路線攻略

南阿蘇鉄道a97
南阿蘇鉄道高森線の続きです。


その1(立野駅━中松駅)はこちら



南阿蘇鉄道94
こちらは国道325号線の旧道と熊本県道39号矢部阿蘇公園線が交わる交差点で、
すぐ近くの東側には熊本名水百選のひとつでもある池の川水源があります。
南阿蘇鉄道93
その交差点から250mほど南の旧道沿いにある「熊本より十里」の石標。
南阿蘇鉄道95
石標からさらに80mほど南に下ると
スズキの看板の立った自動車整備工場があり、
その脇にインターロッキングで舗装された横道があります。
南阿蘇鉄道96
この、整備工場の敷地の真ん中を横切る横道の奥に
南阿蘇鉄道の駅が設けられていました。
南阿蘇鉄道97
こちらが中松駅の駅舎の外観です。
1928年(昭和3年)の路線開業時に開設された駅で、
第三セクター転換後の1987年(昭和62年)に現在の駅舎へと改築されています。
駅舎は熊本大学工学部准教授の桂英昭氏の設計によるもので
モダンな外観となっています。
南阿蘇鉄道98
駅前広場の様子です。
整備工場の敷地の奥の駅舎前に横に広がっています。
南阿蘇鉄道99
広場の東側にある駅周辺の案内地図です。
南阿蘇鉄道a01
こちらは駅舎の入口付近の光景。
南阿蘇鉄道a02
入口の脇には終戦間際に駅が機銃掃射された歴史が記されていました。
南阿蘇鉄道a03
駅舎の中の様子です。
南阿蘇鉄道a05
この駅舎の中には「ひみつ基地ゴン」というカフェが入居していました。
以前は蕎麦屋さんが入っていたそうですが、
2016年(平成28年)7月の南阿蘇鉄道部分復旧と同日にカフェがオープンしています。

特撮にフィーチャーしたカフェの様でガラスケースには特撮のおもちゃが多数展示されています。
「秘密戦隊ゴレンジャー」では「スナックゴン」という店が登場していますが、
どうやら店名はここからのモチーフの様子です。
ゴレンジャーのゴンではキレンジャーがいつもカレーを食べていましたが、
こちらのカフェもカレーが看板メニュー(要予約)となっています。
南阿蘇鉄道a04
ホーム側から見た駅舎の改札付近の光景です。
南阿蘇鉄道a06
駅舎の前に立つ「星獣戦隊ギンガマン」の巨大ロボのギンガイオー。
カフェが開店する日曜日に看板ロボとしてホームに立っている様です。
南阿蘇鉄道a07
ホームの様子です。
相対式ホーム2面2線の駅となっており、列車交換が可能な駅となっています。
駅舎のあるこちらは下り高森方面行きの1番線ホームとなります。
南阿蘇鉄道a08
1番線の西側に立てられた戦時の列車空襲を記した立て看板です。
南阿蘇鉄道a09
この駅も駅前とホームの間にフェンスなどは無いので
自由に出入りすることが可能となっています。
南阿蘇鉄道a10
ホーム西側の駅舎前、カフェスペースの前あたりに置かれた木製の長いすです。
この駅にもカップルが座る椅子が置かれていました。
南阿蘇鉄道a11
西端にはホーム同士を連絡する構内踏み切りが。
南阿蘇鉄道a12
駅の南側には2番線ホームがありました。
本来は上り線の立野方面行きのホームなのですが、
熊本地震以降は当駅より立野方面は復旧しておらず、
2016年(平成28年)の部分復旧以降もホームはパイロンで封鎖され
使用されていませんでした。



南阿蘇鉄道a13
国道325号線の旧道と併走しつつ阿蘇のカルデラを東進する南阿蘇鉄道。
3kmほど進むと次の駅への入口となります。
南阿蘇鉄道a14
反対の東側から見た駅への入口となる交差点付近。
駅への入り口であることを示す案内標識が立っています。
南阿蘇鉄道a15
南へと道路を進むと、右手には農業倉庫があります。
南阿蘇鉄道a16
倉庫脇の道沿いにはこの地域の農協を率いた人物の胸像が。
南阿蘇鉄道a17
胸像からさらに南に進むと、
旧道から140mほどで駅舎があるのが見えてきます。
南阿蘇鉄道a178
阿蘇白川駅の駅舎の外観です。
1928年(昭和3年)の路線開業時に設置された駅であり、
第三セクター転換後の1988年(昭和63年)に現在の教会風の駅舎へと改築されました。
南阿蘇鉄道a19
駅舎の前はインターロッキングでタイル舗装されており、
駐車場や駐輪場が設置されていました。
南阿蘇鉄道a20
駅舎の北西側の向かいにあるトイレの建屋です。
コンクリート作りにタイル貼りの立派な建物で、
二つのトイレの間の壁にはかつては滝のように水が流れていたそうです。
南阿蘇鉄道a27
トイレの向かいのホーム沿いにある北朝鮮への集団帰国事業の記念碑。
1960年(昭和35年)と刻まれているのが歴史を感じさせます。
南阿蘇鉄道a21
駅舎の東側にある駅の駐車場。
南阿蘇鉄道a22
一角にある南阿蘇村の観光案内マップです。
南阿蘇鉄道a23
こちらが駅舎の中の様子です。
壁沿いに木製の長いすが造り付けられています。
この駅の駅舎には「Cafe 75th St.」というカフェが
2013年(平成25年)より入居しています。
南阿蘇鉄道a24
ホーム側から見た駅舎の出入口です。
南阿蘇鉄道a28
窓にはカフェの店名が書かれており、
軒下には他の駅にもあったカップルチェアーが置かれていました。
南阿蘇鉄道a25
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
南阿蘇鉄道a26
旧国道沿いには近くに集落などもあるのですが、
駅のホームからはご覧の通り阿蘇のカルデラの平地が広がって見えます。
南阿蘇鉄道a29
カルデラの向こうに綺麗に形が見える阿蘇山の外輪山。
南阿蘇鉄道a30
ホームの西端には駅構外と出入りができる入口がありました。



南阿蘇鉄道a31
阿蘇白川駅からつぎの駅は東に800mほどにありますが、
こちらは並走する国道325号線の旧道の駅入口付近の交差点です。
カーブミラーに駅への案内標識があります。
南阿蘇鉄道a32
反対の東側から見た、駅入口の交差点付近。
南阿蘇鉄道a33
旧道からゆるやかな坂を下って南へと150mほど進むと駅があります。
南阿蘇鉄道a34
こちらが南阿蘇白川水源駅の駅舎となります。
2012年(平成24年)に新しく設置された駅であり、
地元自治体の南阿蘇村の請願駅として全額自治体負担により開設されました。
3月に駅が開業し、3ヶ月遅れの7月にご覧の駅舎が作られています。
南阿蘇鉄道a35
駅舎の目の前の道路沿いに設けられた駅前広場。
舗装されており駐車場として利用されています。
南阿蘇鉄道a36
旧道から駅への道は、駅前広場の横を抜けて
駅舎の東側で白川水源踏切という踏切となります。
南阿蘇鉄道a37
踏切の南側には農耕用の道路が伸びており
あたり一面が田んぼとなっています。
南阿蘇鉄道a40
道が農耕用道路であることを示す看板。
南阿蘇鉄道a41
線路の南側のカルデラに広がる広大な田んぼ。
南阿蘇鉄道a38
南側から見た駅の全景です。
南阿蘇鉄道a39
駅舎へと戻って中の様子です。
村の作った駅舎はコミュニティ施設を兼ねた造りとなっており、
中はさながらラウンジのようになっています。
南阿蘇鉄道a42
駅舎の中に入居している「駅cafe´倶梨伽羅」。
南阿蘇鉄道a43
ホームへの出入口は自動ドアとなっていて
脇のガラスには路線図が貼られていました。
南阿蘇鉄道a44
こちらがホーム側の駅舎の出入口です。
南阿蘇鉄道a45
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
南阿蘇鉄道a46
駅周辺はご覧の通りの田んぼが広がる光景です。
南阿蘇鉄道a47
ホーム東端には駅舎を通らず直接外に出られる階段があります。

南阿蘇鉄道a48
駅前の道から旧道へと戻ると
交差点の東側すぐに水加工場があります。
南阿蘇鉄道a49
こちらの水加工場はくすいでは白川水源の水をボトリングしています。
南阿蘇鉄道a50
加工場から旧道をさらに東へ200mほど進むと
物産店がありその脇に鳥居があります。
こちらが南阿蘇で一番有名な水源である白川水源への入口となります。
南阿蘇鉄道a51
白川吉見神社の参道がそのまま白川水源へのルートとなっており、
旧道から鳥居をくぐって北へと進みます。
南阿蘇鉄道a52
川のほとりの参道を400mほど進むと
水源の入場料を徴収する受付が。
南阿蘇鉄道a53
受付を過ぎると目の前に鳥居があり、
白川吉見神社の社殿があります。
南阿蘇鉄道a54
そして鳥居の脇に白川水源の池が。
駅名の由来となっている水源はこちらとなります。
南阿蘇鉄道a55
こちらが白川水源の澄んだ水をたたえる池です。
南阿蘇鉄道a56
池の脇には水汲み場が設けられており、
入場者は水をボトルへと詰めることができます。



南阿蘇鉄道a57
南阿蘇鉄道は引き続き国道325号線の旧道と並走し東進。
こちらは白川水源駅から1.8kmほど東に進んだ付近の光景で、
次の駅への入口となる交差点の光景です。
南阿蘇鉄道a58
反対側から見た交差点付近。
南阿蘇鉄道a59
旧道から南へと150mほど進むと南阿蘇鉄道の踏切があり、
その脇に駅が設置されています。
南阿蘇鉄道a60
こちらが南阿蘇鉄道の豆塚踏切です。
南阿蘇鉄道a61
踏切のすぐ南には駅前広場への入口が。
南阿蘇鉄道a62
こちらは駅の南側から踏切までの道の光景です。
踏切手前で駅前広場への入口があるのがよく分かります。
南阿蘇鉄道a63
見晴台駅の駅舎外観です。
第三セクター転換後の1986年(昭和61年)に開設された駅です。
現在の駅舎は二代目の駅舎で、初代駅舎の老朽化により建て直されたものです。
南阿蘇鉄道a69
こちらは南阿蘇鉄道が作ったテレホンカードの画像ですが、
写っているのが初代の見晴台駅の駅舎です。
ご覧の通り屋上が展望台となっている駅舎でまさしく見晴台として建てられた駅舎でした。
南阿蘇鉄道a64
駅舎の前の広場の様子です。
舗装された駅前広場で数台の車を停めることができます。
南阿蘇鉄道a65
駅舎の中の様子です。
ベンチの置かれた待合室としての機能のみのこじんまりとした駅舎です。
南阿蘇鉄道a67
ホーム側から見た駅舎付近。
南阿蘇鉄道a66
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
南阿蘇鉄道a68
南阿蘇町と高森町の境界に近い駅ですが、
周辺はカルデラの平地に広がる田畑の光景です。
南阿蘇鉄道a70
駅から見えるカルデラの風景。
南阿蘇鉄道a71
駅舎の中へと戻ると、一角に午後の紅茶に関する掲示があります。

