廃駅

東京の廃駅についての続きです。

東京都で登録されている廃駅のうち、これまで扱ったのは以下の6駅です。


【攻略】廃駅(東京)・京王電鉄多摩御陵線、武蔵横山駅、多摩御陵前駅。
【攻略】廃駅(東京)・西武鉄道、東国分寺駅(多摩湖線)、上り屋敷駅(池袋線)。
【攻略】廃駅(東京)・博物館動物園駅(京成本線)、昌平橋駅(鉄道院中央本線)。


残る東京都の廃駅は2駅。
今回はその残りの、千住方面の2駅を扱いたいと思います。



■中千住駅(東武伊勢崎線)

こちらは現在の北千住駅の南方に、かつて戦前に存在したという駅です。
昭和20年(1945年)休止、昭和28年(1953年)廃止だそうで。


中千住01
まずは北千住駅の東口に降り立ちます。


中千住02
東京電機大学前の東口ロータリー。

中千住03
その右に、東武線に沿った道が伸びています。


中千住04
その道から1ブロック線路側に戻ると、側道とも言うべき道が
線路沿いに伸びていました。

中千住05
振り返ると、左の建物が北千住駅の駅舎で、
奥の突き当りが北千住駅東口の階段です。


中千住06
道を進むと線路が見えてきます。
ここはちょうど北千住駅の南の端っこです。
低い手前が東武線、奥の高架がJRや東京メトロの走る線路ですね。

中千住07
下の線路を走り抜ける、東武線の特急スペーシア。



その先に歩を進めると現れるのが、通称「大踏切」です。

中千住08

JR常磐線の「北千住一丁目踏切」と東武伊勢崎線の「22番踏切」が連なるこの地点。
奥の高架はつくばエクスプレスの線路ですね。

中千住10

こちらの地図で①と記した場所が大踏切です。
中千住09



そしてその「大踏切」から線路を南方に望んだ場所。
中千住11


中千住12
中千住13

ここが、かつて中千住駅のあった場所です。

北千住駅東口から大踏切までがおよそ300mですから徒歩5分ほど。
その大踏切から中千住駅跡まではおよそ50mですから
北千住駅からかなり近い場所に中千住駅があったことが分かります。



現在も東武伊勢崎線(スカイツリーライン)が運行している場所ですので、
普通に北千住駅━牛田駅の間で駅情報を取得すれば奪取は難なく出来るでしょう。
場所さえ把握していればかなり簡単に取れる廃駅だと思います。




ここからは中千住駅の余談ですが。


駅跡からさらに南方に50mほど行った場所、地図で②と記した場所には。
中千住14

ご覧の通りの煉瓦積みの架道橋があります。
イギリス積みと呼ばれる積み方の煉瓦ですので明治大正期あたりだと思われます。

この架道橋の地下道、ちょうど中千住駅の南方に位置しますから、
かつては駅の東西を行き来する人が往来したんでしょうね。

中千住16

こちらは反対の西側から見た架道橋の入口ですが、
中千住17

メッシュだけの部分があり、列車が通過すると真下から見る事ができます。


中千住15

②の架道橋付近から見た、中千住駅跡付近。



この中千住駅は、駅として廃止となった後も信号所や分岐点として存在をしていたそうです。
その先には貨物専用の東武千住線があり、千住貨物駅がありました。

線路に沿って歩いていくと、墨堤通りに出て、地図の③の場所へとたどり着きます。

中千住19

この③の場所の写真がこちらです。

中千住20

中千住21
振り返ると墨堤通りを挟んだ向かいには東武デリバリーの建物が。
その向こうには東武伊勢崎線の線路が見えます。
かつてこの場所には千住線が走っていたそうですから、
跡地はそのまま東武で使用している様子ですね。

中千住22
向き直ると、京成本線の高架の下に、なにやら線路らしきものが。

中千住23
間違いなく線路の跡です。
東武千住線の線路の残骸が今も残っている場所があるとは聞いていましたが、 これがその実物です。

現在は恐らく建築業者と思われる会社の資材置き場となっていて、
中は塀で囲まれて見る事ができません。

門の右側の高架下も線路が走っていた部分だと聞いていたので、
線路のあった場所を伝って敷地の西側を歩くと。

中千住24
たまたま敷地の門が開いていて、中が見えるではありませんか。

中千住25
50tのクローラークレーンと、そのブーム(クレーンの腕)が積み上げられた前に、
はっきりと線路が敷地に残っているのが見えます。

中千住256
左手を見ると、25tラフタークレーン(タイヤで走るクレーン)の横に、
残っていると言われていた郵便車も見えました。

中千住27
こちらは京成本線の車両から撮った敷地内の光景です。

この光景の、線路の伸びた先にかつて千住貨物駅があったそうですが、
1987年(昭和62年)に千住線の廃止の伴い、一緒に廃止になりました。


地図の青線は、今も線路の跡が残っている場所、
そして緑線はかつて線路があったと言われる場所を書き足したものです。




■西千住駅(京成本線)


