沖縄県

嘉手納線a29
沖縄県営鉄道嘉手納線の続きです。


その1(那覇駅━城間駅)はこちら


嘉手納線61
城間(ぐすくま)駅の駅跡である、
城間大通りと国道58号線の交差する交差点のすぐ南側の
ガソリンスタンド前です。
嘉手納線62
市道の城間大通りから国道58号線に合流し、
国道を北上していくルートがかつての嘉手納線の廃線跡となります。
すっかり国道として整備をされてしまっていますので
かつての鉄道の面影は全く残っていません。
嘉手納線63
城間大通りから国道の反対側を見ると
ご覧の様に米軍の軍用地の入口となるゲートが見えます。
この付近の国道58号線の西側一帯は「牧港補給地区(キャンプ・キンザー)」という
アメリカ海兵隊の兵站施設となっています。
嘉手納線64
この付近の地図が通り沿いにありましたので
嘉手納線の廃線跡と廃駅の位置を書き込んでみました。

城間交差点から国道58号線をそのまま進む嘉手納線の廃線跡。
東へと大きく国道がカーブを描いた先、
城間交差点からはおよそ1.5kmほどの場所で
嘉手納線は国道から反れて南側の市道へと入っていきます。
嘉手納線65
国道58号線から反れた廃線跡は住宅地に飲み込まれてしまっており
300mほどはその痕跡は消し去られています。
ですが地図上で廃線跡を辿ると写真の住宅地の道路が現れます。
この道こそがかつての嘉手納線の廃線跡を転用した道路なのです。
嘉手納線66
廃線跡の道と県道153号線の交差点付近の光景です。
赤線の様に嘉手納線の線路が走っていたと思われます。
嘉手納線67
そして交差点から北に30mほどの付近に
かつての嘉手納線の駅がありました。


嘉手納線68
こちらが牧港駅(駅メモ未収録)の駅跡です。
駅は1937年(昭和12年)に住民の請願駅として設置されました。
嘉手納線の開通は1922年(大正11年)ですが、鉄道開通前は
牧港の集落の住人達は駅の設置に反対したそうです。

しかし開通後に鉄道駅の有用性に気がついた住人達は
駅用地を提供するなどし、開通から14年後に新たにこの場所に駅ができたのです。
開業時は単式1面1線の無人駅だったそうで、
沖縄線までのわずか8年間だけ営業を行った駅でした。
嘉手納線69
駅跡の向かいにはご覧の「マチナトガー」と呼ばれる湧き水があります。
「マチナト」が「牧港」で、「ガー」がどうやら湧き水の水場の意味の様です。


嘉手納線70
牧港駅跡を過ぎて、廃線跡の道を進み
県道153号線(牧港バイパス)の交差点を越えます。
嘉手納線71
交差点から100mほどのところにガジュマルの樹が立っていますが
その付近が次の駅の駅跡となります。

嘉手納線72
こちらが大謝名駅(駅メモ未収録)の駅跡付近です。
ガジュマルの樹の向かいの商店付近がかつての駅だった場所だそうです。
1922年(大正11年)の路線開通時に設置された駅で営業時は無人駅でした。
嘉手納線73
駅跡の向かいにあるガジュマルの樹です。
根元の石灰石を根が絡むように抱え込んでいます。
嘉手納線敷設の際に石灰石が削られており切り通しのようになっています。


嘉手納線74
大謝名駅跡を過ぎて廃線後の道を北へ。
嘉手納線75
駅跡から70mほどで住宅地に飲み込まれて
廃線跡の道は途切れてしまっています。
この先は戦後まもなく住宅が立ち並んだ場所で
鉄道の遺構は消え去ってしまっています。
嘉手納線76
廃線跡に沿って脇の路地を進むも
すぐに住宅の敷地に阻まれて完全に進めなくなります。
この先の廃線跡の延長線上120mほどの場所に
国道58号線の大謝名交差点があり鉄道も交差点の場所を通っていました。

元々は県道だった国道58号線の大謝名交差点は
旧県道の大謝名三叉路にあたります。
戦前は鉄道が下を通り、県道はその上を橋でオーバーパスしていたそうです。
嘉手納線77
この付近については宜野湾市役所が歴史文化遺産マップを作成しています。
宇地泊地区のリーフレットには鉄道跡のルートが書き込まれおり、
嘉手納線の軽便鉄道跡地をたどるのに非常に役に立つのでご参照下さい。
参考
宜野湾市公式「歴史文化遺産マップ」
http://www.city.ginowan.okinawa.jp/organization/bunkaka/isanbunkarekishimap.html



国道58号線の大謝名交差点の西側は
宜野湾市の区画整理事業が行われている土地で、
再開発によって廃線跡は途切れ遺構は残っていません。
嘉手納線78
こちらは大謝名交差点から北に800mほどの地点で
宜野湾警察署の西側の裏手付近となります。
二車線ある区間は再開発の手が入っており
廃線跡であるかは概ねそうであるとしか言えません。
道幅が狭く1車線になる付近からは嘉手納線の跡地と見て間違い無い様です。
嘉手納線79
嘉手納線の跡地が転用された道路です。
この先が次の駅の駅跡となります。

嘉手納線80
こちらが真志喜駅(駅メモ未収録)の駅跡付近です。
嘉手納線の全線開通の翌年である1923年(大正12年)に与儀駅と同時に新設されました。
嘉手納線81
駅跡の向かいを見ると、木の根元の土が切り通しのようになっており
かつてここが線路であった痕跡をうかがい知る事ができます。

嘉手納線82
真志喜駅跡を過ぎて北に進むと
廃線跡は崖上を通過しており眼下に芋畑を見下ろしています。
ニトリの裏手を通過する廃線跡。
駅跡から1kmほどは廃線跡が道路として続いています。
嘉手納線83
大山地区の付近では廃線跡と道路がずれており、
線路のあった場所には住宅が立ち並んでいます。
その横を並走するように走る生活道路をいかにも廃線跡と思いがちですが
実際には嘉手納線はややずれて走っていた様です。
嘉手納線84
そしてゲートボール場として使われていた空き地を通り過ぎると
その先が次の駅跡付近となります。

嘉手納線85
こちらが大山駅(駅メモ未収録)の駅跡付近となります。
1922年(大正11年)の路線開業時にに開設された駅で、
単式ホーム2面2線で列車交換の可能な有人駅だったそうです。
貨物用の側線と蒸気機関車用の給水給炭設備まである大きな駅でしたが
周辺の集落からは離れた場所にあり不便で、
駅開設の翌年には南に真志喜駅が新設されています。
嘉手納線87
駅跡敷地の南端付近と思われる旧ゲートボール場の空き地。
嘉手納線88
駅跡に建つマンションの敷地の大きさを見ると
交換可能駅であったという当時の駅跡というのも納得がいきます。
嘉手納線89
大山駅の駅跡を過ぎた北側の光景です。
駅跡付近の生活道路が不自然に湾曲しているのが分かりますが、
このあたりが駅の敷地であったと考えると符号する形となっています。

廃線跡が再び道路と合流し、およそ800mほどはそのまま生活道路として進みます。
国道58号線の伊佐浜交差点付近で廃線跡は国道と合流。
隣の伊佐(北)交差点付近までおよそ300mほどは国道付近が廃線跡となります。

嘉手納線92
そしてこちらは国道58号線の北前付近。
廃線跡が国道から分岐した伊佐(北)交差点からは北へ700mほどの地点です。
国道58号線の東側一帯は米軍普天間基地となっており、
歩道橋のあるこの場所には普天間基地の第5ゲート(北前ゲート)があります。

