路線攻略

丹鉄宮福線b93
京都丹後鉄道宮福線の続きです。


その1(福知山駅━大江駅)はこちら



丹鉄宮福線a39
こちらは国道175号線が由良川支流の宮川を渡る宮川橋の光景です。
丹鉄宮福線a40
その宮川を渡るとすぐに東の目の前に宮福線の高架が走っています。
高架橋の下を国道がくぐるとすぐ東側に駅へと連絡する道が分岐しています。
丹鉄宮福線a41
切り返して東側から見た駅への道付近。
丹鉄宮福線a42
高架の東側を北に進むと120mほどで十字路となります。
この十字路の先の北側が次の駅となります。
丹鉄宮福線a43
東側から見た駅前の十字路。
丹鉄宮福線a44
反対の西側から見た十字路付近です。
丹鉄宮福線a45
この交差点に面した橋脚には宮川が溢れた時の氾濫水位を示す表示板がありました。
丹鉄宮福線a46
そして十字路の北側の駅入口方向へ。
こちらの道はインターロッキング舗装が施されています。
丹鉄宮福線a47
30mほどで舗装が途切れると左手の高架下が駅入口となります。
丹鉄宮福線a48
ホームへと上る階段。
丹鉄宮福線a49
こちらが外から見た大江高校前駅の駅全景です。
1988年(昭和63年)7月の宮福線開業で設置されたご覧の通りの高架駅で、
駅の東600mほどに京都府立大江高等学校があるのが名前の由来です。
丹鉄宮福線a50
こちらがホームの様子です。単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
駅北側の宮津方にはすぐにトンネルがあるのが見えます。
丹鉄宮福線a51
ホーム中ほどには駅入口の階段と待合室が。高架駅で駅舎はありません。
丹鉄宮福線a52
南の福知山方はすぐに宮川が流れており周囲がひらけています。
900mほどの距離には隣の大江駅があり河守の市街地が見えます。
丹鉄宮福線a53
待合室の中の様子です。宮福線の他の駅と同様の
プラスティック製ベンチの置かれたガラス張りとなっています。
丹鉄宮福線a54
この駅も福知山市内の駅なので駅愛称が付けられています。
愛称の「元伊勢外宮駅」というのは駅北西800mほどの宮川の対岸にある
豊受大神社を指しており、伊勢神宮外宮に祀られる豊受姫命を祭る元の宮であるとされています。
丹鉄宮福線a55
愛称を示した駅名標の隣には駅周辺の案内地図が。
丹鉄宮福線a56
駅ホームから東側を見ると小さな山が見えますが、
こちらには金屋城という城の跡があり説明板があります。


丹鉄宮福線a57
大江高校前駅近くの宮川橋のすぐ西側で、国道から府道9号綾部大江宮津線が分岐していますが
宮川に沿って右岸を2.2kmほど北上するとご覧の次の駅への入口の道が分岐をしています。
丹鉄宮福線a58
駅への分岐から北80mほどの場所にある大江町和紙伝承館。
旧大江町 の伝統地場産業であった 丹後和紙について
歴史や製造工程、職人の技法などを展示している施設です。
丹鉄宮福線a59
伝承館から駅への交差点へと南に戻ります。
丹鉄宮福線a60
府道から駅への道を東へと100mほど進むとご覧の宮川を渡る橋があります。
丹鉄宮福線a61
由良川支流の宮川です。この川を渡ると目の前が駅前広場となります。
丹鉄宮福線a63
橋の東側正面にある駐車場。舗装されたスペースとなっており、
駐輪場の建屋も置かれています。東の奥の白い建物は京都丹後鉄道の変電所施設です。
丹鉄宮福線a64
変電所の壁には祭礼で鳥毛(指物の竿の先を鳥の毛で飾ったもの)を掲げて
練り歩く姿の絵が描かれています。この二股地区では「八朔祭礼」が行われているそうで
変電所のフェンスには祭礼の説明板も取り付けられています。
丹鉄宮福線a65
そして駐車場の入口付近の橋の目の前には北側へと入る通路があります。
丹鉄宮福線a66
インターロッキング舗装の通路のつきあたりには「俊明多目的集会施設」とあり、
東側へと曲がった通路の先には俊明公民館の入口がありました。
丹鉄宮福線a68
公民館の入口と反対の南側にも通路が延びて集会室が。
丹鉄宮福線a67
その間の通路正面にはご覧のホームへと入る通路があります。
丹鉄宮福線a74
ホーム側から見た駅入口。
丹鉄宮福線a70
こちらが駅ホームの様子となります。単式ホーム1面1線の棒線無人駅となります。
ホームに沿って建っているのは公民館なので駅舎では無く
待合室があるのみとなっています。
丹鉄宮福線a71
宮川の川沿いにあるホームは築堤上となっており
向かい側の山を切り通して線路が敷かれています。
丹鉄宮福線a72
待合室の様子です。宮福線の他の駅と同様に
ガラス張りでプラスティックのベンチが置かれています。
丹鉄宮福線a73
北の宮津方から見たホーム。
丹鉄宮福線a75
この駅も福知山市内にあるので駅愛称がつけられていて
「和紙の里 猿田彦神社前駅」と駅周辺の施設が由来となっています。

丹鉄宮福線a76
こちらはホームにある名所案内板です。
猿田彦神社が「駅裏」と書かれており、振り返って見ると
ホームの向かい側に鳥居と階段があるのが見えます。
丹鉄宮福線a77
通路を戻って駅前駐車場へと戻ります。
丹鉄宮福線a78
宮川の橋の手前を川沿いに南に伸びる道には「猿田彦神社参道」の案内表示があります。
川岸の一帯は猿田彦公園と名づけられた公園が整備されています。
丹鉄宮福線a79
そして川岸から駅南端付近で線路下をくぐり駅の東側へ。
苔生した獣道のような道が線路沿いに北へと伸びています。
丹鉄宮福線a80
道の先のほぼ駅ホーム正面付近zには鳥居があり、
神社へと至る階段があります。こちらが猿田彦神社へと至る参道の一部となっています。
丹鉄宮福線a81
階段を上ると再び鳥居が。その奥に祠が見えます。
丹鉄宮福線a82
こちらが猿田彦神社です。
大江付近に散在する元伊勢伝説の一端を担う猿田彦神を祭る神社です。
変電所の壁に祭礼の衆の絵が描かれているものこの神社が駅裏に鎮座しているからです。
丹鉄宮福線a83
神社から見下ろした二俣駅の俯瞰。


丹鉄宮福線a84
こちらは府道9号綾部大江宮津線沿いにある元伊勢観光センターです。
地元のボランティアガイドが元伊勢神社の謎と伝説を案内する施設であり、
宮福線の次の駅の至近に設けられています。
丹鉄宮福線a85
その観光センターから府道を北に進むとすぐにご覧の内宮交差点があり
ガードをくぐる道が分岐をしています。
丹鉄宮福線a86
線路をくぐって北へ線路沿いに伸びる道路。
丹鉄宮福線a87
府道9号綾部大江宮津線から分岐したこの道路は府道533号内宮地頭線という府道で
ご覧の通り駅の真裏のこの場所に起点の0キロポストがあります。
舞鶴まで至る府道の起点ではありますが、
ここから1kmほどの舞鶴市との市境付近は通行不能
となっています。
丹鉄宮福線a88
道を戻って府道9号線の内宮交差点へ。
交差点の北側が次の宮福線の駅となります。
丹鉄宮福線a89
こちらが大江山口内宮駅の駅外観の全景です。
1988年(昭和63年)7月の宮福線開業時にこの駅設置がされています。
丹鉄宮福線a90
北側の府道から見た駅付近。
築堤をくぐるガードが駅の入口となっています。
丹鉄宮福線a91
入口から築堤の中をホームへと上る通路。
丹鉄宮福線a92
こちらが駅のホームとなります。島式ホーム1面2線となっており、
無人駅でホーム上に待合室があるのみとなっています。
丹鉄宮福線a93
駅名の由来となった皇大神宮(元伊勢内宮)までは距離で400m、
道のりで1kmほどの場所にあります。
丹鉄宮福線a94
築堤上にホームがあり、両側を二つの府道に挟まれて駅があります。
丹鉄宮福線a95
ホーム上の待合室の中の様子。
丹鉄宮福線a96
駅の中へと入る入口はホーム南端の階段のみとなっています。
丹鉄宮福線a97
この駅も福知山市内にあるので駅愛称がありますが
愛称は「元伊勢内宮駅」と駅名に準じたものとなっています。


丹鉄宮福線a98
こちらは現在は福知山市となった旧大江町の毛原と宮津金山を結ぶ
毛原峠を越えた旧普甲道の中ほどの辛皮集落付近となります。
丹鉄宮福線b01
かつては今昔物語集の舞台となったり宮津藩の参勤交代路として使われた道も
1939年(昭和14年)に現在の府道9号線にあたる道が今普甲道として開通すると
地元民に細々と生活道路として使われる道となりました。
丹鉄宮福線a99
その道から西側を見ると築堤上に宮福線の辛皮駅があるのが見えます。
1988年(昭和63年)7月の宮福線開業で設置された駅で、
毛原峠と普甲峠とに挟まれた谷間の集落に作られた駅となります。
丹鉄宮福線b02
福知山方からの辛皮駅付近の光景です。
由良川支流の桧川を橋で渡ると駅が正面に見えます。
丹鉄宮福線b03
橋の北側すぐの場所で道が分岐をしており、東側に進むと
すぐに宮福線の跨道橋のガードがあります。
丹鉄宮福線b04
ガードへの道の脇の田んぼとの間にご覧の駅前広場があります。
狭いながらも舗装された広場となっており駐輪場も置かれています。
丹鉄宮福線b05
広場の奥には細い通路の道が伸びており宮福線の線路の下をくぐっています。
すると目の前にもう一つ跨道橋のトンネルが現れますが
こちらは国道478号の京都縦貫自動車道の築堤に設けられたものです。
丹鉄宮福線b06
京都縦貫自動車道はくぐらずに、宮福線との間を南へと伸びる通路を進むと
ゆるやかな坂の先にまもなく駅ホームへと入る入口が現れます。
丹鉄宮福線b14
ホーム側から通路の道を見ると坂になっている事が良く分かります。
丹鉄宮福線b07
いわば南口とも言える駅の正面の入口です。
丹鉄宮福線b08
こちらがホームの様子となります。単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
山の稜線の尾根を削って線路が敷かれており、秘境駅に分類される駅ともなっています。
丹鉄宮福線b09
駅舎は無くホーム中ほどに待合室が置かれています。
丹鉄宮福線b10
ホーム南端の階段。いわば南口とも言うべき出入口で
築堤をくぐって田んぼの中を通り駅前の道路へと通じています。
丹鉄宮福線b11
切り返して北側から見た駅ホーム。
丹鉄宮福線b12
待合室の様子です。ガラス張りにプラスティックベンチがあるのは他の駅同様ですが、
この駅の待合室は他の駅の半分の数の座席数となっていました。
丹鉄宮福線b13
ホーム南側の光景。


