運転装置 (ATO) による
自動運転が実施されており、車掌は乗務しないワンマン運転となっています。
みらい99
この八潮駅のホーム上にはご覧の通り柱がありません。
無柱化することで見通しの良い広々とした空間を生み出しています。
みらいa01
改札階からホームへのエレベーターは両扉式の大型のものが設置されていて
車椅子でも向きを変えずに乗る事が可能な広さとなっています。
みらいa02
つくば方のホーム北端の様子。


みらい89
こちらは上り線秋葉原方面行きの3、4番線ホームです。
内側の3番線が普通列車の通過待ちなどに使う待避線、外側の4番線が本線となっています。
みらい90
ホーム中央に置かれたベンチ。
階段まわりの袖壁もガラス張りで見通しが良く開放感があります。
みらい91
ホーム北端のつくば方の光景です。
こちらのホームの先には留置線が4線あり、中央の留置線には
両渡り線が設けられているので当駅での折り返し運転が可能となっています。
みらい92
切り返し秋葉原方へ。
つくばエクスプレスが開業するまでは八潮市は埼玉県内で唯一鉄道駅の無い市でした。
みらい93
全線が高架か掘割構造となっているつくばエクスプレスには踏み切りがありません。
みらい94
ホーム南端の秋葉原方の様子です。
みらい95
八潮駅のホーム有効長は現在6両分となっています。
将来的につくばエクスプレスでは8両編成化の見通しなのだそうですが、
その為にはホームの延伸が必要となります。



みらいa04
こちらはつくばエクスプレスのみらい平駅の駅名標です。
駅メモのでんこの八潮みらいの名前はこのみらい平駅が由来であろうとされています
この「みらい平」という駅名も元はつくばエクスプレス沿線全体の愛称から取られたものでした。


1999年(平成11年)に改正市町村合併特例法が作られて
地方行政の広域化による行政基盤強化を目的として
政府主導でいわゆる「平成の大合併」が全国的に進められました。

つくばエクスプレスの最初の工事が開始されたのは
2000年(平成12年)の守谷駅およびつくば駅の着工で、
平成の大合併とはほぼ同時期に行われていた事業である事が分かります。

翌年の軌道工事の着工にあたって「常磐新線」の沿線地域の愛称が「みらい平・いちさと」と決定。
「みらい」は「水海道(み)、谷和原村(わ)、伊奈町(い)」と語呂が合っており、
「いちさと」は沿線都県「茨城(い)、千葉(ち)、埼玉(さ)、東京(と)」の
頭文字から
とされています。
みらいa16
当時この地域では水海道市と谷和原村、伊奈町の合併協議がありましたが、
2004年(平成16年)には合併自治体の仮称を常総市と決定。
合併に先駆けて2005年(平成17年)に谷和原村と伊奈町の境界付近に新駅が開業。
計画時には仮称・伊奈谷和原駅であった駅名は「みらい平・いちさと」を由来として
「みらい平駅」と定められて開業
しています。

駅は旧谷和原村に所在していましたが、この地域の合併協議は
市役所の位置を巡って不調となり、水海道市が協議から離脱をする事となります。
「ら」の谷和原村と「い」の伊奈町の1村1町の合併協議となったのですが、
離脱した「い」の水海道市が隣の石下町と合併へと急接近し「常総市」の名前を使う事を表明します。

名前を取られた谷和原村と伊奈町は抗議するも新たな名前をつけることを余儀なくされ、
2005年(平成17年)2月に紆余曲折の後に「つくばみらい市」と新名称が決定。
この名称には谷和原村と伊奈町の境界の新駅「みらい平駅」が影響を与えたとされています。
みらいa03
こういった経緯を見ると「みらい」という名前はつくばエクスプレ全体のものであった事が分かります。
そして都内7駅、埼玉2駅、千葉5駅、茨城6駅の計20駅のつくばエクスプレスですが
駅メモのでんこの名前由来駅に選ばれたのは一番少ない埼玉県内の駅でした。
八潮駅というチョイスが何故なのかは理由は不明です。