嘉手納線の廃線跡は国道の東側を100mほど離れて並走しており、
この第5ゲート前の信号から150mほどの場所には嘉手納線の遺構が残っています。
嘉手納線90
ゲートの真東付近の嘉手納線の廃線跡です。
この付近は廃線跡を転用した道路と住宅が細切れに混在しています。
嘉手納線91
切り返して見た廃線跡付近。
赤線で示したのが線路があったと思われる場所です。
嘉手納線93
そして廃線跡の道は普天間川へとぶつかりますが、
こちらに嘉手納線の遺構があります。
嘉手納線94
普天間側に架かるその名も「軽便橋」です。
名前の通りこの橋はかつて嘉手納線の軽便鉄道の橋梁があった場所にある橋です。
嘉手納線95
橋の橋脚を見ると分かりますが、
この橋脚はかつて軽便鉄道の渡っていた鉄道橋を支えていたものです。
元々は「佐阿天原橋梁」の橋脚でしたが、
上に載る橋が1988年(昭和63年)に「軽便橋」として架け換えられました。

嘉手納線96
軽便橋の北側の先は当然ながら廃線跡となりますが、
ご覧の通り住宅が行く手を阻んでおり、再開発に飲み込まれてしまった様です。
それもそのはずで、普天間川(佐阿天川)の北側は沖縄線の後に米軍が接収。
「ハンビー飛行場」が建設され米軍基地となっていたのです。

1981年(昭和56年)にハンビー飛行場跡地が変換された後は
地主組合による土地区画整理事業で再開発が行われ、
ショッピングセンターなどが立ち並ぶ街となっています。
嘉手納線97
そしてこちらが旧ハンビー飛行場の敷地内だった、
かつての嘉手納線の駅跡付近の光景となります。
嘉手納線98
北谷駅(駅メモ未収録)とされる場所です。
1922年(大正11年)の路線開業時に作られた駅ですが、
ご覧の通りかつての駅跡は現在は6階建てのマンション敷地となっています。

嘉手納線の廃線跡の資料を辿ると「沖縄県介護保険広域連合」の建物付近が
かつての北谷駅の駅跡であるとされています。
嘉手納線99
しかし沖縄県介護保険広域連合のサイトを見ると
2013年(平成25年)に庁舎が移転していることが記されています。
庁舎のあった場所に建っているマンションの不動産情報を見ると
2016年(平成28年)3月築とありますので、
かつての庁舎は解体されてマンションとなった事が分かります。
嘉手納線a01
資料からマンションの手前付近が駅跡らしいですが、
米軍飛行場建設でブルドーザーで整地され、
戦後の再開発で区画整理となっていることから
遺構は残っておらず痕跡を見つけるのは不可能となっています。
駅がここだったという話は、恐らく飛行場敷地の地権者の登記などから
この場所に駅があった、とされているのだと思われます。
嘉手納線a02
駅跡のすぐ近くにある安良波ビーチ。
こちらも飛行場の返還後に整備された海岸です。


嘉手納線a03
北谷駅跡から北へ900mほどの北谷町美浜の市道付近の様子です。
すぐ東側には国道58号線が走っており、その国道の東側は
米軍のキャンプ桑江があって海軍病院などが置かれています。
嘉手納線の次の駅跡はこの先の中学校の前付近にありました。
嘉手納線a04
こちらが北谷町立桑江中学校の校門前付近です。
この付近にかつての桑江駅(駅メモ未収録)があったそうです。

他の駅同様に1922年(大正11年)の路線開業時に作られた駅ですが、
跡地の校門前の道路が2車線の広い道路であることからも分かる通り
復興と再開発の手が入っており、駅前後のルートを正確に手繰る痕跡はありません。


嘉手納線a05
中学校前の桑江駅跡を後にすると
廃線跡は国道58号線の西側を並走する様に北上していました。
国道に沿って築堤が築かれていて並走しながら線路は北に向かっていたそうですが
今ではその築堤の痕跡を見ることはできません。

嘉手納線a06
そしてこちらは桑江駅跡から北に2.4kmほどに位置する
国道58号線の北谷町砂辺付近の様子です。
ファミリーマート嘉手納第一ゲート前店が国道沿いにある付近と言うと
位置が分かりやすいでしょうか。
嘉手納線の廃線跡はこの南側付近で国道を斜めに横断するように走っていたそうです。
嘉手納線a08
コンビニの店名からも分かる通り、
ここには米軍嘉手納基地の第一ゲートがあります。
国道58号線の砂辺(南)交差点がゲートへの入口前の信号で、
ゲートへの道にはご覧の通り米軍基地との境界線がペイントされています。
このゲートの南側付近にかつての嘉手納線の駅があったそうです。
嘉手納線a09
平安山駅(駅メモ未収録)の駅跡付近の光景です。
駅名は平安山と書いて「へんざん」と読みます。
この駅も1922年(大正11年)の路線開業時に設けられています。

嘉手納線a10
嘉手納基地の第一ゲート前を過ぎて国道は北上していますが、
ここから先は嘉手納線の廃線跡は米軍基地の敷地内へと東に切れ込んで行きます。
当然ながら民間人がその跡を辿ることはできません。

嘉手納線a11
こちらは第一ゲートから国道58号線を2.1kmほど北へと進んだ地点です。
近くにはローソンネーブルカデナ店があり、
「奥まで101km」の国道の距離標があります。
(※奥は国頭村奥の事で国道58号線の沖縄県内の北端)
この場所から東へおよそ500mほど嘉手納基地の中に入った場所が
地図上では野国駅(駅メモ未収録)の駅跡のあった場所となります。

資料を見る限りでは駅跡付近は嘉手納基地の滑走路となっていますので
恐らく駅の痕跡は全く残ってはいないでしょう。


嘉手納線a12
こちらは野国駅跡から1.3knほど北に位置する
嘉手納町役場の前の光景です。
嘉手納線a13
そしてこちらが嘉手納町役場の建物。
嘉手納線a14
役場の前の道を北へと進むとすぐにモニュメントがあります。
嘉手納線a15
こちらが沖縄軽便鉄道嘉手納線の嘉手納駅の跡地を示すモニュメントです。
嘉手納駅は駅メモに登録されている駅ですので
この駅を取らなければ沖縄県はコンプリートできません

駅は1923年(大正12年)の嘉手納線開業時に北端の終着駅として設置されたもので、
2面2線のホームを持つ有人駅であり、
側線も有して貨物の取り扱いも多い有人駅だったそうです。
嘉手納線a16
台座に刻まれた嘉手納線のと嘉手納駅の説明文。
嘉手納線a17
同じく台座にある嘉手納駅の営業時の写真です。
嘉手納線a18
モニュメントの先を北へと進むと「ロータリー広場」が見えてきます。
嘉手納線a19
広場の前にある看板。
嘉手納線a23
東側には再開発で作られたロータリープラザという嘉手納町の施設が建っており、
防衛省沖縄防衛局や入国管理局が入っています。
嘉手納線a20
こちらが広場の様子であり、嘉手納駅の駅跡とされている場所となります。
元々はこの広場は「嘉手納ロータリー」という
直径約120mの日本一の大きさのロータリーの中央部でした。

ロータリーは戦後の米軍統治時代に軍用道路1号線の一部として
米軍によって作られたもので、
作られた場所が嘉手納駅があった場所だったそうです。
嘉手納線a22
広場から役場までは直線の道が伸びていますが、
嘉手納駅跡の石碑付近から南はかつての国道58号線の旧道です。
2007年(平成19年)に現在のルートに国道58号線が付け替えられた際に
旧道の東側半分が削られ道幅が狭くなりました。

石碑より広場側はかつての嘉手納ロータリーの内側であり、
駅跡も写真の付近ではないかという話もあります。
ですが一旦米軍によって整地されてしまっている為
おおよその位置を推測するしか無いのが現状となります。
嘉手納線a24
こちらは嘉手納町役場の前にあった観光案内版の地図です。
嘉手納線a25
この地図に嘉手納線の通っていたとされるルートを書き込んでみました。



