でんこの元ネタ

でんこの元ネタ
■No.64 角館あけひ(Kakunodate Akehi)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:3月16日

■出身駅: JR東日本 田沢湖線 角館駅(秋田)
あけひ01


あけひ23
こちらはJR東日本の田沢湖線の角館駅の駅舎の外観です。
駅は1921年(大正10年)に生保内軽便線として開業。
国鉄生保内線となり、1966年(昭和41年)に田沢湖線へと編入されました。

1970年(昭和45年)には国鉄角館線(秋田内陸南線→秋田内陸線)が開業して乗換駅となり、
新在直通運転による秋田新幹線開業によって1997年(平成9年)に新幹線停車駅となりました。
あけひ43
こちらは角館駅の列車時刻表です。
在来線の田沢湖線が上下7本づつなのに対して
秋田新幹線は上下線ともに15本が停車をしています。(註:2019年3月改正ダイヤにて)
あけひ05
入口の脇には「東北の駅百選」の選定駅であることを示すプレートが。
「小京都にふさわしく武家屋敷風の入母屋式薬医門を形どった駅」として
2002年(平成14年)に選出されています。
現在のこの武家屋敷風の駅舎は1976年(昭和51年)に改築されたものです。
あけひ24
駅前のロータリーの様子です。
駅の出入口は武家屋敷群などがある北西側にのみ設置されています。
外周部が車寄せへとロータリー部分となっており、
中央部の島には駐車スペースとタクシーの車寄せが設けられています。
あけひ25
駅舎とロータリーの間には平板タイルとインターロッキングで舗装された
歩行者の通行帯があり、その広さから歩行者用の駅前広場として機能しています あけひ27
駅舎の入り口前には風除けのパーテションが立てられており、
その内側にガラスの自動扉と観音扉が設けられています。
あけひ28
改札前の様子です。
通路状の部屋に券売窓口と券売機が設置されており、
反対側には待合室へのガラス扉があります。
あけひ29
ホーム側から見た改札付近。
昔ながらのスチール製の改札ラッチがあります。
あけひ30
この駅の改札には、新幹線停車駅となったことで
モバイルSuicaに対応する為に簡易型Suica改札機が設置されています。
改札機に「モバイル用」と貼り紙がしてありますが、
これは秋田県内では全駅がICカード未対応の為で、
使えるのは新幹線駅でのモバイルSuicaのみだからでしょう。
あけひ31
こちらがホームの様子です。
JR東日本のホームは単式1面1線と島式1面2線の計2面3線となります。
写真は駅舎のある単式の1番線ホームです。
あけひ32
1番線ホームは上り線用のホームとなり、
秋田新幹線の上り盛岡・東京方面行きと
在来線の田沢湖線の上り盛岡方面行きが停まります。
あけひ33
1番線ホームの北側には秋田内陸縦貫鉄道の線路とホームや車庫が。
あけひ34
元々国鉄角館線だった秋田内陸縦貫鉄道のホームは
1番線ホームの切り欠きホームとなっており、
仕切りのフェンスには臨時で使用できる入り口が設けられています。
あけひ35
武家屋敷をイメージした駅舎と接している1番線は
ホーム上にも数々の武家屋敷風オブジェが飾られています。
あけひ36
1番線の南端にはご覧の跨線橋の階段があり
島式の2、3番線へと連絡しています。
あけひ37
跨線橋の中の様子です。
あけひ38
島式の2、3番線ホームの様子です。
あけひ40
駅舎側の北側が2番線で秋田新幹線と田沢湖線の下り大曲方面行きホームとなります。
南側の3番線ホームは田沢湖線のみが使用しており、当駅始発の列車が上下線共に使用しています。
あけひ41
ですので新幹線の使う2番線ホームは3番線よりも有効長が長く作られています。
あけひ39
ホーム中ほどの待合室です。
上屋の屋根は鉄骨鉄製の近代的な屋根ですが、
待合室は駅舎の雰囲気に合わせて木製の外装で作られています。
あけひ42
またこちらのホームは跨線橋の階段裏まで2番線が延びており
設置されているエレベーターもこちらから乗る事ができます。

あけひ44
駅舎の前へと戻り、右手の北側を見ると
秋田内陸縦貫鉄道の建物があります。
あけひ45
こちらが秋田内陸線の角館駅の駅舎となります。
あけひ46
駅舎の入り口の両脇には狛犬のごとく置かれたなんかト○ロっぽい木彫りが。
あけひ47
こちらの建物は待合室となっており、
木製のテーブルや椅子、そしてだるまストーブなどが置かれていました。
あけひ48
待合室の横にはご覧の扉で囲まれて風除室のようになっている連絡通路があり、
コインロッカーのスペースとなっていました。
この部屋を抜けると秋田内陸線の券売窓口と改札のある部屋があります。
あけひ49
こちらが改札のある部屋です。
北側には券売窓口があり、その隣にはグッズ売り場となっている窓口があります。
ベンチがいくつか置かれており、その奥にホームへと出る出入口があります。
あけひ50
JRの駅舎から見ると北側の、出口を出た右手に
ご覧の屋根のついた連絡通路があります。
あけひ51
この通路のつきあたりにも駅舎の入り口があり、
秋田内陸線の改札前へと直接入る事ができます。
あけひ52
改札から、駅構内の改札前付近の様子です。
ホームは頭端式となっており、車止めの南側が柵で囲われたスペースとなっています。
ご覧の様にホーム端に柵が設けられていて、列車改札はこちらで行われます。
あけひ53
こちらが秋田内陸線の角館駅のホームの様子です。
1面1線となっており交換設備は無く、列車は折り返し運転となります。
あけひ54
ホームの出入口は南側の駅舎前のみとなっています。
またホームの西隣には秋田内陸線の車庫があります。
あけひ55
車庫へは引き上げ線が通じており、
北の鷹ノ巣方の分岐から入線することができます。
あけひ56
引き上げ線のポイント近くにある内陸線の看板。

あけひ57
内陸線の駅舎を出て、連絡通路を駅前ロータリーへと戻ります。
あけひ26
秋田内陸縦貫鉄道の角館駅の駅舎のすぐ西の隣にあるのが
こちらの「角館駅前蔵」という建物で、仙北市観光情報センターという
いわゆる駅前の観光案内所の建物です。
あけひ58
蔵を模した建物の中の案内カウンターでは、
武家屋敷までの道案内をはじめお食事処の紹介や
ホテル旅館の手配なども行っているそうで
パンフレットの置かれた館内は休憩にも利用ができます。
あけひ62
建物の南側の駅前ロータリー側にある蒸気機関車の鉄輪。
かつて生保内線(現・田沢湖線)を走っていた機関車のものだそうです。
あけひ59
角館駅前蔵と角館駅の駅舎の間の道を北に進むと
まもなくこちらの市営駐輪場の建物があります。
ご覧の通り駐輪場の建物も武家屋敷を意識した外観となっています。
あけひ60
その駐輪場の目の前、そして角館駅前蔵の裏手には
こちらの駅前バスロータリーがあります。
駅舎の前のロータリーは一般車とタクシー用となっており、
バスは北側に設置されたこちらのロータリーを使用しています。
あけひ61
バスロータリー側から見た角館駅前蔵の前の様子です。