(上動画はクリックすると再生可能です。)
この見晴台駅は2016年(平成28年)冬よりキリン午後の紅茶のCMの舞台となっており、
2018年冬の第四弾までシーズンごとにストーリー性のある映像の舞台となりました。
南阿蘇鉄道a72
駅舎の横にあるこちらのキリンの自販機は
CMのセットとして置かれたもので元々は無かったものです。
撮影後も地元の要望により自販機は残されて稼動していますが、
中の商品は全て午後の紅茶のみととなっていました。



南阿蘇鉄道a73
こちらは県道177号高森停車場線の起点付近です。
県道28号線と駅とを連絡する県道でいわゆる停車場線となります。
南阿蘇鉄道a74
駅前の県道は高森町の中心街を通っており
周辺には町の公共施設や役所などが集まっています。
南阿蘇鉄道a75
こちらが高森駅の駅舎の外観となります。
1928年(昭和3年)の路線開業時に設置された駅で、
国鉄時代そして第三セクター転換後もずっと終着駅として営業をしてきた駅となります。
現在の駅舎は第三セクター転換後の1987年(昭和62年)に建て替えられたものです。
南阿蘇鉄道a76
駅舎の前の様子です。
ロータリー状にはなっておらず、交差点が広くなっている様な形状となっています。
南阿蘇鉄道a78
駅舎の目の前に建つ「野の花と風薫る郷」の碑。
これは駅のある高森町が町のキャッチフレーズとして使っているフレーズです。
南阿蘇鉄道a79
碑の南側にはご覧のSLが静態保存されています。
この車両はC12 241で、1940年(昭和15年)に仙台に新製配置。
新潟、秋田、福岡、鹿児島などを経て1973年(昭和48年)に熊本機関区へと配置。
実際に国鉄高森線を走った後に1974年(昭和49年)に廃車となって
こちらの高森駅前に保存されています。
南阿蘇鉄道a80
SLから南側の一帯はご覧の通り駅の駐車場となっています。
道の駅と言っても差し支えが無いほどの広さと駐車台数のある駐車場です。
南阿蘇鉄道a81
駅舎に戻って中へ。
入口には風除室があり両脇にベンチが置かれていました。
南阿蘇鉄道a82
中の様子です。
駅の駅舎ですので券売の窓口ありますが、
地元の物産などがご覧の様に並べられて販売されており、
さながら観光物産館となっています。
南阿蘇鉄道a83
ホーム側の駅舎の出入口付近の様子です。
南阿蘇鉄道a84
こちらが駅のホームとなります。
単式ホーム1線1面となっており、
併走する留置線が複数敷かれています。
南阿蘇鉄道a85
終着駅でホームの奥には車両基地があります。
南阿蘇鉄道a86
駅北側の車庫や車両基地の様子。
南阿蘇鉄道a87
駅舎の前まで戻ると、ホームから外へと直接出られる入口があります。
木が植えられてインターロッキングで舗装された公園のような広場が
駅舎の北側、ホームの東側に設けられています。
南阿蘇鉄道a88
駅北側の広場には屋外ステージやベンチなどもあり、
まさしく公園そのもののスペースとなっています。
南阿蘇鉄道a89
広場から駅舎の東側をまわって進むと駅前へ。


南阿蘇鉄道a90
こちらは2019年(令和元年)8月に高森駅に掲示されていた時刻表。
一日4往復で、朝の1往復のみ普通列車、後の3往復がトロッコ列車となっています。
南阿蘇鉄道a91
こちらは普通列車として走っていたMT-3000形気動車です。
写真の3001は1993年(平成5年)に作られた、いわゆるレールバスと言われる
ワンマン運転用の気動車です。
南阿蘇鉄道a92
そしてこちらがDB16形ディーゼル機関車によって牽引されている
観光列車のトロッコ列車「ゆうすげ号」です。
南阿蘇鉄道は将来的な乗客減少を見越して開業以来観光列車として
トロッコ列車を走らせての乗客誘致を行ってきました。
南阿蘇鉄道a93
こちらがトロッコ列車の客車の様子です。
熊本地震以前は普通列車13往復、トロッコ列車2往復(運行日のみ)が走っていましたが、
被災後は中松駅━高森駅間の限定運行となっていますので
ほぼ観光客用にトロッコ列車を走らせるのみの状態となっています。



南阿蘇鉄道a94
こちらはau 4G LTEでの電波エリアマップです。
ご覧の通り運転の再開している中松駅━高森駅の区間は全線が電波圏内であり
駅へのアクセスに困る事はありません。


南阿蘇鉄道は現在、立野駅━中松駅間が不通となっており、
全線復旧は2022年(令和4年)を見込んでいます。
その為現在は鉄道を使っては南阿蘇鉄道へは行けない状態です。

起点の立野駅の前後区間を走るJR豊肥本線も復旧は2020年(令和2年)予定ですので
もう暫くの間は南阿蘇鉄道に乗るにはバスや車での移動が必要となります。
南阿蘇鉄道a95
こちらは路線復旧の2022年(令和4年)に完成予定の
高森駅の駅舎および周辺の再開発の計画書です。
全線復旧に併せて南阿蘇鉄道の周辺ではいくつかの再開発計画が進んでいる様でした。


熊本地震さえ無ければ、熊本駅から東へ30kmほどの
南阿蘇鉄道へのアクセスはさほど悪くはありませんでした。
しかし路線の根元の立野駅周辺が不通の今、
南阿蘇鉄道へたどり着くこと自体に手間が掛かる状態となっています。

駅メモでレジェンドマスター(9100駅)を取るのは南阿蘇鉄道に乗らなくとも可能ですし、
攻略の優先順位は恐らく大多数のプレイヤーにとっては低いものとなるでしょう。
南阿蘇鉄道a96
しかしながら阿蘇のカルデラの景色、そして水と空気はかなりのものでした。
恐らく行って後悔はしないと思いますので、是非一度は。

では。

【写真撮影:2019年8月】

南阿蘇鉄道92
次は南阿蘇鉄道高森線についてです。



1916年(大正5年)に国鉄宮地軽便線の駅として鉄道院によって開設された駅で、
宮地線と改称された後の1928年(昭和3年)2月に現在の南阿蘇鉄道にあたる
立野駅━高森駅が宮地線の支線として開業しています。

そして豊肥本線の全通によって開業から10ヶ月で
立野駅━高森駅間は高森線として分離され、以後は国鉄高森線として運行されます。


計画では宮崎県側を走る高千穂線と繋がって九州を横断する路線となる予定でしたが
建設中の高森トンネルが異常出水によって工事中断に追い込まれるなど難航。
1980年(昭和55年)の国鉄再建法で工事凍結となり、
高森線と高千穂線が繋がることはありませんでした。


その後高森線は第1次特定地方交通線として廃止が承認されたものの
1986年(昭和61年)に第三セクター転換。
南阿蘇村が56.5%の株を保有するというローカル鉄道となり
現在に至るまで南阿蘇鉄道として運行をしています。



南阿蘇鉄道01
こちらは国道57号線の南阿蘇村大字立野付近の光景で、
ご覧の信号から南側へと県道174号立野停車場線が分岐しています。
南阿蘇鉄道02
立野停車場線はS字を描くように国道から南へ進み、
旧立野小学校の廃校跡地の外周を回るように西へと進路を変えて進みます。
南阿蘇鉄道03
西へと曲がってから260mほど進むと、
左手に線路を見下ろしつつ駅前へと辿り着きます。
南阿蘇鉄道04
駅前の広場の様子です。
線路は一段低い場所を走っており、駅も高台の広場から見下ろす位置にあります。
南阿蘇鉄道05
こちらが立野駅へと下る駅前広場からの入口です。
南阿蘇鉄道06
ホームのある駅舎前まで下る階段。
南阿蘇鉄道07
階段を下りきると目の前に、駅舎への案内板と
トロッコ列車の運行情報を掲示する案内板があります。
南阿蘇鉄道08
こちらがJR豊肥本線の立野駅の駅舎となります。
1916年(大正5年)に開設された駅で、当駅から西への路線はスイッチバックとなっています。

2016年(平成28年)4月の熊本地震で肥後大津駅━阿蘇駅間が運休しており、
現在(註:2019年9月)駅も休止状態となっています。
南阿蘇鉄道09
駅舎の中の様子です。
板張りの内装にベンチのある待合室があり、
券売窓口の前には改札のラッチがあります。
南阿蘇鉄道10
改札を抜けるとご覧の様に
ホームへと上るスロープが右手に延びています。
南阿蘇鉄道11
こちらがホームの様子となります。
JRのホームは島式ホーム1面2線となっており、
北側の駅舎のある側が1番線で上り線熊本方面行き、
南が2番線で下り線大分方面行きとなります。
南阿蘇鉄道14
豊肥本線の各駅に設置されている、駅名の由来の入った駅名標。
南阿蘇鉄道15
熊本地震でホームの一部が崩れるなど被害があった為、
ホームと構内のレールは2018年(平成30年)に新しく作り直されています。
列車が運行している当時には
全列車がスイッチバックの為一旦この駅で停車をしていました。
南阿蘇鉄道13

南阿蘇鉄道16
JRの駅舎を出て、階段前の案内看板の前を通過すると
反対側に南阿蘇鉄道のホーム入口となるスロープがあります。
南阿蘇鉄道17
こちらが上から見た南阿蘇鉄道の立野駅の駅の外観です。
ホーム上に駅舎が置かれており、ホーム西端のスロープと駅舎の間には
上屋の屋根が設置されているのが分かります。

1928年(昭和3年)に宮地線の支線として
立野駅━高森駅間の開通によって設置されたもので単式ホーム1面となっています。
国鉄時代には高森線の0番線ホームだったそうです。
南阿蘇鉄道18
ホーム西端の入口スロープを上がると
ご覧の通りベンチが置かれて待合スペースとなっています。
南阿蘇鉄道19
ホーム上にある駅舎の東端は待合室となっており、
中にはトロッコ列車の当日券を発売する窓口があります。
ただ、駅自体が休止中だった為中には入れず、外からの写真となります。
南阿蘇鉄道25
建屋がホーム上のある為ホーム上は狭くなっている箇所が。
南阿蘇鉄道20
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線となっています。
南阿蘇鉄道21
上屋の屋根とベンチが置かれているホームですが、
運行休止中の為所々に雑草が生えている状態です。
南阿蘇鉄道22
そしてホーム西端のスロープ前にある
南阿蘇鉄道のゼロコロポスト。
南阿蘇鉄道23
このゼロキロの距離標の目の前は構内踏切となっており、
後ろには駅前広場へと上がれるスロープがあります。
これはかつて駅前広場のスロープ前に大きな木造駅舎があった時の
ホームへの連絡通路だったものです。
南阿蘇鉄道24
南阿蘇鉄道の線路はホームから西のJR側へと伸びており、
JRホームの先で合流をしています。
南阿蘇鉄道26
駅前広場へと戻り、こちらは駅の向かい正面にある
ニコニコ饅頭の店舗です。
1907年(明治40年)創業で、1916年(大正5年)の駅開業に合わせて
こちらの駅前へと移転し営業をしているという老舗です。
南阿蘇鉄道27
ニコニコ饅頭と駅入口の間にはかつて八角形の建物があって
土産物屋が入っていました。
駅への階段と建物二階が直結していましたが、
恐らく熊本地震の影響で現在は解体撤去されていました。