西千住01
こちらは京成本線の千住大橋駅。

西千住02
駅前の地図を見ると、京成本線と国道4号(日光街道)の交点に作られたこの駅、
地図で青丸の場所ですが、今回の目的地はそこから右に行った、
赤丸の場所となります。

西千住03
京成本線の線路の北側を進み、
千住スポーツ公園を通過したあたりの光景。
この先にもう少し進むと目的地です。


西千住04
こちらの踏切の付近が今回の目的地となります。
この踏み切りは京成電鉄の町谷1号踏切といい、
かつてこの踏切の付近に西千住駅がありました。
西千住05

西千住07
こちらは東側(千住大橋駅側)から踏切の方向の光景。
ここがまさに西千住駅のあった場所だそうです。
以前は電車の架線柱が広がって立っていたので
ここに何かがあったとおぼろげに分かったそうですが、
今はそれも直されてしまっていますので、面影はほぼありません。
西千住08
こちらは昭和34年ころの同じ場所の風景です。


かつてこの踏切の前には千住緑町交番がありましたが、
2014年6月に移築工事が始めらられ、2015年2月には線路の南側100mの交差点前に移築されました。

西千住09
2015年11月現在の踏切西側の光景。

西千住10
更地となった交番の跡地と、その裏にあるお地蔵さん。


西千住11
踏切の道を、踏切を背に南に進むと。

西千住12
100mほど進むと突き当たるT字交差点に、
新しい千住緑町交番が移設されてありました。




西千住13
西千住駅の跡は、京成本線の町谷駅と千住大橋駅の間に存在していました。
京成本線が現在も普通に営業をしていますから、
隅田川の鉄橋を渡った千住大橋駅側で位置情報を登録すれば難なく奪取が可能でしょう。

路線の位置だけを見ると、京成本線に併行して走る東京メトロ千代田線も近いのですが、
千代田線はこの区間は全線地下を走っていますので
西千住駅付近ではGPSの電波が届かず奪取は不可能
です。




以上で東京都内の登録されている廃駅は全て巡った事になります。
また新たな廃駅が登録されることがあれば、
その時はまた現地まで行って調べてみたいと思います。

都内の廃駅は、どの駅も、わざわざ出向かなくても
既存の営業路線の乗車中に奪取が可能でしたが、
直接出向くには手ごろなロケーションの駅がほとんどでしたので、
こうやって現地に行ってみるのも面白いかもしれません。


では。

東京の廃駅についての続きです。

東京都で登録されている廃駅のうち、これまで扱ったのは以下の4駅です。


【攻略】廃駅(東京)・京王電鉄多摩御陵線、武蔵横山駅、多摩御陵前駅。
【攻略】廃駅(東京)・西武鉄道、東国分寺駅(多摩湖線)、上り屋敷駅(池袋線)。




■博物館動物園駅(京成本線)

まずはあえて上野駅のパンダ橋口からスタート。
博物館動物園01

博物館動物園03
パンダ橋を上野公園川への向かいます。

博物館動物園02
上野駅のホームを見下ろしながら。

博物館動物園04
上野駅の公園口に来ました。
本来は上野公園に行く方はここいらからですね。

博物館動物園05
公園口正面の東京文化会館

博物館動物園06
の、右横の道を抜けて行きます。

博物館動物園07
国立西洋美術館の前を通り抜けて、

博物館動物園08
そのまま上野公園の道を進むと、
メインの大通りとの交差点に差し掛かります。

博物館動物園09
大通りを右に見ると、奥には
東京国立博物館が見えます。
「博物館動物園駅」の「博物館」ですね。

曲がらずそのまま園内の道を進むと。
博物館動物園10
上野動物園の入り口が見えてきます。
「博物館動物園駅」の「動物園」です。

博物館動物園11
動物園の入り口の前のポストがパンダ模様になってます。

博物館動物園12
右を見ると東京都美術館が見えますが、

博物館動物園13
用は無いので右横の園内道路を進みます。

博物館動物園14
公道に突き当たると、正面には東京国立博物館内んいある立派な門が。
この門は「旧因州池田屋敷表門」と言って、
鳥取藩池田家江戸上屋敷の正門が残されているものです。