あけひ63
JR角館駅の駅舎前へと戻り、左手の南側を見ると
駅舎に隣接してホテルフォルクローロ角館の建物があります。
元はJR東日本の社宅跡地だった場所にJR東日本のホテルグループがホテルを建設。
駅舎に合わせた武家屋敷風の外観となっています。
あけひ64
あけひ65
あけひ66
そしてこちらは交番の目の前にある、
駅前ロータリーの西側のロータリー出口付近です。
ロータリーから西の、駅正面の通りは県道257号広久内角館停車場線となります。
あけひ67
切り返して北側から駅方面を見たロータリー入り口付近。
あけひ68
その入り口の交番の並びにはご覧のタクシー会社があります。
このタクシー会社ではレンタルサイクルの貸し出しを行っており
1時間300円で自転車が借りられます。

角館駅前ではレンタルサイクルを貸し出す場所が2ヶ所ありますが、
個人的にはこちらのタクシー会社一択
だと思います。
パッと見は案内も無く古い自転車が置いてあって「大丈夫か?」と思いますが
車を扱っているだけに整備が行き届いており非常に快適です。


あけひ69
駅前ロータリーから正面の駅前通りを西に進んで行くと
500mほどで徐々に通りが商店街の様に店舗が並ぶ光景となります。
あけひ70
さらに200m、駅からは700mほど西で駅前通りは角館郵便局に突き当たります。
あけひ71
郵便局の付近は「外町」と呼ばれる地域で
商家などの並ぶかつての城下の商人町の地区です。
あけひ72
外町の休憩施設に展示されていた山車。
角館鎮守の祭礼として毎年9月に行われる角館の祭りは
「角館祭りのやま行事」として国指定重要無形民俗文化財に指定されており、
また「山・鉾・屋台行事」としてユネスコ無形文化遺産の一つにも登録されています。
あけひ73
郵便局から北西へ230mほど進むと
県道250号線の広い交差点に差し掛かります。
あけひ74
交差点の角にあるコンビニも武家屋敷風に景観を意識した外装です。
あけひ75
コンビニのある県道から北に50mほどには
併走するように東西に走る通りのような空き地があります。
これは「火除け」という商人町と武家屋敷の間に設けられた緩衝地帯であり
文字通り火災の延焼を防ぐ目的で設けられた空き地です。
あけひ76
そして火除けから北の地区が「内町」と呼ばれる武家屋敷群で、
芦名氏そして佐竹氏の城下町として家臣の住んだ一帯です。
1976年(昭和51年)には国の重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けており
角館観光の中心地区となる地域です。
あけひ77
そして武家屋敷群の北側、角館駅からは北西に1.7kmの場所にあるのが
こちらの角館城跡となります。
あけひ78
戸沢氏が築いたと言われる角館城は別名小松山城と言い、
芦名氏、佐竹氏が治めた角館城下は
現在では「みちのくの小京都」と呼ばれる観光名所となっています。

あけひ79
角館駅へと戻ってこちらはホームから見た駅の東側の様子です。
遊具のある広い緑地と駐車場があるのが見えます。
あけひ80
緑地の入口へと来てみると「角館 駅東公園」の入口看板があります。
あけひ81
この公園は国土交通省のまちづくり交付金を活用して
仙北市が「角館駅東地区整備事業」として整備し2009年(平成21年)に完成したものです。
あけひ82
市としては「各種イベント会場としての活用を念頭」に置いたそうで
緑地の広場に広い駐車場があるのもその為だと思われます。

しかしながら一応国道105号線からは200mという場所にあって
公園と国道を連絡する市道も新設されてはいますが、
東口の無い角館駅からは隣接しているにも関わらず
徒歩では最低でも20分はかかってしまうという立地
ということもあり
イベント利用はほとんど無いのが現状の様です。



■モデル車両: JR東日本 新幹線E6系電車 秋田新幹線「こまち」
あけひ02

JR東日本では1997年(平成9年)3月に
在来線である田沢湖線を狭軌(1067mm)から標準軌(1435mm)へと改軌し、
新在直通運転のミニ新幹線の運用を開始しました。
これがいわゆる秋田新幹線の開業となります。
あけひ21
(上写真:秋田新幹線E3系)
開業当時の秋田新幹線はE3系の車両が投入され運行していました。
長らくE3系が秋田新幹線では活躍をしていましたが、開業から16年が経ち
東北新幹線区間での最高速度320km/h運転を行うべく第二世代車両が開発されました。
あけひ22
こうして開発されたのがこちらのE6系の新幹線となります。
2013年(平成25年)3月16日のダイヤ改正から「スーパーこまち」として
秋田新幹線に車両が投入
されたのを皮切りにE3系からE6系への車両の置き換えが進み、
現在では盛岡━秋田の秋田新幹線区間ではE6系がメインとなって走っています。

駅メモのでんこ「角館あけひ」の誕生日が3月16日に設定されているのは
モチーフとなったE6系の秋田新幹線での営業運転開始日が元ネタ
で間違い無いでしょう。
あけひa24
E5系のデザインを手がけたのは工業デザイナーの奥山清行氏で、
フェラーリのデザインを手がけて
「イタリア人以外で初めてフェラーリをデザインした男」として話題となった人物です。

車の他に鉄道のデザインも数多く手がけており、
JR東日本の「TRAIN SUITE 四季島」や「リゾートしらかみ」、
東武鉄道の「リバティ」などが分かり易いところでしょうか。


それではE5系新幹線の各車両について個別に見て行きたいと思います。

あけひ823
まずはこちらはE611形です。
11号車として編成される車両で、東京・秋田方の先頭車両となります。
編成略記号はM1scで、M(動力車)s(グリーン車)c(制御車)ですので
動力モーターを搭載し、運転台のあるグリーン客室を持つ車両となります。
あけひ88
車体のカラーリングは、上部を茜色(    )で塗っており、
これは秋田の伝統的な竿灯まつりの提灯の明かりや、
なまはげの面をイメージしたコンセプトだそうです。

車体の下部は飛雲ホワイト(    )という薄いグレーとなっています。
これは北海道・東北新幹線のE5系の下部と同じ色となります。
そして二色の境目や車体側面にはアローシルバー(    )の帯色が入っており
この二つの色で秋田の雪の銀世界や伝統工芸の銀線細工などイメージしています。
あけひ87
また、こまちの先頭車両は「アローライン」を基にデザインされています。
矢のような形状でトンネル内での空圧の軽減や騒音対策を施しており、
結果車両先端のノーズ部分は13mという長さとなっています。
あけひ84
乗降扉は車両後方の大曲方に設けられています。
扉の脇にはグリーン車を示すマークが。
あけひ85
乗降デッキの様子です。
スーツケースなどが置ける荷物棚が設けられており、
棚の向かいの壁にはゴミ箱が置かれています。
あけひ86
客室の中の様子です。
グリーン車である11号車の座席は2+2の4列配置となっており、
4×5列に車椅子用の座席が2席あって合計22席となります。
あけひ89
東京・秋田方には運転席がありますので
客室の先にはご覧のロックされた扉があります。
グリーン車の車内は「伝統であつらえたプライベートな空間」をイメージしており、
端部の壁は楢岡焼きの釉薬「海鼠釉」をモチーフにした青(    )となっています。
あけひ90
大曲方には乗降デッキばありますので、客室とデッキを区切る自動扉があります。
最後方の2席は車椅子対応の座席となっていて、固定のベルトが付いています。