南阿蘇鉄道28
こちらは立野駅から東に350mほどの、
県道174号立野停車場線が小学校跡の前で直角に曲がる場所のすぐ東の地点です。
この場所に2018年(平成30年)に「立野ダム展望所」という広場が設けられました。
南阿蘇鉄道29
立野ダムは立野渓谷を流れる白川に洪水調節を目的として建設されているダムで、
駅前のニコニコ屋でダムカードの配布も行われています。
南阿蘇鉄道30
そして南阿蘇鉄道を見に来た観点から言えば、
この展望所の一番のポイントはなんといっても立野橋梁に尽きると思います。
南阿蘇鉄道31
こちらが展望所から見た立野橋梁です。
1924年(大正13年)に完成した国鉄高森線の橋梁です。
橋脚に鉄骨を組んで作ったトレッスルを用いたトレッスル橋で、
九州ではここだけにしか無いという珍しい橋です。
土木学会の選奨土木遺産にも指定されています。

立野駅から500mほどの場所に架けられたこの橋も
熊本地震の影響で被災しており、復旧に向けて修復工事の準備が進められています。


南阿蘇鉄道32
こちらは国道325号線の阿蘇大橋の架け替え工事の現場です。
熊本地震による阿蘇山の外輪山の崩落によって、
JR豊肥本線と共に阿蘇大橋も土砂に流されてしまいました。
その為新たな阿蘇大橋を旧橋から800mほど南の位置で架け直しているのが
ご覧の写真の現場となります。
南阿蘇鉄道33
その新・阿蘇大橋から500mほど南に見えるのが
南阿蘇鉄道で名高い第一白川橋梁です。
1927年(昭和2年)に竣工した橋はバランストアーチ橋という形式の橋で、
60mを超える高さは建設当時の日本で一番高い鉄道橋でした。

熊本地震の被災によって架け替えが決定しており、
総工費約40億円で2022年(令和4年)の復旧の見込みです。


南阿蘇鉄道34
こちらは南阿蘇村の村道ですが、国道325号線の旧道にあたる道路です。
立野駅から東へ4.5kmほどに位置するこちらの信号が次の駅への入口となります。
南阿蘇鉄道35
この交差点には駅方面から見るとご覧の大きな行先案内標識があります。
駅への道には駅がある事を示す標識も。
南阿蘇鉄道36
旧国道の交差点から南へ90mほど下ると駅前の広場が見えてきます。
南阿蘇鉄道46
道路の曲がり角に面した駅前広場は舗装されかなりの広さがあり、
駐車場としてもかなりの広さがあります。
南阿蘇鉄道47
広場の東側に面して立つ阿蘇森林組合南部支所の建物。
南阿蘇鉄道49
南側の駅ホーム脇近辺には周辺の案内地図が掲示されていました。
南阿蘇鉄道48
また広場西側の駅舎前を過ぎると集合住宅が見えますが、
ホーム脇に駐輪場と何台分かの駐車場がありました。
南阿蘇鉄道37
そしてこちらが南阿蘇鉄道の長陽駅の駅舎の外観です。
1928年(昭和3年)の国鉄宮地線の支線の開業によって開設された駅で、
後の国鉄高森線の駅として長らく営業をしてきました。
1971年(昭和46年)までは有人駅だったそうで、
現在は無人駅ながら1927年(昭和2年)築の開業以来の木造駅舎が残っています。
南阿蘇鉄道38
駅舎の中の様子です。
待合室には木製のベンチや机などが置かれ、
本棚などもあってさながら町の集会場のような状態です。
かつての駅務室は現在では駅舎カフェ久永屋というカフェが入居しており
土日のみの営業を行っています。
南阿蘇鉄道39
こちらは駅舎の入口脇に置かれた古いかき氷機。
駅舎に入居するカフェの小洒落たレトロコンセプトによるものなのか、
建物の周辺にはこういったレトロアイテムが散在していました。
南阿蘇鉄道40
改札を抜けてホーム側から見た駅舎の様子です。
南阿蘇鉄道41
駅舎前に置かれた、明らかに恋人同士を座らせる為に作られたであろうベンチ。
中央へ傾斜がつけられており、強制的に二人が寄り添う設計です。
南阿蘇鉄道42
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
南阿蘇鉄道43
阿蘇山の外輪山と中央火口丘の間のカルデラ盆地の南側を鉄道は走っており、
白川が近くを流れることもあって駅周辺は比較的平らな光景が広がります。
南阿蘇鉄道44
ホームの東側の縁石が崩落していますが
熊本地震の影響でしょうか。
南阿蘇鉄道45
駅前の広場とホームの間にフェンスなどは無く、
中には駅舎を通らなくとも自由に入れる状態です。



南阿蘇鉄道50
こちらは国道325号線の旧道である村道から、
南阿蘇西小学校の北側の交差点を300mほど入った付近の光景です。
センターラインの無い村道と鉄道が交差し、
南阿蘇鉄道の加瀬1号踏切があります。
南阿蘇鉄道51
踏切を渡って線路沿いに進むと70mほどで次の駅が見えてきます。
南阿蘇鉄道52
南阿蘇鉄道の加勢駅の駅舎の外観です。
この駅は高森線が第三セクター転換した後の1986年(昭和61年)に設置されました。

駅前の村道が坂になっており、線路とホームは築堤上にあるため
駅舎も基礎が高く作られています。
南阿蘇鉄道53
正面の階段を上って駅舎の中の様子です。
ベンチの置かれたシンプルな待合室となっています。
南阿蘇鉄道59
駅舎のホーム側の光景です。
この駅の駅舎はホームの北端に位置しています。
南阿蘇鉄道54
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となります。
南阿蘇鉄道55
現在(註:2019年8月)現在で列車の運行の無い休止状態の駅ですが、
ホーム内や駅舎まわりの生垣は綺麗に刈り揃えられており手入れがされています。
南阿蘇鉄道56
この駅はホームの両端にも入口があります。
まずこちらは駅舎に近い北側のスロープです。
生垣の中の坂が駅前の道路まで通じています。
南阿蘇鉄道57
一方のこちらは南側のホーム端のスロープです。
こちらは踏切脇へと通じています。
南阿蘇鉄道58
南口ともいうべきこちらの出口前にある、
加瀬2号踏切です。



南阿蘇鉄道60
引き続き国道325号線の旧道を外輪山の内側に沿って東進すると
1.5kmほどでこちらの長陽村下田交差点へと差し掛かります。
鉄道と併走してきた旧道のこの交差点が、次の駅への入口となります。
南阿蘇鉄道61
旧道から50mほどで駅舎が。
南阿蘇鉄道62
こちらが阿蘇下田城ふれあい温泉駅の駅舎です。
1928年(昭和3年)の路線開業時に阿蘇下田駅として開設された駅で、
南阿蘇鉄道へと第三セクター転換された後の1993年(平成5年)に
現在の駅名へと改名され、併せて駅舎も改築されています。

駅名標も「阿蘇下田城」となっており、
かつてこの駅の近くにあった下田城を模している駅舎は
お城のような外観となっています。
南阿蘇鉄道63
駅舎の左手、東側には舗装されたスペースがあり
駐車場と駐輪場があります。
南阿蘇鉄道68
駐車場とホームの境目付近にある縁結びの石。
元々は阿蘇観光ホテルという天皇が熊本に行幸した際に宿泊したホテルにあったものですが、
ホテルが閉館となった為にこちらの駅へと移設されています。
南阿蘇鉄道64
駅舎の西側は行き止まりとなっており
村営の集合住宅の敷地となっています。
南阿蘇鉄道65
駅舎の中の様子です。
熊本地震で駅舎も河原が落ち柱がゆがむなどの被害を受けた為、
現在は駅のホームと併せて改修のため休館となっています。

中に入れないので窓から覗いた光景ですが、
かつての待合室の様子が見えます。
この駅の駅舎は営業時は温泉が建物内にあった為、
受付カウンターはさながら番台のようになっています。
南阿蘇鉄道66
こちらはホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
駅名標はご覧の標識のようなものしかありませんでしたが、
これは昔からのこの状態だったようで震災で無い訳ではない様子でした。
南阿蘇鉄道67
訪ずれた時(註:2019年8月)にはホームも改修中で、
転圧という砂利を付き固めた状態になっていました。
完成時にはおそらくアスファルトで綺麗に舗装されていることでしょう。
南阿蘇鉄道69
ホーム前には阿蘇のカルデラの平地が広がっており
なかなかの景観を見ることができます。

南阿蘇鉄道70
こちらは阿蘇下田城ふれあい温泉駅から西へ400mほどにある
下田橋梁という南阿蘇鉄道の橋梁です。
この橋梁の西側の小山がかつての下田城の跡でした。
南阿蘇鉄道71
橋梁をくぐって坂を進むとご覧の道の分岐点へと出ます。
南阿蘇鉄道72
こちらに下田城跡の木標が立っています。
ロケーション的に城があったであろう雰囲気はあるものの、
遺構などは見当たらない小山のみとなっています。
この城跡こそが駅名の由来となった下田城の跡となります。



