でんこの元ネタ

でんこの元ネタ
■No.102 八戸ましろ(Hachinohe Mashiro)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:10月19日


駅メモのでんこである「八戸ましろ」についての記事の続きです。
後半はモチーフとなった列車の紹介部分となります。

その1(由来駅紹介部分)はこちら



■モデル車両: JR東日本キハ110系気動車700番台「TOHOKU EMOTION」
ましろ35


ましろ42
TOHOKU EMOTIONは「新しい東北を発見・体験」をコンセプトとし、
列車全体を「移動するレストラン」として「新しい東北を感じられるデザイン」で
2013年(平成25年)10月19日より運行を開始した観光列車です。
ましろ43
このTOHOKU EMOTIONをモチーフとする駅メモのでんこの
八戸ましろは誕生日が10月19日に設定されていますが、
これはTOHOKU EMOTIONの運行開始日が元と見て良いでしょう。
衣装も明らかにコックコートをモチーフにしたデザインとなっていて
「レストラン列車」であるTOHOKU EMOTIONが由来である事を感じさせます。

ましろ44
【上写真:キハ110系気動車(上)キハ110形(下)キハ111形・112形】
TOHOKU EMOTIONの元となっている車両はJR東日本が1990年(平成2年)から投入した
キハ110系気動車で、主に東北地方の非電化路線でよく目にする車両です。
このキハ110系には両運転台構造のキハ110形と
片運転台構造のキハ111・112形の2両編成とがありますが
TOHOKU EMOTIONではその両方の車両が使われて3両編成となっています。

既存の気動車を郡山車両センターで改造工事を行い、
2013年(平成25年)に3両がジョイフルトレインへと生まれ変わりました。
ましろ88
TOHOKU EMOTIONへの改造日は2013年(平成25年)9月26日となっっています。
観光列車となったことで改番がされおり、新たにキハ110系700番台として番号が附番されています。
同じキハ110系では小海線の観光列車である「HIGH RAIL 1375」が710番台を附番されており、
700番台はこの2編成のみとなっています。
ましろ45
TOHOKU EMOTIONの外観のデザインは「デザイン、食、アート」をコンセプトとしており、
列車自体をキャンバスに見立てた白(    をベースとしています。
奥行きを感じさせる手書き風な煉瓦調を主としたデザインでまとめられ
ラッピングシートで車体全体に施工されています。
ましろ46
また屋根上の機器類まで白で塗り直されており
色彩による一体感を持たせるこだわりの屋根上塗色となっています。
ましろ47
八戸ましろのコックコートの側面と裏地が煉瓦模様となっているのは
この車体ラッピングの模様が元であることは言うまでも無いでしょう。
ましろ53
車両のエクステリア(外観)デザインは奥山清行氏の手によるものです。
奥山氏は山形出身の世界的なインダストリアルデザイナーで、
フェラーリやポルシェのデザインを手がけた事でも知られる人物です。

日本の鉄道でも数多くのデザインをしており、
駅メモラーで分かりやすいところでは新幹線E6系「こまち」、新幹線E3系「とれいゆつばさ」、
クルーズトレイン「TRAIN SUITE 四季島」といったところも氏のデザイン
となります。

ましろ48
TOHOKU EMOTIONでは乗降時には基本的に2号車の乗降扉のみが使用されます。
入口にはひさし状のエントランスキャノピが設けられており
両側にはランタンを下げホームに赤じゅうたんを敷くことで
あたかも市中の高級レストランに入る雰囲気を演出しています。
ましろ49
八戸ましろのコック帽には車両前面の前照灯をモチーフとしたかざりがあり、
並べてみると同じ形であることが分かります。
ましろ50
そして八戸ましろのコート裾には大漁旗のピンズがつけられています。
TOHOKU EMOTIONは八戸から久慈までの八戸線を走りますが
県境をまたぎ岩手県に入った最初の町が洋野町という町となります。
この洋野町ではTOHOKU EMOTIONの乗客をもてなす為に
列車通過時に大漁旗や手を振るという「洋野エモーション」という活動が行われています。
大漁旗のピンズはこの洋野エモーションがモチーフだと思われます。



【上動画はクリックで再生します。】
こちらはTOHOKU EMOTIONが八戸駅へと入線する直前の通過の映像です。
それでは以下で編成の各車両について見てみたいと思います。


ましろ52
八戸方の先頭車両となる1号車のキハ111-701です。
キ(気動車動力車)ハ(普通車)となりエンジンを搭載した普通車両の意味となります。
実際の内部は4人1部屋のコンパートメント7室を持つコンパートメント車両となります。

元は1991年(平成3年)3月に作られ盛岡客車区に配属されたキハ111-2という車両で、
キハ110系の2両編成片運転台の車両のキハ111形となります。
主に釜石線の快速(2002年以前は急行)として運用されており、
TOHOKU EMOTIONとなる2013年(平成25年)9月まで釜石線の運用に就いていました。
ましろ86
元々急行列車用として作られたキハ110系0番台は前面部のスカートが
パイプスカートとなっていました。TOHOKU EMOTIONの1号車と2号車は
この0番台が転用されている為ご覧の通り足元がパイプスカートとなっています。
ましろ54
運行時は2号車八戸方の乗降扉から乗る事となり、
すぐ左手の貫通路を通って1号車へと入る事となります。
貫通路付近の1号車久慈方車端は車内準備用のカウンターがあり
運行時は給仕が待機する姿が見られる場所です。
カウンター脇にはモニターが並んて環境映像が流れています。
ましろ69
1号車はTOHOKU EMOTIONへの改造時に一旦既存の車内トイレが撤去されていますが
2016年(平成28年)1月にトイレが増設されて久慈方の連結部前山側に設けられています。
ましろ55
1号車の通路は西側に寄せて作られています。
これはTOHOKU EMOTIONの走る八戸線では西側が山側、
東側が景色の良い太平洋の見える海側となるからでしょう。
ましろ56
通路を奥に進んだ八戸方の車端部付近です。
運転台の後部となり乗降扉がありますが通常時は扉は旅客使用されていません。
車内給仕の使うワゴンが置かれており運行時には準備スペースとして
活用がされている様子でした。
ましろ57
1号車コンパートメント座席の入口を内と外から。
4人席で1室となり7部屋あるので1号車は計28名の定員となります。
ましろ58
個室と通路で物のやり取りに使うのであろう小窓。
ましろ59
反対側の壁はクロークが設けられていて荷物を置くほか
冬場は上着などが掛けられます。
ましろ60
コンパートメント座席(個室)の中の様子です。
テーブルの天板はキッチンなどでよく使われる人造大理石製で
車両に合わせて作られた特注品でした。
ましろ65
テーブルの天板下には引き出しが各座席にあり、
ご覧の通り開閉が可能でした。
ましろ61
座席は青の革張りで、壁には青森の「こぎん刺し」のクッションが。
ましろ62
TOHOKU EMOTIONでは通路や座席の床のじゅうたんもこぎん刺しでした。
ましろ63
個室の通路側の壁は鏡張りとなっています。これは個室内を広く見せるのと、
沿線の風景を写りこませる演出を狙ったのでしょうか。
ましろ79
こちらが座席から見た車窓の様子です。
ましろ80
窓のロールカーテンはご覧の通りストライプ柄となっています。


ましろ64
三両編成の中間車両となる2号車のキクシ112-701です。
キク(気動車編成での付随車運転台有り)シ(食堂車)となり、
気動車編成での動力が無い食堂車車両という意味となります。
「キクシ」の形式記号は国鉄時代を含めてもこの車両が初なのだそうです。

ちなみにこの2号車にもディーゼルエンジンは搭載されており
運行中にも使用されてはいるのですが、用途はキッチンなどのサービス電源発電用としてであり
あくまで発電機用であって走行には使用されてはいないのだそうです。

こちらの車両も元は盛岡客車区に配置されていたキハ112-2という車両で
1号車の車両と同年の1991年(平成3年)3月に作られ、同じ編成で釜石線を走っていました。
2013年(平成25年)に1号車と共にTOHOKU EMOTIONに改造されて現在に至っています。
ましろ66
この2号車は「ライブキッチン車両」となり、オープンキッチンとバックキッチン、
そしてバーカウンターがある車両となっています。
ましろ68
まずは2号車の八戸方乗降扉付近の様子です。
TOHOKU EMOTIONの乗客がまず最初に目にするのがこの場所となります。
列車に乗った乗客はギャルソンの案内によって左手八戸方の1号車と
右手の久慈方の3号車の座席へと導かれます。
ましろ70
八戸方はすぐ連結部の貫通路で、通路左右は業務用室となっています。
ましろ73
2号車はキッチンやバーが山側に作られており、
乗客の通る通路は見晴らしの良い海側へ設けられています。
久慈方へと向かうとまずあるのがこちらの5mのバーカウンターです。
ましろ71
バーカウンターの先にあるこちらはオープンキッチンで
調理カウンターと通路がガラスパーテションとなっていて
実際に調理の様子を見る事ができる仕掛けとなっています。
ましろ74
久慈方の車端近くはバックキッチンとなっており通路部分も通常の壁となっています。
壁にはイラスト化された東北の名所案内地図が。