丹鉄宮福線b15
こちらは府道9号綾部大江宮津線の宮津市の喜多付近の光景です。
喜多集落と今福集落のちょうど間付近を府道が走っていますが、
田んぼの中のご覧の付近が次の宮福線の駅の入口となります。
丹鉄宮福線b16
こちらが喜多駅の駅の全景です。
1988年(昭和63年)7月の宮福線開業で設置された駅となります。
丹鉄宮福線b17
府道から東へ田んぼの中を150mほど進むと宮福線の築堤があり
その上に駅のホームが設けられています。
丹鉄宮福線b20
府道からの道は宮福線の築堤をガードでくぐっていて
東側の山裾の今福集落へと通じています。
丹鉄宮福線b21
ガードから西の府道方面の光景。
丹鉄宮福線b18
府道9号側にはご覧の駅前広場があります。
手前が舗装された駐車スペースとなっており数台の駐車が可能です。
丹鉄宮福線b31
西側の階段下には駐輪場スペースが。
丹鉄宮福線b19
そして広場の奥は土の地面の駅前公園となっています。
丹鉄宮福線b22
その駅前広場の北側付近にはホームへと上る階段があります。
丹鉄宮福線b23
線路脇に併走する道路を跨いでいる駅入口の階段。
丹鉄宮福線b24
ホームへと上がるルートはこの階段のみとなっています。
丹鉄宮福線b26
上のホーム側から見た階段付近。
丹鉄宮福線b25
こちらが駅のホームの様子となります。単式ホーム1面1線の
棒線無人駅となっており、駅舎は無く待合室があるのみとなります。
丹鉄宮福線b27
この駅は階段がホーム北側寄りにある為、待合室も北寄りに設けられています。
中は他の駅同様にプラスティックのベンチの置かれたものとなっています。
丹鉄宮福線b28
南側の福知山方のホームの様子。
丹鉄宮福線b29
築堤上にあるホームからは駅の西側一帯が見渡せます。
田んぼの先には府道9号線が南北に走っており、その向こう側には喜多集落の家々が見えます。
丹鉄宮福線b30
切り返して宮津方のホームの光景です。
丹鉄宮福線b32
ホームにある喜多駅周辺の案内地図。


丹鉄宮福線b33
こちらは府道9号綾部大江宮津線の宮津市宮村付近の光景です。
京都縦貫自動車道の宮津天橋立インターチェンジが南400mほどにあり、
この府道9号線が出口となっている為府道の道幅が広くなっています。
丹鉄宮福線b34
切り返して北側から見た府道9号線。
このドラッグストアの向かい側、ホームセンターの脇の道が
次の宮福線の駅への入口となっています。
丹鉄宮福線b35
府道から東へ150mほどで宮福線の高架が見え、その上に駅が設けられています。
丹鉄宮福線b36
道路脇に置かれた木造の駅駐輪場の建屋。
丹鉄宮福線b37
駐輪場の先の右手を見ると市営の駅駐車場があります。
丹鉄宮福線b38
ガード前の道と駐車場前の道を併せてロータリー状となっており、
奥には車寄せを兼ねた駅前公園スペースが設けられています。
丹鉄宮福線b39
駅前広場から築堤脇の道路へと出て南側の駅入口へ。
丹鉄宮福線b40
こちらが宮村駅1番線ホーム入口の階段です。
1988年(昭和63年)7月の宮福線開業で設置をされた駅ですが
相対式ホーム2面を駅構内では連絡しておらず、
地上からそれぞれのホーム入口から入る構造となっています。
丹鉄宮福線b41
入口の階段脇を更に南へと進むとつきあたりとなり、
東側の築堤下をくぐるガードがあります。
このガードを行き来する事で2つのホームを往来することができます。
丹鉄宮福線b42
側道を北に戻ってホームへの階段に。
丹鉄宮福線b43
階段を上がって築堤上のホームへと向かいます。
丹鉄宮福線b44
こちらが1番線ホームの様子です。
1番線が下り宮津方面行き、2番線が上り福知山方面行きとはなっていますが、
線形が1線スルー方式となっていてこちらの1番線が上下本線となっています。
丹鉄宮福線b45
ですので片方が通過列車、片方が退避列車の場合、
通過する列車がこちらの1番線を使う事となります。
その場合退避列車が下り列車でも2番線へと退避する事となります。
丹鉄宮福線b46
ホーム中ほどの待合室。この駅も駅舎は無く、
他の駅同様のベンチの置かれたガラス張りの待合室が置かれています。
丹鉄宮福線b47
出入口はご覧の通りホーム北端にのみとなります。

丹鉄宮福線b58
階段を下りて1番ホームから駅北側のガード下へと戻ります。
丹鉄宮福線b48
ガードをくぐり築堤の東側へと出ると
右手南側に用水路を跨いで反対側ホームへの入口があります。
丹鉄宮福線b55
ガードの先はご覧の通り駅裏手の集落へと続く道が伸びています。
丹鉄宮福線b49
こちらが宮村駅の2番線ホーム入口です。
ホーム連絡通路となる駅下のガードを中心に
千鳥配置に駅入口が設けられています。
丹鉄宮福線b50
ホームへ上がる階段。
丹鉄宮福線b51
2番線ホームの様子です。
通常は福知山方面への上り列車の発着するホームですが、
1線スルーの上下副本線である為、列車通過待ちの退避列車は下り列車でも
こちらの2番線ホームへと入線し退避を行います。
丹鉄宮福線b53
ホーム南端近くにある距離標。宮福線は宮津起点なので
1と1/2kmとなっています。
丹鉄宮福線b52
待合室の様子です。
2番線ホームは入口階段がホーム中ほどにあるので
待合室もその隣すぐ南側に置かれています。
丹鉄宮福線b54
2番線ホーム北側への光景。
丹鉄宮福線b56
駅の2つのホームは両方ともに上下線が発着するので
列車信号機は南北両側に設けられています。
丹鉄宮福線b57
階段を下りて再び連絡道となっているガードへ。


丹鉄宮福線b59
こちらは府道606号宮津停車場線の光景です。
丹後地方を南北に連絡する府道9号綾部大江宮津線と
京都丹後鉄道宮福線の宮津駅とを連絡する長さおよそ550mほどの停車場線です。
丹鉄宮福線b60
東西に走る停車場線の東端はご覧の通り行き止まりの五差路となっており
正面に京都丹後鉄道の駅舎があります。
丹鉄宮福線b61
こちらは五差路の様子です。
東側は駅前広場に接しており、停車場線は正面に延びる形となっています。
丹鉄宮福線b62
そしてこちらが宮津駅の北西側駅舎の外観となります。
1924年(大正13年)4月に国鉄宮津線の駅として開業した駅で、
1988年(昭和63年)に宮福鉄道(後の京都丹後鉄道宮福線)が乗り入れるまで
長らく東西に走る宮津線の駅でした。
丹鉄宮福線b63
駅舎前の駅前広場です。舗装されたのみの広場ですが、
まわりを囲む建物が半円形に配置されて車寄せを形作っており、
駅前の五差路と併せてロータリー状となっています。
丹鉄宮福線b64
駅舎の中へと入って改札付近の様子です。
京都丹後鉄道直営の有人駅であり、丹鉄の3つの路線が交わるターミナル駅でもあります。
ですので有人窓口があり改札も有人となっています。
丹鉄宮福線b65
駅舎と接している駅の一番西側にある3番線ホームの様子です。
こちらのホームは丹鉄の宮舞線のホームで西舞鶴方面の列車が発着をしています。
丹鉄宮福線b66
3番線ホームから跨線橋へ。
丹鉄宮福線b67
跨線橋から見た駅構内の様子です。
丹鉄宮福線b68
橋の構内図を見ると分かりますが、この跨線橋は
宮津駅の3つのホームを連絡しています。
丹鉄宮福線b69
跨線橋の中ほどの階段を下って駅中央のホームへ。
丹鉄宮福線b71
こちらが駅中ほどの島式ホームの1、2番線です。
西側の駅本屋に近い2番線は豊岡方面とを結ぶ宮豊線の発着するホームとなります。
そして東側の1番線はその構造上、宮福線、宮舞線、宮豊線の全ての路線の列車が入線します。
丹鉄宮福線b72
ホーム北側の西舞鶴方の光景です。
宮舞線は1~3番線へと入線が可能であることが分かります。
丹鉄宮福線b73
切り返してホーム中央方向へ。
丹鉄宮福線b75
跨線橋の階段前には宮福線への乗り換え案内があって
1番線と4番線から発着する旨が記されています。
丹鉄宮福線b74
ホームの南側の光景です。跨線橋の裏手は1番線側はフェンスが立てられていて
2番線側のみが延ばされています。線路は左側が福知山方面への宮福線、
右手が豊岡方面への宮豊線となっています。
丹鉄宮福線b76
跨線橋の裏手の光景。
丹鉄宮福線b77
階段を上って跨線橋の上へと戻ります。
丹鉄宮福線b78
跨線上の分岐を今度は奥へと進むと4番線への案内表示があります。
この部分の跨線橋は駅構内と駅の外の自由通路とが共用になっており、
ご覧の通りフェンスで中央が仕切られて使われています。
丹鉄宮福線b79
共用部分の通路を進んで4番線へ。
丹鉄宮福線b80
階段を下るとホームの駅舎入口前付近へと出ます。

丹鉄宮福線b81
こちらが4番線ホームの様子です。
宮福線が専用で使用している単式ホームで、当駅始発列車が使うホームです。
特急列車や直通列車などは1番線を使用する事となります。
丹鉄宮福線b82
ホーム北端の先は線路に車止めが設けられており
西舞鶴方面とは接続をしていません。
丹鉄宮福線b83
4番線は他のホームよりも有効長が短くなっています。
これはこのホームが元々は宮福鉄道の宮津乗り入れ時に作られたもので
他のホームは国鉄宮津線の駅であったという事情によるものです。

