でんこの元ネタ

でんこの元ネタ
■No.122 小浜まい(Obama Mai)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:3月15日

■出身駅: JR西日本 小浜線  小浜駅(福井)
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こちらは福井県小浜市にあるJR小浜線の小浜駅の駅舎外観です。
小浜線は1917年(大正6年)12月に敦賀駅━十村駅間が開業しましたが、
翌年の1918年(大正7年)11月10日に十村駅から当駅までが延伸され
小浜駅も終着駅として開業しました。
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駅メモのでんこの小浜まいの苗字はこの小浜駅が由来となっています。
またこの小浜まいは登場に先駆けた2022年(令和4年)11月に
JR西日本金沢支社と福知山支社とのコラボイベントによって
「小浜線公式キャラクター」に任命されています。
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駅舎の出入口は北側のみとなっており、駅前広場に接して国道162号線が
東方向から北方向へと駅前でカーブを描き通っています。
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東側の国道162号線からの駅前広場の入口付近。
広場内は時計回りのロータリー状の一方通行となっています。
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駅前広場の東側付近の光景。
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駅舎正面の入口付近です。
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入口前付近はタクシー乗り場となっており、日中は数台のタクシーが待機しています。
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タクシー乗り場の西側にはバス乗り場が設けられており、
「小浜駅停留場」のバス乗り場が3つ設けられています。
バスは小浜市内を走るコミュニティバスが2系統ある他、
JRバスが湖西線の近江今津駅まで運行しています。
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駅前広場西側にはご覧の小浜警察署の駅前交番が。
バス停の屋根に隣接して交番の建物が建っています。
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広場ロータリーの出口付近。国道162号線が直角に曲がる交差点となっており、
また県道14号小浜停車場線の起点ともなっています。
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国道側から見た駅前広場の中央島部分。モニュメントが建てられています。

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駅舎の入口から中へと入ります。
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こちらが駅舎の中の様子です。
改札前には有人窓口と自動券売機があり、右手にはガラスで仕切られた待合室があります。
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待合室と改札前のフロアを仕切るガラス壁前には時刻表や掲示物が。
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改札はご覧の通り友人改札となっており、改札脇に有人窓口があります。
2022年(令和4年)3月まではみどりの窓口がありましたが廃止されており、
「みどりの窓口プラス」が福井県内では初の導入となっています。
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待合室の中の様子です。横並びのシートが並べられています。
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南側にはかつて売店のあったスペースが空きスペースとなっており、
イベントスペースとなっています。壁には小浜市内の子供たちの手形のタイルが
2022年(令和4年)12月に小浜線100周年を記念して掛けられています。
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待合室奥の西側。自販機コーナーが設けられています。
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駅前広場側の窓際に置かれた書棚。
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その脇の柱には小浜市の名産である鯖のトリックアートが描かれています。
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待合室の西側隅には駅前広場へと出られる出入口があります。
その出入口の前には郵便ポストがあり、上には若狭小浜に伝わる
八百比丘尼伝説にちなんだ人魚の像が置かれています。
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待合室西側にある、ガラス壁で仕切られた先のテナントスペース。
以前は飲食店が入居していたそうですが空きスペースとなっています。

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小浜駅の改札から駅構内へ。改札口はこの一か所のみとなります。
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ホーム側から見た改札付近。
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こちらが改札に接している1番線ホームです。当駅はいわゆる国鉄形の配線で
1番線は敦賀方面行きの下り本線ホームですが、
行き違いが無い場合は上り列車も1番線に入線します。
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ホーム上に並ぶベンチ。その隣にはかつてホーム上の洗面台があった跡があります。
開業100年の小浜線では1971年(昭和46年)に無煙化されるまでは
蒸気機関車が走っていましたのでその為の洗面設備の名残と思われます。
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ホーム東端の敦賀方の光景。有効長の長いホームは現在では不要な為、
フェンスで仕切られて短くなっています。
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隣のホームから横から見たフェンス付近。
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切り返して見た1番線ホーム。
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改札前を通り過ぎホーム西側へと進みます。
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東舞鶴方のホーム西側。跨線橋がありホームには階段があります。
階段前の柱には積雪を計る為巻かれたカラーロープが。
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階段脇を進んだ先の西側ホーム端の光景。
こちらもフェンスが立てられてホームがカットされています。
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再び切り返してホーム中央側へ。
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中央部の改札前へと戻ります。

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跨線橋の階段へと戻り橋上へと登ります。
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橋上から見た小浜駅の駅構内の様子。
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階段を下って島式ホームへと下ります。
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島式の2、3番線ホームです。
駅舎側の北側2番線は舞鶴方面行きの上り本線、南の3番線は上り1番線とされ
日中は滞泊中の車両が留置されています。
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島式ホームの西側敦賀方の光景。このホームもかつてのホーム先端が
フェンスでカットされて有効長が短縮されています。
緑の柱は駅西側を超える跨線橋のものです。
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切り返して東方向へ見た2、3番線ホーム。
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ホーム中央部付近。建屋の屋根の柱を見ると
ホーム西端に寄るにつれて左右の柱の幅間隔が微妙に狭くなっており
島式ホームの端の幅が狭くなっていることが分かります。
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階段脇からホーム東端の東舞鶴方へ。フェンスで仕切られた先のホーム端には
蒸気機関車の時代に使われていたレンガ積みの給水塔が見えます。
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給水塔の様子。イギリス積みの構造物はかつてはホームから中を見ることが可能でしたが
現愛はフェンスができてホーム端まで行けなくなっています。
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跨線橋の下付近。かつては木造の跨線橋でしたが
2003年(平成15年)の小浜線電化に際して線内設備の改修がされており
跨線橋もその事業の一環で建て替えられたものと思われます。
地面には木造時代の基礎跡が。
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再び切り返してホームの階段前へ。

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跨線橋を上って改札方面へと戻ります。
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階段を下り1番線ホームへ。
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駅舎を出て、こちらは駅前広場に接する小浜駅前交差点の光景です。
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交差点に面した県道14号小浜停車場線と国道162号線の間にある
若狭おばま観光案内所の建物です。以前は現在交番のある場所にありましたが
2019年(令和元年)にこちらに移転したそうです。
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こちらが小浜駅前の地図で、赤線が
駅前から小浜市の中心街へと伸びる国道162号線です。
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小浜市街へと伸びる国道162号線。
駅前の交差点から次の交差点までの180mほどには歩道にアーケードがあります。
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小浜病院前交差点の信号。
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交差点の北東角には名前の通り杉田玄白記念公立小浜病院があります。
近隣の自治体による事務組合で設立された公立病院は
2007年(平成19年)に杉田玄白の名前が冠せられています。
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「解体新書」で知られる杉田玄白は小浜にゆかりのある人物で
1983年(昭和58年)に病院前にご覧の銅像が建てられています。
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そして病院から国道を挟んだ向かい側にあるのがこちらの小浜市中央公園です。
小浜藩出身の幕末の志士梅田雲浜の像などが置かれたこの公園には
SLが静態保存されています。
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こちらが公園に保存されているC58-171です。
1971年(昭和46年)まで小浜線を走っていた機関車で、
現在は市の中心部のこちらの公園に保存されているものです。
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再び国道162号線へと戻って北上をすると、小浜病院前交差点から200mほどで
次の信号の交差点となります。
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この交差点は市役所前交差点で、北東側には小浜市役所の建物があります。
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さらに国道162号線を北上。
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小浜駅からおよそ1.2kmの地点で南川に架かる大手橋へと差しかかります。
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大手橋を渡って北川と南川に挟まれた中州へ。
橋から70mほどでご覧の「小浜城跡」の看板があります。
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看板にしたがって「城内」の地名の横道に入ると
すぐに小浜神社の入口の鳥居が見えてきます。
この神社は雲浜城と呼ばれた小浜城の城跡に作られており、
境内には天守跡の石垣が残っています。
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小浜城は江戸時代初頭の1642年(寛永19年)に築城された
若狭酒井家の居城でした。1875年(明治8年)に城跡に小浜神社が建立。
3代家光の老中として知られる小浜藩初代藩主の酒井忠勝公が祭られています。


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小浜駅前まで一旦戻り、駅前の交差点から今度は西方向へと伸びている
県道14号小浜停車場線へと入ります。
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駅前から放射状に分岐している交差点の西方向に伸びる県道14号線は
はまかぜ通り商店街の名前がつけられ
ご覧の通りのアーケードが両側歩道に設けられています。
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このアーケードは1983年(昭和56年)に高度化事業によって整備されたもので
駅前通り商店街は若狭湾からのはまかぜが通り抜けるアーケードとなりました。
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アーケードは駅前からおよそ450mほど続いており、
県道14号線が直角に曲がるご覧の交差点まで歩道の両側に屋根があります。
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交差点の南西角にあるこちらはまちの駅旭座です。
2016年(平成28年)5月にこの場所に作られ観光案内所や
物販、休憩施設などが置かれています。
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敷地のベンチには福井県内の各所で見ることができるフクイラプトルの恐竜博士が。
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そして敷地南側にあるこちらの建物が施設名の由来である旭座です。
井県内で唯一現存していた明治期の芝居小屋である旭座の建物を当地に移築し、
市指定文化財として現役の集会施設として現在も使われています。
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交差点を西へと直進すると、県道14号からは外れて
まちの駅旭座の脇を抜ける県道15号小浜港線となります。
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県道15号線も180mほどで右へと曲がってしまい、
市道となった道をさらに100mほど進むと海岸へとつき当ります。
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駅からはおよそ750mほどの海岸通りの先は小浜湾で、北側には小浜港が、
南側には人魚の浜海水浴場の砂浜が広がっています。

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まちの駅旭座の前の交差点まで戻って、今度は北側へと見た光景です。
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交差点から北に40mほどでご覧の「日本遺産 鯖街道の起点」の標識があります。
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標識の指す道の西側には鯖街道ミュージアムがあります。
小浜から京都の出町柳までをつなぐ若狭街道は「鯖街道」と呼ばれ、
室町から江戸時代にかけて鯖をはじめとする海産物の輸送ルートとして賑わいました。
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元々ミュージアム前の道はご覧の「いずみ町商店街」という狭いアーケードの通りでした。
ミュージアムもこのアーケードに「鯖街道資料館」として同じ場所にありましたが、
2020年(令和2年)の再開発でアーケードが撤去、道路拡張で資料館も閉館となり
改めて鯖街道ミュージアムとして再開館しました。
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ミュージアム前の歩道にある鯖街道起点の石板。
アーケードの中の路上にあったものがこちらに移設されています。
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前の道路から北方向を見ると350m先の市役所が見えます。

