
さて、三岐鉄道北勢線の続きです。
その1(西桑名駅━穴太駅)はこちら。

こちらは穴太駅から西へ営業キロで1.1kmの場所で周囲は住宅地ですが、
ご覧の付近に踏切があり、その脇にかつての六把野駅(駅メモ未収録)がありました。
1914年(大正3年)の路線開業時からの駅でしたが、
三岐鉄道の営業改善による駅の統廃合によって2005年(平成17年)に
新設の東員駅に統合される形で廃止となっています。

写真の踏切手前の右(南)側にかつてのホームがありました。
営業当時の写真を見ると駅舎はホームの上屋と言っても良い形のものでした。
この写真を撮るのに立っているあたりがかつての駅の駐輪場の跡です。

六把野駅跡から線路に沿って西へと進むと
600m先の田んぼの中に次の駅が見えてきます。

駅の横を南北に走る道路は県道142号桑名東員線で、
三岐鉄道との踏切の横が駅となります。

踏切の南側へと渡ると目の前に東員消防署があり、
田んぼの中を県道がまっすぐ南へと伸びています。
徒歩で10分ほど進むと東員町役場や公共施設群があります。

そして消防署を背に県道の反対側を見ると
こちらの東員駅の駅舎が見えます。
この駅は2005年(平成17年)に近隣の六把野駅と北大社駅を統合して
新たに新設された駅となります。

この駅の開設によって、それまで北大社駅で行われていた北勢線の管制業務や
西桑名駅で行っていた運転の現業業務(運転士や車掌関係などのいわゆる運転区)、
更に全駅の集中監視業務も東員駅での集中管理となりました。
いわば北勢線の心臓部とも言える駅です。

駅の南側に面する町道の様子です。
元々は1車線の道でしたが、駅の開設にあたって整備が成され
2車線に拡張され歩道も設けられています。

駅前のロータリーの様子です。
バスの大きさを対比して見れば分かりますが、
かなり広めに作られた広場となっています。

ロータリーの東側に設けられたバスの乗降場です。

駅舎の中に入ると自動改札機と券売窓口、
自動券売機があるのは他の駅と変わりません。
ただ三岐鉄道の改札はほぼ全てこの駅で集中管理していますので
こちらの窓口は有人窓口となっています。

左手奥にある待合室です。
L形に奥に広くなっておりテーブルが置かれていました。

ホーム側から見た改札付近です。

構内踏切で駅舎とホームが連絡されています。

ホームへと上がるスロープです。
駅舎のある東端に設置されています。

こちらがホームの様子です。
島式ホーム1面2線となっています。
南側が下り線の阿下喜方面行き、北側が上り線の西桑名方面行きです。

列車交換が可能な駅となっていおり、
上下線ともに安全側線が設置されているので
列車の同時進入が可能となっています。

下り線の更に南側には留置線があり
列車が留置されていました。

その留置線の西側には保線車両が。

こちらは東員駅から西へと600mほど進んだ踏切から見た光景です。
かつてここには北大社駅(駅メモ未収録)がありました。
車両基地のある大きな駅だったそうですが、
2005年(平成17年)に三岐鉄道の事業合理化によって東員駅に統合され旅客営業は廃止。
基地の設備は残されて駅から信号場へと格下げとなりました。

踏切の南西の線路脇の砂利敷きの付近がかつての北大社駅の駅跡となります。
その西の白い建物は北大社変電所で現在も稼動しています。

駅跡から更に西へと進むとご覧の車庫があります。
こちらの車庫も現役で車両の整備などが行われています。

西側にまわって車庫の裏手の様子です。

車庫裏の道をさらに進むと三岐鉄道の本線の踏切があります。

こちらは田んぼの中の農道のように見えますが、
県道555号大泉東停車場線という立派な県道です。
かつて2004年(平成16年)まであった大泉東駅(駅メモ未収録)の駅前から伸びて
県道611号へと連絡をしている道路で、駅廃止に伴って住民の利便の為に拡張されたものです。

この県道は写真の場所でいなべ市の農産物販売施設「うりぼう」の敷地に
ぶつかってクランク状に曲がっているのですが、
こちらの農産物販売施設の敷地内に次の駅が設けられています。

