つづいてはJR三江線です。
広島県の三次駅から島根県の江津駅までを繋ぐ全長108.1kmの路線であり、
全線が単線非電化となっている路線です。
1930年(昭和5年)に島根県側の江津駅━川戸駅間が開業したのを皮切りに
山陰地方と山陽地方を結ぶ連絡路線を目指して建設された路線ですが、
島根県側の1937年(昭和12年)につながった
江津駅━浜原駅間を三江北線、
広島県側の1963年(昭和38年)につながった
三次駅━口羽駅間を三江南線として運行し、
未通だった浜原駅━口羽駅間がつながって
三江線として全通したのは実に1978年(昭和53年)でした。
1968年の国鉄諮問委員会では既に廃止すべき路線として
三江北線と三江南線がリストアップされるなど
度重なる廃止の話を「代替交通手段が無い」としてしのいできました。
しかしながらJR西日本が2018年4月1日とする廃止届を
国土交通省中国運輸局に提出した為、
2018年3月いっぱいでの路線廃止が決定しています。
こちらが三江線の広島県側の始発駅である三次駅。
現在の駅舎は駅周辺の整備事業に合わせて
2015年2月より供用開始をした新しい建物です。
こちらが改札前の様子。
窓口前の券売機の上には路線運賃図がありますが、
ここに三江線の運賃が書かれているのも2018年3月いっぱいです…
こちらが1番線ホーム。
駅舎に一番近いホームで単式ホームとなっています。
この1番線ホームの西側の端にはかつて0番線ホームという
三江線の専用ホームが切り欠き式ホームとしてありました。
写真の白い柵の先の、信号の先が0番線の終端があった場所で
その右手にホームが延びていたそうです。
現在はご覧の通り0番線の部分は撤去されてしまっています。
江津駅の跨線橋の階段に、三次駅0番線ホームの写真が掲示されており、
当時の様子が残っていました。
三次駅にはご覧の跨線橋があり、
島式ホームの2番線、3番線へとつながっています。
跨線橋の階段を降りるとご覧の通りに。
左の3番線が現在の三江線の発着しているホームとなります。
ホームの様子。
三江線のホームには全ての駅に三江線活性化協議会の設置した
駅愛称としての神楽の演目を記した駅名標が設置されています。
こちらの三次駅は「土蜘蛛」。
尾関山駅。
1955年(昭和30年)3月設置のこの駅は
単式1面1線の棒線無人駅となっています。
この駅のホーム北で線路は左にカーブしており
カーブの先は尾関山トンネルとなります。
トンネルの上の小高い山一帯が尾関山公園で、
春は桜、秋は紅葉の美しい公園で駅からもその様子が良く見えます。
こちらが駅舎の外観。
駅舎の中は待合スペースのみで、
かつて有人駅だった時の窓口は板で塞がれています。
駅舎とホームの間には池の跡がありました。
駅の神楽愛称は「紅葉狩」。
粟屋駅。
この駅も1955年(昭和30年)3月開業の駅で、
同じく単式1面1線の棒線無人駅です。
駅舎は無く、ホーム上にご覧の待合があるのみです。
こちらは三次市内から三江線に沿って江の川沿いを走る
県道112号線ですが、ご覧の通り道の脇に粟屋駅の表示が設置されています。
表示のある横道に入って進むと。
駅へとたどり着きます。
駅の神楽愛称は「曽我兄弟」。
長谷駅。
1969年(昭和44年)に仮乗降場として開設され、
国鉄分割民営化の1987年に正式な駅に昇格した駅です。
単式1面1線の無人駅で待合室があるのみの駅であり、
一日に上下5本づつしか列車の通らないこの駅を
上り2本と下り3本の計5本、つまり半数の普通列車が通過する駅となっています。
ちなみに三江線で列車が通過するのはこの駅だけです。
こちらは待合室の中に掲示されてある長谷駅の時刻表ですが、
ご覧頂ければこの駅が「秘境駅」として有名な理由が分かると思います。
下りの三次方面は2本のみで終電は午前9時台、
上り方面は3本停車しますが始発が14時半という変則的な時刻表となっています。
これはこの駅のそもそもの開設の理由が
長谷駅の周辺集落の小学校が廃校になったが故であり、
子供達が5.5km離れた尾関山駅の小学校に通学することとなった結果
長谷に仮乗降場を開設して通学の便宜を図ったという経緯からだそうです。
ホームから待合室と地上へと降りる階段。
駅の前を走る県道112号線の様子です。
県道から見た駅の外観。
駅は江の川沿いの急斜面にるのですが
こちらを見ると川と県道、そして駅の位置関係が分かるかと思います。
こちらは階段の中腹にある待合室です。
JRの表示がされていますが
これは駅開設当時の教育委員会が建てたものだそうです。
待合室の中の様子。
