でんこの元ネタ

でんこの元ネタ
■EX No.08 阿下喜ケイ(Ageki Kei)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:4月5日

■出身駅: 三岐鉄道 北勢線 阿下喜駅(三重)
ケイ01


駅メモのでんこである阿下喜ケイについては2019年(平成31年)2月25日に
エクストラシリーズの第3弾で追加されたキャラクターとなります。

ケイ02
こちらは三岐鉄道北勢線の終点である阿下喜駅の駅舎の外観です。
阿下喜ケイの苗字の元ネタについては阿下喜駅であると考えて間違い無いでしょう。

ケイ04
駅メモでは先に2019年(平成31年)1月1日に阿下喜ニナというでんこが
レギュラーナンバーの75番として登場しています。
これまでの例からすると駅メモで同じ苗字のでんこは姉妹設定であることがほとんどでしたが、
こちらのケイとニナについては師弟という設定となっています。

なんでも阿下喜ニナのキャラクターデザイン段階で
候補となるデザインラフ画が数点あったそうなのですが、
そのうちの一つが阿下喜ケイのキャラクターの元
なのだそうです。

ニナのデザインについては三岐鉄道のナローゲージトレインに合わせて
現在の絵柄に決まった様ですが、その時にボツとなったデザイン画が惜しまれて
エクストラシリーズの阿下喜ケイというキャラクターに転用された
、という経緯なのだそうです。
ケイ03
阿下喜駅のホームから南側を見ると、
茶色い電車と転車台、そしてその周りを走っている線路があるのが見えます。
この線路は「北勢軽便鉄道阿下喜線」の線路であり
軌間は15インチ(381mm)という線路です。
ナローゲージ(特殊狭軌)である北勢線の軌間が762mmですから
ちょうどその半分の幅であることが分かります。
ケイ05
こちらは転車台のさらに南側の光景です。
阿下喜駅のパーク&ライド用の駐車場があります。
ケイ06
駐車場を奥へと進むと突き当たりにこちらの建物があります。
ケイ07
こちら軽便鉄道博物館の建物の外観です。
車庫を兼ねたこちらの建物には北勢線の資料が展示されています。

北勢線は2000年(平成12年)に、当時運営をしていた近鉄が廃線を表明しており、
これを受けて沿線自治体などで「北勢線運営協議会」が設置され
2003年(平成15年)に三岐鉄道へと北勢線が譲渡されています。

そして地元沿線の市民運動として2002年(平成14年)に「阿下喜駅を残す会」が発足。
これを前身として2003年(平成15年)にASITA(北勢線とまち育みを考える会)となり、
軽便鉄道博物館の運営を行っています。

参考
北勢線 阿下喜駅前 軽便鉄道博物館へようこそ
http://asita04.com/
北勢線事業運営協議会
http://www.hokuseisen.com/

ケイ08
阿下喜ケイの名前の「ケイ」は「軽便鉄道」のケイではないか、とされており、
三岐鉄道の阿下喜駅よりもむしろ
こちらの軽便鉄道博物館の方が由来とも言えるかもしれません。
ケイ09
軽便鉄道博物館の中の様子です。
北勢線で過去に使われていた物が資料として展示されています。
ケイ10
阿下喜駅の南側を走る「ミニ電車ホクさん」についても
軽便鉄道博物館と同じくASITA(北勢線とまち育みを考える会)が運行を行っています。


阿下喜駅についての詳細は以下で紹介していますので
参照していただければ幸いです。

参考
でんこの元ネタ「■No.75 阿下喜ニナ(Ageki Nina)」
http://stationmemories.blog.jp/archives/35792357.html




■モデル車両: 軽便鉄道博物館 ミニ電ホクさん モニ226タイプ
ケイ11

「ミニ電車ホクさん」というのは三重県を走る三岐鉄道北勢線の
終点の阿下喜駅の南側にある、「軽便鉄道博物館」という
地元市民団体の運営する博物館で運行している遊具車両です。
ケイ12
15インチ(381mm)の線路が阿下喜駅ホーム南側に敷設されており、
周回コースとなっている軌道を遊具車両が運行をしています。
なんでも「人が乗車することのできる世界で一番小さな電車」なのだとか。


「ミニ電ホクさん」については機関車が3両と客車車両が2両あります。
ケイ13
こちらが1号機である三岐鉄道北勢線270形タイプです。
2005年(平成17年)の「北勢軽便鉄道阿下喜線」の開設以来の車両で、
スバル製の550Wガソリン発電機で発電した電気で24V電気モーターを回す
ガソリン電気機関車となっています。
ケイ16
モチーフとなっている三岐鉄道270系の実車です。
見比べると細部まで再現されているのが分かります。
参考
軽便 鉄道 博物館 Blog「6月2日作業日レポート ミニ電ホクさん分解修理」
http://blog.livedoor.jp/asita381/archives/1851466.html
軽便 鉄道 博物館 Blog「機関車の概要(車両の紹介)」
http://blog.livedoor.jp/asita381/archives/219929.html

ケイ14
こちらは3号機となる三重交通カラーの北勢線200形タイプです。
2013年(平成25年)に作られた車両となります。
ケイ17
モチーフの実車はこちらで、三重交通時代に新造された車両で
前面部が湘南型の2枚窓であるのが特徴です。
2013年(平成25年)10月に北勢線開業100周年記念事業で
三重交通時代のクリーム色とグリーンのツートンカラーに塗られており、
12月にこの車両をモチーフとしたミニ電ホクさん3号機が作られました。
参考
軽便 鉄道 博物館 Blog「12月15日作業日」
http://blog.livedoor.jp/asita381/archives/1870769.html


ケイ15
そしてこちらが2号機にあたる近鉄モニ226タイプです。
この車両は元々は三重県四日市市の竹炭村鉄道の車両で、
2007年(平成19年)に作られました。
電動ゴルフカートの動力装置を改造したもので後輪を駆動し、
草刈機用のホンダ4サイクルエンジンで前輪を駆動するという
切り替えられる二系統の動力を持つハイブリッド車両です。
参考
軽便 鉄道 博物館 Blog「2012年6月14日臨時作業 小学校見学会 2校来館」
http://blog.livedoor.jp/asita381/archives/1782226.html
軽便 鉄道 博物館 Blog「5月6日(日)作業日レポート」
http://blog.livedoor.jp/asita381/archives/1773778.html

ケイ18
この車両が駅メモのでんこである阿下喜ケイの元ネタ車両であると考えられています。
ケイ19
車両の中の様子です。
座席のモケットは元ネタ車両の本物を転用しているそうです。
ケイ20
頭のカチューシャのライトは前照灯が元となります。
ケイ21
スカートの赤い2つの丸は車両全部の標識灯で、
その下の白い菱形はサボと呼ばれる行き先表示がモチーフと思われます。

ケイ22
こちらはミニ電のモチーフとなった近鉄モニ220形のモニ226です。
北勢線が北勢鉄道だった時代の1931年(昭和6年)に
阿下喜駅までの延伸および全線電化に際して
モハニ50形として新造された6両のうちの1両です。

三重交通となった1944年(昭和19年)にモニ221形へと改番され、
その後三重交通━三重電鉄と会社が変わっても使われ続け、
1965年(昭和40年)に北勢線が近鉄となった際にマルーン(    )に塗り替えられています。
ケイ23
モニ226に関しては1977年(昭和52年)に内部・八王子線へ転籍となり
1983年(昭和58年)に廃車。四日市スポーツランドに寄贈され静態保存となります。
屋外に半鋼製半木製の車両が雨ざらしで腐食が進んだ状態でしたが、
2008年(平成20年)に阿下喜の軽便鉄道博物館に引き取られ、
車両の補修が行われて静態保存され現在に至っています。
ケイ24
軽便鉄道博物館では車体外装だけでなく内装の修理も行っており、
定期的なメンテナンスによって保存状態は非常に良好です。
ご覧の通り車両内部も公開されており開館日には中の見学も可能です。


