京都丹後鉄道宮福線の続きです。
その1(福知山駅━大江駅)はこちら。
こちらは国道175号線が由良川支流の宮川を渡る宮川橋の光景です。
その宮川を渡るとすぐに東の目の前に宮福線の高架が走っています。
高架橋の下を国道がくぐるとすぐ東側に駅へと連絡する道が分岐しています。
切り返して東側から見た駅への道付近。
高架の東側を北に進むと120mほどで十字路となります。
この十字路の先の北側が次の駅となります。
東側から見た駅前の十字路。
反対の西側から見た十字路付近です。
この交差点に面した橋脚には宮川が溢れた時の氾濫水位を示す表示板がありました。
そして十字路の北側の駅入口方向へ。
こちらの道はインターロッキング舗装が施されています。
30mほどで舗装が途切れると左手の高架下が駅入口となります。
ホームへと上る階段。
こちらが外から見た大江高校前駅の駅全景です。
1988年(昭和63年)7月の宮福線開業で設置されたご覧の通りの高架駅で、
駅の東600mほどに京都府立大江高等学校があるのが名前の由来です。
こちらがホームの様子です。単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
駅北側の宮津方にはすぐにトンネルがあるのが見えます。
ホーム中ほどには駅入口の階段と待合室が。高架駅で駅舎はありません。
南の福知山方はすぐに宮川が流れており周囲がひらけています。
900mほどの距離には隣の大江駅があり河守の市街地が見えます。
待合室の中の様子です。宮福線の他の駅と同様の
プラスティック製ベンチの置かれたガラス張りとなっています。
この駅も福知山市内の駅なので駅愛称が付けられています。
愛称の「元伊勢外宮駅」というのは駅北西800mほどの宮川の対岸にある
豊受大神社を指しており、伊勢神宮外宮に祀られる豊受姫命を祭る元の宮であるとされています。
愛称を示した駅名標の隣には駅周辺の案内地図が。
駅ホームから東側を見ると小さな山が見えますが、
こちらには金屋城という城の跡があり説明板があります。
大江高校前駅近くの宮川橋のすぐ西側で、国道から府道9号綾部大江宮津線が分岐していますが
宮川に沿って右岸を2.2kmほど北上するとご覧の次の駅への入口の道が分岐をしています。
駅への分岐から北80mほどの場所にある大江町和紙伝承館。
旧大江町 の伝統地場産業であった 丹後和紙について
歴史や製造工程、職人の技法などを展示している施設です。
伝承館から駅への交差点へと南に戻ります。
府道から駅への道を東へと100mほど進むとご覧の宮川を渡る橋があります。
由良川支流の宮川です。この川を渡ると目の前が駅前広場となります。
橋の東側正面にある駐車場。舗装されたスペースとなっており、
駐輪場の建屋も置かれています。東の奥の白い建物は京都丹後鉄道の変電所施設です。
変電所の壁には祭礼で鳥毛(指物の竿の先を鳥の毛で飾ったもの)を掲げて
練り歩く姿の絵が描かれています。この二股地区では「八朔祭礼」が行われているそうで
変電所のフェンスには祭礼の説明板も取り付けられています。
そして駐車場の入口付近の橋の目の前には北側へと入る通路があります。
インターロッキング舗装の通路のつきあたりには「俊明多目的集会施設」とあり、
東側へと曲がった通路の先には俊明公民館の入口がありました。
公民館の入口と反対の南側にも通路が延びて集会室が。
その間の通路正面にはご覧のホームへと入る通路があります。
ホーム側から見た駅入口。
こちらが駅ホームの様子となります。単式ホーム1面1線の棒線無人駅となります。
ホームに沿って建っているのは公民館なので駅舎では無く
待合室があるのみとなっています。
宮川の川沿いにあるホームは築堤上となっており
向かい側の山を切り通して線路が敷かれています。
待合室の様子です。宮福線の他の駅と同様に
ガラス張りでプラスティックのベンチが置かれています。
北の宮津方から見たホーム。
この駅も福知山市内にあるので駅愛称がつけられていて
「和紙の里 猿田彦神社前駅」と駅周辺の施設が由来となっています。
こちらはホームにある名所案内板です。
猿田彦神社が「駅裏」と書かれており、振り返って見ると
ホームの向かい側に鳥居と階段があるのが見えます。
通路を戻って駅前駐車場へと戻ります。
宮川の橋の手前を川沿いに南に伸びる道には「猿田彦神社参道」の案内表示があります。
川岸の一帯は猿田彦公園と名づけられた公園が整備されています。
そして川岸から駅南端付近で線路下をくぐり駅の東側へ。
