でんこの元ネタ
■No.122 小浜まい(Obama Mai)
■タイプ:サポーター
■誕生日:3月15日
■出身駅: JR西日本 小浜線 小浜駅(福井)
こちらは福井県小浜市にあるJR小浜線の小浜駅の駅舎外観です。
小浜線は1917年(大正6年)12月に敦賀駅━十村駅間が開業しましたが、
翌年の1918年(大正7年)11月10日に十村駅から当駅までが延伸され
小浜駅も終着駅として開業しました。
駅メモのでんこの小浜まいの苗字はこの小浜駅が由来となっています。
またこの小浜まいは登場に先駆けた2022年(令和4年)11月に
JR西日本金沢支社と福知山支社とのコラボイベントによって
「小浜線公式キャラクター」に任命されています。
駅舎の出入口は北側のみとなっており、駅前広場に接して国道162号線が
東方向から北方向へと駅前でカーブを描き通っています。
東側の国道162号線からの駅前広場の入口付近。
広場内は時計回りのロータリー状の一方通行となっています。
駅前広場の東側付近の光景。
駅舎正面の入口付近です。
入口前付近はタクシー乗り場となっており、日中は数台のタクシーが待機しています。
タクシー乗り場の西側にはバス乗り場が設けられており、
「小浜駅停留場」のバス乗り場が3つ設けられています。
バスは小浜市内を走るコミュニティバスが2系統ある他、
JRバスが湖西線の近江今津駅まで運行しています。
駅前広場西側にはご覧の小浜警察署の駅前交番が。
バス停の屋根に隣接して交番の建物が建っています。
広場ロータリーの出口付近。国道162号線が直角に曲がる交差点となっており、
また県道14号小浜停車場線の起点ともなっています。
国道側から見た駅前広場の中央島部分。モニュメントが建てられています。
駅舎の入口から中へと入ります。
こちらが駅舎の中の様子です。
改札前には有人窓口と自動券売機があり、右手にはガラスで仕切られた待合室があります。
待合室と改札前のフロアを仕切るガラス壁前には時刻表や掲示物が。
改札はご覧の通り友人改札となっており、改札脇に有人窓口があります。
2022年(令和4年)3月まではみどりの窓口がありましたが廃止されており、
「みどりの窓口プラス」が福井県内では初の導入となっています。
待合室の中の様子です。横並びのシートが並べられています。
南側にはかつて売店のあったスペースが空きスペースとなっており、
イベントスペースとなっています。壁には小浜市内の子供たちの手形のタイルが
2022年(令和4年)12月に小浜線100周年を記念して掛けられています。
待合室奥の西側。自販機コーナーが設けられています。
駅前広場側の窓際に置かれた書棚。
その脇の柱には小浜市の名産である鯖のトリックアートが描かれています。
待合室の西側隅には駅前広場へと出られる出入口があります。
その出入口の前には郵便ポストがあり、上には若狭小浜に伝わる
八百比丘尼伝説にちなんだ人魚の像が置かれています。
待合室西側にある、ガラス壁で仕切られた先のテナントスペース。
以前は飲食店が入居していたそうですが空きスペースとなっています。
小浜駅の改札から駅構内へ。改札口はこの一か所のみとなります。
ホーム側から見た改札付近。
こちらが改札に接している1番線ホームです。当駅はいわゆる国鉄形の配線で
1番線は敦賀方面行きの下り本線ホームですが、
行き違いが無い場合は上り列車も1番線に入線します。
ホーム上に並ぶベンチ。その隣にはかつてホーム上の洗面台があった跡があります。
開業100年の小浜線では1971年(昭和46年)に無煙化されるまでは
蒸気機関車が走っていましたのでその為の洗面設備の名残と思われます。
ホーム東端の敦賀方の光景。有効長の長いホームは現在では不要な為、
フェンスで仕切られて短くなっています。
隣のホームから横から見たフェンス付近。
切り返して見た1番線ホーム。
改札前を通り過ぎホーム西側へと進みます。
東舞鶴方のホーム西側。跨線橋がありホームには階段があります。
階段前の柱には積雪を計る為巻かれたカラーロープが。
階段脇を進んだ先の西側ホーム端の光景。
こちらもフェンスが立てられてホームがカットされています。
再び切り返してホーム中央側へ。
中央部の改札前へと戻ります。
跨線橋の階段へと戻り橋上へと登ります。
橋上から見た小浜駅の駅構内の様子。
階段を下って島式ホームへと下ります。
島式の2、3番線ホームです。
駅舎側の北側2番線は舞鶴方面行きの上り本線、南の3番線は上り1番線とされ
日中は滞泊中の車両が留置されています。
島式ホームの西側敦賀方の光景。このホームもかつてのホーム先端が
フェンスでカットされて有効長が短縮されています。
緑の柱は駅西側を超える跨線橋のものです。
切り返して東方向へ見た2、3番線ホーム。
ホーム中央部付近。建屋の屋根の柱を見ると
ホーム西端に寄るにつれて左右の柱の幅間隔が微妙に狭くなっており
島式ホームの端の幅が狭くなっていることが分かります。
階段脇からホーム東端の東舞鶴方へ。フェンスで仕切られた先のホーム端には