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切り返して南の旭座方面へと戻ります。
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旭座の前を通る旧若狭街道の県道14号小浜停車場線。
隣接するまちの駅の敷地には、小浜中組地区の再開発によって
1992年(平成4年)に「つばき回廊」という商業施設ビルがありました。
しかし2004年(平成16年)に中核店舗の西友の撤退が契機で運営会社が破綻。
跡地を小浜市が取得して再・再開発でまちの駅が作られました。
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旭座の前を南北に走る県道14号小浜停車場線は
250mほどの南下で今度は小浜住吉の交差点を東へと曲がっています。
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東方向へと曲がった県道14号小浜停車場線。
曲がった交差点から100mほどでご覧の小浜線を超える跨線橋の入口となります。
この跨線橋は自動車専用で歩行者や自転車は渡れません。
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小浜住吉の交差点に戻って、今度は反対側の西方向へ。
交差点から先は県道235号加斗袖崎住吉線となって
200mほどで若狭湾の海につき当たります。
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若狭湾につき当たった海岸のT字路。
跨線橋からこのT字路までのこの道路は真下に堀川という川が流れています。
1976年(昭和51年)に川が暗渠化されて上が道路となり現在に至っています。
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交差点つき当たりの海岸側にはご覧のマーメードテラスがあります。
小浜市には八百比丘尼にまつわる「人魚伝説」が伝わっており、
鯖と共に人魚は小浜のシンボルとなっています。
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このテラスは堀川の河口に作られたもので、
川が道路となった1976年(昭和51年)に設置されたものです。
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テラスの南側には400mほどの人魚の浜海水浴場の砂浜があります。
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北側の小浜港方面の光景。

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三度小浜住吉の交差点まで戻って、
今度は旭座を背に南方向へと若干狭い道を入ります。
道路の色が変えられているこちらの地区は「小浜西組」で、
2008年(平成20年)に重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。
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郵便局前の交差点の西側には小浜八幡宮の参道があります。
旧若狭街道に面したこの八幡神社の例祭は「放生祭」という
若狭最大の秋祭となっています。
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郵便局から旧若狭街道を南進して保存地区の街中へ。
街並みは2015年(平成27年)には日本遺産の構成文化財にも指定されています。
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クランク状に曲がりながら南進する旧丹後街道の街並み。
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この旧街道のクランクに面して空印寺の敷地が接しています。
室町時代の若狭守護館であった当地に建てられた小浜藩酒井家の菩提寺だった寺で、
敷地には八百比丘尼が入定したとされる洞があります。
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こちらが境内の八百比丘尼入定洞で、小浜の人魚伝説の元となっている史跡です。


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一旦、アーケードの県道14号小浜停車場線から小浜駅前まで戻ります。
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駅前に接する国道162号線を今度は東北方向へ。
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200mほど進むと国道の西側に、家電量販店やスーパーなどの大型店舗が集まった
ロードサイドのショッピングモールがあります。
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小浜線と国道162号線は1kmほど並走しており、
小浜中学校や小浜警察署などの横を経てガード下から小浜線をくぐります。
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ガードくぐったを先で国道27号線に合流した国道162号線は
重用区間となって南川に架かる湯岡橋を渡っています。

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小浜駅の駅前広場に戻って、東側にある市営駅前駐車場の入口へ。
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立体駐輪場の建物の奥に、線路沿いに駐車場の敷地が広がっています。
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切り返して見た駐車場の光景。
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市営駐車場の入口の脇には同じく市営の駐輪場への通路があります。
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立体駐輪場の様子。
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そしてその立体駐輪場への通路脇、駅舎の北側には
ご覧の跨線橋の入口の階段があります。
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跨線橋の中の様子。
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駅ホームの東側敦賀方の上を通る跨線橋の外観です。
線路の南北を連絡しています。
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小浜駅の南側付近の地図。駅南側は国道27号線が走っているものの
駅とは直接接しておらず。駅前は住宅地となっています。
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跨線橋から東方向への光景。
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同じく西方向への光景です。跨線橋の正面付近には保育園があります。
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駅南側の道路と線路との間の敷地に設けられた駐車場。
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この南側の駐車場はJR定期購入者の為の
指定パークアンドライド駐車場となっています。
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駅前道路を西方向へと進むとすぐに左手にカーブを描いており、
100mほど先で県道14号小浜停車場線へと通じています。
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県道14号に出ると西側は小浜線を渡る跨線橋があり
小浜住吉のマーメードテラス方面へ。
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反対の東側は60mほどで国道27号線と交わる小浜伏原交差点となります。



■モデル車両: JR西日本 125系電車
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小浜線は1922年(大正11年)に敦賀駅━小浜駅━新舞鶴駅間で全線開通した路線で、
2003年(平成15年)3月に全線が電化されています。

小浜線が電化された大きな理由は「地元の要望」であり、
福井県を筆頭とする嶺南地域鉄道整備の一環として行われたものでした。
沿線地区の定住人口増大、観光振興、企業誘致といった観点からの利便性向上を目指し、
JR西日本へ沿線自治体が約42億円の資金補助を行ったことから
電化に際して新型車両を導入する事となりました。
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【上写真:JR西日本223系2000番台】
車両の開発に際しては、当時JR西日本で多くの車両が導入されていた
ステンレス鋼製通勤形車両である223系2000番台をベースとして、
ローカル線である小浜線での単行運転が可能な様に両運転台構造とされました。
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こうして小浜線の為に開発されたのがJR西日本125系電車となります。
2003年(平成15年)3月15日に8両が小浜線に投入され営業運転を開始しており、
以後加古川線や湖西線にもこの125系電車が製造され投入をされています。

駅メモのでんこの小浜まいの誕生日が3月15日に設定されていますが
これは小浜線での125系の営業運転開始日が元と考えて良いでしょう。
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2006年(平成18年)10月には小浜線の車両が全て125系へと統一されています。
車両形式番号の125系は百の位が1(直流電化車両)、十の位が2(一般形)を意味します。
両運転台の電車はJRの新製車両ではJR四国7000系に次ぐ2例目なのだそうです。
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車体は223系2000番台と同じく軽量ステンレス構体を使用しており、
全面部窓下と側面帯色にエメラルドグリーン(    の帯色が用いられています。
側面帯はエメラルドグリーンの下にグレー(    が入ったツートンカラーとなります。
小浜まいの衣装を見るとこの2色が用いられておりモチーフとなっている事が分かります。
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肩から羽織っているジャケットの裾の模様を見ると
前照灯と後尾灯を模した模様があしらわれています。
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屋根の上にはステンレス製のシングルアームパンタグラフが。
小浜まいの背中のパンタグラフと並べると同じ形であることが分かります。


【上動画はクリックで再生します。】
こちらは小浜線の東舞鶴駅へと入線してくる125系の動画です。
それでは以下で車両の詳細について見て見たいと思います。

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125系の車両の外観です。こちらは西側(東舞鶴方)前面と
山側(南側)の外観です。両端に運転台があるクモハ125形
ク(制御車)モ(電動車)ハ(普通車)の意味となり1両での単行運転が可能です。
編成略記号はcMcc(制御車)M(動力車)の前後につくことで
両運転台の制御電動車であることを表しています。
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開発ベースとなった223系2000番台の前面窓が曲ガラスを使った
傾斜した形であるのに対して、両運転台となった125系は垂直な切妻形となっています。
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側面については223系2000番台の中間車の車体側面部材を流用しているので
基本的な扉と窓の配置が同じ造りとなっています。
ただ近郊形の223系が片側3扉であるのに対して、125系はローカル線区用の為
中央部の扉がはめ殺しとなって塞がれています。
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こちらは敦賀方の東側から見た前面と、海側(北側)の車体側面の様子です。
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海側は車内にトイレが設置されている箇所があるので
その部分はご覧の通り窓が塞がれていてありません。

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敦賀方の東側運転台後方の乗降デッキ付近の光景です。
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運転台の中の様子。
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乗降扉の脇には整理券の発見機が置かれており、
その隣には3人掛けロングシートが両側にあります。
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東舞鶴方へと向かって見た車内客室の様子です。
客室中央部は転換クロスシートが海側7列、山側9列配置されています。
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車内優先座席の表示。敦賀方、東舞鶴方共に端のクロスシートは
優先座席となっていますが、表記はヘッドカバーのみとなっています。
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客室中央部付近の座席。223系では中央の乗降扉がある付近ですが、
125系では出入口を塞いでいるのでご覧の通り座席の背板同士が向き合った
珍しい光景となっています。
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このスペースには補助シートが背板に収納されているので
ご覧の通り座ることが可能となっています。
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この125系は営業運転開始当初は1+2列のクロスシートで山側は1人掛けの座席でした。
車いすが通れる様に通路を広く取った為ですが、地元乗客から「座席が少ない」との苦情が相次ぎ、
地元費用負担で1年後の2004年(平成16年)に現在の2+2列へと座席が改修されています。
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東舞鶴方の西側の車端付近。海側にはトイレが設置されています。
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トイレの前は車いすやベビーカー対応のフリースペースとなっていて
座席は設置されていませんが、背板に補助シートが収納されているので
通常使用時には座席を出して座ることも可能です。
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東舞鶴方の乗降デッキの様子です。
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運転台の中の光景。中央部に貫通路があり、運転席は山側に設けられています。
まいa43
切り返して敦賀方へと向いて見た車内。
一番端のクロスシートは海側山側共に優先座席となっていますが
トイレがあるので位置は少しずれて設けられています。
まいa44
西側から見た客室内の光景です。

まいa50
125系の運用時にはご覧の通り運転台の貫通路に料金箱が引き出されて
仕切りの役割を果たしています。通路上には料金表示の為の液晶モニターが。
まいa51
連結をした時にはこの運転台の貫通路は通り抜けられる様になります。
その時にはご覧の通り料金箱が運転席と通路の仕切りとなります。


【写真撮影:2022年12月】

でんこの元ネタ
■No.121 生駒わかな(Ikoma Wakana)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:4月29日


駅メモのでんこである「生駒わかな」についての記事の続きです。
後半はモチーフとなった列車の紹介部分となります。

その1(由来駅紹介部分)はこちら



■モデル車両: 近畿日本鉄道 19200系SA01「あをによし」
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【上写真:近鉄12200系電車】
近鉄では1967年(昭和42年)に12000系スナックカーが製造され名阪特急に投入されましたが、
その後大阪万博開催に備えて1969年(昭和44年)から12000系をベースに
車内の構成を改良した12200系新スナックカーが登場しました。

