兵庫県

六甲ライナー15
さて、お次は神戸の六甲ライナーです。


正式な名称は「神戸新交通六甲アイランド線」であり、
ゴムタイヤで走り自動運転を行う案内軌条式鉄道(AGT)の路線となります。
駅メモでは神戸新交通六甲アイランド線の方で登録されていますが
一般的には愛称の「六甲ライナー」の方が馴染みが深いでしょう。
1990年(平成2年)2月に全線が開業し、現在に至るまで
新興の六甲アイランドと歴史ある東灘区とを運行しています。



六甲ライナー01
こちらはJR神戸線(東海道本線)の住吉駅です。
六甲ライナー02
JR西日本の駅ですが、ご覧の通り六甲ライナーの乗り換え案内があります。
今回はこちらの六甲ライナーについて書きたいと思います。

六甲ライナー03
こちらは住吉駅の南口です。
1988年(昭和63年)に駅舎が改築されて橋上駅舎となっています。
JRの駅としては北口の方にターミナルビルがあるなどひらけていますが、
六甲ライナーは駅の南側を走っているため、
いわばこちら側が六甲ライナーの駅舎となっています。

駅は1990年(平成2年)の路線開業によって設置されました。
六甲ライナーの免許と許可が下りたのが1986年(昭和61年)ですので
神戸市は六甲ライナー建設を織り込んで住吉駅の改築を行ったということになります。
六甲ライナー04
南口の駅舎へと上る階段です。
六甲ライナー05
階段を上がり橋上に上がると目の前にご覧の光景が見えます。
六甲ライナー06
こちらが六甲ライナーの住吉駅の改札の光景となります。
改札前には格安チケット販売店が。
六甲ライナー07
駅構内側から見た改札付近です。
六甲ライナー08
改札の目の前にはホームへと上がる階段が。
六甲ライナー09
そして階段の脇の壁にはご覧の彫刻のレリーフが展示されています。
これは神戸の彫刻家、新谷英子氏が1975年に(昭和50年)に制作した「オーロラ」という作品で、
発表当時は神戸・三ノ宮の地下街「さんちか」に設置したものが
こちらへと移設されたものです。
六甲ライナー10
階段の裏手にはエスカレーターが設置されており、
その奥へと行くとトイレがあります。
六甲ライナー11
ホーム階の様子です。
島式ホーム1面2線となっており、フルスクリーンのホームドアが設置されています。
六甲ライナー12
北側が1番線、南側が2番線となっており、
終点駅ですのでどちらもマリンパーク方面行きとなります。
通常は1番線が発着に使われ、2番線は原則平日朝のラッシュ時のみ使われる様です。
六甲ライナー13
こちらはホーム西端から見た六甲ライナーの軌道の終端です。
六甲ライナー14
反対のホーム東端からみたマリンパーク方面の様子。
写真中央に見えるタワーマンションの隣の奥に東灘区役所があり、
その先で右手の南へと軌道は直角に近いカーブを描いています。


六甲ライナー16
東灘区役所の西側で南に進路を取った六甲ライナーは
住吉川の東岸の高架上を南下します。
六甲ライナー17
川沿いを800mほど進むと次の駅の駅舎が見えてきます。
こちらは東側の駅舎の裏手と、その前の住吉川に架かる歩道橋です。
六甲ライナー18
こちらが魚崎駅の駅舎の外観となります。
1990年(平成2年)の路線開業で作られた駅で、ご覧の通りの高架駅となっています。
駅へと上る階段はこちら一箇所のみとなっています。
六甲ライナー22
階段の裏手奥へと進むと改札階へと上がるエレベーターがありました。
六甲ライナー19
また階段のたもと付近は歩道が広くなっており「花の広場」と題される
駅前の小さな広場となっています。
六甲ライナー20
広場にある村界碑です。 なんでもこの付近は住吉村と魚崎村の境界争いがあったそうで
和解で境界が確定した際に立てられた様です。
広場の歩道の脇には「村界碑広場」と石標が。
六甲ライナー21
広場から見た東側の住吉川の歩道橋。
六甲ライナー23
南側から見た駅舎の外観です。
六甲ライナー24
階段を上って改札階に。
六甲ライナー25
こちらが改札前の光景となります。
六甲ライナー26
改札を背に南側を見ると右手が駅から出る階段ですが、
正面には南へと伸びる阪神電車の魚崎駅との連絡通路が延びています。
六甲ライナー27
ご覧の様に住吉川の西岸にある六甲ライナーの魚崎駅から
南へと100mほどの対岸に阪神魚崎駅があって、
川岸を通る高架デッキの連絡通路で両駅が繋がれています。
六甲ライナー28
駅の中へと入って改札内の様子です。
入ってすぐに両側に階段とエスカレーターがあります。
六甲ライナー29
こちらがホームの様子です。
相対式ホーム2面2線となっていて、こちらが駅東側にある
1番線の下りマリンパーク方面行きホームとなります。
六甲ライナー30
反対側に西側にある、2番線上り住吉方面行きホームです。
六甲ライナーでは相対式ホームはこの駅のみとなっています。


六甲ライナー31
南側から見た阪神電車と六甲ライナーの立体交差と
阪神魚崎駅の様子です。
六甲ライナー32
阪神電車を越えて130mほど進むと今度は
下に国道43号線、上に阪神高速3号神戸線の高架が通るその間を軌道が通り抜けます。
六甲ライナー33
高速の下を抜けた軌道が住吉川の岸を450mほど下ると
阪神高速5号湾岸線の橋梁の手前に次の駅の駅舎が見えてきます。
3号神戸線の高架から駅までの住吉川の両岸は
住吉川公園として整備がされています。