嘉手納線a26
こちらが嘉手納線の城間駅━嘉手納駅間の廃線跡の、
au 4G LTEでの電波エリアマップとなります。
ご覧の通り全ての区間で電波状態は良好ですのでアクセスに困る事は無いでしょう。

そして駅メモで嘉手納線の廃駅として収録されているのは
与儀駅、城間駅、嘉手納駅の3つのみですので
城間駅と嘉手納駅の中間地点がお互いの駅の境界となります。
この境界線付近にちょうどあるのが北谷駅跡となります。

ではレーダーを使用するとどうなるのか。
嘉手納線a27
こちらは嘉手納線の真志喜駅跡付近でのレーダーの射程です。
駅メモで真志喜駅は登録されていない為、チェックイン先は城間駅となりますが。

そしてこの真志喜駅付近でチェックインをすると
ちょうど12駅目で嘉手納駅がレーダー射程に入っているのが分かります。
通常時でのMAXの12駅射程では真志喜駅跡付近からが射程圏の様です。
この真志喜駅は嘉手納線で北谷駅からは南に2駅隣で
距離にしておよそ3kmといったところに位置しています。

ちなみになつめスキルを使って+2駅の14駅射程でも
やはり真志喜駅跡付近がレーダー射程の境界
となります。
スキルを使っても射程圏がほぼ変わらないのは
射程ボーダー付近であるゆいレールの駅間距離が近すぎる為
です。


そして2018年(平成30年)11月30日に駅メモでは
レーダーブースターというアイテムが実装
されました。
「レーダーの検知数を+4駅」というアイテムの登場により、
レーダーMAX(12駅)+なつめスキル(+2駅)+ブースター使用(+4駅)で
射程距離が最大18駅まで伸びる
というアイテムとなります。

これによって元々全県で18駅しか無い沖縄県は
県内のどこでアクセスしても全県の駅がレーダー射程圏内という事態となりました。

これまでは「どんなアイテムを使っても嘉手納駅だけは取れない」という状態で
「駅数は少ないながらも難易度は低くない」とされていた沖縄県コンプが
ブースター登場で途端にイージーになったということ
です。
那覇空港駅などは外国からのアクセスで取れる駅として有名ですから
「世界中から沖縄県がコンプできる」という時代となった訳です。


まあ、これまでも飛行時に携帯電波の使えないLCCではなく、
JALなど機内Wi-Fiの使える旅客機で沖縄北方の海上でアクセスすれば
通常チェックインで嘉手納駅が取れていた訳ですから
「何をいまさら」という意見もあるかと思います。
嘉手納線a28
しかし、個人的にはこの嘉手納駅跡の碑を肉眼で見た人こそが
真の沖縄マスター
なんじゃないか、と思っていたりします。


では。

嘉手納線60
続いては沖縄県営鉄道嘉手納線についてです。

駅メモでは単に「嘉手納線」として登録されているこの路線は、
1922年(大正11年)に沖縄県営鉄道の2番目の路線として開業した鉄道です。
古波蔵駅━ 嘉手納駅間の22.4kmが正式な嘉手納線の区間でしたが、
先に営業をしていた与那原線に乗り入れて全列車が那覇駅まで運行をしていました。

廃線の駅として駅メモで登録されているのは
与儀駅、城間駅、嘉手納駅の3駅のみ
ですが、
その廃線跡を巡りこちらでは那覇駅━嘉手納駅間を見ていきたいと思います。



嘉手納線01
こちらは沖縄都市モノレールの旭橋駅のすぐ南の列車内から見た光景です。
建設中の青いシートに覆われているのは建設中の那覇バスターミナルです。
(註:撮影は2018年4月で、那覇バスターミナルは同年10月に開業済み)

中央を走る国道330号線を挟んでバスセンターの向かいにあるのは
リーガロイヤルグラン沖縄というホテルの建物です。 嘉手納線02
旭橋駅からホテルへのデッキの、
ちょうど写真の真下あたりにかつて那覇駅(駅メモ未収録)
ここにあった事を示す碑があります。
嘉手納線03
歩道へと降りて、仮設のチケット売り場の向こう側へとまわると
旭橋交差点の北東角の歩道にご覧のモニュメントがありました。
嘉手納線12
ちょうどモニュメントの横に案内地図があり
この場所を示してくれていました。
嘉手納線04
モニュメントに記された歴史や写真です。
この碑の真裏あたりがかつて那覇駅の転車台があった付近だそうです。
嘉手納線05
こちらは碑にあった沖縄県営鉄道の路線図です。
嘉手納線06
那覇駅の構内配線図もあったので、赤でモニュメントの位置を示しました。
嘉手納線07
こちらは旭橋駅の東側、モニュメントからは北西の
バスセンターの北西側に面する道路の光景です。
嘉手納線08
ここに「仲島の大石(なかじまのうふいし)」という県指定の天然記念物があります。
かつては海岸の海の上にあったという大石は、
近隣住民に縁起の良い岩として大切にされてきたものです。
那覇駅が営業していた時には駅構内の機関庫の北に位置していたもので、
場所の変わらぬその存在からかつての那覇駅の位置関係が分かるという目印なのです。
嘉手納線09
かつての廃駅跡である那覇バスセンターの敷地から、
嘉手納線はおおよそではありますが赤線の様に東南へと進んでいました。

嘉手納線10
バスセンターの東の先にある国道330号線の旭町交差点。
国道はここから壺川通りとなって南へとカーブを描きますが、
県営鉄道の線路もおおよそ赤線のように
国道と並走するように南へと曲がっていったと考えられます。
嘉手納線11
マンションの裏手の、国道の東側を並走している市道を南下。
この道が廃線跡そのものかは定かではありませんが、
残された遺構などからおおよそこの道か
または沿うように県営鉄道の線路は南下したと思われます。
嘉手納線13
市道を南下すると阿手川公園の前を通過してすぐに
ご覧のように道が左に曲がって正面が突き当たっています。
嘉手納線15
県営鉄道の線路はこの正面のビル付近を
そのまま南へと直線で走っていたと思われます。
ビルが建っていることからも分かる通り
ここから先は住宅が立ち並び完全に鉄道の面影は残っていません。

嘉手納線14
そして市道が突き当たった場所からおよそ南に300mの、
廃線跡と思われる市道を延長した先にあるのが
こちらの壺川東公園となります。
嘉手納線16
公園にはご覧の通りディーゼル機関車と線路があります。
機関車は大東島で戦後サトウキビ運搬に使われていたものですが、
下の線路は沖縄県営鉄道で使われていたものなのです。
嘉手納線17
ブロックで作られた碑に記されている通り、
かつての沖縄県営鉄道がこの公園を通っており、
公園造成工事の際にレールが出土したことから
鉄道が走っていた場所にレールを復元
したそうです。
嘉手納線18
公園から廃線跡はさらに南へ。


嘉手納線19
こちらは壺川東公園から南の廃線延長上におよそ400mほどの場所で
国道330号線が西へと進路を変え壺川通りから与儀大通りと名を変えて、
新たに国道507号線が終点となっている古波蔵交差点のすぐ北の地点です。
中央に立つビルは古波津商事ビルです。
嘉手納線20
この古波津商事ビルの北西の、駐車場の片隅にご覧の通り
橋の橋台が残っているのです。
嘉手納線21
橋台のすぐ北側の住宅地の路地です。
恐らく橋台の位置からしてご覧の様に線路が走っていたことでしょう。
嘉手納線22
古波蔵交差点の歩道橋から見た古波津商事ビル付近の光景です。
かつてこのビルの付近に沖縄県営鉄道の古波蔵駅(駅メモ未収録)がありました。
嘉手納線23
交差点の国道330号線の左折路から
古波津商事ビルの入口前へと通じる道があります。
嘉手納線24
こちらが古波津商事ビルの前の駐車場です。
嘉手納線25
ビルの右側、方角では北となる一体が空き地となって駐車場になっていますが
かつてここにサトウキビから精製するアルコール工場があったそうで、
古波蔵駅は古波津商事ビルと工場跡の空き地の間にあったそうです。
ちょうど写真中央の電柱の向こう側あたりでしょうか。
嘉手納線26
県営鉄道の線路が通っていたと思われる場所を赤線で示しました。
多少のズレがあると思いますが概ねはご覧の感じで走っていた様です。
嘉手納線27
ちょうど駐車場前の国道沿いにご覧の看板がありましたので
廃線跡と駅の場所を書き込んでみました。