ケイ25
これまでの駅メモのでんこについては
実際の鉄道車両がモチーフとされてきたことから、
阿下喜ケイについても元ネタはこの近鉄モニ226の実車なのではないか
という意見もあります。
ケイ26
しかしながら車両の前面窓がモチーフと見られる胸元のデザインが
中央窓にあたる部分が二枚窓の形状となっていることから
近鉄モニ226(中央は一枚窓)ではなくミニ電ホクさん(二枚窓)であろう、
と考えるのが合理的と思われます。
ケイ27
また電車がモチーフのでんこには欠かせないパンタグラフが
阿下喜ケイの背中には存在していない
という点も、
元ネタが実車ではなくミニ電車であるという説の有力な根拠となっています。

そして阿下喜ケイと同時にリリースされた他のエクストラでんこ2人については
遊具車両が元ネタであるのが間違い無いことから、
阿下喜ケイを含めた3名を遊具車両で揃えたという説も
得心の行く説明と言えるでしょう。

ケイ28
阿下喜ケイの誕生日については4月5日に設定されていますが、
北勢線の開業が1914年(大正3年)4月5日であることが元ネタと思われます。

【写真撮影:2019年12月】

でんこの元ネタ
■EX No.01 エルミーヌ・ワロン(Hermine Wallonne)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:10月4日

■出身駅: 無し(苗字のワロンはベルギー南部のワロン地域(Walloon Region)から)


駅メモのでんこであるエルミーヌ・ワロンは2018年(平成30年)7月に
「エルミーヌのミステリートレイン」という謎解きイベントで実装されたキャラクターです。

鉄道で移動をしながら謎を解く、というイベントの為に用意されたのは
推理小説での名作「オリエント急行殺人事件」をモチーフとしたキャラでした。


エルミーヌ04
「オリエント急行殺人事件(Murder on the Orient Express)」
イギリスの推理小説の巨匠アガサ・クリスティ(Agatha Christie)の手による小説で、
彼女の手によるエルキュール・ポアロシリーズの8作目の作品となります。

1934年(昭和9年)に発表された本作は著者の代表作の1つに挙げられている名作であり、
この「オリエント急行殺人事件」をはじめとする一連の推理小説の主人公が
エルキュール・ポワロ(Hercule Poirot)という名探偵で、
「灰色の脳細胞 (gray matter) 」の名セリフで
シャーロック・ホームズなどと並ぶ推理小説界を代表する探偵に数えられています。

エルミーヌ01
推理小説界の名作はこれまでに数多くの映像化がされてきました。
代表的なのは1974年(昭和49年)にアメリカで制作された
映画「オリエント急行殺人事件」でしょう。

豪華なキャストが話題となった本作は北米で公開されヒットを記録。
その年のアカデミー賞で6部門にノミネートされるなどしており
ポワロ映画の代表作とされています。
エルミーヌ02
主演のポワロを務めたイギリスの俳優アルバート・フィニー(Albert Finney)
その怪演で印象深い役者ですが、ポワロを演じたのはこの映画一作のみとなります。

エルミーヌ03
そして数々のポワロ作品の中で外せないのが
1989年(平成元年)から2013年(平成25年)まで24年に渡って制作された
イギリスのテレビドラマ「名探偵ポワロ」でしょう。
1990年(平成2年)からは日本でもNHKで吹き替え版が放送されていた作品です。

ポワロを演じたデヴィッド・スーシェ(David Suchet)の演技は
「最も原作に近いポワロ」と称され名探偵ポワロのイメージを決定付ける名演を見せています。


こうして多くの映像化もされた名探偵エルキュール・ポワロは
19世紀中頃の生まれでベルギー南部のフランス語圏(ワロン地方)出身とされています。
駅メモのでんこのエルミーヌ・ワロンの苗字であるワロンは
モチーフであるポワロの出身地から取られている
と考えて良いでしょう。
エルミーヌ43
またエルミーヌのデザインを見てみると
帽子は鹿撃ち帽(ディアストーカー)に虫眼鏡といういでたちであり、
探偵をモチーフにしている事は明らかです。
本当は鹿撃ち帽に虫眼鏡、パイプというアイテムはポワロでは無くホームズ由来なのですが
探偵を示すかなり一般的なアイコンとなっていますのでやむを得ないでしょう。


余談ですがベルギー王国は連邦制となっており3つの地域に分かれています。
首都のブリュッセル首都圏、フランス語が公用語の南部ワロン地域、
そしてオランダ語の一種であるフラマン語が公用語の
北部フランダース(フランデレン)地域となります。

フランダースといえば1975年(昭和50年)に世界名作劇場で放映された
アニメ「フランダースの犬」が有名であり思い出されますが、
ベルギーの地域を区切ってみるとあの話は北部ベルギーの話である事が分かります。



■モデル車両: 国際寝台車会社(ワゴン・リ) オリエント急行
エルミーヌ05


オリエント急行は国際寝台車会社(ワゴン・リ)によって運行された長距離寝台急行で、
1883年(明治16年)10月4日に開通記念列車が
パリ━ コンスタンティノープル(イスタンブール)間を走行

寝台車2両、食堂車1両、荷物車(兼車掌車)2両の編成で走りました。

このオリエント急行をモチーフとしているでんこエルミーヌ・ワロンの誕生日は
10月4日に設定されていますがこれは開通記念列車の走行日が元ネタ
であると見て良いでしょう。


1883年(明治16年)からのオリエント急行はまだ全通しておらず、
ルーマニアとブルガリア国境のドナウ川を渡船、ブルガリアの鉄道で黒海まで出て
最後は汽船でコンスタンティノープルへと向かうルートでした。

1889年(明治22年)にはコンスタンティノープルまでの直通列車が
ベオグラード・ソフィア経由で実現。
王侯貴族や高級官吏、富豪などのごく限られた人々が利用できる豪華列車が運行されるも、
1914年(大正3年)の第一次世界大戦によって
国を跨いで走るオリエント急行は運休
を余儀なくされました。


第一次世界大戦の休戦後の1919年(大正8年)には
パリ━ヴェネツィア間のシンプロン急行を延長する形で
シンプロン・オリエント急行(Simplon Orient-Express)が運行を開始します。

1930年代はオリエント急行の最盛期となり、
ドーバー海峡に面したフランスのカレーやパリから、
イスタンブールやアテネへと毎日オリエント急行が運行していました。
アガサ・クリスティの「オリエント急行殺人事件」が発表されたのもこの年代で、
主人公の探偵ポワロはシンプロン・オリエント急行に乗車して捜査を行っています。


1941年(昭和16年)の第二次世界大戦の勃発でオリエント急行は再び運休。
戦後の1945年(昭和20年)に再び運行を再開するものの、
座席車や簡易寝台車を含む編成となっており、
最盛期の豪華クルーズトレインの姿には蘇っていませんでした。

そしてモータリゼーション時代の到来や航空機の性能向上によって
鉄道で長距離を移動するオリエント急行の乗客は減っていきます。
これにより1971年(昭和46年)は国際寝台車会社(ワゴン・リ)が寝台車の営業から撤退。
1977年(昭和52年)には最後のオリエント急行の名を冠した列車が廃止され、
パリ━イスタンブール間の直通列車は消滅しています。


その後、旧国際寝台車会社の客車を使用して
戦前のオリエント急行を模した観光列車が運行されており、
主なところではノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行(NIOE 1977年~2007年)
ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス(VSOE 1982年~)といった列車が挙げられます。

エルミーヌ07
そして1988年(昭和63年)にはTV局の企画によって
「オリエントエクスプレス'88」が運行され日本でもオリエント急行の車両が走行しています。

当時ヨーロッパで運行されていた
ノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行(NIOE)の車両を使用した列車は
1988年(昭和63年)9月にパリを出発。仏独を経由してソ連(当時)中国を走り、
およそ一ヶ月をかけて最後は香港の九龍へと至っています。

香港から貨物船で運ばれ日本の山口県笠松に陸揚げされたオリエント急行の車両は
10月17日に日本国内で運行を開始。12月25日まで本物のオリエント急行が
クルーズトレインとして全国各地を走りぬけました。

日本国内の走行に関しては当時発足したばかりのJRグループが協力。
豪華な客室での旅というコンセプトやノウハウはその後の
「北斗星」「トワイライトエクスプレス」、そして「四季島」や「瑞風」といった
日本の寝台特急に大きな影響を与えています