蒸気機関車の時代に使われていたレンガ積みの給水塔が見えます。
給水塔の様子。イギリス積みの構造物はかつてはホームから中を見ることが可能でしたが
現愛はフェンスができてホーム端まで行けなくなっています。
跨線橋の下付近。かつては木造の跨線橋でしたが
2003年(平成15年)の小浜線電化に際して線内設備の改修がされており
跨線橋もその事業の一環で建て替えられたものと思われます。
地面には木造時代の基礎跡が。
再び切り返してホームの階段前へ。
跨線橋を上って改札方面へと戻ります。
階段を下り1番線ホームへ。
駅舎を出て、こちらは駅前広場に接する小浜駅前交差点の光景です。
交差点に面した県道14号小浜停車場線と国道162号線の間にある
若狭おばま観光案内所の建物です。以前は現在交番のある場所にありましたが
2019年(令和元年)にこちらに移転したそうです。
こちらが小浜駅前の地図で、赤線が
駅前から小浜市の中心街へと伸びる国道162号線です。
小浜市街へと伸びる国道162号線。
駅前の交差点から次の交差点までの180mほどには歩道にアーケードがあります。
小浜病院前交差点の信号。
交差点の北東角には名前の通り杉田玄白記念公立小浜病院があります。
近隣の自治体による事務組合で設立された公立病院は
2007年(平成19年)に杉田玄白の名前が冠せられています。
「解体新書」で知られる杉田玄白は小浜にゆかりのある人物で
1983年(昭和58年)に病院前にご覧の銅像が建てられています。
そして病院から国道を挟んだ向かい側にあるのがこちらの小浜市中央公園です。
小浜藩出身の幕末の志士梅田雲浜の像などが置かれたこの公園には
SLが静態保存されています。
こちらが公園に保存されているC58-171です。
1971年(昭和46年)まで小浜線を走っていた機関車で、
現在は市の中心部のこちらの公園に保存されているものです。
再び国道162号線へと戻って北上をすると、小浜病院前交差点から200mほどで
次の信号の交差点となります。
この交差点は市役所前交差点で、北東側には小浜市役所の建物があります。
さらに国道162号線を北上。
小浜駅からおよそ1.2kmの地点で南川に架かる大手橋へと差しかかります。
大手橋を渡って北川と南川に挟まれた中州へ。
橋から70mほどでご覧の「小浜城跡」の看板があります。
看板にしたがって「城内」の地名の横道に入ると
すぐに小浜神社の入口の鳥居が見えてきます。
この神社は雲浜城と呼ばれた小浜城の城跡に作られており、
境内には天守跡の石垣が残っています。
小浜城は江戸時代初頭の1642年(寛永19年)に築城された
若狭酒井家の居城でした。1875年(明治8年)に城跡に小浜神社が建立。
3代家光の老中として知られる小浜藩初代藩主の酒井忠勝公が祭られています。
小浜駅前まで一旦戻り、駅前の交差点から今度は西方向へと伸びている
県道14号小浜停車場線へと入ります。
駅前から放射状に分岐している交差点の西方向に伸びる県道14号線は
はまかぜ通り商店街の名前がつけられ
ご覧の通りのアーケードが両側歩道に設けられています。
このアーケードは1983年(昭和56年)に高度化事業によって整備されたもので
駅前通り商店街は若狭湾からのはまかぜが通り抜けるアーケードとなりました。
アーケードは駅前からおよそ450mほど続いており、
県道14号線が直角に曲がるご覧の交差点まで歩道の両側に屋根があります。
交差点の南西角にあるこちらはまちの駅旭座です。
2016年(平成28年)5月にこの場所に作られ観光案内所や
物販、休憩施設などが置かれています。
敷地のベンチには福井県内の各所で見ることができるフクイラプトルの恐竜博士が。
そして敷地南側にあるこちらの建物が施設名の由来である旭座です。
井県内で唯一現存していた明治期の芝居小屋である旭座の建物を当地に移築し、
市指定文化財として現役の集会施設として現在も使われています。
交差点を西へと直進すると、県道14号からは外れて
まちの駅旭座の脇を抜ける県道15号小浜港線となります。
県道15号線も180mほどで右へと曲がってしまい、
市道となった道をさらに100mほど進むと海岸へとつき当ります。
駅からはおよそ750mほどの海岸通りの先は小浜湾で、北側には小浜港が、
南側には人魚の浜海水浴場の砂浜が広がっています。
まちの駅旭座の前の交差点まで戻って、今度は北側へと見た光景です。
交差点から北に40mほどでご覧の「日本遺産 鯖街道の起点」の標識があります。
標識の指す道の西側には鯖街道ミュージアムがあります。
小浜から京都の出町柳までをつなぐ若狭街道は「鯖街道」と呼ばれ、
室町から江戸時代にかけて鯖をはじめとする海産物の輸送ルートとして賑わいました。
元々ミュージアム前の道はご覧の「いずみ町商店街」という狭いアーケードの通りでした。
ミュージアムもこのアーケードに「鯖街道資料館」として同じ場所にありましたが、
2020年(令和2年)の再開発でアーケードが撤去、道路拡張で資料館も閉館となり
改めて鯖街道ミュージアムとして再開館しました。