南阿蘇鉄道73
南阿蘇鉄道は国道325号線の旧道と併走を続け、
2kmほど東に進んだ付近に次の駅が設けられています。
こちらは旧道から駅へと連絡する道路が分岐する交差点です。
南阿蘇鉄道74
反対の東側から見た駅への交差点付近です。
角に商店があり、その前にはバス停もあります。
南阿蘇鉄道75
駅への案内看板に従って南へ。
南阿蘇鉄道76
80mほどでご覧の三差路となります。
左の道の方が広いですが、
ミラーにある案内標識は右側が駅であることを示しています。
また駅への方向には「田舎ごはん きしゃぽっぽ」の案内看板も。
南阿蘇鉄道77
分岐から田んぼの脇の道を100mほど進むと駅舎が見えてきます。 南阿蘇鉄道78
こちらが南阿蘇水の生まれる里白水高原駅の駅舎となります。
第三セクター転換後の1992年(平成4年) に開設された駅で、
開設時には日本一長い駅名の駅でした。
南阿蘇鉄道79
駅舎の前には舗装された駅前広場がありますが駅で袋小路となっており、
駅前の道はいわゆる取付道路であることが分かります。
南阿蘇鉄道80
広場の西端には、駅舎と同じ八角形をしたトイレが。
南阿蘇鉄道83
駅舎の向かいあたりの広場に立てられた案内地図の看板には
この駅の日本一長い名前についての説明文が書かれています。
南阿蘇鉄道81
反対側の東側には広場に隣接してご覧の食堂があります。
こちらが駅への道の分岐に看板があった「きしゃぽっぽ」となります。
南阿蘇鉄道82
駅舎の中の様子です。
この駅も熊本地震による運休区間にある駅の為、
休止中で駅車内には入れませんので窓から見た光景となります。
南阿蘇鉄道84
ホーム側から見た駅舎の外観です。
無人駅ですので駅舎の中を通らずともホームへは入る事ができます。
南阿蘇鉄道85
そしてこちらがホームの様子。
単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
駅の西側はご覧の通り田んぼがカルデラに広がっています。
南阿蘇鉄道89
中ほどに置かれていたカップルチェアー。
長陽駅にあったものと色違いですが同じ形のベンチでした。
南阿蘇鉄道86
東側を見るとホームのすぐ先に跨線橋が。
南阿蘇鉄道87
こちら駅の東に架かる村道の跨線橋で、川地橋という名前の橋でした。
南阿蘇鉄道88
橋から見た駅の全景です。



南阿蘇鉄道90
そして南阿蘇鉄道は引き続き国道325号線の旧道と併走をしながら東へと進み、
3kmほどで次の中松駅となります。

2016年(平成28年)4月に起きた熊本地震によって
南阿蘇鉄道は全線運休を余儀なくされていますが、
3ヶ月後の7月にはこちらの中松駅から終点の高森駅までの間で部分復旧をしています。

運行本数は少なくなっているものの中松駅で折り返し運転で鉄道は走っていますので、
南阿蘇鉄道の記事についてもこの中松駅を区切りとして分けたいと思います。


南阿蘇鉄道91
こちらはau 4G LTEでの南阿蘇鉄道の立野駅━中松駅間の電波エリアマップです。
ご覧の通り全線が電波エリア圏内となっています。
地上を走っていれば駅へのアクセスに困る事は無いでしょう。


アイテムを使用しての駅の取得ですが、
JR豊肥本線で列車が運行している(註:2019年8月現在)肥後大津駅からは
レーダーでは立野駅(射程6)が取れるのみです。

一方、JR豊肥本線の東側で列車の走る阿蘇駅からですと
起点の立野駅には届かないものの、
長陽駅(射程6)から阿蘇白川駅(射程12)までレーダーが届きます。
阿蘇駅の2駅東にある宮地駅からは南阿蘇白川水源駅(射程8)から
高森駅(射程7)までも届きますので、東側からですと立野駅以外は全てレーダーで取れます

熊本を拠点としている九州産交の産交バスでは
快速たかもり号(熊本━高森)特急やまびこ号(熊本━大分)といったバス路線を運行しており、
JR豊肥本線にほぼ沿うように走っていますので
途中でレーダーを使えば南阿蘇鉄道のコンプは可能
となります。



熊本地震以降で鉄道の復旧している中松駅より南については
その2にて続きたいと思います。

では。

【写真撮影:2019年8月】

札沼線b38
JR札沼線の非電化区間についての続きです。
浦臼町、新十津川町を走る区間について書きたいと思います。


非電化区間その1(北海道医療大学━札比内)についてはこちら



札沼線a31
こちらは晩生内駅の駅舎の外観です。
1935年(昭和10年)の国鉄札沼線延伸の際に設置された駅となります。

隣の札比内駅からは国道275号線とほぼ併走して札沼線は北上しており、
札比内駅との距離はおよそ4.5km離れています。
札沼線a33
隣の札比内駅もそうでしたが、この駅の木造駅舎も
かつてはもう少し横に長かったものが減築されて小さくなっています。
札沼線a32
駅前には線路と並行してご覧の町道が通っています。
特に駅前広場というものはありませんが、
ご覧の通り駅前の道が十分すぎるほど広いので十二分に広場の役割を果たしています。
札沼線a34
駅舎の正面から西へと伸びる町道。
札沼線a35
こちらは駅舎の中の様子です。
木製のベンチの向かいに革張りのベンチが置かれていました。
札沼線a36
ホーム側の改札前の光景です。
この駅もかつてホームは島式だった為、駅舎とホームとの間に
線路が敷かれていた敷地が空いています。
札沼線a37
こちらがホームの様子となります。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
札沼線a38
特に南の札幌方の線路はポイント跡をうかがわせるカーブを描いており、
隣の晩生内駅と同様に、かつて島式ホームで交換可能だった跡が残っています。
札沼線a39
線路の反対の東側目の前を走る国道275号線。



札沼線a40
こちらはJR札沼線の札的通り踏切です。
国道275号線とほぼ併走状態ほ北上する札沼線の、
晩生内駅から2.9kmほどの位置にある踏切です。
札沼線a41
東におよそ90mほどに併走している国道275号線は
踏切からも十分に目視する事ができます。
札沼線a42
東の国道側から見た踏切。
札沼線a43
この札的通り踏切の北側の線路脇に次の駅の待合室とホームがあります。
札沼線a45
こちらが札的駅の駅の全景です。
駅は1960年(昭和35年)に路線上に新たに新設設置されました。
札沼線a44
踏切脇の広場に面してホーム南端の階段があり、
その脇にご覧の待合室が設けられています。
この待合室は駅の外側に入口は無く、ホーム上にのみ出入口があります。
札沼線a46
待合室の中の様子です。
木造モルタル作りの待合室の中には木製のベンチが置かれていました。
小型の除雪機も待合室の傍らに。奥のドアはトイレとなります。
札沼線a47
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
札沼線a48
この駅は後から新設された駅なので開設当初から
駅の様子はほとんど変わっていない様子です。
札沼線a49
そしてホーム南端の階段前の広場に木材が敷かれた場所がありますが、
これはかつて広場を横切って用水路が流れていた名残りらしいです。
そう思って板の横を見ると確かに線路が用水路を跨ぐ箇所がありました。



札沼線a50
こちらは国道275号線の浦臼町役場の前の交差点の様子です。
札的駅からもJR札沼線は国道と併走しており、1.8kmほどでご覧の役場付近となります。
札沼線a51
信号の角にある浦臼町役場の建物。
札沼線a52
役場前の国道の信号からは道道603号浦臼停車場線という県道が延びており、
西へ200mほどの停車場線として国道と駅を連絡しています。
札沼線a53
こちらが浦臼駅の駅舎外観です。
駅は1934年(昭和9年)に国鉄札沼北線が延伸し南端の終点駅として開業。
南から延伸してきた国鉄札沼南線が当駅まで延伸したことによって
全通した国鉄札沼線の駅となります。

現在の駅舎は1997年(平成9年)に浦臼町が建て替えたもので
「ふれあいステーション」を併設する近代的な駅舎となっています。
札沼線a60
駅前の道路は広めに作られており、
またバスの車寄せもあるので広場の役割を十分に果たせる道幅があります。
札沼線a54
駅舎の中の様子です。
ご覧の通り暖房も備えた綺麗な待合室が設けられています。
この待合室は駅の待合室ですが、
「ふれあいステーション」に入居している歯科医院の入口もこの待合室にあります。
札沼線a55
待合室からホームへの出口。
札沼線a56
ホームへと上がる階段は待合室の出口前にありますが
駅舎の中に入らなくとも外から直接ホームへも入れる構造となっています。
札沼線a57
ホーム上から見た入口の階段付近。
札沼線a58
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線となっています。
列車交換の設備は無く、すれ違うには石狩月形駅まで南に下るしかありません。
札沼線a59
かつては相対式ホームの駅で貨物側線もあるなどかなり大きな駅だった様ですが、
現在では敷地こそその名残りを感じるものの、綺麗な棒線駅となっています。
札沼線a61
この浦臼駅からは、石狩月形方面行きの上り列車は一日6本あります。
しかしそのうち5本は当駅での折り返し列車であり、残りの1本が新十津川からの列車です。

そして新十津川方面行きの下り列車は1日1本のみとなっています。
つまり浦臼駅より北は始発が最終列車となっています。



札沼線a62
引き続き国道275号線とJR札沼線は併走しながら北上を続け、
3.4kmほど進むとご覧の砂利道が西へと伸びています。
開けた場所で周囲に目印はありませんが、
Docomoの携帯基地局のアンテナが砂利道の脇に立っており、
その奥に次の駅が設けられています。
札沼線a63
田んぼの中のあぜ道のような道を
国道から西へと160mほど進むと駅が見えてきます。
札沼線a64
こちらが鶴沼駅の駅の外観です。
1956年(昭和31年)に路線上に旅客駅として新設追加された駅となります。
駅舎は無く待合室の小さな建物が設けられています。
札沼線a65
ホームへと上がる階段です。
手すりやホームの基礎、そして階段は鉄骨で作られています。
札沼線a66
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となります。
札沼線a67
元々は一両分の有効長のホームだった様で、
北側に木製のホームが増設され延長されています。
札沼線a68
こちらは駅の待合室です。
木造にトタンの壁と屋根の小さな建物です。
札沼線a69
待合室の中の様子です。
中の壁もトタン張りで、木製のベンチが置かれていました。
札沼線a70
駅の時刻表はご覧の通り、上下共に1本づつというダイヤとなっています。
浦臼駅以北の駅では上り方面の列車に乗ると日帰りはできません
札沼線a71
そしてホーム脇に見えるこちらのコンクリートの構造物ですが、
これは用水路が線路の下を立体交差する為の水門です。



