さて、会津鉄道の続きです。
その1(会津高原尾瀬口━会津田島)はこちら。
その2(会津田島━湯野上温泉)はこちら。
湯野上温泉郷を後にした会津鉄道は大川ダムのダム湖である若郷湖の南で
これまで併走してきた国道121号線と別れます。
これまでほとんどトンネルの無かった会津鉄道ですが、
ダム湖の東岸を北上するこの区間に入ってトンネルの連続となります。
これは1986年(昭和61年)に阿賀川に大川ダムが完成した為で、
ダム湖の底に線路が沈む事となった国鉄会津線は
1980年(昭和55年)に現在のルートへと付け替えが行われます。
昭和初期に敷設された会津線は
地上を出来るだけ少ない勾配で走るルートが選択されましたが、
付け替えられた新線は土木技術を駆使してそのほとんどがトンネルとなりました。
比較的電波状況の良い会津鉄道でこの区間だけ電波が悪くアクセスしづらい理由はここに有りました。
通常の旅客にとっては最短ルートを走るので非常に好ましいのですが、
駅メモでGPSを使う身としては電波が入らないトンネル区間は鬼門となります。
駅間の区間はほぼトンネルである以上電波は入りにくいのですから
列車が駅に停車している時に確実にアクセスをする事が求められるでしょう。
こちらは若郷湖の東岸にある桑原集落の市道です。
かつて国鉄会津線があった時代の1932年(昭和7年)に桑原駅が開業していますが、
その桑原駅こそが旧桑原集落に作られた駅でした。
ダム湖の湖底に桑原集落が沈む事となり、
1977年(昭和52年)に集落が移転した場所が写真の付近の現・桑原集落となります。
湯野上温泉駅からは北に4kmほどに位置しています。
こちらが駅前の市道と、駅舎の前に広がる駅前広場です。
集落の中心部付近に駅は置かれています。
芦ノ牧温泉南駅の駅舎の様子です。
この場所に駅が移転したのは新線へと付け替えられた1980年(昭和55年)のことで、
国鉄会津線の桑原駅として移転設置されました。
その後第三セクター転換された1987年(昭和62年)に現在の駅名へと変更されています。
駅前広場はかなり広めのスペースが取られていますが、
実は駅舎の目の前を東西に市道がもう一本走っていて
道路に広場が挟まれた状態となっています。
駅舎側から駅前広場の方向を見ると、市道の向かいに建物が見えます。
駅の向かいに見えた建物は大川集会所とあり
この集落の集会場でした。
その集会場の前の敷地には
かつての旧駅の駅名標が移設されていました。
集会場の敷地の南は公園となっており、その一角にご覧の看板があります。
駅の北東には会津若松市最高峰の大戸岳があり、桑原からは桑原口登山道があって
登山客の登山ルートでしたが2010年(平成22年)に廃道となっています。
駅舎の入口の左手にはご覧の待合室があります。
二畳ほどの狭い待合室ですが扉があって風雪をしのぐ事ができます。
入口の右手を見るとホームへと下る階段があります。
国鉄時代の土盛りされたホームの地上駅が多い会津鉄道の中で
この駅は無骨なコンクリートが、同時期に作られた野岩鉄道の駅と雰囲気が似ています。
階段を下りきったホーム入口付近です。
上り口のスペースにはベンチが置かれています。
壁に掛けられた駅周辺の案内図。
ホーム側を見ると目の前に大川ダムの若郷湖が見えますが、
ちょうどこのあたり(実際にはやや左手)がかつての旧・桑原駅の沈んでいる場所となります。
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線となります。
ホーム南端からトンネル入口までは500mほどの距離となります。
駅舎からは一段低い位置にホームが作られていますが、
ホーム上には桜の木が植えられており春には見事な光景が見られる駅でもあります。
駅の横断幕には「眼下に広がる若郷湖」とありました。
芦ノ牧温泉南駅を出た会津鉄道は200mほどで再び向山トンネルへと入ります。
ご覧の通り駅間のほとんどがトンネル区間で占めており、
当然ながらトンネル内では電波が届かないので駅へのアクセスができません。
駅間の市道から見た大川ダム。
ダム湖の対岸に走る国道118号線とは隔てられた
湖畔の東側に沿って走る山中の道路から見た光景です。
ダムの見える場所から北へ少し進むとご覧のソーラーパネルの発電施設が現れます。
写真の奥中央付近にかすかに見えるのが次の駅となります。