ちなみに余談ですが、駅メモの八戸ましろはゲーム中のセリフで「フランベ」と言っていましたが
TOHOKU EMOTIONではIHクッキングヒーターが使われいたのでキッチンで炎は出ません
ましろ75
2号車久慈方の乗降デッキ付近。
片運転台車両なので運転台は残っている様子ですが、
ジョイフルトレインの中間車両となったので当面運転に使われることは無さそうです。
ましろ76
久慈方の貫通路の運転台と反対側の乗務員スペースは
キッチンパントリーとなって食品や什器が置かれているそうです。
ましろ77
振り返ると運転台の真後ろにはご覧の洗面台が。
キッチンがあり配管のしやすい2号車側に作ったのでしょうが、
使わないとはいえ運転台の真後ろにあるのは初めて見ました。


ましろ78
こちらは久慈方の先頭車両である3号車のキハ110-701です。
キ(気動車動力車)ハ(普通車)のこの車両はオープンダイニングスペースの車両で
2人掛けのテーブルが海側7卓、山側3卓の計10卓が置かれており
定員20名の車両となっています。

この車両は元はキハ110-105という車両で、両運転台のキハ110形となります。
1991年(平成3年)6月製造の車両は長野の小海線営業所に配置されていたもので、
小海線で運用された後2013年(平成25年)9月に改造されてジョイフルトレインとなりました。
ましろ81
車内客室の様子です。2号車のライブキッチン車両の通路を抜けて
貫通扉を抜けた先がこちらの3号車のオープンダイニングスペースとなります。
海側には四角の2人掛けテーブル2卓を3セット(計6卓)、
山側には三角形の2人掛けテーブルを4卓配置し計20名の定員となっています。
また、この車両のウォールライトは久慈の琥珀をイメージしたデザインとなっています。
ましろ82
久慈方には室内扉があり、運転台後方の乗降デッキが広く取られています。
改造前のキハ110形もトイレは運転台後方にありましたが、
TOHOKU EMOTIONとなってトイレは洋式へと改造され、円弧式扉を備えた
バリアフリー対応大型トイレへとリニューアルされています。
ましろ83
客室へと戻り久慈方から見た車内。
この車両のテーブルも人造大理石の天板に引き出しがある構造で
コンパートメント車両のテーブルと基本的な造りは同じです。
海側の四角いテーブルは2卓で4人が掛けることも可能で
2人連れにも4人連れにも対応できる様になっています。


ましろ85
ちなみにこちらが2021年(令和3年)7月乗車時に供応されたメニューです。
TOHOKU EMOTIONでは担当シェフは半年交代、メニューは3か月ごとに変更となっており
再び乗車しても飽きない仕掛けとなっています。
ましろ84
駅メモラーとしてはTOHOKU EMOTIONで料理を食べると
当然ながらこう見える訳で。

ましろ87
TOHOKU EMOTIONの切符は旅行商品(パッケージツアー)として発売する為、
その運行は団体専用列車扱いとなります。また「走るレストラン」の人気は高く
予約は埋まりがちである為、早めの手配をしないと満席になる事も多い列車です。
ですので当日に切符を購入して乗車ということはできず、
概ね一ヶ月前程度旅行計画を立てて旅行商品を買う、という事が乗車には必要となります。

また例外はあるものの乗車にはおとな1名をふくむ2名以上での事前予約が必要であり、
いわゆる「おひとり様」にはなかなか敷居が高い列車となっています。


ですがせっかくでんこになったのですから
駅メモラーとしては一度は乗車にチャレンジしたい列車ではあります。

では。

【写真撮影:2021年7月】

でんこの元ネタ
■No.102 八戸ましろ(Hachinohe Mashiro)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:10月19日

■出身駅: JR東日本 八戸線 八戸駅(青森)
ましろ01



ましろ03
こちらは八戸駅の東口の駅舎の外観です。駅は1891年(明治24年)9月1日の開設で、
現在の東北本線を建設した日本鉄道によって設置されました。
開設当時の駅名は当地の地名である尻内駅であり、
現在の八戸駅へと改名されたのは1971年(昭和46年)のことでした。
ましろ04
今の駅舎は三代目にあたり、東北新幹線の当駅までの延伸にあたって
2002年(平成14年)7月に新しく供用された橋上駅舎で、
「うみねこロード」と名づけられた跨線橋の自由通路と一体化されています。
ましろ02
西口広場の駅舎正面からは東へと向かって県道20号八戸三沢線が伸びています。
元々は複数の県道だったものが建設省の主要地方道に指定され、
1994年(平成6年)に県道20号八戸三沢線へと一つにまとめられたという経緯があるので
160mほどの区間が枝線となっていて県道が駅前でスイッチバックをしています。
ましろ05
東へと進むとまもなくY字の三差路の交差点となります。
この交差点は三方全てが県道20号八戸三沢線となっています。
ましろ06
交差点の東側の正面の道は馬渕川を渡って
1.6kmほど先で国道104号線へと連絡をしています。
ましろ07
左手の北東側の道は700mほどで国道454号線へと連絡しており
八戸の市街地へつ通じる道路となっています。
ましろ08
切り返して西側の駅前方向へ。
ましろ09
県道20号八戸三沢線の折り返し点である八戸駅前交差点の正面が駅舎で
駅前広場への入口がある市道とのT字路となっています。
ましろ10
八戸駅東口広場の見取図です。
中央部にロータリーがあり、南側がバスプール、北側にはタクシープールがあって
一般車両の駐車場や車寄せがそれぞれに併設されています。
ましろ11
八戸駅前交差点から市道を北側へ。
市の中心街からは5km離れた場所ですが新幹線停車駅ができた事で
ホテルや飲食店がいくつか道沿いに建てられています。
ましろ12
切り返して駅前方向へと戻ります。
こちら側の市道沿いにはタクシーの乗降場とタクシープールがあります。
ましろ13
駅舎寄りの南側がタクシーの乗降場となっており、
中央部に規模の大きなタクシープールが設けられています。
また市道沿いには一方通行の降車専用レーンが設けられています。
ましろ15
八戸駅の東口には「うみねこプラザ」というJR東日本の運営する駅ビルが建っているのですが
駐車場の正面にあるこちらがうみねこプラザのプラザ1の建物です。
八戸市図書情報センターや八戸市総合観光プラザなども入居する建物ですが、
上階はほぼJR東日本系列のホテルの建物となっています。

ましろ14
こちらは八戸駅前交差点から南側方向への市道の様子です。
ましろ16
東口のバスレーンの目の前に建つこちらは八戸地域地場産業振興センターで
「ユートリー」という愛称のある複合施設です。
ましろ51
ユートリーの中の様子です。物産販売店や展示ホール、宿泊施設などがあり
ホールには八戸三社大祭の山車が飾られていました。
ましろ17
そのユートリーの目の前にあるこちらが八戸駅東口バスターミナルです。
一般車は進入禁止となっておりバス専用の区画となっています。
ましろ18
駅舎寄りの場所には屋根つきの停留場が設けられており、
時計回りに駅の正面へとバスが抜ける構造となっています。
ましろ20
ターミナルの俯瞰と外周部で待機をするバス。
ましろ21
バスターミナルの中央部分は八戸駅東口広場駐車場となっており
15台ほどが停められるスペースがあります。
ましろ19
切り返して南側から見た駅前方向の光景です。