ミュージアム前の歩道にある鯖街道起点の石板。
アーケードの中の路上にあったものがこちらに移設されています。
前の道路から北方向を見ると350m先の市役所が見えます。
切り返して南の旭座方面へと戻ります。
旭座の前を通る旧若狭街道の県道14号小浜停車場線。
隣接するまちの駅の敷地には、小浜中組地区の再開発によって
1992年(平成4年)に「つばき回廊」という商業施設ビルがありました。
しかし2004年(平成16年)に中核店舗の西友の撤退が契機で運営会社が破綻。
跡地を小浜市が取得して再・再開発でまちの駅が作られました。
旭座の前を南北に走る県道14号小浜停車場線は
250mほどの南下で今度は小浜住吉の交差点を東へと曲がっています。
東方向へと曲がった県道14号小浜停車場線。
曲がった交差点から100mほどでご覧の小浜線を超える跨線橋の入口となります。
この跨線橋は自動車専用で歩行者や自転車は渡れません。
小浜住吉の交差点に戻って、今度は反対側の西方向へ。
交差点から先は県道235号加斗袖崎住吉線となって
200mほどで若狭湾の海につき当たります。
若狭湾につき当たった海岸のT字路。
跨線橋からこのT字路までのこの道路は真下に堀川という川が流れています。
1976年(昭和51年)に川が暗渠化されて上が道路となり現在に至っています。
交差点つき当たりの海岸側にはご覧のマーメードテラスがあります。
小浜市には八百比丘尼にまつわる「人魚伝説」が伝わっており、
鯖と共に人魚は小浜のシンボルとなっています。
このテラスは堀川の河口に作られたもので、
川が道路となった1976年(昭和51年)に設置されたものです。
テラスの南側には400mほどの人魚の浜海水浴場の砂浜があります。
北側の小浜港方面の光景。
三度小浜住吉の交差点まで戻って、
今度は旭座を背に南方向へと若干狭い道を入ります。
道路の色が変えられているこちらの地区は「小浜西組」で、
2008年(平成20年)に重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。
郵便局前の交差点の西側には小浜八幡宮の参道があります。
旧若狭街道に面したこの八幡神社の例祭は「放生祭」という
若狭最大の秋祭となっています。
郵便局から旧若狭街道を南進して保存地区の街中へ。
街並みは2015年(平成27年)には日本遺産の構成文化財にも指定されています。
クランク状に曲がりながら南進する旧丹後街道の街並み。
この旧街道のクランクに面して空印寺の敷地が接しています。
室町時代の若狭守護館であった当地に建てられた小浜藩酒井家の菩提寺だった寺で、
敷地には八百比丘尼が入定したとされる洞があります。
こちらが境内の八百比丘尼入定洞で、小浜の人魚伝説の元となっている史跡です。
一旦、アーケードの県道14号小浜停車場線から小浜駅前まで戻ります。
駅前に接する国道162号線を今度は東北方向へ。
200mほど進むと国道の西側に、家電量販店やスーパーなどの大型店舗が集まった
ロードサイドのショッピングモールがあります。
小浜線と国道162号線は1kmほど並走しており、
小浜中学校や小浜警察署などの横を経てガード下から小浜線をくぐります。
ガードくぐったを先で国道27号線に合流した国道162号線は
重用区間となって南川に架かる湯岡橋を渡っています。
小浜駅の駅前広場に戻って、東側にある市営駅前駐車場の入口へ。
立体駐輪場の建物の奥に、線路沿いに駐車場の敷地が広がっています。
切り返して見た駐車場の光景。
市営駐車場の入口の脇には同じく市営の駐輪場への通路があります。
立体駐輪場の様子。
そしてその立体駐輪場への通路脇、駅舎の北側には
ご覧の跨線橋の入口の階段があります。
跨線橋の中の様子。
駅ホームの東側敦賀方の上を通る跨線橋の外観です。
線路の南北を連絡しています。
小浜駅の南側付近の地図。駅南側は国道27号線が走っているものの
駅とは直接接しておらず。駅前は住宅地となっています。
跨線橋から東方向への光景。
同じく西方向への光景です。跨線橋の正面付近には保育園があります。
駅南側の道路と線路との間の敷地に設けられた駐車場。
この南側の駐車場はJR定期購入者の為の
指定パークアンドライド駐車場となっています。
駅前道路を西方向へと進むとすぐに左手にカーブを描いており、
100mほど先で県道14号小浜停車場線へと通じています。
県道14号に出ると西側は小浜線を渡る跨線橋があり
小浜住吉のマーメードテラス方面へ。
反対の東側は60mほどで国道27号線と交わる小浜伏原交差点となります。
■モデル車両: JR西日本 125系電車
小浜線は1922年(大正11年)に敦賀駅━小浜駅━新舞鶴駅間で全線開通した路線で、
2003年(平成15年)3月に全線が電化されています。
小浜線が電化された大きな理由は「地元の要望」であり、
福井県を筆頭とする嶺南地域鉄道整備の一環として行われたものでした。
沿線地区の定住人口増大、観光振興、企業誘致といった観点からの利便性向上を目指し、