オリジナルの12000系が2両編成10本の製造だったのに対して、
12000系の改良増備形式である12200系は56編成168両が量産されており
2000年代まで近鉄の特急の代名詞の様な存在となっています。

この12200系で最後に作られたのが1974年(昭和49年)12月製造の
12200系NS56編成(12256F)です。

特急車両として投入されたNS56編成は、「お召列車には最新の車両を充当する」という
近鉄の方針で1975年(昭和50年)10月にお召列車となっています
その5か月前の1975年(昭和50年)5月には
英国エリザベス女王の来日に際して御料車に準じた運行
をしています。

1996年(平成8年)4月に2両が増備されてNS56編成は6両編成となっていますが、
その後の特急利用客の減少によって再び2005年(平成17年)に4両編成へと減車されました。


そして登場から30年以上が経過した12200系は徐々に老朽化による運用離脱と廃車がはじまり、
NS56編成も2020年(令和2年)11月に定期運用を離脱しています。

休車となった後は五位堂検修車庫に留置されている姿が見られるなどしていましたが、
2021年(令和3年)に近鉄は京阪奈地区を走る観光列車「あをによし」の運行を発表
その観光列車の種車として12200系NS56編成が用いられる事となりました。
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こうして生まれたのが近鉄19200系SA01編成「あをによし」です。
改修によって形式番号も変更されており、2022年(令和4年)4月29日より
京都━近鉄奈良━大阪難波間を結ぶ観光特急として運用を開始
しています。
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駅メモのでんこの生駒わかなの誕生日が4月29日に設定されていますが
これは「あをによし」の営業運転開始日が元ネタと考えて良いでしょう。
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「あをによし」の車体には、冠位十二階で最も高貴な色とされた紫系である
紫檀色を元に開発された紫檀メタリック(    をベース色としています。
差し色には金色(    が用いられておりさながら古来の宝物のような趣があります。
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そして車体側面にはご覧の花柄模様が描かれています。
これは正倉院収蔵の国宝である「螺鈿紫檀五絃琵琶」に描かれた文様がモチーフとなっており
古都奈良をイメージした外装となっています。
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また正面のヘッドマークや側面のロゴに使われている文様は
瑞鳥が花枝を咥えた吉祥文様である花喰鳥であり、
2020東京五輪のメダルをデザインした川西純市氏の手によるものです。

生駒わかなの衣装の裾を見ると螺鈿紫檀五絃琵琶や花喰鳥が描かれているので
近鉄特急「あをによし」がデザインモチーフであることが分かります。


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近鉄奈良方の先頭車両となる1号車のク19301形です。
編成略記号はTc付随車(T)制御車(c)となり動力が無く運転台のある制御車となります。
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奈良方の車端には運転席の乗務員扉と、客室への乗降デッキの扉が並んでいます。
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先頭部運転台側となる奈良方から見た車内客室の様子です。
1号車は両側に6セットずつツインシートが設けられており計24席となっています。
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阪奈間で大阪平野が見られるB席側は
窓向き45度に座席が置かれた三角テーブルのツインシートとなります。
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指定席券はツインシートでの2名セット以上の販売となっており、
1名で乗る場合には空席分の小児料金での指定券購入が必要
となります。
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大阪難波・京都方の先頭部側の車端の様子です。
妻側の仕切り壁の扉前は荷物棚となっています。
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切り返して見た客室内。
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ご覧の通りA席側はテーブルに対面でシートが置かれる形状となります。
座席シートは鉄道関連の会社ではなく、大阪市の家具メーカーの相合家具製作所に発注し
従来の鉄道座席とは一線を画した座り心地を実現しています。
わかなb07
各シートに設けられた青い印象的なインテリアライト。
正倉院に収蔵されている瑠璃坏をイメージした照明は
座席窓上の座席番号を照らすスポットライトの役割も果たしています。
わかなa84
近鉄奈良方の車端部の光景。デッキとの仕切り扉の前には
スーツケースなどが置ける荷物棚が設けられています。
それぞれ荷物棚は形状が異なっており大型スーツケースにも対応ができる様になっています。
わかなa87
1号車の京都大阪方車端の乗降デッキです。
運転台とは反対側のこちらには男女共用トイレと洗面台があります。
わかなa88
共用トイレは洋式であり、また洗面台には信楽焼の陶器が使われています。


わかなa89
近鉄奈良方の二両目となる2号車のモ19251形です。
編成略記号ではM(動力車)でモーターを搭載している車両となります。
SIGHTSEEING(観光)LIMITED EXPRESS(特急)AONIYOSHI(あをによし)
の文字が車体の横に入れられています。
わかなb27
この2号車は両端の屋根上に1基づつ計2基のパンタグラフを搭載しています。
駅メモのでんこの生駒わかなの背中のパンタグラフを見ると同じ形である事が分かります。
わかなa91
2号車近鉄奈良方の車端客室内の光景です。こちら側には乗降扉やデッキは無く、
連結部から1号車デッキにつながっています。
わかなa92
この2号車はサロンシートと呼ばれるパーテションで仕切られた
4人用の半個室席が3部屋設けられています。
サロンシートの座席指定券は3名および4名分での販売となります。
わかなb02
列車の外から見たサロンシート。
わかなa93
客室の通路やパーテションは金色がベース色となっています。
内装は店舗デザインなどを行う近鉄グループ会社の近創が手がけています。
わかなa94
3つのサロンシートのうちの京都大阪方の1A~1Dのシート。
座席番号の振られたサロン席のシートは床に固定がされておらず
家庭の家具同様にずらして座る事が可能
です。
わかなa95
切り返して見たサロンシートエリアの客室内通路の様子です。

わかなa96
京都大阪方の仕切り壁の扉。
2号車はサロンシートの区画と販売カウンターの区画に分かれており、
中央部付近にご覧の仕切り壁があって扉が設けられています。
わかなa98
販売カウンター側から見た仕切り壁の扉。
わかなa97
こちらがあをによし2号車の販売カウンターです。
奈良県産品を用いたスイーツやクラフトビール、グッズなどを販売しています。
わかなa99
カウンターは古都奈良をイメージさせる校倉造りをモチーフとした木製となっています。
わかなb01
京都大阪方へと伸びる販売カウンターからの通路。
アーチ形の通路を出ると2号車京都大阪方の乗降デッキがあります。
わかなb03
こちらが車端部乗降デッの様子です。販売カウンター側の窓際通路から
中央部にある貫通路へとクランク状に通路がつなげられています。
わかなb04
3号車へと連絡する連結部貫通路側付近の光景。
わかなb05
連結部側から切り返して見た2号車乗降デッキ。
デッキに直結して販売カウンターの準備室への扉があります。
わかなb06
大阪京都方から見た販売カウンター前付近です。


わかなb08
近鉄奈良方から三両目、京都大阪方からは二両目の3号車のサ19351形です。
編成略記号ではT(付随車)で動力を持たない客車車両となります。
わかなb09
車内客室の様子です。ツインシートがA側6セット、B側4セットで計20席となります。
わかなb10
テーブルが三角形のB側は京都大阪方の2セット分のテーブルと椅子が無く
車いす対応スペースが設けられています。窓下のカウンターの他
固定用のベルトやコンセント、非常ボタンなどが設置されています。
わかなb11
客室の京都大阪方の端部の光景です。
乗降デッキとの仕切り壁があり、その前には他の車両同様に荷物棚があります。
車いすスペースに近いこちらの仕切り壁の扉は両開きで
幅が広い車いす対応形となっています。
わかなb12
切り返して近鉄奈良方へと見た車内光景。
わかなb13
2号車連結部手前のドア前の荷物置き場です。
こちらは両側共に大型スーツケース対応形となっています。
わかなb14
3号車の京都大阪方の乗降デッキです。
客室との仕切り壁の扉も幅が広くなっていますが、乗降扉も他の車両の折り戸ではなく
幅の広い引き戸となっていて車いすでの乗降に対応しています。
わかなb15
乗降デッキに設けられている車いす対応トイレ。
わかなb16
トイレ前から京都大阪方へとクランク状に伸びる通路は
4号車への貫通扉へとつながっています。
わかなb17
貫通扉前には両脇に洗面台と男性用トイレが。
洗面台は2号車と同様に信楽焼の陶器が使われています。
わかなb18
切り返して貫通扉側から近鉄奈良方の客室方向へと
デッキ通路を戻ります。


わかなb19
京都大阪方の先頭車両となる4号車のモ19201形です。
編成略記号はMcM(動力車)c(制御車)
モーター搭載の運転台のある先頭車両となります。
わかなb28
この4号車も車両の両端の屋根上にパンタグラフが計2基搭載されていて
架線から集電を行っています。
わかなb20
近鉄奈良方から見た車内客室の様子です。
4号車は両側に7セットづつ計14セットのツインシートがあり計28席があります。
わかなb21
京都大阪方の客室端部の光景です。各車両の両端に設けられた荷物棚ですが
4号車京都大阪方は片側のみに荷物棚があります。
わかなb22
そして荷物棚の並びにはご覧のライブラリーの書棚があります。
あをによしが運行する奈良や京都など沿線の案内に関する本が置かれており、
反対側に設けられたソファシートで閲覧をすることができます。
わかなb23
切り返して見た車内客室。
わかなb24
近鉄奈良方車端の貫通扉前付近です。こちらも両脇に荷物棚があります。
わかなb25
こちらは4号車京都大阪方の乗降デッキの様子です。
運転台の真後ろに乗降デッキが設けられています。
わかなb26
乗降デッキから客室へと入る仕切り壁の扉。



わかなb29
以上で近鉄観光特急「あをによし」の各車両についての詳細を終わります。
老朽化した列車を観光列車に改造して収益を挙げるスキームは
近年の鉄道会社ではポピュラーな手法になりつつあります。
スナックカーを改造した「あをによし」も50年近い車齢の車両を改修して使っていますので、
乗れる時に早めに乗っておく事をお勧めします。