ましろ22
駅舎前の歩行者が通る東口広場の様子です。
ましろ23
駅の自由通路の階段目の前にはご覧の大きなイチイの木が植えられています。
八戸市の木でもあり北海道東北で自生するというイチイの木は
1992年(平成4年)に三戸町からこの場所へと移植されたのだそうです。
ましろ25
そのイチイの木の東側の植え込みに置かれているのが
こちらの「悠久の碑」と題された石の彫刻です。
東北新幹線八戸駅開業を記念して置かれたモニュメントなのだそうです。
ましろ24
そして駅前交差点の接したロータリーの島にあるのが
こちらの「海の賛歌」と題された人魚像の噴水です。
文化勲章受章の彫刻家の澤田政廣氏の作で1993年に作られたもので、
神奈川の平塚駅前にも同じ形の氏の像があるのだそうです。
ましろ29
バスロータリーの出口付近にあるこちらは八戸駅周辺整備促進協議会が
2003年(平成15年)に置いたインドネシア産の木化石です。
ましろ26
東口広場の南側の光景です。
八戸駅の駅ビル「うみねこプラザ」のプラザ2の建物沿いに
歩道が作られています。
ましろ27
プラザ2の一階に入っているチェーンの喫茶店。
ましろ28
こちらは東口広場の北側の光景です。
ましろ39
ご覧の通り北側は新幹線駅の玄関口として
タクシーの乗降場がメインとなっています。
ましろ31
自由通路への階段の北側脇を見ると
うみねこプラザのプラザ1に入居するホテルの一階入口があります。
ましろ32
その脇の階段裏手側には鉄道警察隊の八戸駅前交番が。
ましろ38
交番の反対側にはプラザ1の一階に入る市の図書館(図書情報センター)の入口があります。
ましろ30
東口の階段前付近の見取図。
ましろ34
自由通路の階段を上がると二階で一旦踊り場となっています。
ましろ36
階段脇の右手へと進むとプラザ1二階の八戸市総合観光プラザの入口があります。
ましろ37
中は観光案内所のほか、
市の特産などを展示するコーナーとなっていました。
ましろ40
階段の左手はプラザ2の建物で八戸市市民サービスセンターという
市の出張所が設けられていて平日は市役所の窓口業務を行っています。
ましろ41
サービスセンターの奥にはユートリー方面へと連絡する
ご覧の連絡通路があります。
ましろ89
うみねこプラザ二階と連絡をしている踊り場から上の改札階への階段。
左右にそれぞれ上りと下りのエスカレーターがあります。
ましろ90
階段を上がったこちらが八戸駅の東西自由通路です。
2002年(平成14年7月)に東北新幹線の八戸延伸に際して橋上駅舎化された際に作られたもので
八戸市の鳥であるうみねこの翼を広げた姿をイメージして
「うみねこロード」の名前がつけられています。
ましろ91
うみねこロードの東口側階段上付近。
左右には駅ビルのうみねこプラザのプラザ1とプラザ2の
三階部分にそれぞれ連絡をしています。
ましろ92
階段左手のプラザ1側はJR東日本グループのホテルメッツ八戸の入口があります。
ホテルのフロントは四階ですが、改札階から自由通路で直接ホテルに入れる構造となっています。
ましろ93
反対のプラザ2側には2021年(令和3年)3月までは書店が入っていましたが
現在は閉店退去しており空き店舗となっています。
ましろ94
階段裏のうみねこロード東端部分。
ましろ95
駅自由通路「うみねこロード」の様子です。
ましろ96
自由通路を進むと東口寄りにあるこちらが八戸駅の在来線改札口です。
在来線部分は青森県が所有しており、3セクの青い森鉄道が駅管理と駅業務を実施しています。
ましろ97
ですので在来線改札で切符を買うと
青い森鉄道の地紋が入った切符が発券されます。
ましろ98
在来線改札前を抜けてうみねこロードを西側へ。
みどりの窓口が左手に見えるとまもなく新幹線改札口となります。
ましろa03
みどりの窓口の中の様子。
ましろ99
こちらが八戸駅の新幹線改札口の様子です。
2002年(平成14年)12月に東北新幹線が当駅まで延伸開業して設置されたもので
新青森まで延伸した2010年(平成22年)12月まで8年に渡って新幹線の終着駅でした。
ましろa01
八戸駅の新幹線部分はJR東日本が所有し管理を行っています。
ですのでこちら側で切符を買うとJRの地紋の切符が発券されます。
ましろa02
新幹線改札のコンコース向かい側には待合室兼おみやげ店が。 ましろa04
さらにうみねこロードを西へと進むと自由通路の西端部となります。
こちらには西口方面へと下る階段エスカレーターとエレベーターが。
ましろa07
通路の西の端に置かれた休憩のベンチ。
木製のベンチにはイカの絵が描かれています。
ましろa06
そしてエレベーター脇には八戸ロータリークラブの設置した
蕪島のレリーフが置かれていました。国天然記念物である蕪島ウミネコ繁殖地を
TOHOKU EMOTIONの車窓からの光景とあわせて。
ましろa05
うみねこロード西側の階段を下ります。
ましろa08
西口側の自由通路の階段下はご覧の通り室内ロビーとなっています。
ましろa09
ロビーの広場側はご覧の通りガラス張りに。
ましろa16
外に出ると駅舎前にはご覧の屋根が設けられています。
ましろa10
こちらが八戸駅の西口側駅舎外観です。
東北新幹線の当駅延伸に際して2000年(平成12年)より仮駅舎西口が供用され、
2002年(平成14年)に東西自由通路(うみねこロード)が供用開始されました。
新幹線駅にはよくある、在来線駅の裏手に新幹線駅舎が増設され設置された
いわば「新幹線口」とも言ううべきものとなります。
ましろa11
西口駅前広場の歩行者部分。
ましろa14
広場の正面付近を上から見た俯瞰です。
ましろa12
その歩行者部分の広場中央に建てられた「飛翔」という名のモニュメント。
三羽の鶴のモニュメントは八戸市によって2002年(平成14年)の
新幹線開業に際して設置されました。
ましろa13
西口を出て右手、広場の北側にはバスとタクシー専用のロータリーが設置されています。
新幹線開業でインフラは整備されていますが、八戸駅は元からの東口にバスの発着も集中しており
こちらの西口の活用はこれからといった状況です。
ましろa15
反対の左手、広場の南側には自家用車ロータリーがあります。
外周部がロータリーと車寄せで中央部が駅前駐車場となっており
営業車両と一般車両との区分けがされています。
ましろa17
西口駅前の交差点。南北に市道が走り、駅舎正面から西へは
シンボルロードと呼ばれる二車線の道路が整備をされています。
交差点付近は1969年(昭和44年)に廃止された南部鉄道の尻内駅跡ですが
区画整理によってその痕跡は全く残っていません。
ましろa18
駅前の市道を北側へと向かった光景。
この南北の市道は3・4・27松森高田線で2017年(平成29年)に供用された道路です。
バスロータリーに面した道の周辺にはまだまだ空き地が目立っています。
ましろa19
切り返して南の駅前方向へ。駅舎側にバスロータリーの入口があります。
ましろa20
再び駅前の交差点へ。
ましろa21
交差点を過ぎて南側へも線路に併走して市道は続きます。
こちら側は250mほど先に浅水川が流れていますがまだ橋ができておらず
市道も整備途上の状態となっていました。
ましろa22
再び切り返して北側の駅前T字路へと戻ります。
ましろa23
交差点手前にある自家用車用ロータリーの入口。
ましろa24
こちらが西口の駅正面にある3・1・1八戸駅西中央通り線で
通称「シンボルロード」と呼ばれる八戸市の都市計画道路です。
片側2車線に広い中央分離帯の歩道のある180mほどの道は
2019年(平成31年)3月に供用された西口開発の中心となる道路です。
ましろa25
そしてシンボルロードのつきあたりにあるこちらがフラット八戸という多目的アリーナです。
アイスリンクにも使用できるアリーナは2020年(令和2年)4月に作られたもので
八戸駅西口への集客の要となる施設です。
ましろa26
切り返してシンボルロードを東の駅方向へ。
こちらの西口は区画整理が終わり空き地が目立つ状態で
開発についてはこれから進められるという状態でした。