JR西日本へ沿線自治体が約42億円の資金補助を行ったことから
電化に際して新型車両を導入する事となりました。
【上写真:JR西日本223系2000番台】
車両の開発に際しては、当時JR西日本で多くの車両が導入されていた
ステンレス鋼製通勤形車両である223系2000番台をベースとして、
ローカル線である小浜線での単行運転が可能な様に両運転台構造とされました。
こうして小浜線の為に開発されたのがJR西日本125系電車となります。
2003年(平成15年)3月15日に8両が小浜線に投入され営業運転を開始しており、
以後加古川線や湖西線にもこの125系電車が製造され投入をされています。
駅メモのでんこの小浜まいの誕生日が3月15日に設定されていますが
これは小浜線での125系の営業運転開始日が元と考えて良いでしょう。
2006年(平成18年)10月には小浜線の車両が全て125系へと統一されています。
車両形式番号の125系は百の位が1(直流電化車両)、十の位が2(一般形)を意味します。
両運転台の電車はJRの新製車両ではJR四国7000系に次ぐ2例目なのだそうです。
車体は223系2000番台と同じく軽量ステンレス構体を使用しており、
全面部窓下と側面帯色にエメラルドグリーン( )の帯色が用いられています。
側面帯はエメラルドグリーンの下にグレー( )が入ったツートンカラーとなります。
小浜まいの衣装を見るとこの2色が用いられておりモチーフとなっている事が分かります。
肩から羽織っているジャケットの裾の模様を見ると
前照灯と後尾灯を模した模様があしらわれています。
屋根の上にはステンレス製のシングルアームパンタグラフが。
小浜まいの背中のパンタグラフと並べると同じ形であることが分かります。
【上動画はクリックで再生します。】
こちらは小浜線の東舞鶴駅へと入線してくる125系の動画です。
それでは以下で車両の詳細について見て見たいと思います。
125系の車両の外観です。こちらは西側(東舞鶴方)前面と
山側(南側)の外観です。両端に運転台があるクモハ125形で
ク(制御車)モ(電動車)ハ(普通車)の意味となり1両での単行運転が可能です。
編成略記号はcMcでc(制御車)がM(動力車)の前後につくことで
両運転台の制御電動車であることを表しています。
開発ベースとなった223系2000番台の前面窓が曲ガラスを使った
傾斜した形であるのに対して、両運転台となった125系は垂直な切妻形となっています。
側面については223系2000番台の中間車の車体側面部材を流用しているので
基本的な扉と窓の配置が同じ造りとなっています。
ただ近郊形の223系が片側3扉であるのに対して、125系はローカル線区用の為
中央部の扉がはめ殺しとなって塞がれています。
こちらは敦賀方の東側から見た前面と、海側(北側)の車体側面の様子です。
海側は車内にトイレが設置されている箇所があるので
その部分はご覧の通り窓が塞がれていてありません。
敦賀方の東側運転台後方の乗降デッキ付近の光景です。
運転台の中の様子。
乗降扉の脇には整理券の発見機が置かれており、
その隣には3人掛けロングシートが両側にあります。
東舞鶴方へと向かって見た車内客室の様子です。
客室中央部は転換クロスシートが海側7列、山側9列配置されています。
車内優先座席の表示。敦賀方、東舞鶴方共に端のクロスシートは
優先座席となっていますが、表記はヘッドカバーのみとなっています。
客室中央部付近の座席。223系では中央の乗降扉がある付近ですが、
125系では出入口を塞いでいるのでご覧の通り座席の背板同士が向き合った
珍しい光景となっています。
このスペースには補助シートが背板に収納されているので
ご覧の通り座ることが可能となっています。
この125系は営業運転開始当初は1+2列のクロスシートで山側は1人掛けの座席でした。
車いすが通れる様に通路を広く取った為ですが、地元乗客から「座席が少ない」との苦情が相次ぎ、
地元費用負担で1年後の2004年(平成16年)に現在の2+2列へと座席が改修されています。
東舞鶴方の西側の車端付近。海側にはトイレが設置されています。
トイレの前は車いすやベビーカー対応のフリースペースとなっていて
座席は設置されていませんが、背板に補助シートが収納されているので
通常使用時には座席を出して座ることも可能です。
東舞鶴方の乗降デッキの様子です。
運転台の中の光景。中央部に貫通路があり、運転席は山側に設けられています。
切り返して敦賀方へと向いて見た車内。
一番端のクロスシートは海側山側共に優先座席となっていますが
トイレがあるので位置は少しずれて設けられています。
西側から見た客室内の光景です。
125系の運用時にはご覧の通り運転台の貫通路に料金箱が引き出されて
仕切りの役割を果たしています。通路上には料金表示の為の液晶モニターが。
連結をした時にはこの運転台の貫通路は通り抜けられる様になります。
その時にはご覧の通り料金箱が運転席と通路の仕切りとなります。
【写真撮影:2022年12月】