札沼線a72
引き続き北上を続けるJR札沼線ですが、
併走してきた国道275号線とは若干距離が開いてきます。
こちらは次の駅に近い12号線踏切ですが、国道からは800mほど離れています。
札沼線a73
踏切からさらに西へと80mほど進むと、
田んぼの中の砂利の道が北へと伸びています。
札沼線a74
砂利道を北へと80mほど進むと
用水路に架かるガードレールの欄干の橋が。
札沼線a75
欄干には「於札内駅通線」と書かれており、
この砂利道が駅への道であることを示しています。
札沼線a76
橋を渡ってさらに進むと、踏切の先に駅が見えてきます。
札沼線a77
こちらがJR札沼線の水野作場踏切です。
「作場」とは耕作地の事で田畑を指します。
つまり水野さんの田んぼの踏切という意味ということに。
おそらくこの周辺は水野さんの田んぼなのでしょう。
札沼線a78
この踏切にはご覧の道路標識があります。
これは「車両通行止め」の標識ですので、
12月31日から3月31日の間はこの踏切を車両は通れないという事になります。
歩行者は通行止めでは無いので駅へは行ける様です。
札沼線a79
そしてこの踏切にはもう一つ、
「鉄製のキャタピラーで横断すると故障します」の看板が。
これは冬季の除雪車に対する注意の様で、
故に除雪ができないので冬季は車両通行止めとなるという。
一つの踏切でなかなか密度が濃いです。
札沼線a80
そして踏切の北側の線路脇にあるこちらが
於札内駅の外観です。
駅は1959年(昭和34年)に鉄道管理局設定の仮乗降場として設置されました。
国鉄分割民営化の1987年(昭和62年)に駅に昇格して現在に至ります。
札沼線a81
踏切側のホーム南端に階段があり上る事ができます。
札沼線a82
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
駅舎は無く待合室が設置されています。
札沼線a83
昭和に作られたホームなので鉄骨造りで
床はPCコンクリート板敷きでした。
札沼線a84
トタン張りの待合室の入口の上には
錆びた国鉄仕様の駅名標が。
札沼線a85
待合室の中は物置のようですが
窓があり木製のベンチも設置されていました。
札沼線a86
中に掲示されている時刻表。
上下線とも1本づつです。
札沼線a87
ホーム上から見た駅前の踏切と駅までの道の様子。
札沼線a88
こちらは駅前の道を、北側を見た光景です。



札沼線a89
こちらは新十津川町を走る南16号線という町道です。
この付近の開拓地では入植にあたって
300間(およそ550m)の等間隔で縦横に道路を作って碁盤目のように区画をしました。
その区画の目にあたる道路が号線道路と呼ばれています。
札沼線a90
この南16号線とJR札沼線が交わるこちらの踏切が
下徳富下9号線踏切となります。
札沼線と併走してきた国道275号線からは西へ850mほどに位置しており、
於札内駅からは北に1.5kmほどとなります。
札沼線a91
この踏切の北側の線路脇に南下徳富駅のホームが置かれています。
駅は1956年(昭和31年)に新設されたもので、
2012年(平成24年)までは道路に面したホーム脇に小さな木造の待合室がありました。
老朽化の為に木造待合室は撤去されており、現在ではホームのみの駅となっています。
札沼線a92
ホームは踏切脇からバラストを踏みスロープで上がりますが、
かつて待合室があった場所の前にガラス掲示板が新設されており
時刻表もこの掲示板に納められていました。
札沼線a93
駅のホームの様子です。
単式1面1線ホームの棒線無人駅となります。
札沼線a94
北側はPCコンクリート板の床であるのに対し
南のスロープ側は木製の床となっています。
札沼線a95
駅周辺を見回してみるとご覧の通り、
どちらを見ても一面に田んぼが広がる光景で近くに建物は見当たりません。



札沼線a96
こちらは国道275号線の西側550mほどを南北に併走している町道です。
この道のさらに80mほど西にはJR札沼線の線路も併走しています。
南下徳富駅からは2kmほど北に位置するこの付近に次の駅があります。
札沼線a97
切り替えして北側から付近を見ると、
ちょうど南12号線と南13号線の中間付近のこの付近には
JAの資材倉庫が並んでいます。
札沼線a98
この倉庫街の町道の途中に駅への取付道路が西へと延びていました。
札沼線a99
下徳富駅の駅舎の外観となります。
1934年(昭和9年)の国鉄札沼線延伸に際して設置された駅で、
ご覧の駅舎は1979年(昭和54年)まで有人駅舎だったものです。
札沼線b07
駅舎側から見た駅前の様子です。
舗装された広場に木が生えており、国道と連絡する道路の両脇は
JAの倉庫へと通じています。
札沼線b01
駅舎の中の様子です。
有人駅だった時代の出札窓口はベニ板で封じられていますが
広めの待合室は往時のままの様子で
プラスチックのベンチが並べられていました。
札沼線b02
ベニヤの上に貼られていた下徳富駅のポスター。
札沼線b03
ホーム側へと出ると土盛りのホームが若干離れてあり、
上る階段が正面にありました。
札沼線b04
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
札沼線b05
この駅のホームもかつては島式ホームで列車交換が可能でした。
しかし交換設備は撤去されており、
駅舎とホームの間にはかつての線路のあったスペースが残っています。
札沼線b06
またホームの南端の札幌方の先には貨物用ホームの跡が残っています。



札沼線b08
こちらの写真の、ガソリンスタンドの奥に見える建物は
新十津川町役場の庁舎です。
札沼線b09
この交差点は中央18交差点で、
国道275号線と道道625号学園新十津川停車場線が
それぞれこの交差点で直角に曲がって交わっています。
札沼線b10
交差点の角にあるコンビニエンスストア。
札沼線b11
この交差点から南へと道道625号学園新十津川停車場線が下っており、
その名前の通り道の先には駅があります。
札沼線b12
通りの脇に建っている地元のJAのたまねぎ出荷の貯蔵庫。
札沼線b13
コンビニ前の交差点から250mほど南に進んだところで
道路は行き止まりとなります。
脇には道道625号線の終点の標識が。
札沼線b14
行き止まりの右手、西側には駅前広場の敷地が隣接しています。
札沼線b15
広場の奥には新十津川駅の駅舎が。
この駅は元々1931年(昭和6年)に留萌本線の石狩沼田駅から当駅までを
国鉄札沼北線として開業した際に終着駅としてできたものです。
開業当初は中徳富駅という名前でした。

3年後には浦臼駅まで延伸し途中駅となり、
その翌年の1935年(昭和10年)に札沼線が全通。
1953年(昭和28年)には駅名を現在の新十津川駅へと改称しています。
札沼線b16
駅前の広場の様子です。
札沼線b17
そして新十津川駅の駅前広場に隣接する形であるのがこちらの空知中央病院です。
駅前でひときわ目立つ大きな建物ですが、
実はこの病院は新十津川駅とも密接な関係があります。
札沼線b18
駅前広場の病院側の目の前にある、
新十津川町の案内マップです。
札沼線b19
広場の一角にはこちらの顔出し看板が。
「日本一早い最終列車が出発する終着駅」と書かれています。
札沼線b20
駅舎の中の様子です。
1986年(昭和61年)に無人駅となり券売窓口も使われなくなりましたが、
新十津川町観光協会が窓口を2018年(平成30年)より観光案内所として活用しています。
札沼線b21
ホーム側から見た駅舎前の様子です。
札沼線b22
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線のみとなっており、
終着駅ですので列車はそのまま折り返す事となります。
札沼線b23
ホーム脇にある76キロ1/2の距離標。
起点の桑園駅からの距離となります。
札沼線b24
かつては途中駅だった時代もあるこの駅は
駅舎とホームとの間にスペースがあり、
かつては交換設備の線路があったであろうことをうかがわせます。
札沼線b25
ホーム上にある名所案内の案内板。
札沼線b26
そしてこの駅を全国的に有名にしているのが
「日本一終電の早い駅」であるという点です。
札沼線b27
浦臼駅━新十津川駅間は2016年(平成28年)以降は一日に一往復しか運行されておらず、
朝九時台に到着した列車は当駅到着の最終列車となり、
十時ちょうどの当駅発石狩当別行きの列車が始発で最終列車となっています。
札沼線b29
朝に到着する「最終列車」がホームに停まると
駅の目の前にある空知中央病院に併設された保育所の園児達が
列車の乗客をお出迎えを行っています。
この空知中央病院では新十津川駅の駅ノートの管理も行っており、
病院のWebには駅ノートのページが設けられています。
札沼線b28
そしてこちらは新十津川駅の駅長犬のララ。
札沼線b30
新十津川駅のホームからは200mほど北に線路が延びています。
空き地の真ん中に線路があり、両脇にはJAの倉庫が並んでいます。
札沼線b31
こちらが札沼線の北端の車止めです。
札沼線b32
かつて1972年(昭和47年)まではここから北へと線路が延びていました。
新十津川駅━石狩沼田駅間が廃止となって線路は撤去され、
現在ではご覧の様に車止めの先の、かつての廃線跡には住宅が建っています。
札沼線b33
そして駅舎を後にして、駅前の停車場線を再び北上し、
国道275号線との交点の交差点まで戻ります。
札沼線b34
こちらの交差点のコンビニの駐車場には
ご覧の中央バスの新十津川役場停留場が置かれていました。
札沼線b35
時刻表を見ると、札沼線の列車と接続できるバスが
滝川駅方面に出ている事が分かります。
札沼線b36
こちらからバスに乗ると、石狩川を渡って4kmほどにある
JR函館本線の滝川駅まで行く事ができます。
札沼線を乗車する愛好家には良く知られているバスワープのルートのようです。



札沼線b37
こちらは札比内駅━新十津川駅間のau 4G LTEでの電波エリアマップです。
この区間も全線が電波エリア圏内となっていますので
駅へのアクセスに困る事はありません



こちらの札比内駅━新十津川駅間に関しては、
東側4kmほどを並行して北上しているJR函館本線からレーダーを飛ばせば
通常射程県内で全ての駅がレーダー取得が可能
です。
札沼線が廃線となった後でもアイテムを使えば
路線コンプはさほど手間では無いでしょう。


しかしJR北海道の廃駅は撤去が非常に早く、
早ければ廃止の翌日から早速撤去が始まったりします。
私は昨年廃止された駅がもう跡形も無くなっているのも見ましたし、
施設の撤去だけはJR北海道は非常に迅速です。

という訳で札沼線の姿が見れる時間もあとわずかです。
今のうちに見に行く事をお勧めします。

では。
【写真撮影:2018年5月】

札沼線00
次はJR札沼線についてですが、
こちらでは札沼線の非電化区間についてを分けて書きたいと思います。


札沼線は1931年(昭和6年)に石狩沼田駅━中徳富駅(現・新十津川駅)間を
国鉄札沼北線として開業したのが始まりで、
1934年(昭和9年)には札沼北線が浦臼駅まで延伸し、
南側の桑園駅━石狩当別駅間が札沼南線として開通しています。

1935年(昭和10年)に石狩当別駅━浦臼駅間が開通したことによって
札幌駅と石狩沼田駅を結ぶ国鉄札沼線となりました。

しかし「赤字83線」に挙げられた事からも分かる通り採算が取れておらず、
留萌本線の石狩沼田駅から新十津川駅までの区間は1972年(昭和47年)に廃止されました。

札沼線a30
北海道医療大学駅より南については大学の開校と
それに伴う近隣の開発によって需要が高まり、電化されて札幌近郊路線へと変貌しました。
しかし北海道医療大学駅より北の区間については非電化のままであり、
JR北海道で一番営業係数の高い路線として2020年(令和2年)の廃止が決定しています。