六甲ライナー34
こちらが南魚崎駅の駅舎となります。
橋脚のように建物が建っておりタワー状の駅舎となっています。
この駅も1990年(平成2年)の路線開業時に設けられました。
六甲ライナー35
地上部の駅舎北側には煉瓦造りの塀と門が作られており
駅の敷地を囲っています。
六甲ライナー36
門の脇には、灘五郷の一つで上灘と呼ばれた酒造地区である魚崎郷の案内銘板が。
六甲ライナー37
門の目の前には住吉川公園の南端があり、
公園名を刻んだ石が置かれていました。
六甲ライナー38
門の中に入ると、運河に面した駅舎の周囲を道路が一周まわっています。
六甲ライナー39
中に入るとタワーの中身はほとんどが階段であることが分かります。
六甲ライナー40
二階へと上るとこちらにも出入口があります。
駅の目の前を、住吉川を渡る市道の橋梁が走っており
駅舎から橋梁へと直接出る事ができます。
六甲ライナー41
駅の二階出入口を外から見た様子です。
六甲ライナー42
三階踊り場です。
一般の乗客は入れませんが三階には管制室があるそうです。
六甲ライナー43
そして四階がこの駅の改札階となります。
券売機と自動改札機が置かれています。
六甲ライナー56
エレベーター脇にある駅周辺の案内地図です。
六甲ライナー44
構内に入って改札の内側付近の光景。
六甲ライナー45
ホーム階へと上がる階段です。
六甲ライナー46
こちらがホームの様子です。
島式ホーム1面2線となっています。
六甲ライナー47
東側が1番線下りマリンパーク方面、西側が2番線上り住吉方面行きとなっています。
六甲ライナー49
ホーム南端から見えるマリンパーク方面の軌道です。
この駅を出るとすぐに列車は運河を渡りお海の上となります。
六甲ライナー48
西側に見える駅舎の駅名標。
六甲ライナー50
こちらがホーム北端からの住吉方面の様子です。
六甲ライナー51
そしてホームから駅の北西を見ると、眼下に「菊正宗」の看板が見えます。
六甲ライナー52
南魚崎駅の北西200mほどの場所にある「菊正宗酒造記念館」です。
中では酒造用具の展示などで酒造りの歴史を伝えています。
酒造の街である上灘らしく、近くには櫻正宗記念館白鶴酒造資料館などもあるようです。



六甲ライナー54
南魚崎駅を出た列車はすぐに運河を渡って
神戸市の東部第2工区と呼ばれる人工島へと渡ります。
いわゆる埋立地として出来た島で全てが工業地帯の島であり、
六甲アイランドへと渡る六甲大橋はこの東部第2工区から架けられています。
六甲ライナー53
そしてこちらが六甲大橋です。
六甲ライナーと自動車道路が同じ橋で渡る鉄道道路併用橋です。
六甲ライナー55
橋から東側を見ると、阪神高速5号湾岸線の六甲アイランド橋が見えます。

六甲大橋を渡って六甲アイランドに入るとすぐに次の駅となります。
南魚崎駅からは南に1.5kmの距離にあたります。


六甲ライナー57
六甲大橋を渡り終えて六甲アイランドに入ってすぐの光景です。
六甲ライナー58
橋を渡り終えた自動車道は駅の下を通る道を抜けて
すぐに公園に突き当たって左右へと曲がる事となります。
六甲ライナー59
駅からk北へと俯瞰した六甲大橋の光景です。
六甲ライナー60
こちらは南側から見たアイランド北口駅の駅舎の外観。
六甲大橋の出口とも言える場所にあるので
あたかも六甲アイランドの巨大なゲートの様です。
六甲ライナー61
その両脇にはデッキへと上がる階段が。
駅の周辺にはペデストリアンデッキが整備されています。
六甲ライナー65
駅付近の見取り図の載った案内板がデッキに。
六甲ライナー62
デッキから見た駅舎です。こちらは東側からの光景となります。
1990年(平成2年)の路線開業で設置されたというのは
他の六甲ライナーの駅と同じです。
六甲ライナー63
反対の西側から見た駅舎。
六甲ライナー64
えきの入口付近です。ペデストリアンデッキに面して出入口が設けられています。
六甲ライナー66
改札内へと入ると手前に階段、奥にエスカレーターがあります。
六甲ライナー67
こちらが階段の様子です。
高架の上に駅がありますので階段は長めです。
六甲ライナー68
上りきってホーム階へと到達すると
階段前は広いコンコースとなっており、両側のホームへと連絡しています。
六甲ライナー71
ホームは分類としては島式ホーム1面2線になるそうなのですが、
Y字型に両端が広がっており単式ホームが2つある駅にしか見えません。
六甲ライナー70
こちらが東側にある1番線の下りマリンパーク方面行きホームです。
ご覧の通りほぼ独立したホームとなっています。
六甲ライナー69
反対側の西側にある2番線の住吉方面行きの上り線です。
南に行くに従って1番線とは大きく距離が離れていきます。
六甲ライナー72
1番線のホーム北端から見た外の光景。
六甲ライナー73
一方の2番線のホーム北端からの光景です。
駅の北にはすぐに六甲大橋がある為、このように上りと下りの軌道が分かれています。
六甲ライナー74
そして南側の軌道の様子です。
こちらは六甲アイランドをほぼ一本で進むので
二つの軌道が合わさっています。
六甲ライナー75
北側から見た駅舎はこの様になっています。



六甲ライナー76
アイランド北口駅を出た列車は一直線に南へと進みます。
両側にビルや巨大マンションが並ぶ中を進むと
まもなく人工河川や噴水のあるリバーモールという地区へと到達します。
ここまでおおよそ駅間距離が400mという短さで次の駅となります。


六甲ライナー77
こちらがアイランドセンター駅の北側の外観となります。
駅の出入口は南側にあるのでこちらはいわば裏手となります。
六甲ライナー78
人工河川の流れる東側を回って駅の南側へ。
六甲ライナー93
駅舎の南東側には神戸ファッション美術館の建物が建っています。
東側は建物が近く、地上には人工河川が流れています。
六甲ライナー92
一方の駅南西にはご覧の広大な駅前広場が広がっています。
六甲ライナー79
南側の駅の外観です。
高架駅となっていますので地上からは階段で改札階へと上がります。
駅は1990年(平成2年)の路線開業で作られました。
六甲ライナー80
階段を上がると目の前に改札が見えますが、
その手前に左右の通路が連絡しており交差点になっています。
六甲ライナー81
東側の通路は神戸ベイシェラトンホテルの建物と連絡しており、
吹き抜けのシェラトンスクエアへとつながっています。
六甲ライナー82
シェラトン側から見た連絡通路。
六甲ライナー83
駅舎とホテルの建物が近い為、地上からは駅舎の全景が見えづらいですが、
ホテルの窓から見るとご覧の通りよく見えます。
六甲ライナー84
こちらは西側のコンコース手前にある駅周辺の案内図です。
西側には副駅名ともなっている「神戸ファッションマート」があります。
六甲ライナー86
こちらが神戸ファッションマートの外観です。
複合商業施設でショッピングフロアの他にイベントフロアも有しており
様々なイベントが行われる施設です。
六甲ライナー85
駅舎の中に戻って改札の光景です。
六甲ライナー94
券売機の横にある駅構内図。
六甲ライナー87
改札内の様子です。
奥に進むとエスカレーター、階段、そしてエレベーターがあります。
トイレは奥では無く階段脇に設置されていました。
六甲ライナー88
ホームの様子です。
路線開業の1990年(平成2年)設置のこの駅も島式ホーム1面2線となっており、
フルスクリーンのホームドアなのも他の駅と同様です。
六甲ライナー89
東側が1番線の下りマリンパーク方面、西側が2番線で上り住吉方面行きとなります。
六甲ライナー90
ホーム南端からのマリンパーク方面への軌道の様子です。
六甲ライナー91
北側の住吉方面の軌道の光景です。