大泉駅の駅舎の外観です。
東員駅からは2.7km、大泉東駅跡からは300mの位置にあります。
2004年(平成16年)の開業の駅で、近隣の大泉東駅と長宮駅を廃止統合して
新たに設けられた駅となります。

駅舎の置かれた農産物販売施設の敷地です。
元々は駅単独で作られる計画でしたが、当時の員弁町(現いなべ市)が
既存の農産物販売施設をこの地に移設し、
駅と合わせた総合的な施設として整備しました。

駅舎の西隣に隣接して立つ農産物販売施設「うりぼう」です。

こちらは駅舎の中の様子です。
窓口の施設はありますが、東員駅集中管理の無人駅なので
駅員は常駐していません。

こちらはホーム側からの改札前の様子です。

駅舎からホームへは構内踏切を経て
連絡通路で結ばれています。

こちらがホームの様子です。
島式ホーム1面2線となっており、西側のホームが下り阿下喜方面行き、
東側の駅舎側が上り西桑名方面行きとなっています。

駅の周辺には一面の田んぼが広がっており、
駅周辺の施設や店舗は軒並み駅改札後に設けられたものです。

駅の改札外へと戻ってこちらは
ホームの南側の西桑名方にある踏切です。

踏切からはホームの全景を望むことができます。

駅舎と道路を挟んだ向かいにあるこどもクリニック。
この病院も駅開設後にできました。

駅と農産物販売所の敷地の東を南北に走る
県道555号大泉東停車場線。

大泉駅付近から県道555号を500mほど進むと
その県道の終点である大泉交差点があります。
そして大泉交差点の西に100mほどの場所にこちらの長宮公園があります。
ここが2004年(平成16年)まで営業していた長宮駅(駅メモ未収録)の駅跡となります。

線路の向こう側に見えるのは員弁東小学校で、
こちらから見た小学校の裏手に大谷神社があります。
この神社は南北に社地が長く長宮とも称され、これが駅名の由来となりました。
長宮公園に鳥居があるのは境内が長かった名残りの様です。
線路脇にはかつて使われていた駅名標が。

公園と小学校の間にあるこちらの踏み切りの、
小学校側(公園と反対側)の写真右側の阿下喜方の線路脇が
かつてのホーム跡となります。

公園の踏切からは一つ北西側の隣の大泉第三踏切。
こちらの踏切まで、写真の右手にホームがありました。

こちらの道は県道557号楚原停車場線という県道で、
かつての街道である濃州道の旧道です。
員弁郵便局のある写真の付近は大泉駅から2kmほど西へと進んだあたりとなります。

その県道が濃州道から外れ左折をし、ご覧の道を南下すると
次の駅の駅舎が見えてきます。

切り返して見た駅前の停車場線です。

こちらが楚原駅の駅舎となります。
1914年(大正3年)の路線開業時に北勢鉄道の駅として開設され、
現在の駅舎は近鉄時代の1992年(平成4年)に建てられたものです。

駅舎前から西側へと広がる駅前の広場です。
線路沿いに駐輪場が設けられています。

駅の西側に隣接する踏み切りです。

踏切と反対側の北側へと切り返して見ると
楚原神社がありました。

駅舎へと戻り改札付近をホーム側から。

こちらがホームの様子です。
相対式ホーム2面2線となっており、駅舎のある北東側が
上り線の西桑名方面行きホームとなります。

列車交換の可能な駅ですが、
安全側線が無い為、列車の駅への同時進入はできません。

ホームの南東端の西桑名方にご覧の構内踏切があります。
遮断機がありますが、階段のみでスロープ等は無く
バリアフリーに対応はしていません。

南西側の下り線阿下喜方面行きのホームです。

下りホームの北西端の阿下喜方にはご覧の出入口があります。
しかし門が閉ざされており、現在は使用されていない様子でした。

この楚原駅では当駅折り返し発着の列車が設定されています。
その場合の当駅始発列車はこちらの下り線ホームから発車します。

楚原駅から西へおよそ800mほど進むとこちらの用水路が南北に流れています。
これは六把野井水(ろっぱのゆすい)という用水で、
江戸時代の三代家光の時代の1635年に、当時桑名に封じられた本多忠勝によって作られました。
この用水の橋に、三岐鉄道のカラーの「ねじり橋 めがね橋」の看板があります。