また国際寝台車会社(ワゴン・リ)のオリエント急行車両は
その重厚な内外装や歴史から列車運行以外の用途に使われる例も見られます。

滋賀県大津市には1966年(昭和41年)に開業した「紅葉パラダイス」という遊園地がありました。
びわ湖温泉が併設された温泉宿泊施設(健康センター)併設型のレジャー施設は
その後に「びわ湖温泉 紅葉パラダイス」と名称を変えていますが、
紅葉パラダイスのTVコマーシャルは当時の関西人ならば誰もが知っている存在でした。
エルミーヌ06
この紅葉パラダイスに1978年(昭和53年)に設置されたのが
「ホテル・オリエント・エクスプレス」です。
国際寝台車会社(ワゴン・リ)製の本物の個室寝台車8両を設置した宿泊施設は話題を呼びましたが、
当時はオリエント急行の車内を浴衣の宿泊客が往来し、
横では売れない演歌歌手の歌謡ショーが繰り広げられるというかなりシュールな光景
だった様です。
その後の紅葉パラダイスは経営不振によって1998年(平成10年)に閉鎖。
ワゴン・リの客車も老朽化などでその数年前に撤去され、
行き場を無くした客車は関西の山中に放置状態で朽ち果てたそうです。


オリエント急行の後継の観光列車のうち、
ノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行(NIOE)を運行していた
インターフルーク社(Intraflug)は1993年(平成5年)にNIOEを経営難から売却。
オリエンタル急行の車両は数社を点々とした後、
権利関係の問題から2007年(平成19年)にNIOEの名前は使えなくなり
オリエント急行を名乗る事ができなくなりました。

こうした経緯の中、国際寝台車会社(ワゴン・リ)のオリエント急行車両も
所有者を転々とする車両が続出し、散逸の憂き目を見る状態でした。

そんな中でワゴン・リのオリエント急行の車両が一両、
日本の箱根の美術館で保存展示されて現在でも見ることが可能
となっています。

エルミーヌ08
こちらは箱根登山バスの千石案内所です。
国立公園内となっている仙石原周辺は美術館が数多く集まり別荘地となっています。
エルミーヌ09
案内所の前の道は県道75号湯河原箱根仙石原線の終点近くですが、
この案内所から県道を50mほど東に進むと箱根ラリック美術館の入口があります。
エルミーヌ10
美術館の駐車場西側の市道側の入口。
エルミーヌ11
駐車場に面した東西に長い建物の窓からは
オリエント急行の独特の青い車体が覗けます。
エルミーヌ12
駐車場から美術館敷地内への入口です。
エルミーヌ13
美術館の敷地内は庭園の中に建物が散在するスタイルで配置されており、
箱根の自然の景観を生かした作りとなっていました。
エルミーヌ14
その庭園の中央にある、ガラス張りの中のクラシックカーです。
実は車は作品の単なる台座に過ぎず、
ボンネットの先端のカーマスコットがラリック作のいわば主人公となります。

ラリック美術館のオーナー一族は東京都内で映画館やビル、ボーリング場などを
いくつも所有している資産家であり、映画館のシネスイッチ銀座などもその一つです。
そしてオーナーは元々クラシックカーの蒐集家で、
カーマスコットがラリックの作品であることを知って魅せられたことから
美術館が作れるほどのラリック蒐集家となったのだそうです。
エルミーヌ15
さすがに美術館の中は撮影ができませんので、
ラリック作品については各自調査にて。
エルミーヌ16
そして美術館の入口近くへと戻ると、
すぐ左手にあるこちらが「特別展示 ル・トラン」であり
オリエント急行の車両が展示してあるスペースとなります。
ル・トラン(le train)とはフランス語で「列車」という意味です。
エルミーヌ17
ル・トランと並んでカフェ・レストラン「LYS(リス)」が併設されており、
レストランの受付でオリエント急行の車内見学の予約をします。
こちらが予約の際にもらえる乗車券。
入場の際には改札挟で実際に切符を切って入場します。
エルミーヌ18
受付の脇にある、展示車両と同じ型の模型のディスプレイ。
エルミーヌ19
ル・トランの室内の様子です。
さすがに美術館なので壁と屋根のある完全な室内で静態保存されており
保存環境としては申し分の無い状態です。
エルミーヌ20
入場すると車両内へと入る前に、列車手前のデッキにて映像を鑑賞。
エルミーヌ21
展示されている車両の説明と、箱根への搬入の様子がDVDで流れます。

元々美術館の建設時の図面にはオリエント急行の展示スペースは無かったそうなのですが、
列車の車内装飾がラリックの手による事を知ったオーナーが
スイスでオリエント急行の車両を探して購入。
追加で建築の図面が引き直されたのだそうです。

美術館の開設は2005年(平成17年)3月ですが、
車両が箱根へと搬入されたのはその前年の2004年(平成16年)3月のことだそうです。
DVDの映像を見ると車両を据えた後に建屋が作られた事が分かります。
エルミーヌ22
こちらが車両の外観です。
この車両はWSP 4158DEという車両で1929年(昭和4年)製造となります。
国際寝台車会社(ワゴン・リ社)がパリとイタリアの国境の町ヴェンティミリアを結ぶ
「プルマン・コート・ダジュール急行(Pullman Cote d'Azur Express)」を
運行する際に作られた車両です。
エルミーヌ23
プルマン車とは欧州では食卓を持つ高級座席車のことで、
コート・ダジュール急行のプルマン車は「コート・ダジュール型」と呼ばれ
当時の欧州各地の列車に連結していたプルマン車のなかでも最も豪華なものでした。
コート・ダジュール急行は1941年(昭和16年)第二次世界大戦による運休となりますが、
1982年(昭和57年)にノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行(NIOE)で
現役の運行へと復帰し、2001年(平成13年)まで実際に運行をしていました。
エルミーヌ24
オリエント急行の車体はロイヤルブルー(    )を基調としています。
上半分は白(    )に塗られたツートンカラーで、
間に黄色(    )のラインが入っています。
白(無彩色)も黄色(補色)もロイヤルブルーに関連する色彩ですので
基調色に準じて高級感を出すデザインである事が分かります。
エルミーヌ42
エルミーヌの衣装のカラーリングもロイヤルブルーが基調となっていて
アクセントに黄色のラインが入れられており、
オリエント急行の車両がモチーフであることが分かります。
エルミーヌ41
またエルミーヌの羽織っているポンチョの肩には丸いアクセントがありますが、
こちらはワゴン・リの車両で用いられる丸窓や装飾と同じ形となっています。
エルミーヌ25
車体の横にあるこちらは国際寝台車会社(ワゴン・リ)のエンブレムです。
日本の寝台特急「北斗星」のエンブレムはこのワゴン・リのエンブレムを模したものなのだそうです。

エンブレムの下にある番号はUIC番号と呼ばれるもので、
国際鉄道連合が規定している識別番号で欧州の国際列車についているものです。
「51 85 09-30 000-1」の内容を見ると
 51(国際列車用・固定ゲージ客車)
 85(スイス国鉄)
 09(私有特別車)
 30(最高速度140 km/h、暖房方式)
 000-1(車体シリアル番号とチェックディジット)

となります。
ラリック美術館で購入する前は車両はスイスにあったそうですから
購入当時の番号が残されいるものと思われます。

エルミーヌ26
美術館では車体横の乗降扉からではなく、車両後部の貫通部から入るので
こちらは後部の貫通扉付近の光景です。
通路などに使われいる木製の内装はマホガニー製なのだそうです。
エルミーヌ27
貫通扉の目の前は乗降扉のある乗降デッキとなっており、
円形の手動ブレーキのハンドルもありました。
エルミーヌ28
乗降扉のデッキ反対側にあるトイレ。
展示車両ですので使用は禁止となっています。
エルミーヌ29
乗降デッキから客室への通路。
エルミーヌ30
通路の途中の室内窓からは個室の中の様子が見えます。
エルミーヌ31
こちらがオリエント急行のプルマン車「コート・ダジュール」の客室内の様子です。
アール・ヌーヴォーとアール・デコの両時代に渡って活躍した
ルネ・ラリックの手がけた室内の装飾は豪華ですが落ち着きのある雰囲気です。
エルミーヌ32
車内の装飾品で一番目を引くのはなんといっても
「彫像と葡萄」と題されたガラス工芸品の装飾レリーフでしょう。
列車内に150枚以上あるとされるレリーフはそれぞれが違った図案となっており、
ガラスの内側に銀を貼った鏡面加工を施すことで
列車の移動や昼夜の光の加減などで光が反射され、
作品が様々な表情を見せるという仕掛けになっています。
エルミーヌ33
卓上や天井のランプシェードもラリックの作品だそうですが、
天井のシェードのモチーフは不明なのだそうです。
エルミーヌ34
椅子や床の絨毯にはご覧の花柄が用いられています。
生地はゴブラン織りというかつてはフランス王室ご用達だった織物が用いられ、
通気性を保つ為に椅子の中には藁がつめられているそうです。