■No.122 小浜まい(Obama Mai)
■タイプ:サポーター
■誕生日:3月15日
■出身駅: JR西日本 小浜線 小浜駅(福井)
こちらは福井県小浜市にあるJR小浜線の小浜駅の駅舎外観です。
小浜線は1917年(大正6年)12月に敦賀駅━十村駅間が開業しましたが、
翌年の1918年(大正7年)11月10日に十村駅から当駅までが延伸され
小浜駅も終着駅として開業しました。
駅メモのでんこの小浜まいの苗字はこの小浜駅が由来となっています。
またこの小浜まいは登場に先駆けた2022年(令和4年)11月に
JR西日本金沢支社と福知山支社とのコラボイベントによって
「小浜線公式キャラクター」に任命されています。
駅舎の出入口は北側のみとなっており、駅前広場に接して国道162号線が
東方向から北方向へと駅前でカーブを描き通っています。
東側の国道162号線からの駅前広場の入口付近。
広場内は時計回りのロータリー状の一方通行となっています。
駅前広場の東側付近の光景。
駅舎正面の入口付近です。
入口前付近はタクシー乗り場となっており、日中は数台のタクシーが待機しています。
タクシー乗り場の西側にはバス乗り場が設けられており、
「小浜駅停留場」のバス乗り場が3つ設けられています。
バスは小浜市内を走るコミュニティバスが2系統ある他、
JRバスが湖西線の近江今津駅まで運行しています。
駅前広場西側にはご覧の小浜警察署の駅前交番が。
バス停の屋根に隣接して交番の建物が建っています。
広場ロータリーの出口付近。国道162号線が直角に曲がる交差点となっており、
また県道14号小浜停車場線の起点ともなっています。
国道側から見た駅前広場の中央島部分。モニュメントが建てられています。
駅舎の入口から中へと入ります。
こちらが駅舎の中の様子です。
改札前には有人窓口と自動券売機があり、右手にはガラスで仕切られた待合室があります。
待合室と改札前のフロアを仕切るガラス壁前には時刻表や掲示物が。
改札はご覧の通り友人改札となっており、改札脇に有人窓口があります。
2022年(令和4年)3月まではみどりの窓口がありましたが廃止されており、
「みどりの窓口プラス」が福井県内では初の導入となっています。
待合室の中の様子です。横並びのシートが並べられています。
南側にはかつて売店のあったスペースが空きスペースとなっており、
イベントスペースとなっています。壁には小浜市内の子供たちの手形のタイルが
2022年(令和4年)12月に小浜線100周年を記念して掛けられています。
待合室奥の西側。自販機コーナーが設けられています。
駅前広場側の窓際に置かれた書棚。
その脇の柱には小浜市の名産である鯖のトリックアートが描かれています。
待合室の西側隅には駅前広場へと出られる出入口があります。
その出入口の前には郵便ポストがあり、上には若狭小浜に伝わる
八百比丘尼伝説にちなんだ人魚の像が置かれています。
待合室西側にある、ガラス壁で仕切られた先のテナントスペース。
以前は飲食店が入居していたそうですが空きスペースとなっています。
小浜駅の改札から駅構内へ。改札口はこの一か所のみとなります。
ホーム側から見た改札付近。
こちらが改札に接している1番線ホームです。当駅はいわゆる国鉄形の配線で
1番線は敦賀方面行きの下り本線ホームですが、
行き違いが無い場合は上り列車も1番線に入線します。
ホーム上に並ぶベンチ。その隣にはかつてホーム上の洗面台があった跡があります。
開業100年の小浜線では1971年(昭和46年)に無煙化されるまでは
蒸気機関車が走っていましたのでその為の洗面設備の名残と思われます。
ホーム東端の敦賀方の光景。有効長の長いホームは現在では不要な為、
フェンスで仕切られて短くなっています。
隣のホームから横から見たフェンス付近。
切り返して見た1番線ホーム。
改札前を通り過ぎホーム西側へと進みます。
東舞鶴方のホーム西側。跨線橋がありホームには階段があります。
階段前の柱には積雪を計る為巻かれたカラーロープが。
階段脇を進んだ先の西側ホーム端の光景。
こちらもフェンスが立てられてホームがカットされています。
再び切り返してホーム中央側へ。
中央部の改札前へと戻ります。
跨線橋の階段へと戻り橋上へと登ります。
橋上から見た小浜駅の駅構内の様子。
階段を下って島式ホームへと下ります。
島式の2、3番線ホームです。
駅舎側の北側2番線は舞鶴方面行きの上り本線、南の3番線は上り1番線とされ
日中は滞泊中の車両が留置されています。
島式ホームの西側敦賀方の光景。このホームもかつてのホーム先端が
フェンスでカットされて有効長が短縮されています。
緑の柱は駅西側を超える跨線橋のものです。
切り返して東方向へ見た2、3番線ホーム。
ホーム中央部付近。建屋の屋根の柱を見ると
ホーム西端に寄るにつれて左右の柱の幅間隔が微妙に狭くなっており
島式ホームの端の幅が狭くなっていることが分かります。
階段脇からホーム東端の東舞鶴方へ。フェンスで仕切られた先のホーム端には