嘉手納線28
こちらは古波蔵交差点から国道330号線を北に1kmほど進んだ
那覇警察署の付近の光景です。
警察署のすぐ北には与儀交差点があります。
嘉手納線29
こちらが与儀交差点。国道330号線と県道222号線(市民会館通り)が交差しており、
国道はこの交差点で与儀大通りからひめゆり通りへと名前を変えます。
この付近にかつての沖縄県営鉄道の与儀駅があったそうです。
尚、与儀駅は嘉手納線の駅として駅メモで収録されています

与儀駅は1923年(大正12年)に設置された駅で、
前年の1922年(大正11年)に嘉手納線が開業した一年後に作られた駅となります。
当時は単式1面1線の無人駅だったそうです。
嘉手納線30
こちらがおおよその沖縄県営鉄道の廃線跡と
与儀駅があったとされる付近の光景です。
駅は与儀交差点から与儀公園の入口付近にあったそうです。
嘉手納線31
与儀交差点に面した与儀公園の入口です。
嘉手納線32
こちらはひめゆり通り側の公園入口ですが、
シーサーに挟まれた入口の目の前に非常に興味深いものがあります。
嘉手納線33
ご覧のD51形蒸気機関車です。
D51-222という車両で小倉工場で生産され九州を走り、
最後は南延岡機関区に所属をしていた車両で、
D51の中では「標準形」と呼ばれる一番ポピュラーな形をしています。


嘉手納線はかつては築堤の上を走っていたそうですが、
戦後の復興で築堤は崩されて現在の国道330号線と姿を変えました。
ですのでこの付近では国道330号線が廃線跡ということになります。
嘉手納線34
与儀駅跡からの国道は「ひめゆり通り」と名を変えますが、
その由来となっているのが、駅跡から北に800mほどにあるこちらのひめゆり橋となります。

かつてはここに嘉手納線の橋が架かっており鉄道が走っていました。
その脇には人が一人渡っても揺れるという人道橋があり
ひめゆりの由来である県立第一高等女学校の生徒が通学に使っていました。

ある大雨の日にこの橋を渡っていた女学生が安里川に転落するという事故があり、
安全の為に女学生の名をとった木橋に架け替えられました。
そして昭和初期に更に丈夫な橋へと架け替えられて「ひめゆり橋」となり
現在へとその名が受け継がれています。
参考
栄町市場商店街「栄町市場について」
http://sakaemachi-ichiba.net/about.html

嘉手納線35
そして廃線跡であるひめゆり通りを、ひめゆり橋から100mほど進むと
沖縄都市モノレールの安里駅が見えてきます。
嘉手納線37
こちらの高架駅がモノレールの安里駅です。
かつての沖縄県営鉄道の安里駅(駅メモ未収録)
奇しくもモノレールの安里駅とほぼ同じ場所
にあります。
嘉手納線38
こちらはモノレールの安里駅ホームから見た駅の東側の光景です。
正面に見える「りうぼう」というスーパーの敷地付近が
「ひめゆり学徒隊」で有名な沖縄県立第一高等女学校の跡地となります。
嘉手納線36
モノレール駅の東側の光景に県営鉄道の線路跡と
駅があったと思われる付近を書き込みました。
この付近は沖縄戦と戦後の復興で鉄道の痕跡が残っておらず
駅の正確な位置は不明なのです概ねの目安と考えて下さい。


嘉手納線39
安里駅から北も嘉手納線は、
現在の国道330号線と同じルートを走っていました。
写真はモノレールのおもろまち駅で、
安里駅からはおよそ800mほど北に位置しています。
嘉手納線40
こちらはおもろまち駅の西側の光景ですが、
ここには沖縄戦最大の激戦であったシュガーローフ(安里52高地)がありました。
米軍が「シュガーローフ」「ハーフムーン」と呼んだ丘陵の間を
嘉手納線(現在の国道330号線上にあった)は切り通しで敷設されていました。
嘉手納線41
おもろまち駅から600mほど北上した国道330号線の真嘉比交差点付近です。
まだ嘉手納線と国道のルートは重なっています。
嘉手納線42
さらに400mほど北上した、こちらはモノレールの古島駅の南側付近の光景です。
この付近の嘉手納線の廃線跡は、戦後の復興開発の波に飲み込まれてしまっており
現在ではその正確な位置を把握することは困難です。
ですが過去の文献や、廃線の線形や地形などから推測すると
おおよそこの付近で嘉手納線の線路は写真左手の西側へと
国道から反れて敷設されていたはずです。
嘉手納線43
そしてこちらは古島駅からおよそ北西に300mほどの場所にある
県道82号線(環状2号)と県道251号線(パイプライン通り)の交る古島交差点です。
住宅や道路となり完全に跡形もありませんが
赤線で示したように嘉手納線はこの交差点まで敷設されていました。
嘉手納線44
古島交差点から見た北側への光景です。
ここから北の県道251号線が沖縄では「パイプライン」と呼ばれており、
沖縄本土復帰までは道路下に米軍の嘉手納基地などへの送油管が通っていました。
嘉手納線45
そのパイプライン通りを250mほど進むと次の駅跡の地点となります。
嘉手納線47
県道251号線である事を示す標識。
「内間」の地名が書かれています。

嘉手納線46
こちらが嘉手納線の内間駅(駅メモ未収録)があったとされる付近の光景です。
内間駅は1922年(大正11年)の嘉手納線開業時の駅で、
当初は無人駅だったものの後に有人駅となっています。
嘉手納線48
駅跡の前に建つ日本年金機構の浦添社会保険事務所。


嘉手納線49
県道の脇に設置されている「パイプライン通り」の標識です。
嘉手納線50
内間駅後からしばらく、嘉手納線はパイプライン通りを
廃線跡として北上をしていきます。
1.8kmほど進んだこちらは通り沿いにある屋富祖郵便局です。
ご覧の通りコンビニを併設している郵便局です。
嘉手納線51
そして通りを挟んだ郵便局の向かいには
琉球バスの大平特別支援学校前停留場があります。
嘉手納線52
停留場の名の通りバス停の裏は特別支援学校の敷地なのですが、
歩道脇の敷地の脇に嘉手納線の遺構が残っています
嘉手納線53
こちらがこの場所で1991年(平成3年)の街路工事で出土した
嘉手納線の線路のレール
です。
嘉手納線54
一緒に立っている石の三角杭はかつてこの道路に
パイプラインが走っていた当時に、軍用地の境界を示す為のものです。
当初はここに2本復元されていたはずですが、
現在では1本のみが残っていました。
嘉手納線55
そして支援学校の目の前の交差点がY字に分岐をしているのですが、
嘉手納線はこの交差点でパイプライン通りから
城間大通りという市道へと曲がっていたそうです。
嘉手納線56
廃線跡の市道を北西へと進みます。

嘉手納線57
城間大通りをちょうど1kmほど進むと国道58号線へとぶつかりますが、
ここにある城間交差点の角にあるガソリンスタンド(エッソ石油エクスプレス城間SS)付近が
嘉手納線の駅である城間駅の駅跡となります。
駅メモでは廃線の嘉手納線の駅は3駅しか登録されていませんが、
那覇側から数えてこの城間駅は2つ目の登録駅
となりますので
チェックインを忘れないように気をつけて下さい。