札沼線02
こちらは石狩当別駅の1番線ホームです。
南北で運行の様子が全く異なる札沼線ですが、この石狩当別駅が運行上の境目となります。
1番線は「学園都市線」の愛称を持つ札幌駅からの電車が入線するホームで、
札幌方面の上り電車が折り返すホームとなります。
札沼線03
そしてこちらは石狩当別駅の島式の2、3番線ホームですが、
当駅から北へと向かうにはこちらのホームで乗り換える事となります。
札沼線01
その3番線ホームに停まっているこちらの気動車が、
朝7時代に出発する新十津川行きの始発にして最終列車です。
札沼線04
途中の浦臼駅や石狩月形駅までは他にも列車は出ているのですが、
終点の新十津川駅が一日に上下各1本の列車しか発着しない為、
ご覧の列車が「朝7時の最終列車」として全国的に有名となっています。
札沼線05
石狩当別駅で並ぶ通勤型の735系電車と、札沼線専用のキハ40形400番台の気動車。

札沼線の電車と気動車の運行の境界はこの石狩当別駅なのですが、
電化区間は隣の北海道医療大学駅まであり、電車も走っています。
そして気動車が当駅始発で運行していますが、
非電化区間である北海道医療大学駅より以北については
2020年(令和2年)5月6日を最後日として廃止
が決まっています。

ですので札沼線の記事については北海道医療大学駅を境に
存続区間と廃止予定区間で区切りたいと思います。



札沼線06
こちらは北海道医療大学当別キャンパスです。
1974年(昭和49年)に東日本学園大学として設立された大学で、
医学部こそ無いものの5学部8学科からなる医療系総合大学となります。
札沼線07
大学の前の道路は学園通りという名前の町道で、
ご覧の通りから田んぼを挟んで駅のホームが見えます。
札沼線08
駅と学園通りの間には大学関係者用の駐車場が。
かなりの台数の停められる広さがあり、まるで商業施設の駐車場の様です。
札沼線09
駐車場入口からさらに北へと進むと
すぐに大学と駅とを結ぶ跨道橋が見えます。
札沼線10
跨道橋をくぐった北側すぐには
大学の敷地への入口ゲートがあり、ゲート脇には守衛の詰め所が。
札沼線11
ゲートのすぐ北側には横断歩道があり、
その先が駅への取付道路となっています。
札沼線12
学園通りから駅前広場までの様子です。
札沼線123
駅前広場に隣接してあるログハウス造りのカフェ。
地元の農家が副業で開いていた店の様ですが、現在も営業しているのかは不明です。
札沼線14
こちらが駅前広場から見た北海道医療大学駅の駅入口付近の外観です。
駅は1981年(昭和56年)に目の前にある東日本学園大学の請願により
大学前仮乗降場として設置され、翌年の1982年(昭和57年)に正式に駅となっています。
1995年(平成7年)に大学の名称が変わった事を契機に現在の駅名となりました。
札沼線15
左手のホームへの階段の前にはかつて駅舎がありました。
しかし駅の性格上駅舎を利用する人がほとんどいない為、
2015年(平成27年)に解体されており階段も封鎖されています。
札沼線16
そしてこちらが現在の駅への入口です。
連絡通路の入口ですが、現在ではこちらだけが駅の入口として使われています。
札沼線167
連絡通路へと入って右手の北西側を見ると目の前に自動扉があります。
札沼線18
自動扉の先は北海道医療大学の校舎内であり、
駅前広場に隣接して20周年記念会館という建物が建っています。
こちらには食堂の他にコンビニのセイコーマートが入っており、
列車を待つ学生はこちらの建物内で過ごすことが可能となっています。
札沼線19
連絡通路の、駅前広場と反対側にもご覧の入口があり
北海道医療大学の大学駐車場が広がっています。
駅前広場、連絡通路、20周年記念会館、そして駐車場は全て大学の敷地内にあり、
大学が駅設置を請願した際に、線路と隣接する敷地の一角を
駅施設として提供したであろうことが想像できる造りと言えるでしょう。
札沼線20
連絡通路の南東側に設けられた改札付近の様子です。
簡易Kitaca改札機が設置されています。
札沼線21
改札を入って右手にはホームへの連絡通路があり、
その先には2番線ホームがあります。
札沼線22
2番線ホームの様子です。
上り線の札幌方面行き列車のホームとなります。
札沼線23
2番線の北側の改札前付近にはご覧の車止めがあります。
ですので2番線は当駅始発となる折り返し列車が停まるホームとなり、
駅名標にも終着駅のごとく札幌方の駅名しか表記されていません。
札沼線24
元々この駅は開設時には単式の1番線しかありませんでした。
しかし発着列車数が増加したことによって1995年(平成7年)の駅名改称時に
こちらの2番線が新たに増設されました。
札沼線29
2番線に停まる札幌近郊を走る電車。
JR北海道が札沼線の電化に合わせて2012年(平成24年)に導入した通勤形車両です。
札沼線25
そして2番線ホームの北端、改札の左斜め前には
ご覧の1番線ホームへと連絡する通路があります。
こちらの通路までが1995年(平成7年)に増設された部分となります。
札沼線26
1番線ホームの様子です。
元々線路のあった場所に1981年(昭和56年)に
仮乗降場として設置されたのがこちらのホームとなります。
札沼線27
現在は上下線共に停まりますが、
主に十津川方面に行き来する気動車が使用するホームとなっています。
線路の反対側を走っている道路は国道275号線という国道です。
札沼線28
1番線ホームに停まる札沼線の気動車。
札沼線30
こちらは北海道医療大学駅のホームから北に150mほどの位置にある
北5号道路踏切という踏切です。
別段変わったところの無い様に見えるこの踏切は
札沼線そしてJR北海道にとって非常に意味のある踏切でもあります。
札沼線31
というのはこちらの踏切の先に札沼線の電化架線の終端があるからです。
札沼線は北海道医療大学駅を境に電化区間と非電化区間とに分かれますが、
この踏切が電化区間の終端部となります。
札沼線32
踏切から見た南の駅方向の様子です。



札沼線323
こちらは北海道医療大学駅前を通っていた学園通りを
北へと2km少々北上した付近の光景です。
こちらに次の駅へと連絡する取付道路の入口があります。
札沼線34
石狩金沢駅の駅舎外観です。
1935年(昭和10年)に国鉄札沼線の延伸によって開業した駅で、
かつては木造駅舎があり、現在でも駅舎の基礎跡が駅前に残っています。
札沼線39
ホーム側から見たかつての駅舎跡。
札沼線35
車掌車のヨ3500を転用した貨車駅舎の中の様子です。
貨物の荷室にベンチが置かれて待合室となっているいわゆるダルマ駅です。
札沼線36
駅舎はホーム南端の前にあり、
スロープでホームへと上がる構造となっています。
札沼線37
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
線路の向こう側60mほどには国道275号線が併走しています。
札沼線38
かつてはホームは島式として使用されていたもので、
駅舎と反対側にもう一つ単式ホームのある2面3線の駅だったそうです。
1979年(昭和54年)に無人化された後にレールが撤去されて
ホームの駅となった様です。



札沼線40
こちらは石狩金沢駅から北に4.2kmほどの距離にある
国道275号線の光景です。
周囲にほとんど何も無くひらけた視界のこの付近に
次の駅へと連絡する道が国道から分かれています。
札沼線45
国道から駅までおよそ100mほどの取付道路の先に駅が見えます。
札沼線46
こちらが本中小屋駅の駅舎の外観です。
1935年(昭和10年)の国鉄札沼線延伸で設置されたのは石狩金沢駅と同様であり、
車掌車のヨ3500を転用した貨車駅舎であるのも同じです。
札沼線48
この駅もかつては木造駅舎があった駅で、
現在の駅舎の目の前に基礎の跡が残っています。
札沼線52
そして駅前には空き地が広がっており、
国道の向こう側まで一面が平らで地平線の見える光景となっています。
札沼線47
駅舎の中はご覧の通り、貨車駅舎の荷室にベンチが置かれています。
札沼線49
ホーム側から見た駅舎。
札沼線50
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
札沼線51
ホームの反対側には山と畑が見えるものの
民家は散在している状態です。



札沼線53
本中小屋駅から引き続き国道275号線と併走しながら北上する札沼線。
3.2kmほど進んだ中小屋郵便局のある付近が次の駅の駅前となります。
札沼線58
郵便局の並びの北側にある、営業している様子の無い食堂。
札沼線54
食堂の前に横断歩道があり、
中小屋の名前のついた信号が設置されてます。
札沼線55
信号から切り返して西側を見ると、国道に隣接して駅前の広場が。
札沼線56
こちらが中小屋駅の駅舎です。
1935年(昭和10年)開設でヨ3500を転用した貨車駅舎であるのは
石狩金沢駅、本中小屋駅と同じです。
この駅もかつては木造駅舎があって基礎の跡が残っています。
札沼線57
駅舎の中の様子です。
ベンチが置かれた待合室となっているのも他のダルマ駅と同様です。
札沼線59
ホーム側から見た駅舎付近。
札沼線60
こちらがホームの様子です。
単式1面1線の棒線無人駅となります。
札沼線61
ホーム南端の東側にはかつての貨物側線の線路がまだ残っていました。
札沼線62
駅の向かい側には水田がひろがっており、
その奥には丘が見えます。



札沼線623
引き続き札沼線は国道275号線と併走して北上し、
2.8kmほど進んだ月ヶ岡の信号付近の国道沿いに次の駅があります。
札沼線65
反対の北側から見た月ヶ岡の信号付近。
札沼線64
信号には横断歩道が設けられており、
目の前が駅の敷地の入口となっています。
札沼線66
国道に隣接した敷地は舗装された駐車場となっており、
さながら国道脇に作られた公園の休憩スペースの様になっています。
札沼線68
駐車場の北東角にあるオブジェ。
札沼線67
こちらが月ヶ岡駅の駅舎となります。
駅は1958年(昭和33年)にすでにある線路脇に新設されたものであり、
現在の駅舎は前の駅舎が焼失したために
1993年(平成5年)に公園休憩所として立て直されたものです。
札沼線69
ログハウス風の駅舎の入口付近。
札沼線70
こちらが駅舎の中の様子です。
前の駅舎が無くなって代わりの待合所として作られた建物ですが、
地域の集会所や国道のドライバーの休憩所としても使われています。
札沼線71
ホームへの入口は、駅舎の北側の駐車場前にあります。
札沼線72
入口前に立てられた月形町のガイドマップ。
札沼線73
こちらがホームへと上がる階段となります。
札沼線74
ホームは単式ホーム1面1線で、
土盛りでは無く鉄骨にアスファルト敷きで作られています。
札沼線75
手すりはあるもののホーム上に白線などは無く
無骨にホームがあるのみの状態となっています。
札沼線76
ホーム北端の先にある月ヶ岡道路踏切。