ましろa27
駅舎へと戻って階段をのぼり自由通路へ。
ましろa28
自由通路「うみねこロード」を東に向かった光景です。
ましろa29
再び八戸駅の在来線改札口前へ。
ましろa30
改札前には案内の標柱が立っており、後ろのコンコース窓からは
在来線ホームの北側の光景を見る事ができます。
ましろa31
第3セクターの青い森鉄道管理の八戸駅在来線改札。
自動券売機と青い森鉄道の有人窓口があります。
ましろa32
向かい側には駅そばの店舗がありますが、その前には
青い森鉄道の運行状況のデジタルサイネージとグッズの自動販売機が。
ましろa33
構内側から見た改札付近。
ましろa34
改札前の連絡ロビーの様子です。在来線ホームは
単式1面1線と島式2面4線の計3面5線となっています。
ご覧の跨線橋上の待合スペースを兼ねた改札前ロビーで各ホームが連絡されています。
ましろa35
改札前から東側へと伸びる通路。
手前に2、3番線ホームへの、奥に1番線ホームへの階段があります。
ましろa36
奥の1番線ホームへの階段を下ります。
ましろa37
こちらが1番線ホームの様子です。
JR八戸線の始発起点駅で下り久慈方面行きホームとなります。
八戸駅━鮫駅間の八戸線には「うみねこレール八戸市内線」の愛称がつけられています。
ましろa39
当駅から八戸線を運行している緩行列車TOHOKU EMOTIONは
この1番線での発着となります。
ましろa49
1番線の駅名標は八戸線仕様のウミネコのものの他に
JR東日本仕様の形のものも置かれています。
ましろa38
ホーム北側の久慈方の光景。
新幹線開業前は駅舎は東口側のみでしたので
一番東側にあるこのホームが1番線ホームとなっています。
ましろa40
切り返して南側方向を見た1番線の様子です。
単式の1番線は他の島式ホームよりも有効長が短いのが分かります。
ましろa41
このホームを使うJR八戸線は他のJR在来線とは接続をしておらず、
並行在来線の青い森鉄道を使わないと連絡できません。
ですので当駅から野辺地駅と青森駅で下車する場合のみ18きっぷの使用が認められています
ましろa42
ホーム南側の跨線橋下には改札階とを連絡する
エレベーターの出入口が。
ましろa43
跨線橋の連絡通路へと階段を上がって戻ります。
ましろa44
連絡通路を改札方向に。
ましろa45
改札前ロビー付近まで戻ると2、3番線へと下るエスカレーターがあります。
ましろa46
こちはらエスカレーターからは南側の2、3番線への階段。
ましろa47
2、3番線ホームの駅名標です。
島式ホームの東側の2番線はJR八戸線の本線ホームなので
北側が青い森鉄道と八戸線に分岐した駅名標であるのに対し、
3番線は青い森鉄道の上り目時方面のホームなので
水色の青い森鉄道のみの表記となります。
ましろa48
2、3番線ホームの様子です。 旧東北本線であっただけに北側のホームは長く延びているものの、
上屋の屋根が切れるあたりでホームには柵が置かれてカットされています。
ましろa50
西側の3番線の外側には、隣のホームの4番線との間に中線の線路がありますが
旅客ホームの無い貨物用の中本線で貨物列車が通過使用をします。
ましろa51
中ほどの跨線橋の下には改札階とのエレベーターの乗降口が。
ましろa52
南側の階段の先にもホームと上屋の屋根が続いていますが
階段からすぐのところで柵が設置されていて南側の目時方のホーム端はここまでとなります。
ましろa53
切り返してホーム中ほどの跨線橋下付近の様子。
風雪もしのげる場所の為かベンチやゴミ箱が設置されています。
ましろa54
ホームから階段を上がって再び改札階の連絡通路へ。

ましろa55
改札前ロビーへと戻り、改札の西側にある4、5番線ホームへのエスカレーター。
ましろa56
こちらもエスカレーターの南側にホームへの階段があります。
階段脇には青い森鉄道の運輸管理所八戸派出が。
ましろa57
4、5番線ホームの様子です。こちらのホームは両方ともに
青い森鉄道の下り青森方面行きホームとなります。
ましろa58
ホーム上に置かれた待合室。このホームは旧東北本線の特急の発着ホームだったそうで
その名残りでエアコンつきの待合室が設置されているのだそうです。
ましろa59
北側の青森方のホーム端。
こちらのホームも柵でホームがカットされています。
ましろa60
切り返して南方向へとホームを戻ります。
ましろa61
うみねこロード下の跨線橋の下を抜けてホーム南側へ。
ましろa62
南側の目時方のホーム端です。やはり柵でホームがカットされ
短く使用されています。西側に見えるドーム状の新幹線ホーム駅舎。
ましろa63
切り返して跨線下の光景です。
ましろa64
階段を上がって改札階連絡通路へ。
ましろa65
4、5番線ホームへの階段の西側奥は使われていないデッドスペースのようで
物置代わりに八幡駒の置物が置かれていました。
ましろa78
実はここには2010年(平成22年)12月までは新幹線と在来線の乗り換え改札口がありました。
しかし東北本線の当駅━青森駅間の青い森鉄道への移管によって
八戸駅在来線が他社施設となった事から閉鎖された跡となります。

ましろa66
改札外に出て東西自由通路のうみねこロードへと戻り、
今度は西側の新幹線改札口へと戻ります。
ましろa67
八戸駅の新幹線改札口の自動改札機です。
2002年(平成14年)12月新幹線開業で置かれたものですが
これは青森県初の自動改札機導入なのだそうです。
ましろa68
構内側から見た改札付近。
ましろa69
改札前コンコースの様子です。
右手にはKIOSKと弁当屋が並んでおり飲食物の購入が可能です。
ましろa70
左手には改札内待合室が。
ましろa71
待合室の中の様子です。
ましろa72
その待合室の隣にはベビー休憩室が。ここでオムツ交換や授乳が可能となっています。
待合室とベビー休憩室が作られたのはは2010年(平成22年)12月で、
東北本線の青い森鉄道移管によって不要となった新幹線在来線乗り換え改札を
塞ぐ必要性が出来た事から新設されたものです。
ましろa73
そして改札から正面奥に見えるのがサウスブリッジと呼ばれる待合室です。
ましろa76
外にも中にも青森県の各自治体特産の木材を用いたベンチが置かれています。
ベンチには八戸の名産の絵が描かれています。
ましろa74
待合室の中の様子。かなり広めで新幹線ホームを見下ろす
展望室の様な作りとなっていて眺めも抜群です。
ましろa75
ましろa77
こちらが島式の11、12番線ホームの様子です。
東北新幹線の上り東京方面行きホームとなります。
ましろa79
南側の東京方の光景。
ホームを覆っているのはスノーシェッドで雪国ならではです。
ましろa80
切り返してホーム中央部へと戻ります。
駅中央側の12番線にのみホーム柵があるのは通過列車からの安全の為です。
ましろa81
跨線橋の下のホーム中央部付近。
改札階と連絡するエレベーターの出入口があるのは構造的に在来線ホームと同じです。
北側のエスカレーター前には待合室が。
ましろa82
ホームの待合室の中の様子です。
ましろa83
待合室の先には自販機やベンチがあり、その先には喫煙場が置かれています。
ましろa85
喫煙所の中の様子。
ましろa84
函館北斗方のホーム北側の様子です。
ましろa86
八戸駅に止まる新幹線はほとんどが内側の12、13番線に停車をしており
外側の11、14番線には一日1本づつのみなのだそうです。
ましろa87
エスカレーターを上がって改札階へ。
ましろa88
反対側の13、14番線へと階段で下ります。
ましろa89
こちらが西側にある島式ホームの13、14番線です。
下り線新函館北斗方面行きのホームとなります。
ましろa90
南側の東京方のホームの光景です。
盛岡以北で列車追い抜きの施設がある中間駅はこの八戸駅だけなのだそうです。
ましろa91
切り返して南から見たホーム。
ましろa92
跨線橋の下付近は階段裏が業務用のスペースとなっていて
若干ホームの通れる幅が狭くなっています。
ましろa93
こちらのホームにもホーム待合室があり中の様子です。
ましろa94
ベンチ、自販機、喫煙所が並ぶホーム中ほど。
ましろa95
北側の新函館北斗方のホーム端の光景です。
ましろa96
再び切り返して北側から見たホーム。



八戸駅についてまとめてみたところ、駅の紹介だけでほぼでんこ一人分の字数となってしまいました。
ですので車両についての紹介をその2として記事を分割する事とします。

続きはその2にて。

【写真撮影:2021年7月】

でんこの元ネタ
■EX No.46 五葉あこ(Goyo Aco)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:7月14日

■出身駅: なし(車両基地はJR東日本川越車両センター(埼玉県川越市))
あこ17


ACトレインをモチーフとする五葉あこの苗字の「五葉」についてですが
日本で過去現在を見ても「五葉」という駅は存在していません

ACトレインが5両編成である事など由来ではないか、と思われる事象はあるものの、
公式な発表などはまだ無いので推測の域を出ません。

あこ16
試験車両であるACトレインは埼京線と川越線の川越電車区(現・川越車両センター)に在籍して
主に埼京線や中央本線で次世代通勤車両の試験走行を行っていました。

ACトレインが川越電車区の所属となったのは2002年(平成14年)1月18日で、
実際に試験走行を開始したのは翌月の2月からでした。

あこ18
現在(註:2021年)では川越車両センターには多目的試験車の「MUE-Train」が所属しています。
同じ試験車両のACトレイン(ac@train)はいわばMUE-Trainの先代にあたる訳で
駅メモの設定でMUE-Trainモチーフの雲谷みゅうとコンビの様に設定されているのも
こうした状況からであろうと思われます。



■モデル車両: JR東日本E993系電車「ac@train」
01


JR東日本E993系電車は2002年(平成14年)1月に作られた試験用電車です。
「E993系」の十の位の「9」は試験車両を表わす数字ですので
形式番号からもこの電車が試験車である事が分かります。

5両編成で新造されたE993系は「Advanced Commuter (進化した通勤列車)」から
「ACトレイン(ac@train)」の愛称がつけられています。

駅メモのエクストラでんこの「五葉あこ」の「あこ」という名前についてですが、
この「ac@train」のドバンスド ミューター」が元ではないかと推測
されます。
「あこ」の駅メモでのローマ字表記が「Aco」となっているのがその裏づけと言えるでしょう。