国鉄形の2面3線の駅に私鉄の単式ホームが加わっていると考えると
この宮津駅の独特の形状にも合点がいきます。
丹鉄宮福線b84
4番線ホームから南西側駅舎への入口。
丹鉄宮福線b85
駅舎内の様子です。こちらは1988年(昭和63年)7月の宮福鉄道乗り入れ時に作られた駅舎で
有人窓口の跡もそのまま残されています。駅舎内は無人となっており
自動券売機があるのみとなっています。
丹鉄宮福線b86
駅舎の外側は階段とバリアフリーのスロープが。
丹鉄宮福線b87
南東側駅舎の外観です。
丹鉄宮福線b88
駅舎前には三角形の駅前広場がありますが、周囲を住宅地と用水路に囲まれ
車も停められているのでさほど広くは感じられません。
丹鉄宮福線b89
広場北側にはご覧の道路があって住宅地へと続いています。
車で駅前広場へ来るにはこちらからのみとなります。
丹鉄宮福線b90
駅舎北側に置かれている宮福鉄道の開通記念の石碑。
元々こちらが宮福鉄道(現・京都丹後鉄道宮福線)の駅舎でしたので
石碑もこの場所に置かれています。
丹鉄宮福線b91
駅前広場の南側には用水路を渡る小さな橋があり、
歩行者はこちら側からも住宅地へと抜ける事が可能です。
丹鉄宮福線b92
南側の橋付近の様子。



京都丹後鉄道の宮福線については以上で全駅となります。
駅メモでは北近畿タンゴ鉄道宮福線も路線が登録されており全駅が重複しています。
また大江駅より南側では廃線の北丹鉄道もほぼ併走状態で登録されています。

こうした状況を考え、また福知山付近の鉄道の本数や接続などを考えた場合、
鉄道で攻略するなら素直に乗って取るのが一番楽なのではないかと思います。
JRから直通乗り入れの特急列車も走っていますので
特急券が買えるのであれ攻略は格段に楽になるでしょう。


では。

【写真撮影:2020年7月】

丹鉄宮福線03

お次は京都北部を走る京都丹後鉄道の宮福線についてです。


天橋立で有名な京都の宮津と福知山とを結ぶ鉄道の計画は
明治の時代からいくつも計画されましたがその度に頓挫をしていました。

駅メモに収録されている北丹鉄道が1923年(大正12年)に
河守駅(現在の大江駅付近)まで開業しましたが、河守から宮津までは延伸すること無く
1971年(昭和46年)に路線自体が廃止となっています。

1953年(昭和28年)に鉄道敷設法に追記がされて河守駅━宮津駅間が
国の計画路線となり1966年(昭和41年)に着工していましたが、
北丹鉄道の廃止によって1975年(昭和50年)に河守駅━福知山駅間が建設予定線として追加。
鉄道建設公団によって建設が進められるも、今度は1980年(昭和55年)に
国鉄再建法の施行によってまたしても工事は中断されてしまいます。

そして鉄建公団の工事は第三セクターが引き継ぐ事となり
1988年(昭和63年)に宮福鉄道としてようやく福知山駅━宮津駅間が開業となりました。

翌年の1989年(平成元年)に北近畿タンゴ鉄道と名前を変えて運営された宮福線は
モータリゼーションや少子高齢化などの影響で慢性的に赤字で、
このままでは運営が立ち行かない事から上下分離による鉄道運営会社を公募。
2015年(平成27年)より高速バス事業で有名なWILLER ALLIANCEに
第二種鉄道事業者の権利を譲渡し、WILLER TRAINS(京都丹後鉄道)となって現在へと至っています。


丹鉄宮福線01
こちらはJR西日本の山陰本線と福知山線が停まる福知山駅の北口の外観です。
駅は1904年(明治37年)11月に官設鉄道の駅として開設されたもので
1912年(明治45年)には山陰本線の駅となり、複数の国鉄線や民間鉄道が乗り入れる
京都北部のターミナル駅として発展をしてきました。
丹鉄宮福線05
ながらく地上駅で福知山の中心市街地がひろがる北口がメインの出入口でしたが、
は2005年(平成17年)にJRの駅舎と線路が高架化されて駅周辺も整備がされています。
丹鉄宮福線04
北口広場に面して建つJR西日本福知山支社の建物。
丹鉄宮福線02
駅舎の中へと入ると中は南北に通じるコンコースとなっています。
丹鉄宮福線13
コンコース中央付近にある福知山城の天守の鯱(しゃちほこ)
丹鉄宮福線14
その鯱の正面付近にJRの改札口があります。
丹鉄宮福線15
こちらは福知山駅の見取図ですが、北側の駅舎出入口の脇に
京都丹後鉄道の改札への専用連絡階段が設けられています。
丹鉄宮福線06
その京都丹後鉄道改札への専用階段。
丹鉄宮福線07
階段の先は改札までの連絡通路となっています。
丹鉄宮福線08
京都丹後鉄道福知山駅の改札付近。
丹鉄宮福線09
改札内へと入ると右手へと通路が延びており、
ホームへと上がる階段へと通じています。
丹鉄宮福線10
こちらがホームの様子です。京都丹後鉄道の福知山駅は島式1面2線となっています。
ホーム東側に階段があり、列車はホーム西寄りへ停車をしますので
東側の両脇はフェンスが設けられています。
丹鉄宮福線11
福知山駅付近連続立体交差事業によってJR側が高架化されたのは2005年(平成17年)ですが、
当時の北近畿タンゴ鉄道側はJR側が完工した後の2006年(平成18年)から着工し
2009年(平成21年)に高架化が完成しています。
丹鉄宮福線12
東側の階段の裏手にもホームが続いており、
待合室がホーム東端に設けられています。


丹鉄宮福線16
福知山駅の北口ロータリーに接した駅前交差点からは
西へと府道523号福知山停車場篠尾線という府道が伸びています。
「花水木通り」という名前の付いた府道は1kmほどで南西へと反れますが、
花水木通りは市道となって北西に続いています。
駅からは1.5km、府道から分かれて500mほどのご覧のガソリンスタンド付近が
次の宮福線の駅への入り口となります。
丹鉄宮福線17
ガソリンスタンドの交差点から南西へと入ると80mほどで
宮福線の踏切に差し掛かります。
丹鉄宮福線18
踏切手前の南側は地蔵ヶ端公園という公園が線路沿いにあります。
丹鉄宮福線30
西側から見た駅脇にあるJR西日本の本庄踏切。
丹鉄宮福線31
踏切から南を見ると駅のホームが間近に見えます。
丹鉄宮福線19
そして公園と踏切脇の線路との間が駅への入口となります。
丹鉄宮福線32
この入口の公園側の植え込みに置かれている「宮福線開通記念碑」。
日に日付を見ると駅設置時に一緒に作られたものの様です。
丹鉄宮福線20
こちらが福知山市民病院口駅の駅外観です。
1988年(昭和63年)7月の宮福線開業時に厚中問屋駅として設置された駅で、
WILLER TRAINSへと移管された2015年(平成27年)に現在の駅名となっています。
丹鉄宮福線21
ホームへの階段の脇に設けられ駅のた駐輪場。
丹鉄宮福線22
こちらがホームへと上がる駅の階段です。
丹鉄宮福線29
ホーム側から見た階段上の光景。きっぷの回収箱が設けられています。
丹鉄宮福線23
そしてこちらがホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線駅で駅舎は無く無人駅となります。
丹鉄宮福線24
階段脇南側に設けられた待合室。
丹鉄宮福線25
ホームからは線路が2線見えてまるで列車交換のある複線の様に見えますが、
向こう側の線路はJR西日本の山陰本線の線路であり、
ホーム側の京都丹後鉄道とは別会社線となります。
丹鉄宮福線26
南東側のホームにはご覧の階段があります。
丹鉄宮福線27
ご覧の通り階段からは公園の南側に設けられた通路から道路へと出る事ができます。
丹鉄宮福線28
切り返して見たホームの様子。
丹鉄宮福線33
福知山市では宮福線の福知山市内の駅について2015年(平成27年)に駅愛称をつけており、
こちらの駅は旧駅名である「厚中問屋駅」の愛称となっています。
旧駅名の由来である厚中問屋町は1975年(昭和50年)に行われた区画整理で新しくできた地名ですが
名前の通り多数の卸売業者が軒を連ねている街となっています。


丹鉄宮福線34
こちらは福知山市内を流れる由良川の支流の弘法川左岸を併走する市道の光景です。
福知山市民病院口駅からJR山陰本線と併走のまま北上した宮福線は
1.5kmほどで次の駅となりますが、こちらは東側から見たその駅への入口となります。
丹鉄宮福線35
切り返して西側から見た駅入口のT字路。
丹鉄宮福線39
ご覧の通り駅への入口である事を示す案内標識が南側への道を示しています。
丹鉄宮福線36
駅への標識に従って南側へと分岐している道へ。
丹鉄宮福線37
ゆるやかなカーブを描く道を進むと
240mほどで宮福線の跨道橋が見えてきます。
丹鉄宮福線38
その跨道橋の真上にあるのが荒河かしの木台駅のホームとなります。
1988年(昭和63年)7月の宮福線開業で設置された駅で
駅の西側一帯には「かしの木台」の地名の新興住宅地が広がっています。
丹鉄宮福線40
跨道橋の東側には小さな三角形の駅前広場があり、
駅前の道から築堤上の駅へと上がる階段が設けられています。
丹鉄宮福線41
階段を昇って進むとご覧の通路があり、
上り線ホームと下り線ホームそれぞれへと連絡をしています。
丹鉄宮福線42
こちらは手前の上り線福知山方面行きホームへの通路です。
鉄建公団建設線の建設当時はバリアフリーの概念が無かったので
高架線へとひたすら階段を昇る事となります。
丹鉄宮福線43
階段上からもホームまでは平面での連絡通路が。
丹鉄宮福線44
ホームの様子です。駅は相対式2面2線の駅となっており
北東側のこちらは下り線福知山方面行きの2番線ホームとなります。
丹鉄宮福線45
昭和末期に作られたホームはコンクリート製のしっかりした造りですが
駅舎は無く待合室が置かれているのみとなっています。
丹鉄宮福線46
こちらが待合室の様子で、ガラス張りの見通しのいい部屋に
プラスティック製のベンチが設置されています。
丹鉄宮福線47
ホームへの入口は南東部の端の一ヶ所のみで
駅自体の出入口も先ほどの跨道橋脇の階段のみとなっています。