城間は(ぐすくま)と読み、城間駅は1922年(大正11年)の嘉手納線開業時に設置されました。
無人駅も多かった嘉手納線でこの駅は17.67坪の駅舎を持つ有人駅だったそうです。


嘉手納線58
こちらは嘉手納線の那覇駅から城間駅までの区間での
au 4G LTEでの電波エリアマップです。
ご覧の通りこの付近は全ての場所が電波圏内となっていますので
駅へのチェックインに困る事は無い
でしょう。

嘉手納線を地図に青線で示し、登録駅の与儀駅と城間駅の場所も
併せて地図上に示しましたのでご参照下さい。

嘉手納線59
こちらは沖縄都市モノレール(ゆいレール)で一番北にある
古島駅からのレーダーエリア範囲を示した図です。
射程8で与儀駅、射程11で城間駅に届くのがご覧いただけると思います。


全長22.4kmの嘉手納線、那覇駅━古波蔵駅間の1.2kmを足せば23.6kmの路線です。
那覇駅━城間駅間は8.4kmの営業距離でおおよそ半分といったところでしょう。
城間駅━嘉手納駅間の嘉手納線北部についてはその2に続きたいと思います。

では。

ゆいレールa33
さて、ゆいレールの続きです。


その1(首里駅━美栄橋駅)はこちら



ゆいレールa34
美栄橋駅を出るとモノレールの軌道は
ひきづつき久茂地川に沿って進路を西から南西へと変えて進みます。
700mほどで次の駅が。


ゆいレールa35
こちらが県庁前駅の駅舎です。
名前の通り沖縄県庁への最寄り駅となります。
ゆいレールa36
駅の東側は県道42号線が南北に走る交差点となっており、
琉球銀行と沖縄銀行の本店と、パレットくもじという複合商業施設がある
まさしく那覇市街の中心地点となっています。
ゆいレールa37
こちらは県道を駅前から南に100mほどの県庁前交差点です。
ゆいレールa38
眼前にそびえ立つ沖縄県庁の庁舎。
ゆいレールa39
県庁前から駅までの県道にはペデストリアンデッキも作られており、
半ば駅前広場の役割を果たしています。
ゆいレールa40
デッキから直結で改札の前へ。
ゆいレールa41
改札内の様子です。
ゆいレールa42
この駅のアートガラスのテーマは「大交易時代の琉球王府」
万国津梁の鐘、進貢船、冊封使によって、行政を担う沖縄県庁を表現したとのことです。
ゆいレールa43
駅のホームです。
こちらの駅も単式1面2線ホームとなっています。
ゆいレールa44
ホームから見た南側の県庁方向。
ゆいレールa45
そしてこちらが北側の光景です。
ゆいレールa46
ホームの端から見た那覇空港方面。



ゆいレールa47
駅を出るとモノレールの軌道は
久茂地川の河岸をS字を描いて曲がり南下します。
ゆいレールa48
川の反対側には国道58号線が並走する状態となり、
交差点を越えてまっすぐ南下すると次の駅が見えてきます。



ゆいレールa49
こちらが旭橋駅の駅舎です。
ゆいレールa50
反対の南側からみた駅舎の外観。
ゆいレールa52
この位置からみると駅のロケーションが分かり易いかと思います。
ゆいレールa51
駅の南側は国道58号線と国道330号線が交差する
旭橋交差点があります。
この交差点から西へと伸びる国道390号線は日本最南端の国道であり、
那覇市内は600mほどですが海上をワープして宮古島や石垣島へと通じています。
ゆいレールa53
そして駅の真東にあるこちらの青いシートに覆われた建物が
建設中の沖縄バスターミナルとなります。
旭橋駅周辺は現在再開発が進められており、
バスターミナルも2018年(平成30年)8月完成予定となっています。
ゆいレールa60
駅の真下にあるバスターミナルの仮設の発券所。
ゆいレールa54
このバスターミナルの前にある案内板を見ると
ここがかつての沖縄県営鉄道の那覇駅跡であることが分かります。
ゆいレールa55
駅舎の跨道橋から改札までの光景です。
ゆいレールa56
改札内の様子。
ゆいレールa57
この駅のアートガラスは「世界最大の那覇大綱挽」がテーマです。
毎年10月に旭橋駅近くの国際通りで大綱挽が行われることが所以です。
ゆいレールa58
こちらは1番線の下り首里方面行きホーム。
この駅は相対式ホーム2面2線となっています。
ゆいレールa59
上り那覇空港方面行きの2番線ホームです。



ゆいレールa61
旭橋駅を出ると軌道は国場川の河口の那覇港を望みながら
左へとカーブを描きます。
ゆいレールa62
カーブの南側にはご覧の沖縄バスの整備場が広がっています。
私は沖縄に到着して最初に見たここが沖縄県営鉄道の那覇駅跡だと思ってしまいましたが
こちらは沖縄バスターミナルとは別の施設ですので駅跡ではありません
ゆいレールa63
久茂地川が国場川に注いだところから
今度は国場川の河畔を遡るように南下するモノレールの軌道。
まもなく次の駅が見えてきます。



ゆいレールa64
壺川駅の駅舎の外観です。
ゆいレールa65
反対の南側から見た駅舎。
ゆいレールa66
駅の東側は隣接するビルの公開空地もあって歩道からのスペースが広くなっており、
北東の駅の隣には小さなロータリーがあります。
ゆいレールa68
そして駅の西側には国場川が並走して流れており、
対岸には奥武山公園があり、沖縄セルラースタジアム那覇(野球場)、
沖縄県立武道館などがある那覇市の一大イベント会場となっています。
ゆいレールa67
その奥武山公園と壺川駅の間には、
国場川に架かる歩行者と自転車専用の「北明治橋」があります。
その為イベント時には最寄り駅として混雑をするそうです。
ゆいレールa70
駅舎の跨道橋部分。
ゆいレールa71
上った跨道橋の通路から改札への光景です。
ゆいレールa72
改札内の様子。
ゆいレールa73
この駅のアートガラスのテーマは「国場川に競う爬竜船」となっています。
爬竜船(はりゅうせん)というのは航海の安全や豊漁を祈願するために
毎年旧暦5月に沖縄で行われているハーリーという競漕に用いられる船です。
舳先に竜頭、艫に竜美尾の装飾があります。
ゆいレールa74
] 相対式2面2線の駅となっており、こちらは首里方面行きの
下り1番線ホームとなります。
ゆいレールa75
那覇空港方面行きの上り2番線ホームです。



ゆいレールa76
駅を出ると引き続き軌道は国場川を並走し、
まもなく西へとカーブして川を渡り始めます。
ゆいレールa78
モノレールと並走して川に架かる県道221号線の那覇大橋。
ゆいレールa77
ご覧の様に那覇大橋のほかにも立体交差で幾重にも橋が架かっています。
ゆいレールa79
そして那覇大橋の東詰のたもとにあるこちらの案内標識。
ゆいレールa80
橋の南側の国場川一帯は大きな湿地があり
水鳥が生息し公園となっています。
ゆいレールa81
湿地はなんでもラムサール条約に登録されているそうで、
琉球王朝時代に中国の使者が名づけ、
黒船のペリー提督も絶賛
したという名勝でもあります。
・・・名前は自分で読んで下さい。
ゆいレールa82
那覇大橋に戻り、橋を渡るとすぐに次の駅が見えてきます。