かつての国鉄会津線の旧線もソーラーパネルの奥の方を走っていました。
ダム湖畔を通る道路から分岐しているこちらの道は、
会津鉄道の向山トンネルの北端出口の真上付近にあたりますが
駅前へと通じる道路となっています。
立て看板の立っているこちらの階段が駅への入口となります。
ホーム側から見た駅入口の階段。
階段脇にあるこちらが大川ダム公園駅の駅舎となります。
この駅のルーツは旧線上にあった舟子信号場となります。
付近の舟子集落に交通アクセスが無かったことから
1968年(昭和43年)に信号上に舟子仮乗降場を設置。
これがこの駅の旅客扱いの始まりです。
国鉄時代の駅は、国鉄本社の認可に基づき設置されるものでした。
そして臨時に設置される駅が臨時乗降場(臨時駅)であり、当然国鉄本社に認可されています。
これに対して国鉄時代には、駅を設けるほどではないが利用者の利便性などがあって
地方の鉄道管理局の判断によって設置される「仮乗降場」というものがありました。
正式な駅を作るには費用が掛かる為、簡素な設備で乗降ができる場所を作ったものであり、
国鉄本社には認可されておらず把握もされていなかったといいます。
本社が把握していないので全国版の時刻表にも駅が載っておらず、
それでいて列車は停車して客扱いをするという存在でしたので
鉄道ファンには「幽霊駅」「ヤミ駅」などと呼ばれていました。
そして大川ダムの建設によって国鉄会津線は1980年(昭和55年)に新線へと移設。
舟子仮乗降場も仮のまま新線へと移設されました。
現在の駅舎やホームはこの移設時に作られたもので、
正式駅では無いのにこれだけの設備を作ったということになります。
その後1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化で
JR東日本へと受け継がれると正式に舟子駅として駅に昇格。
3ヶ月後の7月に第三セクター転換されると現在の大川ダム公園駅に改称されています。
ちなみに新しい駅名は移転した舟子集落の住民で決めたそうです。
駅舎の中の様子です。
こじんまりとした建物の中に木製のベンチが置かれた待合室となっています。
駅舎のドアの上には八重桜の記念植樹の銘板が。
ダム建設で駅と一緒に移転した舟子集落の住民が開業時に桜を植えたことが分かります。
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
ご覧の通り山の中にある駅で周辺も一面の山林となっています。
ホームの目の前の反対側に広がる一面のソーラーパネル。
大川ダム建設の際に出た残土を捨ててできた平地を有効活用したものだそうで
2016年(平成28年)に建設され2.3メガワットの発電量があるそうです。
駅の横断幕にも「山間の太陽光発電所」の文字が。
ホームの階段を登って駅の前の道へと戻ります。
駅の目の前にあるご覧の広場とログハウス風の小屋。
小屋の方は駅の前後に広がるソーラーパネルの関連施設でした。
そして広場の片隅にある看板。
汚れていますが見てみると駅周辺の案内図でした。
しかしこの広場がタクシー乗り場だったとは。
近くに移転した舟子の集落があることも分かります。
こちらは再び大川ダム公園駅近辺のトンネルの配置図です。
南側の目の前に向山トンネルの出口があるのは先に述べた通りですが、
北側も1kmほどで舟子トンネルがあります。
ですので鉄道で駅を取る場合、走行中はほぼトンネル内なので
アクセスできる場所がほとんど無いという事になります。
列車が駅に停車している時には問題無く取れますので取り忘れに注意をして下さい。
大川ダム公園駅から北へ、国道118号線と阿賀川と併走するように
会津鉄道の線路も北上をします。
山間部を主に通り抜ける為、次の駅までは5.7kmの距離が置かれています。
写真は国道118号線の上三寄郵便局付近で、
ご覧の西への道路で駅と国道が連絡されています。
国道から駅への道は県道213号芦ノ牧温泉停車場線という県道なのですが、
入ってすぐの国道寄りにご覧の牛乳屋食堂があります。
会津のローカル店ながら、全国丼グランプリ金賞のソースカツ丼やラーメンなどで
愛好家には有名な店なのだそうです。
120mほどの停車場線を西へと進むとつきあたりに駅があります。
こちらが芦ノ牧温泉駅の駅舎の外観です。
1927年(昭和2年)に国鉄会津線が最初に開業した際の終着駅で、