丹鉄宮福線48
こちらは築堤の線路下を通る連絡通路です。
駅入口の階段と1番線、2番線ホームとを連絡しています。
奥へと進んで階段を上がると1番線ホームがあります。
丹鉄宮福線49
階段上の様子です。こちらは昇ってすぐにホームとなります。
丹鉄宮福線50
南西側の上り宮津方面行きの1番線ホームです。
丹鉄宮福線51
こちらのホームも待合室がホーム上にありますが、
ご覧の通り半分はベンチが外にありもう半分がガラスに囲まれた室内となっています。
丹鉄宮福線52
ホーム上は待合室の他には構造物は無く、鉄建公団建設線らしい無機質なイメージです。
併走してきたJR山陰本線はこの1番線の西側を走っており、
この駅の北西付近から西へと分かれて行きます。
丹鉄宮福線53
単線の第三セクター線ですがJRの特急列車が乗り入れており
駅の通過列車が設定されています。
丹鉄宮福線56
またこの駅も福知山市内の駅ですので2015年(平成27年)に駅愛称が付けられています。
愛称は「かしの木駅」で、駅西側に造成されているニュータウンの名前が由来と思われます。
丹鉄宮福線54
連絡通路を戻って駅前へ。
丹鉄宮福線55
駅前広場から駅下の跨道橋へと進みます。
丹鉄宮福線57
ガードをくぐった西側に出るとかしの木台ニュータウンの南端付近へと通じています。
人口1500人ほどの新興住宅地は駅設置の少し前に造成されたニュータウンで
ここに駅が設置された理由でもあります。


丹鉄宮福線58
こちらは兵庫の明石と京都の舞鶴とを連絡する国道175号線です。
福知山市内で国道9号線との重用区間となっていますが、
由良川支流の牧川を渡った北側で再び単独区間となっています。
単独区間となってすぐが写真の光景ですが、
こちらに次の駅への入口となる道路が分かれています。
丹鉄宮福線59
駅への道を南東へと入るとすぐにご覧の分岐路がありますが、
その正面左手に駅前の広場が設けられています。
丹鉄宮福線60
こちらが駅前広場です。
舗装された駐車場となっており、周囲の歩道部に自転車置き場が置かれています。
丹鉄宮福線61
広場から東側の築堤上に見えるこちらが牧駅の駅の外観です。
この駅も1988年(昭和63年)7月の宮福線開業時に置かれました。
丹鉄宮福線62
駐輪場の脇から駅の階段へ。
丹鉄宮福線63
築堤の西側に併走する小路があり、駅の入口となるご覧の階段があります。
丹鉄宮福線64
ホームへと上がる階段。エレベーター等は無く上に行く手段は階段のみです。
丹鉄宮福線65
上から見た階段前の俯瞰。
丹鉄宮福線66
こちらが1番線の下り宮津方面行きホームの様子です。
駅は相対式2面2線となっていますが築堤上にホームを連絡する手段は無く、
反対側のホームへは一旦地上へと降りて反対側へとまわらなければ行けません。
丹鉄宮福線67
1番線ホームは駅の西側に位置しています。
中央部付近には待合室の建屋が置かれています。
丹鉄宮福線68
切り返して北側から南の福知山方面の光景。
丹鉄宮福線69
ホーム上の待合室の中の様子です。
丹鉄宮福線71
この駅も福知山市内にあり愛称が付けられており、
駅南側400mほどを流れる由良川支流の牧川がサケの遡上で知られる事から
「サケの遡上駅」の愛称となっています。
丹鉄宮福線70
ホームと地上を連絡する階段を上から。

丹鉄宮福線72
地上へと戻り、築堤脇の道を南へと下ると
ちょうどホーム端の下付近に線路をくぐるガードがあります。
丹鉄宮福線73
ガードをくぐって駅の東側へと進むと目の前に
もう一つの駅前広場が現れます。
丹鉄宮福線74
広場と築堤の間には東側にも側道があり、ホームに上がる階段が連絡しています。
丹鉄宮福線75
東側ホームへと上る階段。
丹鉄宮福線76
こちらが東側の福知山方面行き上り2番線ホームです。
丹鉄宮福線77
2番線ホームの待合室の中の様子。
丹鉄宮福線79
駅の北側の宮津方には下天津トンネルが見えます。
この付近には駅メモにも収録されている北丹鉄道の廃線跡が併走していますが、
河川敷をも走った北丹鉄道に対して鉄建公団建設線の宮福線は高規格に作られており
トンネルや高架線で線形も良好です。
丹鉄宮福線78
ホームを後にして地上へと階段を下ります。
丹鉄宮福線80
地上に降りて築堤脇の東側の側道を北へと進みます。
丹鉄宮福線81
北側のホーム端下にもご覧のガードがあって駅の東西を行き来でき、
西へと抜けると駅前広場が目の前に現れます。


丹鉄宮福線82
こちらは牧駅の北側を走っていた国道175号線を北に2.5kmほど進んだ付近の光景です。
由良川の左岸を併走する国道のこのT字交差点が次の駅への入口です。
丹鉄宮福線83
切り返して北側から見た交差点付近。
丹鉄宮福線84
この駅入口のT字交差点は、東側の河川敷側がかつての北丹鉄道の下天津駅のあった場所です。
戦時中にはこの駅から由良川の砂利を採取運搬していたという駅跡は
駅メモの廃線にも収録されてこの交差点が廃駅の座標となっています。
丹鉄宮福線97
こちらが京都丹後鉄道の下天津駅と北丹鉄道の下天津駅との位置関係です。
国道と宮福線は200mほどの距離で併走していますので
駅メモ上で2つの駅の座標は非常に近い事が分かります。
丹鉄宮福線85
駅を案内する標識に従って西へ道なりに200mほど進むと
宮福線の高架に差し掛かります。
丹鉄宮福線86
ガードをくぐってすぐのT字路を標識に従って北へと進むと
高架脇の側道の先に駅の入口があります。
丹鉄宮福線87
こちらが下天津駅の駅入口の様子です。
1988年(昭和63年)7月の宮福線開業でこの駅も設置がされました。
ご覧の通り高架橋に設置された高架駅で階段でホームへと上がります。
丹鉄宮福線88
インターロッキングとなっている階段前のすぐ脇には
小さな三角形の公園スペースがあります。
丹鉄宮福線89
その公園の北側奥にはご覧の舗装がされた
駅駐車場が設けられています。
丹鉄宮福線90
階段を上がって駅のホームへ。
ホームに入る入口はこの階段のみとなっています。
丹鉄宮福線91
こちらがホームの様子です。単式ホーム1面1線の駅で交換設備はありません。
無人駅であり、駅北側の宮津方はすぐにトンネルとなっています。
丹鉄宮福線92
切り返して福知山方面を見た光景。ホーム上には待合室があるのみです。
丹鉄宮福線93
ホームには名所案内板もありますが、一番近い場所でも30kmとあり
田舎ならではのなかなかの力強さを感じます。
丹鉄宮福線94
駅南側の福知山方にもトンネルがあるのが見え、
この駅はトンネルに挟まれた場所に作られた駅である事が分かります。
丹鉄宮福線96
駅から国道175号線(宮津街道)や由良川のある東側を見た俯瞰。
丹鉄宮福線95
この駅も福知山市内で駅愛称があり、駅の西側にある瘤木地区にある
旧山陰道の花並峠を由来とする「はななみ峠駅」となっています。


丹鉄宮福線98
下天津駅から引き続き、宮福線と併走をしている国道175号線を
2.3kmほど北上するとご覧の付近となります。
丹鉄宮福線99
国道の西側に商店がありますが、この商店の向かい側付近が
かつての北丹鉄道の公庄駅の駅跡であり、
駅メモでの北丹鉄道公庄駅(廃駅)の座標もここにあります
丹鉄宮福線a02
かつての駅前商店。現在の宮福線の駅もさほど離れてはいない
この店がかつての駅跡の目印となります。
丹鉄宮福線a01
その駅跡と商店から100mほど北に進むと現在の宮福線の
駅のロータリーが東側に現れます。
丹鉄宮福線a03
切り返して北側から見た駅前広場付近。
丹鉄宮福線a04
国道に面した駅前広場の様子です。舗装されたロータリーとなっていて
数台の車を停める駐車スペースも置かれています。
丹鉄宮福線a05
そして広場東側のこちらが公庄駅の駅の外観となります。
1988年(昭和63年)7月の宮福線開通で設置されたのは他の駅と同様です。
丹鉄宮福線a06
広場からホームへと上がる階段。
丹鉄宮福線a07
こちらが駅のホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となっています。
丹鉄宮福線a12
ホームから見た駅東側は堤防があり、その向こうは由良川の河川敷となっています。
丹鉄宮福線a08
この駅もホームの中央に待合室がある駅で、駅舎はありません。
丹鉄宮福線a09
川に面しているためホームからの景観は開けています。
丹鉄宮福線a10
待合室の中の様子。プラスティック製ベンチが置かれた
他の駅と同様の形式の室内となっています。
丹鉄宮福線a13
福知山市内にある駅で駅愛称がこの駅にも付けられており、
このあたりに由良川を渡る渡船場があった事が由来なのだそうです。
丹鉄宮福線a11
ホームから駅前へと下る階段の様子。
階段正面にはバス停が置かれています。