六甲ライナー95
六甲ライナーの軌道は色場の脇を抜けて南下。
アイランドセンター駅から南の軌道沿いは「六甲アイランドリバーモール」という
周辺施設と一体化した広場として整備がされています。
駅から南へ150mほどで道路が。
六甲ライナー97
向陽中央通りという名前の道路を渡ると
左手に高層マンションがあり、その南側に広大なグラウンドが設けられています。
六甲ライナー98
グラウンドの入口には六甲アイランドの大きなマップがありました。
六甲ライナー99
引き続きグラウンドの東側を南へ進むと人工河川を渡り
すぐにまた道路を横断します。
道路の南側すぐに次の駅の駅舎が見えてきました。
アイランドセンター駅からおよそ400mの距離となります。


六甲ライナーa01
こちらがマリンパーク駅の北側の外観です。
駅の出入口はこの駅も南側にありますので、いわば裏手にあたります。
六甲ライナーa02
駅北の広場スペースが「六甲アイランドリバーモール」の南端となります。
六甲ライナーa06
東側の駅前にはリバーモールの人工河川の終端の池が。
六甲ライナーa03
こちらは西側から見た駅舎の外観。
六甲ライナーの駅は全て路線開業の1990年(平成2年)設置ですので
この駅も終着駅として同年に作られました。
六甲ライナーa04
西側の駅前です。
広場に面して「デカパトス」という複合スポーツ施設があり
目の前にフットサル場が見えます。
六甲ライナーa05
フットサル場の北側にはデカパトスの大きなプール施設が。
六甲ライナーa07
そして駅の南側には、まるで高速道路のジャンクションのごとく
ペデストリアンデッキが縦横に設けられています。
六甲ライナーa08
南側のデッキ下にある駅へと上がる階段です。
六甲ライナーa09
デッキに上がると橋脚に隠れるように駅の入口がありました。
六甲ライナーa10
駅舎の入口から改札前付近の光景です。
六甲ライナーa11
改札を背に切り返して見るとご覧の通りです。
六甲ライナーa12
こちらは改札内の様子。
六甲ライナーa13
配置は若干違いますが、階段、エレベーター、
そしてトイレがあるのは他の駅と同じです。
六甲ライナーa14
上に昇ってホームの様子です。
島式ホーム1面2線となっています。
六甲ライナーa15
1番線と2番線がありますが、
終点駅なのでどちらも上りの住吉方面行きとなります。
通常時は2番線が使われ、1番線は朝のラッシュ時のみ使用されている様です。
六甲ライナーa17
ホーム北端から見た住吉方面です。

六甲アイランドの住宅地域は島の中央部にあり、
周囲を公園がまるで城壁のごとく四方を囲んでいます。
平安京で言えば中央の朱雀大路のごとく六甲ライナーが走っており、
マリンパーク駅はいわば朱雀門の位置にあたります。
六甲ライナーa16
こちらはホーム南端から南側の光景です。
終着駅の先にも軌道は続いており、
西へカーブを描いた軌道は六甲島検車場へと続いています。
駅の500m南の大阪湾がよく見えます。
六甲ライナーa18
駅の外へと出て駅舎の南側のぺデストリアンデッキの様子です。
広いデッキは広場の様になっています。
六甲ライナーa19
デッキから六甲島検車場の方向を。
六甲ライナーa20
南端のデッキの先に見える大阪湾。



六甲ライナーa21
こちらは六甲ライナー付近のau 4G LTEでの電波エリアマップです。
神戸市内ということもあり全区間で電波エリア圏内となっています。
トンネルなどはありませんのでどの場所からもアクセスが可能となっています。


レーダーに関してですが、
まず起点の住吉駅からレーダーを飛ばしても六甲アイランドの駅まで届きません。
これは付近をJR神戸線や阪神、阪急が走っている為で、
JRからでは12駅射程では六甲アイランドの駅すら取れません

阪神の魚崎駅からですと、射程12駅でアイランドセンター駅まで、
なつめスキルの射程14駅でやっと終点のマリンパーク駅まで届きます
しかしこの射程もタイトで、魚崎駅から少しでも動くとすぐにマリンパーク駅が射程圏外となります。

電車利用で六甲ライナーを終点のマリンパークまで12駅レーダーで取るには
南魚崎駅まで来る必要があります。
しかし全長4.5kmで全線所要時間が9分、片道250円という六甲ライナーは
4~6分間隔で運行されていますので往復しても1時間掛かりません

という状況なので、六甲ライナーでわざわざ1駅だけ乗って
レーダーを飛ばすメリットは正直言ってあまり感じられません

六甲ライナーa22
ですからとりあえず神戸に行ったら乗りましょう。


では。

三木鉄道三木線00
さて、お次は兵庫県の廃線である三木鉄道三木線についてです。


駅メモでは「三木線」と表記されているこの路線は
1916年(大正5年)に播州鉄道の支線として貨物輸送を目的として
厄神駅━別所駅間が開業したのが始まりとなります。
ちなみに播州鉄道の本線は現在のJR加古川線であり、
近隣の北条鉄道なども播州鉄道の支線でした。

翌年の1917年(大正6年)には三木駅までの全線が開業し、
播丹鉄道、国鉄三木線を経てJR西日本の三木線となります。


しかし元々が貨物を想定して作られた路線だけに
旅客の移動の流れとは当初からズレがあり、
近隣での神戸電鉄粟生線の開業、モータリゼーションの波などを受けて
元々少なかった旅客営業は更に減少します。

戦後にはメインとも言えた貨物取り扱いが廃止されて更に収益が悪化。
1968年(昭和43年)には赤字83線に早々に選定され、
国鉄の赤字増大を受けて1981年(昭和56年)には第一次特定地方交通線に指定。
1985年(昭和60年)に三木鉄道へと第三セクター転換されます。

しかし唯一の軸とも言えた国鉄時代の加古川線直通列車の加古川駅への旅客が
第三セクター転換によって無くなってしまい、
また転換によって運賃も倍加した結果、
転換初年の旅客輸送数は半減に近い数字に落ち込み劇的な減少となりました。
第三セクター転換は三木線にとっては完全に裏目となった訳です。