日本では水戸岡鋭治氏デザインの観光列車が数多く走っていますが、
多くの水戸岡列車の座席モケットには花柄が用いられています。
実際に観光列車のデザインについて水戸岡氏はラリックに言及していますが、
花柄のモケットだけを見てもデザインのルーツのひとつは
オリエント急行のラリックの内装デザインである事が実際の列車内を見て得心しました。
エルミーヌ37
入ってきた側とは反対側の車端もご覧の様に客室の奥は通路になっており、
同じように4人が掛けられる個室があります。
個室の壁にはルネ・ラリックの娘のシュザンヌ(スザンヌ)・ラリック作の
「花束」と題されたパネルが置かれています。

エルミーヌ38
客室の大きな窓はハンドルを回して開閉をする仕組みとなっています。
車両の窓内側にはもう一枚、窓枠下部のみを覆うガラスがはめ込まれています。
これは防風の為と物の落下を防ぐ為のものだそうです。
エルミーヌ39
窓の下にはご覧の呼び出しのボタンが。
乗客がスチュワート(乗務員)を呼ぶ際に使われたものです。
エルミーヌ44
そしてテーブルの下を見ると一本足で折り畳めるようになっており、
なにやら金具がついています。
エルミーヌ45
そしてテーブルの上の壁にはご覧の丈夫そうなフックが。
これは跳ね上げたテーブルを固定するベルトを掛けるフックです。
清掃の際やプルマン車でダンスを行った際などに
畳んだテーブルを固定する為のものなのだそうです。
エルミーヌ46
客室内の角にあった手動で引く警笛のレバー。

エルミーヌ35
こちらはラリック美術館「ル・トラン」の見学に際して供されるティーセットです。
季節によって内容は若干変わる様です。
エルミーヌ36
使われている食器にはノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行(NIOE)の
ロゴがひとつひとつに描かれていました。
エルミーヌ40
ティータイムのテーブルに置かれていたオリエント急行のパンフレット。
展示されている車両はノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行(NIOE)のものですが、
卓上に置かれたパンフはなぜか
ヴェニス・シンプロン・イスタンブール・オリエント急行(VSOE)のものでした。


ラリック美術館のプルマン車WSP 4158DEは
第二次大戦前はコートダジュール急行を走っており、
オリエント急行に加わったのは国際寝台車会社(ワゴン・リ)の手による運行ではなく
その後に民間企業が復活させたNIOEの運行となってからでした。
ですから厳密にはポワロが活躍したとされる1930年代には
オリエント急行ではありませんでした


しかしコートダジュール急行は国際寝台車会社の運行路線でしたし、
プルマン車WSP 4158DEも国際寝台車会社製の車両で間違いありません。
マホガニーとラリックの装飾品が使われた内装もまごうこと無きオリエント急行のものであり
NIOEでの運行実績や、日本を走ったオリエント急行'88などでも走行している車両は
「オリエント急行」の名を冠するにふさわしい車両であると思います。

【写真撮影:2019年12月】

でんこの元ネタ
■No.80 那珂湊ねも(Nakaminato Nemo)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:1月28日

■出身駅: ひたちなか海浜鉄道 湊線 那珂湊駅(茨城)
ねも01


那珂湊駅の開業は1913年(大正2年)12月で、
軽便鉄道として開業した湊鉄道湊線の勝田駅━那珂湊駅間の終着駅としてでした。
その後1924年(大正13年)には湊線が磯崎駅まで延伸して途中駅となり、
1928年(昭和3年)に阿字ヶ浦駅までの延伸で現在の湊線が全通します。


1929年(昭和4年)には国鉄との相互乗り入れにより
湊線の列車の国鉄水戸駅までのの直通運転が開始。
そして1944年(昭和19年)には戦時の県内交通統合によって
水浜電車、茨城鉄道と湊鉄道が統合。茨城交通湊線となります。

国鉄水戸駅までの直通運転は1963年(昭和38年)で休止となったものの、
1969年(昭和44年)には阿字ヶ浦海水浴場へのレジャー客を見込んで
上野駅━阿字ヶ浦駅間を運行する臨時列車、6両編成の急行あじがうら号が設定されます。
この海水浴臨時列車はその後の海水浴ブームの終焉とともに
快速、普通列車へと格下げされた後に1992年(平成2年)に運行を終了。
このあじがうら号の運行があった為、
湊線の昔からの駅のホーム有効長は6両編成に耐える長さとなっています。


2005年(平成17年)に茨城交通が地元自治体のひたちなか市に対して
赤字の湊線を2008年(平成20年)3月で廃線にしたい旨を表明。
茨城県、ひたちなか市、茨城交通の協議によって第三セクター化が合意されて
2008年(平成20年)4月1日よりひたちなか海浜鉄道へと移管されます。

赤字によって廃止寸前だったローカル鉄道の湊線ですが、
その後堅実な施策によって収支は持ち直して黒字化。
現在は終点の阿字ヶ浦駅から国営ひたち海浜公園までの3.1kmの延伸計画が進むなど
異例の回復振りから「奇跡のローカル線」と呼ばれるまでになりました。

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こちらは那珂湊駅の駅舎の外観となります。
建物は修理などの手は入っているものの開業以来のものという事ですから
築100年以上を経ている建物ということになります。
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駅前にはご覧のロータリーがあります。
時計回りに通行する広場の中央にはタクシーの待機スペースもあります。
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駅前広場の南側には隣接して県道6号水戸那珂湊線が走っており、
目の前は那珂湊駅前という信号となっています。
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県道から駅前広場への入口にある案内板。
イデオグラム(表意文字)をつかったデザインが特徴的です。
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駅舎の東側の目の前にある那珂湊の観光案内地図です。
那珂湊の街中の各所でも同じデザインの案内を見ることができますが、
これはひたちなか海浜鉄道の駅名標をデザインしたデザイナーの
小佐原孝幸氏の手によるもの
です。
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観光案内図の脇にある白いポスト。
今では都会では見かけないかなりローカルなアイテムとなりました。
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一旦駅舎の入口の前へ。
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駅舎の入口を挟んで観光案内版の反対の西側を見ると
バスの待合所が駅舎内に併設されています。
ベンチの置かれた待合室は外からはもちろん、
駅舎の中からも出入りができるようになっています。
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バス待合所のさらに西側の隣はご覧の茨城交通那珂湊営業所があります。
かつては飲食店や弁当屋がテナントとして入居していた場所なのだそうですが、
現在ではかつて湊線を運行していた茨城交通が入っています。
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茨城交通の営業所からさらに西へと進むと
駅舎の先の線路沿いはバス駐車場となっており
茨城交通のバスが停まっているのが見えます。
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駅舎の中に入り、こちらが待合室の様子です。
木製のベンチの並んだ待合室で、
壁まわりには駅や鉄道の写真や資料が並んでいました。
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待合室の東側には券売窓口があり、自動券売機も1台設置されています。
券売機の横には1998年(平成10年)に選定された「関東の駅百選」のプレートが。
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こちらはホームへと出る改札口の様子ですが、
引き戸のガラスをよく見ると黒猫のシールが貼られていました。
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ホーム側から見た改札付近です。
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駅舎のある単式ホームの1番線です。
上り線の勝田方面行き列車の発着するホームとなります。
ホーム上の建屋の屋根も開業以来のものが生かされていますが、
広いホームは2017年(平成29年)に舗装が直されて綺麗に改修されています。
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ホーム西端にはフェンスが設けられていますが、
カットされた古いホームがそのまま残っており
改修前と改修された後のホームの違いを比べて見る事ができます。
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木造の梁と柱の上屋は、その下に入ると改めてその大きさを感じます。
ホーム上に物置として立てられたプレハブが全く邪魔になっていない事で
その広さを感じる事ができるかと思います。
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ホーム上に掛けられている旧式の駅名標。
茨城交通時代の形式のものだと思われますが、
高田の鉄橋駅ができて直されているため駅名標自体は新しくピカピカでした。
その横の名所案内は100年使っていそうな風格がありますが。
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改札口前付近となるホームの東端です。
ホームの一部が改修されてバリアフリーのスロープが作られていました。
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そのスロープの目の前、改札を入ったすぐ右手にあるのが
こちらの運転指令所です。
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指令所の前には信号機器ボックスが置かれているのですが、
こちらの下が那珂湊駅に住み着く猫の住処となって「駅猫」と呼ばれるようになりました。