開業当初は上三寄駅という名前でした。
入口付近が白く塗られているなどしてはいますが
開業当初の駅舎が現在までそのまま使用されています。
駅舎の前にある上三寄駅時代の駅名標です。
隣駅が桑原駅となっていますが、小さく括弧で(ふなこ)と書かれています。
駅前の広場は駅舎や線路に沿って広がっており
奥は駅の駐車場となっています。
駅舎の南側の広場にあるこちらは会津鉄道神社です。
会津鉄道が企業内神社として2012年(平成24年)に設けた神社で
乗客の安全を祈願して近隣三社のご神体が祭られているそうです。
神社のさらに奥には会津鉄道のAT-301が静態保存されています。
この列車は元々は国鉄のキハ30-18という車両で川越線や八高線で走っていたものです。
1999年(平成11年)より会津鉄道の自走トロッコ列車「会津浪漫号」となり
観光列車として走り2009年(平成21年)に引退。
現在はこの駅の留置線で静態保存されています。
留置線はご覧の通り本線と現在もつながっています。
また列車の前にはベンチが置かれています。
駅舎の入口に戻ると扉の上には「ねこが働く駅」の表記があります。
そして扉の脇にはこの駅で名誉駅長を務める猫たちの写真が飾られていました。
駅舎の中の様子です。
簡易委託駅として有人で駅務が行われていますが、
猫の駅長も勤務している為、待合室はご覧の通り一面の猫グッズが並んでいます。
待合室の一角の丸テーブルの奥には
この駅の初代名誉駅長「ばす」のコーナーがありました。
またこの芦ノ牧温泉駅は、同じ猫駅長が勤めるという縁から
2012年(平成24年)にひたちなか海浜鉄道の那珂湊駅と姉妹駅提携をしています。
(写真上:芦ノ牧温泉駅、下:那珂湊駅)
こちらがホームの様子です。
相対式ホーム2面2線の駅であり列車交換のできる駅となります。
また芦ノ牧温泉駅は簡易委託駅で人間の駅長も勤務しており、
また猫駅長が構内を散歩することなどから列車別改札となっています。
駅舎のあるこちらが下り線の会津田島方面行きホームです。
北側にもホームが延びていますが、駅舎より北側は使用されていません。
ホーム同士は駅の北側にある構内踏切で連絡しています。
こちらが上り線の会津若松方面行きのホームです。
待合の上屋があるのみとなっています。
引き続き国道118号線とほぼ併走する形で北上する会津鉄道。
2.8km進んだご覧の付近が次の駅の駅前付近となります。
反対の北側から見た国道の駅入口付近。
会津バスの宮内バス停があり、入口の道の脇には
単管パイプに下げられた駅入口の案内看板があります。
国道から駅まではすぐで、距離にして90mほどに位置しています。
すぐに目の前に現れる会津鉄道の宮内踏切。
その脇にあるこちらがあまや駅の駅舎となります。
プレハブ作りの簡素な駅舎となっています。
駅は1999年(平成11年)の開業で、路線に後から作られた新駅となります。
元々両隣の駅から3kmほど離れたこの地域では国鉄会津線の時代から
駅設置の請願がたびたびだされていました。
この付近では1990年代に田んぼの区画整理である圃場整備事業が行われており、
その整備によって生じた土地を利用して新駅が設置されました。
西側から見た駅の全景です。
圃場整備がされて設置された駅だけに
目の前は一面の田んぼが広がっています。
駅舎の中の様子です。
小さな駅舎の中はベンチの置かれた待合室のみとなります。
駅舎の目の前にあるホームへの入口。
階段の他にバリアフリーのスロープも設置されています。
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の駅で交換設備はありません。
駅名標は会津鉄道のキャッチフレーズの入った形式の物ではなく
旧国鉄のものに近いシンプルなものだけが設置されていました。
横断幕には「大戸古窯跡群、古きを訪ねて」とあります。
駅周辺の地区には「大戸古窯跡群」(おおとこようせきぐん)と呼ばる
古代から中世にかけて操業した窯跡の史跡があり、東日本最大規模の窯跡群となっています。
こちらは県道212号門田停車場線で、
国道118号線から駅までの700mあまりを連絡している県道です。
切り替えして国道の方向を見ると県道である事を示す標識が。
県道の西端に進むと駅前広場と駅舎が置かれています。
こちらが門田駅の駅舎となります。