蒸気機関車の時代に使われていたレンガ積みの給水塔が見えます。
給水塔の様子。イギリス積みの構造物はかつてはホームから中を見ることが可能でしたが
現愛はフェンスができてホーム端まで行けなくなっています。
跨線橋の下付近。かつては木造の跨線橋でしたが
2003年(平成15年)の小浜線電化に際して線内設備の改修がされており
跨線橋もその事業の一環で建て替えられたものと思われます。
地面には木造時代の基礎跡が。
再び切り返してホームの階段前へ。
跨線橋を上って改札方面へと戻ります。
階段を下り1番線ホームへ。
駅舎を出て、こちらは駅前広場に接する小浜駅前交差点の光景です。
交差点に面した県道14号小浜停車場線と国道162号線の間にある
若狭おばま観光案内所の建物です。以前は現在交番のある場所にありましたが
2019年(令和元年)にこちらに移転したそうです。
こちらが小浜駅前の地図で、赤線が
駅前から小浜市の中心街へと伸びる国道162号線です。
小浜市街へと伸びる国道162号線。
駅前の交差点から次の交差点までの180mほどには歩道にアーケードがあります。
小浜病院前交差点の信号。
交差点の北東角には名前の通り杉田玄白記念公立小浜病院があります。
近隣の自治体による事務組合で設立された公立病院は
2007年(平成19年)に杉田玄白の名前が冠せられています。
「解体新書」で知られる杉田玄白は小浜にゆかりのある人物で
1983年(昭和58年)に病院前にご覧の銅像が建てられています。
そして病院から国道を挟んだ向かい側にあるのがこちらの小浜市中央公園です。
小浜藩出身の幕末の志士梅田雲浜の像などが置かれたこの公園には
SLが静態保存されています。
こちらが公園に保存されているC58-171です。
1971年(昭和46年)まで小浜線を走っていた機関車で、
現在は市の中心部のこちらの公園に保存されているものです。
再び国道162号線へと戻って北上をすると、小浜病院前交差点から200mほどで
次の信号の交差点となります。
この交差点は市役所前交差点で、北東側には小浜市役所の建物があります。
さらに国道162号線を北上。
小浜駅からおよそ1.2kmの地点で南川に架かる大手橋へと差しかかります。
大手橋を渡って北川と南川に挟まれた中州へ。
橋から70mほどでご覧の「小浜城跡」の看板があります。
看板にしたがって「城内」の地名の横道に入ると
すぐに小浜神社の入口の鳥居が見えてきます。
この神社は雲浜城と呼ばれた小浜城の城跡に作られており、
境内には天守跡の石垣が残っています。
小浜城は江戸時代初頭の1642年(寛永19年)に築城された
若狭酒井家の居城でした。1875年(明治8年)に城跡に小浜神社が建立。
3代家光の老中として知られる小浜藩初代藩主の酒井忠勝公が祭られています。
小浜駅前まで一旦戻り、駅前の交差点から今度は西方向へと伸びている
県道14号小浜停車場線へと入ります。
駅前から放射状に分岐している交差点の西方向に伸びる県道14号線は
はまかぜ通り商店街の名前がつけられ
ご覧の通りのアーケードが両側歩道に設けられています。
このアーケードは1983年(昭和56年)に高度化事業によって整備されたもので
駅前通り商店街は若狭湾からのはまかぜが通り抜けるアーケードとなりました。
アーケードは駅前からおよそ450mほど続いており、
県道14号線が直角に曲がるご覧の交差点まで歩道の両側に屋根があります。
交差点の南西角にあるこちらはまちの駅旭座です。
2016年(平成28年)5月にこの場所に作られ観光案内所や
物販、休憩施設などが置かれています。
敷地のベンチには福井県内の各所で見ることができるフクイラプトルの恐竜博士が。
そして敷地南側にあるこちらの建物が施設名の由来である旭座です。
井県内で唯一現存していた明治期の芝居小屋である旭座の建物を当地に移築し、
市指定文化財として現役の集会施設として現在も使われています。
交差点を西へと直進すると、県道14号からは外れて
まちの駅旭座の脇を抜ける県道15号小浜港線となります。
県道15号線も180mほどで右へと曲がってしまい、
市道となった道をさらに100mほど進むと海岸へとつき当ります。
駅からはおよそ750mほどの海岸通りの先は小浜湾で、北側には小浜港が、
南側には人魚の浜海水浴場の砂浜が広がっています。
まちの駅旭座の前の交差点まで戻って、今度は北側へと見た光景です。
交差点から北に40mほどでご覧の「日本遺産 鯖街道の起点」の標識があります。
標識の指す道の西側には鯖街道ミュージアムがあります。
小浜から京都の出町柳までをつなぐ若狭街道は「鯖街道」と呼ばれ、
室町から江戸時代にかけて鯖をはじめとする海産物の輸送ルートとして賑わいました。
元々ミュージアム前の道はご覧の「いずみ町商店街」という狭いアーケードの通りでした。
ミュージアムもこのアーケードに「鯖街道資料館」として同じ場所にありましたが、
2020年(令和2年)の再開発でアーケードが撤去、道路拡張で資料館も閉館となり
改めて鯖街道ミュージアムとして再開館しました。