2009年(平成21年)から住み着きはじめた黒猫は「おさむ」と名づけられ
「駅猫おさむ」として全国的に有名な存在になりました。
ひたちなか海浜鉄道のPRに貢献した存在でしたが、
2019年(令和元年)6月に高齢の為黒猫おさむは永眠しています。
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こちらはおさむ存命時の信号機ボックスの様子です。
指定席のサボが貼られているのが分かります。
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那珂湊駅の駅名標の「湊」の字に描かれた猫はこの「駅猫おさむ」であり、
名実ともにこの駅のシンボルのひとつであった事が分かります。

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改札から運転指令所の目の前にはこちらの構内踏切があります。
駅は単式ホームと島式ホームの2面がありますが、
こちらの構内踏切でお互いを連絡しています。

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こちらのホームが島式の2、3番線ホームとなります。
2面のホームがありますが、基本的に旅客で使われているのは
駅舎と反対側の北側にある3番線のみとなります。
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2番線は普段は乗り降りには使用されておらず主に留置線としてのみ使われています。
3番線には阿字ヶ浦方面行きの下り列車が停まります。
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2番線側の線路は途中で1番線の線路へと合流しており、
構内踏切や駅舎に近い東側ではホームと線路が離れてしまっていて乗降ができません。
その為ベンチも3番線の方向にのみ向けられています。


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駅前へと戻って、目の前の県道6号線を西へ100mほど進むと信号がありますが、
交差点にはご覧の案内看板が設置されています。
案内に従って住宅地の道を進みます。
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県道から一本南へと入った住宅地の中にこちらの山上門があります。
東京の文京区にある小石川後楽園は水戸徳川家の江戸上屋敷にあった庭園ですが、
この江戸上屋敷の正門右側にあったのがこちらの山上門です。
1936年(昭和11年)に原型のままこちらに移設されました。
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門の中はあづまが丘公園という公園となっており、
門から階段で公園内の丘を登ると上が広場となっています。
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そしてこの広場にあるのがこちらの那珂湊反射炉です。
幕末に日本近海に頻繁に外国船が現れるようになって
沿岸の警備と異国船のうち払いの為に高性能の大砲の鋳造が求められました。
その為、鉄製の大砲鋳造を目的とした大型の金属溶解炉が全国に十数か所作られましたが
この反射炉はそのうちの一つとなります。
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水戸藩主徳川斉昭の命で作られ1857年(安政4年)に完成した洋式高炉では
モルチール砲やカノン砲が鋳造され実際に配備もされました。
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那珂湊駅の駅名標の「那」の字に描かれているのは
この那珂湊反射炉
であり、幕末の水戸藩の史跡の一つでもあります。
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駅から反射炉までの地図。

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駅名標のモチーフについて「那」と「湊」については紹介しましたが、
残る「珂」の字に描かれている鉄道車両はこちらのケハ601となります。

1960年(昭和35年)に新潟鐵工所で試験的に作られた日本初のステンレス製気動車であり、
茨城交通が購入して海に近い湊線で実際に運用された車両です。
1992年(平成4年)に廃車となった後は台車が外されて那珂湊機関区に留置。
錆びない車体は倉庫として利用され、近年はギャラリーとしても利用されています。

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また駅前から県道6号線を東へと800mほど進むと那珂湊漁港があります。
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観光案内地図での駅から港まで。
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この那珂湊漁港は那珂湊駅近辺で随一の人気観光スポットでもあり、
港で水揚げされた新鮮な魚貝をなかみなとお魚市場で購入したり
取れたての魚を食べる事も可能となっています。



■モデル車両: ひたちなか海浜鉄道 キハ20形 205
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国鉄キハ20系の気動車は、国鉄が1957年(昭和32年)に開発した一般形気動車です。
10系客車のノウハウを踏まえ、それまでのキハ10系気動車よりも車体を大型化。
平坦用がキハ20形、寒冷地用がキハ22形で1エンジン車、
勾配路線用がキハ52形で2エンジン車となっています。

車体のベースの色は国鉄制定色のクリーム4号    )で、
国鉄部内の慣用色名称は「小麦色」、一般的にはベージュ色と呼ばれる色となります。
また車体の裾の色は国鉄制定色の朱色4号    )で、
慣用色名称は「金赤色」と呼ばれています。
このクリーム4号と朱色4号の組み合わせは1959年(昭和34年)9月に
国鉄一般形気動車色として気動車の標準色に制定
されています。


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写真の車両は国鉄キハ20形のラストナンバー
(※この形式で最後に作られた車両)であるキハ20-522
であり、
1965年(昭和40年)9月に帝国車輛にて製造され
国鉄小牛田機関区へと配属された車両となります。

その後一ノ関、加古川、姫路と機関区を転籍した後にJR西日本へと承継され
1989年(平成元年)に姫路機関区で除籍。
翌年の1990年(平成2年)より水島臨海鉄道に譲渡されて
水島臨海鉄道キハ210へと改番されています。

1996年(平成8年)に茨城交通へと譲渡されて茨城交通キハ205と改番。
塗装も旧国鉄色へと塗り直されています。


元国鉄キハ20-522であるこの車両は、
国鉄色(  ) ━首都圏色(  ) ━加古川色(  ) ━水島臨海鉄道色(   ) ━茨城交通色(   
と車体の塗色を変えており、現在は再び国鉄色へと塗り直されています。
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こちらは2016年(平成28年)に車窓から見たキハ20-205(旧国鉄キハ20-522)です。
国鉄色の車体ですが、経年劣化でかなり色褪せてしまっているのが分かります。
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そのキハ20-205は、2019年(令和元年)6月から9月まで全般検査が行われており、
併せて車体の全面塗装が行われて塗り直されています。
見比べると同じ国鉄色ながら色が鮮やかになっているのが分かります。
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この車両をモチーフとしている駅メモのでんこ那珂湊ねもの衣装は
ご覧の通り国鉄色が用いられているのが分かります。
ロングブーツについている丸いものは前面の赤色灯だと思われます。
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また那珂湊ねもの首のペンダントはヘッドライト(前照灯)と同じ形であり、
イヤーガードは前照灯の脇にあるタイフォン(警笛)がモチーフとなっています。
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そして那珂湊ねもの上着の裏地は花柄となっています。
湊線の終点の阿字ヶ浦駅から北に4kmほどにある国営ひたち海浜公園では
毎年4月中旬から5月上旬ころが見ごろのネモフィラが一面に咲き誇り
絶景として有名となっています。
上着の裏地の花柄は国営ひたち公園のネモフィラがモチーフであると思われ、
那珂湊ねもの名前の「ねも」はこのネモフィラが由来だと考えられています。


ねも28
キハ20系の基本形式であるキハ20形は暖地向けの両運転台車両であり
エンジンは1基を搭載している形となります。
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国鉄時代に合計で409両が製造されたキハ20形ですが、

①1957年(昭和32年)製造の初期形のバス窓車(1~103)
②1958年(昭和33年)から1962年(昭和37年)製造である
 室内が白熱灯である二段上昇窓車(201~484)
③1963年(昭和38年)から1965年(昭和40年)製造の
 二段上昇窓で室内蛍光灯車(501~522)


と大きく3種類に分類ができます。
ひたちなか海浜鉄道のキハ20-205は国鉄時代のキハ20-522ですから
③の二段階上昇窓で蛍光灯の車両ということになります。
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基本的にキハ20形には車内にトイレが設置されていましたが、
キハ20-522は1990年(平成2年)に水島臨海鉄道キハ210となった際に
トイレが撤去されて座席が設置
され、併せて冷房化工事が行われています。