ゆいレールa83
こちらが奥武山公園駅となります。
ゆいレールa85
駅の北側には名前の由来である県営奥武山公園があります。
ゆいレールa86
そして駅の南側には住宅地が広がっています。
ゆいレールa87
跨道橋から改札の光景。
ゆいレールa88
こちらの駅のアートガラスは「沖縄の伝統的な古武道」がテーマとなっています。
沖縄で発展した空手と古武道を描きスポーツの中心を表現したそうです。
ゆいレールa89
ホームは島式1面2線となっています。
ゆいレールa90
西端から見た那覇空港方面の光景です。
ゆいレールa91
駅舎の西側目の前には山下(南)交差点があり、
歩道橋が架かっています。
この歩道橋は駅舎のデッキと繋がっています。



ゆいレールa92
引き続き県道221号線の上を走るモノレールの軌道。
ゆいレールa93
西進すると次の駅が見えてきます。


ゆいレールa94
小禄駅の駅舎です。
ゆいレールa99
反対の西側から見た駅舎外観。
ゆいレールa95
駅舎の北側にはご覧のイオン那覇ショッピングセンターがあります。
かつては米軍基地の住宅が広がっていた駅北側の小禄金城地区は
1987年(昭和62年)に返還され再開発が進められた地域です。
ゆいレールa96
そして駅の南側には小禄市営団地が立ち並んでいます。
ゆいレールa97
跨道橋となる駅のデッキから改札の光景。
ゆいレールa98
改札前から北へと伸びるデッキは
そのままイオンの2階に直結となっています。
ゆいレールb01
改札内の様子です。
ゆいレールb02
アートガラスのテーマは「歓喜の踊りカチャーシー」で、
沖縄の代表的な歓喜の踊りをモチーフとしています。
ゆいレールb03
ホームは島式1面2線となっています。



ゆいレールb05
引き続きモノレールの軌道は県道の上を西進します。
ゆいレールb06
赤嶺(東)交差点を過ぎると次の駅が。


ゆいレールb07
赤嶺駅の駅舎外観です。
ゆいレールb08
駅の南側には駅前ロータリーが設けられています。
ゆいレールb04
そのロータリーの南東の一角にある「日本最南端の駅」の記念碑
北緯26度11分36秒にあるこの駅は2003年(平成15年)の開業によって
日本最南端の駅となっています。
ゆいレールb09
駅舎の北側にもバスロータリーがあり、
その北側には赤嶺県営住宅が建ち並んでいます。
ゆいレールb10
こちらの駅も高架駅ですので跨道橋で入口と改札が連絡しています。
ゆいレールb11
跨道橋の上の様子から改札まで。
ゆいレールb12
この駅のシーサーは改札脇の券売機の上に居ました。
ゆいレールb13
改札内の様子です。
ゆいレールb14
中に設置されている「最南端の駅」の顔出し看板。
ゆいレールb36
駅のアートガラスは「平和の礎と平和祈念堂」がテーマで、
沖縄戦の最大の激戦地となった摩文仁がモチーフとなっています。
ゆいレールb15
ホームはこの駅も島式1面2線となっています。
ゆいレールb16
西の端から見た那覇空港方面の光景です。



ゆいレールb17
駅のすぐ西の目の前は赤嶺交差点のT字路となっており、
これまでモノレールが走ってきた県道221号線が国道331号線へと繋がっています。
国道の反対側は海上自衛隊の那覇航空基地となっています。
ゆいレールb18
北上して国道の上を走る軌道。
ゆいレールb19
航空自衛隊の那覇基地の入口が見えてきます。
ゆいレールb20
さらに国道を北上し安次嶺交差点で県道231号那覇空港線へと
北西にモノレール軌道はカーブを描きます。
ゆいレールb21
交差点からは航空自衛隊の飛行機のディスプレイが見えます。
ゆいレールb22
那覇空港へと向かう為に作られた県道の上を走るモノレール。
ゆいレールb23
県道の南側の航空自衛隊のフェンスには
「歩哨犬注意」の文字が。
ゆいレールb24
さらに県道を進むとモノレールの車両基地が見えてきます。
ゆいレールb25
モノレールから俯瞰で見た車両基地の様子です。
ゆいレールb26
基地は自衛隊の敷地と県道の間にあり、
モノレールの本社などもここにあります。
ゆいレールb27
車両基地前の県道を進む軌道。
ゆいレールb28
まもなく沖縄都市モノレール本社の正門が現れます。
ゆいレールb29
ゆいレール展示館があるのもこの敷地の中となります。
ゆいレールb30
その先へと進むと那覇空港の旅客ターミナルが近づいてきて
ご覧の通りターミナルビルへと連絡する高架道をくぐります。
県道231号線はここまでで、この先の空港側は国道332号線となります。
ゆいレールb31
左手に見えてくる那覇空港の国内線ターミナルビル。
ゆいレールb37
モノレールから見たターミナル前の光景です。
ゆいレールb33
駅舎は高架駅となっているので真下には県道から続く国道332号線が走ります。
ゆいレールb34
駅舎を抜けた北側にも高架軌道が続きますが。
ゆいレールb35
こちらがゆいレールの那覇空港側の終端となります。
首里駅からここまでの距離は12.9km。
ゆいレールb38
上から見ると終端はご覧の通りです。



ゆいレールb32
那覇空港駅の駅舎です。
ゆいレールb39
そしてこちらが那覇空港国内線ターミナルです。
2階出発ロビーの中央付近にご覧のモノレールへの案内があります。
ゆいレールb40
案内に従って外に出て、跨道橋の連絡通路と進むと
モノレールの駅舎が見えてきます。
ゆいレールb41
こちらの動く歩道のある連絡通路の先が駅となります。
ゆいレールb42
駅の入口です。
ゆいレールb43
改札左手には券売機のスペースが。
ゆいレールb44
中央には自動改札機が並びます。
ゆいレールb45
そして改札の右手にあるこちらが
「日本最西端の駅」のモニュメントです。
東経127度39分8秒にあるこの駅は2003年(平成15年)の開業以来
日本で一番西にある駅となっています。
ゆいレールb46
改札内の様子。
ゆいレールb47
液晶の案内板が改札機の正面に置かれています。
ゆいレールb48
ゆいレールではあちこちの駅構内に置かれている
泡盛の亀がこの駅にも。
ゆいレールb51
この駅のアートガラスのテーマは「県花と琉球古典舞踊」
沖縄を象徴する県花「デイゴ」と紅型と花笠を着装した華やかな古典女踊り「四つ竹」で
玄関口の駅として歓迎の意を表わしたそうです。
ゆいレールb49
こちらがホームの様子です。
島式1面2線ホームとなっています。
ゆいレールの起点駅なので1番線も2番線も両方とも首里方面行きとなります。
ゆいレールb50
空港ビルとは反対側の、駅の東側は陸上自衛隊の那覇駐屯地となっており、
タイミングが良ければ射撃訓練の銃声を駅で聞くことができます。


以上でゆいレール、沖縄都市モノレールの駅は全てとなります。

ゆいレールa31
こちらはその1でも載せましたが、
ゆいレールの走る那覇市付近のau 4G LTEでの電波エリアマップです。
路線の全ての場所が電波エリア圏内ですので
駅へのアクセスはどこからでも可能
となっています。

那覇市内に限って言えば、玄関口である那覇空港、那覇市の中心市街、
そして首里城と那覇市周辺の観光地は沿線に網羅されています。
もちろんマリンリゾートや離島、本島北部などを訪づれるには
別途の交通手段が必要となりますが、
こと那覇市内では十分な交通手段だと思います。