車体は1、2号車がアルミ車体、3号車から5号車がステンレス車体で
ベースは素材の銀色となっていますが、帯色にはJR東日本のコーポレートカラーである
緑色(    が用いられています。
02
車体にはご覧の目玉のようなロゴマークが付けられています。
このロゴは「21世紀を見通す目」をモチーフとして作られたのだそうです。
03
当初は山手線の新造車両に対しての技術導入の為の研究試験が目的でしたが、
2002年(平成14年)1月より山手線ではE231系500番台が置き換えで投入されており、
ACトレインも中央線快速や埼京線に投入する車両へと研究対象をシフトしていきます。

あこ13
ACトレインの開発にあたってJR東日本では
「システムチェンジ」と「IT(Information Technology)の活用」の2つを柱としました。

「システムチェンジ」では連接台車の採用による台車数削減による重量とコストの削減、
混雑緩和の為の車内空間拡大の為のダブルスキン構造や外吊りドアの採用、
効率を高めるた「直接駆動電動機(DDM)」の採用などがあり、
また「ITの活用」ではネットワークを活用した車内システムの自立分散化と
バックアップ機能による輸送の安定性向上、車両制御情報システムの導入、
車内の情報サービスに必要な環境の整備などが掲げられています。
あこ14
「連接台車」とは車体間に設置して2つの車体を支える台車の事で、
個々の車両に台車を設置するよりも台車数を減らせて編成の軽量化が図れ、
かつ車体の揺れを抑えられ高速走行に向くというメリットがあります。
あこ15
また電車のメイン装置とも言えるモーターには
DDM(Direct Drive Motor:直接駆動式モーター)が採用されています。
これは車軸に直接モーターを取り付ける方式のもので
動力の伝達ロスを無くし騒音の軽減も図れるというものです。

このzZACトレインのDDMは2003年(平成15年)には一般的な電車のモーター構造である
カルダン方式に改造されています。


あこ04
編成は川越方から1号車、2号車・・・5号車の順となります。
前の2両はアルミ車体となっています。
あこ07
ACトレインでは1号車と2号車はアルミ合金ダブルスキン構造、
3号車と5号車はレーザー溶接によるステンレスのダブルスキン構造、
そして4号車はステンレスのシングルスキン構造と
外装の材質や構造を変えたものを用いて試験が行われています。

ダブルススキン構造とはいわばダンボールのような構造で強度を保ち
軽量化を図ったもので、車体はご覧の通りパネルを組み合わせた工法で作り
コスト低減を狙っていたようです。
あこ06
客室内の1号車と2号車の連接部の様子です。
この部分の貫通路はバリアフリーの試験の一環として
幅1800mmとかなり広めに作られています。
連接台車が真下にある場所なので床は連接部独特の半円形となっています。
あこ11
車両の乗降扉にはac@trainでは戸袋が無く外吊扉となっています。
外吊とすることで混雑緩和の為に車内客室の幅を広く取る事ができる為なのだそうです。
あこ12
また扉の内側には床の端部やてすり、ドアの端などを
注意を喚起する黄色で塗る事や、滑り止めの素材を使用するなど
「ユニバーサルデザイン」を意識したものとなっています。


あこ05
こちらは新宿方となる3号車から5号車の車両の図面です。
後半の3両はステンレス車体の車両となっています。
あこ08
4号車のサハE993-1は2扉車となっていますが
川越方の扉にはご覧の車椅子ステップがついていました。
このステップはドア開閉に連動して作動してホームと車体の隙間を埋めるもので
車椅子などのほか老人や子供の転落をも防ぐ効果があるそうです。
あこ08
また4号車の川越方の半分は特急を想定したクロスシートが12席設置されています。
座席は「インターネット対応座席」として専用の端末が置かれ
車両にはwi-fiのアクセスポイントが設けられています。
コンセントも設けられており移動中にパソコンなどの端末の使用できる環境が作られています。
あこ09
そして4号車新宿方の乗降扉には車椅子用スロープが設置されています。
こちらはボタン操作によってスロープが出る仕掛けとなっていて
ホームと車体との段差を解消し車椅子などの乗降を補助するものです。

あこ10
新宿方の先頭車両となる5号車のクハE993-1では
川越方は半分の車内にご覧の通り液晶パネルやLED表示機がいくつも設置されて
設置環境などの試験が行われていました。
現在の通勤形車両では当たり前となっている液晶画面での案内も
ACトレインでの試験を経たものだったという訳です。


製造からおよそ4年という短い期間を試験走行に費やしたACトレインは
その役割を終え郡山車両センターへと廃車回送。
2006年(平成18年)7月14日に廃車となっています。

ACトレインをモチーフとしている駅メモのでんこの
五葉あこの誕生日が7月14日に設定されていますが
これはACトレインの廃車日を由来としているものと思われます。

その後ACトレインは郡山車両センターで7月22日に最後の一般公開を行った後、
同センターで9月下旬に解体されています。


参考
JR東日本 プレスリリース「ACトレイン試験走行の実施について」
https://www.jreast.co.jp/press/2001_2/20020111/index.html
JR東日本 プレスリリース「ACトレイン試験車の製作について」
https://www.jreast.co.jp/press/2000_2/20001202/index.html

でんこの元ネタ
■No.104 砂田橋あきら(Sunadabashi Akira)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:6月10日

■出身駅: 名古屋市営地下鉄名城線 砂田橋駅(愛知)
あきら00



あきら02
こちらは名古屋市東区にある砂田橋交差点の光景です。
南北方向に県道30号関田名古屋線が走り、東西に市道大幸線が交わる交差点で、
ちょうどナゴヤドームの真北およそ800mほどの場所に位置しています。
あきら03
地図を見るとご覧の通り砂田橋交差点の西側に砂田橋駅があるのが分かります。
東西を走る市道大幸線の地下を市営地下鉄が走っており、
駅の地上出口はご覧の通り交差点の周囲に設けられています。
あきら04
こちらは1996年(平成8年)刊行の「北区史」より引用した
砂田橋交差点南東角の歩道付近の光景です。かつてはこの市道南側には大幸川が流れており、
交差点南側に「砂田橋」が架かっていました。地名の由来はこの橋からでしたが、
1975年(昭和50年)頃には川は塞がれて暗渠化され橋も無くなってしまいました。
あきら05
大幸川は現在も名古屋市の下水道「大幸幹線」として
市道南側の歩道の下を流れているそうです。
現在では「砂田橋」の名前は当地の地名に残るのみとなっています。

あきら06
こちらは砂田橋駅の地上1番出口です。
砂田橋交差点の南西角の歩道にご覧の出入口があります。
あきら12
1番出口の地上付近。
あきら13
出口前の脇にはバスの停留場の配置図が置かれています。
あきら14
入口から階段を下って地下通路へ。
あきら15
地下鉄駅なので地下コンコースへ連絡通路が続いています。
あきら07
地図を見ると分かる通り、砂田橋交差点の南西角の敷地は
愛知教育大学付属小・中学校の敷地が広がっています。
あきら08
1番出口から歩道を南へと進むと40mほどで愛教大付属中の校門があります。
あきら09
こちらが愛教大付属中の校門。付属中の敷地の南側には至学館高校もありますので
朝夕の登下校時には通学の生徒で歩道が溢れかえります。
あきら10
付属中の校門の面する県道30号関田名古屋線の南方向の光景。
名古屋市の東側を南北に連絡するこの県道は市内瑞穂区まで至る基幹路線となっています。
あきら11
切り返して南側から砂田橋交差点方向への光景です。

あきら16
交差点の北方向は県道30号関田名古屋線が矢田川を渡って春日井市方面に向かっています。
この交差点から北側の県道中央にはガイドウェイバスのゆとりーとラインの高架軌道があります。
あきら17
そして砂田橋交差点の北東角、1番出口からは交差点の斜向かいの位置に
ご覧の地上3番出口があります。
駅の3つある地上出入口では改札から最も遠い出入口となります。
あきら27
入口から階段を下ります。こちらの出口はエスカレーターは無く
らせん状となった階段を回りながら改札階まで下ります。
あきら28
階段を下りきると、地上から直通のエレベーターの出口が右手にあり、
正面には駅へと連絡する長い連絡通路があります。
あきら29
砂田橋交差点の北側の地下をくぐる連絡通路は左へと曲がり、
1番出口からの通路とT字路で合流して改札方向へと連絡しています。
あきら20
こちらの交差点北東の敷地は名古屋中学校・高等学校の敷地となっています。
1887年(明治20年)創立という古い学校であり、
駅の3番出口は学校の敷地内に新しく作られたものです。
あきら18
階段脇の建屋下には2基のエレベーターが。
あきら19
そして階段正面北側には名古屋高校の敷地へ直接入れる通用門があります。
あきら21
入口建屋の南側には名古屋中学への門が。
最初は何故二つ門があるのかと思いましたが中学と高校で
きちんと門が分けられて設置されていました。
あきら22
県道を学校の敷地に沿って北上するとまもなく校舎の脇へと辿り着きます。
あきら23
北側の県道沿いにも校門があり、登下校の生徒の多くがこちらから登下校を行っています。
あきら24
校門の北側を見ると県道は矢田川を渡る宮前橋となります。
川の北側は名古屋市の守山区となります。
あきら25
切り返して南の砂田橋交差点方面の光景。

