岡山県

下津井電鉄a36
さて、廃線である下津井電鉄の続きです。

その1(茶屋町駅━児島駅間)の記事はこちら


先にその1でご紹介した区間は1972年(昭和47年)に廃止されています。
しかし今回ご紹介する児島駅━下津井駅間の区間は
1991年(平成3年)の全線廃止に至るまで更に20年近く営業を行っていました。



下津井電鉄81
こちらはJR児島駅から西へ800mほどの場所にある
文化センター交差点付近です。
この交差点の近くにかつての駅が現在も残っています。
下津井電鉄75
こちらが下津井電鉄の児島駅の駅舎跡です。
1987年(昭和62年)の倉敷市の再開発事業によって改築移転された駅舎が
廃線となった後も観光案内所などが入って残されています。
下津井電鉄77
下津井電鉄の廃線跡は倉敷市に譲渡されており、
児島駅以南は「風の道」としてサイクリングロードに整備されていて
この旧駅舎がその起点となっています。
下津井電鉄76
駅舎の入口から中に進むとご覧の通り
営業当時のモダンな作りが残されています。
下津井電鉄78
駅舎内の光景です。
屋内にプラットホームが設けられています。
下津井電鉄80
駅舎の二階部分はご覧の通りテラスとなっており
かなりおしゃれな駅だった事が分かります。
下津井電鉄79
ホームの様子です。
かつては頭端式2面1線の駅でした。
下津井電鉄82
そして児島駅のホームの先にはスロープが設けられており、
下電バスの児島営業所の脇を抜ける廃線跡へと降りられる様になっています。
下津井電鉄83
駅脇の下電バス児島営業所の様子です。



下津井電鉄84
児島駅の駅跡は日中しか開放されていない為、
廃線跡のサイクリングロードの起点にはご覧のゲートがあります。
下津井電鉄85
架線柱の残る廃線跡を進むとすぐにある
遊歩道の案内板です。
下津井電鉄86
廃線跡地を利用したサイクリングロードです。
架線柱が残されており廃線だと分かるようになっています。
児島以北の区間は40年以上前に廃線になった区間なので
普通の道路として整備されていましたが、
児島駅以南のこちらのサイクリングロードは
平成になってからの廃止区間なので
同じサイクリングロードでもコンセプトが感じ取れます。
ちなみに地面はアスファルトではなく、
コストの安い真砂土による土系舗装がされていました。
下津井電鉄87
そして児島駅から1.1kmで次の駅が見えてきます。


下津井電鉄88
こちらが備前赤崎駅の駅跡となります。
1914年(大正3年)に児島駅━下津井駅間の開業に伴って開設された駅です。
開業時は相対式ホーム2面2線の駅で、
廃駅となった現在でもその遺構が残っています。
駅名標は営業時のものはありませんが、
サイクリングロード用に模した看板が設置されています。
下津井電鉄89
ホーム南端のこちらは明らかに構内踏切の跡であり、
かつてはここにあった構内踏切でホームが連絡していたと思われます。
下津井電鉄90
そして東側のホームの上が、かつての駅舎のあった跡地となります。
下津井電鉄91
駅前の道から駅敷地への光景です。



下津井電鉄92
駅跡を背に南へと廃線跡を進みます。
下津井電鉄93
駅跡から200mほど進むと廃線跡は国道430号線へと差し掛かります。
下津井電鉄94
電車は国道を垂直に横切っていたのでしょうが、
廃線跡のサイクリングロードを進んできた自転車は
信号のある交差点まで大きく迂回する必要があります。
下津井電鉄95
国道を越えて進む廃線跡のサイクリングロード。
下津井電鉄96
廃線跡と道路が並走状態となる付近、
前の駅跡からは500m、国道からも300mほどの
呉服店の先あたりに次の廃駅跡が見えてきます。


下津井電鉄97
こちらが阿津駅の駅跡です。
児島駅━下津井駅間の開業は1914年(大正3年)ですが
この駅は1949年(昭和24年)に新設されて開業した駅となります。
単式ホーム1面1線の駅だった様子で駅舎は無かった様です。



下津井電鉄98
駅跡を出るとご覧の通りで
このあたりの区間は花が植えられるなどかなり手入れのされている区間となります。
下津井電鉄99
そして鷲羽山の麓を登り始めると、土系舗装だった廃線跡は
アスファルトの舗装へと変わって上り坂となります。
下津井電鉄a01
1988年(昭和63年)に開業したJR瀬戸大橋線(本四備讃線)の高架をくぐる廃線跡。
3年ほどは高架下を電車が走っていました。
下津井電鉄a02
瀬戸大橋線をくぐると瀬戸内海と瀬戸中央道に挟まれた場所を
廃線跡が進みます。
下津井電鉄a03
海の方をみると児島競艇場が眼下に見下ろせます。
下津井電鉄a05
この付近に次の廃駅跡があります。


下津井電鉄a04
琴海駅です。
1914年(大正3年)の路線の区間開業時に設置された駅です。
島式ホーム1面2線の駅だったそうで、当時のホームが現在でも残っています。
駅名標は廃線跡がサイクリングロードに整備された際に設置されました。
下津井電鉄a06
ホームからは瀬戸内海の児島の大畠漁港が見下ろせます。
漁港のすぐ北が児島競艇場です。
下津井電鉄a07
そして駅の北側の隣にはご覧の変電所の設備が。
「本四連絡橋公団 児島変電所」とありますが、
こちらは鉄道では無く瀬戸中央道の高速道路の変電所となります。
下津井電鉄a08
ホームの北側が広場のようになっていますが
駅舎はこちらではなく、ホームから線路を挟んだ海側に
ご覧のような位置関係であったそうです。



下津井電鉄a09
鷲羽山の等高線に沿うように山の中腹をクネクネと走る廃線跡。
下津井電鉄a10
そして瀬戸中央道の下を廃線跡が潜ります。
瀬戸大橋の開業が1988年(昭和63年)ですので
このトンネルも建設時には下津井電鉄が走っていました。
下津井電鉄a11
廃線跡の高架下。
下津井電鉄a12
高速道路の下を抜けると切り通しの先に
次の駅の駅跡が見えてきます。


下津井電鉄a13
こちらが鷲羽山駅の駅跡です。
1931年(昭和6年)に臨時駅として新設開業し、
すぐに正式な駅へと昇格した駅です。
単式ホーム1面1線の棒線駅だったそうで、
現在公衆トイレのある付近にかつての駅舎があったそうです。
下津井電鉄a14
駅跡の東端には鷲羽山の山頂へと至る道と、
県道へと下って連絡する坂があります。
下津井電鉄a15
そしてホームの西側へと進むと
西端にはご覧の展望台が設置されています。
下津井電鉄a16
展望台からは、鷲羽山の先に瀬戸大橋のうちの一つである
下津井瀬戸大橋が至近に一望できます。
路線の末期にはこの瀬戸大橋へのビューを売りに
観光路線への脱却を目指したほどの景色が見れます。