丹鉄宮福線a14
こちらは国道175号線(宮津街道)の河守交差点付近の様子です。
公庄駅から2.5kmほど北上した付近のこちらが次の駅への入口となりますが、
この区間は廃線の北丹鉄道の路盤が現在の宮福線の線路に
多くが転用されている区間でもあります。
丹鉄宮福線a15
そしてこの河守交差点の北東角の、現在は「駅前商店街」となっている敷地が
かつての北丹鉄道の終着駅である河守駅の駅跡となります。
丹鉄宮福線a16
一列に建物が並ぶいかにも鉄道跡地といったこの場所に
駅メモの廃線の北丹鉄道河守駅の座標も置かれています。
丹鉄宮福線a17
河守交差点の東側の道は府道493号西坂蓼原線という府道ですが
交差点から50m程進んだ左手に大江山鬼瓦公園があります。
丹鉄宮福線a21
公園西側の道路はインターロッキング舗装がされて
景観が公園と揃えられて整備されています。
丹鉄宮福線a18
ここ大江の地は「御伽草子」にも収録された酒呑童子伝説などで知られる
鬼の本拠地である大江山のある地です。この鬼瓦公園に
は三州、淡路、石州といった全国有数の瓦産地の職人が作った鬼瓦が集められています。
丹鉄宮福線a19
公園の中央を東西に貫く、全国各地の鬼瓦72個が載った「屋根付き鬼の回廊」。
丹鉄宮福線a20
回廊の横に連なる鬼瓦の載った柱が並ぶ「鬼面柱の回廊」。
丹鉄宮福線a22
そして鬼瓦公園の南東角には、
府道に面してロータリーと車寄せが作られています。
丹鉄宮福線a23
ロータリーの東側に面して横長の建物があり、福知山市商工会と
大江町地域振興会館が入居をしています。
丹鉄宮福線a24
そしてこの地域振興会館の建物の北側にはご覧の通り
宮福線の大江駅駅舎が入居をしています。
丹鉄宮福線a25
こちらが駅舎部分の外観です。簡易委託ながら宮福線途中駅唯一の有人駅であり、
1988年(昭和63年)7月の宮福線開業で設置された駅は合築駅舎となっています。
丹鉄宮福線a26
駅舎の入口脇に置かれた宮福線開通の記念碑。
丹鉄宮福線a27
駅入口の北隣にはご覧の建物が隣接していますが、
こちらは福知山市役所の大江支所の建物となります。
元は大江町役場の建物でしたが、大江町が2006年(平成18年)に
福知山市へ編入された為、以後は支所として市民サービスを行っています。
丹鉄宮福線a28
駅舎の中の様子です。
中はコンコース状となっており天井は二階まで吹きぬけています。
市の施設との合築の建物なので南側への階段や通路がつながっています。
丹鉄宮福線a29
改札付近の光景です。
簡易委託駅なので営業時間内には券売窓口が開いています。
丹鉄宮福線a30
ホーム側の改札口脇にはご覧の夜間通路があります。
駅舎の営業時間が終わった後はこちらの通路からホームへと入る事になります。
丹鉄宮福線a31
ホームへと連絡している通路。築堤上にあるホームへ
線路の下をくぐって階段で上る事となります。
丹鉄宮福線a32
駅ホームの様子です。島式ホーム1面2線となっています。
JR乗り入れの特急列車を含む全ての列車が停車する駅となります。
丹鉄宮福線a33
駅の西側は大江山の山が連なっていますが
東側は由良川とその支流の宮川が流れており田んぼが広がっています。
丹鉄宮福線a34
駅東側の府道沿いにはご覧の駐車場が設けられており
かなりの台数の駐車が可能となっています。
丹鉄宮福線a35
宮福線は1996年(平成8年)3月に全線が電化されており、
併せてJR乗り入れの特急電車の運行が始まりました。
その際に大江駅も一線スルーに改修がされ、西の1番線が上下副本線、
東側の2番線が上下本線となっています。
丹鉄宮福線a36
ホームの中ほどの待合室の様子。
丹鉄宮福線a37
本線と副本線にホームが分けられてはいますが、
基本的に全列車が停車するので、実際の運行では
上下線を方向別に発着を分けて運用がされています。
丹鉄宮福線a38
大江駅も福知山市内にある駅なので駅愛称がつけられています。
他の駅はホーム上に愛称の看板があるのですが、この駅は駅入口に掲げられています。
愛称は「酒呑童子駅」で、鬼の代名詞として古今数々の物語に登場する象徴的存在の
本拠地がここであることをアピールしています。



京都丹後鉄道の宮福線について、ちょうど半分までが終わりました。
残りの北半分についてはその2へと続きたいと思います。

では。


【写真撮影:2020年7月】

宗谷本線03_a75
ながらく続けてきた宗谷本線の記事の続編です。


その1(旭川駅━比布駅)はこちら
その2(比布駅━士別駅)はこちら
その3(士別駅━名寄駅)はこちら
その4(名寄駅━美深駅)はこちら
その5(美深駅━音威子府深駅)はこちら
その6(音威子府駅━雄信内駅)はこちら
その7(雄信内駅━豊富駅)はこちら



宗谷本線03_41
こちらは国道40号線を豊富駅から北西に4.8kmほど進んだ豊富町字徳満付近の光景です。
サロベツ原野の中を進む国道にご覧の横断歩道がある箇所があります。
宗谷本線03_42
横断歩道の東側には横道が分岐しており、その周辺に
数軒の民家と「徳満会館」と書かれた集会場があります。
宗谷本線03_43
横断歩道の先の北側を見ると120mほど先で道道923号メナシベツ豊富線が
国道から分岐をしているT字の交差点が見えます。
宗谷本線03_44
切り返して北から見た横断歩道付近。
左手の集落側の道へ「宮の台展望台」の標識がありますが、
反対側の国道西側を指して駅を示す標識があります。
宗谷本線03_45
標識の示す先には国道から入れる脇道が。
20mほどの取り付け道路の先のつきあたりに駅があります。
宗谷本線03_46
駅前のスペースは舗装が多少広くなっており、その奥にホームがあります。
宗谷本線03_47
こちらが徳満駅の待合室の外観です。駅は1926年(大正15年)9月25日に
鉄道省天塩線の延伸により途中駅として開業したものです。
※註:2021年3月13日のダイヤ改正で駅は廃止。
壁には木製の駅名標がありますが、文字がかすれてほとんど読めなくなっています。
宗谷本線03_49
待合室に掲げられていた木造時代の徳満駅の駅舎です。
かつては相対式2面2線の駅だったそうですが1984年(昭和59年)に無人化され
交換設備が撤去されて単式1面の棒線駅となりました。
木造駅舎は2000年(平成12年)7月に撤去されてプレハブ待合室となっています。
宗谷本線03_48
こちらが待合室の中の様子です。
4人掛けの椅子で部屋がいっぱいになる広さですが
窓にはカーテンがあるなど定期的に手入れがされている様子です。
宗谷本線03_50
他の宗谷本線の駅では解体された駅舎の基礎がそのまま残っている例が多いですが、
この駅は綺麗に基礎が撤去されて砂利敷きになっています。
宗谷本線03_51
ホームの様子です。土盛りホームの単式ホームです。
宗谷本線03_52
線路の反対側はかつての反対側ホームのあった場所となります。
写真左手のホームの先には駅の貨物ヤードがあったのだそうですが
完全に藪の中となっておりその痕跡は見当たりません。
宗谷本線03_53
南東の旭川・名寄方から見たホームの様子。


宗谷本線03_54
こちらは道道1118号兜沼停車場線の光景です。
国道40号線と駅とを連絡している道路ですが、
ご覧の付近は国道からおよそ3.5kmほどの場所となります。
宗谷本線03_55
兜沼の集落の差し掛かったこの場所の道路東側を見ると
ご覧の兜沼郷土資料室の建物があります。
宗谷本線03_56
この資料室は兜沼郵便局の旧局舎だった建物で、
敷地内には「開拓の碑」や「豊富町発祥の碑」が置かれています。
なんでも豊富町の開拓は1902年(明治35年)に
この兜沼の地の入植からはじまったそうで、
「発祥の碑」は2002年(平成14年)に作られました。
宗谷本線03_57
資料館の隣に建っている現在の兜沼郵便局の局舎。
宗谷本線03_58
この郵便局や資料館の北側の道道沿いが兜沼の集落の中心地となります。
2015年(平成27年)の国勢調査では豊富町字兜沼の世帯数は48戸、
人口は93名とありますのでこの付近の宗谷本線沿線では比較的大きな集落であると言えます。
宗谷本線03_59
切り返して道道1118号兜沼停車場線を南方向へと戻り
資料館の前のT字路を西側へと入ります。
宗谷本線03_60
道は70mほどでつきあたってこちらもT字路となります。
宗谷本線03_61
つきあたりのT字路から切り返して資料館方面の光景。
宗谷本線03_62
西側のT字路から北方向を見た光景です。
道道1118号兜沼停車場線は地図に描いた通り兜沼の集落で
コの字にUターンをして南へと戻ってきていますので
この集落の道も道道1118号線となります。
宗谷本線03_63
そしてこちらのT字路を南へと進むと60mほどで
駅舎とホームがつきあたりに見えてきます。
宗谷本線03_64
駅前の広場は舗装がされたスペースで袋小路ながらある程度の広さがあります。
宗谷本線03_65
広場の入口付近にある兜沼公園への案内図。
宗谷本線03_66
集落方向へと少し戻ると道の脇に道道1118号兜沼停車場線の
起点であることを示す標識が立てられています。
宗谷本線03_67
広場へと戻りこちらが兜沼駅の駅舎の外観です。
1924年(大正13年)6月25日に鉄道省天塩北線の開通によって開業しました。
元々は木造駅舎が建てられていましたが、1984年(昭和59年)に駅が無人化され
駅舎は1988年(昭和63年)に現在の待合室のみのものに建て替えられています。
宗谷本線03_68
中の様子です。コンクリート土間の床に
プラスティックのベンチが置かれたのみのものとなっています。
宗谷本線03_69
ホーム側から見た駅舎です。
壁にはサイディングが貼られ屋根はトタン吹きの様です。
宗谷本線03_70
ホームの様子です。駅は相対式2面2線となっています。
駅舎のあるこちらの北側が1番線ホームで上りの旭川方面行きとなります。
宗谷本線03_78
旭川方のホーム東端の先を見ると側線が分かれており
除雪作業車が留置されていました。
宗谷本線03_71
土盛りのホームはこちらの1番線の方が有効長が長めに作られています。
この駅も駅舎が改築されたせいか、宗谷本線でよく見る旧駅舎の基礎は残っていませんでした。
宗谷本線03_72
沼が近いというのもあるのでしょうが駅周辺は基本的に平らな光景です。
昔は林業や鉱業なども栄えていたそうですが、今では酪農と観光がメインなのだそうです。
宗谷本線03_73
ホーム西端の稚内方にある構内踏切。
線路の部分のみ板張りの簡素な作りとなっています。
宗谷本線03_74
2番線ホームは1番線より有効長が短く、踏切から5mほど距離があるので
スロープまではコンクリート平板が敷かれて通路が作られていました。
宗谷本線03_75
こちらが駅の南側の2番線ホームです。
稚内方面行きの下り線ホームとなります。
宗谷本線03_76
かつてはこちらの2番線は島式になっていて、南の沼側に副本線の線路があったそうですが
無人化後に撤去されており今では空いた土地にその名残りを見るのみです。
宗谷本線03_77
この2番線ホームにある名所案内板には兜沼が書かれていますが、
2番線ホームから南に200mほどに兜沼があるのでホームからも
沼の端を見ることができます。