あきら26
こちらは砂田橋交差点から東方向の市道大幸線の様子です。
南側の歩道が北側に比べて幅が広いのは、この歩道が大幸川の旧川筋だからです。
かつては市道と川は併走していましたが、道路拡張により川は暗渠化されました。
あきら30
砂田橋交差点の南東角には砂田橋ショッピングセンターが建っています。
イオン系列のマックスバリュ東海が運営するショッピングセンターで
スーパーの他にテナント店舗が入居する施設です。
あきら31
ショッピングセンターの並びに建つ名古屋ハートセンター。
あきら32
病院の向かい側付近には名古屋中学・高校の正門があります。
あきら33
学校の敷地に沿って市道を東進します。
砂田橋交差点の東側のこの市道の両脇付近は「砂田橋」の地名が付けられています。
あきら34
切り返して東側の市道大幸線から見る砂田橋交差点方面。
あきら35
交差点の向こう側である西側の市道の地下が砂田橋駅のホームのある付近となります。
あきら36
上のゆとりーとラインの高架を見るとガイドウェイバスが走る姿が。
あきら37
市道大幸線を砂田橋交差点から西へと入るとすぐにゆとりーとラインの
ガイドウェイバス志段味線砂田橋駅の高架駅舎があります。
あきら41
砂田橋交差点の北西角の様子です。
こちらの歩道には名古屋東警察署の大幸交番と市営の駐輪場があります。
あきら39
そして市道大幸線の北側の歩道を西に進むとすぐに駅の入口があります。
あきら40
反対の西側から見た駅入口付近。
入口の並びにはコメダ珈琲店があります。
あきら38
こちらが砂田橋駅の地上2番出口の外観です。
あきら42
歩道に面して入口前にタイル張りのスペースがあり、
エレベーターと2番出口の階段があります。
あきら43
地下鉄の2番出口の隣にはゆとりーとラインの1番出入口が。
目の前のエレベーターは地下鉄改札階からゆとリートラインのコンコース階まで
直結で連絡をしていてバリアフリーでの移動が可能です。
あきら44
2番出入口から地下改札階へと下る階段。
あきら45
階段を下った先は改札正面の地下コンコースへと通じています。
あきら46
東の方向へと進むと1、3番出入口への連絡通路が。
あきら47
クランク状の通路を進むとT字に通路が分岐していて
それぞれ1番出入口と3番出入口へと連絡しています。
あきら48
そして2番出入口の階段前から西へとコンコースを進むと
つきあたりに砂田橋駅の改札口があります。
3つある砂田橋駅の地上出入口は連絡通路で地下コンコースへと集約されており
駅の唯一の改札であるこちらへと通じています。
あきら49
改札左手には有人窓口と駅務を行う駅長室が。
あきら50
右手は公衆電話とコインロッカー、自販機スペースとなります。
あきら51
切り返して改札側から見た改札前地下コンコース。
あきら52
改札には自動改札機が7台設置されています。
あきら84
砂田橋駅の開設は2000年(平成12年)1月19日で、
名城線の大曽根駅からの東方への延伸によって開業しました。
駅メモに登場したでんこの砂田橋あきらの苗字の由来駅がこちらとなります。
あきら85
駅メモでは地下鉄モチーフのでんこの腰にはリングがありますが、
この砂田橋あきらのリングは前の部分が欠けたものとなっています。
これは名古屋市交通局のラインロゴの形に因んでいるものと思われます。
あきら53
改札内側からの光景。自動精算機もありますが、
有人窓口があるのでそちらでも精算は対応ができます。
あきら54
改札内側の改札階コンコースの様子です。
広めの作りとなっており、それぞれのホームへと下る階段があって連絡をしています。

あきら55
南側の1番線ホームへと下る階段とエスカレーター。
あきら56
ホームへの階段は2つあり、東側の階段にはエスカレーターが設置されています。
あきら57
こちらが砂田橋駅の1番線ホームの様子です。
相対式2面2線のホームを持つ駅となっており、
2004年(平成16年)に名城線が環状運転を開始したことで
左回りの大曽根・栄方面行きとなっています。
あきら58
ホームにはご覧の通りホームドアが設置されていますが
これは2020年(令和2年)に新設で設けられたものです。
あきら59
改札階からホームへは階段が南北方向に計2つあり、
ちょうどホーム中央部付近が階段の真下にあたります。
あきら60
こちらは大曽根方のホーム西端付近。駅開業かあ3年ほどは終着駅でしたので
このホームで列車は折り返し運転をしていたのだそうです。
あきら61
ホームへのエスカレーターは東側の階段にのみあり、
こちらの西側は階段のみとなっています。
あきら62
中央部の階段の間付近にあるエレベーターのホーム側乗降口。
あきら63
地下鉄駅らしく床や壁はタイル貼りとなっています。

あきら64
こちらは駅北側の2番線ホームです。
本山・八事方面の右回り線ホームとなります。
あきら65
名城線の最初の栄町駅(現・栄駅)━市役所駅間は1965年(昭和40年)ですが、
この砂田橋駅の開業は2000年(平成12年)1月19日となっています。
そして環状運転が開始されたのは2004年(平成16年)となりますので
当駅付近は名城線の中でも新しく作られた区間です。
あきら66
名城線のラインカラーは紫色(    となっており、
駅施設や車両などにもこの紫色が用いられています。
あきら67
ホーム東端の大曽根方の光景。
駅付近には複数の学校施設がある為、特に夕方は
学生でホームが埋め尽くされる光景となります。
あきら68
名城線が環状運転となる前に最後まで建設が残っていたのは
当駅を含む大曽根駅━新瑞橋駅までの区間で、当初はこの区間を一緒に開業する予定でした。
しかし1997年(平成6年)にナゴヤドームの開業が決まり、
それに合わせて大曽根駅━砂田橋駅間は先行開通する事となりました。
あきら69
駅の施設は砂田橋駅の西側の市道大幸線の地下に設けられています。
終点だった時期がありますので、ホーム東側には両渡り線が設けられていて
列車の折り返しが可能な配線となっています。

あきら70
そして駅の真上となる市道大幸線の上には、まさしく地下鉄の砂田橋駅の真上に
ゆとりーとライン砂田橋駅の高架駅舎があります。
地下鉄名城線砂田橋駅は2000年(平成12年)1月19日の開業ですが、
こちらのゆとりーとライン砂田橋駅は2001年(平成13年)3月の開業となっています。
あきら71
砂田橋駅の2番出入口はゆとりーとラインの開業によって後から作られたもので、
地下の名城線改札階から3階のゆとりーとラインホーム階まで直通のエレベーターも設置されています。
ご覧の通りバス車両の走る路線ですが、大曽根駅から小幡緑地駅までは鉄道扱いであり
駅メモでも収録のされている路線となっています。

あきら72
砂田橋交差点の西側へと伸びる市道大幸線を、砂田橋駅を過ぎて西へと進みます。
あきら73
旧大幸川の川筋を進む市道大幸線の駅西側区間は
南側に愛知教育大付属や公立の矢田中学校、そして名古屋大学などが並んでいます。
そして駅南西700mほどにはご覧の通りナゴヤドームがあります。
砂田橋駅の南側は大幸南2丁目という地名なのですが、
大幸南1丁目にあるナゴヤドームと駅は同じ町内ということになります。
あきら74
市道大幸線の南側に並ぶ学校施設群。
ナゴヤドームが近いのもお分かりいただけると思います。