あけひ91
こちらは東京・秋田方の二両目の12号車となるE628形で、
編成略記号はTkとなります。T(付随車)k(売店設置車両)となります。
あけひ912
屋根の上には集電装置(パンタグラフ)を搭載しており、
主変圧器で変圧をして前方の動力車へと給電をしています。
あけひ93
車両の東京・秋田方に乗降扉が設けられており
車椅子対応のマークがあって間口が広く取られています。
あけひ94
中の乗降デッキの様子です。
右側の丸窓のついた扉が多目的室の入口で、
反対側の鍵のついた扉は車販準備室(略記号のkにあたる)となっています。
あけひ95
その奥に車端部には車椅子対応トイレと男性用トイレが並んでおり、
反対側には洗面台と公衆電話が設置されています。
あけひ96
車椅子対応の大型トイレの中の様子です。
あけひ97
客室内の様子です。
普通車の車内は「実り豊かな秋田の大地」をイメージしてデザインされており、
黄金色(    )の座席モケットは豊かに実った稲穂を表現、
通路は田んぼの中の一筋のあぜ道に見立てて
自然の恵みへの感動の思いを表現しているそうです。
あけひ98
座席は2+2の4列配置が8列並んでおり、車椅子対応座席の2席を加えて34席となります。
乗降デッキに近い東京・秋田方の座席が車椅子対応座席となります。
あけひa23
客室とデッキとの自動扉のガラスに描かれた稲穂。
あけひ99
大曲方の車端部は客室扉の両脇が乗務員室となっており
運行時に車掌が詰める部屋となっています。


あけひa01
東京・秋田方の三両目となる13号車のE625形0番台です。
編成略記号はM1で、モーターを搭載した中間電動車となります。
あけひa02
乗降扉は東京・秋田方の車端部にあり、
中は乗降デッキのみとなっています。
あけひa03
13号車の客室内の様子です。
普通車指定席の車両なので、黄金色の座席モケッとなのは同様です。
2+2の4列配置の座席が15列ありますので車両全体で60席となります。
あけひa04
客室内の東京・秋田方にはトランクなどの大型荷物を置く事ができる
荷物収納棚が設けられており、海外旅行客やスキー客などに対応しています。
あけひa05
大曲方の車端部には男女共用トイレ、洗面所、
そして男性用トイレが設置されており、
連結部から14号車の乗降デッキへと連絡してます。


あけひa06
こちらは14号車のE625形100番台です。
東京・秋田方からも大曲方からも四両目のちょうど中央部に位置しています。
編成略記号がM1なのは同じE625形の13号車と同様で中間電動車となります。
あけひa07
乗降扉はこの車両も東京・秋田方に設けられており、
中は乗降デッキのみで13号車のトイレ洗面スペースへと連結してます。
あけひa08
客室の中は普通車指定席の座席で、同じE625形である13号車と同様に
2+2の4列配置の座席が15列で60席となっています。
あけひa09
大曲方の車端部に共用トイレ、洗面台、男性用トイレがあるのも
13号車と同様となっています。


あけひa10
大曲方の三両目、15号車のE627形です。
編成略記号はM1でこの車両も中間電動車となっています。
あけひa11
東京・秋田方の車短部にある乗降扉から中は
乗降デッキのみとなり、14号車のトイレ洗面スペースと連結部で隣接しています。
あけひa12
こちらが客室内の様子です。
普通車指定席車両なのは他の車両と同様ですが
この車両は車端部にトイレなどの設備が無い為、
2+2の4列配置の座席が17列設置されて合計68席と
こまちの車両で一番乗客の定員が多くなっています。
あけひa13
東京・秋田方の客室端にある荷物棚。
あけひa14
反対側の大曲方は、客室の自動扉を開くと
すぐ目の前が連結部となっています。


あけひa15
大曲方の二両目となる16号車のE629形です。
編成略記号はTで中間付随車となります。
あけひa16
屋根の上にはご覧のパンタグラフが。
編成に2基あるシングルアームのパンタグラフは
走行中は1基のみが使用されます。
あけひa17
東京・秋田方に設けられた乗降扉。
中は乗降デッキのみとなっています。
あけひa18
16号車の客室内の様子です。
この車両も普通車指定席ですので座席は黄金色で、
2+2の4列配置の座席が15列設置されていますので合計で60席となります。
あけひa19
大曲方の車端部には洗面台、男性用トイレ、男女共用トイレ、
そしてカード式の公衆電話が設けられています。


あけひa20
そしてこちらが大曲方の先頭車両であるE621形です。
編成略記号はM1cでM(動力車)c(制御車)となりますので
動力モーターを搭載した運転台のある車両ということになります。
あけひa21
客室内の様子です。
17号車は普通車指定席となっており、
2+2の4列配置座席が8列並んでいて合計32席となっています。
あけひa22
大曲方の客室先端部にある、運転席へのロックされた扉。


あけひa26
E6系の車両はいわゆるミニ新幹線の車両として作られている為、
通常の新幹線車両よりも車幅が狭くなっています。
その為乗降口には乗降ステップが設けられています。

秋田新幹線の場合、ミニ規格の在来線区間である盛岡駅━秋田駅間については
ホームと列車の間に隙間が無いのでステップは収められたままの状態です。
あけひa27
ですがフル規格である東京駅━盛岡駅間では、幅の広い東北新幹線の車両が走っている為、
ミニ新幹線のE6系はどうしてもホームと列車の間に隙間が生じます。
その為ご覧の様に乗降ステップを開くことで乗り降りの安全を確保しています。

あけひa25
また駅メモのでんこ「角館あけひ」は手を繋ぐのが好きだという設定がありますが、
これは東京駅━盛岡駅間では北海道・東北新幹線のE5系「はやぶさ」との併結運転を行っている為、
連結する「こまち」と「はやぶさ」をイメージしていると思われます。


【写真撮影:2019年7月】

でんこの元ネタ
■No.22 巽レン(Tatsumi Ren)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:4月16日

■出身駅: 大阪市交通局(現・Osaka Metro) 千日前線 南巽駅(大阪府)
レン01

南巽駅のある千日前線は、元々は大阪市交通局時代の
1969年(昭和44年)4月16日に
5号線として野田阪神駅━桜川駅間が開業
したのが始まりです。
その後計画に沿って徐々に延伸していき、
1970年(昭和45年)の桜川駅━谷町九丁目駅間の開通によって
野田阪神駅━新深江駅間の10.1kmが千日前線となりました。

駅メモのでんこ「巽レン」の誕生日が4月16日に設定されているのは
5号線(千日前線)開業日が元
と見て間違い無いと思われます。

そして11年後の1981年(昭和56年)12月に新深江駅━南巽駅間の3.0kmが延伸開業。
これによって南巽駅も千日前線の終着駅として開業しました。

レン02
こちらは国道479号線の大阪内環状線の生野区巽中付近です。
1993年(平成5年)に国道へと昇格するまではこの道路は府道1号大阪内環状線でした。
レン03
その国道の東側、デイリーヤマザキ南巽駅前店と路地を挟んだ向かい隣に
こちらの南巽駅の1番出入口があります。
レン05
一方、1番出入口から国道を挟んだ反対の西側を見ると
こちらにも地上出入口があるのが分かります。
レン06
こちらが地上2番出入口となります。
レン07
1番、2番の地上出入口から国道を南へ100mほど下ると
こちらの南巽駅前交差点があります。
レン08
その南巽駅前交差点の南西角にあるのが
こちらの地上3番出入口です。
南巽駅にある地上出入口は1~3番の3つで全てとなります。
レン15
こちらは地上出入口から地下へと下った改札前付近の光景です。
国道の真下を南北に通路が通っており、その途中に改札が設けられています。
レン16
駅構内側から見た改札。
レン17
改札内の通路です。
ホーム階へは更にここから階段で下ります。
レン20
階段の途上から見たホームです。
レン18
ホームの様子です。
島式ホーム1面2線となっています。
レン19
ホームドアは2014年(平成26年)に設置されています。