ちょうど住宅地と田んぼの境界のように流れる用水路の脇の道を
案内看板に従って南へと進みます。

すると現れるこちらの橋が、三岐鉄道の六把野井水拱橋です。
通称「ねじり橋」と呼ばれる橋梁です。

名前の由来は実物を見れば明らかで、石積みの橋の石がねじれて積まれているからです。
「ねじりまんぽ」(「まんぽ」は鉱山の坑道の意と言われる)という工法となります。
橋上の道と橋下のトンネルが直交しない時に用いられる方法であり、
構造力学上最も強い積み方の一つで鉄道橋などで強度が必要な時に用いられます。

全国でもおよそ30例ほどしか残っていないねじりまんぽのうち
コンクリートブロックで作られているのはこの橋1例のみだそうで、
1916年(大正5年)竣工の橋はご覧の通り土木学会の土木遺産に指定されています。

こちらはねじり橋をたんぼの側から見た光景です。

そのねじり橋から西へと200mほどの位置に、
もう一つの名物の橋である明智川拱橋があります。

反対側の南から見た明智川拱橋です。
通称「めがね橋」と呼ばれる三連のアーチのコンクリートブロック橋で
員弁川の支流の明智川に架かる橋は三岐鉄道の有名撮影スポットでもあります。

楚原駅から西へ2.3km、ねじり橋からは1.5kmほどの距離にある踏切です。
この踏切の脇にかつて2006年(平成18年)まで営業していた駅がありました。

踏切の南東側がかつての上笠田駅(駅メモ未収録)のホーム跡となります。
1916年(大正5年)の路線延伸によって開業した駅でしたが
三岐鉄道となった後の2006年(平成18年)に廃止となっています。

こちらは県道609号東貝野南中津原丹生川停車場線という県道です。
三重県道5号北勢多度線との麻生田交差点から南へと進むと
ご覧の写真の光景となり、三岐鉄道の次の駅が見えてきます。

踏切の手前で県道に隣接する駅前の広場。

広場の東側には県道に面して小高くなった駐輪場があります。

こちらが麻生田駅の駅舎となります。
1916年(大正5年)の路線延伸によって設置された駅で
長らくホームに上屋のみの駅でしたが、
三岐鉄道の各駅で遠隔制御を行う事業の一環として
2004年(平成16年)に駅舎が新設されました。

駅舎の前を抜けると南側には砂利敷きの駐車場があります。
これは元々は三岐鉄道の麻生田変電所があった場所で
2009年(平成21年)に変電所が撤去された跡地が駅駐車場となりました。

駅舎の中はご覧の通りです。
自動改札が入退場それぞれ一基づつ、
それに自動券売機とベンチがあるのみのこじんまりとした駅舎となっています。

ホーム側から見た改札前付近の様子です。

こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。

棒線駅となっていますが現行ホームの向かいには廃ホームが残っており、
かつては交換設備があったであろう痕跡が残っています。

そしてホーム北端に隣接している県道の踏み切りです。

西側から見た踏切付近。

西桑名方の南を見ると駅ホームの全景が見れます。

北方の阿下喜方面を見ると阿下喜方面へと向かって
線路は登り勾配となっています。

踏切を渡ってすぐにカーブを描く県道609号線。

麻生田駅から900mほど線路に沿って登り道を進むと
ご覧の光景となります。
こちらにかつての三岐鉄道の終着駅がありました。

線路脇にバラスト(砂利)が敷かれて色が変わっているあたりが
かつての六石駅(駅メモ未収録)のホーム跡です。
駅は1916年(大正5年)に当時の北勢鉄道がこの地まで延伸して設置されたもので、
開業当時は阿下喜東駅という名前でした。

緑のフェンスの前の空き地が駅前の敷地で、
写真の見えるコンクリートの基礎のようなものの手前に駐輪場がありました。
計画されていた路線の阿下喜までの延伸が難航した為、
開業してから14年あまりの間この駅が終着駅となっていました。
その為駅構内には折り返しの転車台もあったそうです。
1931年(昭和6年)に阿下喜駅までの延伸が完成すると
駅名も六石駅へと改められました。