地元自治体の三木市が主体の三木鉄道は、乗客の利便性を図って経営の改善を目指し
宗佐駅、下石野駅、西這田駅、高木駅の4駅を新たに新設します。
しかし乗客の利用は伸びず転換交付金で赤字を埋める経営が続き、
交付金を使い果たした1996年(平成8年)以降は三木市の補填などで赤字を賄っていました。

そして三木市自体の収支も芳しく無い中で2006年(平成18年)には
三木市長選挙で三木鉄道の廃止を公約に掲げた候補が市長に当選
2008年(平成20年)4月1日に全線が廃止となりました。



また、冒頭の車両の写真はかつて三木鉄道を走っていた車両ミキ300-103ですが、
2009年(平成21年)に茨城のひたちなか海浜鉄道へと譲渡されて
現在も現役車両として稼動をしています。



三木鉄道三木線01
こちらはJR加古川線の厄神駅の西口駅舎の外観です。
駅は1913年(大正2年)に播州鉄道の開業によって国包駅として設置されたもので、
1916年(大正5年)に三木線の前身となる播州鉄道の支線が開業したことにより
駅名を厄神駅に改称しています。

駅名の由来は宗佐厄神八幡神社という厄除けの神社に因むものですが、
駅から神社までは徒歩で30分の距離があります。
三木鉄道三木線02
現在の駅舎は1999年(平成11年)に橋上駅舎に改築されたもので、
メインとなるこちらの西口の駅前も住宅地が迫っています。
駅舎の正面の道は県道207号厄神停車場線という県道ですが
ご覧の通り道幅こそあるものの生活道路の様相です。

駅のロータリーは東に150mほど離れた場所にあり、
恐らくは駅前の再開発が容易ではなかったのだと思われます。
三木鉄道三木線04
こちらは線路の反対側の南口です。
橋上駅舎となった為、通路と階段が新設されて作られた出口ですが
ご覧の通り階段の目の前は完全な住宅地となっています。
三木鉄道三木線05
その南口の目の前の道を東へと進むと、30mほどで
こちらの厄神駅を示す手書きの看板が設置されています。
看板の指し示す先はご覧の完全な路地です。
三木鉄道三木線06
路地を進むと線路際の広くなった場所に。
三木鉄道三木線07
開けた場所に出てすぐ左を見ると
こちらの厄神駅の東口があります。
先ほどの南口とは階段の上でつながっています。
三木鉄道三木線08
東口の前は舗装された広場のようになっており、
100mほど先に駅前のロータリーが設けられていました。
三木鉄道三木線03
駅の橋上へと上がってコンコースの様子です。
橋上駅舎ですので東西を連絡するコンコースの途中に改札があります。
三木鉄道三木線09
改札内も橋上のコンコースとなっており、
各ホームを連絡しています。
JR加古川駅の管理駅で業務委託の駅務員が駅務を行っています。
三木鉄道三木線10
橋上から見たホームの様子です。
駅はJR加古川線の相対式ホーム2面2線として運用されています。
三木鉄道三木線11
こちらが1番線ホームです。
加古川線下りの西脇市方面行きホームとなっています。
三木鉄道三木線12
そしてこちらが2番線ホームで、
加古川線の上りの加古川方面行きとなっています。
三木鉄道三木線13
この2番線ホームには、ホームの中央部に茶色のフェンスが
ホーム全体にわたって設置されています。
これはかつて2番線の反対側にあった3番線を区切る為のものです。
三木鉄道三木線14
橋上から2番線ホームを見ると、かつてはこのホームが島式であったことが分かります。
そして現在は線路が撤去されている旧3番線ホームこそが
かつて三木鉄道三木線が発着していた三木鉄道ホームだった
のです。
三木鉄道三木線15
旧3番線ホームの加古川方を見ると、枕木で車止めをされた線路が残っています。
これは三木鉄道が国鉄三木線だった当時、加古川線との直通運転を行っていた名残です。
三木鉄道三木線16
旧3番線から発着していた三木鉄道三木線は
西へとカーブしていく加古川線とは離れ、
まっすぐに北へと線路を伸ばしていました。
三木鉄道三木線18
駅構内の旧三木鉄道ホームの線路は撤去されています。
道床の砂利は残っているものの雑草が生えてしまっていました。
三木鉄道三木線17
旧三木鉄道ホームの3番線の北端です。


三木鉄道三木線19
厄神駅を出た三木鉄道の廃線跡はまっすぐ北に線路沿いを進みます。
廃線跡の左に併走する線路はJR加古川線の厄神車両基地です。
三木鉄道三木線20
車両基地脇に残る三木鉄道の0.5kmのキロポスト。
三木鉄道三木線21
厄神車両基地の北端の先には道路が東西に走っていますが、
その北端の目の前に三木鉄道の廃踏切の跡が残っていました。
三木鉄道三木線22
150mほど北に進むとご覧の廃線跡を横切る道が。
ここもかつての踏切跡でしたが、綺麗に舗装し直されて痕跡は残っていません。
しかしそのすぐ脇の用水には橋梁の基礎が残っていました。
三木鉄道三木線27
田んぼの中を進む三木鉄道の廃線跡。



三木鉄道三木線24
こちらは県道20号加古川三田線で、
神姫バスの国包東バス停付近の光景です。
三木鉄道三木線25
バス停脇の横道を南東へと入るとすぐに三木鉄道の廃線跡の築堤が見えます。
やや開けた築堤の手前にかつての国包駅の駅舎がありました。
隣の厄神駅からはちょうど1kmの距離にあたる場所です。
三木鉄道三木線23
営業当時は赤線で示したコンクリート製の小さな駅舎が置かれていました。
「カプセル駅舎」と呼ばれ1980年代に全国の無人駅で見られた形の駅舎ですが、
そのプロトタイプがこの国包駅の駅舎だったのだそうです。
三木鉄道三木線26
駅の開設は1916年(大正5年)の播州鉄道の厄神駅━別所駅間に開業によるもので、
鉄筋コンクリートの駅舎が作られたのは国鉄時代の1976年(昭和51年)のことでした。


三木鉄道三木線28
国包駅跡から東に80mほどで、
県道20号線と三木鉄道の廃線跡が交差をしています。
三木鉄道三木線29
廃線跡の築堤は北へと伸びているものの、
田畑の真っ只中であったり雑草が覆い茂っていて
直接廃線上を辿ることが難しくなってきます。
三木鉄道三木線30
廃線上に残る三木鉄道の跨道橋の橋台跡。
「宗佐避溢橋」というガーター橋が架かっていました。
このあたりは田んぼの中を鉄道の築堤が横切っている為、
増水時に田んぼの水位が上がった際に築堤が堤防として水を堰き止めてしまいます。
すると決壊や浸水の危険がある為、
水の逃げ道として切れ目を作る橋が「避溢橋(ひえつきょう)」なのだそうです。