では。

【写真撮影・2022年11月】

でんこの元ネタ
■No.121 生駒わかな(Ikoma Wakana)
 ■タイプ:トリックスター
 ■誕生日:4月29日

■出身駅: 近畿日本鉄道 奈良線  生駒駅(奈良)
わかな01



わかな03
こちらは県道142号生駒停車場宛木線が北から西へと曲がっている
東新町交差点を東側から見た光景です。
わかな04
2.8kmほど北で国道168号線から分岐している県道142号生駒停車場宛木線は
近鉄の跨道橋のガードをくぐったこの交差点で線路沿い西へと進路を変えています。
わかな05
東新町交差点の南方向はこの交差点を起点とする県道104号谷田奈良線で
800mほどでこちらも国道168号線へと連絡をしています。
わかな06
近鉄の築堤に沿って200mほど西進すると左手には近鉄生駒線が迫ってきて、
ガードのある東新町西交差点の信号があります。
わかな07
交差点から50mほどである近鉄生駒線の跨道橋。
わかな08
線路をくぐって100mほど進むと駅前のT字路となります。
わかな12
近鉄生駒駅南交差点の信号。
県道142号生駒停車場宛木線はこの交差点が終点となり、
ここから西は県道237号生駒停車場宝山寺線へと道路の名前が変わっています。
わかな11
交差点から南側へと分岐する道路の様子。
都市計画道路として駅前から国道へのアクセス道路として整備中であり
駅前からおよそ200mほどが二車線の道として幅が広げられています。
わかな09
そして交差点北側の目の前のこちらが生駒駅の南側の駅舎外観となります。
駅は再開発によって1980年(昭和55年)ごろに橋上駅舎となっており、
こちらは自由通路南詰めの東側にあたります。
わかな32
この交差点前にはペデストリアンデッキへと上る階段があり、
生駒駅の南北自由通路の南詰めへと直結しています。
わかな10
近鉄生駒駅南交差点から西側の駅寄りの道は南側歩道にアーケードが設けられ
「イコマサイスモール」という駅前商店街になっています。
わかな13
県道237号生駒停車場宝山寺線となった駅前通りを西の駅方向へ。
50mほどで跨道橋をくぐって駅前ロータリーの入口へと差しかかります。
わかな14
生駒駅の南口駅前ロータリーの光景です。
市の再開発事業で1983年(昭和58年)に完成したもので
県道と線路との間に一方通行の流入路を設けてロータリーを形成しています。
わかな15
南口ロータリの東側に架かる跨道橋。
ペデストリアンデッキからぴっくり通り商店街の入口へと連絡をしています。
わかな16
西側から見た南口ロータリー。
ロータリー内は県道側がタクシープール、線路側がバス乗降場となっています。
わかな17
北側の歩道に設けられたバス乗降場。
バス会社の誘導整理の職員が常駐しています。
わかな18
歩道の東端のロータリー出口付近にはタクシー乗り場が設けられており、
中央のタクシープールで待機したタクシーが順番を待っています。
わかな19
反対のロータリー西側の入口前にはご覧のグリーンヒル生駒が建っています。
こちらは南口の再開発事業によって1982年(昭和57年)に生駒市によって建てられた駅ビルです。
ペデストリアンデッキと直結しており、多くのテナント店舗の入った建物は
生駒駅と近鉄生駒ケーブル鳥居前駅との連絡道の役割も担っています。


【上写真出典:生駒市オープンデータポータルサイト】
このグリーンヒル生駒の建っている場所は移設前の生駒ケーブル鳥居前駅があった場所で
ご覧の通り目の前のロータリー入口付近にかつての宝山寺の一の鳥居が建っていました。
(註:生駒聖天・宝山寺は神仏習合の寺院なので鳥居がある)
わかな20
駅前の鳥居跡からの参道筋は現在でもロータリーから残っており
市道9号宝山寺参詣線となっています。
わかな25
生駒駅南口付近の地図。
わかな21
駅前ロータリーから西へと県道237号生駒停車場宝山寺線を進み
グリーンヒル生駒の前を60mほど進むとペデストリアンデッキとつながる陸橋があります。
わかな22
この陸橋の、グリーンヒル生駒の向かい側にあるのが
近鉄生駒ケーブルの鳥居前駅の駅舎です。
この駅は生駒駅と相互連絡駅とされています。
わかな23
駅舎一階には生駒警察署近鉄生駒駅前交番が置かれており、
二階部分がケーブルカーの駅となっています。
わかな24
鳥居前駅から70mほど西に進んだ場所にある近鉄生駒駅西交差点の信号。
わかな26
この近鉄生駒駅西交差点からは線路の北側へと渡れる道が分岐しています。
橋のように見えるこの道は滝坂橋という確かに橋なのですが、
近鉄奈良線の新生駒トンネルとけいはんな線の生駒トンネルの
東側入口のちょうど真上となる場所にあります。
わかな27
信号からさらに60mほど西進すると県道は左手にカーブを描いています。
わかな28
ケーブルカーとほぼ並走している県道237号線は宝山寺に向かって
生駒山の坂を上っています。
わかな29
県道の脇にはご覧の通り坂を行き来するケーブルカーの姿を見ることができます。

わかな30
切り返して県道237号生駒停車場宝山寺線を駅方向へと戻ります。
わかな31
鳥居前駅とグリーンヒル生駒の前を抜けて駅前へ。
わかな33
南口ロータリーのバス乗降場からエスカレーターを昇りて
ペデストリアンデッキへと上がります。
わかな34
こちらは生駒駅前のペデストリアンデッキの地図です。
駅舎に面した南北自由通路から南と北それぞれの駅前広場を囲んで
デッキが設けられているのが分かります。
わかな35
南口の広場駅舎寄りのデッキの様子。
わかな36
東西に伸びるホームにそったデッキは西側に進むと
ホーム西端に設けられた生駒駅西口改札の出入口と直結をしています。
わかな46
反対側から見た西口改札の南側入口。
わかな37
駅入口からデッキの西側の奥はグリーンヒル生駒の3階フロアと直結しています。
わかな38
建物の真ん中には駅ビルの中のテナント商店街が。
そのまま生駒ケーブル鳥居前駅への連絡通路となっています。
夜がメインの飲食店が多く昼間は比較的シャッターの降りてる店が多い印象があります。
わかな39
県道の跨道橋と駅ビルの連絡通路はつながっており、
橋を渡ると生駒ケーブル鳥居前駅へと直接入ることができます。

わかな40
鳥居前駅側から見たグリーンヒル生駒方面。
わかな41
駅自由通路方向へとデッキを東に戻ります。
わかな42
自由通路の南詰から今度は跨線橋で県道を反対側のぴっくり通りへと渡ります。
わかな43
跨道橋南側の階段前にはご覧のロビー状のスペースがあります。
わかな44
南詰階段の真下から南に伸びる生駒駅前商店街、
通称ぴっくり通り(頭文字は「ぴ(Pi)」)
です。
わかな45
「日本一アーケードの短い商店街」とも言われるこちらの屋根は100m無いくらいの長さですが、
見るからに昭和なこの商店街は近隣の大規模商業施設の攻勢を跳ね返して
なお且つ生き残っている商店街でもあります。
わかな47
ぴっくり通りからの跨道橋を戻って駅自由通路へ。
わかな48
こちらが生駒駅の南北自由通路の光景です。
橋上駅舎となっておりメインの中央改札がこの自由通路に設けられています。
わかな50
改札脇に設けられた近鉄の自動券売機。
わかな49
自由通路に面した生駒駅中央改札口の光景です。
中央の売店を境にして南の右側が奈良線、
左手北側がけいはんな線の改札に分かれています。
わかな55
右の近鉄奈良線と近鉄生駒線の改札。
わかな56
左の近鉄けいはんな線と大阪メトロ中央線の改札です。
わかな52
自由通路を北側へ。
わかな51
こちらが北側のペデストリアンデッキから見た生駒駅の駅舎外観です。
現在大規模店舗などがあるのはこちら側なので、この北側が生駒駅の外観として
一般的に認識されていると思われます。
わかな53
北側から見た自由通路。入口側に特急券の有人券売窓口があり、
並びに自動券売機も置かれています。
わかな54
南に向かって見た自由通路です。
わかな57
改札の向かい側には壁際にヒップバー(棒状のベンチ)が置かれ
駅周辺の案内地図が設置されています。

わかな60
真北から見た生駒山をバックに置いた生駒駅の全景。
わかな58
こちらは北口駅前のペデストリアンデッキの地図です。
わかな59
北口駅舎前にある「アントレ広場」と名づけられたデッキ上の広場スペース。
わかな61
広場の東の橋には駅前の喫煙所が設置されています。
わかな62
アントレ広場を挟んで駅舎の向かい側に建っているこちらがアントレいこま1です。
生駒駅北口の再開発事業によって1997年(平成9年)に建てられた駅前複合施設であり
市の外郭団体が運営している準公営の施設となります。
近鉄百貨店が入居をしており駅北口の中核となる建物です。
わかな63
再開発でペデストリアンデッキと一緒に作られた建物なので
ご覧の通り生駒駅の北口とアントレいこまはデッキで直結しています。
わかな64
北口の真正面にあるアントレいこま1の近鉄百貨店入口。
わかな81
近鉄百貨店の入口前付近から見た北口ロータリーの光景です。
わかな65
アントレいこま1の西側のデッキを北へと進むと
30mほどでデッキの分岐点があります。
わかな66
分岐点をさらに北へとすすむとベルステージという
デッキ上400平方メートルの広場があります。
わかな67
こちらは生駒駅前の再開発事業によって2014年(平成26年)に完成した複合施設である
ベルテラスいこまの落成と併せて整備されたにぎわい広場であるベルステージの光景です。
わかな68
ベルステージから駅方向へと南にデッキを戻って再び分岐点まで。
今度は分岐を西方向へと進みます。
わかな78
駅前ロータリーから分かれる市道12号線の上を渡るデッキ。
わかな69
渡った先の市道西側にあるこちらの建物がアントレいこま2です。
こちらも1997年(平成9年)の駅前再開発で建てられた複合施設で、
下層階に銀行が入居するほか上階は居住棟となっています。
わかな70
アントレいこま2に接するロータリー北側デッキ。
わかな71
ロータリーの外周に沿って設けられたペデストリアンデッキは
南へと伸びて生駒駅の西口方向へと連絡しています。
わかな72
北口ロータリー西縁のデッキの様子。
わかな79
西縁のデッキから見た北口ロータリーの俯瞰です。
わかな73
こちらはロータリー南西角にあたるデッキに接した
生駒駅西口改札の北側入口の外観。
わかな74
西改札前のコンコースの光景です。
こちらも近鉄奈良線とけいはんな線の改札が分かれて設置されています。
わかな75
改札前から南側のべデストリアンデッキへと出る階段。
わかな76
切り返して南側から見た西改札前です。
わかな77
西改札前から北口ロータリーへと下る階段。
わかな80
階段の地上側から見た入口です。