宗谷本線03_79
こちらは道道510号抜海兜沼停車場線の稚内市抜海村字上勇知付近の光景です。
宗谷本線03_81
横断歩道のある交差点の、道道の北側に勇知郵便局、南側に商店がありますが
こちらの十字路が駅への入口となっています。
宗谷本線03_80
交差点から切り返して南東側の兜沼方面を見た光景。
隣の兜沼駅の駅前から始まる道道は北へと進路を取り
およそ6kmほど進むとこちらの勇知の集落へと差しかかかります。
宗谷本線03_82
交差点から北西側へは道道510号線が続いており、
丘陵地の牧草地帯を抜け7.8kmほど先で隣の抜海駅へと通じています。
宗谷本線03_83
交差点の北側は生活道路が分岐しており、郵便局の向かいには
稚内警察署の勇知駐在所があります。
宗谷本線03_84
駐在所の先は交差点から80mほどでつきあたっていて
嶺南寺という曹洞宗のお寺がありました。
宗谷本線03_85
切り返して駐在所のある道道の交差点へと戻ります。
宗谷本線03_86
そしてこの交差点を南へと入ると70mほどで宗谷本線の駅があります。
宗谷本線03_87
駅前広場に面して建つ、市立稚内病院上勇知診療所の建物。
診療科目は内科のみで隔週木曜のみ開院している様です。
宗谷本線03_88
診療場の向かいに広がる駅前広場の敷地。
駅舎の正面は舗装されていますが 脇の部分は砂利敷きの広場となっています。
宗谷本線03_89
こちらが勇知駅の駅舎の外観です。
駅は1924年(大正13年)6月25日に鉄道省天塩北線の開通によって開業しました。
この駅も開業時には木造駅舎が建てられていましたが
1984年(昭和59年)の無人化に伴って駅舎は解体されており、
代わりに貨車駅舎となって現在に至ります。
宗谷本線03_90
駅舎の中の様子です。ヨ3500車掌車を改造したいわゆるダルマ駅なので
中はご覧の通りベンチが置かれるのみとなっています。
この駅もベンチには座布団が置かれ背もたれにカバーまで掛けられるなど
定期的に手入れがされている様子が伺えます。
宗谷本線03_91
ホーム側から見た駅舎です。貨車駅舎となった当初はそのままの車体の駅でしたが、
2014年(平成26年)にリニューアル工事が行われて
外壁には鋼製サイディングが貼られてご覧のメタリックな外観となりました。
宗谷本線03_95
駅舎の東側にはかつての木造駅舎時代の基礎跡が残っていますが
現在では植木鉢が並べられて花壇となっています。
宗谷本線03_92
こちらが駅のホームの様子です。単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
かつては相対式2面2線でしたが合理化によって交換設備は撤去されています。
宗谷本線03_93
ホームは土盛り砂利敷きのもので、線路反対側には
かつてのホーム跡の敷地が残っています。駅周辺は高い山は無いものの
丘陵地に囲まれており小高い丘が連なっています。
宗谷本線03_94
南東の旭川方から見た駅ホームの様子。


宗谷本線03_96
こちらは道道510号抜海兜沼停車場線の北の終端に近いカーブ付近の光景です。
隣の勇知駅から宗谷本線とおよを8kmあまりを併走してきた道道は、
ご覧の分岐のT字路で南端の兜沼駅前からはおよそ13kmの距離にあたります。
宗谷本線03_97
切り返して見たT字路付近。
日本海沿岸を走る北海道道106号稚内天塩線との合流点からは
およそ700mほど東に入ったこのT字路が次の駅への入口です。
宗谷本線03_98
枝分かれした道路を奥へと進みます。
宗谷本線03_99
道道からおよそ140mほど入ると正面に宗谷本線の駅が現れます。
宗谷本線03_a01
こちらが抜海駅の駅舎の外観です。
1924年(大正13年)6月25日の鉄道省天塩北線の開通で設置された駅の一つです。
駅舎は開業時の木造駅舎が現在も使われていますが都度修繕が行われおり、
外壁の一部がサイディング張りになるなど随所に補修の後が見られます。
宗谷本線03_a02
建物の中の様子です。駅舎入口には風除室が設けられています。
有人時代からの駅舎の為、待合室は広めに作られています。
床はコンクリート土間で内装はほぼ木製となっています。
宗谷本線03_a03
ホーム側には木製ラッチの改札口の先にご覧の雪切室が設けられています。
抜海駅付近は地吹雪の名所なので出入口はどちらも二重構造となっています。
宗谷本線03_a04
駅舎のホーム側の出入口付近の様子です。
扉横の縦長の駅名標は文字に貝殻を貼り付けて作られています。
宗谷本線03_a05
こちらがホームの様子となります。相対式2面2線の駅となっており、
駅舎のある西側が1番線の下り線稚内方面行きホームとなります。
宗谷本線03_a06
土盛りのホーム上には上屋などは無く、駅舎と必要な鉄道設備以外は
ホームのみとなっているのは恐らく過酷な冬期の環境故でしょうか。
宗谷本線03_a07
南端の旭川方には駅の構内踏切があります。
宗谷本線03_a08
構内踏切は線路部分のみ板張りのもので2つのホームを連絡しています。
宗谷本線03_a09
構内踏切と2番線ホームのスロープを連絡する通路。
コンクリート平板が置かれているのは2つ隣の兜沼駅と同様です。
宗谷本線03_a10
こちらが2番線ホームです。上り線の名寄・旭川方面行きホームとなります。
ホーム上には何も置かれておらず、1番線に比べて有効長も短めとなっています。
宗谷本線03_a11
切り返して稚内方から見た2番線ホーム。


宗谷本線03_a12
こちらは国道40号線の大黒1丁目交差点から南へと伸びる市道です。
宗谷本線と国道40号が併走しており、国道から駅へのアクセス道路として
130mほどの区間が片側2車線に整備されています。
宗谷本線03_a13
切り返して駅側から国道40号方向への駅前道路の光景。
国道を越えた北側は稚内港があり、埠頭の港湾施設が集まっています。
宗谷本線03_a14
アクセス道路の南端の、駅前広場と接する交差点の角に建つ稚内船員会館。
港湾関係者の為の公共宿泊施設ですが一般の宿泊も可能な施設で、
駅前で一番目立つ建物でもあります。
宗谷本線03_a15
広場に面するアクセス道路南端から東の方向を見ると
道がタイル舗装された商店街がおよそ400mにわたって伸びています。
こちらは「南稚内オレンジ商店街」という通りで
飲食店などが並ぶ稚内市最大かつ日本最北端の盛り場となっています。
宗谷本線03_a16
反対側の西側は歩道のみがタイル舗装されており
住宅の並ぶ生活道路といった風情です。
オレンジ通りからこちらの西側の道にかけては一方通行となっており
車両は西に向かってしか進む事ができません。
宗谷本線03_a17
切り返して見るとこの一方通行の道路は
駅前ロータリーと接している事が分かります。
宗谷本線03_a18
こちらは駅前のアクセス道路の正面南側の駅前ロータリー入り口付近です。
宗谷本線03_a19
ロータリーの東側は実は公道の一部であり、
線路沿いの東へと抜ける一方通行路となっています。
宗谷本線03_a20
駅前ロータリーはご覧の通り、駅舎への車寄せ部分と
北側の公道寄りの駐車スペースとなっています。公道と合わせて
ロータリー状となっていますが、出口の道が一方通行なので
出る時には西方向へと一旦抜ける事となります。
宗谷本線03_a21
こちらが南稚内駅の駅舎の外観となります。
1922年(大正11年)11月1日に浜頓別まわりの宗谷本線(後の北見線)の延伸によって
初代の稚内駅として終着駅として開業をしました。

当初の駅は現在地から1kmほど北に設置されていて
頭端式ホームのまさしく終着駅で機関庫も併設されていたそうです。
宗谷本線03_a22
1924年(大正13年)6月に天塩北線(現・宗谷本線)が開業した事で
駅は二つの路線が交わるターミナル駅となります。
その前年には稚内港と樺太とを結ぶ稚泊連絡船が開設されていましたが、
1928年(昭和3年)12月に鉄路が稚内港まで延伸されて
稚内港駅(現・稚内駅)が開設されています。
宗谷本線03_a23
当時の稚内駅(現・南稚内駅)は頭端式ホームだったため、
延伸に際してはスイッチバック形式が取られました。
このスイッチバックは1952年(昭和27年)11月に
駅が現在地へと移転する事で解消されています。
現在の南稚内駅の駅舎は1953年(昭和28年)に建てられたものとなります。

尚、駅名は1939年(昭和14年)2月に稚内駅から現在の南稚内駅へと改称
併せて稚内港駅が稚内駅へと変わっています。
宗谷本線03_a24
こちらは駅舎の入口で、風除室が設けられています。
宗谷本線03_a25
駅舎の中の様子です。
有人駅なのでみどりの窓口を併設した券売窓口があります。
待合室の両側にベンチが設置されており、パンフレットの棚が中央に置かれています。
宗谷本線03_a26
部屋の左手は窓口の正面にあたり、記入用の棚が置かれ
自動券売機も設置されています。
宗谷本線03_a27
こちらは改札付近の様子です。駅員常駐ですが
窓口と出改札業務は日中のみで列車別改札を行っています。
宗谷本線03_a28
ホームの様子です。単式ホームと島式ホームの複合2面2線となっています。
駅舎のある北側のこちらが1番線ホームで上下主本線となり
基本的な列車の発着はこちらのホームで行われています。
宗谷本線03_a29
宗谷本線で交換設備がある北側最後の駅となりますので
この駅から北へは1列車しか進入ができません。
宗谷本線03_a30
特急停車駅であり、稚内の中心市街地はこちらの南稚内駅の周辺となります。
宗谷本線03_a31
ホーム西端の稚内方の光景。
400mほど先には車庫があり特急列車の清掃や整備が行われています。
またホームを連絡する跨線橋もこちら側に設けられています。
宗谷本線03_a32
こちらが跨線橋の中の様子です。
宗谷本線03_a33
駅構内を俯瞰にて。
宗谷本線03_a34
2番線ホームへと下ります。
宗谷本線03_a35
こちらが島式の2番線ホームです。
北側駅舎寄りの線路が2番線として使用されており、
当駅での列車交換の際にのみ使用されています。
宗谷本線03_a36
また島式ホームなので北側にも線路がありますが
乗降部が崩されていて旅客使用はされておらず保線車両の留置線となっています。
宗谷本線03_a37
ホーム上にはベンチなどは置かれていませんが、これは北限の駅で
特に冬季には屋外での待合にはそぐわないからだと思われます。
宗谷本線03_a38
稚内方のホーム西端部の光景。