長谷駅の神楽愛称は「鍾馗」です。
おまけとして、長谷駅を出てすぐの跨道橋を渡る
9時06分発の三次行き(長谷駅下り最終列車)を載せておきます。
(画像クリックで拡大します)
船佐駅。
こちらも1955年(昭和30年)3月開業の駅であり、
単式1面1線のホームを持つ無人駅で
カーブ上に駅があり、ホーム上には建物等はありません。
駅自体は敷地が広く、ホームも島式の様に作られているのですが
過去にこの駅に交換設備が設置された事は無いそうです。
こちらは船佐駅付近の県道112号線。
県道のすぐ脇に、ほぼロータリー状となっている
広い駅前広場があり、広場を挟んで駅待合室とホームが設置されています。
広場の中央にある自転車置き場とおぼしき屋根だけの建物と、
その前にあるポールだけのバス停。
どんなバスが走っているのかと思いきや、
目にしたのはワンボックスカーに「バス」と書かれた車でした。
広場の奥にあるのが駅のホーム。
右手の江津方面側がスロープとなっていてホームへの入口となっています。
広場のホーム反対側にあるのが駅の待合室。
屋根は三江線沿線で頻繁に見る石州瓦が使われています。
待合室の中は椅子がある他はほぼがらんどうでした。
待合室の片隅には駅ノートが置かれていました。
三江線の駅ではしばしばこの駅ノートを見かけたのですが。
列車到着まで20分ほどあったので、ついつい備え付けのボールペンで
駅ノートに駅メモの置きでんこをしてきてしまったのはご愛嬌ということで。
船佐駅の神楽愛称は「悪狐伝」でした。
所木駅。
1956年(昭和31年)7月開業の駅であり、
ご覧の通り単式1面1線の棒線無人駅となっています。
こちらは所木駅付近の県道112号線。
横道へと入っていくと駅があります。
こちらがその横道。駅はもう見えています。
横道を進みます。駅は見えています。
さらに進み、もう駅は目の前なのですが…
中央のスレートの建屋に「所木駅」と書かれているのが分かりますでしょうか。
この駅、手前の建設屋さんと完全に同化してしまっていて
知らないとここに駅があることが非常に分かりづらいのです。
こちらが駅の全景。
横道が踏切となったその脇に駅があります。
踏切の先には江の川に架かる唐香橋という真っ赤な鉄橋があります。
鉄橋からの眺めはなかなか悪くない感じで。
踏切脇の駅ホームへの進入口。
反対側を見ると踏切の向こう側に97kmのキロポストがありました。
県道から駅への横道の途中をよく見ると
所木地区の集会所が。
駅の神楽愛称は「玉藻の前」です。
信木駅。
こちらも1956年(昭和31年)7月開業の駅で
単式1面1線の棒線無人駅です。
県道112号線から駅への入口。
江の川へ向かって下ったところに駅があります。
道を下るとご覧の通り駅が。
駅舎は無く、ホーム上にスレート板が貼られて作られた待合室に
駅名が外から見えるように書かれています。
ホーム側から見た県道への連絡道。
駅前の県道沿いには消防団の倉庫と信木地区集会場がありました。
駅の神楽愛称は「子持山姥」でした。
式敷駅。
1955年(昭和30年)3月に開業した駅で、
その後の1963年(昭和38年)6月に口羽駅まで延伸するまでは
国鉄三江南線の終着駅だった駅です。
島式1面2線のホームを持つ列車交換の可能な駅です。
駅舎とホームは構内踏切で連絡しています。
下りの2番線が駅舎側でその先の駅舎横には
側線と貨物用ホームがありますが、貨物で使われた事は無い様です。
ホーム側から見た駅舎と構内踏切。
こちらは江の川沿いに三江線と並走してきた県道112号線が国道433号線と交わり、
川と並走する道が県道4号線に変わってすぐの駅前付近です
しかし駅前のデイリーストアと酒屋も平日の日中だというのに
営業している様子も人の気配もありませんし。
ガソリンスタンドは完全に廃墟となっているのがアレですが。
そのガソリンスタンドのすぐ横が駅前広場であり、
駅舎もご覧の通り建っています。
広場には「地域の宝 乗って繋ごう 三江線」の横断幕がありました。
この横断幕は三江線沿線で何度も目にしたものです。
駅舎の中の様子。
この駅の神楽愛称は「滝夜叉姫」です。
香淀駅。
1963年(昭和38年)6月開業の駅で
単式1面1線の棒線無人駅です。
ホーム側から見た駅舎。
無人駅ながらご覧の様に立派な駅舎が設置されています。
こちらは外側から見た駅舎の外観です。
駅舎の壁にはブッポウソウについての掲示がありました。
駅舎の中の様子。
駅舎から見たホーム方向。
駅の神楽愛称は「羅生門」で、
この駅から南側が広島県となる入口であることに因んでいるようです。