レン09
そして3番出口のある南巽駅前交差点からさらに南へ110mほど下ると
ご覧の横断歩道があり、東側には「巽神社参詣道」の看板が立っています。
レン10
参詣道の道路を東へと進むとすぐに鳥居が見えてきます。
レン11
こちらが巽神社です。
1907年(明治40年)に巽村の八幡神社を主体に村内5社を合祀し巽神社となっています。
主体の八幡神社は平安時代の和名類聚抄という辞書に「河内国渋川郡五邑の氏神」とあり
1000年以上の歴史がある社のようです。
レン12
境内の様子です。神社の名前の元となった
巽の地名は大阪城からみて辰巳(南東)の方角に位置するため
についたそうです。
レン13
境内に置かれた神社の由緒を記した由緒記です。
レン14
そしてこちらは巽神社の一の鳥居です。
国道から巽神社までは東に70mほどですが、
一の鳥居は国道の西側30mほどの場所にあります。
かつてはこの一の鳥居から神社の参道だったそうですが、
現在では参道が分断され国道が横切る形となっています。

レン21
こちらは府道159号平野守口線の巽小学校付近の光景です。
この道路は府道には指定されているものの、実質的には住宅地の生活道路です。
南巽駅からは北西に250mほどに位置します。
レン22
こちらは道路の脇にある「田村亦三顕彰之碑」です。
巽村発足に際して名前を決めて役場を立ち上げた人物だそうです。
レン23
その顕彰碑のある児童公園です。
レン24
公園には史跡の由緒を案内する看板が立っていました。
この場所にかつての巽村の役場があったそうです。
レン25
看板をアップで。


ところで2018年(平成30年)の11月1日から12月31日まで行われた
駅メモのイベント「でんこと全国各地の駅におでかけしよう」では
実質的にでんこの名前の由来駅がイベントチェックポイントとなっていました。

そして巽レンのチェックポイントは北巽駅か南巽駅のどちらかとなっていました
つまりこのでんこの名前由来駅は「北巽駅と南巽駅の両方」であると
事実上公式にアナウンスされたに等しい
ということになります。
レン29
こちらの地図は南巽駅のコンコースにある、駅周辺の史跡の案内図ですが、
北巽駅と南巽駅のそもそもの名前の由来である巽村の中心部は南巽駅周辺であり、
実際に巽神社や巽村役場跡なども南巽駅周辺にあります。

ですので個人的には「巽レンの実家駅は南巽駅」だと思うのですが、
オフィシャルが北巽駅と南巽駅を並列に扱っている以上は
両方の駅を由来駅として扱うべき
でしょう。


というわけで、以下では北巽駅についても紹介したいと思います。
この駅も1981年(昭和56年)12月の南深江駅━南巽駅間の延伸で設置された駅ですので
南巽駅と開業日時は同一となります。
レン26
こちらは国道479号線(内環状線)と府道173号大阪八尾線の交差する
北巽駅前交差点の信号です。
南巽駅からは北へ1.1kmほどの距離の場所にあたります。
この交差点が北巽駅の北端の真上にあたる場所であり、
それぞれの角には駅の地上出入口が設けられています。
レン27
東側の角にある2番出入口です。
レン28
南の角の3番出入口。
レン30
そして西の角にある4番出入口となります。
レン31
こちらは北巽駅前交差点の北側の角にある銀行の、
その隣にある大阪シティバス(旧・大阪市営バス)の北巽バスターミナルです。
バスと地下鉄は元々ともに大阪市交通局の事業でしたので、
バスターミナルの建物に地下鉄の北巽駅の1番出入口が併設されています。
レン32
こちらがそのバスターミナル内の1番出入口です。
1~4番までの出入口は、同じ地下コンコースの北側へと通じています。

レン34
一方でこちらは北巽駅前交差点から内環状線を南へ100mほど下った付近の光景です。
ちょうど駅のホームの南端の真上に位置するこちらに
駅の5番地上出入口が設置されています。
北巽駅の地上出入口は5箇所で、南側はこの5番出入口のみとなります。
レン33
改札や券売機のある地下コンコースの様子です。
ちょうどホームの真上に概ね同じ長さで通路が設置されています。
レン35
改札内の通路の様子です。
レン36
ホームの様子です。
島式ホーム1面2線となっており、1番線が下りの南巽方面行き、
2番線が上りの野田阪神方面行きとなっています。
レン37
ホームは8両分の有効長があるものの
千日前線が4両編成で運行している為、
列車の停車しない部分には柵が設置されています。



■モデル車両: 大阪市交通局(現・Osaka Metro) 25系
レン04

大阪市営地下鉄では1984年(昭和59年)より通勤形電車として
アルミ合金製の20系を導入しました。

この20系をベースとして、車体をアルミ合金からステンレスへと変えて
1990年(平成2年)より開発導入されたのが新20系と呼ばれる車両群で、
21系(御堂筋線)、22系(谷町線)、23系(四つ橋線)、24系(中央線)、
そして25系(千日前線)の5種類の列車が運行しており、
Osaka Metroとなった現在の標準型車両となっています。


レン38
南巽方の先頭車両である1号車の2600形です。
千日前線では25600番台の列車番号が振り分けられています。
レン45
列車細別記号はTec1となり、空気圧縮機や補助電源装置などの補機を搭載している
制御車(運転台を持つ車両)です。
レン46
千日前線は第三軌条方式となっており、
電気はレール横の専用軌条から集電靴で取っていますので
屋根の上にパンタグラフは載っていません。
レン43
車両前面の左上と端部側面には新20系になって採用された、
ご覧のVVVFインバーター装置搭載を示すロゴがあります。
レン44
車内はご覧の様にロングシートとなっています。


レン39
南巽方の二両目である2号車の2100形です。
千日前線では25100番台となっています。
列車細分記号はMb1で、片方の台車に集電装置を装備する電動車となります。


レン40
こちらは野田阪神方の二両目である3号車の2300形です。
細分記号はMb2で、二両目と同じく片方の台車にのみ集電装置がある電動車です。
25系の2300形なので25300番台の数字が割り振られています。


レン41
そして野田阪神方の先頭車両である2900形です。
列車細分記号はTec2で、補機を搭載する制御車(運転台のある車両)です。
25900番台が各列車へと割り振られています。
レン42
他の車両でもそうですが元々新20系の車両の車体には
大阪市営地下鉄のマークである「マルコ」マークが描かれていました。
マルコマークは大阪市のO(オー)と高速鉄道のコを組み合わせて作られました。

しかし2018年(平成30年)に地下鉄が民営化されOsaka Metroとなり、
社章も立体的な螺旋状のM(メトロの頭文字)のマークとなったことから
マルコマークの上にOsaka Metroのマークのステッカーが貼られています

でんこの元ネタ
■No.12 有栖川もぼ(Arisugawa Mobo)
 ■タイプ:ディフェンダー
 ■誕生日:7月25日

■出身駅: 京福電気鉄道 嵐山本線 有栖川駅(京都)
もぼ01

有栖川駅は1910年(明治43年)に嵐山電車軌道の駅として開業したもので、
当初の駅名は駅所在地の「京都府葛野郡太秦村大字嵯峨野」(註:開業当時の地名)から取った
「嵯峨野駅」という名前でした。

しかし京都で嵯峨野と言えば嵐山を含む一帯を指すことから
観光客が誤って下車をしてしまう事例が多発しており、
京福電気鉄道となった後の1975年(昭和50年)に現在の有栖川駅へと改名しています。