わかな82
生駒駅北口ロータリーの地上部分の地図です。
わかな83
北口ロータリー南西角の、西改札の階段下付近。
わかな84
線路に沿って東へとロータリーを進みます。
駅舎側には奈良交通バスの乗車券売り場と待合室があります。
わかな85
売り場の先へと進むとロータリーの南東角付近となり
北口の目の前へと上がれる階段が設けられています。
わかな86
階段前付近のロータリー南側歩道はバス降車場となっていて
乗客はバスを降りるとすぐにエスカレーターで駅舎前へと上がることができます。
わかな87
階段前の横断歩道をわたって向かい側のアントレいこま1の前へ。
わかな89
アントレいこま1の1階はロータリーに面していて近鉄百貨店の入口があり、
前の歩道には車寄せが設けられています。
わかな88
北口ロータリーの東縁を北上し、ロータリー北東角へ。
わかな90
ロータリーから北に伸びる市道13号線を渡って
路線バス乗車場となっているアントレいこま2の前へと進みます。
わかな91
切り返して西側から見たアントレいこま2前のバス乗降場付近。
わかな92
再び切り返して北口ロータリーの北西角付近の光景です。
デッキをくぐった先には北西方向へとロータリーから道が分岐しています。
わかな93
北西へと分岐する道の入口にはたけまるホールがあります。
こちらは北口再開発前の1981年(昭和56年)に生駒市中央公民館として
建てられた公共ホールであり2012年(平成24年)に
現在のたけまるホールへと改称しています。
わかな94
たけまるホール前からロータリーを南方向へと進むと
生駒駅南口改札への入口階段前へと戻ります。
わかな95
再びこちらはペデストリアンデッキから見た北口ロータリーの俯瞰です。
わかな96
北口ロータリーの中央部の島部分にはペデストリアンデッキから降りる階段があります。
わかな97
中央部のもう一つのロータリー部分はタクシープールと
一般車両の乗降場が設けられています。
わかな98
切り返して見た中央の一般車両乗降場。
オブジェがロータリーの中央に置かれています。

わかな99
そしてこちらは北口ロータリーの北へと駅正面から伸びている
生駒市道12号線の様子です。ベルテラスいこまの一階部分の前は
車寄せとなっていて一般車両乗降場が設けられています。
わかなa04
【上写真出典:生駒市オープンデータポータルサイト】
この市道12号線はかつての生駒駅北口駅前の商店街でしたが
ご覧の通り狭い道幅に木造の建物が密集するエリアでした。
わかなa01
一般車両乗降場の光景。ロータリー中央の乗降場に比べて
こちらの乗降場は使い勝手がいいのか頻繁に車両が停まっています。
わかなa02
ロータリーから80mほど北西に進むと、ベルテラスいこまの北西角の交差点があります。
交差点からは北東方向への道が整備されていますが、このあたりは生駒駅の北口再開発の北限付近にあたります。
わかなa03
生駒駅北口の再開発が行われた地区の地図。


わかなa05
自由通路の生駒駅中央改札口まで戻って、
まずは南側の近鉄奈良線と生駒線の改札へと入ります。
わかなa11
生駒線側の改札内側の光景。
わかなa06
改札からは各ホームへと連絡しているコンコース階のフロアが広がっています。
わかなa07
入った右手には柿の葉ずしと洋菓子店の店舗が。
わかなa08
フロアの右手南側の様子ですが、こちらにも洋菓子点の店舗があり
店舗脇にはケーブルテレビの広告モニターが設置されています。
わかなa10
コンコース階フロアの中央付近にある陶壁のオブジェ。
「harmany1997」と題された作品は生駒の陶芸家の手によるものです。
わかなa12
改札正面のフロア反対側の東側にはファミマの店舗が。
近鉄は2013年(平成25年)にファミリーマートと業務提携、
2018年(平成30年)には包括協定を結んでおり駅中の売店もファミマが出店しています。
わかなa13
そのファミマから東側を見るとご覧の中間改札があります。

生駒駅では大阪メトロ(旧・大阪市営地下鉄)と相互直通乗り入れをしている近鉄けいはんな線と、
近鉄奈良線・生駒線の乗り換えができます。大阪の都心へと地下鉄に乗り継ぐ場合
奈良線経由とけいはんな線経由では大阪メトロ区間で差額が大きい事から
適正な運賃が徴収できる様に大阪メトロ側の要請でこの中間改札が設けられたとされています。
わかなa14
中間改札から西の中央改札方向へ見た光景。
それぞれの改札脇には精算の為の窓口や精算機が置かれています。
わかなa15
再び中央改札の前へ。

わかなa16
生駒駅改札内のコンコースフロアのちょうど中央部付近には
改札正面に東西へ3つの階段が並んであります。
これは3面6線のホームのある生駒駅の中央部に位置する3、4番線へと下る階段です。
わかなa17
ホーム側から見た階段付近。
わかなa18
こちらが東西に3本並ぶ生駒駅のホームの真ん中に位置している3、4番線ホームです。
近鉄奈良線が使用しているホームであり、北側の3番線が下り線近鉄奈良方面行き、
南の4番線が上り線の大阪難波方面行きとなります。
わかなa19
大阪難波方の西方向へとホームを進むと、生駒駅に二つある跨線橋のうち
西側にある西出口へと通じる跨線橋の階段があります。
階段脇を抜けてさらに西方向へ。
わかなa20
3、4番線大阪難波方の西端の様子です。
ホームの先には1964年(昭和39年)に開通した新生駒トンネルが見えます。
わかなa21
切り返して東の奈良方面へ。
わかなa22
東西の二つの跨線橋の間のホーム中央部付近の光景です。
わかなa23
階段脇からさらに東へと進むと、コンコースフロアの真下付近に。
ちょうど中央改札口の真下付近に位置する場所となります。
わかなa24
階段したにある、助役の札の掛かった乗務員詰所の扉。
わかなa25
コンコースフロア真下付近の3、4番線ホーム。
わかなa26
ちょうどファミマの下付近のホームにご覧の特急券販売機が設置されていました。
わかなa27
ホーム東側の近鉄奈良方の光景。
東端には地下連絡通路へと下る階段があります。
わかなa28
切り返して再び西方向のホーム中央側へと向き直った景色です。
わかなa29
生駒駅中央部の跨線橋の階段前付近まで戻ります。
この付近はエスカレーターの前なので旅客の利用が多い場所でもあります。

わかなa30
いったん中央改札口側の改札階コンコースフロアへと戻ります。
フロア南側の5、6番線ホームへの階段へ。
わかなa31
洋菓子店の店舗を挟んで二つの階段がホームへと連絡しています。
わかなa32
こちらが駅の一番南側に位置している島式の5、6番線ホームです。
近鉄生駒線の終点駅で両番線ともに下り線王寺方面行きとなります。
わかなa33
ホーム東端部の様子。地下連絡通路への階段があります。
生駒線の線路はホームの先から奈良線と離れて右手へとカーブを描いています。
わかなa34
切り返してホームを西方向へと戻ります。
わかなa35
中央改札への跨線橋の階段脇を抜けてさらにホームの西側へ。
わかなa36
5、6番線ホームの東側の様子です。
中央の改札前コンコースのフロア下付近にあたる場所です。
わかなa37
東側の階段脇からホーム東端へ。
駅の中央コンコースへと上がるエレベーターが設置されています。
わかなa38
エレベーター脇の6番線側はご覧の通り終端の車止めが。
わかなa39
切り返してホーム中央側へと戻ります。
わかなa40
西側階段下に作られた待合室の中の様子。
わかなa41
階段脇からホーム中央部へと進みます。

わかなa42
中央改札口前の改札外自由通路まで一旦戻ります。
真ん中の売店前から今度は左のけいはんな線の改札へと入ります。
わかなa43
こちらが生駒駅中央改札のけいはんな線改札です。
大阪メトロへと直通しているけいはんな線は他の近鉄路線とは改札が分離されています。
わかなa44
改札内側から見たけいはんな線改札付近。
入ってすぐに左手に駅長室があり、脇にはホーム連絡エレベーターがあります。
わかなa45
改札内を奥へと進みます。けいはんな線側の構内はご覧の通り
通路の様に一本道のスペースとなっています。
右側中間改札脇には自動精算機や有人の精算窓口が。
わかなa46
東端の中間改札付近の様子です。
奈良線生駒線のコンコースと分離されています。
わかなa47
中間改札の反対側にはホームへの階段とトイレが。
わかなa48
連絡階段からホームへと下ります。

わかなa49
こちらが生駒駅の1、2番線ホームです。
1986年(昭和61年)に近鉄東大阪線として開業したけいはんな線のホームとなります。
わかなa50
けいはんな線に名称が変わったのは2006年(平成18年)の学研奈良登美ヶ丘駅延伸の時で、
路線カラーも大阪メトロ中央線に合わせた薄緑色となっています。
駅ナンバリングも大阪メトロと共通の通し番号となっており、
生駒駅の駅名標もけいはんな線独自のデザインで他の近鉄戦とは異なっています
わかなa51
この1、2番ホームは線路の上に架線が無く、
線路脇に集電レールが設けられた第三軌条方式となっています。
これは相互乗り入れ先の大阪メトロが第三軌条方式である為で
近鉄ではけいはんな線のみ採用されています。
わかなa52
ホーム東端側の近鉄奈良方の様子です。
このホームも東端に連絡地下通路への階段があります。
わかなa53
切り返して西の大阪難波方へ。1、2番線ホームのこの東側は
跨線橋からのエスカレーター前で旅客の多い場所です。
わかなa54
階段前付近。けいはんな線にはは
東大阪線として開通した長田駅━生駒駅までのキロポスト(長田起点)と
京阪奈新線として新設された生駒駅━学研奈良登美ヶ丘駅間(生駒起点)の
二つの距離標があり、生駒駅がその境界となっています。
わかなa55
けいはんな線はワンマン運転を行っている為、
1、2番線ホームにはご覧のセンサーポールが設けられています。
わかなa56
階段脇から中央改札側コンコース階の跨線橋の下へ。
わかなa57
階段はコンコース階の東奥付近、エレベーターは西の改札脇付近へと通じています。
わかなa58
エレベーターの先は跨線橋下を抜けてホームの西側へ。
わかなa59
6両編成で運用されているけいはんな線では、近鉄特急などに比べて編成が短く
有効長が必要でない為、ホーム西側は両側に柵が立てられ
線路と仕切られて通路の役割となっています。
わかなa60
ホーム西端の西改札へと連絡している階段。
切り返して1、2番線ホームの中央方向へと戻ります。
わかなa61
東側から見たけいはんな線ホームの跨線橋下付近。 わかなa62
西の近鉄奈良方へと進みます。
けいはんな線の生駒駅━学研奈良登美ヶ丘駅間は実は近鉄ではなくて
奈良生駒高速鉄道という第三セクターが第三種事業者として施設を保有しています。
わかなa64
当駅以西は近鉄は第2種事業者として運行のみを担当しているので
この生駒駅けいはんな線ホームの跨線橋下に乗務員詰所が設けられており、
付近で近鉄の乗務員が交代する姿を見ることができます。
わかなa63
階段脇を抜けて再び1、2番線ホームの西方へ。