三木鉄道三木線32
こちらは隣の国包駅跡からはほぼ直線で北東に550mほど進んだ付近です。
この場所に残る廃踏切の脇が次の宗佐駅の駅跡となります。
三木鉄道三木線31
駅はご覧の場所にありました。
鉄骨で組まれたホームに待合の上屋の屋根があるのみの駅で、
単式ホーム1面1線のみの棒線駅でした。

この付近の線路は1916年(大正5年)の播州鉄道開業時からありましたが
その後国鉄時代にもこの場所に駅は設置されていませんでした。
1985年(昭和60年)に国鉄三木線が第三セクターの三木鉄道へと転換されると
利用客の利便の為にいくつかの駅が新設。
こちらの宗佐駅も1986年(昭和61年)に新たに設置されました。
  三木鉄道三木線33
踏み切りを挟んだ駅と反対側の三木駅方面の廃線跡です。



三木鉄道三木線34
宗佐駅跡から東へと150mほどを走る県道84号宗佐土山線。
この県道と三木鉄道の廃線跡が交差しており、県道が跨線橋で廃線を跨いでいます。
この付近は小高い丘となっており、三木鉄道は切り通しを走っていました。
三木鉄道三木線35
県道から200mほど東の、切り通しの反対側からの光景です。
写真奥が県道のある厄神方となります。
この切り通しを境として加古川市と三木市の市境となります。
三木鉄道三木線38
その切り通しの出口からすぐの、道路を挟んだ北東側に次の駅がありました。


三木鉄道三木線37
こちらが下石野駅の駅跡です。赤線で示した付近にホームがありました。
(註:実際は築堤上に線路とホームがあったので、もう少し位置が高くなります)
三木線が第三セクター転換した翌年の1986年(昭和61年)に新設された駅で、
隣の宗佐駅と同日に設置されました。宗佐駅跡とは500mの距離にあります。
三木鉄道三木線36
駅は鉄骨のホームのみで駅舎は無く、
上屋があるのみの単式ホーム1面1線の棒線駅でした。
営業当時はこの付近の三木鉄道は築堤の上を走っており、
駅の南側の写真の道路付近には跨道橋が架かっていました。



三木鉄道三木線39
駅跡を背にして廃線後は引き続き北へと進みます。
三木鉄道三木線40
三木市に入った三木鉄道の廃線跡はご覧の通り舗装された遊歩道となります。
三木鉄道三木線48
この遊歩道は「別所ゆめ街道」と名づけられたもので、
三木鉄道の廃線跡を三木市が整備して2018年(平成30年)に完成したものです。

加古川市内の区間の廃線跡が線路をはがしただけの放置状態なのに対し、
三木市内の区間は築堤も削り取って道路として整備が成されています。
三木鉄道三木線41
そしてかつて三木鉄道の2.5キロポストのあった付近のすぐ先に、
踏切跡である市道を廃線跡の遊歩道が跨ぐ地点があります。
廃踏切跡には三木市のコミュニティバスの石野バス停が。
三木鉄道三木線42
その廃踏切跡の先へと遊歩道を進むとすぐに
レールが歩道脇に残された場所が現れます。
こちらはかつての三木鉄道の駅のあった付近となります。


三木鉄道三木線43
こちらは三木鉄道の廃線跡と併走するように走る
県道20号加古川三田線の三木市別所町下石野付近の光景です。
ご覧の場所がかつての石野駅の駅前となります。
三木鉄道三木線44
県道からの路地がかつての駅への連絡道路で
奥の線路沿いに駅舎がありました。
三木鉄道三木線45
こちらは三木市が2018年(平成30年)に作った旧石野駅休憩所です。
旧石野駅の駅舎を模して同じ場所に建てられたもの
現在は遊歩道の休憩所となっています。
三木鉄道三木線46
休憩所の中は土間にベンチが置かれているのみで
営業時の駅舎の様に券売窓口の跡などはありません。
三木鉄道三木線47
休憩所の壁には、石野駅の営業当時の航空写真が掲示されていました。
三木鉄道三木線49
ホーム側から見た休憩所の様子です。
営業当時と同じ位置に同じ長さであることから、
どうやらホームは現役時代のものを転用した様子です。
駅舎の外観は細かい点は違いますが営業当時に似せてはありました。
三木鉄道三木線51
ホーム前には駅の開業当時に建てられたという記念碑が。
三木鉄道三木線52
そして営業当時のホームの向かい側には、
列車が走っていた当時から廃ホームだった場所に
同じ形でレプリカのホームが設けられていました。
三木鉄道三木線50
三木駅方の東側から見た休憩所の様子です。
ホームからのスロープは営業当時には無かったものですが、
駅の外観はそれなりに似せて復元されていると思います。



三木鉄道三木線53
廃線跡の遊歩道は引き続き北東に向かってほぼまっすぐに続きます。
このあたりになると県道20号線は廃線跡からおよそ60~70mほどの距離で併走をしており、
県道から廃線の跡がよく見えます。
三木鉄道三木線54
田んぼの中を進む廃線跡。
三木鉄道三木線55
石野駅からはちょうど1kmほどの場所を流れる花尻川に架かる遊歩道の歩道橋です。
この場所には三木鉄道が走っていた時には花尻川橋梁というガーター橋が架かっていましたが
廃線後に遊歩道に整備された際に架け替えられています。
三木鉄道三木線56
引き続き田んぼの中を進む廃線跡。
遊歩道の舗装が復活し、緑色のテント倉庫が見えてくると次の駅跡となります。


三木鉄道三木線57
こちらが西這田駅の駅跡となります。
緑のテントの脇の赤線で示した場所にホームがありました。
駅は国鉄時代には設置されておらず、三木鉄道に第三セクター転換した後の
1986年(昭和61年)に新設された駅の一つとなります。
三木鉄道三木線58
こちらが駅付近の光景です。
二車線の広めの市道の踏切脇に駅は設置されていました。
三木鉄道三木線59
駅跡と市道の境にあるこちらの円形の手すりは
営業当時の駅ホームの入口にあったものです。
ホームは撤去されているものの、駅の遺構は残っていました。
三木鉄道三木線60
またスロープ状のコンクリートの脇にある手すりですが
こちらも駅の営業当時の写真にある手すりです。
この手すりが残っている事で、コンクリートのスロープとその奥の擁壁が
駅のホームの一部を残した転用
であることが分かります。