あきら75
こちらは砂田橋駅の隣の駅であるナゴヤドーム前矢田駅の様子です。
名前の通りナゴヤドームへの最寄り駅となります。
あきら76
壁に中日ドラゴンズの選手写真の並ぶ連絡通路を進んで
ナゴヤドーム最寄りとなる1番出入口へと向かいます。
あきら77
こちらがナゴヤドーム前矢田駅の1番地上出入口です。
あきら78
1番出入口の目の前にはナゴヤドームへと通じるペデストリアンデッキへの階段があり、
駅とナゴヤドームとを直結して連絡しています。
あきら79
そのドーム連絡デッキへの階段を上らずに西側の歩道へとまわります。
デッキはカルポート東という名古屋市の複合公共施設の一部であり
駅とドームとを連絡するように南北に長細く建っているのが分かります。
あきら80
そして連絡デッキの駅へ近い場所の下にご覧の鉄柵の門があります。
あきら81
こちらが名古屋市交通局の大幸車庫の入口となります。
1999年(平成11年)12月に名古屋市営地下鉄名城線・名港線の車両基地として作られたもので、
ナゴヤドームの建設に際してその地下に作られました
あきら82
実際には大幸車庫はその大部分がカルポート東の地下部分に作られているので
基本的にはぺデストリアンデッキの下が車庫という事になります。
名城線の電車がモチーフである砂田橋あきらの元ネタ車両の基地がここですので、
いわば球場に住んでいると言っても過言では無いと思います。
あきら83
ナゴヤドームで試合のある日には、名古屋市交通局の職員が
球場に詰めて試合経過を観察
しているそうです。
そして試合の経過を大幸車庫へ随時報告をし、試合終了に併せて
名城線の電車が増発されて大幸車庫を出庫、球場の観客を輸送しているのだそうです。

砂田橋あきらの「でんこな話」では野球の試合結果に一喜一憂する姿が描かれていますが、
名城線のこういった話を知るとさもありなんと思えます。



■モデル車両: 名古屋市交通局2000形電車
あきら01


あきら86
1965年(昭和40年)に栄町駅(現・栄駅)━市役所駅間という
名古屋市営地下鉄最古の区間が開業した名城線では
1000形という形式の鋼製の電車が運行をしていました。

計画に従って名城線は延伸が行われ、乗客の増加による編成車両の増加や
車両冷房化の推進などを目的として、老朽化した1000系に廃車代替の為に作られたのが
こちらの名古屋市交通局2000形電車となります。
あきら88
車両は1989年(平成元年)6月10日に最初の2000系第1編成が営業運転を開始したのを皮切りに
2004年(平成16年)までに6両編成が36本作られました。

2000系をモチーフとする駅メモのでんこの砂田橋あきらの誕生日が6月10日に設定されていますが、
これは2000系の営業運転開始日が元ネタ
と考えて間違い無いでしょう。
あきら87
名城線は標準軌の路線ですので2000系も軌間1435mmの標準軌となっています。
また給電は第三軌条方式で台車脇についている集電靴で電力を取っています。
ですので車両にパンタグラフは搭載されていません。
あきら89
車体はステンレス製で剛性を上げる為にビードと呼ばれる凹凸がが車体につけられています。
砂田橋あきらの衣装の、スカートの裾のラインなどを見るとビードをモチーフとしている事が分かります。
あきら90
また衣装の左肩には名古屋城由来の金のシャチホコがあしらわれていますが、
その下には白い前照灯と赤い後尾灯があるのが
実際の車両と並べてみると良く分かります。

あきらa15
当初の名城線の電車の帯色は青紫(    ともいうべき青みの強い紫が用いられていました。
第29編成以降は帯色がやや赤みのかかった紫色(    へと変更されています。
並べてみると砂田橋あきらの衣装の紫は後期の赤みのかかった紫に近い様です。
ですが誕生日の設定は前期の車両由来ですので、特に砂田橋あきらのモチーフ車両が
後期のものに限定される、といった事は無いと思われます。



【上動画はクリックで再生します。】
こちらは名港線の名古屋港駅へと入線をする2000系電車の様子です。
それでは以下で2000系の各車両について見てみたいと思います。


あきら91
こちらが左回り時の先頭車両となる2100形です。
編成略記号ではTc1となりT(付随車)c(制御車)となって
動力を持たない運転台のある車両となります。
あきら97
運転台後部の様子です。地下鉄車両なので運転席との壁は
反射を防ぐ為に窓が小さめとなっています。
あきらa16
運転台の様子。
あきら98
ご覧の車内は1994年(平成6年)に作られた6次車の第13編成のものです。
6次車以降の2000系はほぼ室内の仕様が標準化されており、
36編成ある名城線の車両の2/3がこれにあたる事から
名城線のオーソドックスな車内光景と言えます。
あきら99
片側3扉の通勤形車両であり、車内は全てロングシートとなっています。
中間車両では車両の両端部の3人掛けロングシートが片方のみ優先座席となっていますが
先頭車両のみ運転台と反対側の車端のシートが両側とも優先座席となっています。


あきら92
左回り先頭2両目となる2200形です。
編成略記号はM1M(動力車)ですのでモーターを搭載した車両となります。
あきらa01
車内の様子です。中間車両なので車端部3人掛けシートの片側が優先座席となります。
名城線では優先座席はグレーのモケットとなっています。
あきらa02
一般座席のモケットはライトグリーンで、床のグリーンと統一感を出しています。
乗降扉間のロングシートは7人掛けとなっています。
あきらa03
切り返して見た車内の様子。

あきら93
左回り時の先頭3両目になる2300形です。
編成略記号はM2M(動力車)となるのは同じです。
あきらa04
車内の様子です。中間車の客車車両なので基本的な構造は同じです。
あきらa17
この左回り3両目の「23××」の番号の車両で特筆すべき点は
ご覧の通り平日の始発から9時までの間は女性専用車両となる事でしょう。
ですのでこの3両目の車両のみ女性専用車両を示すステッカーがいたる所に貼られています。
あきらa05
切り返した車内の様子。女性専用車両になる事以外は
他の車両と特段に変わった点はありません。


あきら94
右回り3両目に位置する2400形の外観です。
編成略記号ではM2'M(動力車)となり中間電動車となります。
あきらa18
近年の電車では2両の電動車(M)を組ませるユニット方式が主流となっています。
片方の電動車(名古屋市交通局の場合M1車)に主制御器、主抵抗器など
主電動機のコントロールに関係する機器を搭載し、
もう一方(M2車)にコンプレッサー(空気圧縮機)など
補機類を搭載して機器類を集約分散するものです。
この2400形はM2車ですのでご覧の通り床下に空気圧縮機があります。
あきらa08
車内の様子です。中間車両に関しては名城線2000形は基本的に同じ仕様です。
あきらa06
車端部の3人掛けロングシート。
あきらa07
車内の壁や天井を白色で統一しているのは
明るく清々しいイメージを目指したのだそうです。


あきら95
右回りの2両目になる2500形です。
編成略記号はM1’となりM(動力車)となります。
あきらa19
先に述べた様にユニット方式のM1車となりますので
床下にVVVFインバータが搭載されているのが見えます。
あきらa09
車内の様子です。1989年(平成元年)から基本的なデザインが受け継がれているので
座席袖の化粧板や仕切りのポールなどに今では多少の無骨さを感じさせます。
あきらa10
反対側から見る車内客室の様子。


あきら96
右回り先頭車両になる2600形です。
編成略記号Tc2T(付随車)c(制御車)です。
あきらa11
中間の7人掛けロングシートのうち、運転台に近いシートは
2人分が削られて車椅子対応スペースとなっています。
あきらa12
こちらが車椅子対応スペース。前後の先頭車両にのみ設けられたもので、
1992年(平成4年)製造の第4次車(第10編成)以降の車両に設置されています。
あきらa13
切り返した車内の光景。
あきらa14
連結部側の優先座席となった3人掛けロングシート。


あきらa20
以上で名城線の2000系車両についてとなります。

では。


【写真撮影:2021年6月】

でんこの元ネタ
■EX No.45 雲谷みゅう(Kumoya Myu)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:2月9日

■出身駅: なし(車両基地はJR東日本川越車両センター(埼玉県川越市))
みゅう14



みゅう15
こちらはJR東日本の川越線の南古谷駅です。
大宮駅からは15分ほどの場所にある駅で、川越駅の隣の駅となりJR埼京線が乗り入れています。
みゅう16
この南古谷駅の東側800mほどの場所にJR東日本の川越車両センターがあるのですが、
車両センターと駅との間にはご覧の通り一面の田んぼが広がっています。
実は荒川の右岸流域にあたるこのあたりの土地は市街化調整区域となっていて
開発に制限のかかっている土地
となっており、駅前の一部を除くと
ご覧の通り都心30km圏内とは思えない一面の田んぼが広がっているのです。
みゅう17
JR川越線の大宮駅方から南古谷駅への到着直前の車内から見た
川越車両センター付近の光景です。車両基地以外の周囲は
田んぼしか無いのがお分かり頂けますでしょうか。

1985年(昭和60年)に作られた川越電車区(現・川越車両センター)は
埼京線の車両基地としての役割の為に作られたものですが、
通勤新線として作られた埼京線の沿線には広大な車両基地を作る場所は無く、
大宮駅でつながる川越線の沿線で広大な土地がある
南古谷に基地が新設されたという経緯があります。
みゅう18
こちらが敷地の南側にある川越車両センターの正門です。
埼京線・川越線・八高線の車両基地としての役割を持つ車両基地であり、
試験車両である「MUE-Train」も所属している車両センターとなります。
みゅう19
再び南古谷駅のある車両センターの敷地の西側からの光景。
留置線の車止めがあり車両が並んでいます。
みゅう20
その留置線の中央付近にご覧の通り「MUE-Train」が留置されていました。
みゅう21
こちらは正門から東側の車両庫を過ぎたあたりからの様子です。
留置線に並ぶ「MUE-Train」の大宮方の線頭部をのぞくことができます。