ゆいレール自体の攻略の難易度は非常に低く、
とりたてて参考は必要とは思いませんが
沖縄県コンプの一助にでもなれば幸いです。


では。

ゆいレール01
さてお次はゆいレールについてとなります。
「ゆいレール」は愛称であり、正式には「沖縄都市モノレール」となります。


元々沖縄にも戦前には軽便鉄道などいくつかの路線が存在していましたが
沖縄戦で破壊されるなどして戦後は長らく「鉄道不在県」でした

自然と沖縄での交通手段は車となる訳ですが、
当然の流れとして那覇市の都市圏では交通渋滞が悪化することとなります。

そこで沖縄県や那覇市が中心となって計画されたのが
このモノレール路線であり、第三セクター路線として2003年(平成15年)に開業をしています。


ゆいレール02
こちらはゆいレールの終点駅である首里駅です。
琉球王国の王都であった首里城の最寄駅であり、
城跡である首里城公園の東端に位置しています。
いちほ10
駅舎は県道28号線の上に作られた高架駅舎であり、
道路を跨ぐ跨線橋を兼ねています。
いちほ04
駅の東側の目の前にある「汀良交差点」。
駅メモのでんこ「汀良いちほ」の名前由来となっています。
ゆいレール03
県道上の高架駅ですので、駅前はそのまま県道の歩道となります。
こちらは駅北側の光景。
ゆいレール04
北側は高台になっている箇所があり、
見ての通り駅舎の跨道橋部分と直接連絡しています。
いちほ11
駅南側の駅前の光景。
いちほ15
駅の階段を上がると、高架駅の二階部分が
跨道橋を兼ねたコンコースとなっています。
いちほ14
コンコースから改札口にかけての光景です。
いちほ16
改札内はご覧の通り。
いちほ18
ゆいレールの駅では各駅ごとに、
駅にちなんだ題材のアートガラスが設置されています。
こちらの首里駅のガラスの題材は「王府首里城と王朝文化」
いちほ17
駅構内には泡盛の甕が。
この甕はゆいレールの各駅で見かけました。
いちほ19
そしてこちらが駅のホームとなります。
ご覧のホームは2番線ホームで、
終点駅ですので那覇空港方面行きホームとなります。
相対式2面2線ホームの駅ですが、終点駅として2番線のみが旅客使用されています。
いちほ20
反対側にはご覧の1番線ホームがありますが
旅客使用はされておらず立ち入りもできません。
ですので駅名標や広告などもホームには無し。
いちほ21
1番ホームへと上がる階段はご覧の通り閉鎖されています。
こちらのホームは将来のモノレール延伸の為に作られているもので、
平成31年より供用の予定となります。
いちほ22
2番ホーム東端からは延伸の為に建設されたレールと、
その上に設けられた車止めが見えます。
いちほ23
延伸された新しい軌道は汀良交差点から北へと曲がって
すでに伸びていました。
いちほ24
こちらは首里駅に到着する手前で車窓から見える首里城です。
かつては琉球王国の王都であった首里ですが
その中心であった首里城の跡は駅の南西500mほどの場所にあります。



ゆいレール05
首里駅をでて東に進むと、目の前に鳥越交差点があり
モノレールが北へとカーブを描いています。
ゆいレール06
交差点北東角の、モノレールの通る緑地です。
ゆいレール07
緑地にある椀胴井戸(ワンドゥーガー)の遺構と案内板。
ゆいレール08
井戸の遺構は交差点角にある首里中学校の敷地に一角にありました。
ゆいレール09
モノレールの軌道は県道82号線の上を北へと向かいます。
ゆいレール10
1kmほど進むと儀保交差点がありますが、
その手前に次の高架駅舎が見えてきます。


ゆいレール11
こちらが儀保駅の駅舎の外観です。
島式ホーム1面2線の駅なので駅舎のホーム部は小さめになっています。
ゆいレール12
南側の駅前の光景です。
歩道にはバスの乗降場となっている退避スペースがあります。
ゆいレール13
駅の北西側の目の前にある儀保交差点です。
県道28号線と241号線がこちらから分岐しています。
駅や交差点付近は文教地区らしく学習塾が集まっています。
ゆいレール14
駅北側の駅前付近。
こちら側には商店が数件立ち並んでいました。
ゆいレール24
階段の目の前には「与那原良矩生家跡」を示す史跡の看板が。
なんでも琉球王国の政治家で歌人の生家なんだそうです。
ゆいレール15
階段を上がり跨線橋部分の通路から改札前の光景です。
ゆいレール16
改札の上に置かれたシーサー。
駅ごとに異なるタイプのシーサーが置かれているそうです。
ゆいレール17
改札内の様子。
ゆいレール18
儀保駅の構内のアートガラスのテーマは
「王府首里城と王朝文化」となっています。
ゆいレール19
こちらがホーム階の様子です。
島式なので両側がホームとなっています。
ゆいレール20
そしてホームの階段のガラスには「ビュースポット」の表示が。
ゆいレール21
この儀保駅付近は軌道の支柱が最も高い区間であり、
ホームからは那覇の町並みや首里城を望むことができることから
ビュースポットが設定された様です。
ゆいレール22
ホーム西端から那覇空港方面の光景です。



ゆいレール23
駅から下り坂となっている県道82号線を西進。
ゆいレール25
モノレールの軌道が中央分離帯にそびえる道を
1.4kmほど進むと市立病院前交差点が見えてきます。
ゆいレール29
交差点の北側にはコンビニエンスストアがあり、
店の並びの駅北側一帯はごらんの様に低くなっています。
ゆいレール26
市立病院前駅の駅舎の外観です。
ゆいレール32
他の駅では駅舎と一体になっている跨道橋が
こちらの駅では分離して作られています。
ゆいレール27
駅舎の南側には隣接して、駅名の由来でもある那覇市立病院があります。
跨道橋と病院には連絡通路があり直接連絡をしています。 ゆいレール28
案内板にある駅付近の地図。
ゆいレール30
跨道橋に上がるとご覧の光景が見えます。
ゆいレール31
駅舎への跨道橋からの通路。
ゆいレール33
跨道橋の南端からは地上への階段の他に
病院への連絡通路が延びています。
ゆいレール34
連絡通路からの病院への入口です。
ゆいレール35
案内板で見る連絡通路の見取り図。
ゆいレール42
西側から駅舎を見ると、駅からのバリアフリーアクセスの為なのでしょうが
病院への連絡通路がなかなか圧巻ではあります。
ゆいレール36
こちらは駅の改札前の光景です。
ゆいレール37
改札内の様子。
ゆいレール38
この駅のアートガラスは「末吉町に残る獅子舞」
駅の最寄の伝統の町を表現しています。
ゆいレール39
ホームの様子です。
こちらの駅も島式ホーム1面2線となっています。
ゆいレール41
病院と反対側のホーム北側の光景です。
低くなっている街の向こう側には末吉公園が広がっています。
ゆいレール40
西端のホームから見た那覇空港方面の光景です。



ゆいレール43
市立病院の西隣、駅の西南の目の前には
那覇市立松島小学校があります。
ゆいレール44
県道を西へと進むと下り坂から徐々に平坦になり、
周辺の光景がだんだんと市街地となってきます。
ゆいレール45
まもなくモノレールは古島インターへと突き当たり、
県道82号線から国道330号線の上へと南にカーブをしていきます。
ゆいレール46
するとインターの南すぐに次の駅舎が現れます。