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そしてこちらは「八潮みらい」の名前由来の一端とされるみらい平駅の駅舎外観です。
2005年(平成17年)8月24日の路線開業で設置された駅であり、
当該区間は線路が掘割構造となっているので
つくばエクスプレスの駅では唯一駅舎が独立して建てられています。
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駅舎の北側にご覧の駅前広場が設置されていて
広場中央部の地下をつくば方への線路が通っています。
東側に広場入口があって一般車両の車寄せがあります。
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広場の奥となる西側には円形ロータリーがあり、
タクシーとバスの車寄せとなっています。
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駅前広場と接する東側の道路は「みらい通り」の名称がつけられています。
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駅舎へと入って改札前の光景。
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自動改札の並ぶみらい平駅の改札はこの北側一ヶ所のみです。
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内側の改札内からの様子。
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改札内コンコースの光景です。
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コンコース奥にあるこちらは半地下のホームからの吹き抜けです。
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下り線つくば方面行きの1番線ホームです。
駅は相対式2面2線となっています。
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こちらは上り秋葉原方面行きの2番線ホーム。
隣の守谷駅と当駅との間に交直流切り替えのデッドセクションがあります。



■モデル車両: 首都圏新都市鉄道TX-2000系電車
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首都圏の宅地供給や茨城県南部の開発、常磐線の混雑緩和などを目的として
昭和の後期には「常磐新線」「第二常磐線」の建設が計画されていたのですが、
1994年(平成6年)に日本鉄道建設公団によって具体的に路線の工事が着工しました。
着々と建設が進められた結果2005年(平成17年)8月24日に秋葉原駅━つくば駅間で新線が開業
路線は第三セクターの首都圏新都市鉄道が運営し正式な路線名は「常磐新線」となります。
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しかし一般的には正式名はほとんど認知されておらず、
通称名の「つくばエクスプレス」が広く知られており、
首都圏新都市鉄道自体もCIで会社名では無く
「つくばエクスプレス」とその略称の「TX」を使用
しています。
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ちなみにつくばエクスプレスのでんこである
八潮みらいの誕生日が8月24日に設定されているのは
路線の開業日が元ネタであると考えて良いと思われます。
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つくばエクスプレスの開業にあたっては川崎重工製の直流専用電車TX-1000系が6両15編成と
日立製作所製の交直両用電車TX-2000系を6両16編成が導入されました。

TX-2000系はTX-1000系をベースに設計されたので基本的な外装は同一で
ご覧の通り外観ではほとんど違いがありません
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一番簡単な見分け方としてはTX-1000系の車番やドア番号などの
サインがネイビーブルー(    なのに対して
TX-2000系ではスカーレット(    である点でしょう。
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またつくばエクスプレスは守谷駅の北側にデッドセクションがあり、
守谷以北側が交流、守谷以南が直流電化となっています。
これは茨城県では石岡市柿岡にある気象庁地磁気観測所での地磁気観測への影響が懸念されるため
半径30km圏内では鉄道が直流電化できないという特殊事情による為です。
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交直流電車は設備にお金がかかるという事情もあり、
直流区間の守谷以南のみを走るTX-1000系と、交流区間を含めた全線を走れるTX-2000系の
二種類の電車を運用する事でつくばエクスプレスではコストを抑えています。

ですので直流のみのTX-1000系のパンタグラフまわりがすっきりしているのに対して
交直流両方の機器が屋根上に搭載されているTX-2000系のパンタ周辺には
ガイシがたくさんあるという違いがあります。
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先にも述べましたが、つくばエクスプレスを由来とする駅メモのでんこの八潮みらいの
名前の「みらい」は「みらい平駅」のみらいであろうと言われています

この「みらい」の名前を関するみらい平駅がTX-2000系のみが乗り入れ可能な
交流電化区間に設けられた駅
である事から
八潮みらいの元ネタ車両はTX-2000系であろうとされています。
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またTX-2000系については第51編成から第66編成までの開業時からの
車両(量産車)は前面部がステンレスの地色のみとなっています。
これに対して2008年(平成20年)導入の一次増備車以降の編成には
前面の窓下にスカーレットのVラインが配されており、
また側面窓下にもスカーレットと白色の帯色が追加されています。
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そしてTX-2000系の一次増備車以降の車両は戸袋のロゴマークの上にも
ご覧のとおりスカーレットのラインが引かれています。
この通りTX-2000系の中でも外観に差異のある車両があるので
事前に知らないとつくばエクスプレスの車両はなかなか見分けるのが大変でしょう。