通常のでんこには苗字の由来となる駅名がありますが、
一部のエクストラでんこと同様に「雲谷」という駅は存在しない
代わりに所属の川越車両センターの様子を紹介した次第です。
今後でんこの実家イベントなどで雲谷みゅうの駅が設定されるやもしれませんが
その場合は新たに追記したいと思います。



■モデル車両: JR東日本 209形電車mue編成 多目的試験車「MUE-Train」
みゅう01

「MUE-Train」はJR東日本が2008年(平成20年)に在来線車両の技術試験の為に製作した
研究開発用の事業用直流電車(試験車)で、編制の愛称は
Multipurpose Experimental Train(多目的試験電車)を略したものです。
みゅう09
【上写真:京浜東北線209系0番台】
「MUE-Train」の元の車両は1993年(平成5年)2月13日に川崎重工業で作られた
浦和電車区(現・さいたま車両センター)所属の209系0番台ウラ2編成
京浜東北線・根岸線で運用をされていた車両でした。

この10両編制の209系0番台ウラ2編成は2008年(平成20年)7月に
長野総合車両センターへと回送され、うち7両が使用され改造を施されて「MUE-Train」となります。
京浜東北線時代は車両記号に「クハ」「モハ」と旅客用普通車を示す「ハ」が用いられていましたが
試験車両へと改造された為、この時に事業用職用車を示す「ヤ」に改番されて
各車両の車両記号が「クヤ」「モヤ」となっています。
みゅう10
2008年(平成20年)10月3日付けで「MUE-Train」は川越車両センター所属となり
11月より東北本線(宇都宮線)を主に各種試験を行っています。
主に車両の性能向上に関する開発に関する試験を行った第1期の試験走行は
2009年(平成21年)まで行われました。
みゅう11
そして「MUE-Train」は次世代車両制御システムの開発をメインとする
第2期の試験を行うために2009年(平成21年)9月に東急車輛へと送られて新たな改造を施されます。

この際に「台車の性能向上試験」を担当していた4号車は
試験車両から外れる事となって後に廃車となっています。
現在(註:2021年5月)の「MUE-Train」では4号車が欠番となっていますが
これはこの時に4号車が外されて6両での試験編制となった為です。


試験車両はその性格から役割が終わると廃車となる短命なものも多いですが
この「MUE-Train」は多目的試験車として機器単位で載せ替えを行って運用されており、
現在(註:2021年5月)まで14年にわたって試験走行を行っています。
みゅう12
車体のデザインは「明るい未来と希望を表現する」白(    を帯色としており
「多くの分野の光り輝く新技術が集結して新しい鉄道システムを構築するイメージ」として
帯にブロックパターンが集まり、ロゴのmueの文字がつながる事で表現をしています。
みゅう02
「MUE-Train」をモチーフとする駅メモのでんこの雲谷みゅうの
苗字の「雲谷」は車両記号の「クモヤ」が由来であると思われます。
「ク」は運転台のある制御車、「モ」はモーターのある動力車の意味で
「ヤ」は事業用車であり、多くの試験車両で「クモヤ」の車両が使われていることから
今回の雲谷みゅうの苗字となったのだと思われます。

しかし近年の電車はユニットを組んで役割を分担する例がほとんどです。
なので209系には運転台とモーターが両方搭載された「クモ」の制御電動車はありませんので
「MUE-Train」に「クモヤ」という車両は存在しません
全国のJR各社では「クモヤ」を冠する事業車両がいくつもありますので
おそらくは試験車両という大きな括りで語呂のいい「クモヤ」を名前にしたのだと思われます。
みゅう13
また雲谷みゅうの誕生日が2月9日に設定されていますが、
「MUE-Train」および209系0番台ウラ2編成で2月9日に該当する出来事は見当たりません。
ですので恐らくは「209系」の形式番号から2月9日としたのであろうと思われます。



【上動画はクリックで再生します】
こちらはJR川越線の大宮駅隣の日進駅へと入線する「MUE-Train」です。
それでは以下で編制の各車両について見てみたいと思います。

みゅう03
川越方の先頭車両となる1号車のクヤ208-2です。
「ク」(制御車)「ヤ」(事業用車)の意味となります。
京浜東北線時代の車両番号はクハ208-2で、基本的には用途を示す
「ハ」が「ヤ」に変更された以外は元々の番号を踏襲して使われています。

編制略記号ではTcz'となりT(付随車)c(制御車)z(事業用車)
動力が無く運転台のある事業用車両という意味となります。

1号車の特徴としては、WiMAXによる高速データ通信の検証試験を担当している点でしょうか。
通信によって車両のみならず運行管理センターなどの地上設備と情報を共有して
情報管理をより一層高度なものにする為の試験をこの車両で行っています。


みゅう04
2号車となる川越方二両目のモヤ208-4です。
「モ」(電動車)「ヤ」(事業用車)ですので動力のある車両とjなります。
編制略記号はMz'M(動力車)z(事業用車)となり意味は同様です。

1号車と2号車は空気ばね式車体傾斜システムやブレーキ力向上用の
試験用機器が搭載されており床面の高さが編制の他車よりも低く作られています。
車体傾斜システムは中央線特急のE353系などで実用化されて大きな貢献をしています。


みゅう05
川越方三両目となる3号車のモヤ209-4です。
この車両もモーターのある電動車であり、編成略記号はMzとなって
M(動力車)z(事業用車)の電動車を意味しているのは同じとなります。

1号車からこの3号車までは降雨時のブレーキ力向上試験をも担当しています。
また3号車客室内の照明の一部がLED化されていて
蛍光灯との照度比較試験なども行われているそうです。
みゅう22
またこの3号車の川越方の屋根上にはシングルアームのパンタグラフが搭載されています。
京浜東北線の209系は菱形パンタグラフでしたが、「MUE-Train」ではこの3号車に
パンタグラフを増設する際にシングルアームの形状が採用されています。

「MUE-Train」をモチーフとする駅メモのでんこの雲谷みゅうの背中にも
同じ形のシングルアームパンタグラフがあるのが並べるとよく分かります。


みゅう06
大宮方の三両目となる5号車のモヤ208-3です。
編制略記号Mz'M(動力車)z(事業用車)となります。
4号車が2011年(平成23年)に廃車となり欠番となっているので
3号車の次がこの5号車となっています。

5号車から7号車までは営業用車輌を用いた地上設備の
状態監視用機器の開発の試験を担当しています。


みゅう07
大宮方の二両目の6号車のモヤ209-3です。
編制略記号MzM(動力車)z(事業用車)であり動力車となります。
この車両にも川越方の屋根上にシングルアームパンタグラフが1基搭載されています。
また架線状態の監視および計測を行うため屋根上にカメラと測定装置、
送受信装置が設置されています。

この「MUE-Train」では車体側面の白帯のブロックパターンの傾斜が
1~3号車と5~7号車では傾斜が逆向きとなっています。
本来は欠番の4号車の車体中央で合わさってV字になっていたのですが
現在は3号車と5号車の連結面が模様の境界となっています。


みゅう08
そして大宮方の先頭車両となる7号車のクヤ209-2です。
1号車と同様にモーターを持たない制御車の先頭車両で、
編制略記号TczT(付随車)c(制御車)z(事業用車)であるのも1号車と同様です。

屋根上には電車線設備計測用アンテナを搭載しており
通常の営業車両での架線のチェックを行う試験をしています。


また「MUE-Train」では編制の全車両でモーターとブレーキの制御装置と
指令および状態監視装置の試験を行っていました。
みゅう23
この「MUE-Train」で試験を重ねたものが次世代型制御システム“INTEROS”となり
山手線で導入された新型車両のE235系で本採用されて成果を挙げています。

みゅう24
また余談ですが、駅メモのでんこの阿佐ヶ谷カノンのモチーフ車両は
中央総武緩行線で走っていた209系500番台ですので
「MUE-Train」とは同じ209系の系列となります。

いつ走るか分からない試験車両の「MUE-Train」ですが、調べてみると
数多くの駅メモのでんこの元ネタ車両と関わりがある車両であることが分かります。



引用参考資料
JR東日本 2008年10月7日リリース「在来線用試験電車 MUE-Train (ミュートレイン)について」
https://www.jreast.co.jp/press/2008/20081004.pdf



【写真撮影:2021年5月】

↑このページのトップヘ