ゆいレール47
いかにも駅舎のように見えるこの跨道橋は
駅とは連絡しているものの、
正確には古島インターのバス停へと連絡をする橋です。
ゆいレール48
跨道橋をくぐるとその向こう側に駅舎が見えます。
ゆいレール49
こちらが古島駅の駅舎となります。
ゆいレール50
南側から見た駅舎。
ゆいレール52
駅舎の東側はご覧の様に歩道のみとなっています。
ゆいレール60
バス停は駅の南の古島インターの歩道にあり、
駅からはデッキを通って連絡しています。
ゆいレール53
駅舎西側の光景。
ゆいレール54
西側も古島インターの歩道が島のようになっていて
跨道橋と連絡しておりバス停が設けられています。
ゆいレール55
跨道橋の上から改札にかけての光景です。
この駅の改札前はデッキが広場のようになっており広くなっています。
ゆいレール56
この駅のシーサーは券売機の上に設置されていました。
ゆいレール57
そしてこちらが改札口です。
ゆいレール58
改札内の様子。
ゆいレール59
この駅のアートガラスは「沖縄伝統のたたずまい」と題されています。
ゆいレール61
こちらが首里方面行きの1番線ホーム。
この駅は相対式2面2線ホームとなっており、
上り線と下り線のホームが分かれています。
ゆいレール63
ホーム北端から見た首里方面の光景です。
古島インターの上で軌道がカーブしているのが見えます。
ゆいレール62
こちらは那覇空港方面行きの2番線ホーム。



ゆいレール64
古島駅を出て国道330号線の上を軌道が南下します。
ゆいレール65
南下してすぐに国道脇の左手に、
甲子園の常連として有名な興南高校が見えます。
ゆいレール67
軌道に沿って国道を南下しますが、
写真右手の一帯はかつては「牧港住宅地区」という米軍基地の敷地でした。
ゆいレール68
214ヘクタールの広大な敷地は1987年(昭和62年)に全面返還されて
「那覇新都心」として再開発。中心地区が「おもろまち」と名づけられました。
街の名前の由来は琉球最古の歌謡集「おもろさうし」からだそうです。
ゆいレール69
こちらがおもろまち駅の駅舎です。
ゆいレール70
再開発でできた街だけに、駅前には大きなロータリーがあり
大型商業施設が立ち並んでいます。
ゆいレール71
この駅も高架駅ですので改札前にはご覧のスペースがあります。
ゆいレール72
そして改札前から西にはご覧の通路が延びています。
ゆいレール73
通路を進むと西口ロータリーの上のペデストリアンデッキへと通じています。
ゆいレール74
一方東側はすぐにご覧の様に地上へと通じています。
ゆいレール75
東口側から見た駅舎です。
ゆいレール76
ご覧の様に東口の駅前は西側より一段小高くなっており
改札階と同じ高さに駅前ロータリーがあります。
ゆいレール77
再び改札と戻り、中に入って駅構内の様子です。
ゆいレール80
この駅のアートガラスのテーマは「町の名に因んだ組踊」で、
基地の返還跡地のおもろまちや銘苅といった地名から連想される
伝統組踊をモチーフとしたそうです。
ゆいレール78
ホーム階へと上がり、こちらは首里方面の下り1番線ホームです。
相対式2面2線の駅となっています。
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上り線の那覇空港方面行き2番線ホーム。
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ホーム南端から見た那覇空港方面の光景です。
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駅の南側の目の前にはおもろまち駅前交差点があります。
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交差点から見た西側の光景です。
写真のホテルの裏手あたりはかつては「安里五二高地」と呼ばれ、
米軍には「シュガーローフ」と呼ばれた沖縄戦の激戦地の跡となります。
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交差点から見たおもろまち駅の南側の外観です。



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国道330号線を南下すると
立体交差となっている安里十字路に差し掛かります。
この交差点から南は「ひめゆり通り」の名前がついています。
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交差点を越えて立体交差の終端が見えると
次の駅が現れます。


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安里駅の駅舎の外観です。
ひめゆり通りの真上に駅舎があります。
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東側から見た駅の光景です。
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安里駅の東側には住宅地や商店街が立ち並んでいる一角となっています。
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その歓楽街の北側にある栄町市場
テレビで沖縄の市場の様子をレポートしていたら大抵はここ、というくらい
メジャーな市場街となっています。
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上から駅の東側を見るとご覧の感じに。
沖縄戦の「ひめゆり学徒隊」の第一高等女学校があったのは
この写真の奥あたりとなります。
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駅の南側には五差路となっている安里駅前交差点があります。
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歩道から跨道橋となっている駅舎通路を進み改札へ。
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改札内の様子です。
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駅のアートガラスのテーマは「沖縄伝統やちむんの里」
この駅の南側の壺屋地区は沖縄伝統の焼き物の壺屋焼の里です。
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こちらがホームの様子です。
島式ホーム1面2線となっています。



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駅を背に国道330号線を南下するモノレール。
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そして駅から200mほどのひめゆり橋の袂で
軌道は右にカーブを描きます。
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ヘアピンのようにカーブした軌道は
安里川に沿うように北西へと進路を変えて
那覇市の中心街の方向へと向かいます。
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道を進むとすぐに次の駅が。


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こちらが牧志駅の駅舎となります。
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反対側の北側からみた駅舎の外観です。
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駅の北側の面の前は蔡温橋交差点があり、
東西に沖縄のメインストリートである国際通りが走っています。
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夜になるとご覧の通りに。
この付近は国際通りの北側の入口付近となります。
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駅の東側は国際通りに沿って交差点の角に
「さいおんスクエア」という複合商業施設があり、
駅前は広い広場になっています。
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広場から見た駅舎の東側。
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地上から広場を見るとご覧の通りで、
さうおんスクエアと駅を繋ぐデッキが上を伸びています。
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広場の一角の蔡温橋のたもとにある
その名も「さいおんうふシーサー」という巨大シーサー。
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上に登って広場の上のデッキの様子です。
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東側駅前の車寄せ付近。
広場と駅と国際通りの狭間に切り取ったような「駅前」があります。
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駅西側はご覧の小学校が。
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歩道から階段を上がり、
跨道橋となる駅のデッキから改札の光景です。
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改札内の光景。
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この駅のアートガラスのテーマは「躍動感溢れるエイサー」
国際通りの活気を祭の勇壮なエイサーで表現したそうです。
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ホームの様子です。
島式1面2線のホームとなっています。
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ホームから見た那覇空港方面。



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蔡温橋を後にして安里川から久茂地川へと
道路と軌道が沿うように走ります。
久茂地川では川が中央分離帯代わりに中央を流れており
モノレールも北から西へと進路を変えます。
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そしてさらに進むと次の駅が。


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こちらが美栄橋駅の駅舎です。
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反対の西側から見た駅舎。
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こうして見ると駅舎が川の上に作られているのがよく分かります。
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駅の西側目の前の交差点は変形の十字路となっており、
南東の駅前の三角地帯が駅前広場スペースになっていました。
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反対側の駅舎の北には、川を隔てて市道が走っています。
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跨道橋となる駅のデッキから改札への光景です。
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改札脇の窓口上におかれたシーサー。
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改札内の様子です。
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この駅のアートガラスはこちらで
テーマは「美ら海と海洋レジャー」となります。
とまりん(那覇港泊ふ頭ターミナル)に一番近い駅なので海のイメージとなりました。
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ホームの様子です。
この駅も島式ホーム1面2線となっています。
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ホーム西端から那覇空港方面の光景。



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こちらはゆいレールの走る那覇市付近の
au 4G LTEでの電波エリアマップです。
一大観光地の中心都市であるだけに全ての場所が電波圏内となっています。
GPSでのアクセスに障害はありませんので
どこからでもチェックインが可能
でしょう。


レーダーについては、沖縄県は当然ながら
本州や九州からは遠く離れたいわば独立したエリアですので、
基本的には実際に那覇まで来るしかありません
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こちらはゆいレールで一番北にある古島駅からの
レーダー射程となります。

沖縄県にはゆいレールの他に廃線の沖縄県営鉄道が3駅収録されており、
この古島駅はそのうちの2駅の廃駅がレーダー射程内となっています。
つまり全線所要時間27分(那覇空港駅━首里駅)のゆいレールに乗るだけで、
全18駅の沖縄県は1駅を残してコンプできる
ということです。



ここまでで15駅あるゆいレールのうち、東の8駅をご紹介したことになります。
残りの西半分についてはその2でご紹介します。


取り急ぎ、では。

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