苔生した獣道のような道が線路沿いに北へと伸びています。
道の先のほぼ駅ホーム正面付近zには鳥居があり、
神社へと至る階段があります。こちらが猿田彦神社へと至る参道の一部となっています。
階段を上ると再び鳥居が。その奥に祠が見えます。
こちらが猿田彦神社です。
大江付近に散在する元伊勢伝説の一端を担う猿田彦神を祭る神社です。
変電所の壁に祭礼の衆の絵が描かれているものこの神社が駅裏に鎮座しているからです。
神社から見下ろした二俣駅の俯瞰。
こちらは府道9号綾部大江宮津線沿いにある元伊勢観光センターです。
地元のボランティアガイドが元伊勢神社の謎と伝説を案内する施設であり、
宮福線の次の駅の至近に設けられています。
その観光センターから府道を北に進むとすぐにご覧の内宮交差点があり
ガードをくぐる道が分岐をしています。
線路をくぐって北へ線路沿いに伸びる道路。
府道9号綾部大江宮津線から分岐したこの道路は府道533号内宮地頭線という府道で
ご覧の通り駅の真裏のこの場所に起点の0キロポストがあります。
舞鶴まで至る府道の起点ではありますが、
ここから1kmほどの舞鶴市との市境付近は通行不能となっています。
道を戻って府道9号線の内宮交差点へ。
交差点の北側が次の宮福線の駅となります。
こちらが大江山口内宮駅の駅外観の全景です。
1988年(昭和63年)7月の宮福線開業時にこの駅設置がされています。
北側の府道から見た駅付近。
築堤をくぐるガードが駅の入口となっています。
入口から築堤の中をホームへと上る通路。
こちらが駅のホームとなります。島式ホーム1面2線となっており、
無人駅でホーム上に待合室があるのみとなっています。
駅名の由来となった皇大神宮(元伊勢内宮)までは距離で400m、
道のりで1kmほどの場所にあります。
築堤上にホームがあり、両側を二つの府道に挟まれて駅があります。
ホーム上の待合室の中の様子。
駅の中へと入る入口はホーム南端の階段のみとなっています。
この駅も福知山市内にあるので駅愛称がありますが
愛称は「元伊勢内宮駅」と駅名に準じたものとなっています。
こちらは現在は福知山市となった旧大江町の毛原と宮津金山を結ぶ
毛原峠を越えた旧普甲道の中ほどの辛皮集落付近となります。
かつては今昔物語集の舞台となったり宮津藩の参勤交代路として使われた道も
1939年(昭和14年)に現在の府道9号線にあたる道が今普甲道として開通すると
地元民に細々と生活道路として使われる道となりました。
その道から西側を見ると築堤上に宮福線の辛皮駅があるのが見えます。
1988年(昭和63年)7月の宮福線開業で設置された駅で、
毛原峠と普甲峠とに挟まれた谷間の集落に作られた駅となります。
福知山方からの辛皮駅付近の光景です。
由良川支流の桧川を橋で渡ると駅が正面に見えます。
橋の北側すぐの場所で道が分岐をしており、東側に進むと
すぐに宮福線の跨道橋のガードがあります。
ガードへの道の脇の田んぼとの間にご覧の駅前広場があります。
狭いながらも舗装された広場となっており駐輪場も置かれています。
広場の奥には細い通路の道が伸びており宮福線の線路の下をくぐっています。
すると目の前にもう一つ跨道橋のトンネルが現れますが
こちらは国道478号の京都縦貫自動車道の築堤に設けられたものです。
京都縦貫自動車道はくぐらずに、宮福線との間を南へと伸びる通路を進むと
ゆるやかな坂の先にまもなく駅ホームへと入る入口が現れます。
ホーム側から通路の道を見ると坂になっている事が良く分かります。
いわば南口とも言える駅の正面の入口です。
こちらがホームの様子となります。単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
山の稜線の尾根を削って線路が敷かれており、秘境駅に分類される駅ともなっています。
駅舎は無くホーム中ほどに待合室が置かれています。
ホーム南端の階段。いわば南口とも言うべき出入口で
築堤をくぐって田んぼの中を通り駅前の道路へと通じています。
切り返して北側から見た駅ホーム。
待合室の様子です。ガラス張りにプラスティックベンチがあるのは他の駅同様ですが、
この駅の待合室は他の駅の半分の数の座席数となっていました。
ホーム南側の光景。
こちらは府道9号綾部大江宮津線の宮津市の喜多付近の光景です。
喜多集落と今福集落のちょうど間付近を府道が走っていますが、
田んぼの中のご覧の付近が次の宮福線の駅の入口となります。
こちらが喜多駅の駅の全景です。