ミュージアム前の歩道にある鯖街道起点の石板。
アーケードの中の路上にあったものがこちらに移設されています。
前の道路から北方向を見ると350m先の市役所が見えます。
切り返して南の旭座方面へと戻ります。
旭座の前を通る旧若狭街道の県道14号小浜停車場線。
隣接するまちの駅の敷地には、小浜中組地区の再開発によって
1992年(平成4年)に「つばき回廊」という商業施設ビルがありました。
しかし2004年(平成16年)に中核店舗の西友の撤退が契機で運営会社が破綻。
跡地を小浜市が取得して再・再開発でまちの駅が作られました。
旭座の前を南北に走る県道14号小浜停車場線は
250mほどの南下で今度は小浜住吉の交差点を東へと曲がっています。
東方向へと曲がった県道14号小浜停車場線。
曲がった交差点から100mほどでご覧の小浜線を超える跨線橋の入口となります。
この跨線橋は自動車専用で歩行者や自転車は渡れません。
小浜住吉の交差点に戻って、今度は反対側の西方向へ。
交差点から先は県道235号加斗袖崎住吉線となって
200mほどで若狭湾の海につき当たります。
若狭湾につき当たった海岸のT字路。
跨線橋からこのT字路までのこの道路は真下に堀川という川が流れています。
1976年(昭和51年)に川が暗渠化されて上が道路となり現在に至っています。
交差点つき当たりの海岸側にはご覧のマーメードテラスがあります。
小浜市には八百比丘尼にまつわる「人魚伝説」が伝わっており、
鯖と共に人魚は小浜のシンボルとなっています。
このテラスは堀川の河口に作られたもので、
川が道路となった1976年(昭和51年)に設置されたものです。
テラスの南側には400mほどの人魚の浜海水浴場の砂浜があります。
北側の小浜港方面の光景。
三度小浜住吉の交差点まで戻って、
今度は旭座を背に南方向へと若干狭い道を入ります。
道路の色が変えられているこちらの地区は「小浜西組」で、
2008年(平成20年)に重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。
郵便局前の交差点の西側には小浜八幡宮の参道があります。
旧若狭街道に面したこの八幡神社の例祭は「放生祭」という
若狭最大の秋祭となっています。
郵便局から旧若狭街道を南進して保存地区の街中へ。
街並みは2015年(平成27年)には日本遺産の構成文化財にも指定されています。
クランク状に曲がりながら南進する旧丹後街道の街並み。
この旧街道のクランクに面して空印寺の敷地が接しています。
室町時代の若狭守護館であった当地に建てられた小浜藩酒井家の菩提寺だった寺で、
敷地には八百比丘尼が入定したとされる洞があります。
こちらが境内の八百比丘尼入定洞で、小浜の人魚伝説の元となっている史跡です。
一旦、アーケードの県道14号小浜停車場線から小浜駅前まで戻ります。
駅前に接する国道162号線を今度は東北方向へ。
200mほど進むと国道の西側に、家電量販店やスーパーなどの大型店舗が集まった
ロードサイドのショッピングモールがあります。
小浜線と国道162号線は1kmほど並走しており、
小浜中学校や小浜警察署などの横を経てガード下から小浜線をくぐります。
ガードくぐったを先で国道27号線に合流した国道162号線は
重用区間となって南川に架かる湯岡橋を渡っています。
小浜駅の駅前広場に戻って、東側にある市営駅前駐車場の入口へ。
立体駐輪場の建物の奥に、線路沿いに駐車場の敷地が広がっています。
切り返して見た駐車場の光景。
市営駐車場の入口の脇には同じく市営の駐輪場への通路があります。
立体駐輪場の様子。
そしてその立体駐輪場への通路脇、駅舎の北側には
ご覧の跨線橋の入口の階段があります。
跨線橋の中の様子。
駅ホームの東側敦賀方の上を通る跨線橋の外観です。
線路の南北を連絡しています。
小浜駅の南側付近の地図。駅南側は国道27号線が走っているものの
駅とは直接接しておらず。駅前は住宅地となっています。
跨線橋から東方向への光景。
同じく西方向への光景です。跨線橋の正面付近には保育園があります。
駅南側の道路と線路との間の敷地に設けられた駐車場。
この南側の駐車場はJR定期購入者の為の
指定パークアンドライド駐車場となっています。
駅前道路を西方向へと進むとすぐに左手にカーブを描いており、
100mほど先で県道14号小浜停車場線へと通じています。
県道14号に出ると西側は小浜線を渡る跨線橋があり
小浜住吉のマーメードテラス方面へ。
反対の東側は60mほどで国道27号線と交わる小浜伏原交差点となります。
■モデル車両: JR西日本 125系電車
小浜線は1922年(大正11年)に敦賀駅━小浜駅━新舞鶴駅間で全線開通した路線で、
2003年(平成15年)3月に全線が電化されています。
小浜線が電化された大きな理由は「地元の要望」であり、
福井県を筆頭とする嶺南地域鉄道整備の一環として行われたものでした。
沿線地区の定住人口増大、観光振興、企業誘致といった観点からの利便性向上を目指し、