下津井電鉄a17
鷲羽山駅を出るとご覧のの下りを進み、
県道393号線(鷲羽山スカイライン)とX状に交わります。
下津井電鉄a18
県道と廃線跡の交点付近です。
下津井電鉄a19
県道脇の築堤下を進む廃線跡。
アスファルトだった舗装は再び土系舗装へと戻っています。
下津井電鉄a20
跨道橋の下を潜るとすぐに、
次の駅の駅跡となります。


下津井電鉄a21
東下津井駅の駅跡です。
1914年(大正3年)の路線開業時に開設された駅です。
駅跡は雑草が覆い茂る状態となっていました。
下津井電鉄a22
駅の南側のかつては踏切であったであろう道路。
廃線跡と並走するのは県道393号線(鷲羽山スカイライン)で、
その左の小高くなった上には下津井中学校があります。
下津井電鉄a23
その踏切跡の前にはハマダベーカリーがあります。
下津井電鉄の営業時からあったパン屋で
たまごパンを始め田舎とは思えないクオリティの知る人ぞ知るパン屋だったそうです。
ご覧の通り店は開いておらず、もしかすると現在はもう営業していないのかもしれません。
下津井電鉄a24
駅跡から東に一本はいった裏手の道路です。
かつてはこの先に木造の駅舎があったそうです。
下津井電鉄a29
駅舎のあった場所は当時の写真などを参考にすると
おおよそご覧のあたりだった様子です。



下津井電鉄a25
駅跡を出て県道を並走する廃線跡。
下津井電鉄a26
進むと道は序々に下がり始め切り通しを進みます。
下津井電鉄a27
獣道の様になっている廃線跡のサイクリングロード。
このあたりの左手は瀬戸大橋架橋記念公園となっています。
下津井電鉄a28
車道と交わる廃線跡。
この先廃線跡のサイクリングリードは大きく左手へとカーブを描きます。
下津井電鉄a30
下津井の集落の外周を抜ける廃線跡。
このあたりでは右手は山ろくの県道、左手には住宅地が広がっています。
下津井電鉄a31
そして県道21号線の跨線橋の下を潜ると次の駅が見えてきます。
下津井電鉄a32
獣道のようになったサイクリングロードの終端と
その先に現れる廃線跡のレールです。



下津井電鉄a33
下津井駅の廃駅跡です。
1914年(大正3年)の下津井軽便鉄道(後の下津井電鉄)の全通時に
終着駅として開業した駅で、
単式1面1線、島式1面2線の計3線のホームを持つ駅でした。
他の下津井電鉄の敷地が倉敷市に無償譲渡されたのに対して
こちらの下津井駅の駅跡は今も下津井電鉄の所有地だそうです。
下津井電鉄a34
ご覧の単式ホームの上に木造平屋の駅舎と事務所棟がありました。
廃線後もしばらくは駅舎は残されていましたが、
老朽化が進んだ為現在は取り壊されています。
下津井電鉄a35
そして島式ホームの駅舎から一番遠かった番線側は
フェンスで仕切られていたものの、
下津井電鉄で走っていた電車が留置保存されていました。
下津井電鉄a37
こちらはホーム南端にある構内踏切の跡です。
下津井電鉄a38
駅舎のあった単式ホームのフェンスにある掲示板。
こちらの電車の保存活動をしている「下津井みなと電車保存会」の
活動紹介が掲示されていました。
下津井電鉄a39
かつての駅前であった場所の様子です。
商店跡がありましたが、現在は営業している様子はありません。
下津井電鉄a40
商店と駅前の道を挟んだ反対側には
下津井電鉄の初代社長である白川友一氏の銅像が。
この下津井の選挙区で代議士となり「軽便鉄道助成法」に尽力した人物です。
下津井電鉄a41
駅前通りの様子です。
下津井電鉄a42
通りの目の前にはご覧の下津井港が。
本州と四国とを結ぶ「四国往来」のメインルートとして
下津井━丸亀間航路の本州側の拠点だった港
です。
この場所へと連絡をする為に下津井電鉄は作られました。



以上で下津井電鉄の廃線跡については全てとなります。
その2でご紹介した児島駅━下津井駅間は
1972年(昭和47年)の児島駅以北の廃止以降も営業を続け、
観光路線としての脱皮を試みるなどして悪戦苦闘をした区間です。
当時としてはめずらしいワンマン運転などで努力をしたものの
瀬戸大橋の開通によって1991年(平成3年)に廃止されています。


下津井電鉄a43
こちらは児島駅━下津井駅間のau 4G LTEでの電波エリアマップです。
下津井のある児島半島は全域が電波圏内ですので
廃線跡で電波に困る事は基本的に無いでしょう。
下津井電鉄a44
そしてこちらは児島駅以南の下津井電鉄付近のボロノイ図です。
児島半島を縦に貫いてJR瀬戸大橋線(本四備讃線)が走っており、
この瀬戸大橋線から下津井電鉄の阿津駅、琴海駅、鷲羽山駅の三つの廃駅が
直接チェックインで取れる
事が分かります。

鷲羽山駅付近に記した赤い太線は瀬戸大橋線のトンネル区間ですが、
琴海駅と鷲羽山駅を取るのに影響は少ないことは分かると思います。
下津井電鉄a45
そしてJR瀬戸大橋線の児島駅からのレーダー範囲を見てみると、
ご覧の通り児島駅(下津井電鉄)から下津井駅までの区間の全駅が
射程8で届く
ことが分かります。

つまり瀬戸大橋線の児島駅で児島駅(下津井電鉄)、備前赤崎駅、
東下津井駅、下津井駅の四つをレーダーで取り、
そこから瀬戸大橋を渡るまでの間で阿津駅、琴海駅、鷲羽山駅の三駅を直接チェックインすれば
児島駅━下津井駅間の廃線廃駅は全て揃うということです。


駅メモの他の廃線もそうですが、
この下津井電鉄も近くの現役路線からレーダーを使えば乗らずに取れてしまいます。
しかしこれも他の駅メモと廃線と同様なのですが、
廃線跡がサイクリングロードとして残されており
比較的駅や廃線の遺構が残っていて実際に見ることが可能です。

是非とも時間があれば廃線跡を巡ってみて下さい。

では。

下津井電鉄00
さて、お次は下津井電鉄についてです。

この鉄道は、日本の鉄道の多くが1067mmの狭軌であるのに対して
軌間762mmのナローゲージ(特殊狭軌)で走っていた鉄道です。


元々下津井は瀬戸内海の要港であり、海運や軍事の重要拠点として発展してきました。
また漁港としても「下津井直送」がブランドになるほどであり、
そして本州と四国の往来は岡山側の下津井と四国の丸亀を結ぶ航路が中心でした。

しかし1910年(明治43年)に国鉄宇野線の全通と宇高連絡線の開設によって
本四間の人と物流は宇野━高松ルートへとシフト
この事に危惧を覚えた下津井や丸亀の有力者が中心となり
四国渡航客を取り戻すために、下津井から国鉄線までの鉄道路線が計画されました。
これが下津井電鉄の起こりとなります。

早速1911年(明治44年)に鉄道の工事が着工されるも
鷲羽山付近の岩盤開削の難工事の影響もあって
1913年(大正2年)に下津井軽便鉄道として
茶屋町駅━味野町駅(児島駅)が先に開業しました。
そして1914年(大正3年)には味野町駅(児島駅)━下津井駅が開業。
茶屋町駅から下津井駅までの21kmが全通となりました。