三木鉄道三木線61
引き続き県道20号線と併走しながら田んぼの中を進む廃線跡。
三木鉄道三木線62
登り12.5パーミルの勾配標が廃線跡の脇に残されています。
三木鉄道三木線63
こちらは営業時には這田川橋梁という橋が架かっていました。
現在は遊歩道用に歩道橋となっています。
三木鉄道三木線64
そして橋梁のすぐ東に次の駅の駅跡があります。
西這田駅跡からはちょうど1kmほどの距離の場所です。



三木鉄道三木線65
こちらが別所駅の駅跡に作られた旧別所駅休憩所です。
駅は1916年(大正5年)の路線開業時に設けられており、
2008年(平成20年)に鉄道が廃止された後も廃駅舎が残っていました。
そして三木市が2018年(平成30年)に廃線跡に遊歩道を整備した際に
石野駅と共に現役時代の駅舎を模した休憩場として建て替えられています。
三木鉄道三木線67
休憩所と旧歩道の間にあるホームは現役時代に使われていたものです。
整備が行われた際に残されており、ホーム前後にスロープが新設されています。
ホーム前の線路も現役時代のものが残されました。
三木鉄道三木線69
線路にある構内踏切は営業当時のものでは無く、
遊歩道として整備された際に休憩所と遊歩道の連絡用に設けられました。
三木鉄道三木線66
県道20号線沿いに生木神社という小さなお社があり、その真裏に駅跡があります。
営業当時は神社脇の民家との間の狭い路地から駅の敷地へと入る状態で
どこに駅があるのか分かりづらいと言われていたそうですが、
駅敷地も舗装されて駐車スペースとなり、
県道から車の出入りができる様に道も連絡され整備されています。
三木鉄道三木線70
休憩所の中の様子です。
土間にベンチのみが置かれているのは石野駅の休憩所と同じです。
三木鉄道三木線71
こちらの休憩所にも、壁に営業当時の航空写真が掲示されていました。
三木鉄道三木線72
そして駅前駐車場の駅舎の西の一角にある「旧播州鉄道 別所駅跡」の記念碑。
旧駅舎が解体される前から建っていました。
三木鉄道三木線68
三木駅方面へ東に続く廃線跡。



三木鉄道三木線73
これまで田んぼの中を進んできた廃線跡ですが、
別所駅跡を過ぎたあたりから沿線に民家が増え始めます。
国道175号線の高架橋をくぐる廃線跡。
三木鉄道三木線74
再び遊歩道の舗装が復活すると次の駅までもうすぐです。


三木鉄道三木線75
写真手前を横切る道路にはかつて踏切があり、
その向こう側が高木駅の跡地となります。
第三セクター転換後の1986年(昭和61年)に新しく作られた駅の一つであり、
単式ホーム1面1線で駅舎の無い上屋とホームのみの駅でした。
その為、隣の別所駅からは700mという駅間距離となります。
踏切脇からホームへはスロープで連絡されていました。


三木鉄道三木線76
高木駅跡から東の廃線跡は住宅地の中を進みますが、
道はアスファルトで舗装されています。
三木鉄道三木線77
そして高木駅跡から200mほどの位置にある橋梁の遺構です。
営業当時は高木川橋梁というガーター橋が架かっていました。
細いU字溝の川の脇にはもう一つ橋脚がありましたが橋と共に撤去されていました。
廃線跡の遊歩道では、他の橋は歩道橋に架け替えられていますが
この橋だけは撤去のみで遊歩道が途切れています。
三木鉄道三木線78
川を迂回して反対側へと回りこみ、引き続き廃線跡を東へ。
三木鉄道三木線79
高木川橋梁から250mほどで新たな橋が現れますが、
こちらは営業当時に三木橋梁が架かっていた場所です。
現在は歩道橋が架け替えられて設置されています。
三木鉄道三木線82
三木橋梁を渡ると廃線跡の両側はフェンスで囲われ、
レールの真ん中をコンクリートで舗装した通路が現れます。
橋の東側はかつての終点駅の駅構内にあたり、
敷地が橋から扇状に広がっていきます。
三木鉄道三木線80
フェンスには三木鉄道の廃止時の各駅の駅名標を模したミニチュアが
全駅分掛けられています。
三木鉄道三木線81
三木橋梁の東側は2010年(平成22年)6月に三木鉄道記念公園として整備され、
公園内には標識や信号機などが残されていますが
ミニチュア駅名標もその一環として展示されています。
三木鉄道三木線86
公園内に植樹されたエドヒガン桜に関する説明版。
三木鉄道三木線83
東に進むにつれて敷地の幅が広がって施設が揃い
公園の体裁が整っていきます。
ゲートボールのできるグラウンドはかつてのホームの跡地だそうです。
三木鉄道三木線85
信号機についての説明版です。
三木鉄道三木線84
こちらは公園に設置運営されている「三木鉄道サイクルトロッコ」です。
廃線のレールの上を走行できる遊具で、ボランティアスタッフで管理運営されています。
公園内の三木橋梁手前まで走行が可能となっています。


三木鉄道三木線87
こちらが三木駅の駅舎となります。
営業当時の駅舎が残されており、現在は鉄道公園の「三木鉄道ふれあい館」として
2010年(平成22年)より物産の販売や飲食休憩施設、展示などが行われています。
尚、鉄道公園として駅構内跡が整備された際に
旧駅舎の建物は15mほど南へと曳屋されています。

駅としては1917年(大正6年)の播州鉄道の終着駅としての開業で、
木造瓦葺平屋建ての駅舎は開業以来のものだそうです。
三木鉄道三木線88
駅舎の前は現在は公園内となりますがロータリーが整備されています。
三木鉄道三木線89
ロータリーには三木鉄道記念公園前バス停が。
三木鉄道三木線90
旧駅舎の西側に隣接してあるこちらの上屋は
鉄道公園の休憩場となっていますが、
元々は三木駅の駐輪場兼鉄道荷物取り扱い場でした。
上屋は営業当時のものがそのまま転用されているそうです。
三木鉄道三木線91
そして旧駐輪場のすぐ西隣にはこちらの車止めがあり、
その前に先ほどのサイクルトロッコの車庫があります。



三木鉄道三木線92
こちらは三木鉄道の沿線区間のau 4G LTEでの電波エリアマップです。
ご覧の通り神戸近郊の路線だった為、全区域が電波圏内となっています。
三木鉄道にトンネルがはありませんでしたので全区間でアクセスに支障はありません


また三木鉄道の近隣にはJR加古川線や神戸鉄道粟生線が走っていますので
これらの駅からレーダーを飛ばせば全線を取ることが可能
となっています。

しかし神戸近郊という比較的アクセスしやすい場所にある廃線で、
全長も6.6kmと短いことから徒歩でも1時間強あれば全線が巡れる路線となります。
せっかく位置ゲームをやっているのですから
比較的現地に行きやすいこちらの路線で廃線巡りデビューなどしてはいかがでしょうか。