1988年(昭和63年)7月の宮福線開業で設置された駅となります。
府道から東へ田んぼの中を150mほど進むと宮福線の築堤があり
その上に駅のホームが設けられています。
府道からの道は宮福線の築堤をガードでくぐっていて
東側の山裾の今福集落へと通じています。
ガードから西の府道方面の光景。
府道9号側にはご覧の駅前広場があります。
手前が舗装された駐車スペースとなっており数台の駐車が可能です。
西側の階段下には駐輪場スペースが。
そして広場の奥は土の地面の駅前公園となっています。
その駅前広場の北側付近にはホームへと上る階段があります。
線路脇に併走する道路を跨いでいる駅入口の階段。
ホームへと上がるルートはこの階段のみとなっています。
上のホーム側から見た階段付近。
こちらが駅のホームの様子となります。単式ホーム1面1線の
棒線無人駅となっており、駅舎は無く待合室があるのみとなります。
この駅は階段がホーム北側寄りにある為、待合室も北寄りに設けられています。
中は他の駅同様にプラスティックのベンチの置かれたものとなっています。
南側の福知山方のホームの様子。
築堤上にあるホームからは駅の西側一帯が見渡せます。
田んぼの先には府道9号線が南北に走っており、その向こう側には喜多集落の家々が見えます。
切り返して宮津方のホームの光景です。
ホームにある喜多駅周辺の案内地図。
こちらは府道9号綾部大江宮津線の宮津市宮村付近の光景です。
京都縦貫自動車道の宮津天橋立インターチェンジが南400mほどにあり、
この府道9号線が出口となっている為府道の道幅が広くなっています。
切り返して北側から見た府道9号線。
このドラッグストアの向かい側、ホームセンターの脇の道が
次の宮福線の駅への入口となっています。
府道から東へ150mほどで宮福線の高架が見え、その上に駅が設けられています。
道路脇に置かれた木造の駅駐輪場の建屋。
駐輪場の先の右手を見ると市営の駅駐車場があります。
ガード前の道と駐車場前の道を併せてロータリー状となっており、
奥には車寄せを兼ねた駅前公園スペースが設けられています。
駅前広場から築堤脇の道路へと出て南側の駅入口へ。
こちらが宮村駅の1番線ホーム入口の階段です。
1988年(昭和63年)7月の宮福線開業で設置をされた駅ですが
相対式ホーム2面を駅構内では連絡しておらず、
地上からそれぞれのホーム入口から入る構造となっています。
入口の階段脇を更に南へと進むとつきあたりとなり、
東側の築堤下をくぐるガードがあります。
このガードを行き来する事で2つのホームを往来することができます。
側道を北に戻ってホームへの階段に。
階段を上がって築堤上のホームへと向かいます。
こちらが1番線ホームの様子です。
1番線が下り宮津方面行き、2番線が上り福知山方面行きとはなっていますが、
線形が1線スルー方式となっていてこちらの1番線が上下本線となっています。
ですので片方が通過列車、片方が退避列車の場合、
通過する列車がこちらの1番線を使う事となります。
その場合退避列車が下り列車でも2番線へと退避する事となります。
ホーム中ほどの待合室。この駅も駅舎は無く、
他の駅同様のベンチの置かれたガラス張りの待合室が置かれています。
出入口はご覧の通りホーム北端にのみとなります。
階段を下りて1番ホームから駅北側のガード下へと戻ります。
ガードをくぐり築堤の東側へと出ると
右手南側に用水路を跨いで反対側ホームへの入口があります。
ガードの先はご覧の通り駅裏手の集落へと続く道が伸びています。
こちらが宮村駅の2番線ホーム入口です。
ホーム連絡通路となる駅下のガードを中心に
千鳥配置に駅入口が設けられています。
ホームへ上がる階段。
2番線ホームの様子です。
通常は福知山方面への上り列車の発着するホームですが、
1線スルーの上下副本線である為、列車通過待ちの退避列車は下り列車でも
こちらの2番線ホームへと入線し退避を行います。
ホーム南端近くにある距離標。宮福線は宮津起点なので
1と1/2kmとなっています。
待合室の様子です。
2番線ホームは入口階段がホーム中ほどにあるので
待合室もその隣すぐ南側に置かれています。
2番線ホーム北側への光景。
駅の2つのホームは両方ともに上下線が発着するので
列車信号機は南北両側に設けられています。
階段を下りて再び連絡道となっているガードへ。
こちらは府道606号宮津停車場線の光景です。
丹後地方を南北に連絡する府道9号綾部大江宮津線と
京都丹後鉄道宮福線の宮津駅とを連絡する長さおよそ550mほどの停車場線です。