博物館動物園15
公道を左に曲がって進むと。

博物館動物園16
旧東京音楽学校奏楽堂が信号の交差点の左手にありますが、
その道路を挟んだ向かいを見ると。


博物館動物園17
なにやら見える石造りの建物こそが、
「博物館動物園駅」の地上口の建物です。

博物館動物園18
確かに「博物館動物園駅跡」というレリーフがついています。

博物館動物園19
なにやら説明書きのレリーフも。

博物館動物園20
横から見るとこんな感じですか。

博物館動物園21
反対側から。
こちらは国立博物館の敷地内です。 というか、この「博物館動物園駅」の建物自体は国立博物館の敷地の中なんですけどね。
博物館動物園22
京成本線が上野公園の区間は地下を走っていますので、
現在でも京王本線の車窓から博物館動物園駅のホームを見る事ができるそうです。


この博物館動物園駅の建物は中川俊二という建築家の手による設計だそうで、
皇室用地であった帝室美術館(現・東京国立博物館)の敷地内に建てられることになった為、
昭和天皇出席の御前会議でデザインが決定されたそうです。


博物館動物園23
ご覧の通り、京成本線でも取得は可能ですが、
JR山手線の鶯谷駅━上野駅の間でGPSで取得が可能です。



まあ、山手線から取れる駅をわざわざ現地に行って取る人は少ないでしょうが、
非常にアクセスのたやすいロケーションなので、現地で見てみるのも一興かもしれません




■昌平橋駅(鉄道院中央本線)

昌平橋駅は、万世橋駅が出来るまでの仮駅として
1908年(明治41年)から1911年(明治45年)の4年間だけ存在したという駅で、
かつては現在の中央本線の東京側の起点でした。


昌平橋01
秋葉原駅の電気街口を出て、高架下を伝って中央通り(国道17号)の交差点に。

昌平橋02
そのまま高架下の道をまっすぐに突き進みます。

昌平橋03
昌平橋の交差点が見えてきます。
上に見える緑の鉄橋は秋葉原のランドマークとも言うべき
「松住町架道橋」です。こちらは総武本線が通ります。

昌平橋04
松住町架道橋の真下から昌平橋の交差点。
奥は昌平橋です。
昌平橋の向こうには、中央本線の煉瓦作りの高架橋が見えます。

昌平橋05
昌平橋の方向に向かって進むと。


昌平橋06
橋の上から見える、中央本線の高架下のご覧の部分が、
かつて昌平橋駅のあった場所です。
煉瓦の構造物は、営業当時ほぼそのままで残っているそうです。

昌平橋07
こちらが昌平橋駅のあった場所の地図です。


昌平橋08
川と反対側から見た昌平橋駅跡。
この煉瓦の4連アーチのうち、中央通り側に一番近いアーチ、
この写真に写っている場所が、かつて駅の入り口だったそうです。

昌平橋10
この煉瓦アーチの高架橋は「紅梅河岸高架橋」という名前だそうです。

昌平橋09
駅跡の北側。この神田川に張り出した階段から、上にあるホームへと上がったそうです。
現在はその階段の跡はありません。

昌平橋11
駅の前には「淡路坂」の表示が。


昌平橋12
昌平橋駅跡から昌平橋を挟んだ反対側に伸びる煉瓦アーチ。
その終端には万世橋駅がかつてありました。

昌平橋13
「神田郵便局前」の交差点から「昌平橋」交差点の方向を望む風景です。



昌平橋14
この昌平橋駅は、現在の中央本線上にある駅ですので
当然、中央線の御茶ノ水駅━神田駅間で取得が可能です。
また、ほぼ横を通る総武本線の御茶ノ水駅━秋葉原駅間でも取る事は容易にできます。