わかなa65
こちらは1、2番線ホームの東端の近鉄奈良方にある地下連絡通路へ下る階段です。
生駒駅では構内東側にこの地下通路があって各ホームを連絡しています。
わかなa66
階段下にある中間改札。けいはんな線とその他の近鉄線とを区分けする改札は
ご覧の通り構内地下連絡通路にも設けられています。
わかなa67
近鉄奈良線側から見た中間改札の窓口付近。
わかなa68
中間改札から南方向へ、線路をくぐって地下道が伸びており
3、4番線ホーム、5、6番線ホームへと連絡しています。
写真は中間の3、4番線ホームへの階段。
わかなa72
近鉄奈良線ホームと地下連絡通路との階段の様子です。
わかなa69
こちらは連絡地下道の南側の、5、6番線ホーム寄りの部分の光景。
カーブを描く生駒線の影響で若干通路が長めとなっています。
わかなa70
5、6番線の生駒線ホームと地下連絡通路とを結ぶ階段。
わかなa71
切り返して南側から見た地下通路の光景です。



ターミナル駅である生駒駅について書いたところ、駅の紹介で字数のキャパ一杯となりました。
車両についての続きはその2で書きたいと思います。

では。

【写真撮影:2022年11月】

でんこの元ネタ
■No.120 新藤原ぼたん(Shinfujiwara Botan)
 ■タイプ:サポーター
 ■誕生日:11月15日

■出身駅: 野岩鉄道 会津鬼怒川線  新藤原駅(栃木)
ぼたんa25


ぼたん04
こちらは鬼怒川沿いを走る国道121号線の、
鬼怒川公園駅から北に600mほど進んだ付近の光景です。
箱根や熱海と並んで「東京の奥座敷」と呼ばれた鬼怒川温泉郷の北端にあたる場所で
国道脇にご覧の鬼怒川温泉の標柱が建っています。
ぼたん06
この付近は鬼怒川左岸(東側)に国道121号線と東武鬼怒川線が並走しており、
国道から眼下には鬼怒川の河原やキャンプ場などが眺められます。

ぼたん07
鬼怒川温泉の標柱から北に200mほど進むと東武鬼怒川線の第45号踏切があります。
ぼたん08
この45号踏切から西側へはご覧の「小原通り」と書かれた集落の道が分岐していますが、
こちらが会津西街道の旧道であり小原沢を渡河した街道は今市へと至っていました。
ぼたん09
会津西街道はこの踏切で現在の国道121号線へと合流し、
ここから北は国道が会津西街道のルートを進んでいます。
ぼたん05
街道跡である国道121号線を北へと進みます。
右側には東武鬼怒川線の線路が並んで並走しています。
河と国道、そして鉄道が並ぶ光景はこの付近が狭隘な渓谷であることを示しています。
ぼたん10
そしてこの街道の途中の線路脇にはご覧の石仏が集まった一角があります。
ぼたん11
この石仏群は日光市指定の有形民族文化財である「勝善碑ならびに馬頭観世音碑群」です。
これらの石仏は会津西街道の往来の荷物輸送が主な収入源だった藤原の人々が、
難所で亡くなった馬の供養の為に死んだ馬の捨て場であった鬼怒川の断崖近くに
一頭ごとに建てた供養碑なのだそうです。
ぼたん12
北に進みカーブを曲がると民家が見え始めます。
会津西街道の藤原宿のあった盆地の南端付近となります。
ぼたん13
スキーのレンタル店の前を過ぎると国道はまもなく駅付近へと差しかかります。
ぼたん14
ご覧のT字路が駅への入口となる交差点であり、
国道からは50m先の駅を見ることができます。
ぼたん15
切り返して国道を南へと振り返って駅前交差点側から見た光景。
ぼたん16
「鯉のあらい」の看板のある川の脇に
見落としそうな細い道が枝分かれしています。
ぼたん17
道を進むと線路の下をくぐるご覧の地下道があります。
ぼたん18
地下道を通り抜けると反対の駅東側へと出る事ができます。

ぼたん19
駅前のT字路へと戻って国道を北へと進むとすぐに藤原バス停があります。
ぼたん20
バス停の先を北へと進むとまもなく右手にゆるやかなカーブがあります。
駅前交差点から90mほどのこのカーブには横断歩道があり、その東側には
ご覧の「藤原デイサービスななほし」という施設があります。
このデイサービスのある場所がかつての会津西街道藤原宿の本陣跡となります。
代々藤原の名主を務めた星家があった場所が本陣だったのだそうです。
ぼたん21
その本陣跡の国道を挟んだ向かいにあるのがこちらの清隆寺の入口です。
かつて鎌倉時代の1265年(文永2年)に日蓮上人が一週間藤原宿本陣に滞在したことから
その時の藤原の名主の星家が開基檀方となって1288年(正応元年)に開かれた寺です。
ぼたん22
会津西街道である国道121号線の、かつての藤原宿のあった付近の光景。
現在でも比較的民家や店舗が並ぶ集落となっています。
ぼたん23
街道沿いの藤原の集落の光景。
ぼたん36
国道の西側には日光を開山した勝道上人が開いたとされる慈眼寺があり
いくつもの市指定文化財があります。この寺は日光中興の祖とされる天海大僧正(慈眼大師)も
会津西街道を往来する際に好んで立ち寄ったとされる由緒ある寺です。
ぼたん24
慈眼寺、十二神社の前を通過すると宿場街の北方で
国道と県道が分岐しているT字路があり青看板の標識があります。
ぼたん25
こちらが国道121号線から県道63号藤原宇都宮線が分岐している交差点です。
この交差点が県道63号線の起点となっています。
ぼたん26
県道との分岐の交差点からさらに北へ。
会津西街道の標識と国道121号と352号の併用区間であることを示す標識があります。
ぼたん27
坂を上って国道を進むとまもなく左へのカーブに。
駅前の交差点からはおよそ900mといった距離となります。
ぼたん28
このカーブ脇にはそば店の大黒庵とハイセーコー食堂があります。
ハイセーコー食堂の方は店主がハイセーコーで勝ったお金で作った店だからなのだとか。
ぼたん29
カーブからさらに北へと進むとすぐに龍王峡大橋の北詰め付近となり
龍王峡ライン(県道19号藤原塩原線、旧日塩有料道路)の高架を国道がくぐっています。
この高架をくぐると野岩鉄道の龍王峡駅まではおよそ600mほどとなります。

ぼたん30
切り返して国道121号線の坂を下り南の駅方向へと戻ります。
ぼたん31
T字路から県道63号藤原宇都宮線に入って東へ。
ぼたん32
道は塩屋町を経て宇都宮へと通じており主要地方道に指定されています。
ぼたん33
鬼怒川の支流の堰場川に流れ込む七久保沢の橋付近。
かつての藤原の集落はこの七久保沢付近にあったそうです。
ぼたん34
切り返して国道121号線の会津西街道へと戻ります。

ぼたん35
国道121号線の旧藤原宿の街中を駅方向へと南下。
ぼたん37
宿場の中心地であった付近の街道を下ります。
ぼたん38
旧本陣跡の前を通り抜けて駅前の交差点へ。
ぼたん39
T字路を東に入るとすぐに左手に道はカーブを描いており、
50mほど進んだところに駅舎への入口があります。
ぼたん40
こちらが新藤原駅の駅舎の外観です。
駅は1919年(大正8年)12月28日に下野軌道藤原駅として開業したもので
現在の場所には1922年(大正11年)に駅が移設されました。
1943年(昭和18年)に東武鉄道の駅となり、1986年(昭和61年)の野岩鉄道の開業で
駅管理も野岩鉄道へと移管されています。
ぼたん41
切り返して駅舎側から見た国道側への光景。
ぼたん42
駅前にあるポストと案内地図。地図には龍王峡の案内が書かれている様ですが
ご覧の通りすっかり退色してしまって読み取れなくなっていました。
ぼたん43
この看板のある駅舎の向かいの家は、現在の駅舎に改築された頃の写真を見ると
商店として営業していましたが現在では店は廃業している様で、
建物は変わらないものの普通の民家となっています。
ぼたん44
ポストと看板の向かい側の、駅舎の南側には1番線線路脇の駐車スペースがありますが
この場所が1986年(昭和61年)に現駅舎が建つ前の東武時代の木造駅舎があった場所です。
当時の写真を見ると駐車スペース付近が旧1番線ホーム跡であり
その前の現在道路となっている場所にかつての駅舎が建っていた様です。
ぼたん45
駅舎前に隣接する道路の様子です。
ぼたん46
西側に設けられた野岩鉄道の職員駐車場。
ぼたん47
道の突き当りはちょうど藤原宿本陣跡のデイサービス施設の建物の裏となります。
つまり新藤原駅は藤原宿本陣跡の真裏に作られているという事です。
ぼたん48
突き当りを反対の東側へと曲がるとすぐに踏切となります。
ぼたん49
この新藤原駅北側の踏切は野岩鉄道の新藤原踏切です。
かつて鉄建公団の野岩線として作られた野岩鉄道は高規格で線路が敷かれており、
駅構内の構内踏切を除くとこちらが野岩鉄道唯一の踏切となります。
ぼたん50
反対側から切り返して見た踏切。
ぼたん54
踏切の東側には線路と並走した道が南北に走っています。
まずは線路に沿って南側へ。
ぼたん55
ホームからも見える駅裏の交差点です。
駅南の地下道の出口もこちらの交差点へと通じています。
ぼたん56
南側には関係者以外立入禁止の看板の出た線路沿いの道があって
奥には野岩鉄道の本社の建物と車両基地があります。
ぼたん57
交差点脇の地下道への入口の通路。
ぼたん58
交差点の東側は細めの坂道となっていて、日光市の藤原運動場や
国道交通省日光砂防事務所藤原出張所などへと通じています。
ぼたん59
坂から見た新藤原駅の俯瞰。
ぼたん60
ホームに沿って北の踏切方向へと戻ります。
ぼたん61
踏切を過ぎてさらに線路沿いの道を北へ。
ぼたん62
駅から120m北にある、野岩鉄道に入って最初のトンネルである
藤原トンネルの入口が見えます。
ぼたん63
トンネルの入口上から見た新藤原駅方面の光景。