しかし乗客は宇野線で岡山から宇野、そして宇高連絡線へと直通しているのに
わざわざ途中駅の茶屋町で下津井電鉄に乗り換えるはずもなく、
本来の目的であった本州四国連絡の利用者はほとんどいませんでした。

戦中戦後の燃料難を電化への転換で乗り切り、
鷲羽山近辺への観光客も増え始めたものの、
1972年(昭和47年)の山陽新幹線の岡山開通と、
それにあわせた道路網整備によって乗客数は一気に激減してしまいます。
皮肉な事に下津井周辺の岡山行きの乗客は下津井電鉄には乗らず、
時間も短く直通で便利な下津井電鉄バスへとシフトしたのです。
この結果、茶屋町駅━児島駅間の14.5kmは1972年(昭和47年)3月末で廃止となりました。

本来の電鉄敷設の目的であった下津井━丸亀航路への連絡の為、
児島駅━下津井駅間の6.5kmは存続。
徹底的な合理化や観光路線への転換を目指すなどして経営をスリム化した結果、
収益のあるバス事業で鉄道の赤字を補填してなんとか路線は存続をしてきました。

しかし1988年(昭和63年)の瀬戸大橋開通によって
四国への乗客は完全に瀬戸大橋線へとシフト。
バス事業の乗客も激減して鉄道の赤字を補填できなくなり、
1990年(平成2年)末で鉄道は全線が廃止となりました。



下津井電鉄01
こちらはJR宇野線の茶屋町駅です。
1910年(明治43年)に国鉄宇野線の駅として開業しました。
下津井電鉄02
宇野線(宇野みなと線)と本四備讃線(瀬戸大橋線)の分岐しているこの駅は
1988年(昭和63年)の瀬戸大橋開通に伴って高架されています。
下津井電鉄03
こちらは現在のJR茶屋町駅の西口駅前ロータリーです。
高架化事業によって区画整理と整備が行われて
下津井電鉄の遺構は残っていませんが、
現在はバスが発着しているこの広場がかつてのホーム跡の北端付近となります。
下津井電鉄04
その駅前広場を南へと進むと、
備品倉庫らしき建物があり、その奥には
西口広場よりもひとまわり小さい広場があります。
下津井電鉄05
営業当時の写真や、JRの高架化事業の工事時の写真などから見比べても
この広場が下津井電鉄の茶屋町駅の跡地でほぼ間違いありません。
駅舎風の屋根が設けられているのもおそらくは駅跡地を意識して整備されたものなのでしょう。
下津井電鉄としての茶屋町駅
1913年(大正2年)に開業しています。

駅メモでは茶屋町駅はJR宇野線の現役駅として登録されており、
下津井電鉄の茶屋町駅とは同一駅となっています。

下津井電鉄06
駅跡地のすぐ南に建つ茶屋町郵便局。
下津井電鉄07
郵便局の南隣の線路跡はコインパーキングとなっていました。
下津井電鉄08
道を挟んだ向かい側には丸屋根の駐輪場がありますが、
この長細い駐輪場が下津井電鉄の線路跡となります。
下津井電鉄09
駐輪場の先を更に南に線路跡を進みます。
線路は右の車道では無く、左の歩道付近だったようです。
下津井電鉄10
そしてその先にはご覧のサイクリングロードの入口があります。
これは倉敷市が下津井電鉄の線路跡地を整備したものです。


下津井電鉄11
遊歩道を2kmほど進んだところにある、
こちらが天城駅の跡地となります。
1913年(大正2年)の路線開業時に設けられた駅で、
見ての通り花壇かと思ったここがプラットフォームの跡地です。
下津井電鉄12
反対方向からみた駅付近。
かつては民家の敷地に廃駅舎がそのまま残っていたそうですが
近年解体されてしまったそうです。
下津井電鉄13
ホーム付近から南の児島方面をみた光景。
下津井電鉄71
こちらが天城駅の座標の地図ですが、
現実の駅跡に駅メモの座標もピンポイントで設定されています。
この駅に関しては座標のズレはありません。


下津井電鉄16
天城駅を出て南へと進むと倉敷川に差し掛かります。
川に架かる塩干橋はかつては鉄道橋でしたが
現在は遊歩道用に架け替えられています。
下津井電鉄17
橋に残る鉄道橋時代のものと思われる橋脚跡。


下津井電鉄15
天城駅からは川を隔てて500mほどの距離で次の駅が見えてきます。
こちらが藤戸駅の駅跡です。
ご覧の通り営業当時のプラットフォームが現存しています。
駅が開業したのは1950年(昭和25年)で、
下津井電鉄の駅としては比較的新しい駅でした。
下津井電鉄18
ホームの様子です。
下津井電鉄19
残っている営業当時の駅名標です。
下地の白い塗装もほぼ無くなっている状態で、写真では分かりませんが
肉眼で近寄って見るとうっすら微かに「ふじと」の文字が見えます。
下津井電鉄37
こちらは藤戸駅の座標を示す地図ですが、
実際の駅跡と駅メモの座標が30mほどずれています。
ゲームをやる上ではほぼ影響はありませんが、
実際に現地へと行く方はご注意下さい。



下津井電鉄26
駅跡を出て引き続き廃線跡のサイクリングロードを南下します。
下津井電鉄27
県道165号線と廃線跡が交差する地点。
下津井電鉄28
郷内川に架かっている串田西橋を渡ります。


下津井電鉄20
そしてまもなく林駅の跡地が見えてきます。
駅間はおよそ2kmほどです。
下津井電鉄23
線路跡の遊歩道に面して建っている犬渕公民館。
この公民館の南側がかつての林駅のあった駅跡となります。
下津井電鉄21
線路跡にそって駐車場として使われているスペースがありますが、
ここにかつての駅舎やロータリーがあったそうです。
駅は1913年(大正2年)の路線開業時に開設されており、
相対式2面2線で列車交換のできる駅だったそうです。
下津井電鉄22
こちらがかつての駅へと通じる駅前の通りです。
下津井電鉄25
駅跡から切り返すとご覧の光景です。
突き当たりの左すぐには県道165号線の犬渕交差点があります。

いろいろなサイトなどを見ると、みなさん林駅のあった場所については
遺構が無いので確信が持てていない様子です。
ですが私が確認したところ、ここが間違い無く駅前の道と広場だったそうです。
下津井電鉄24
写真の軽トラの停まっている駅前の建物は作業場になっていました。
そしてこのあたりで、頭にタオルを巻いたガタイのいいガテン系の男がうろうろしていたので
不審に思われたのか、男はここのつなぎを着た方に「何か下見ですか?」と声掛けをされました。
恐らくは車上荒らしの類だと思われたのでしょう。

男は言いました。「昔ここに駅があったと聞いて写真撮りに来ただけッス」と。
そして言われました。「ああ、ここです。このあたりがロータリーです」と。

という訳でここが林駅の跡地だと地元の方の確認が取れました(笑)
下津井電鉄36
こちらは林駅の座標を示した地図です。
赤が実際の林駅の跡地の位置ですが、
青が駅メモで設定されている林駅の座標となります。
実際の駅は県道21号の北側にあったのですが、
駅メモではなぜか県道の南側に座標が置かれています。
距離にしておよそ600mのずれが生じてしまっているのです。
座標の付近にはそもそも下津井電鉄は走っおらず、
全く無関係の住宅地ですのでご注意下さい。