1927年(昭和2年)の国鉄会津線開業時に設置された駅で、
国鉄時代には大きな木造駅舎のある駅でした。
第三セクター転換後もしばらくは木造駅舎は残っていた様ですが
解体されて現在のプレハブの待合室に建て替えられました。
駅舎の表側には駅名標は無く、まるで空き地の物置の様です。
駅舎の中の様子です。
待合室のみのこじんまりとした中にベンチが設置されています。
ホーム側から見た駅舎です。
駅名標が壁にあるのでこちら側から見ると駅らしく見えます。
こちらがホームの様子で、元が木造駅舎の駅だけに相対式2面2線となっています。
駅舎のあるこちらが下り線の会津田島方面行きホームとなります。
駅近くには集落があるものの、駅の西側は阿賀川の河川敷なので
田んぼが広がっている景色となっています。
ホームに残る国鉄時代の縦長の駅名標。
非常に味があります。
ホームの南端にある構内踏切。
両方のホームを連絡する通路はここのみです。
上り線の会津若松方面行きホームです。
この駅は1線スルー方式の線形となっています。
こちら側のホームには上屋などは無く、
黄色いベンチが置かれているのみとなっています。
駅の横断幕は下り線の駅舎脇にありますが
「献上身不知柿の里」と書かれています。
門田駅周辺は「身不知柿」(みしらずかき)の名産地で知られ、
漆器や紙器が盛んな会津地方で必要や柿渋(下塗りの塗料として使う)を生みだし
盛んに栽培されるようになったそうです。
多くの実を付けることから「身のほどを知らず」と名がつけられた柿は
現在でも皇室へ献上をしている由緒ある柿なのだそうです。
こちらは県道128号会津若松会津高田線という県道で、
会津鉄道の上下口踏切付近の光景となります。
鉄道と併走してきた国道118号線からは西へ650mほどに位置しています。
会津若松市内から伸びている県道は中央分離帯のある道路で
踏切も上下線の道路それぞれに分かれています。
その踏切の南西の脇に公園があるのですが、
この公園が県道と駅とを連絡する通路の役割となっています。
中央部がインターロッキングで舗装されているこの公園は
会津若松市が管理している一ノ堰2号という緑地でした。
その緑地の南側の出口の前に会津鉄道の駅が置かれています。
こちらが南若松駅の駅舎の外観となります。
国鉄会津線の時代には無かった駅で、
1995年(平成7年)に新しく設置された駅となります。
駅前の線路沿いの道は二車線で広く、
線路脇の鉄道用地が駅の駐車場として利用されていました。
そして駅の目の前にある大きなため池です。
60m×80mの大きさのため池は駅からもよく見える位置にあり、
周辺に用水路が伸びていました。
ため池とつながっている緑地脇の用水路。
駅舎へと戻って中の様子です。
大きめの駅舎の中は待合室のスペースの奥にトイレが設置されていました。
ホームへの入口は駅舎の目の前で、
北側の端からホーム上へと上る様になっています。
この駅のホームは単式1面1線となっています。
路線に後から新設された駅なので交換設備などはありません。
90年代に作られたホームは鉄骨組みで幅も狭めとなっています。
上屋としては屋根のみが設けられていてベンチなどは置かれていません。
駅の横断幕には「会津美里町へようこそ」とあります。
北側を走る県道128号線は西へ800mほどで阿賀川に架かる本郷大橋に差し掛かります。
橋を渡った東側は会津美里町であり、会津若松市の中心部から会津美里町へとつながる県道の
端の西詰に位置する駅はまさしく会津美里町への入口と言えるでしょう。
こちらはスーパーのヨークベニマル城西町店です。
県道211号西若松停車場南町線に位置しており、
駅の東口広場の隣に位置しています。
スーパーの南側を西へと入る道路です。
こちらが駅前広場へと続く道となります。
120mほどでスーパーの裏手へと回りこみ駅前広場へ。
こちらが東口の駅前広場となります。
ご覧の通りバスの待機場、タクシープール、そして駅前駐車場のあるロータリーと
広めの駅前広場が設けられています。
西若松駅の東口の外観です。
駅は1926年(大正15年)に国鉄会津線の会津若松駅━会津坂下駅間、
現在のJR只見線の開通で設置されました。
翌年の1927年(昭和2年)には西若松駅━上三寄駅(現・芦ノ牧温泉駅)が
国鉄会津線の支線として開業しており、これが現在の会津鉄道の路線にあたります。