東西に走る停車場線の東端はご覧の通り行き止まりの五差路となっており
正面に京都丹後鉄道の駅舎があります。
こちらは五差路の様子です。
東側は駅前広場に接しており、停車場線は正面に延びる形となっています。
そしてこちらが宮津駅の北西側駅舎の外観となります。
1924年(大正13年)4月に国鉄宮津線の駅として開業した駅で、
1988年(昭和63年)に宮福鉄道(後の京都丹後鉄道宮福線)が乗り入れるまで
長らく東西に走る宮津線の駅でした。
駅舎前の駅前広場です。舗装されたのみの広場ですが、
まわりを囲む建物が半円形に配置されて車寄せを形作っており、
駅前の五差路と併せてロータリー状となっています。
駅舎の中へと入って改札付近の様子です。
京都丹後鉄道直営の有人駅であり、丹鉄の3つの路線が交わるターミナル駅でもあります。
ですので有人窓口があり改札も有人となっています。
駅舎と接している駅の一番西側にある3番線ホームの様子です。
こちらのホームは丹鉄の宮舞線のホームで西舞鶴方面の列車が発着をしています。
3番線ホームから跨線橋へ。
跨線橋から見た駅構内の様子です。
橋の構内図を見ると分かりますが、この跨線橋は
宮津駅の3つのホームを連絡しています。
跨線橋の中ほどの階段を下って駅中央のホームへ。
こちらが駅中ほどの島式ホームの1、2番線です。
西側の駅本屋に近い2番線は豊岡方面とを結ぶ宮豊線の発着するホームとなります。
そして東側の1番線はその構造上、宮福線、宮舞線、宮豊線の全ての路線の列車が入線します。
ホーム北側の西舞鶴方の光景です。
宮舞線は1~3番線へと入線が可能であることが分かります。
切り返してホーム中央方向へ。
跨線橋の階段前には宮福線への乗り換え案内があって
1番線と4番線から発着する旨が記されています。
ホームの南側の光景です。跨線橋の裏手は1番線側はフェンスが立てられていて
2番線側のみが延ばされています。線路は左側が福知山方面への宮福線、
右手が豊岡方面への宮豊線となっています。
跨線橋の裏手の光景。
階段を上って跨線橋の上へと戻ります。
跨線上の分岐を今度は奥へと進むと4番線への案内表示があります。
この部分の跨線橋は駅構内と駅の外の自由通路とが共用になっており、
ご覧の通りフェンスで中央が仕切られて使われています。
共用部分の通路を進んで4番線へ。
階段を下るとホームの駅舎入口前付近へと出ます。
こちらが4番線ホームの様子です。
宮福線が専用で使用している単式ホームで、当駅始発列車が使うホームです。
特急列車や直通列車などは1番線を使用する事となります。
ホーム北端の先は線路に車止めが設けられており
西舞鶴方面とは接続をしていません。
4番線は他のホームよりも有効長が短くなっています。
これはこのホームが元々は宮福鉄道の宮津乗り入れ時に作られたもので
他のホームは国鉄宮津線の駅であったという事情によるものです。
国鉄形の2面3線の駅に私鉄の単式ホームが加わっていると考えると
この宮津駅の独特の形状にも合点がいきます。
4番線ホームから南西側駅舎への入口。
駅舎内の様子です。こちらは1988年(昭和63年)7月の宮福鉄道乗り入れ時に作られた駅舎で
有人窓口の跡もそのまま残されています。駅舎内は無人となっており
自動券売機があるのみとなっています。
駅舎の外側は階段とバリアフリーのスロープが。
南東側駅舎の外観です。
駅舎前には三角形の駅前広場がありますが、周囲を住宅地と用水路に囲まれ
車も停められているのでさほど広くは感じられません。
広場北側にはご覧の道路があって住宅地へと続いています。
車で駅前広場へ来るにはこちらからのみとなります。
駅舎北側に置かれている宮福鉄道の開通記念の石碑。
元々こちらが宮福鉄道(現・京都丹後鉄道宮福線)の駅舎でしたので
石碑もこの場所に置かれています。
駅前広場の南側には用水路を渡る小さな橋があり、
歩行者はこちら側からも住宅地へと抜ける事が可能です。
南側の橋付近の様子。
京都丹後鉄道の宮福線については以上で全駅となります。
駅メモでは北近畿タンゴ鉄道宮福線も路線が登録されており全駅が重複しています。
また大江駅より南側では廃線の北丹鉄道もほぼ併走状態で登録されています。
こうした状況を考え、また福知山付近の鉄道の本数や接続などを考えた場合、
鉄道で攻略するなら素直に乗って取るのが一番楽なのではないかと思います。
JRから直通乗り入れの特急列車も走っていますので
特急券が買えるのであれ攻略は格段に楽になるでしょう。
では。
【写真撮影:2020年7月】