札沼線77
こちらは道道11号月形厚田線という道道で、
札沼線と併走してきた国道275号線から東へと伸びている道路です。
国道から西に700mほど進んだ場所にご覧の厚田岩見沢線踏切があります。
札沼線78
この踏切の北側の線路脇に次の駅が設けられています。
札沼線79
こちらが知来乙駅の駅舎の外観です。
隣の月ヶ岡駅と同様に1958年(昭和33年)にすでに敷かれた線路脇に新設された駅となります。
札沼線80
建物の中の様子です。
無人駅の木造の待合室で長椅子タイプのベンチが置かれています。
奥の扉はトイレとなります。
札沼線82
ホーム側から見た駅舎前の様子です。
線路脇の砂利敷きの広場が駅前の敷地となります。
札沼線81
そして駅舎の前にはホームの南端があり、スロープで上がることができます。
札沼線83
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
札沼線84
駅周辺はご覧の通り畑の広がる地域で
あたり一面に視界を遮る建物がありません。
札沼線85
西側の道道から見た駅周辺の光景。



札沼線86
こちらは道道376号石狩月形停車場線の光景です。
道道はいわゆる停車場線で、月形町役場の前を南北に走って
ご覧の交差点で西へと曲がり駅へと連絡しています。
札沼線87
交差点から南の役場方面の様子。
札沼線88
こちらが交差点から西の駅への光景で、
駅から交差点まではおよそ100mほどです。
札沼線89
石狩月形駅の駅舎の外観です。
1935年(昭和10年)の国鉄札沼線の延伸によって開設されたのは周辺駅と同様ですが、
この駅は月形町の中心駅であり、札沼線の非電化区間唯一の社員配置駅となります。
札沼線91
道道の停車場線は駅前が起点となっており、
T字路の突き当たりに駅舎が設けられていました。
札沼線94
駅前の駅舎とトイレの間に立っていた
月形町の案内地図の看板です。
札沼線90
駅舎を背にして見た道道376号石狩月形停車場線。
札沼線92
こちらが駅舎の中の様子です。
待合室にはダルマストーブが置かれていました。
有人駅ですので窓口が営業していますが、
非電化区間はワンマン運転なので駅で改札業務は行っていません。
札沼線95
改札は行いませんが列車到着時にはご覧の案内札は下げられており、
駅員さんも構内に立って業務にあたっていました。
札沼線93
待合室の時刻表。当駅終着の列車が2本ある為、
この駅から北の新十津川方面へは一日6本となっていました。
札沼線96
改札を出ると構内踏切を渡って島式のホームへ。
札沼線97
こちらがホームの様子となります。
島式ホーム1面2線となっており、駅舎のある東側が札幌方面行きの上り線、
反対の西側が新十津川方面行きの下り線ホームとなります。
札沼線98
上り線と駅舎との間には貨物の積み下ろし用の線路が残っており
保線用の待避線として使われています。

この石狩月形駅より北の札沼線に交換設備は無く1閉塞区間となっています。
その為か当駅より北側はスタフ閉塞となっています。



札沼線99
こちらは石狩月形駅から国道275号線を4.8kmほど北上した付近の光景です。
右手の東側には石狩川が併走しているこちらから、
西に向かって道路が分岐していて駅への案内標識が設置されています。
札沼線a01
案内に従って国道から西へと一本道を1kmほど西進すると
坂を上った先に橋が見えてきます。
札沼線a02
豊ヶ丘陸橋と橋名の銘板があるこの橋は、
次の駅の北側170mほどで札沼線を跨いでいる跨線橋となります。
札沼線a03
跨線橋から南を望むとご覧の通り、
直線の線路と駅を俯瞰できる絶好の撮影スポットであるのが分かります。

金網の穴は不心得者の撮り鉄が撮影の為に工具で破壊した跡だと言われています。
個人的には現場を見たら許さない行為なのですが。
札沼線a04
反対の北側の金網にも同様の穴が開けられていました。
この穴は鉄道漫画にも描かれている穴で一部には有名な様です。
札沼線a05
こちらは跨線橋を国道とは反対側の西側から見た光景です。
道路が橋の手前でカーブを描いているのが分かります。
札沼線a06
跨線橋から60mほどのそのカーブから一本の砂利道が分かれているのですが、
畑の中のあぜ道に見えるこちらこそが駅への道となります。
駅がある事を示す標識などは無く、駅があると知らなければ
ここが駅への入口とは分からない
と思います。
札沼線a07
鉄道保安林の中を通る砂利道をおよそ200mほど進むと
小さな建物の屋根が見えてきますが、こちらが駅の待合室となります。
札沼線a08
こちらが札沼線で随一の秘境駅として名高い
豊ヶ岡駅の駅の外観となります。
駅は1960年(昭和35年)に豊ヶ丘地区の住民の請願によって新設開業しました。
尚、この地の地名は豊ヶ「丘」ですが駅名は豊ヶ「岡」となっており理由は不明なのだそうです。
札沼線a09
こちらが駅舎となります。小さな木造の待合室で、
入口の上に木製の駅名標がまるで山小屋のようにあります。
札沼線a10
駅舎の中はご覧の通りで、壁沿いに木製のベンチが設けられていますが
待合室の真ん中には誰かが持ち込んだテーブルが置かれていました。
札沼線a11
駅前広場といったものはこの駅にはありませんが、
駅への連絡道である砂利道がゆるやかな坂となっており、
待合室周辺が若干広くなっています。
札沼線a12
そして駅舎の目の前にあるこちらが札沼線の豊ヶ岡踏切です。
遮断機の無いこちらの踏切の脇に駅のホームがあります。
札沼線a13
こちらが駅ホームへの入口となる階段です。
札沼線a14
ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
札沼線の他の駅のホームが土盛りやアスファルトなのに対して
この駅のホームは板張りとなっています。
札沼線a15
数年前まではコンクリートのホームだった様なのですが、
老朽化で崩れかけており板張りに直された様です。
ホーム柵も単管パイプとネットが張られて直されていますが
クランプカバーの新しさが改修まもない事を示しています。
札沼線a16
そして踏切から駅舎と反対の東側にも
ご覧の砂利道が伸びているのが見えます。
ゆるやかな坂を上ると道が左手へと曲がり周囲が開けた光景となります。
札沼線a17
曲がり角から切り返して見た駅方面の光景。
札沼線a18
130mほど進むと砂利道は舗装された道路へとぶつかります。
札沼線a19
合流した場所は、豊ヶ丘陸橋の東側すぐ手前の地点でした。
つまり豊ヶ岡駅へと向かうには、
陸橋の西と東のどちら側からも砂利道が通じているということです。



札沼線a20
こちらは国道275号線の札比内信号付近の光景です。
豊ヶ岡駅を出た札沼線は再び国道と近づき、
鉄道の営業キロで2.5km、国道の豊ヶ岡駅入口からは2kmほどで次の駅の駅前となります。
札沼線a21
国道から駅舎へは60mほどの取付道路が延びているのですが、
間が何も無い空き地となっているのであたかも広大な駅前広場がある様に見えます。
札沼線a22
こちらが札比内駅の駅舎の外観です。
1935年(昭和10年)の国鉄札沼線の延伸で設置された駅で、
かつては写真左側にも駅舎が伸びていましたが、減築されて現在の大きさとなった様です。
札沼線a23
駅舎の中の様子です。
1979年(昭和54年)に無人駅となっていますが、かつて使われた窓口は残っていました。
この窓口も2010年(平成22年)頃までは使われていたそうです。
札沼線a24
窓口に掲示されている「切符を委託販売している薬局」というのは
国道の反対側正面にあるこちらの建物の様です。
札沼線a25
ホーム側から見た駅舎前の様子です。
改札を出ると数m離れてホームへ上る階段があります。
これはかつて島式1面2線だった頃の線路のあった跡です。
札沼線a26
こちらがホームの様子です。
現在の駅は単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
札沼線a27
駅周辺にはご覧のように畑と空き地が広がっていますが
周辺にはちらほらと民家が見えます。



札沼線a28
こちらはJR札沼線の北海道医療大学駅━札比内駅間の
au 4G LTEでの電波エリアマップです。
ご覧の通り線路上では全ての区間が電波エリア圏内となっています。
北海道の平原でトンネルもありませんので駅へのアクセスに困る事は無いでしょう。


石狩川の対岸およそ4kmほどの距離をJR函館本線が併走しており、
函館本線からのレーダーで基本的に札沼線の駅は取得が可能です。

また北海道医療大学駅までは都市近郊路線で電車本数も多く、
月ヶ岡駅まではレーダー射程圏内となっています。
札沼線a29
北海道医療大学駅より北に関しては先にも述べた通り
2020年(令和2年)5月6日を最後に廃止
が決まっています。
しかしながら区間が丸ごと廃駅となってしまっても、函館本線からアイテムで取れるという特性上
さほど駅メモでのプレイに影響は与えないでしょう。

ですが、せっかくまだ乗れるチャンスがあるのですから
廃止前に一度は「始発で最終」の列車に乗ってみるのも一興かと思います。
乗って札沼線を攻略できるのはあとわずかしかありません。


札比内駅より北についてはその2にて。

では。
【写真撮影:2018年5月】

日高本線c98
引き続き日高本線についてとなります。

その1(苫小牧━鵡川)はこちら
その2(鵡川━静内)はこちら
その3(静内━浦河)はこちら



日高本線c28
こちらは浦河駅から直線で2kmほどに位置する
次の駅の駅前付近の光景です。
日高本線c29
駅前の道路はご覧の通り完全に住宅地の生活道路で、
途中の砂利敷きの敷地の奥に駅があります。
この生活道路から北に50mほどには国道236号線(浦河街道)が併走しています。
日高本線c30
駅前は大きな広場に見えますが、
良く見ると砂利式の土地に駅への舗装道路が設けられています。
どうやらこの道が駅への取り付け道路の様です。
日高本線c31
こちらが東町駅の駅舎外観です。
1977年(昭和52年)に北海道鉄道管理局の局設定の仮乗降場として開設されたこの駅は
国鉄分割民営化によって1987年(昭和62年)にJR北海道の正式な駅へと昇格しました。
日高本線c32
駅舎の入口の扉に貼られた代行バスの停留場の場所案内。
日高本線c37
一段低い場所に駅舎が置かれている為、
入口前にはご覧の階段が設けられています。
日高本線c33
中の様子です。純粋な待合室としての建物で、
木製のベンチが置かれており壁はベニヤ貼りとなっていました。
日高本線c34
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
日高本線c35
目の前が海岸というロケーションの為
ホームは駅前よりも低い位置に作られていました。
日高本線c36
現在は列車運休中のこの駅ですが、
駅舎の目の前のホーム西端は崩れかけています。
ロープが張られて立ち入りが制限されていました。
日高本線c38
また海岸の砂が線路まで風で吹き上げられて積もっており
線路が半ば埋まってしまっている状態でした。
日高本線c39
こちらは浦河町を南北に走る市道で、
東町駅から北西に250mほどの付近の光景となります。
浦河赤十字病院と道立浦河高校に挟まれたこの付近に
日高本線の東町駅の代行バス停留場があります。
日高本線c40
こちらが東町駅の代行バス停留場です。
道南バスの日赤前停留場と同じ場所に併設されており、
待合室も道南バスのものを使う事ができます。
日高本線c41
バス停の反対側に建っている浦河赤十字病院。
この病院の北の隣にはコープ東町店があり、
そちらが高速バスの浦河バスターミナルとなっています。