では。


【写真撮影:2017年10月】

智頭急行82
さて智頭急行の続きです。

その1(智頭駅━宮本武蔵駅)はこちら


智頭急行84
宮本武蔵駅を通過するJRの特急スーパーいなば。
当然ながら宮本武蔵駅には一本も特急は停車しません。


智頭急行83
こちらは宮本武蔵駅━石井駅間のトンネルの配置図です。
この区間は岡山県と兵庫県の県境がある区間であり、
全長2118mの蜂谷トンネルが区間の大部分を占めています。
普通列車では駅停車時にアクセスすれば問題ありませんが、
特急の場合は地上でGPSを受信する暇が少ないので
取り逃しの注意と対策が必要
でしょう。


智頭急行85
こちらは国道373号線から見た石井駅の全景です。
智頭急行89
岡山県と兵庫県の県境のトンネルを抜けると
国道373号線、佐用川、智頭急行が至近距離を並行している区間となります。
智頭急行86
駅と並行して流れる佐用川。
智頭急行87
川を渡り、智頭急行の跨道橋をくぐると右手に駅舎があります。
智頭急行88
こちらが駅舎の外観です。
階段の入口に待合があるのみの駅ですが
毛筆の駅名標がやけに立派です。
智頭急行91
築堤の上の高架駅のホームと駅舎を連絡する階段。
智頭急行90
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。



智頭急行92
こちらは石井駅━平福駅間のトンネルの配置図です。
この区間には短いトンネルが散在するものの、
基本的には屋外を走行しています。
智頭急行a49
ですが、こちらの電波エリアのマップを併用して見ると分かりますが
石井駅付近は駅周辺以外の区間に電波圏外の区間があるのです。

石井駅は駅の北の区間もほぼ全てがトンネルの区間ですので、
特に特急列車を使用した場合はGPS電波の受信が間に合わずに
駅を取り逃す危険性の高い駅
だと言えます。
普通列車であればゆっくり落ち着いて取れば大丈夫だと思いますが
注意の必要な駅ではあるでしょう。



智頭急行93
こちらは国道373号線沿いにある「道の駅宿場町ひらふく」です。
因幡街道の宿場である平福宿があったことから設けられました。
智頭急行94
道の駅の正面の道を進むと、ご覧の様に
宿場町であったことを前面に押し出した町並みがあります。
智頭急行95
そして佐用川を渡った先、
道の駅からはおよそ200mほどの場所に智頭急行の駅があります。
智頭急行96
こちらが平福駅の駅舎の外観です。
武家屋敷風の外観に作られています。
1994年(平成6年)の智頭急行開業時に開設され、
近畿の駅百選に第四回に選出されています。
智頭急行97
ホームへの入口は駅舎の南側にあり、
ご覧の様に回廊のような通路を進み
ホームには構内踏切を渡って上がる事となります。
智頭急行98
構内踏切から見た1番線ホーム。
智頭急行99
1番線の様子です。
この駅は相対式ホーム2面2線の駅となっており、
1線スルー方式で1番線が上下線の本線となっています。
ですので通常はこちらの1番線に列車が停まります。
智頭急行a01
こちらは構内踏切から見た2番線です。
智頭急行a02
副本線となる2番線ホームです。
この駅で列車交換のある時に使用されるホームとなります。
智頭急行a03
ホームから見た構内踏切と駅舎です。



智頭急行a04
こちらは平福駅━佐用駅間のトンネルの配置図です。
駅の近くに短いトンネルがあるものの、ほぼ地上を走る区間ですので
駅へのアクセス条件は悪くないでしょう。


智頭急行a05
こちらは佐用駅の駅前の光景です。
写真から奥の方向に500mほどが県道562号線佐用停車場線で、
駅と国道を連絡する道路となっています。
智頭急行a06
後ろに振り返ると目の前は佐用町役場があります。
智頭急行a07
こちらが佐用駅の駅舎の外観です。
駅自体は1935年(昭和10年)に国鉄姫津東線(当時)の駅として開業したもので、
翌年に姫新線となって現在に至っています。
1994年(平成6年)の智頭急行の開業によって乗り換え駅となりましたが
駅自体はJR西日本の管理駅となっています。
智頭急行a08
駅舎の中はご覧の通りで、入るとすぐに待合スペースとなっていて
左手奥へと進むと改札がありホームへと連絡する通路があります。
智頭急行a09
こちらが改札を入ってすぐ目の前にある、
智頭急行のホームへと上がる階段です。
智頭急行a10
階段を上がると島式ホームの端に。
智頭急行a11
こちらが智頭急行ホームです。
駅舎側から1番線、2番線となっており、
1番線を本線とする1線スルー方式となっています。
智頭急行a12
ちなみに写真を撮っていると線路から砂利を踏む音がしたので、
振り返ってみると鹿が線路に入り込んでいました
町の役場の目の前の駅だというのに…
智頭急行a13
そして駅舎から見て奥側には
智頭急行のホームと並行してJR西日本の姫新線の島式ホームがあります。
智頭急行a14
JRのホームも1番のりば、2番のりばとなっており、
1番が下り津山方面行き本線、2番線が上り姫路方面行きホームとなっています。
(ダイヤにより1番線に上り列車、2番線に下り列車の停車するケースもあります。)
智頭急行a15
この駅は築堤上に作られていますが
ホームなどから見るとさながら高架駅のような外観です。
その割には鹿が入ってきてましたけど。



智頭急行a16
佐用駅━久崎駅間のトンネルの配置図です。
姫新線との並走区間は地上を走っているものの
分かれて智頭急行単独となるやいなやトンネル区間となります。
分岐してから久崎駅まではほぼトンネル内ですので
電波の受信は難しい
でしょう。


智頭急行a17
こちらは県道368号線です。
千種川を並走してきた県道が国道と合流する付近に
智頭急行の久崎駅があります。
智頭急行a18
こちらが久崎駅の外観です。
1994年(平成6年)の智頭急行開業時に出来た駅であり、
ご覧の通りの高架駅です。
智頭急行a19
高架駅なのでホームへと上がる階段があり、
踊り場で上下線それぞれへと通路が分岐しています。
智頭急行a20
こちらは1番線ホーム。
相対式ホーム2面2線で列車交換もできる駅ですが、
一線スルー方式となっており、
基本的にはこちらの1番線が本線で上下線ともに列車が停車します。
智頭急行a21
こちらは副本線となる2番線。
普通列車の交換時や、特急の通過待ちなどの際に使用されるホームです。
智頭急行a22
そして2番線の裏手には、ご覧の線路の敷かれていない高架線が分岐しています。
これは保線機械のための側線を設ける為に作られた様なのですが
そもそもの線路が敷かれていないので使われていません。