下津井電鉄29
林駅跡を過ぎて廃線跡のサイクリングロードを進むと、
まもなく道は県道21号線へと合流します。
下津井電鉄30
県道21号線と並走する遊歩道。
ご覧の場所は第一農協交差点付近ですが、
このあたりの県道から瀬戸中央自動車道の水島インターにかけてが
かつての下津井電鉄の走っていた場所となります。
サイクリングロードの区間は線路跡がそのまま道でしたが、
この付近は道路やインターとして再開発されてしまい
廃線跡の痕跡は全く残っていません

下津井電鉄31
県道と並走したサイクリングロードは
水島インターをかわす為に北側に弧を描いて迂回します。
そして再び県道と並走状態となり、
すぐに瀬戸中央自動車道と県道21号線の下をくぐって抜けます。
下津井電鉄32
県道をくぐるとサイクリングロードは
再び下津井電鉄の廃線跡を進みます。
下津井電鉄33
こちらは相引池の南東角にある相引池南交差点です。
信号もあるこの交差点のすぐ南側付近がかつての福田駅跡だったそうです。
駅は1913年(大正2年)の路線開業時に設置されました。
下津井電鉄35
こちらは福田駅の座標を示した地図です。
赤の四角が現実の下津井電鉄・福田駅の跡地です。
そして青の四角が駅メモでの福田駅の座標位置です。
ご覧の通りおよそ500mほど位置がずれてしまっています

レーダーなどで行かずに取る方には関係ありませんが、
実際に廃駅跡を見たい方は、駅メモの座標は全く違う場所なので注意が必要です。



下津井電鉄34
福田駅を出て南下すると、山の中腹を通過する為
等高線に沿う形で蛇行しながら山を越えていきます。
このあたりの勾配はおよそ20パーミルもあったそうです。
下津井電鉄38
瀬戸中央道の下をくぐる廃線跡のサイクリングロード。
下津井電鉄39
高速道路を潜り抜けると、池の手前をカーブしていき
県道21号線へと徐々に並走状態となります。
下津井電鉄40
県道21号線と並走状態となると、
ご覧の様に道路脇が公園となっている場所に差し掛かります。
県道の反対側には福林湖があり、下電バスの福南山バス停が設置されています。
湖のほとりには木華佐久耶比咩(このはなさくやひめ)神社もあり、
かつてはこの付近に下津井電鉄の福南山駅があったそうですが
現在はその痕跡を見ることはできません。
また駅メモ的には福南山駅は登録されていませんので関係ありません

下津井電鉄42
県道を並走するサイクリングロード。
下津井電鉄43
300mほどでサイクリングロードは県道と分かれて進みます。
下津井電鉄44
左手に見える大池のほとりを走る廃線跡。
下津井電鉄45
坂道を下りながら進みます。
下津井電鉄46
そしてご覧のピンク色のカフェの前で
県道276号線にサイクリングロードが突き当たります。
ここから下津井電鉄の廃線跡は県道に転用されてしまった様子で
東にむかって県道として進む事となります。
下津井電鉄47
稗田西交差点から稗田南交差点方向へ
400mほど県道を廃線跡として進むと
再びサイクリングロードへと分岐する地点となります。
下津井電鉄48
再度自転車専用道となる廃線跡。


下津井電鉄49
こちらが稗田駅の跡となります。
1913年(大正2年)の路線開業時に琴浦駅として開業し、
その後1920年(大正9年)に稗田駅と改称されました。

現在の駅跡地に営業時のプラットホームなどは残っていませんが、
ご覧の通り自転車道の傍らに模擬プラットホームと模擬駅名標が復元されています。
下津井電鉄52
駅名標の下には駅と下津井電鉄の由来が。
(クリックすると拡大します)
下津井電鉄50
ホームの反対側にある「稗田さくら公園」がかつての駅舎の跡地だそうです。
下津井電鉄51
公園から道路へと連絡するこの道はかつての駅舎への道なのでしょうか。
下津井電鉄41
こちらは稗田駅の座標についての地図です。
駅メモで登録されている稗田駅は、実際の駅跡地からは
北に600mほどずれた位置に設定
されています。
ゲームをする上ではさほど影響のあるズレでは無いのですが
実際に駅跡へと向かわれる方はご注意下さい。



下津井電鉄55
稗田駅を出てサイクリングロードを進みます。
廃線跡は次第に住宅地の中へと差し掛かります。
下津井電鉄56
1.4kmほど進んだところに次の柳田駅の跡があります。


下津井電鉄57
こちらが柳田駅の駅跡となります。
営業時の駅の構造物は残っていませんが、
駅跡にはプラットホームを模した花壇が設置されており
模擬駅名標も設けられています。
下津井電鉄58
こちらが柳田駅の座標の地図です。
実際に柳田駅のあった場所からは
駅メモで設定されている柳田駅の座標は西に500mほどずれています
下津井電鉄53
ちなみに駅メモ座標での柳田駅の場所の光景です。
私も最初は駅メモ座標を信用してここが駅跡だと思ってしましました。
実際には下津井電鉄の廃線跡からもかなり外れてしまった場所で
駅があったはずなど無い場所です。
なぜこんなに座標がずれて設定されているのかは分かりません。



下津井電鉄59
こちらはローソン倉敷小川七丁目店です。
中央を用水が走る市道に面したこのコンビニの裏手に
かつての下津井電鉄の児島小川駅がありました。
下津井電鉄60
コンビニのすぐ北にはご覧の歩道橋があります。
この歩道橋の南側一帯がかつての駅の敷地でした。
下津井電鉄61
歩道橋から南側を見た光景です。
横断歩道の向こう側が駅敷地となります。
下津井電鉄62
児島小川駅の跡地です。
中央の道に挟まれて木の生えている場所の向こう側あたりが
かつての駅舎の跡地のようです。
1913年(大正2年)の路線開業時に小田駅として開業し、
相対式ホーム2面2線の駅でした。
下津井電鉄63
そして駅舎跡地と細い道を挟んだ北西の向かい側、
コンビニ駐車場の北隣に隣接してあるのがこちらの「小川駅前集会場」です。
名前から分かる通り、かつての駅跡を示す貴重な存在です。
下津井電鉄64
そして駅跡の北の歩道橋の脇にある、市道沿いのご覧の民家には
非常に興味深い遺構が残っていました。
下津井電鉄65
それがこちらの橋脚です。
民家の庭に明らかに不必要な石柱が立っている光景がここにはありました。
小田川を渡る橋梁の橋脚の遺構だと思われます。
東京の京王御陵線の廃線跡には民家の庭に残る有名な橋脚がありますが、
まさか倉敷でもこんな光景が見られるとは。
下津井電鉄66
(上写真:民家の庭先に残る京王多磨御陵線の橋脚遺構)
下津井電鉄69
こちらは児島小川駅の座標についての地図です。
駅メモでの駅座標と実際の駅舎跡は50mほどずれていますが
これは誤差の範囲と言って良く、基本的には同じ場所だと考えて良いと思います。