宗谷本線03_a39
こちらは南稚内駅前から宗谷本線と併走をしてきた国道40号線の終端近くの光景です。
宗谷本線03_a40
国道の終点の標識のあるこちらの交差点が
宗谷本線の終着駅への入口となります。
宗谷本線03_a41
交差点で国道は終端となっていますが道は北浜通りと名前を変えて続いており、
400mほどで北防波堤の根元の宗谷湾へと突き当たっています。
宗谷本線03_a42
北浜通りから北東の海側を見ると駅前のロータリーが見えます。
宗谷本線03_a43
切り返して国道40号線の終点の交差点方向を見ると
東側の角に稚内駅の駅舎のある複合施設「キタカラ」が建っています。
宗谷本線03_a44
またこの交差点は道道106号稚内天塩線の起点でもあり、
交差点の南西側に向かって道道が伸びています。
180mほどで南に曲がった道道106号線は日本海側沿岸を走り
絶景で名高い「日本海オロロンライン」の北端区間となっています。
宗谷本線03_a45
そして交差点の北東側が駅前ロータリーの入口となっていて
時計周り一方通行で再び出口は交差点へと戻る形となっています。
宗谷本線03_a46
駅舎に近いロータリー部分は屋根つきの車寄せとなっており、
タクシー乗降場、障者スペース、バス停留場などが設けられています。
宗谷本線03_a51
駅舎寄りのロータリー脇に設けられた駅周辺の案内地図。
宗谷本線03_a47
そのロータリーの南東側の「キタカラ」の一階部分がJRの稚内駅の駅舎となります。
1923年(大正12年)に樺太と稚内を連絡する稚泊連絡線が開設されると
これを受けて1928年(昭和3年)12月26日に宗谷線が延伸し
稚内港駅として開業をしています。
宗谷本線03_a48
駅舎は連絡線の稚内連絡待合所を転用改修した初代、
北防波堤までの延伸と稚内桟橋駅開設によりホーム寄りに
新たに駅舎を移転した1938年(昭和13年)、
1965年(昭和40年)の改築による三代目を経て
稚内市の再開発事業による複合施設との合築となる
2011年(平成23年)開業の現在の四代目駅舎と変遷を辿っています。
宗谷本線03_a49
そして駅舎の正面の広場にあるのがこちらの車止めのモニュメントです。
説明を読むとどうやら三代目駅舎時代の宗谷本線の車止めがこの場所だった様で
2012年(平成24年)にモニュメントとして復元された様です。
宗谷本線03_a50
車止めと反対の北防波堤方面を見ると、広場に線路を模したタイルが敷かれており
稚内桟橋駅までの廃線跡を辿ることができるようになっていました。
宗谷本線03_a52
また稚内駅の入っている複合施設「キタカラ」は「道の駅わっかない」も兼ねており
建物の北側一帯には広大な施設の駐車場が設けられています。
宗谷本線03_a53
北側の施設駐車場から見た稚内駅の建物。
上階がマンションのように見えますがこれは複合施設として
グループホームと高齢者住宅が設けられている為です。
宗谷本線03_a54
駅のある「キタカラ」の敷地の北東側はご覧の海沿いを走る
副港通りという市道となっています。道の駅の駐車場は国道側からは入れず、
こちらの副港通りから入る事になります。
宗谷本線03_a55
副港通りから宗谷湾までは140mほどと至近であり
周辺にも公園や市の施設が設けられています。
写真の茶色いドームは市営の温水プールなのだそうです。

宗谷本線03_a56
駅舎へと戻ってこちらは建物の入口です。
風除室があり抜けるとロビーとなります。
宗谷本線03_a57
外のモニュメントから線路を模したタイル模様が続く
ロビーの北側が稚内駅の駅施設となります。
有人駅ですが窓口と改札業務は日中のみとなっています。
宗谷本線03_a58
改札脇のガラス窓から見える宗谷本線の最北端の終点の車止め。
宗谷本線03_a59
こちらがみどりの窓口前の駅改札口です。
脇には時刻表や自動券売機が置かれています。

宗谷本線03_a60
ロビーの西側に目を向けるとご覧の通り中は吹き抜けの
かなりの広さであり、稚内駅施設はロビーの一部分である事が分かります。
国道側は二階建てのフロアとなっており一階には観光協会のほか物産店やテナント店舗、
上の二階には市の地域交流センターと映画館が入っています。
宗谷本線03_a61
そして国道側へと抜ける通路にはご覧の表示が。
宗谷本線03_a62
建物の国道側には高速バスや市内路線バスの駅前バスターミナルと
北海道といえばのセイコーマートが入居していました。
宗谷本線03_a63
ロビーへと戻り中ほどの階段を上ると通路の先に展望デッキがあります。
宗谷本線03_a64
デッキからはご覧の通り稚内駅のホームが上から一望できます。

宗谷本線03_a65
改札口へと戻ってホームへと向かいます。
宗谷本線03_a66
ご覧の通り改札からホームまでは屋根の壁のある連絡通路でつながっています。
宗谷本線03_a67
通路のホーム側出口脇にある「日本最北端の駅」の標柱。
宗谷本線03_a68
こちらがホームの様子となります。駅は頭端式ホーム1面1線であり、
到着した列車は折り返し運転となります。
宗谷本線03_a69
三代目駅舎時代には島式1面2線で反対側に2番線がありましたが
2010年(平成22年)に2番線は廃止され1面のみのホームとなっています。
宗谷本線03_a70
終着駅ですので特急もこちらのホームに停車となります。
そのためホームは4両分の有効長が確保されています。
宗谷本線03_a71
出入口はホーム北端のみとなっています。
宗谷本線03_a72
また稚内駅ホームには最北端の駅らしく、
いたる所に因んだ看板が取り付けられています。


宗谷本線03_a73
以上で全長259.4kmにおよぶ宗谷本線の駅は全てとなります。
思った以上に北海道は広く宗谷本線は長い路線でした。

関東にいると思いもしない事でしたが、宗谷本線では駅圏内に家が3軒だとか
住民の数が一桁だとかの駅が当たり前
にいくつもありました。
鉄道の業界にもなかなか厳しい世の中となっていますので
まだ駅が現役であるうちに一度は訪問してみていただきたいものです。
宗谷本線03_a74
なお、私も始めて稚内まで行った時には思いもしませんでしたが
稚内駅から日本最北端の宗谷岬までは31kmの距離があり
バスでも片道50分かかる上、バスは1日数本しか出ていません。

旭川から稚内まで鉄道で日帰り往復ではまず宗谷岬に行くのは無理なので
計画を立てる時にはご注意ください。


では。

【写真撮影:2020年8月】

宗谷本線03_40
宗谷本線の続きの記事です。


その1(旭川駅━比布駅)はこちら
その2(比布駅━士別駅)はこちら
その3(士別駅━名寄駅)はこちら
その4(名寄駅━美深駅)はこちら
その5(美深駅━音威子府深駅)はこちら
その6(音威子府駅━雄信内駅)はこちら



宗谷本線02_c27
こちらは雄信内駅から西へと5.3kmほどの場所の光景です。
道道256号豊富遠別線から北へと入った道路は駅への連絡道路で
およそ250mほどで道道と駅とを連絡しています。
宗谷本線02_c28
切り返して駅から道道への南方向の光景です。
かつてはこの道沿いに集落があって両側に数件の民家がありましたが、
廃屋となった後もしばらくは残っていましたが現在は撤去されていて
ご覧の通り建物は全く無い廃村状態となっています。
宗谷本線02_c29
道の北端の駅前の様子です。
舗装が途切れた先は砂利敷きの空間となっており
車の展開程度は可能となっています。
宗谷本線02_c30
こちらが安牛駅の駅舎の外観です。
※註:2021年3月13日のダイヤ改正で駅は廃止。
1925年(大正14年)7月に鉄道省天塩南線の延伸で開設された駅で
かつては木造駅舎がありましたが、1984年(昭和59年)に無人化となり
その後に駅舎が解体されて貨車駅舎の駅となりました。
宗谷本線02_c31
解体された木造駅舎の基礎の跡です。この駅でも貨車駅舎は
旧駅舎の基礎跡の上に置かれていました。
宗谷本線02_c32
駅舎の外壁はご覧の通り塗装が錆で浮いて剥離しており
メンテナンスされずにボロボロの状態となっています。
駅舎内は外壁の状態とはうらはらに綺麗な状態を保っており
内部の清掃は定期的に行われている様子が伺えます。
宗谷本線02_c33
壁に掲示されている安牛駅の運賃表。
宗谷本線02_c34
ホーム側から見た駅舎は外側に比べれば錆の具合が浅く、
壁にペイントされた「JR安牛駅」の文字もこちら側は読み取る事ができます。
宗谷本線02_c35
ホームの様子です。単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
土盛り砂利敷きのホームとなっています。
宗谷本線02_c36
かつては相対式ホーム2面2線の交換可能駅だった様で
駅ホームの前後の線路を見るとかつての分岐跡と見られる湾曲が残っています。
宗谷本線02_c37
駅のある幌延町字開進の2015年(平成27年)の国勢調査は
世帯数17、人口46人となります。しかし駅前の通りの集落は壊滅状態であり、
500mほど南東に牧場が1件確認できるのみで
周囲にはほとんど人家は確認できない状態となっています。
宗谷本線02_c38
ご覧の通り駅から道道までは何も無く、
かつてこの通りの両側に民家があったというのが嘘のような光景です。