それでは以下でTX-2000系について各車両を個別に見てみたいと思います。

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つくば方の先頭車両となる1号車のTX-2100形です。
編成略記号はCT1C(制御車)T(付随車)となり運転台があり動力を持たない車両となります。
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こちらが車内の様子です。通勤形車両で片側4ドアのロングシート車となります。
車内はグレーがかった白を基調としており、シートは緑系ブルーのモケットとなっています。
首都圏のJR通勤形車両と同じ系列のオーソドックスな内装と言えるでしょう。
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秋葉原方の車端部にはご覧の優先座席が設けられています。
両側に優先座席のピクトグラムが描かれた濃いブルーのモケットの3人掛けシートがあり、
床にも赤い優先座席を示す表示がされています。
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切り返して運転台方向のつくば方を見た車内。
座席には着席区画を分けるスタンションポール(握り棒)があります。
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つくば方の先頭部の運転台の様子です。


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つくば方二両目の2号車TX-2200形です。編成略記号ではM1となりM(動力車)となり
主制御機を搭載したモーターのある車両となります。
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屋根上には両端に1基づつ計2基のパンタグラフがあり、
また交直流電車であるため屋根上には交直切換器など電源切替に必要な機器があります。
TX-2000系をモチーフとする駅メモのでんこの八潮みらいの背中には
車両と同じ形のシングルアームパンタグラフがあります。
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2号車の車内も1号車同様に4ドアロングシートとなります。
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秋葉原方車端部の様子です。優先座席があるのは1号車と同様ですが
2号車はシートは西側の片方のみで、反対の東側は座席が無く
車椅子やベビーカーなどのフリースペースが設けられています。
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切り返して見た車内。
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つくば方の1号車側車端も優先座席がありますが、
こちらは両側がシートとなっています。


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こちらはつくば方の三両目となる3号車のTX-2300形です。
編成略記号でM2となりM(動力車)でモーターのある車両となります。
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三両目の車内の様子です。2005年(平成17年)のつくばエクスプレス開業時には
3号車と4号車はセミクロスシート車両でしたが、混雑緩和を目的として
2017年(平成29年)以降順次改装されて現在ではロングシート車両となっています。
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秋葉原方車端の優先座席。つり革はTX-2000系では三角形のものが使われており、
優先座席部分の物はご覧の通り黄色いつり革となっています。
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切り返してつくば方を見た客室の光景です。
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つくば方車端の優先座席の様子。


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秋葉原方三両目の4号車TX-2400形です。
こちらは編成略記号M1'となり主変圧器が搭載されたM(動力車)となります。
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この車両もかつてはセミクロスシート車両で車両中央部の座席がクロスシートでした。
現在は全ての車両がロングシートへと改造されています。
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切り返してつくば方へと望んだ車内の様子。


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秋葉原方の二両目となるTX-2500形です。
こちらは編成略記号でM2'となりM(動力車)でモーターのある車両です。
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客室を秋葉原方を見た光景です。
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切り返してつくば方の車内の様子。
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車椅子用のフリースペースが2号車と5号車に設けられているので
この5号車もつくば方車端の東側シートが無く床がフラットになっています。


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そして秋葉原方の先頭車両となるTX-2600形です。
編成略記号ではCT2C(制御車)T(付随車)の意味となります。
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秋葉原方へと向かって見た車内客室の光景です。
先頭車両で運転台があるので優先座席はつくば方のみに設けられています。
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運転台後方の様子。
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切り返してつくば方を見た様子です。


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車内内装については量産車(2005年~)は床が塩化ビニル製なのに対して
一次増備車(2008年~)以降はゴム材へと変更されており、
床の模様のパターンも若干違います。
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また優先座席のロゴについても一次増備車以降は違うパターンが用いられています。
そして座席自体も一次増備車では材質をやわらかくして座り心地を改善し、
二次増備車では座席バケットの形状自体を改善して肉厚のシートとなっています。

照明がLEDへ変更されているなど細いマイナーチェンジはあるものの、
基本的な形状はTX-2000系では大きくは変更されていないと言って良いのではないでしょうか。


【写真撮影:2021年5月】

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