智頭急行a23
上は久崎駅━河野原円心駅間のトンネルの配置図です。
この区間は駅間の中間部、区間のおよそ半分がトンネルとなっています。
ですが駅の近辺は地上を走っていますので、
普通列車では駅に問題無くアクセスができるでしょう。


智頭急行a24
こちらは河野原円心駅の外観です。
「河野原(こうのはら)」は駅の所在地の地名ですが、
「円心」は白旗城を居城とした南北朝時代の武将赤松則村(円心)に由来しています。
智頭急行a26
こちらは駅前の様子。
ロータリーが整備されていますが、その周辺は田んぼと山ばかりです。
智頭急行a25
駅舎の中の様子。
智頭急行a27
駅舎の裏の高架下がご覧の通り
ホームへと上がる階段となっています。
智頭急行a30
階段を上がるとご覧の通りホームの南端に出ます。
智頭急行a28
こちらが1番線ホーム。
この駅も1線スルー方式の相対式2面2線の駅となっており、
1番線が本線として通常列車が使用するホームとなっています。
智頭急行a29
こちらが副本線となる2番線です。
智頭急行a31
そして私が行った時にはのぼりが立っていましたが、
この駅は駅名の由来となっている
赤松円心の居城、白旗城の最寄り駅となっています。
智頭急行a32
こちらが白旗城跡の登山口。
河野原円心駅からは南東に2kmほど徒歩25分の場所にあります。



智頭急行a33
こちらは河野原円心駅━苔縄駅間のトンネルの配置図です。
駅間でトンネル区間はありますが、駅近辺は屋外区間ですので
こちらも普通列車なら問題無く駅にアクセスできるでしょう。


やちよ16
苔縄駅も国道373号線からは川の対岸にあり、
集落の中に駅が設けられています。
こちらは駅付近の市道。
智頭急行a34
市道を入って行くと智頭急行の高架線が見えてきます。
やちよ07
こちらが苔縄駅の外観。
やちよ10
駅前広場にはご覧の待合用の駅舎があります。
やちよ11
駅舎の中は待合室とトイレなどがあり、
駅外側にはショーウィンドーが設けられていて
ギャラリーとなっています。
やちよ12
こちらがホームへと上がる階段。
駅舎には発券や改札の設備は無く、直接ホームへと上がる事が可能です。
智頭急行a35
駅のホームです。
この駅は単式1面1線の棒線無人駅となっています。
やちよ08
駅前の広場の様子です。
やちよ09
広場のロータリーには駅名の彫られた石が置かれていました。
やちよ15
駅西側には、苔縄にある411mの愛宕山が見えます。
こちらの山は、太平記の時代に
護良親王の令旨に応えて赤松円心が挙兵した赤松城(苔縄城)の城跡でもあります。



智頭急行a36
こちらは苔縄駅━上郡駅間のトンネル配置図です。
千種川を挟んで二つのトンネルがありますが、
この区間は普通列車で11分の距離がありますので
駅へのアクセスをする余裕は普通にあると思います。
智頭急行a37
またこの区間には、列車交換の為に 岩木信号場が設けられています。
写真は列車車窓からの信号上付近。



智頭急行a38
こちらはJR山陽本線の上郡駅の駅舎です。
山陽本線としては途中駅ですが、
この駅から智頭急行線を介しての、
京都大阪と鳥取方面を結ぶ特急列車の乗り入れ分岐点となっている駅です。
智頭急行a39
そのJRの駅舎から西方を見ると、
ホームの先に別の入口があるのが見えます。
智頭急行a40
こちらが智頭急行の上郡駅となります。
智頭急行a41
入口の階段を上り跨線橋を渡ると、
更に通路が延びています。
智頭急行a42
通路を進むとご覧の智頭急行線の改札窓口となります。
智頭急行a43
切り返してて見た改札の光景です。
智頭急行a44
こちらが智頭急行の上郡駅ホーム。
智頭急行線の普通列車が使用するホームとなります。
単式ホームであり、JRのホームに振られている番号はこちらにはありません。
智頭急行a45
この駅が智頭急行線の起点駅ですので、
ホームの正面にはご覧のゼロキロポストが設置されています。
智頭急行a46
そしてこちらはJR山陽本線の上郡駅の2、3番線ホーム。
この島式のホームを西へと進むと
智頭急行線への乗り換え口が見えてきます。
智頭急行a47
こちらの連絡通路を進み、突き当たったところに
先ほどの智頭急行の改札窓口があります。
智頭急行a48
連絡通路を智頭急行ホーム側から見ると線路の車止めが見え、
智頭急行線のホームが山陽本線2、3番線ホームの
切り欠きホームである事が分かります。




さて、以上で智頭急行の全駅となります。
全長56.1kmのこの路線は普通列車ですと片道でおよそ1時間半の行程となります。
スーパーはくとやスーパーいなば等の特急列車ですと
智頭急行線区間はおよそ40分で駆け抜けますので
時間だけを見れば特急列車を使いところでしょう。

ただ、智頭急行線は山間の地域を高規格設計の路線を敷いた結果、
随所にトンネルのある路線となっています。
ですので特急列車の速さですとGPSの送受信がトンネル間で間に合わないケースが多々あり、
レーダーなどのアイテムが無いと駅を取り逃す公算が強くなります
智頭急行a50
こちらは宮本武蔵駅━上郡駅間のau 4G LTEでの電波エリアマップです。
基本的に駅のある場所で電波の入らない駅はありません。
ただトンネルが多く、また一部電波圏外の箇所もありますので
特に端末のGPSのレスポンスの遅い方は
事前にアイテムなどのフォロー手段を準備するべき
でしょう。
アイテム使用を嫌う場合は鈍行列車に乗るしか無いと思います。



実際に智頭急行の全駅を回ってみた感想として、
ほとんどが無人駅であり、他の地方のローカル路線と比べても
沿線の過疎ぶりは負けていませんでした


ですが山中には不似合いとも言える高架高規格の路線を計画的に敷き
JR直接乗り入れの特急スーパーはくとなどの運行を実現した結果、
他の中国地方の路線が目指して失敗した「陰陽連絡線」の役割を見事担うことに成功しました。
結果、第三セクター路線では収益日本一を争う路線となり、
路線黒字で株主配当を出すという立派な結果を残しています。

正直乗りに行くまでは智頭急行についてほとんど知りませんでしたが、
こんな山奥にローカル線の一つのモデルケースがあるとは思いませんでした。


では。

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