駅名の有栖川という名の元は駅の西200mほどを流れる川の名前で、
川は嵯峨大覚寺北方の観空寺谷から流れ出て嵯峨野を南に下り桂川に注いでいます。
「有栖」とは、荒樔(あらす)荒瀬(あらせ)の意で祓(はらい)を行う場所の意があり
身体に付いた汚れを洗い清める川なのだそうです。


もぼ02
こちらは三条通の右京区嵯峨野付近です。
西大路通から葛野大路通までの区間は嵐電が併用軌道、
つまり路面電車として走っている区間ですが、
太秦天神川駅を過ぎて以西も嵐電と三条通は並走しています。
もぼ03
三条通沿いにある京都嵯峨野郵便局。
この郵便局の前に信号機と横断歩道が設置されています。
もぼ04
西側から見た嵯峨野郵便局前の信号付近の三条通の光景です。
信号のすぐ西側はT字路となっており北へと道が伸びています。
もぼ05
T字路の角の、郵便局の斜向かいにあるコンビニ。
もぼ06
そのコンビニの脇の道を北へと100mほど進むと
途中で道幅が半減した後に嵐電の踏切へと差し掛かります。
もぼ07
この踏み切りは「有栖川1号踏切」という名前で、
こちらを基点に点対称に有栖川駅のホームが千鳥式に2面2線配置をされています。
もぼ08
踏切の南側のすぐ脇に入口のあるこちらが
駅の下り線嵐山方面行きのホームとなります。

もぼ09
ホームの様子です。
駅舎はありませんがホーム上に屋根の上屋が設けられています。
もぼ10
上屋の壁に掲示されている「嵐電 界隈館」のパネルです。
嵐電の各駅には駅最寄りの名所の写真が掲げられています。
有栖川駅には南西100mほどにある斎宮神社の写真が。
斎宮とは天皇に代わって伊勢神宮に仕える皇族の御所のことで、
有栖川の辺に野宮を建てて精進潔斎したと伝わる神社だそうです。
もぼ11
屋根とベンチの上屋はホームの西寄りにあります。
もぼ12
そしてホーム入口の踏切脇にある「千代の古道」の石標です。
千代の古道とは平安時代の貴族や天皇が
北嵯峨の大覚寺への遊行の折に通った道の事で、
新古今和歌集での藤原定家や後撰和歌集の在原業平など
平安時代の多くの和歌に詠まれた道でもあります。
もぼ13
下り線ホームから見た踏切です。
ホーム同士を連絡する構内通路は無く、
こちらの踏切を渡ってお互いのホームの行き来をする事になります。
もぼ15
こちらは踏切の北側にある四条大宮方面行きの上り線ホーム。
ホーム上に屋根とベンチの上屋はありますが、下りホームに比べて
こちらの上りホームは敷地の都合幅が狭くなっています。
もぼ16
駅の踏切から北へと伸びる道の光景です。
数件の店舗が駅近くにありますが基本的に北側は住宅地となっています。
道路を境界に右側が嵯峨野神ノ木町、左が嵯峨野有栖川町となります。
もぼ18
角に掲示されていた有栖川町の町内の案内板です。
もぼ17
踏切の方向へと南へ戻り、
駅の北東の線路沿いへと入ります。
もぼ19
線路沿いの道路脇には神ノ木町の町内会の花壇が。
もぼ20
そしてこの道路の、駅の東側すぐにこちらの踏切があります。
もぼ21
住宅の狭間の路地へと通じるこの踏切は
車は当然通れない広さで歩行者か自転車でないと渡れません。



■モデル車両: 京福電気鉄道 モボ621形 621号車
もぼ22

京福電気鉄道では長らく運用されていたモボ111形などの旧型車が
置き換えの必要な時期となりました。
その為サービス向上を目指して武庫川車両工業(現・阪神車両メンテナンス)で車両が製造され
1984年(昭和59年)よりモボ501形が投入されることとなります。

しかし将来的なワンマン運転を目論んだ設計は
乗客の動線を妨げるなどの問題点が表面化することとなりました。

こうした経緯をふまえ、同じ武庫川車両工業の製造による
「新・嵐電スタイル」の車両として登場したのがモボ611形・621形・631形となります。
もぼ23
こちらの写真は上からモボ611形、621形、631形です。
パンタグラフの形がシングルアームだったりZ形パンタだったりの違いがありますが、
2分割の前面窓や前照灯の位置、前後配置の幅の広い乗降扉など
基本的な形は三つの形式の車両はどれも同じであることが分かります。

この中でモボ611形は1992年(平成4年)に、
モボ631形は1995年(平成7年)に製造されていますが、
「新・嵐電スタイル」の車両の中で最初に作られたのは
1990年(平成2年)製造のモボ621形でした。
モボ621形の車両で最初に製造されたのが621号車であり、
1990年(平成2年)7月25日が621号車の車両製造日
となっています。
駅メモのでんこ「有栖川もぼ」の誕生日が7月25日に設定されているのは
この「新・嵐電スタイル」で最初に作られたモボ621形621号車の製造日が由来
と見て間違い無いでしょう。
もぼ24
【写真引用:裏辺研究所 http://www.uraken.net/
こちらがデビュー時のモボ621形621号車の写真です。
京福電鉄の標準色であるダークアイボリー(    )と
ダークグリーン(    )のツートンカラーとなっています。

モボ621形をモチーフとしたでんこ「有栖川もぼ」の衣装も
ダークアイボリーをベースとした着物風ワンピースに、
帯や裏地、そしてギターの色がダークグリーンとなっています。
これはモボ621形の登場時の京福電鉄標準色を元にしていると思われます。
もぼ25
その後2010年(平成22年)3月には京福電鉄が嵐電開業100周年を記念して
シンボルカラーを京紫色(    )に制定します。
これによって嵐電の電車が順次京紫色へと塗り替えられていき、
モボ621形621号車も4両目の塗色変更車として2010年(平成22年)10月より
京紫色となって運用を開始しています。
もぼ26
現在も運行している京紫色のモボ621形621号車の外観です。
もぼ27
車内の様子です。乗降扉が前後配置となっており、
その間を間断無くロングシートが置かれています。
運転席後部には料金精算機が置かれており、
ワンマン運転の場合は運転士が対応をします。