JR西日本へ沿線自治体が約42億円の資金補助を行ったことから
電化に際して新型車両を導入する事となりました。
【上写真:JR西日本223系2000番台】
車両の開発に際しては、当時JR西日本で多くの車両が導入されていた
ステンレス鋼製通勤形車両である223系2000番台をベースとして、
ローカル線である小浜線での単行運転が可能な様に両運転台構造とされました。
こうして小浜線の為に開発されたのがJR西日本125系電車となります。
2003年(平成15年)3月15日に8両が小浜線に投入され営業運転を開始しており、
以後加古川線や湖西線にもこの125系電車が製造され投入をされています。
駅メモのでんこの小浜まいの誕生日が3月15日に設定されていますが
これは小浜線での125系の営業運転開始日が元と考えて良いでしょう。
2006年(平成18年)10月には小浜線の車両が全て125系へと統一されています。
車両形式番号の125系は百の位が1(直流電化車両)、十の位が2(一般形)を意味します。
両運転台の電車はJRの新製車両ではJR四国7000系に次ぐ2例目なのだそうです。
車体は223系2000番台と同じく軽量ステンレス構体を使用しており、
全面部窓下と側面帯色にエメラルドグリーン( )の帯色が用いられています。
側面帯はエメラルドグリーンの下にグレー( )が入ったツートンカラーとなります。
小浜まいの衣装を見るとこの2色が用いられておりモチーフとなっている事が分かります。
肩から羽織っているジャケットの裾の模様を見ると
前照灯と後尾灯を模した模様があしらわれています。
屋根の上にはステンレス製のシングルアームパンタグラフが。
小浜まいの背中のパンタグラフと並べると同じ形であることが分かります。
【上動画はクリックで再生します。】
こちらは小浜線の東舞鶴駅へと入線してくる125系の動画です。
それでは以下で車両の詳細について見て見たいと思います。
125系の車両の外観です。こちらは西側(東舞鶴方)前面と
山側(南側)の外観です。両端に運転台があるクモハ125形で
ク(制御車)モ(電動車)ハ(普通車)の意味となり1両での単行運転が可能です。
編成略記号はcMcでc(制御車)がM(動力車)の前後につくことで
両運転台の制御電動車であることを表しています。
開発ベースとなった223系2000番台の前面窓が曲ガラスを使った
傾斜した形であるのに対して、両運転台となった125系は垂直な切妻形となっています。
側面については223系2000番台の中間車の車体側面部材を流用しているので
基本的な扉と窓の配置が同じ造りとなっています。
ただ近郊形の223系が片側3扉であるのに対して、125系はローカル線区用の為
中央部の扉がはめ殺しとなって塞がれています。
こちらは敦賀方の東側から見た前面と、海側(北側)の車体側面の様子です。
海側は車内にトイレが設置されている箇所があるので
その部分はご覧の通り窓が塞がれていてありません。
敦賀方の東側運転台後方の乗降デッキ付近の光景です。
運転台の中の様子。
乗降扉の脇には整理券の発見機が置かれており、
その隣には3人掛けロングシートが両側にあります。
東舞鶴方へと向かって見た車内客室の様子です。
客室中央部は転換クロスシートが海側7列、山側9列配置されています。
車内優先座席の表示。敦賀方、東舞鶴方共に端のクロスシートは
優先座席となっていますが、表記はヘッドカバーのみとなっています。
客室中央部付近の座席。223系では中央の乗降扉がある付近ですが、
125系では出入口を塞いでいるのでご覧の通り座席の背板同士が向き合った
珍しい光景となっています。
このスペースには補助シートが背板に収納されているので
ご覧の通り座ることが可能となっています。
この125系は営業運転開始当初は1+2列のクロスシートで山側は1人掛けの座席でした。
車いすが通れる様に通路を広く取った為ですが、地元乗客から「座席が少ない」との苦情が相次ぎ、
地元費用負担で1年後の2004年(平成16年)に現在の2+2列へと座席が改修されています。
東舞鶴方の西側の車端付近。海側にはトイレが設置されています。
トイレの前は車いすやベビーカー対応のフリースペースとなっていて
座席は設置されていませんが、背板に補助シートが収納されているので
通常使用時には座席を出して座ることも可能です。
東舞鶴方の乗降デッキの様子です。
運転台の中の光景。中央部に貫通路があり、運転席は山側に設けられています。
切り返して敦賀方へと向いて見た車内。
一番端のクロスシートは海側山側共に優先座席となっていますが
トイレがあるので位置は少しずれて設けられています。
西側から見た客室内の光景です。
125系の運用時にはご覧の通り運転台の貫通路に料金箱が引き出されて
仕切りの役割を果たしています。通路上には料金表示の為の液晶モニターが。
連結をした時にはこの運転台の貫通路は通り抜けられる様になります。
その時にはご覧の通り料金箱が運転席と通路の仕切りとなります。
【写真撮影:2022年12月】