作木口駅。
三次駅から上り線で来るとこの駅からが島根県内となります。
1963年(昭和38年)6月開業の単式1面1線の棒線無人駅です。
こちらが駅の全景です。
ご覧の通りホームとベンチの待合のみで駅舎はありません。
江の川の方から見た駅の外観。
駅のすぐ南が踏切で、踏切脇に駅ホームへの入口があります。
この駅がここにある理由はなんといってもこの橋梁に拠るでしょう。
江の川を境に広島県と島根県の県境が走るこの一帯で、
駅の前に架かっている赤い橋が三国橋です。
駅の正面の道がすぐに橋となっていて、
対岸には国道375号線が走っています。
橋を渡った対岸は広島県三次市作木町となっていて、
川沿いに300mほど北に行くと作木の集落となっています。
対岸の作木町の入口として設置されたことが「作木口」という駅名の由来です。
橋から見た作木口駅の様子です。
駅の神楽愛称は「胴の口」。
江平駅。
1963年(昭和38年)6月開業の棒線無人駅です。
江の川に架かる丹渡橋の袂にある駅で、集落からは離れており
周囲に家はまばらです。
こちらが駅の目の前に架かる丹渡橋。
駅の神楽愛称は「五龍王」。
口羽駅。
1963年(昭和38年)6月に三江南線が延伸した際に開業した駅で、
その後の1975年(昭和50年)に三江線が全線開業するまでの間
三江南線の終着駅だった駅です。
島式1面2線のホームを持ち列車交換が行われる駅です。
特に2016年12月現在のダイヤでは
上り始発列車がこの駅で列車交換の都合上30分近く停車します。
ホームと駅舎は構内踏切で連絡しています。
こちらは駅舎の外観。
この駅も石州瓦で屋根が葺かれています。
駅舎の上を通る高架道は
県道7号葉浜田作木線の宮尾山トンネルとその出口です。
2008年10月に開通し、国道375号線と口羽の旧市街をバイパスする為
7年の月日を掛けて作られたそうです。
この宮尾山トンネルを出て最初の交差点がこちらですが、
ここには何やら石碑が立っています。
見ると「三江線全通記念碑」とあります。
「昭和五十年八月三十一日全通」
「運輸大臣 勲一等 大橋武夫書」と刻まれていました。
裏の碑銘を見ると、この地にかつてあった羽須美村の片岡金六村長の尽力によって
三江線の全通があった旨が記されています。
この碑のある交差点から下っていくと
ご覧の通り口羽駅へとつながっています。
私が行った時には口羽駅の駅前広場の右手では
ちょうどトイレの建屋を作っていました。
そしてその脇に石碑があり、これが「片岡金六君頒徳碑」と書いてあって
三江線全通記念碑の村長と同一人物だと知ったのは帰京してからでした。
駅の神楽愛称は「神降し」。
さて、この三次駅から口羽駅までが「三江南線」という国鉄の路線として
1975年(昭和50年)まで単独の路線だった区間です。
この口羽駅から浜原駅までが1975年に延伸開通した事によって
「三江線」という一つの路線になる訳です。
旧三江南線区間の、au 4G LTEでの電波エリアマップです。
こちらを見ると、旧三江南線区間についてはどの駅も電波圏内であり、
マップを見る限り問題は無いように見えます。
ただ、実際に現地で全駅をチェックインしてみて、
私の端末(au 4G LTE)ではアクセスが非常にしにくい駅がありました。
それがこちらの長谷駅です。
こちらは長谷駅でチェックインを試みた時の
Google Mapでの位置情報です。
三江線の列車内から私は上り、下りと
3回ほど長谷駅付近でチェックインを試みましたが
三度とも長谷駅からは離れた県道54号線のご覧の位置を取得してしまいました。
それでは長谷駅はチェックインでの取得は無理なのでしょうか。
結論から書くと可能です。
こちらは江の川を挟んで三江線と対岸を並走している
国道345号線から長谷駅近くでチェックインを試みた時のマップです。
位置情報の青丸がギリギリ長谷駅のエリア内を取得しているのが分かります。
実際にこの時私は長谷駅をチェックインできました。
この通り長谷駅をチェックインする事自体は可能です。
ただ、三江線の列車内からは何度もGPSの気まぐれに遭ってしまい、
結果数回のチャレンジを要しました。
端末のキャリアなどにもよるとは思いますが
長谷駅を一度だけ通過する場合などは
チェックインに失敗する可能も十分にあると思った方が良いでしょう。
基本的に長谷駅以外の各駅は、三江線の列車内から難なく取る事ができました。
山間部を抜ける路線ながら電波状況は悪くは無い路線だと思います。
長くなりますので口羽駅以北についての続きは
その2にて書きたいと思います。
では。