下津井電鉄67
そして児島小川駅の駅跡からさらに廃線跡のサイクリングロードは南下しており、
カーブを描きながら小田川に突き当たるところで自転車専用道は終わっています。
下津井電鉄68
小田川の大正橋の北隣にはかつては下津井電鉄の橋梁があったのですが
現在はわずかに橋台の一部らしき跡が見られるのみです。
川の対岸の廃線跡は文化センターと公園として再開発されており
鉄道の痕跡は全く残っていません

そして文化センターの南側に、ご覧の児島駅があります。
下津井電鉄70
下電の児島駅は初代は小田川の大正橋の南詰付近にあり、
1972年(昭和47年)に路線の部分廃止に伴って
現在の児島図書館の前付近へと移転。
そして1987年(昭和62年)の市の区画整備事業によって
上の写真の駅舎となりました。
駅メモでの下津井電鉄・児島駅は1987年以降の場所に設定されています。


ここまでが下津井電鉄の1972年(昭和47年)の部分廃止区間となります。
廃線はまだまだ続きますが、とりあえず一旦ここまでで区切りたいと思います。



下津井電鉄72
こちらはau 4G LTEでの下津井電鉄の茶屋町駅━児島駅間の電波状況のマップです。
詳細を書く必要が無いほど全域が電波エリア内である事が分かります。

下津井電鉄73
こちらは茶屋町駅からレーダーを飛ばした範囲です。
下津井電鉄の廃駅には林駅までが届くことが分かります。
下津井電鉄74
そしてこちらは茶屋町駅から3駅南の
上の町駅からのレーダーの範囲図です。
茶屋町駅からは届かなかった福田駅━児島駅間が取れる事が分かると思います。

つまりJRの瀬戸大橋線からレーダーを飛ばせば
茶屋町━児島駅間の廃線区間は乗らないでも取れる
という事です。



それでは児島駅以南の1991年(平成3年)廃止区間については
その2として続きたいと思います。

では。

智頭急行82
さて智頭急行の続きです。

その1(智頭駅━宮本武蔵駅)はこちら


智頭急行84
宮本武蔵駅を通過するJRの特急スーパーいなば。
当然ながら宮本武蔵駅には一本も特急は停車しません。


智頭急行83
こちらは宮本武蔵駅━石井駅間のトンネルの配置図です。
この区間は岡山県と兵庫県の県境がある区間であり、
全長2118mの蜂谷トンネルが区間の大部分を占めています。
普通列車では駅停車時にアクセスすれば問題ありませんが、
特急の場合は地上でGPSを受信する暇が少ないので
取り逃しの注意と対策が必要
でしょう。


智頭急行85
こちらは国道373号線から見た石井駅の全景です。
智頭急行89
岡山県と兵庫県の県境のトンネルを抜けると
国道373号線、佐用川、智頭急行が至近距離を並行している区間となります。
智頭急行86
駅と並行して流れる佐用川。
智頭急行87
川を渡り、智頭急行の跨道橋をくぐると右手に駅舎があります。
智頭急行88
こちらが駅舎の外観です。
階段の入口に待合があるのみの駅ですが
毛筆の駅名標がやけに立派です。
智頭急行91
築堤の上の高架駅のホームと駅舎を連絡する階段。
智頭急行90
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。



智頭急行92
こちらは石井駅━平福駅間のトンネルの配置図です。
この区間には短いトンネルが散在するものの、
基本的には屋外を走行しています。
智頭急行a49
ですが、こちらの電波エリアのマップを併用して見ると分かりますが
石井駅付近は駅周辺以外の区間に電波圏外の区間があるのです。

石井駅は駅の北の区間もほぼ全てがトンネルの区間ですので、
特に特急列車を使用した場合はGPS電波の受信が間に合わずに
駅を取り逃す危険性の高い駅
だと言えます。
普通列車であればゆっくり落ち着いて取れば大丈夫だと思いますが
注意の必要な駅ではあるでしょう。



智頭急行93
こちらは国道373号線沿いにある「道の駅宿場町ひらふく」です。
因幡街道の宿場である平福宿があったことから設けられました。
智頭急行94
道の駅の正面の道を進むと、ご覧の様に
宿場町であったことを前面に押し出した町並みがあります。
智頭急行95
そして佐用川を渡った先、
道の駅からはおよそ200mほどの場所に智頭急行の駅があります。
智頭急行96
こちらが平福駅の駅舎の外観です。
武家屋敷風の外観に作られています。
1994年(平成6年)の智頭急行開業時に開設され、
近畿の駅百選に第四回に選出されています。
智頭急行97
ホームへの入口は駅舎の南側にあり、
ご覧の様に回廊のような通路を進み
ホームには構内踏切を渡って上がる事となります。
智頭急行98
構内踏切から見た1番線ホーム。
智頭急行99
1番線の様子です。
この駅は相対式ホーム2面2線の駅となっており、
1線スルー方式で1番線が上下線の本線となっています。
ですので通常はこちらの1番線に列車が停まります。
智頭急行a01
こちらは構内踏切から見た2番線です。
智頭急行a02
副本線となる2番線ホームです。
この駅で列車交換のある時に使用されるホームとなります。
智頭急行a03
ホームから見た構内踏切と駅舎です。



智頭急行a04
こちらは平福駅━佐用駅間のトンネルの配置図です。
駅の近くに短いトンネルがあるものの、ほぼ地上を走る区間ですので
駅へのアクセス条件は悪くないでしょう。


智頭急行a05
こちらは佐用駅の駅前の光景です。
写真から奥の方向に500mほどが県道562号線佐用停車場線で、
駅と国道を連絡する道路となっています。
智頭急行a06
後ろに振り返ると目の前は佐用町役場があります。
智頭急行a07
こちらが佐用駅の駅舎の外観です。
駅自体は1935年(昭和10年)に国鉄姫津東線(当時)の駅として開業したもので、
翌年に姫新線となって現在に至っています。
1994年(平成6年)の智頭急行の開業によって乗り換え駅となりましたが
駅自体はJR西日本の管理駅となっています。
智頭急行a08
駅舎の中はご覧の通りで、入るとすぐに待合スペースとなっていて
左手奥へと進むと改札がありホームへと連絡する通路があります。
智頭急行a09
こちらが改札を入ってすぐ目の前にある、
智頭急行のホームへと上がる階段です。
智頭急行a10
階段を上がると島式ホームの端に。
智頭急行a11
こちらが智頭急行ホームです。
駅舎側から1番線、2番線となっており、
1番線を本線とする1線スルー方式となっています。
智頭急行a12
ちなみに写真を撮っていると線路から砂利を踏む音がしたので、
振り返ってみると鹿が線路に入り込んでいました
町の役場の目の前の駅だというのに…
智頭急行a13
そして駅舎から見て奥側には
智頭急行のホームと並行してJR西日本の姫新線の島式ホームがあります。
智頭急行a14
JRのホームも1番のりば、2番のりばとなっており、
1番が下り津山方面行き本線、2番線が上り姫路方面行きホームとなっています。
(ダイヤにより1番線に上り列車、2番線に下り列車の停車するケースもあります。)
智頭急行a15
この駅は築堤上に作られていますが
ホームなどから見るとさながら高架駅のような外観です。
その割には鹿が入ってきてましたけど。