ぼたん64
切り返して駅方向の踏切へと戻ります。
ぼたん65
踏切から駅舎の入口へ。
ぼたん66
新藤原駅の駅舎前付近の道路の様子です。
ぼたん67
先代駅舎跡である駐車場の南端の先には
ご覧の東武鉄道の新藤原乗務員詰所の建物があります。
新藤原駅は東武鉄道と野岩鉄道の境界駅で、東武の乗務員の乗務の北限の駅となるので
折り返しの待ち時間の為に東武側ホームの脇に詰所が設けられています。
ぼたん70
それでは駅舎と駅施設について見てみたいと思います。
東武鉄道の北限の駅としてながらく営業をしてきた駅ですが、
1986年(昭和61年)10月に野岩鉄道が開業したことによって駅管理も
東武鉄道から野岩鉄道へと移管
されています。
現在の駅舎も野岩鉄道移管時に建てられた野岩鉄道の設備となっています。
ぼたん68
駅舎前の階段脇に作られたバリアフリーのスロープ。
ぼたん69
入口前のスペースの様子です。木製のベンチとプランターが置かれています。
ホーム側との柵には扉がついており業務での通り抜けが可能です。
ぼたん71
駅舎の中の光景です。有人窓口があり改札も駅員が行っています。
自動券売機も置かれておらず切符は窓口での購入となります。
待合室として改札前にベンチが置かれています。
ぼたん72
自動改札機も置かれていませんが、東武鉄道の北限駅であるため
ご覧の通り簡易ICカード改札機が置かれているので
当駅以南の乗車であればICカードの使用が可能です。
ぼたん73
改札付近の様子。ホーム側には出場用のICカード改札機があります。
ぼたん74
駅構内側の改札前を南北に通る連絡通路。

ぼたん75
改札を入って右手の南側へと連絡通路を進むとまもなく
ホームへのスロープがあります。
ぼたん76
こちらが1、2番線ホームとなります。東武鬼怒川線の終着駅である当駅で
東武鉄道の列車が発着するホームとなっており、当駅折り返し列車は1番線、
野岩鉄道へと直通列車は2番線を使用する事となります。
ぼたん77
野岩鉄道が開通する前の単式の東武旧1番線ホームは、
現在の1番線線路の西側にありました。今使われている島式のホームは
野岩鉄道の開業時に駅舎と共に新しく作られたものとなります。
ぼたん78
ホームの上には全面に屋根が設けられていいます。
下今市方で2番線はホームが切り欠きとなっています。
ぼたん79
1番線ホーム側の下今市方の南端の様子です。
6両編成の特急列車が停まれる様にホーム有効長が伸ばされています。
ぼたん80
切り返して会津高原尾瀬口方の北へと見たホームの様子。
このホームの駅名標や表示は東武鉄道の仕様となっています。
ぼたん81
中ほどで隣の野岩鉄道ホームの南端と並びます。
2両がデフォルトの野岩鉄道ホームと比べて
こちらの東武ホームの有効長の長さが際立ちます。
ぼたん83
1番線の線路の終端。野岩鉄道開通前は新藤原駅はこちらの線路のみの駅でした。
現在は車止めの前に駅舎がありホームは反対の線路東側となっています。
ぼたん84
2番線ホーム側は駅舎前にもホームが伸ばされており、
隣の野岩鉄道ホームと北端の位置が揃えられています。
ぼたん85
切り返して再び南へと進みホームの入口へと戻ります。
ぼたん86
1、2番線ホームから連絡通路を戻って改札前へ。
ぼたん87
改札前から今度は左手北側へと連絡通路を進みます。
ぼたん88
駅舎と野岩鉄道ホームとを連絡する構内踏切。
ぼたん89
踏切を渡ると右に通路が曲がっており、こちらもホームへのスロープとなります。
ぼたん90
こちらが島式の3、4番線ホームです。
1986年(昭和61年)の野岩鉄道会津鬼怒川線の開業で作られたホームで
当駅から北の野岩鉄道へと乗り入れる列車が発着するホームとなります。
ぼたん91
西側の3番線の線路は、となりのホームの2番線と線路が共有で使用されています。
ですので当駅は島式2面で線路が3線となっています。
ぼたん92
ホーム南端の下今市方の光景。野岩鉄道のホームとなるので
隣の東武ホームに比べて有効長が短いのが分かります。
ぼたん93
ホーム南端の先に置かれた勾配標。
ぼたん94
切り返して会津高原尾瀬口方の北へ。
ぼたん95
今は使われていない売店跡がホームに残っています。
ぼたん96
北端の会津高原尾瀬口方。ホームの出入り口は連絡通路のあるこちらの北側のみです。



■モデル車両: 東武鉄道 6050系電車
ぼたん02


東武6050系電車は野岩鉄道会津鬼怒川線が開業する1985年(昭和60年)に
野岩鉄道と東武鉄道間の直通運転を行う為に作られた車両です。


元々は国鉄(当時)と東武日光線の競合による競争で、国鉄の準急形電車投入に対抗する為
居住性とスピードを兼ね備えた準急形車両として
1964年(昭和39年)から新製投入された東武6000系が元となっています。

登場当時は国鉄車両に対抗できるスペックの高い6000系でしたが、
さすがに登場から20年が経過するとまわりの車両も進化し車両設備も陳腐化してきます。
そこに1986年(昭和61年)10月の野岩鉄道開業による新藤原駅以北の開通によって
トンネルが大部分を閉める会津鬼怒川線への直通運転に備えた車両整備の必要もあり、
ちょうど車両更新の時期を迎えていた6000系を車体更新の上で
一部部品を流用した改造工事を行う事となりました。

こうして22編成44両あった東武6000系はその全車両が改造更新されており、
1985年(昭和60年)10月から翌1986年(昭和61年)10月までで全ての車両が
東武6050系として作り変えられています

ぼたんa01
改造工事を終えた東武6050系の最初の編成である6151Fが運用に就いたのは
1985年(昭和60年)11月15日
のことでした。

駅メモのでんこである新藤原ぼたんの誕生日が11月15日に設定されており、
これは東武6050系が更新後に営業運転を開始した日と同一となっています。
ぼたん97
以後6000系は次々と短期間に急ピッチで6050系への改造工事が進められており、
1年あまりで編成全てが更新されて東武日光線と東武鬼怒川線の快速・区間快速を中心に
運用をされ野岩鉄道会津鬼怒川線への直通運転を行っています。
また1990年(平成2年)の会津鉄道の会津田島以南の電化後は
会津鉄道会津線へも直通運転が行われています。

東武6000系の改造によって22編成44両が作られた6050系ですが
野岩鉄道開業に際して1985年(昭和60年)と1986年(昭和61年)に1編成づつ、
1988年(昭和63年)には直通乗り入れ電車の車種統一などで8編成が、
会津鉄道電化の1990年(平成2年)には会津鉄道所有車の200番台が1編成
それぞれ完全新造されて増備されています。
ぼたん99
【上写真:野岩鉄道6050系100番台】
6050系新造車のうち3編成が100番台として野岩鉄道に、
1編成が200番台として会津鉄道へとそれぞれ東武鉄道から譲渡されており、
野岩鉄道6050系100番台、会津鉄道6050系200番台としてそれぞれ運用されています。

6050系の更新車両と新造車は台車の形式が違うのだそうですが、
その他細かい差異はあれどほぼ同一の車両であると言って差支えは無いでしょう。
ぼたんa02
東武6050系の車体のカラーリングはジャスミンホワイト(    をベース色としており、
帯色にパープルルビーレッド(    サニーコーラルオレンジ(    を配しています。
駅メモのでんこの新藤原ぼたんの衣装を見ると配色が同じであることが良く分かります。
ぼたんa03
この6050系の配色はその後東武100系スペーシアに採用されるなど
東武鉄道の日光方面優等列車のイメージカラーとなっています。


その後6050系は2017年(平成29年)4月のダイヤ改正で快速、区間快速と
浅草━新栃木間の区間急行が廃止された事で
東武日光線南栗橋駅より南での運用が無くなりました。

また2022年(令和4年)3月のダイヤ改正では
東武鉄道所有の6050系の旅客運用が全廃となり、
会津鉄道所有61201Fと野岩鉄道61101Fも廃車となった事から
旅客運用をされている6050系は野岩鉄道の2編成のみとなりました。
ぼたんa04
2022年(令和4年)10月に駅メモで6050系をモチーフとした新藤原ぼたんが登場しましたが、
キャラのリリース時に運用されている6050系は野岩鉄道6050系100番台の
鬼怒川温泉駅━会津高原尾瀬口駅間を走る2編成のみ
となっています。


【上動画はクリックで再生します。】
こちらは新藤原駅へと入線する6050系の動画です。
以下ではこの6050系について各車両について見ていきたいと思います。


ぼたんa06
鬼怒川温泉方に編成されるモハ6150形です。
モ(動力車)ハ(普通車)となりモーターを搭載している普通車両となります。
編成略記号ではMcM(動力車)c(制御車)となり、動力のある運転台付き車両となります。
ぼたんa13
パンタグラフは両側車端の屋根上に1基づつ計2基が搭載されています。
このうり運転台側の1基は霜取り用パンタグラフです。
寒冷地を走る東武日光線や野岩鉄道では冬季に架線に雪や霜が付着する為
進行方向前側のパンタグラフで霜を落とし後方のパンタで給電を行っています。

新藤原ぼたんの背中には車両と同じ下枠交差式のひし形パンタグラフがあります。
またカメラの三脚を見ると集電シューと同じ形状であることが分かります。
ぼたんa07
鬼怒川温泉方車端の運転台後部付近の様子です。
運転台の仕切り壁の背後には両側に2人掛けロングシートがあります。
ぼたんa11
そのロングシートの横の乗降扉付近。車両は片側2ドアのセミクロスシート車両となっており
扉の両側の座席がロングシートとなります。
ぼたんa08
車内客室の様子。扉間の座席はご覧の通りボックスシートとなっています。
ぼたんa09
会津高原尾瀬口方の連結部付近。こちらも車端両側に2人掛けロングシートがありますが
優先座席となっていてモケットの色がブルーグレーとなっています。
つり革も優先座席付近だけ三角の黄色のものに。
ぼたんa10
切り返して見た車内客室。