【写真撮影:2018年12月】

でんこの元ネタ
■No.65 湯前ひびき(Yunomae Hibiki)
 ■タイプ:ディフェンダー
 ■誕生日:3月8日

■出身駅: くま川鉄道 湯前線 湯前駅(熊本)
ひびき01

ひびき02
こちらは国道219号の湯前町付近の光景です。
ひびき03
ご覧の交差点から南へと入ると駅前の道となります。
ひびき04
国道から駅への道を100mほど進むと駅舎が見えてきます。
ひびき05
こちらが湯前駅の駅舎の外観となります。
駅は1924年(大正13年)に当時の鉄道省が敷設した
湯前線のの終着駅として誕生しました。
駅の所属は1949年(昭和24年)に国鉄湯前線に、1987年(昭和62年)にJR湯前線となり、
第三セクター転換されて1989年(平成元年)にくま川鉄道湯前線の駅となっています。
ひびき06
切妻造りの木造平屋造りの駅舎は改修こそ行われたものの
建物自体は1924年(大正13年)の開業時のものがそのまま残っています。
ひびき11
駅前の広場の様子です。
国道から駅前ロータリーまでが赤いインターロッキングで舗装されていました。
ひびき33
ロータリーの西側に隣接してある駐輪場。
屋根がソーラーパネルになっていて太陽光発電を行っています。
ひびき07
駅舎の中の様子です。
待合のテーブルやベンチも木製となっていますが改札のラッチは金属製でした。
待合室内は「湯前ギャラリー」として観光案内の為に整備してありました。
ひびき08
その一環としてか待合室に掲示されていた湯前線の歴史年表です。
(画像クリックで拡大します
ひびき09
ホーム側から見た駅舎改札付近の様子。
ひびき10
改札脇にはご覧の国指定登録有形文化財のプレートがあります。
この駅舎は2014年(平成26年)12月19日づけで
「くま川鉄道湯前駅本屋」として文化庁の文化財指定
を受けています。
参考
文化財オンライン「くま川鉄道湯前駅本屋」
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/211267
ひびき34
改札前のホームの軒の柱にある「賽の鐘」と「潮の鐘」です。
これは湯前町にある「おっぱい神社」こと潮神社と、
「男性の神様」賽神社に由来するもの
です。
ひびき35
鐘の前には両神社の案内が書かれた説明板が掲示されていました。
ひびき12
ホームの様子です。
相対式ホーム2面1線となっていますが、
実質的には駅舎のある側のホームのみの単式1面1線の駅と考えて良いでしょう。
通常運行時に使用されているのも駅舎側のコンクリートのホームのみです。
ひびき13
行き違い設備などは無く、この駅まで到着した列車は
そのまま反対方向へと折り返して運行しています。
ひびき36
駅舎前のホーム上にある自販機。

ひびき14
そして駅前に戻り駅舎の前を東側に進むと
ガラス張りの平屋のテナントの入った建物が見えます。
ひびき20
こちらは「ふれあい交流センター『湯~とぴあ』」という施設です。
湯前町を始めとする近隣の1市4町5村では
「人吉球磨広域行政組合」という特別公共団体を結成しており、
行政サービスの一部を共同で行っています


「湯~とぴあ」はその広域行政組合によって作られた公共施設であり、
地元特産品を販売する販売所をはじめ、ダンスやバンド演奏が楽しめる音楽室、
各種体験に利用できる工作室などが設けられています。
レンタサイクルもこちらで貸し出しがされていました。
ひびき16
その「湯~とぴあ」の物産館の脇からは建物をくぐって
くま川鉄道の線路側へと出ることができます。
ひびき17
こちらが「湯~とぴあ」の線路側の光景です。
線路側のはオープンデッキのテラスが設けられていました。
ひびき18
テラスから見た湯前駅のホーム東端です。
ひびき19
反対側を見るとテラス前にくま川鉄道の終点の車止めがありました。

ひびき21
前の道へと戻り、「湯~とぴあ」の東の斜向かいにある
湯前町の商工会館の建物です。
ひびき22
その隣には小さな駅前のパチンコ屋が。
ひびき23
そして商工会館とパチンコ屋の向かいあたりにあるのが
こちらの半円のアーチです。
下の車と比べて頂ければ大きさが分かると思います。

湯前駅には広域行政組合によって整備され、
1990年(平成2年)に作られた複合施設である
「レールウィング」という広場があります。
こちらのアーチはそのレールウィングの入口に設けられたもので
ランドマーク的なモニュメントの役割を果たしています。
ひびき24
このアーチは金属製に見えますが実は木製であり、
上にはくま川鉄道のマスコットキャラでもある「せぐっちょ」という魚のキャラがいます。
ひびき25
ちなみに「せぐっちょ」の元ネタは「ヨシノボリ(葦登)」というハゼ科の淡水魚で
球磨川に生息をしている魚だそうです。
ひびき26
レールウィングの入口にある建物。
展望台のようになっており、コンクリート基礎の上は檜で建てられています。
ひびき27
広場入口にあるスモールハウス。
駅前の賑わいづくりの為に2017年(平成29年)9月に3棟が作られて
展示体験施設とマンガ図書館、そして「ユノカフェ」というカフェが入っています。
ひびき28
広場への入口に設けられた上屋の屋根。
ひびき29
屋根をくぐるとご覧の広場が広がっています。
こちらが「レールウィング」の多目的広場であり、
床は一面が総檜造りのウッドデッキとなっています。
これは湯前町の「町の木」が檜であり、
球磨檜の工芸品なども特産であるという背景から檜が用いられたと思われます。
ひびき30
ご覧の通りレールウィングの広場はくま川鉄道の湯前駅に面しており、
広場の端はいわば2番線ホームの体裁を取っています。
ひびき31
実際に列車からの乗降も可能であり、
通常営業時は使用されていませんがイベント時などに
実際にホームとして使用する事もできる
ようになっています。
ひびき32
レールウィングの人吉方は広場が狭くなっており
通常のホームのようになっています。



■モデル車両: くま川鉄道 KT-500形気動車 田園シンフォニー
ひびき38

JR湯前線がくま川鉄道へと第三セクター転換したのは1989年(平成元年)ですが、
転換に際してJR九州が湯前線へと1986年(昭和61年)に導入したのが
KT-100形(4両)とKT-200形(3両)の気動車でした。

しかし開業から30年近くが経ち車両が老朽化した為、
くま川鉄道では車両の入れ替えとして新たに2014年(平成26年)に新型のKT-500形を導入
1月にKT-501から503の3両、12月に504、505の2両が増備されています。
ひびき68
車両のデザインは日本各地の観光列車を手がけてお馴染みの
インダストリアルデザイナーの水戸岡鋭治氏の手によるもので、
「人吉球磨盆地特有の四季をイメージ」して車両ごとに季節のテーマを設定、
車体色や内装が各車両ごとで変えられています。

また、KT-500形をモチーフとした駅メモのでんこ「湯前ひびき」の衣装は
茶、赤、ベージュ、青、白の五色が使われていますが
これはKT-500形の501~505までの5両の配色と同じ
となっています。


KT-500形は平常時は普通列車として湯前線内を運行していますが、
2014年(平成26年)3月8日より1日1往復を観光列車「田園シンフォニー」として運行しており
アテンダントが同乗し、沿線名勝での徐行運転や
「おもてなし隊」による物産品の販売などを行っています。
ひびき59
観光列車「田園シンフォニー」運行の様子です。
アテンダントのアナウンスによる案内や
名所での案内、そしてタブレット交換の様子などを案内してくれました。
ひびき66
途中駅で停車時間を取ってのお土産の交換と販売も。
ひびき67
おかどめ幸福駅では「幸福の駅」を散策する停車時間もありました。


また2018年(平成30年)9月には
田園シンフォニーの公式テーマソングもリリースされ
くま川鉄道の全面協力のPVも作成されています。

参考
カサンドラ(casandra)/田園シンフォニー MV
(くま川鉄道「田園シンフォニー」公式イメージソング)




ひびき65
それでは「田園シンフォニー」に使われる
KT-500形の5両を順に見ていきたいと思います。

ひびき39
まずはKT-501で、車両イメージは「冬」となっており
車体色は茶色(    )となります。
ひびき41
車体に描かれた「冬」のロゴマーク。
ひびき42
正面の貫通扉にはト音記号をモチーフにした田園シンフォニーのロゴが描かれており、
また扉の上部の窓の上には「WINTER」と文字が入っています。
ひびき40
このKT-500形はくま川鉄道の沿線が田園地帯であることから
各車両共通のデザインとしてベートーヴェンの交響曲第6番「田園」がモチーフとなっています。
その為車体には「田園」の第一楽章の出だしの譜面がデザインされています。

「交響曲」は英語で「シンフォニー(symphony)」ですから
まさしく「田園シンフォニー」は「交響曲 田園」な訳です。
ひびき63
列車内に飾られている交響曲第6番田園の額。