そして1996年(平成8年)1月28日に茨城交通へと譲渡され入線
茨城交通キハ205と改番されます。
これは当時の茨城交通が「性能が安定し長寿命で故障が少ない」として
日本全国からキハ20系気動車をかき集めていた一環であり、
湊線はさながら全国の鉄道車両の動態保存場と化していました。
そしてこの車両をモチーフとする那珂湊ねもの誕生日が1月28日に設定されていますが、
これはキハ205の湊線への入線日が元ネタとなっていると考えて良いでしょう。

入線後から7ヶ月後の1996年(平成8年)8月にはキハ205にワンマン化工事が実施。
ワンマン運転に必要な機器類が車内に設置されました。
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車内の様子です。
客室内の中央部の座席はボックスシートとなります。
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乗降扉付近の車端部の座席はロングシートとなっています。
かつては車端部もボックスシートだった様子ですが、
トイレの撤去やワンマン設備の設置によってロングシート座席に改修された様です。
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水島臨海鉄道時代に撤去されたトイレがあった付近。
運転台の右後ろの助手席真後ろあたりにかつてトイレがありました。
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こちらが運転台の様子です。
車両の前後両方に運転台のある両運転台と呼ばれる形式で、
かつては客室と運転台の間には壁と扉がありました。
ねも38
通路上の天井には扇風機が。
そして水島臨海鉄道時代に増設されたデンソー製の冷房があるのが見えます。
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ボックスシートは中央のシートのみ背もたれが分厚くなっているのが分かりますが、
これは壁にエンジンからの排煙ダクトが通っている為です。
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運転席後ろの壁に貼られていたキハ205の車両の生い立ち。

【写真撮影:2019年11月】

でんこの元ネタ
■No.77 リト=フォン=シュトゥットガルト(Reto von Stuttgart)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:4月12日

■出身駅: ドイツ鉄道(DB) シュトゥットガルト中央駅(ドイツ)
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リト03
シュトゥットガルト(Stuttgart)はドイツ連邦共和国の都市で、
バーデン=ヴュルテンベルク州の州都でもあります。
メルセデス・ベンツで有名なダイムラーやポルシェといった自動車メーカー、
電動工具で有名なボッシュといった世界的メーカーが本社を置いており
ドイツを代表する工業都市となっています。


ドイツの鉄道は旧西ドイツ国鉄(Deutsche Bundesbahn:ドイツ連邦鉄道)と
旧東ドイツ国鉄(Deutsche Reichsbahn:ドイツ国有鉄道)が1994年(平成6年)に統合された
ドイツ鉄道(Deutsche Bahn)となりました。


シュトゥットガルト中央駅(Stuttgart-Hauptbahnhof)
ドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州の州都である
シュトゥットガルト市の中心駅です。

haupt(ハウプト)は「中央の」、bahn(バーン)が「鉄道」、
hof(ホフ)が「大きな建物」の意味だそうで
合わせてHauptbahnhof(ハウプトバーンホフ)で「中央駅」という意味となります。
またドイツ鉄道では駅が規模によってカテゴリー1から7までに分けられていますが、
シュトゥットガルト中央駅はドイツに21駅しか無い最上位のカテゴリー1に属しています


ドイツ連邦時代の1845年にヴュルテンベルク中央鉄道の駅として、
路線の開通と共に最初のシュトゥットガルト駅が開業をしています。

鉄道の交通量増加によって1860年代には駅の改修が行われた様子ですが、
さらに次々と鉄道路線が乗り入れ20世紀初頭には交通量のキャパシティは限界に達します。
ヴュルテンベルク州立鉄道が現在の位置に新しい中央駅の建設を計画。
ドイツが共和制となり鉄道もドイツ国営鉄道となった1922年10月に
現在のシュトゥットガルト中央駅が開業
しました。
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こちらが駅舎の外観です。この場所での駅の開業は1922年(大正11年)ですが、
駅舎が全て完成したのは1928年(昭和3年)となります。
建築家パウル・ボーナツ(Paul Bonatz)の設計による駅舎は
新しいキュービズムの様式で作られた重量感のある巨大な建物となっています。
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この駅舎でひときわ目を引くのがこちらのステーションタワーです。
高さ56mのタワーはシュツットガルトのランドマークであり、
駅周辺にこのタワーより高い建物はありません。

そしてタワーの頂点にはメルセデスベンツのロゴマークである
巨大なスリーポインテッド・スターが回転をしています。
これは1952年(昭和27年)に取り付けられたもので、
広告収入は大戦後の駅再建の費用に充てられたそうです。
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駅は東西に広がる駅舎の北側に、頭端式に8つの島式ホームが並んでおり
合計で16線のホームが横一列に並んでいます。
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こちらはホームを俯瞰で見たものです。
シュツットガルトという都市は東西と南側の三方を山に囲まれた盆地なので
鉄道は全て開けた北側からシュツットガルトへと入ってきます。
新幹線にあたるICE、特急にあたるIC、
そして普通列車のホームがが横一列に並ぶ姿は圧巻です。
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またシュツットガルトではドイツ鉄道の近郊をつなぐ普通電車網として
Sバーン(S-Bahn Stuttgart)という都市近郊鉄道が整備されており、
1978年(昭和53年)の中央駅地下線開通によってまず3路線が開業しています。

その後Sバーンは順次延伸や新規開業がされており、
現在では7系統がシュツットガルト中央駅へと乗り入れ
総延長距離は215 kmとなっています。

リト07
そしてこちらはシュツットガルトのシュタッドバーン(Stadtbahn)のホームです。
元々は1868年(明治元年)に起源を持つシュツットガルトの路面電車は
近代化の要望によって1966年(昭和41年)には
メーリンゲン(Möhringen)━ファイインゲン(Vaihingen)間が地下化。
以後路線の地下化や狭軌だった市電の標準軌化がされてライトレール化が行われ
シュタッドバーン網が構築されていきます。


尚、現在シュツットガルト中央駅では「Stuttgart 21」という
駅と周辺の大改修プロジェクトが行われています。
これは南北に線路が走る頭端駅の終着駅である中央駅を、
線路を付け替えて東西に列車が通過できる構造へと改修することで利便性を高めるという工事です。
しかし2010年(平成22年)に始まった工事は遅々として進んでおらず、
運用開始は今のところ2025年(令和7年)と予定されていますが
期間内に完工するのは難しいというのがもっぱらの見方です。


リト09
こちらはJR西日本の北陸本線福井駅西口の光景です。
リト10
西口広場には福井鉄道の路面電車が乗り入れており、
広場の西側にはご覧の福井駅停留場が設けられています。

駅メモで2019年(令和元年)11月に行われた
「でんこと全国各地の駅におでかけしようキャンペーン~アンコール~」では
福井駅停留場がチェックポイントとして設定
されており、
駅メモのでんこであるリトのゆかりの駅とされています。



■モデル車両: 福井鉄道 F10形電車 RETRAM(レトラム)
リト11


レトラムは元々は坂道の多いシュトゥットガルト向けの車両として
ドイツのエスリンゲン機械製造所(Maschinenfabrik Esslingen)が製造をした車両です。

シュツットガルトの路面電車は
その名もシュトゥットガルト路面電車(Stuttgarter Straßenbahnen AG)が運行しており、
SSBと略されます。
また車両は4本の車軸を有する路面電車(Gelenktriebwagen 4-achsig)であり、
この連接式路面電車はSSB GT4と呼ばれています。
日本風に記すとシュトゥットガルト路面電車GT4形電車、といったところでしょうか。


SSB DT4の最初の編成は1959年(昭和34年)に営業運転を開始しており、
1965年(昭和40年)までに350編成が投入されています。
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【上写真:シュツットガルトを走るSSB DT4】
シュツットガルトの路面電車では終点にループ線を設けており、
電車はループを回って方向転換をします。
その為運転台はパンタグラフのある前部の車両にのみ設けられていて、
また乗降の扉も片側にのみ作られています。

シュトゥットガルトの路面電車はその路線網の殆どを1000mm軌間の
いわゆるメーターゲージで作られていたので、
当然ながらSSB DT4電車も1000mm軌間で作られていました。