交通量の多いメジャーな路線から取れるので、
特に駅奪取に苦労をする事はありません。




さて、今回ご紹介の二つの駅は、
まるでオマケの様に簡単に取れる廃駅なので
現地まで行く人はあまり居ないような気がします。

私は実際に行って取る事が楽しいですので
わざわざ出向いていますが、意外と楽しかった事をここに書いておきます。


ではまた。

東京の廃駅についての続きです。

東京都で廃駅が登録されている数は8つですが、
前回はそのうちの二つを扱いました。


【攻略】廃駅(東京)・京王電鉄多摩御陵線、武蔵横山駅、多摩御陵前駅。


今回は続いて西武鉄道の廃駅を追いたいと思います。



■東国分寺駅(西武鉄道多摩湖線)

西武鉄道の多摩湖線は国分寺駅を起点としている路線で、
現在も国分寺駅━西武遊園地駅間を営業しています。


東国分寺0001
1933年(昭和8年)から1945年(昭和20年)まであった駅で、
ご覧の通り1947年(昭和22年)発行の地図にはきちんと載っています。



国分寺駅から西武多摩湖線を伝うように歩いて
およそ7、8分くらいで東国分寺駅跡に到着する事ができます。


東国分寺01
ご覧の道路が左に少し膨らんでいるあたりが東国分寺駅の跡です。

東国分寺03
もう少し寄って見ると良く分かります。
ここには西武バスの「第三小学校」バス停があります。


東国分寺04
反対方向に向き直ると「西武鉄道国分寺第五踏切」があります。
この踏切を渡る道路は都道134号線、通称「連雀通り」です。



東国分寺05
歩道橋から、踏切の南側を見下ろした写真です。
赤線の部分に出来て最初にあった「東国分寺駅」の駅舎がありました。
現在は横の道路を拡張するために土地が削られてしまっており、
その痕跡は残っていません。
東国分寺06
駅舎のあった場所を反対側から。
1933年(昭和8年)~1936年(昭和11年)までの旧・東国分寺駅駅舎跡地です。



向き直って歩道橋から踏切の北側を見ると。
東国分寺07
こちらが1936年(昭和11年)に北に75m移動された後の東国分寺駅です。
移動する事で駅構内の線路が複線化され交換(単線で列車がすれ違う事)ができる駅となりました。

東国分寺08
赤丸のあたりが駅のあった場所です。
道路の斜線部はかつて駅構内の用地だった場所で、
近年までそのままはみ出て存在し、交通のネックになっていたそうです。
現在は削られて道路が直線になり、渋滞は解消されています。
横の道路の膨らみはその当時の名残りのようです。



東国分寺09
ご覧の通り、東国分寺駅を取得するには、
やはり西武多摩湖線の国分寺駅━一橋学園駅間でGPSで取るのが一番確実で容易でしょう。
実際に駅があった場所を電車で通過しますので、
忘れずに奪取して下さい。




■上り屋敷駅(西武鉄道池袋線)

山手線の池袋駅からも、目白駅からもおよそ8分程度歩けば着く場所に
今は無き上り屋敷駅がありました。

「上り屋敷」とは江戸時代に八歳将軍吉宗のときにあった狩場の休憩所の事だそうで。

こちらを走る西武池袋線の池袋三号踏切のあたりに上り屋敷駅がありました。
上り屋敷01


上り屋敷02
上り屋敷駅のあった場所に現在建っているコンビニ。
上り屋敷03
ご覧の通り店名が「西池袋上り屋敷店」となっています。

上り屋敷04
駅舎跡地のコンビニの裏に回って線路をのぞいたあたりが、
上り屋敷駅のホームがあったあたりとなります。


上り屋敷05
赤線で囲んだあたりが、上り屋敷駅の下り線ホームの跡です。

上り屋敷06
反対側から見た下りホーム跡地。



上り屋敷07
こちらが上りホームのあったあたりです。

上り屋敷08
上りホームの真横から。



上り屋敷09
目白庭園の長屋門の近くの方の踏切から見た上り屋敷駅跡近辺です。




上り屋敷10
西武池袋線の廃駅ですので、
当然、池袋駅━椎名町駅間で普通にGPSで取得が可能ですが、
地図を見ていただければ分かるように、
JR山手線の池袋駅━目白駅間でもGPSで取れてしまいます
ですので全く狙っていないのに取ってしまった人も多数存在すると思います。


GPSで取れば別に問題はないのですが、
非常に容易に行ける場所にあるだけに、
折を見て一度見て見るのも乙かもしれませんよ。



東京の廃駅はまだ4つ残っていますので、
また追って。
では。

はい。今回は東京の廃駅についてまとめて見たいと思います。

東京都で廃駅が登録されている数は8つ。
そのうち、今回は西の4つについてです。



■武蔵横山駅(京王電鉄御陵線)
■多摩御陵前駅(京王電鉄御陵線)