智頭急行a16
佐用駅━久崎駅間のトンネルの配置図です。
姫新線との並走区間は地上を走っているものの
分かれて智頭急行単独となるやいなやトンネル区間となります。
分岐してから久崎駅まではほぼトンネル内ですので
電波の受信は難しい
でしょう。


智頭急行a17
こちらは県道368号線です。
千種川を並走してきた県道が国道と合流する付近に
智頭急行の久崎駅があります。
智頭急行a18
こちらが久崎駅の外観です。
1994年(平成6年)の智頭急行開業時に出来た駅であり、
ご覧の通りの高架駅です。
智頭急行a19
高架駅なのでホームへと上がる階段があり、
踊り場で上下線それぞれへと通路が分岐しています。
智頭急行a20
こちらは1番線ホーム。
相対式ホーム2面2線で列車交換もできる駅ですが、
一線スルー方式となっており、
基本的にはこちらの1番線が本線で上下線ともに列車が停車します。
智頭急行a21
こちらは副本線となる2番線。
普通列車の交換時や、特急の通過待ちなどの際に使用されるホームです。
智頭急行a22
そして2番線の裏手には、ご覧の線路の敷かれていない高架線が分岐しています。
これは保線機械のための側線を設ける為に作られた様なのですが
そもそもの線路が敷かれていないので使われていません。



智頭急行a23
上は久崎駅━河野原円心駅間のトンネルの配置図です。
この区間は駅間の中間部、区間のおよそ半分がトンネルとなっています。
ですが駅の近辺は地上を走っていますので、
普通列車では駅に問題無くアクセスができるでしょう。


智頭急行a24
こちらは河野原円心駅の外観です。
「河野原(こうのはら)」は駅の所在地の地名ですが、
「円心」は白旗城を居城とした南北朝時代の武将赤松則村(円心)に由来しています。
智頭急行a26
こちらは駅前の様子。
ロータリーが整備されていますが、その周辺は田んぼと山ばかりです。
智頭急行a25
駅舎の中の様子。
智頭急行a27
駅舎の裏の高架下がご覧の通り
ホームへと上がる階段となっています。
智頭急行a30
階段を上がるとご覧の通りホームの南端に出ます。
智頭急行a28
こちらが1番線ホーム。
この駅も1線スルー方式の相対式2面2線の駅となっており、
1番線が本線として通常列車が使用するホームとなっています。
智頭急行a29
こちらが副本線となる2番線です。
智頭急行a31
そして私が行った時にはのぼりが立っていましたが、
この駅は駅名の由来となっている
赤松円心の居城、白旗城の最寄り駅となっています。
智頭急行a32
こちらが白旗城跡の登山口。
河野原円心駅からは南東に2kmほど徒歩25分の場所にあります。



智頭急行a33
こちらは河野原円心駅━苔縄駅間のトンネルの配置図です。
駅間でトンネル区間はありますが、駅近辺は屋外区間ですので
こちらも普通列車なら問題無く駅にアクセスできるでしょう。


やちよ16
苔縄駅も国道373号線からは川の対岸にあり、
集落の中に駅が設けられています。
こちらは駅付近の市道。
智頭急行a34
市道を入って行くと智頭急行の高架線が見えてきます。
やちよ07
こちらが苔縄駅の外観。
やちよ10
駅前広場にはご覧の待合用の駅舎があります。
やちよ11
駅舎の中は待合室とトイレなどがあり、
駅外側にはショーウィンドーが設けられていて
ギャラリーとなっています。
やちよ12
こちらがホームへと上がる階段。
駅舎には発券や改札の設備は無く、直接ホームへと上がる事が可能です。
智頭急行a35
駅のホームです。
この駅は単式1面1線の棒線無人駅となっています。
やちよ08
駅前の広場の様子です。
やちよ09
広場のロータリーには駅名の彫られた石が置かれていました。
やちよ15
駅西側には、苔縄にある411mの愛宕山が見えます。
こちらの山は、太平記の時代に
護良親王の令旨に応えて赤松円心が挙兵した赤松城(苔縄城)の城跡でもあります。



智頭急行a36
こちらは苔縄駅━上郡駅間のトンネル配置図です。
千種川を挟んで二つのトンネルがありますが、
この区間は普通列車で11分の距離がありますので
駅へのアクセスをする余裕は普通にあると思います。
智頭急行a37
またこの区間には、列車交換の為に 岩木信号場が設けられています。
写真は列車車窓からの信号上付近。



智頭急行a38
こちらはJR山陽本線の上郡駅の駅舎です。
山陽本線としては途中駅ですが、
この駅から智頭急行線を介しての、
京都大阪と鳥取方面を結ぶ特急列車の乗り入れ分岐点となっている駅です。
智頭急行a39
そのJRの駅舎から西方を見ると、
ホームの先に別の入口があるのが見えます。
智頭急行a40
こちらが智頭急行の上郡駅となります。
智頭急行a41
入口の階段を上り跨線橋を渡ると、
更に通路が延びています。
智頭急行a42
通路を進むとご覧の智頭急行線の改札窓口となります。
智頭急行a43
切り返してて見た改札の光景です。
智頭急行a44
こちらが智頭急行の上郡駅ホーム。
智頭急行線の普通列車が使用するホームとなります。
単式ホームであり、JRのホームに振られている番号はこちらにはありません。
智頭急行a45
この駅が智頭急行線の起点駅ですので、
ホームの正面にはご覧のゼロキロポストが設置されています。
智頭急行a46
そしてこちらはJR山陽本線の上郡駅の2、3番線ホーム。
この島式のホームを西へと進むと
智頭急行線への乗り換え口が見えてきます。
智頭急行a47
こちらの連絡通路を進み、突き当たったところに
先ほどの智頭急行の改札窓口があります。
智頭急行a48
連絡通路を智頭急行ホーム側から見ると線路の車止めが見え、
智頭急行線のホームが山陽本線2、3番線ホームの
切り欠きホームである事が分かります。




さて、以上で智頭急行の全駅となります。
全長56.1kmのこの路線は普通列車ですと片道でおよそ1時間半の行程となります。
スーパーはくとやスーパーいなば等の特急列車ですと
智頭急行線区間はおよそ40分で駆け抜けますので
時間だけを見れば特急列車を使いところでしょう。

ただ、智頭急行線は山間の地域を高規格設計の路線を敷いた結果、
随所にトンネルのある路線となっています。
ですので特急列車の速さですとGPSの送受信がトンネル間で間に合わないケースが多々あり、
レーダーなどのアイテムが無いと駅を取り逃す公算が強くなります
智頭急行a50
こちらは宮本武蔵駅━上郡駅間のau 4G LTEでの電波エリアマップです。
基本的に駅のある場所で電波の入らない駅はありません。
ただトンネルが多く、また一部電波圏外の箇所もありますので
特に端末のGPSのレスポンスの遅い方は
事前にアイテムなどのフォロー手段を準備するべき
でしょう。
アイテム使用を嫌う場合は鈍行列車に乗るしか無いと思います。