駅跡のすぐ北にはバスの六石停留場がありました。

さらに道を北へと進むとすぐに交差点へと差し掛かります。
設置されている青看板の案内標識には廃止された六石駅がまだ表記されていました。

切り替えして交差点から駅跡方面を。

旧六石駅跡を抜けて線路と併走し道を北へと進むと
下り坂へと転じて一帯が開けた光景となります。

終点への信号機が見えるとまもなく駅となります。

南側から見た駅の光景。

コンビニが見えると向かい側に駅があり、
赤川の小さな橋で駅前の広場へと渡ることができます。

駅前広場側から見た赤川の橋です。

こちらが阿下喜駅の遠景となります。
1931年(昭和6年)の路線延伸によって北勢鉄道の終着駅として開業しました。
駅舎と駅周辺は2006年(平成18年)に地元自治体によって整備されたものです。

現在の駅舎の外観です。

駅前広場の様子です。
こちらの広場も2006年(平成18年)に駅舎と同時に整備されました。
改修前はこの広場まで線路が延びていて旧駅舎もありましたが、
西桑名方へとホーム位置を後退することで、駅舎跡地が広場となりました。

駅前に隣接している市道の南側の様子です。

同じく駅に面する市道の北側の光景。
コンビニの北西角が信号の交差点になっています。

その信号の交差点の、駅と斜向かいの角にある
いなべ市の施設である阿下喜温泉。
三岐鉄道で入場料込みの企画切符を販売している施設でもあります。

駅舎へと戻り、入口付近の光景です。

中に入ると吹き抜けのホームへの通路となっており
自動改札機が入退場共に二基づつ設置されています。
時間帯で駅員がいる駅ですので券売窓口も稼動しています。

駅舎の中の左手にある待合室です。
エアコンがあり冷暖房が効いています。

ホーム側から見た改札付近の光景です。

こちらがホームの様子です。島式ホーム1面2線となっています。
かつては単式ホーム1面のみの駅でしたが、
2006年(平成18年)の改修によって構内2線化が行われて島式ホームとなりました。
尚、駅名標は他の駅の様にプラスチック製のものが無く、
掲示パネルに画鋲で留められた紙製でした。

写真の列車が停まっている側が1号線、反対が2号線ホームとなります。

ホーム西端の西桑名方の光景。

こちらは駅舎手前で止まっている1号線の車止め付近です。

同じく2号線の車止め付近。

そして1号線の外側にはご覧の車庫と電車、そして転車台があるのが見えます。
これはボランティアで運営されている軽便鉄道博物館の施設となります。

車庫に「軽便鉄道博物館」の看板が掛かっており、
中には北勢線の過去の資料が展示されています。
また停まっている電車はモニ226で、1983年(昭和58年)に廃車になるまで
北勢鉄道時代から現役で走っていた車両です。
また転車台は阿下喜駅の北側で埋もれていたもので
かつては木材運搬の為に活躍をしていたものを2004年(平成16年)に
この場所に復元したものです。

こちらは三岐鉄道の穴太駅━阿下喜駅間のau 4G LTEでの電波エリアマップです。
全線がこの区間も電波エリア圏内となっていますので駅へのアクセスはどこからでも良好です。
三岐鉄道の北勢線は、同じ三岐鉄道の三岐線と併走しており
乗らずに三岐線からレーダー等で取る事は一応可能です。
ですが北勢線と三岐線のどちらかをアイテムで取るには
もう一方に乗車しばければ不可能です。
三岐鉄道では「三岐鉄道1日乗り放題パス」という
北勢線と三岐線の両方が乗れるフリーパスを発売していますので、
わざわざ片方のみを乗ってもう一方を乗らないというのは
私はナンセンスな方法だと思います。

三岐線の伊勢治田駅と北勢線の阿下喜駅は2.1kmの距離にあり
徒歩移動でも30分弱での移動が可能ですので、
どうせ北勢線を攻略するのであれば三岐線とセットで実乗するのが
実は一番スマートだと思うのですがいかがでしょうか。
日本で現在4路線しか残っていないナローゲージの路線、
是非とも一度は乗ってみて下さい。
では。