しかしシュツットガルトの路面電車は
1989年(平成元年)からの専用軌道化および標準軌(1435mm)への改軌が行われ
シュタッドバーンとしてライトレール化
が成されます。
メーターゲージで車体の小さいSSB DT4形はその輸送力不足もあいまって
徐々に大型車両のDT8形と入れ替わっていきます。

こうして老朽化も進んだSSB DT4形は2007年(平成19年)に全車両が引退。
シュツットガルトの街から姿を消し、一部電車は他の都市へと譲渡されていきました。


日本の高知県の路面電車を運行する土佐電気鉄道では、
1989年(平成元年)に開業85周年を迎えた記念事業として
「世界の路面電車を自社線で走らせる」事を企画
します。
その第一弾として輸入されたのが西ドイツ(当時)のSSB DT4形でした。

終点が折り返しとなっている土佐電ではシュツットガルトを走っていた状態、
片側運転台で片側乗降扉では運行できない事から
1964年(昭和39年)製の714と1965年(昭和40年)製の735の
それぞれ運転台側の車両を組み合わせて一つのユニットに組み直し
ています。
この時に軌間も1000mmから土佐電の1067mmへと直されています。

こうしてSSB DT4電車は土佐電気鉄道735形電車として
1990年(平成2年)から運行を開始したものの、
市民には日本の車両のアンパンマン電車の方が人気という皮肉な結果となります。
独特な構造から故障も多く、また土佐電で新型車両が導入されていった事もあって
735形は2005年(平成17年)を最後に車庫で休車状態となっていました。


そして福井県の福井鉄道が観光資源としてのイベント車両として
土佐電で眠っている735形に着目。
2013年(平成25年)に福井県の予算で購入されて整備が行われ、
車両の形式名がF10形へと改められています。
リト13
【上写真:福井鉄道F1000形「FUKURAM」 】
併せてこのシュツットガルト出身の車両の愛称も2014年(平成26年)2月下旬より市民に公募。
福井鉄道が導入を進めていた次世代型低床車両「FUKURAM(フクラム)」とレトロ(retro)を組み合わせた
「RETRAM(レトラム)」の愛称が付けられています。

レトラムの福井鉄道での営業運転開始は2014年(平成26年)4月12日で、
福井駅前━田原町間の運行が福井鉄道でのスタートでした。
駅メモのでんこであるリト=フォン=シュトゥットガルトの誕生日が4月12日に設定されていますが、
これはレトラムの福井鉄道での運行開始日が元ネタと考えて良い
でしょう。

リト14
では改めて福井鉄道 F10形電車 RETRAM(レトラム)について見て行きたいと思います。

まずは福井駅停留場から出発をしていくレトラムの光景です。
【上動画はクリックで再生できます】
リト15
こちらはレトラムの前面部の様子です。
リトの服のお腹の飾りと前照灯を並べて比較して見ると
モチーフにしているのがよく分かります。
車体のSSBのロゴはシュトゥットガルト路面電車(Stuttgarter Straßenbahnen AG)のものです。
リト17
前面部の脇に描かれているドイツ国旗はシュツットガルトから土佐電気鉄道へと
譲渡された際に描かれたものと思われます。
土佐電時代の国旗と比べると若干大きくなっていますが、
これは福井鉄道が譲り受けた際に書き直されたものと思われます。
また、リトの頭のリボンがドイツ国旗カラーなのはこの国旗がモチーフと思われます。
リト16
車体に比べて大きなパンタグラフは下の根元が太くなっているタイプです。
キャラと比べると忠実にモチーフにしているのが分かります。
リト18
車内はご覧の様にクロスシート座席となっています。
ドイツ時代は片面にしか扉の無い構造でしたので、
扉のある側が一人用、窓側が二人掛けのシートとなっています。
リト19
シートは転換式などでは無く固定式となっているので
ご覧の通り可動はしない構造となっています。
リト20
そして運転台のある車端部のみ、
運転席の真後ろにロングシートが置かれています。
リト22
車両最前列の右側にも乗降扉があり、
運転台を入口を仕切るついたて状の扉があります。
先端が細くなっている車両の運転席はご覧のように
こじんまりとしたスペースとなっています。
リト31
「乗務員用出入口」と書かれた車両前部の扉の脇のボタンです。
「Aussteigen Bitte Knopf drücken」(終了ボタンを押して下さい)とありますので
扉の開閉の手動ボタンなのでしょうか。
ボタンの上に書かれた「Ausgang in der Mitte」(途中で終了)
ちょっと何を指すのか分かりません。
リト23
運転席後部の壁には車両の番号が表示されており、
そのまわりには車両の来歴も合わせて書かれていました。
赤いプレートのドイツ語は「bitte hinten aussteigen(後ろから降車して下さい)」
リト21
車内の案内サインです。
アイスクリームのマークが飲食禁止、ローラースケート禁止などは見れば分かります。
椅子のプラスのマークはどうやら病院の意味の様子で、
日本でいう優先座席の対象者が来たら席を譲りましょうという意味の様です。
リト24
こちらの車内表示は「Schwarzfahrer」と書かれていますが、
Schwarz(シュワルツ:黒)fahren(ファーレン:乗車)で「黒い乗客」となり
無賃乗車を意味する言葉です。
欧州の列車は改札が無い代わりに車内検札が巡っており、
正規の切符が無いと問答無用で高額の罰金を徴収されます。
その為どの列車でも車内でこうした啓発広告を見かけます
リト25
上を見ると手すりにつり革が下がっています。
日本の様に取っ手が無く、革がループしているだけの文字通りのつり革です。
リト26
こちらはレトラムがドイツ時代に走っていたシュタッドバーンの路線図ですが
「Tarifzonen-Einteilung」と書かれています。
料金ゾーン(Tarifzonen)分類(Einteilung)ですのでどうやらシュタッドバーンの料金表の様です。
リト27
車内にはもう一種類、こちらの路線図もあります。
これはドイツ鉄道(DB)のものですので、接続駅からの乗り換え案内の為のものでしょう。
リト28
車両中央部の連結部付近には座席は無く、
点対称に乗降扉が配置されています。
リト29
乗降口にはご覧のステップが設けられていますが、
これは福井鉄道に譲渡された後に設置されたものだそうです。
走行時には立てて収納する為、かんぬきの留め金がついています。
乗降時にはアテンダント(車掌)が手動でかんぬきを外してステップを降ろします。
発車前にはステップにつけられたワイヤーを手繰って収めかんぬきを掛ける必要があり、
はたから見ていても車掌はなかなかの手間だと思いました。
リト30
扉の横にはご覧の行き先方向幕がありますが、
表示を変える際には車掌がハンドルを挿して手動で回転させていました。

リト32
福井鉄道に譲渡される前には土佐電気鉄道で10年近く休車状態だったレトラム。
元々車両自体も50年以上前に製造されたものであるだけに、
福井鉄道での運行当初は故障が頻発していたそうです。

営業運転開始直前の2014年(平成26年)3月29日にはレトラムの披露式が行われましたが、
肝心のレトラムは配電設備の不具合で車庫を出て数十メートルで故障による停止。
披露式の会場までたどり着けませんでした
リト33
営業運転が開始された4月12日以降も
空気調整弁の劣化が原因でブレーキが解除できなかったり
ドアが開きにくくなったりするトラブルが続発。
春季運行を当初の予定よりも2週間早く打ち切る事を余儀なくされました。

国産では無い古い外国製車両の為、部品の調達や整備などでかなり苦戦を強いられた様子で、
リトの足に絆創膏がいくつも貼られているのは度重なる故障を表現していると考えられています。

なお近年ではさすがに日本の鉄道会社だけに、
整備のノウハウを得て運休も無く安定した運行が可能となっている様です。

【写真撮影:2019年10月】

でんこの元ネタ
■EX No.16 天台ヤコ(Tendai Yako)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:6月12日