実際に智頭急行の全駅を回ってみた感想として、
ほとんどが無人駅であり、他の地方のローカル路線と比べても
沿線の過疎ぶりは負けていませんでした


ですが山中には不似合いとも言える高架高規格の路線を計画的に敷き
JR直接乗り入れの特急スーパーはくとなどの運行を実現した結果、
他の中国地方の路線が目指して失敗した「陰陽連絡線」の役割を見事担うことに成功しました。
結果、第三セクター路線では収益日本一を争う路線となり、
路線黒字で株主配当を出すという立派な結果を残しています。

正直乗りに行くまでは智頭急行についてほとんど知りませんでしたが、
こんな山奥にローカル線の一つのモデルケースがあるとは思いませんでした。


では。

智頭急行00
お次は智頭急行智頭線についてです。


智頭急行は元々は1922年(大正11年)の改正鉄道敷設法第85号で
「兵庫県上郡ヨリ佐用ヲ経テ鳥取県智頭ニ至ル鉄道」と定められた計画路線でした。
しかし度重なる周辺路線の計画変更などもあって
着工が繰り延べとなり、1966年(昭和41年)に日本鉄道建設公団(鉄道公団)によって
やっと着工される事となります。

そして建設の最中に国鉄の経営が悪化。
1980年(昭和55年)には国鉄再建法が定められ、
智頭線は「AB線(地方鉄道新線)」の対象となって工事が凍結される事となります。

しかし鳥取県が中心となって第三セクター会社設立へと舵を切り、
将来的なモータリゼーションによる高速道路との競合を見越して
高速運転のできる高規格で路線を建設して
1994年(平成6年)12月に全線が開通しました。


多くの第三セクター鉄道が赤字である中で
智頭急行は第三セクター鉄道で収益性トップに君臨しています。
智頭急行01
これは開業以来、JR線に乗り入れて鳥取と京阪神を結んでいる
特急列車スーパーはくとの存在が大きく、
智頭急行の収益のほとんどがこの特急列車の旅客収入によるものです。



智頭急行02
こちらは智頭急行の智頭駅の駅舎の外観です。
智頭駅自体は1923年(大正12年)に国鉄因美線の駅として開業しており、
また智頭急行開業後もJRと智頭急行は構内でつながっています。
智頭急行の駅としては路線の開業した1994年(平成6年)12月の開設となっています。
智頭急行03
駅舎の入口の右手には智頭急行運輸部への入口があります。
この智頭駅駅舎の2階が運輸部事務所、
3階が智頭線の運輸指令室となっているそうです。
智頭急行04
駅舎の中に入ると椅子が数脚ある待合スペースがあるものの
目の前すぐが改札となっています。
改札内に入ってすぐ左は智頭急行のホームで、
奥はJRのホームへの連絡口となっています。
智頭急行06
駅舎からホームへはご覧の連絡通路があります。
智頭急行05
こちらが智頭急行のホーム。
駅舎から頭端式1面2線のホームとなっています。
智頭急行07
角度を変えた智頭急行智頭駅ホームの様子。
智頭急行08
「スーパーはくと」などの特急列車など
因美線から智頭急行へと乗り入れる列車は智頭駅ではJRのホームに停車する為、
ご覧の通りに智頭急行のホームの横を通過して行きます。
智頭急行09
こちらは智頭急行の駅舎の北隣にあるJR智頭駅の駅舎です。
智頭急行10
JR智頭駅の1番線ホーム。
鳥取方面から智頭急行へと乗り入れる列車用のホームであり、
改札を入って左手(南方)へ向かうと智頭急行のホームへの連絡口があります。
智頭急行11
こちらがJRと智頭急行との連絡口です。
智頭急行の駅舎の裏側にあたります。
智頭急行13
こちらは智頭駅の駅前にある智頭町総合案内所で、
観光客への案内などを行っています。
智頭急行14
その総合案内所の向かいにあるJA鳥取いなば。
智頭急行15
このJA(農協)のビルに智頭急行の本社が入っています。
智頭急行16
JAの隣には智頭町の役場が。


智頭急行35
こちらは智頭駅━恋山形駅間のトンネルのマップです。
高規格で建設された為、線形が良い代わりにトンネルが多くあります。
特急列車の場合は高速で通過しますし、トンネル内では電波は入らないので
アクセスには注意が必要です。、
ただ次の恋山形駅では普通列車は停車時間を多く取っている為、
駅で停車中にアクセスをすれば問題は無い
でしょう。



智頭急行19
こちらは千代川沿いの国道373号線。
恋山形駅の標識が設置されています。
智頭急行20
千代川の橋を渡り、正面の坂を右手へと登っていきます。
智頭急行21
坂を登り切ると智頭急行の高架線と跨道橋が見えてきます。
智頭急行22
高架下にある駅名標。
智頭急行23
跨道橋をくぐると左手の坂道に、
ピンク色に塗られた「恋ロード」の文字が。
智頭急行24
ここから先は全てがピンク色に塗られています。
智頭急行25
こちらが智頭急行の恋山形駅の外観です。
1994年(平成6年)の智頭急行開業時に開設された駅となります。
開業前は駅の仮称は「因幡山形駅」だったそうですが、
地元の要望によって「来い山形」をもじった「恋山形駅」となったそうです。
相対式ホーム2面2線の無人駅となっています。
智頭急行26
そして駅前の広場にはご覧の写真スタンドが。
智頭急行27
反対側には地面にハートが二つ。
智頭急行28
これはカップルがハートの上に並んで、
カメラスタンドにカメラと置いて自動で撮ると
後ろの待合室の壁の大きなハートがカップルの間に写り込むという仕掛けです。
智頭急行29
ホームへの入口脇にはピンクの「恋ポスト」も。
このポストに郵便物を投函するとハート型の風景印(消印)が押されるそうです。
智頭急行17
こちらは1番線ホーム。
この駅は一線スルー方式となっており、
1番線は副本線で交換時のみ列車が停車します。
智頭急行30
こちらのホームにはハートのモニュメントがあり
絵馬が奉納できます。
智頭急行31
ホームは智頭急行に3つしか無い踏切の一つによって連絡しています。
智頭急行18
こちらが2番線ホーム。
通常の列車は全てこの駅ではこちらの2番線に停まります。
智頭急行32
番線表示もハート型。
智頭急行33
恋駅プロジェクトの表示もありました。


智頭急行36
恋山形駅━山郷駅間のトンネルの図です。
区間の半分はトンネルなので、駅での停車中に確実にアクセスをして下さい。



智頭急行37
こちらは県道7号線。
国道373号線から分岐してすぐの場所です。
ここに山郷駅はあり、既に写真でも見えているのですが
いまいちどこにあるのかが分かりづらいと思います。
智頭急行38
角度を変えて、こちらが山郷駅の入口です。
この駅は切り通りに設置されている為、半ば地下駅の様に
入口は階段となっています。
智頭急行39
入口脇から見下ろした駅のホーム付近。
智頭急行40
こちらの階段を下りるとホームとなります。
智頭急行34
ホームの様子です。
1994年(平成6年)の智頭急行開業に併せて設置された駅で、
単式ホーム1面1線となっています。