高速ペガサス号という高速バスを使って駅メモでは日高本線を攻略する方法がありますが、
その場合はここまで来て日高幌別、鵜苫、西様似、様似の4駅をレーダーを打つことになります。



日高本線c42
こちらは日高幌別駅の駅舎の外観です。
1937年(昭和12年)に国鉄日高線の延伸によって開業しました。

開業からの駅舎は無人化された後に改築されて
現在では「レストビレッヂシンザン」という建物となっています。
中には駅の待合室の他に居酒屋と郵便局が入居しています。
日高本線c51
入口の上には馬の胸像が。
これは幌別という街には名馬シンザンが種牡馬として生活を送った谷川牧場があり
「優駿の町」として有名な所だからでしょう。
日高本線c43
ご覧の通り駅の敷地に隣接して目の前を国道336号線が通っています。
これまで日高本線と併走してきた国道236号線は駅の西側で北へと進路を取り、
代わりに分岐した国道336号線が引き続き鉄道と併走を続けます。
東町駅からは東におよそ4.5kmほどの地点となります。
日高本線c44
駅舎の北東の国道沿いには道南バスのバス停の待合室がありますが
こちらに代行バスの停留場も併設されていました。
駅舎側のこちらは上り苫小牧方面行きのバス停です。
日高本線c45
そして国道を挟んだ向かい側には
下り様似方面行きの代行バスのバス停が。
日高本線c46
駅舎と国道の間は舗装された広場となっており
主に駐車場として使われていました。
日高本線c47
駅舎の中の様子です。
国道側の入口から入るとまず簡易郵便局がありますが、
その前を抜けるとまるで食堂のようなテーブルの置かれた待合室があります。
日高本線c50
駅舎を抜けて構内へと入ると目の前にホーム東端のスロープがあります。
かつてはこの駅は島式ホーム1面2線だった為、
ホームの駅舎側にはかつての線路跡のスペースが現在も空いています。
日高本線c48
こちらが現在のホームの様子です。
駅舎側にはフェンスが立てられており、単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
日高本線c49
ホームの東側の様似方に駅舎があり、ホームへも東側からのみ入れます。
海岸までは200mほどの駅ですが、ホームからは海岸は見えず荒野が広がる光景となっています。
x


日高本線c52
引き続き海岸線と国道336号線と併走をする日高本線は
4.2kmほど東進すると次の駅となります。
こちらは国道336号線の駅前の光景です。
日高本線c53
国道と駅は砂利の30mほどの道で連絡しています。
日高本線c54
鵜苫駅の駅舎外観です。
1937年(昭和12年)の国鉄日高線の浦河以東の延伸によって設置されました。
元々は普通の駅舎があった様ですが1987年(昭和62年)に
現在の貨車駅舎へと変えられました。
日高本線c56
貨車はワフ29500形有蓋緩急車を元にしており、
建っている場所の下には木造駅舎の基礎の跡が残っています。
駅前は広場というよりは、国道沿いの空き地に駅があるといった風情となっています。
日高本線c55
駅舎の中の様子です。
貨車を元にしている中には木製ベンチとゴミ箱が置かれています。
日高本線c58
駅舎の壁に貼られた代行バスのバス停の位置の案内。
日高本線c57
ホーム側に出るとホームは3段分ほどだけ高くなっており、
駅舎の基礎跡から階段までコンクリートの通路が残っていました。
日高本線c59
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
日高本線c60
かつては駅舎とホームの間にも線路があって島式1面2線だった様ですが
現在では空いた土地のスペースがわずかにその痕跡をうかがわせるのみです。
日高本線c61
こちらは鵜苫駅前の国道の横断歩道の東側にある
日高本線の代行バスの停留場です。
東側のこちらは下り線様似方面行きとなります。
日高本線c62
そして下りのバス停から、横断歩道の反対側の斜向かい、
駅からは西側となるこちらが上り線の静内方面行き停留場です。



日高本線c64
東へと進む日高本線は海岸線近くを走ってきましたが、
鵜苫駅を出るとまもなく内陸部へ進路を取ります。
これは様似近辺の海岸線がご覧のように山が迫っている為平坦では無いことが理由でしょう。
写真のトンネルは塩釜トンネルで、海に見える岩はローソク岩という岩です。


日高本線c63
こちらは鵜苫駅からは北東に2.2kmほどの位置にある次の駅付近です。
国道336号線からは内陸の北西へ450mほど入った場所となります。
日高本線c65
西様似駅の駅舎の外観となります。
1937年(昭和12年)の国鉄日高線の延伸によって設置されました。

元は木造駅舎のある有人駅だったそうですが、
現在は駅舎が解体されて貨車駅舎となっており無人駅です。
日高本線c66
貨車駅舎の南側の、駅前道路正面付近に残っている
かつての木造駅舎の基礎の跡です。
日高本線c67
そして駅の南側の敷地一帯は
ご覧の様に丸太が集積されており貯木場となっています。
日高本線c71
北側から駅舎周辺を見ると、貯木場は駅前の東側だけでなく
西側にまで広がっているのが分かります。
いわば貯木場の中に駅がある様な状態となっています。
日高本線c68
貨車駅舎の中の様子です。
待合室として木製のベンチが設置されているのみです。
日高本線c69
壁に掲示された代行バスの停留場の場所の案内です。
国道336号線上に設置されている様なので600mほどの距離となり、
駅から代行バス停留場までは徒歩12分ほどかかります。
日高本線c70
駅舎の北側にホームがあり、ご覧のように少し離れて駅舎が置かれています。
ホームの西側にスロープがあり、そちらからホーム上へと上がります。
日高本線c72
こちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線となっています。
日高本線c73
この駅もかつては島式ホームで2線のある駅でした。
ですので南側の貯木場側にもかつてのホームの名残りが残っています。
日高本線c74
一旦駅舎の前に戻り、正面の道路が南へとまっすぐ伸びているので
国道へ向かって南下をします。
日高本線c75
国道336号線に突き当たりT字路となるので左へと曲がると
すぐに西町という信号のある交差点に差し掛かります。
日高本線c76
その西町交差点から20mほど東に、JR北海道バスの西町停留場が
国道の南北両脇に設置されています。
この場所にJR日高本線の代行バスが、
同じ場所で西様似駅の停留場を設置しています。



日高本線c77
こちらは国道336号線の大通1交差点です。
代行バスの西様似停留場からは東に道なりで2.5kmほどの距離となります。
周囲は様似町の町役場も近い中心街となっています。
日高本線c97
反対の東側からみた大通1交差点付近。
駅への案内看板もあります。
日高本線c78
この大通1交差点から北へは道道233号新富様似停車場線という道道が分岐しており
国道から駅までの120mほどを連絡しています。
日高本線c94
北側から見た大通1交差点付近です。
案内標識が国道と県道の交差点である事を示しています。
日高本線c79
こちらが様似駅の駅舎の外観です。
1937年(昭和12年)に国鉄日高線が静内駅から延伸開業し、
終着駅として設置開業したのがこの駅となります。
日高本線c80
駅舎の前にはご覧の広い舗装された広場が設けられています。
日高本線c81
木造の駅舎は1977年(昭和52年)に改築されており、
建物の東半分が様似町の観光案内所となっています。
日高本線c82
そして駅舎の西側が日高本線の駅舎として使用されていました。
また日高本線の代行バスは様似駅では駅舎の目の前となっており
駅舎のガラス戸に代行バスの時刻表が貼られていました。
日高本線c83
中の様子です。
列車が休止している状態ではありますが業務委託駅として
窓口はジェイ・アール北海道バスに委託されて営業をしています。
日高本線c84
ホーム側の改札前の様子。
日高本線c85
こちらがホームの様子となります。
単式ホーム1面1線となっており、
並行して側線をもう一本持っています。
日高本線c86
駅の東側は日高本線の線路の終端があり、
かつては貨物用の側線や専用線、転車台などがあったそうです。
日高本線c87
ホームに設置されている駅周辺の名所案内。
日高本線c88
同じくホームに置かれたJR北海道バス(旧・国鉄バス)の
バス路線乗り換えへの案内看板です。
日高本線c89
駅舎の東側に伸びるホームの、南側に広がる広大な舗装された敷地。
この広場もかつては貨物の引込み線が置かれて貨物ヤードとなっていた場所です。
日高本線c90
ホームが途切れた東の先にあるJR日高本線の終端付近。
日高本線c93
様似駅の線路の北側には並行する細長い駐車場や
町の保健福祉施設、様似郵便局といった公共施設があります。
こちら側もかつては様似駅の構内の敷地であり、
貨物の引き上げ線が何本も並行に敷かれていた場所です。
日高本線c91
そしてこちらが、苫小牧から146.5 kmに渡って
北海道の南の太平洋岸を走ってきたJR日高本線の終端の車止めです。
日高本線c92
旧貨物ヤードの広場を駅舎方面へと戻ると
線路沿いの駅舎脇にあるJR北海道バスの様似駅前停留場。
日高本線c96
駅前から国道へと戻り、そのまま南に100mほどで海がありますので
様似駅付近の太平洋の海岸の光景です。



日高本線c95
以上で日高本線については終点まで来ましたので全てとなります。
こちらは浦河駅━様似駅間のJR日高本線の区間の
au 4G LTEでの電波エリアマップとなります。
線路の走る沿岸部では基本的に全ての区間が電波エリア圏内となっています。
駅へのアクセスに困る事はまず無いでしょう。


改めて書きますが、苫小牧から様似までの日高本線を攻略するには基本的に丸一日必要です。
苫小牧から列車と代行バスを乗り継ぐ方法、
札幌駅から浦河バスターミナルまで運行の高速バスペガサス号を使う方法、
レンタカーを借りて往復300kmをドライブする方法などがありますが、
どの方法を使うにしても日高本線の為に一日空ける必要があります

盲腸線では、終点までレーダーが届く駅で折り返して時間を短縮する方法もありますが、
日高本線の場合は列車やバスの本数も少なく距離も長い為、
結局乗り通した時と同じ列車やバスで帰ることになるので意味がありません

その上北海道という土地柄から、豪雪極寒の冬場は交通機関の運休などの危険もあり、
駅メモでは攻略の難易度が高い路線の一つに数えられています。


はっきり言えば私は普通に日高本線で一日使って
腰を据えて様似まで乗り通すのが一番安全で楽だと思います。
どちらにしてもアイテムだけでは攻略できませんので日高地方まで行くしまありません。
あとは各人の趣味と価値観によるかと。

では。

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