ぼたんa12
二両編成の会津高原尾瀬口方に編成されているクハ6250形です。
ク(付随車)ハ(普通車)で動力を持たない客車車両となります。
編成略記号ではTcT(付随車)c(制御車)ですので
運転台があり動力の無い制御車両という意味となります。
ぼたんa14
会津高原尾瀬口方の車端運転台後方付近。
ぼたんa21
こちらは運転台の扉の上に設置されている行先表示器です。
同じ編成で2両ごとに行き先が異なる運用がされることも多かった為
乗客の誤乗防止の為に大きく目立つ回転幕式の表示器が設けられていました。
ぼたんa22
運転台の中の様子。貫通扉付近に見えるステップは非常用の梯子で、
大半をトンネル区間が占める野岩鉄道を走る事から備えられているものです。
ぼたんa15
車内客室の光景です。セミクロスシート車両であるのは同様です。
ぼたんa16
鬼怒川温泉方の車端付近。乗降デッキの先の
連結部前東側には和式トイレが設置されています。
ぼたんa17
トイレの向かい側は車いすなどに対応のフリースペースが。
妻側の壁にはくずもの入れが設けられています。
ぼたんa18
切り返して見た車内。車端にトイレがあるのでクハ6250形の優先座席は
ご覧の通り後部乗降扉の運転台側の脇にあります。
ぼたんa19
会津高原尾瀬口方へと向かって運転台方向へと見た車内。
ぼたんa20
ボックスシート席は1525mm間隔で配置されており
作られた当時としては広めとなっています。
グループ利用を想定した折り畳みテーブルが窓側にあり
テーブル脇のボタンを押して開閉し使用することができます。


ぼたんa26
新藤原ぼたんのリリース時には野岩鉄道6050系100番台しか営業運転をしておらず
上の詳細写真も野岩鉄道車のものですので、参考として2017年(平成29年)に撮っていた
東武鉄道6050系の車内の様子の写真も載せておきます。
ご覧の通り基本的には外観は変わりません。



ぼたん98
この6050系という電車は元の種車の東武6000系から数えると2022年現在で58年、
東武6050系へと改修されてからでも37年が経過している車両です。
ですので6050系をモチーフとしている駅メモのでんこの新藤原ぼたんにも
各所で「パーツが古い」といった類の設定が見受けられます。
ぼたんa05
そして唯一6050系が残る状況となった野岩鉄道では
2022年(令和4年)8月より6050系改修費用のクラウドファンディングを実施。
資金の調達に成功しており、2023年(令和5年)3月に改修を予定しています。

これによって6050系には観光列車的な改修がされるという事となり、
登場以来の姿を保っている6050系は2022年度中までしか
見られないという公算が大きい
ということになります。

もちろん今後もしばらくは野岩鉄道で6050系を見ることはできるでしょうが
原型の6050系を見ることができる期間は残り僅かであるという事は念頭に置くべきでしょう。



ぼたんa24
ここからは余談となりますが、6050系モチーフのでんこが登場すると分かった当初は
「とうとう東武鉄道のでんこが登場するのか」と思いました。

しかし、
 ■東武6050系は野岩鉄道開業の為に生み出された形式
 ■リリース時に走る6050系は野岩鉄道のもののみ
 ■苗字の由来である新藤原駅は野岩鉄道管理駅
 ■開業以来野岩鉄道が保有する車両は6050系のみ


といった点を考え、また駅メモのでんこには第三セクター由来のものが多い状況などから
新藤原ぼたんは野岩鉄道由来のでんこであると推測するに至りました。
ですので駅については野岩鉄道の駅として扱っています。


そして車両については
 ■野岩鉄道6050系も元は東武鉄道からの譲渡車である事
 ■東武鉄道との関係性(地理的なものや営業的なもの)が
  6050系が野岩鉄道で開業時に採用された理由と考えられる事
 ■誕生日の11月15日は東武での営業運転開始日(野岩鉄道はまだ無かった)


といった観点もあり、
また野岩鉄道6050系100番台も東武6050系の1形式カテゴリーであると考え
大きなくくりで「東武6050系」を車両の元ネタと考えるのが合理的かと思った次第です。


無論公式な発表はされていないので、あくまで推測でしかありません。
後日に公式発表され異なっていた場合には修正をしたいと思います。


では。

【写真撮影:2022年10月ほか】

でんこの元ネタ
■No.119 青森せいらん(Aomori Seiran)
 ■タイプ:アタッカー
 ■誕生日:3月15日


駅メモのでんこである「青森せいらん」についての記事の続きです。
後半はモチーフとなった列車の紹介部分となります。

その1(由来駅紹介部分)はこちら



■モデル車両: 青い森鉄道 青い森703系電車
せいらん02



青い森鉄道703系電車はJR東日本E721系をベースとして2013年(平成25年)に
2編成4両を新造導入した車両です。総合車両製作所横浜事業所で作られた車両は
2014年(平成26年)3月15日のダイヤ改正より営業運転を開始しています。
せいらんa70
駅メモのでんこの青森せいらんの誕生日が3月15日に設定されていますが、
これは青い森鉄道703系の営業運転開始日が元ネタであると見て良いでしょう。

せいらんa69
【上写真:JR東日本E721系0番台】
青い森鉄道703系のベースとなっているJR東日本E721系
仙台空港アクセス線の開業で共通の直通運転車両の増備の必要が生じたことを契機に
老朽化が進んでいた仙台地区の車両置き換えおよび輸送改善の為に導入されました。
2007年(平成19年)2月1日に東北本線で営業運転を開始したのを皮切りに
常磐線、仙山線で順次投入され、1年間で2両編成39本78両が導入されました。
せいらん05
そしてこのE721系からは近隣の第三セクター鉄道でも同型の電車が導入されています。
2007年(平成19年)3月には仙台空港鉄道SAT721系
2019年(平成31年)7月に阿武隈急行AB900系
それぞれE721系の同型車両として新造導入されています。

またJR東日本で2016年(平成28年)11月に導入されたE721系1000番台
青い森鉄道703系で採用された前照灯3灯が継承されており、
製造工場も総合車両製作所横浜事業所で同じという共通点がある車両です。


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【上写真:青い森鉄道701系】
2002年(平成14年)12月に青い森鉄道が誕生した当初は
JR東日本701系を譲り受けた青い森鉄道701系が2編成4両走っていました。
2010年に八戸━青森間も経営分離され青い森鉄道へ編入されると
さらに7編成をJR東日本より譲り受け、合計で9編成18両が現在も在籍しています。
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【上写真:IGR7000系】
ちなみに青い森鉄道と同時に誕生したいわて銀河鉄道でも
JR東日本701系を譲り受けIGR7000系として走らせています。


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車体のカラーリングはステンレス車体の地色にスカイブルー(    がベース色となっています。
そして車体の各所には青い森鉄道のイメージキャラクターのモーリーがあしらわれています。
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青森せいらんの衣装の上着は下部がウェーブを描いていますが、
これはモーリーと並べてみると同じ形状であることからモチーフになっていると思われます。
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また703系限定の仕様として、車体に描かれたモーリーのうち
一両に1体だけピンク色のモーリーがあしらわれています。
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青森せいらんの上着の胸元上部のデザインは車両妻面の前面がモチーフとなっているのは
キャラと列車を並べてみると良く分かります。
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現在(註:2022年)青い森鉄道では2両11編成が運用されています。
そのうち703系は2編成ですので、見れる確率は単純計算で2/11でおよそ18パーセントとなります。
例えば青森駅で703系を待っていても運用の関係から朝夕の通勤時間帯を外してしまうと
日中には3時間に一本程度しか703系を見ることはできません。
ですので確実に703系を見るには計画性が必要であると思われます。


【上動画はクリックで再生します。】
こちらは青森駅を発車する青い森鉄道703系の動画です。
以下で703系の編成の各車両について見てみたいと思います。

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八戸方の青い森702形です。編成略記号はTcT(付随車)c(制御車)となり
動力を持たず運転台のある制御車となります。
片側3扉の通勤通学に対応をした近郊形の車両となっています。
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車両先頭部である八戸方の運転台の様子です。
中央に貫通扉があり連結時には貫通路として隣の車両と行き来ができます。
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運転台のすぐ後ろに乗降デッキがあり、扉脇には2人掛けロングシートがあります。
セミクロスシート車両となっており扉間には
2席×2列のボックス席が片側2セットずつ設置されています。
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ボックス席の座席はご覧の通りで、足元に柱が無く広いスペースが取られています。
また窓側にはドリンクが置ける小さなテーブルが設けられています。
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車両中央部の乗降デッキ付近。ここも扉脇は両側とも
2人掛けロングシートが配されています。
扉のステップには足元注意の為の黄色の点字ブロックが。
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青森方の車両後部の乗降デッキ付近です。
この702形は青森方にご覧の円形のトイレが設けられています。
車いす対応の多目的トイレで、反対側には車いすの置けるフリースペースもあります。
トイレ側の扉脇ロングシートは優先座席に。
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フリースペースにはヒーターと手すりがあり、
その奥には2人掛けロングシートがあります。
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この青森方の乗降扉脇には車いす対応のピクトグラムが貼られています。
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切り返して八戸方へと見た1号車車内客室の光景です。

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青森方に編成される青い森703形です。
編成略記号McでM(電動車)c(制御車)となりモーター搭載で
運転台のある制御電動車となります。
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こちらの車両は運転台と反対側の車両後方の屋根上に
シングルアーム式A-PS109パンタグラフを搭載しています。
青森せいらんの背中のパンタグラフと並べると同じ形である事が分かります。
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2号車連結側の車内の様子です。両側に4人掛けロングシートの優先座席があります。
優先席のモケットは座面が濃いグレーに背ずりが赤とえんじのストライプとなっています。
また床も赤系のストライプ模様となっていてユニバーサルデザインとなっています。
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車内客室の光景。ワンマン運転対応車両なので運転台と反対側の車両後部の扉脇には
乗車証明書の発券機が置かれています。
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乗降扉は脇のボタン開閉式で乗客が開け閉めを行えます。
黄色でボタンが囲われて視認し易くなっていますが、
青森せいらんの衣装のベルトを見ると
この開閉ボタンをモチーフとした飾りがあしらわれています。
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セミクロスシート座席の車内。ボックス席の背板とロングシートの袖仕切り板は
白の不透明の樹脂製となっています。
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青森方車端の運転台背後の乗降デッキ付近。
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運転台の中の様子です。
ワンマン運転時には車掌スペース後方に収納されている料金箱をスライドさせて
貫通路中央に引き出して使用する仕組みとなっています。
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切り返して八戸方へと見た2号車車内。
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車両後方の客室内光景です。


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以上で青い森鉄道703系の紹介はすべてとなります。
JR東日本E721系をベースとする同型車両は東北各地で走っていますので
その関連性を考えるのもまたなかなか面白いと思います。

では。


【写真撮影:2022年9月】

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