■出身駅: 千葉都市モノレール 2号線 天台駅(千葉)
ヤコ01


ヤコ02
こちらは千葉都市モノレール2号線の天台駅の駅舎外観です。
高架駅となっており、国道126号線の真上を軌道が走っていて
駅舎も国道の上に設置されています。
ヤコ03
モノレールという特性から道路の上空に駅が作られており
駅前広場といったものは無く、代わりに駅付近の歩道が広めに作られています。
こちらは駅舎の西側の歩道付近の光景です。
ヤコ04
駅の跨道橋へと上る西側の階段付近です。
階段の下を利用して市営の駐輪場があります。
ヤコ05
南側から見た天台駅の駅舎外観です。
ヤコ06
駅から国道を100mほど南に進むと信号があり横断歩道があります。
ヤコ07
国道を渡って反対側の駅東側の歩道の光景です。
スーパーに面した歩道にはこちらも駐輪スペースが設けられています。
跨道橋の東側階段も。
ヤコ08
階段の裏手にエレベーターがあるのも西側と同様です。
ヤコ09
駅の北側は70mほどで天台駅交差点の信号があります。
ヤコ15
北側を駅ホームから俯瞰で。

ヤコ10
階段を上り駅の東西を連絡している跨道橋の中の様子です。
ヤコ11
西側階段の上付近の様子。
ヤコ12
こちらは東側の階段付近です。
ヤコ13
改札の正面には駅出口の案内看板がありますが、
大学の最寄駅であること以外これといった施設は記されていません。
ヤコ14
改札付近の光景です。
ヤコ16
こちらは改札内の光景。
駅は相対式ホーム2面2線となっているので
改札内でコンコースが両方のホームへと連絡しています。

ヤコ17
駅の南側にある1番線ホームの様子です。
下り千城台方面行きのホームとなります。
ヤコ18
ホームには階段の他には、中央付近にベンチが多少置かれているのみとなっています。
懸垂式モノレールですので軌道は上にあり、列車の通る場所はコンクリートの土間となっています。
ヤコ19
中央付近にはエレベーターがありバリアフリーにも対応しています。
ヤコ20
駅は相対式ホーム2面2線となっています。

ヤコ21
こちらは北側の2番線ホームです。
千葉駅方面への上り線ホームとなります。
ヤコ22
1番線と構造的にはほぼ同じで
中央付近にベンチとエレベーターがあります。
ヤコ23
1991年(平成3年)に路線と共に開業した駅で30年ほと経っていますが
建物にはさほどの古さは感じません。

ヤコ24
駅を出ると、南側100mほどに信号があるのは先に述べた通りですが、
その信号の目の前東側には作草部公園という公園があります。
ヤコ25
公園の中に入るとご覧の通り、遊具が置かれグランドが整備されています。
ヤコ26
その公園の東の端に建っているのがこちらの「平和の礎」という石碑です。
下には「陸軍歩兵学校之跡」と刻まれており、この場所がかつては
1912年(大正元年)に置かれた陸軍歩兵学校の跡地
であることを示しています。
ヤコ27
公園の東側にはご覧の児童相談所、私立保育園、千葉少年鑑別所などがありますが、
天台駅の東側一帯がかつての陸軍歩兵学校の敷地だったそうで
かなりの広さがあった様子です。
ヤコ28
作草部公園の南側の市道を東へと進むと、
公園から続く土塁が次第に高くなっていきます。
ヤコ29
この土塁はかつての歩兵学校の外壁の跡なのだそうですが、
公園から100mほどの場所に歩兵学校の正門跡の煉瓦が残っています
ヤコ30
そして正門跡からさらに120mほど東に進むと
信号のある交差点へとたどり着くのですが、
この交差点から独特の形の建物が見えます。
ヤコ31
この建物はかつての陸軍気球連隊の第二格納庫であり、
当時の建物がそのまま現存して残っています。
現在では民間の倉庫会社の倉庫となっています。
ヤコ32
倉庫前の信号の交差点に残っている
陸軍用地を示す境界杭です。
ヤコ33
天台駅の東側一帯は陸軍歩兵学校の敷地でしたが、
国道の反対側の西側はかつての陸軍兵器補給廠の跡地です。
またモノレールの西側はほぼ同一ルートを併走するように
軍用鉄道の廃線跡となっています。
この通り天台駅一帯はかつての陸軍施設が置かれていた場所なのです。

また天台という地名は1951年(昭和26年)に千葉市が天台町として設定したものですが、
名前の由来は明治天皇が陸軍の演習を統監された場所を天覧台と称した事に拠ります。



■モデル車両: 千葉都市モノレール 軌道作業車
ヤコ34


千葉都市モノレールはサフェージュ式懸垂式モノレールを運行していて
1988年(昭和63年)に開業した、千葉市を主体とした
第三セクターのモノレール鉄道事業者です。
ヤコ35
日中に旅客営業をしているモノレールの軌道保守の為に
終電後から始発までの間に保守点検作業を行う専用の工作車が軌道作業車となります。
ヤコ36
軌道作業車の車体の後部には「ニチユ」のロゴが入っています。
これは車両を製造したメーカーのロゴで、
現在の三菱ロジスネクストである日本輸送機の商標となります。

日本輸送機は総合物流システム企業で
蓄電池を電源とした各種の運搬車両を製造し実績を上げてきた会社です。
1939年(昭和14年)にバッテリーフォークリフト、
1958年(昭和33年)にはリーチフォーク(プラッター)を
日本で初めて作ったパイオニアメーカーでもあります。

鉄道の分野ではバッテリー機関車の製造を古くから手がけており、
車両基地での入れ替え用の機関車や、鉱山や工場などの専用線での機関車などで
多くの車両が活躍をしてきました。

(上動画はクリックにて再生可能です)
こちらは千葉都市モノレールの軌道作業車が実際に走行する映像です。
ニチユが得意とするバッテリーで走行しているのが音で分かると思います。
ヤコ37
千葉都市モノレールには4両の軌道作業車があり
それぞれ作01から作04の車両番号がつけられています
このうち作01~03までは同じ自走できる作業車で、
昇降機のある作04のみが動力が無く自走ができません。

(上動画はクリックにて再生可能です)
こちらは作04を使った点検作業の実演の様子です。
ヤコ38
作04は建築現場などで使われる高所作業車と同様の
シザース式(はさみ状に交差する支持脚を組み合わせ昇降)リフトとなっており、
横に張り出した作業プラットフォーム(かご)が垂直に昇降して作業ができます。

ヤコ39
こちらは千葉都市モノレール2号線の動物公園駅のすぐ南側にある
萩台車両基地です。検収庫の他に変電所や千葉都市モノレールの本社があります。
ヤコ40
本線と出入庫線で繋がった車両基地内には軌道作業車の車庫も置かれており、
作業の無い日中はこちらの車庫に作業車は置かれています。

ヤコ41
こちらは千葉都市モノレール1号線の県庁前駅の駅構内です。
相対式2面2線のホームを持つ駅ですが、
終点駅で列車は折り返し運転行う為、旅客営業では1番線のみを使用しています。
ヤコ42
そして空いている2番線は保線用車両の留置線などとして用いられており、
営業時間中にはご覧の様に軌道作業車が留置されていることがあります。

軌道作業車はモノレール軌道の点検行っている車両ですが、
実際に作業が行われるのは終電から始発までの夜間となります。

線路を走る電車に、走行に必要な電力を供給することを「き電」と言いますが
終電後には軌道へのき電の電力を落としている為、
軌道作業車は蓄電池(バッテリー)を搭載して走行の電力を得ています
ニチユでは他のモノレール事業者にも同様のバッテリー軌道作業車を供給していますが
その走行速度はおおむね25km/hから30km/h弱となっています。
ヤコ43
千葉都市モノレールの営業距離は15.2kmであり、
終電は0時30分ごろ、始発は5時30分ごろで列車の休止時間が5時間ほどとなります。
夜間の運行休止中に作業をする為、作業場所や作業内容によっては
車両基地に始発の時間までに作業車が戻れない場合もあり、
その為の留置線として終点の県庁前駅の2番線が用いられている訳です。
ヤコ44
この軌道者業車をモチーフとしたでんこの
天台ヤコの誕生日は6月12日に設定されていますが、
これは既に開業していた千葉都市モノレール2号線が
千葉駅━スポーツセンター駅間で延伸開業した日付
です。

また名前の「ヤコ」は、モチーフの軌道作業車の活動時間が夜であることから
「夜行性」の「ヤコ」ではないかと考えられています。
また千葉都市モノレールには「チコ」「マコ」というでんこが居るので
名前の語呂を合わせたのではないかとも推測
されますが公式の発表はありません。

【写真撮影:2019年10月】

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