また駅メモのでんこ「湯前ひびき」の「ひびき」という名前は
交響曲の「響」から取った
と思われます。
ひびき47
車内の様子です。
車両ごとに内装のカラーリングが異なっており、
モチーフが「冬」のこの車両はシックな配色となっています。
ひびき48
湯前方の先頭部の運転室脇にはご覧の「こども展望席」があります。
ひびき51
湯前方運転席の後部のソファ席。
ひびき70
ソファの下には非常時用の脚立がありました。
ひびき49
人吉方に作られた展望カウンターと展望席。
ひびき50
展望カウンターと並びのソファ席です。
ひびき69
対面ボックス席の折りたたみテーブル。
ご覧の様に開閉する仕組みとなっています。
ひびき71
木枠の窓の間に飾られた車両イメージの額。
ひびき72
つり革も木製でした。



ひびき45
KT-502「秋」。車体色は赤(    )です。
ひびき60
車体の「秋」のロゴマーク。
ひびき52
「秋」がモチーフの車内の様子です。
ひびき53
湯前方のソファ席。
この車両は展望カウンターは無く大きなソファー席となっています。
ひびき54
座席は折りたたみテーブルのある対面シートと
2列のシートが配置されていました。
ひびき55
そしてこの車両の人吉方には沿線の特産品が飾られた
ショーケースが置かれています。
ひびき56
人吉方の車端部の様子です。


ひびき44
KT-503「春」。車体色はベージュ(    )です。
ひびき61
「春」のロゴと田園シンフォニーの大きなロゴマーク。
ひびき57
車内客室の様子です。

以上の501から503までの3両が2014年(平成26年)1月に運行を開始した車両です。
この後の504、505の2両は同年12月に増備された車両となります。

ひびき43
KT-504「夏」です。車体色は青(    )となります。
ひびき62
「夏」のロゴマークの描かれた車体横。
ひびき58
車内の様子です。
「夏」がモチーフなので青が基調のデザインとなっています。


ひびき46
KT-505「白秋」。車体色は白(    )です。
ひびき64
くま川鉄道ではKT-500形の運用について
4両稼動、1両点検というサイクルで行っている様子で
私が行った日にはこちらの「白秋」が人吉温泉駅の車庫で点検中でした。
後日改めて撮ってきたいと思っています。


【写真撮影:2018年8月】

でんこの元ネタ
■No.75 阿下喜ニナ(Ageki Nina)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:2月7日

■出身駅: 三岐鉄道 北勢線 阿下喜駅(三重)
ニナ02


阿下喜駅が開業したのは1931年(昭和6年)7月8日 のことで、
当時この地で桑名の財界人が中心となって発起された北勢軽便鉄道の駅としてでした。

阿下喜の地は北の美濃からの街道と、桑名へと通じる濃州道(員弁街道)が交わる宿場町で、
江戸時代には桑名から員弁(いなべ)川を舟運が遡る商業が栄えた土地だったそうです。
ここに三重県北部では3番目となる軽便鉄道の敷設が計画され、
1914年(大正3年)に大山田駅(現・西桑名駅)━ 楚原駅間が開通しました。

その後の延伸によって1916年(大正5年)には六石駅(2004年廃止)まで延伸したものの、
阿下喜駅までのわずか1.4kmの区間の工事が地形に阻まれて
第一次世界大戦の最中という条件もあり難航。
結局免許を取得し着工したのは1930年(昭和5年)となり、
翌年の1931年(昭和6年)に阿下喜駅が終着駅として開業しました。

ニナ29
こちらが現在の阿下喜駅の駅舎の外観となります。
元々は木造の駅舎が建っていましたが、
2006年(平成18年)に改築されて現在の駅舎となっています。
駅舎入口に扉は無く、ポリカーボネイトの防風板が設置されています。
ニナ28
駅前の広場の様子です。
中央に街頭が立つ島のあるロータリー状となっています。
ニナ30
左手を見ると駅舎前の赤川という川に小橋が架かっていて
脇には駅周辺の名所案内の看板があります。
ニナ31
対岸から見た赤川の小橋。
ニナ32
橋を渡った駅の対岸にはコンビニエンスストアがあります。

ニナ33
駅前ロータリーに面する道路から北へと70mほど進み、
先ほどのコンビニの前を通過するとまもなく信号があります。
ニナ34
この信号の角にあるのが「阿下喜温泉 あじさいの里」です。
ニナ35
こちらの施設は2006年(平成18年)に設置されたいなべ市の公共施設であり、
天然温泉の大浴場のほかに健康増進施設や食堂、物販店を併設しています。

三岐鉄道ではこの阿下喜温泉までの入場券付き往復切符を企画切符として発売しており、
この施設が阿下喜駅の観光名所の一つとなっています。

ニナ36
駅舎へと戻りこちらは入口付近の光景です。
ニナ37
駅舎内へと入ると左手の壁に待合室へのドアがあります。
ニナ38
待合室にはベンチと自販機が置かれており、
エアコンで空調も効いているのでなかなか快適でした。
ニナ39
待合室の向かい側にはトイレがあります。
ニナ03
通路の奥には自動改札機が設置されており、その前には有人窓口があります。

北勢線では起点の西桑名駅以外の全駅が東員駅の運転司令室での集中管理となっており、
この阿下喜駅も駅舎改築時に無人遠隔管理に対応した設備となっています
が、実際には朝の時間帯と午後には駅員が配置されており
列車到着時には有人での対応を行っています。
ニナ05
ホーム側から見た改札付近の光景です。
ニナ40
こちらがホームの様子です。島式ホーム1面2線となっています。
かつては単式ホーム1面のみの駅でしたが、
2006年(平成18年)の改修によって構内2線化が行われて島式ホームとなりました。

尚、駅名標は他の駅の様にプラスチック製のものが無く、
掲示パネルに画鋲で留められた紙製でした。
ニナ41
写真の列車が停まっている側が1号線、反対が2号線ホームとなります。
ニナ07
ホーム西端の西桑名方の光景。
ニナ10
こちらは駅舎手前で止まっている1号線の車止め付近です。
ニナ09
同じく2号線の車止め付近。

ニナ42
そして駅の南側、1号線の線路の反対側にはご覧の転車台と線路が見えます。
こちらはボランティアで運営されている軽便鉄道博物館の施設となります。

停まっている電車はモニ226で、1983年(昭和58年)に廃車になるまで
北勢鉄道時代から現役で走っていた車両です。
また転車台は阿下喜駅の北側で埋もれていたもので
かつては木材運搬の為に活躍をしていたものを2004年(平成16年)に
この場所に復元したものです。
ニナ43
駅舎の南側に駐輪場が設けられていますが、
線路に沿って奥へと進むと転車台があります。
ニナ45
地上から見た転車台と軽便鉄道博物館の施設です。
通常時は博物館は閉まっておりモニ226も車庫前に留置されています。
ニナ46
この軽便鉄道博物館は毎月2回、第1第3日曜日に開館しており
ミニ電車を走らせ博物館の中も公開しています。
ニナ47
こちらが博物館の中の様子です。
ミニ電車などを格納する車庫の壁に北勢線に関する展示がされています。



ニナ22
所は変わってこちらは三岐鉄道三岐線の伊勢治田駅です。
三岐鉄道は三重県内北部で並走するように二つの盲腸線を運行しています。 ニナ21
そして三岐線で終点から4駅目の伊勢治田駅と、北勢線の終点の阿下喜駅は
ご覧の通り2.1kmの距離にあります。
ですので徒歩移動でも30分弱での移動が可能となります。
ニナ23
伊勢治田駅の駅前広場から、前の道を北へと進んで
三岐線の踏切を越えます。
ニナ24
圓福寺というお寺の前を通過。
ニナ25
古い住宅地を抜けて坂を下ると
国道365号線の権現坂交差点となり角にコンビニがあります。
ニナ26
権現坂交差点。
ニナ27
国道を越えて更に坂を下り、S字のカーブの先で員弁川を渡ると
阿下喜の市街地へと入りすぐに駅が見えてきます。