会津鉄道の列車は会津若松駅まで運行していますが、
起点はこの西若松駅となっています。
現在の駅舎は2005年(平成17年)に改築されたもので橋上駅舎となっており、
JRと会津鉄道の共同使用駅となっています。
駅舎の北側には県道の跨線橋があり、
先ほどの駅前スーパーの脇から駅を跨いでいます。
東口の駅舎の中の様子です。
階段を上った跨線橋上の自由通路。
こちらが西若松駅の改札付近の光景となります。
JRと会津鉄道の共同使用駅ですが、改札業務は会津鉄道が行っています。
駅構内側から見た改札の光景。
改札を入ると左手に階段が一つだけあり、
一本道でホームへ降りる様になっていました。
こちらがホームの様子です。
駅には単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線となっています。
しかし通常時には島式ホームのみ使用をしていますので
実質的には島式ホームの駅の様に運用されています。
島式ホームは2、3番線となっており、
西側の2番線が只見線ホーム、東側の3番線が会津鉄道ホームで
それぞれのホームに上下線ともに停車をします。
駅の上には2本の跨線橋が架かっていますが、
自由通路の跨線橋は駅の改築された2005年(平成17年)、
県道の西若松跨線橋は2000年(平成12年)に架けられました。
ごらんの様に3番線には会津鉄道の番線表示がありますが、
駅名標はJRの仕様のものだけで会津鉄道仕様のものはありません。
こちらは西若松駅のホーム南端から会津田島方面を見た様子です。
地図を見ると西若松駅の南でJR只見線と会津鉄道は線路が合流しているように見えますが、
実際にはご覧の通り、駅南側では併走しているのみで合流はしていません。
ホーム北端から会津若松方面を見ると
駅の北側すぐでJR只見線と会津鉄道の線路が合流しているのが見えます。
ですので只見線は駅で列車交換ができますが、
会津鉄道は西若松駅構内では列車交換はできません。
そして島式ホームの対面に見えるこちらの単式ホームが1番線です。
只見線のホームであるこちらは夕方の会津若松方面行きの1本のみしか使用しない為、
日中はホームへ立ち入ることができません。
また橋上の改札口と1番線はつながっておらず、西口の専用の入口からしか入れません。
こちらは西口の駅舎の外観です。
西口の駅前にも、東口よりは小規模ですが広場とロータリー、
そして駅前駐車場が設けられています。
西口の駅舎内の様子です。
先ほどの1番線ホームへの入口はここに設けられています。
西口駅前の広場から北側を見ると
砂利敷きの駐車場があり、駅利用者が駐車をする事ができます。
そして入口にはご覧の会津鉄道本社への案内看板が立っています。
駐車場の中を進むと左手に建物が。
こちらが会津鉄道の本社の建物です。
本社建物の目の前には会津鉄道のラッセル車が留置されていました。
以上で会津鉄道の駅としては全てとなります。
ただ列車自体は西若松駅からJR只見線へと乗り入れており、
運行上の終点駅は会津若松駅となっています。
こちらは西若松駅の北隣のJR只見線の七日町駅。
そして運行上の終点である会津若松駅です。
会津鉄道の列車は5番線へと入線(一部4番線)となります。
こちらは会津鉄道の湯野上温泉駅━西若松駅(━会津若松駅)の区間の
au 4G LTEでの電波エリアマップです。
基本的にほぼ全ての区間が電波エリア圏内となっていますので
駅へのアクセスに困る事はまずありません。
ただ、会津鉄道の区間で大川ダム建設による新線付け替えの行われた
大川ダム公園駅周辺のみは若干電波の弱い区間があります。
以前は大川ダム公園駅が電波エリア圏外だったのですが、
auでも電波エリアの改善が行われてご覧の様に駅に電波が入る様になりました。
(docomoでは以前から大川ダム公園駅にも電波が届いていた様です)
元々トンネル内は電波が届きませんので、
大川ダム公園駅に関しては駅停車時にアクセスをする、と考えれば
問題なく駅を取る事が可能でしょう。
以上で会津鉄道の記事は全てです。
青春18きっぷが使えない第三セクター路線ということで
運賃も高くなりがちで足が遠のく路線ではありますが、
観光地も多く雪の無い季節はむしろ快適な地域だと思います。
もちろん豪雪地帯なので冬場こそが本領の土地ですので
雪の会津に出向くのも乙なものかと。
では。