智頭急行41
山郷駅━あわくら温泉駅間には
鳥取県と岡山県の県境となる
全長5592mの志戸坂トンネルがあり、区間のほぼ全部がトンネルとなります。
ここの駅間では電波が入らずアクセスできませんので
駅での停車中に確実に取って下さい。
ご覧の様に山郷駅は前後区間の8割がトンネルとなり
特急で取り逃すとアイテムしか方法が無くなります
のでご注意を。


智頭急行42
こちらは国道373号線に面するあわくら温泉駅
国道と智頭急行の線路が並走を始めるあたりに駅はあります。
智頭急行43
駅の前の国道角にはたぬきが温泉につかるモニュメントが。
智頭急行44
こちらが駅舎の外観です。
1994年(平成6年)の智頭急行開業時に開設された駅であり、
岡山県では一番東に位置する駅だそうです。
智頭急行45
駅舎の中は待合室になっていますが
ご覧の通りなかなか広々とした待合室です。
あわくら温泉は狸に由来する温泉だそうで
その説明も掲示されていました。
智頭急行46
ホームは高架駅となっていますので
駅舎の前に階段があります。
智頭急行47
こちらがホームの様子です。
一線スルー方式となっており1番線が本線、2番線が副本線となっています。
その為列車は、列車交換が無ければ上下線とも1番線に入線します。



智頭急行48
こちらはあわくら温泉駅━西粟倉駅間のトンネルの位置図です。
この区間もトンネルが多く、アクセスは駅停車時を狙うのが無難でしょう。


智頭急行49
国道373号線から西に100mほど入った所にある
西粟倉駅の駅舎。
1994年(平成6年)の智頭急行の開業に合わせて設置された駅です。
智頭急行50
駅舎の前には駐車のできる駅前広場が。
智頭急行51
裏手のホーム側から見た駅舎と中の様子です。
手入れがされて非常に綺麗に使われています。
智頭急行52
駅舎の裏にあるホームへの階段です。
築堤上にホームがある駅で出入口はこの階段のみです。
智頭急行53
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。



智頭急行54
西粟倉駅━大原駅間のトンネルの位置図です。
この区間の北半分はトンネルとなっています。


智頭急行55
こちらは国道373号線。
ご覧の通り大原駅の標識があります。
智頭急行56
国道のコンビニの向かいの道を入って80mほどで駅舎があります。
智頭急行57
大原駅の駅舎です。
この駅も1994年(平成6年)の智頭急行開業で開設されました。
智頭急行58
駅舎の中の様子です。
智頭急行59
券売窓口の前から出ると、ご覧の築堤に駅名標が。
智頭急行60
駅舎の方を振り返ると、駅舎を通らなくても
横からホームへは入れる事が分かります。
智頭急行61
築堤のトンネルは各ホームを繋ぐ地下道でした。
智頭急行62
こちらが島式の1、2番線ホーム。
この駅は単式1面と島式1面2線の計3線のホームを持っています。
1線スルー方式の駅であり、2番線が本線となっています。
ホーム南方の上郡方にある連絡地下道の階段ですが、
1番線はご覧の通り階段のところでホームが終わっています。
その為ホームの有効長が短く、特急停車には足りない為
普通列車しか停まることができません。
智頭急行64
対して2番線は見ての通り階段の先までホームがあり、
特急列車に対応が可能です。
智頭急行63
ですので特急列車は基本的には本線である2番線で発着します。
智頭急行65
こちらは単式の3番線ホーム。
智頭急行66
3番ホームの裏手は智頭急行の大原車両基地となっており
全ての普通列車が所属をしています。
智頭急行67
引き上げ線に留置されているラッセル車。



智頭急行68
大原駅━宮本武蔵駅間のトンネルの位置図です。
この区間は比較的平坦でほとんどトンネルはありません。


智頭急行69
こちらは宮本武蔵駅
1994年(平成6年)の智頭急行開業と共にできた駅です。
近くの国道429号線からは吉野川の対岸にあり、
周囲は山中の市道しか無い場所に駅があります。

当初国鉄智頭線の計画にはこの駅の設置は入っていませんでしたが
地元の強い要望によって
第三セクターでの工事再開時に新たに計画に加えられました。
宮本武蔵生誕伝承の地に作られた為、
人名がそのまま駅名となっている全国でも珍しい駅です。
智頭急行70
駅前の広場には幼少の頃の武蔵、お通、又八の銅像が。
智頭急行71
そしてその横には待合所が。
窓がさりげなくハート型になっているのが分かりますでしょうか。
智頭急行72
待合所の中はご覧の通り。
智頭急行73
ホームは築堤上の高架駅となっており、
階段で上がった先の駅舎の待合室を抜けるとホームがあります。
智頭急行74
こちらがホーム。
単式1面1線の棒線駅となっています。
智頭急行75
ホームの駅舎壁にはご覧の宮本武蔵の陶板画があります。
智頭急行76
裏手から見た駅の様子。
智頭急行77
ホームから地上へと戻ると
階段前にはご覧の「宮本武蔵 生誕の地 800m」の看板があります。
智頭急行78
駅から徒歩15分ほどの地へと行くと、
宮本武蔵が幼少を過ごし二天一流の剣術のヒントを得たという
讃甘神社があります。
智頭急行79
神社の向かいには「武蔵の里」という宮本武蔵ゆかりの地を一大整備した
観光スポットが設けられていました。
智頭急行80
このあたりの駅への案内表示は
「宮本武蔵駅」とフルネームではなく「武蔵駅」となっていました。
駅名を標識などではしょる例はあまり見かけないのでおもしろいというか。



智頭急行81
こちらは智頭急行の智頭駅━宮本武蔵駅間の
au 4G LTEでの電波エリアマップです。
基本的にこの区間はほぼ全線で電波エリア圏内であることが分かります。

唯一、山郷駅━あわくら温泉駅間の志度坂峠付近が電波圏外となっていますが
この区間はほぼ全てが志度坂トンネルの区間ですので
仮に地上で電波が届いていても列車内からは取れません。


これまでご紹介した通り、智頭急行では多くの区間がトンネルとなっています。
トンネル内では携帯電波は届きませんし、当然GPSで位置情報の取得もできません
智頭駅を出ると次は大原駅、その次は佐用駅に停車の特急列車に乗った場合、
トンネルを出てからGPSの位置情報を更新している最中に
次のトンネルに入ってしまうケースが多く駅を取り逃がす危険性が高い
でしょう。
アイテムで取り逃した駅をフォローするにしても
トンネルの多い智頭急行では特急列車のスピードでは
ファンブルの可能性も多々あります


しかし普通列車に乗った場合には、
智頭急行の駅は全てが電波圏内となっている上、
特急列車の通過待ちや列車交換で駅停車時間を長く取るケースも多い路線です。
落ち着いて駅停車中を狙ってアクセスすればほぼ取り逃しは無いでしょう。



路線の利用客の多くが特急利用という路線であり、
その売り上げの9割が特急によるという智頭急行ですが、
こと駅メモに関する限りは普通列車の利用が無難と言えます。
特急や他の交通手段で攻略をされる方は
バックアップやフォローの計画を十分に立てて下さい。


では続きはその2にて。
では。

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