三岐鉄道では三岐線と北勢線の両方で使える一日パスを発売していますので
徒歩でのワープは鉄道ファンの間では割とメジャーなルートの様です。



■モデル車両: 三岐鉄道 270系電車
ニナ11

北勢線は元々は北勢軽便鉄道として開業しましたが、
その後国家総動員法による陸運統制令に基づく閣議決定によって
三重県の6鉄道が合併して1944年(昭和19年)に三重交通となり、
1965年(昭和40年)には近鉄に買収され近鉄北勢線となります。

そして当時の近鉄が北勢線の近代化事業の一環として
1977年(昭和52年)に近畿車輛で新規製造を行ったのがこちらの270系となります。
導入時にはモ270形(制御電動車)が271~276の6両、
ク170形(制御車)が171、172の2両と計8両が新たに新製されました。
ニナ13
ところで北勢線は特殊狭軌線(ナローゲージ)と呼ばれる軌間762mmとなっています。
写真の運転士と対比して見てみると、車体にコンパクトさを感じると思います。

そもそも新幹線などで用いられている国際標準軌が1435mmであり、
日本で広く採用されている1067 mmの軌間は狭軌となります。
ですからJRなども本来はナロー(狭)ゲージ(軌)なのですが、
歴史的経緯で日本では狭軌がスタンダードとなっていることから
日本でナローゲージと言えば軌間762mm以下の鉄道を指すのが一般的です。


ニナ48
こちらがモ270形で、モーターを搭載して列車を引く制御電動車となります。
基本的に北勢線では電動車が阿下喜方に編成されます。
ニナ49
モ270形の車両の桑名方の屋根にはパンタグラフが載っていますが
小さい車体との対比でその大きさが目立ちます。
ニナ50
車内の様子です。座席はロングシートとなっています。
やはりナローゲージ車両ですので普段JRなどの車両の大きさに
感覚が慣れていると若干の狭さを感じます。
ニナ51
阿下喜方の車端部の様子です。
運転台のすぐ後ろには冷房装置が置かれています。
これは2006年(平成18年)より行われた冷房化工事で設置されたもので、
車両重心などの問題から床置きとなっています。
ニナ52
こちらが1977年(昭和52年)に新規導入された
モ270形の271から276までの6両です。

2005年(平成17年)以降には車両の高速化工事、
そして2006年(平成18年)以降には車両の冷房化工事が行われていますが、
車両ごとに工事の行われたタイミングや内容が違う為、
こうして並べると各車両ごとに微妙に形が違っているのが分かります。

また高速化工事が行われたことで271、272の2両はクモハ270形に、
同じく高速化工事が行われたものの冷房の搭載されていない273から276までの4両は
クモハ273形へとそれぞれ車両形式番号の変更が行われています。

ニナ53
こちらは1990年(平成2年)に北勢線に増備されたモ277形です。
近鉄内部線及び八王子線(現・四日市あすなろう鉄道)用の260系を流用して作られた車両で
導入しされたのはこの277の一両のみとなっています。
番号的には270形の続き番号となっています。


以上の271から277までの7両が「三岐鉄道270系」の電車です。
駅メモのでんこ「阿下喜ニナ」のモチーフが270系であると考えれば
以上の7両がモデル車両
となります。
ニナ64
ですが実際の運用ではこの270系を阿下喜方の先頭車両として
それぞれの編成を組んでおり、三岐鉄道では7編成が走っています。
271F(Fは編成の意)から277Fの7編成はそれぞれ固定の編成となっていますので、
ここでは270系電車と一体のものとして見て
以下に編成の付随車両についても記したいと思います。


ニナ54
こちらはクモハ170形の171です。
元々はク170形として、モ270形の6両と共に
1977年(昭和52年)に新規導入された車両です。

北勢線では西桑名方の先頭車両は制御車(動力を持たず運転台のある車両)が編成されており
このク170形も導入時は制御車でしたが、2006年(平成18年)の高速化工事で
台車が動力着きに交換されて制御電動車となったことから
形式番号がクモハ170形へと変更されています。
ニナ55
同じくクモハ170形の車両である172。
この形式の車両で新製されたのは171と172の2両のみです。
ニナ56
172の車内の様子です。
車両の両端部に冷房機が設置されており
座席はロングシートとなっています。


ニナ57
桑名方の制御車であるク140形です。

元々この車両は、三重交通三重線の車両として
1960年(昭和35年)からサ2000形として7両が作られたものです。

1964年(昭和39年)に三重電気鉄道湯の山線が改軌されると
全車が北勢線に転籍。三重電気鉄道が近鉄に合併されると
サ140形の141から147へと車両形式番号が改番されました。
ニナ58
そして北勢線の近代化が行われた1977年(昭和52年)に
奇数番号の141、143、145は西桑名側に270系の運転台が新設され
モ270形と固定編成を組む事となります。
ニナ59
こちらは偶数番号の142と144です。
北勢線近代化の際にはこちらの2両も阿下喜方に運転台が付けられましたが、
三岐鉄道移管後の2003年(平成15年)には運転台が撤去されて
再び付随車へと戻されてサ140-1形の142と144となっています。
ニナ60
そして146と147の2両は北勢線への転籍以来、中間付随車として
編成の中央のロングシートの客車車両として運行しています。


ニナ61
こちらはサ130形となります。
中間車両として連結される付随車であり
元々は三重交通サ360形として運行していましたが、
近鉄への吸収合併によってサ130形に改番されています。

車体は各部の丸みの強い準張殻構造となっていて
車端部が直線の切妻となっている270形とは若干イメージが異なります。
また三岐鉄道では運転台を取り付けた車両があったり
妻面への貫通扉の設置など各車両ごとに細かく改造が行われており、
同じ130形でも部分によって微妙に形が違っています。


ニナ62
こちらは三岐鉄道200形の編成で、
湘南型の2枚窓構成のク202、付随車のサ101とサ201の3両が
270形のモ277に連結されて4両編成となっています。

元々は三重交通モ4400形という電車でしたが、
三重電気鉄道、近鉄を経て車番が改番されており、
また三岐鉄道の近代化事業で現在の編成となっています。

車体の色は三岐鉄道への転用時には黄色でしたが、
2013年(平成25年)の北勢線開業100周年記念の一環として
三重交通の標準色であったクリーム色とグリーンのツートンとなりました。


ニナ63
北勢線ではこのように数種の車両が在籍しています。
時代によって3両から4両の編成で変遷している様子ですが、
基本的に固定編成となっており、パンタグラフが載った電動車が
阿下喜方につながれるのは変わっていない様です。


三岐鉄道270系の8両が北勢線に配置されたのは
1977(昭和52)年10月11日となります。
また北勢線が開業したのは1914年(大正3年)4月5日です。
駅メモのでんこ「阿下喜ニナ」の誕生日は2月7日に設定されていますが、
車両や路線の歴史を調べてみても2月7日に因んだものは見当たりません。

こうした点をふまえると、2月7日という誕生日の設定、
そしてニ(2)ナ(7)という名前などは、
モチーフとなった車両の270系という数字から因んだという説がどうやら有力な様です。

【写真撮影:2017年12月】

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