こちらの二つは同じ京王電鉄御陵線の駅なので一緒に扱います。

まずは武蔵横山駅から多摩御陵前駅までの、京王御陵線のルートを
地図で描いてみたいと思います。
001
(地図はクリックすると拡大します)


京王御陵線01
まずは中央線と京王御陵線の交わっていた場所に。
当時の国鉄中央本線、そしてその先の甲州街道を
京王御陵線は高架でオーバーパスしていたそうです。

京王御陵線02
北に向かって進むこのあたりが、
かつて武蔵横山駅があったという場所になります。

京王御陵線03
こちらが現在(2015年11月)甲州街道の並木町交差点。
京王御陵線04
こちらは1965年ですから今から40年前に、
ほぼ同じ位置から撮られた武蔵横山駅の高架の解体現場の写真です。

八王子市郷土資料館で2011年(平成23年)に行われた
「八王子と鉄道」展の図録の57ページを参照すると、
武蔵横山駅は甲州街道の並木町交差点の南側にあったと記されています
上の写真はどうやら、現在の並木町交番の一帯、
中央線のアンダーパスの北の西側付近にあたる様子です。



京王御陵線05
この並木町交差点のガソリンスタンド。
武蔵横山駅から甲州街道を挟んだ反対側のこのあたりを
京王御陵線の高架が延びていた様ですが、
このガソリンスタンドの裏手の駐車場に、御陵線の遺構が残っていました。


京王御陵線07
並木町交差点を北に100mほど進むと南浅川の橋があります。
ここを右折して、
京王御陵線08
川沿いの道を50mほど進みます。

京王御陵線09
こちらにコインパーキングも設置されている駐車場があります。
自動販売機の左の後ろの平屋の前に、御陵線の遺構はありました。
以下の地図の赤丸の場所です。
京王御陵線06

京王御陵線10
この平屋の民家の前の、パイロンのおかれたコンクリート。
これ、京王御陵線の高架の橋脚の根元の残骸です。
付近の道の角度や、駅のあった位置などからもドンピシャです。
京王御陵線11
京王御陵線12



そして、ここから南浅川を渡った反対側には
京王御陵線の橋脚そのものが残っています
京王御陵線13

京王御陵線14

こちらが先ほどの橋脚の残骸と、
そのまま残っている橋脚の位置です。

京王御陵線15
京王御陵線16
京王御陵線17
京王御陵線18
…話には聞いていましたが、やはり実物を見ると圧巻ですね。

工事現場での解体を知っている人間にとっては、
この橋脚の解体がどれだけ手間か、は気が遠くなりそうです。
見える部分にだけでなく、地下にも橋脚を支えるフーチン(フーチング)という、
京王御陵線19
こんなのが埋まってるはずですから。
だから先ほどの橋脚の残骸も、半端に地上に残っている訳なんです。



そして京王御陵線が通っていたとおぼしき場所を徒歩にて。
京王御陵線20


京王御陵線21
こちらの陵南公園の北側、都道187号多摩御陵線にぶつかるこの場所が、
かつて多摩御陵前駅のあったとされる場所です。


京王御陵線22
こちらの医院がある場所が、駅のあった場所だそうで。

京王御陵線23
同じ場所にこのように御陵前駅(多摩御陵前駅)が建っていたそうですが
空襲で焼けてしまったとのことです。




私は西八王子駅から中央線を伝って武蔵横山駅跡まで来て、
そこから京王多摩御陵線の走っていた跡をたどりながら
多摩御陵前駅跡まで徒歩で来ました。
途中いろいろと探索をしながらでしたので
一時間ほどの行程でした。

この京王多摩御陵線の二つの廃駅、
別にわざわざ歩いて来なくても、
中央線で西八王子駅━高尾駅間で普通にGPSで取得が可能です。
ですから、現地まで行って駅奪取をする人は恐らく稀でしょう。


私中央線から取りましたが、
いつか直接やって来ようと思っていましたので、
これで本当に多摩御陵線を取れた気がします。




来た道を同じ道を、資料写真を取りながら戻っていると。

京王御陵線24
来るときにもいた猫が、
堂々と線路の真ん中(だった場所)でくつろいでました。



東京の廃駅はまだまだありますので続きはその2で。
では。

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