宗谷本線02_c39
こちらは安牛駅から1.8kmほど北西に宗谷本線と併走してきた
道道256号豊富遠別線の光景です。
ご覧のT字路の踏切脇に宗谷本線の次の駅が設置されています。
宗谷本線02_c40
切り返して北西側から見たT字路付近。
宗谷本線02_c41
道道256号からT字路を北へと入ると目の前に
宗谷本線の南幌延踏切があります。
宗谷本線02_c42
踏切を越えた先は北へと基幹農道が伸びており、
道の両脇には牛の放牧された牧場がひろがっています。
宗谷本線02_c43
農道側から南の駅方向を見た光景。
宗谷本線02_c44
踏切へと戻ると東側にホームが設置されているのが見えます。
ご覧の通り踏切の遮断機内にホームがあるので
駅へ列車が停車しているとホームに入る事ができません。
宗谷本線02_c52
こちらが南幌延駅のホームの全景です。
1959年(昭和34年)11月1日に国鉄宗谷本線の駅として新設されました。
宗谷本線02_c45
ホームの様子です。単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
木製ホームで有効長が1両分といういわゆる朝礼台タイプのものとなっています。
宗谷本線02_c46
ホームには構造物などは無くシンプルなものとなっています。
宗谷本線02_c47
そしてホームの出入口のスロープから道の反対側を見ると
ご覧の赤い屋根の小さな建物が見えます。
宗谷本線02_c48
この建物が南幌延駅の駅待合室です。
待合室は地元の幌延町が管理するもので、かつてはトタン張りのボロボロな
農機具小屋にしか見えないもので、駅名標の類もありませんでした。
しかし2019年(令和元年)10月に修理が施され、外壁にはサイディングが張られ
屋根もトタン張りで綺麗に張り直されました。
宗谷本線02_c49
待合室の中の様子です。こちらも修繕前はほぼ農機具小屋そのものの状態でしたが
壁に新しい薄ベニヤ板が張られて綺麗に直されています。
宗谷本線02_c50
待合室から見たホーム方向。
宗谷本線02_c51
右手の道道方向を見ると、T字路の正面は農家の敷地への砂利道があります。
そしてその脇の道道沿いに「南上幌延集会所」と書かれた建物がありました。
宗谷本線02_c53
この南幌延駅も何度かJR北海道から廃止の候補に挙げられた駅であり、
駅周辺には牧場農家が3軒ほどという立地で乗降客も1日1人未満となっていました。
しかし地元の幌延町が「廃止容認2駅(安牛駅、上幌延駅)の中間点に位置する」として
当駅の存続を希望。またホームが板張りの短いもので
維持メン費用が土盛りホームの駅より安価であることから
2021年(令和3年)4月は駅施設を町の維持管理へとしての存続となっています。


宗谷本線02_c54
こちらは道道256号豊富遠別線を南幌延駅から北西へ2.4kmほど進んだ付近で、
道道645号上問寒幌延停車場線が北東側へと分岐しているT字の交差点です。
宗谷本線02_c55
T字交差点のすぐ北側にはペンケオポッペ川が流れており
法華橋という橋が架かっています。これはかつてこの付近が
近くにある長応寺を中心とした法華宗農場により開拓された場所なので
この名前となった様です。
宗谷本線02_c56
切り返して法華橋からT字交差点へ。
宗谷本線02_c57
交差点から道道645号上問寒幌延停車場線へと入ると
30mほどで郵便ポストのある民家があり、その前にY字の横道が分岐しています。
宗谷本線02_c59
Y字の分岐から北側は引き続き道道645号上問寒幌延停車場線が続きます。
宗谷本線02_c60
北大演習林のある北へと向かって伸びる道道645号線。
宗谷本線02_c61
切り返して南へと戻ると、カーブ付近でこちら側からも
Y字の分岐路があり駅前へと通じているのが見えます。
宗谷本線02_c62
道道645号から南の道道256号豊富遠別線のT字路方向の光景。
宗谷本線02_c63
駅方向を見ると、前を通る道道645号上問寒幌延停車場線に面して
駅前の道は三角形のロータリー状となっているが分かります。

宗谷本線02_c58
駅前の道を進んで奥に入ると、車掌車を転用した
駅舎が置かれておるのが見えます。
宗谷本線02_c64
上幌延駅の駅舎の外観です。
※註:2021年3月13日のダイヤ改正で駅は廃止。
1925年(大正14年)7月20日に鉄道省天塩南線の延伸によって設置開業した駅で、
この駅もかつては木造駅舎が置かれた駅でした。
1987年(昭和62年)の国鉄民営化でJRとなった後に
木造駅舎も解体され車掌車の貨車駅舎となったのは
宗谷本線の他のダルマ駅と同じ経緯です。
宗谷本線02_c65
駅舎側から見た駅前の光景。
宗谷本線02_c66
こちらが駅舎の中の様子です。他の貨車駅舎と同様に
木製ベンチが置かれたシンプルな待合室となっています。
宗谷本線02_c67
ホーム側から見た駅舎。土盛りされてスロープが作られています。
宗谷本線02_c68
そしてこちらが駅ホームの様子です。
単式ホーム1面1線の棒線駅ですが、かつては相対式2面2線で
線路の反対側にかつてのホーム跡の敷地があります。
宗谷本線02_c69
土盛りのホームは数両が停まれる長さがありますが、
この有効長の長さで除雪などの維持管理費用が高くなり
廃止の理由の一つとなったのは皮肉なものです。
宗谷本線02_c70
稚内方のホーム横にはかつての木造駅舎の基礎跡が。


宗谷本線02_c71
こちらは道道645号上問寒幌延停車場線の終端付近の光景で、
南側の正面に駅前広場と幌延駅の駅舎があるのが見えます。
宗谷本線02_c72
切り返して駅舎側から見た駅前の停車場腺です。
駅の北側には幌延町の中心市街地が広がっており、
Y字路の右手に道道645号線が続いて延びています。
宗谷本線02_c73
駅前広場にある幌延駅前の市街地の地図です。
宗谷本線02_c74
停車場線の終端の、駅前広場入り口前にある駅前旅館。
宗谷本線02_c75
旅館の正面から西へと向かって町道が延びており、
その町道に面した駅前広場西側には隣接して駅駐車場があります。
宗谷本線02_c76
そして駅駐車場の西の奥にはご覧の町営の駐輪場が。
宗谷本線02_c77
切り返して町道を東の駅入り口方面へ。
宗谷本線02_c78
こちらが幌延駅の駅舎の外観となります。
1925年(大正14年)7月20日に鉄道省天塩南線延伸開業によって設置された駅で、
10年後の1935年(昭和10年)には日本海沿岸を留萌まで走る
羽幌線(開業当時は天塩線)が開業してターミナル駅となりました。
稚内機関区幌延支区(羽幌線の機関区)が設置され転車台などのある駅でしたが、
1987年(昭和62年)3月に羽幌線が廃止となって宗谷本線の単独駅となっています。
宗谷本線02_c79
現在の駅舎は1973年(昭和48年)12月に改築されたもので
鉄筋コンクリート製平屋建ての駅舎となっています。
宗谷本線02_c80
駅前広場の東側はトラック輸送による貨物コンテナの集積場となっています。
かつてはこの場所は幌延駅の貨物ヤードでしたが、
1984年(昭和59年)に貨物取り扱いが廃止となり
現在は貨物列車の入線はありません。
宗谷本線02_c81
そして駅舎の正面の駅前広場は舗装された敷地は広いものの
特に区画などはされてはいません。
宗谷本線02_c82
駅舎の入口から中へと入るとまず風除室があります。
この風除室はベンチが置かれ入口脇のバス停の待合室を兼ねています。
宗谷本線02_c83
駅舎の中の様子です。特急の停車する駅員配置の直営駅なので
有人の券売窓口があります。改札前のロビーにはストーブを囲む様にベンチが置かれ
広場側には小上がりのようなベンチも置かれています。
宗谷本線02_c84
ホームへと出る改札付近の光景。
有人駅で列車別改札が行われています。
宗谷本線02_c85
ホームの様子です。駅は単式ホーム1面と島式ホームの片面を使用した
2面2線となっており列車交換が可能な駅となり、
駅舎のあるこちらが1番線ホームとなります。
宗谷本線02_c86
旭川方のホーム東端の光景です。
北側には旧貨物ヤードのコンテナ集積場が見えます。
宗谷本線02_c87
特急停車駅でありホームの有効長はご覧の通り
対応された長いものとなっています。駅舎前部分には上屋の屋根が。
宗谷本線02_c88
改札の右手の西側には跨線橋の階段があります。
宗谷本線02_c89
跨線橋の裏手のホーム西端の稚内方。
「トナカイの里ほろのべ」の看板が階段横にあります。
宗谷本線02_c90
1番ホームの階段を上り、島式ホームへと連絡する跨線橋へと上がります。
宗谷本線02_c91
跨線橋の中の様子です。壁や屋根は木造で古いものである事が分かります。
宗谷本線02_c92
橋から見た駅構内の俯瞰。
宗谷本線02_c93
2番ホームへと下る階段です。
宗谷本線02_c94
こちらが島式ホームの2番線の様子です。
駅舎に近い北側が2番線ホームとなっており
宗谷本線の発着で使用されています。
宗谷本線02_c95
島式ホーム北側は元々は3番線ホームでかつては羽幌線が発着していました。
しかし1987年(昭和62年)3月に羽幌線は廃止となり、
以後こちらのホームは使われていません。
宗谷本線02_c96
ホーム西側の稚内方の様子。
こちらの島式ホームには上屋などは置かれておらず
ホームのみとなっています。
宗谷本線02_c97
ホーム東端の旭川方。跨線橋の階段があり、
その裏手にも少しホームが続いていますが区画がされて入れません。
ホームの先の左手あたりにはかつては転車台などがあり
羽幌線の機関区が置かれていたそうです。
宗谷本線02_c98
跨線橋の裏手部分のホームの様子です。


宗谷本線02_c99
こちらは幌延駅から西へ7.4kmほどの幌延町下沼付近の光景です。
南西から北東へと伸びる町道が駅前通りとなります。
宗谷本線03_01
周辺にはご覧の通り牧草地が広がる光景で
農家が点在しているのみでほぼ何もありません。
宗谷本線03_02
この道路の脇にあるのがこちらの「湧水サロベツ権右衛門」です。
かつてこの地を開拓した開拓者の名のつけられた湧水は
地元有志が管理し誰でも汲むことができます。
1954年(昭和29年)から湧いている湧水のあるこの場所は
かつては駅前の郵便局があった跡地なのだそうです。
宗谷本線03_03
その湧水から100mほど奥に進むと駅が見えてきます。
宗谷本線03_04
町道のつきあたりは特に設備などは無く
砂利敷きの広場となっています。
宗谷本線03_05
こちらが下沼駅の駅舎の外観です。
1926年(大正15年)9月25日に国鉄天塩線の延伸によって開業した駅で
かつては木造駅舎が置かれていましたが1985年(昭和60年)に
駅舎は取り壊されて現在の貨車駅舎が置かれています。
宗谷本線03_06
こちらは木造駅舎時代の下沼駅の写真ですが、
ご覧の通りかつてはかなり立派な駅舎があった様です。
宗谷本線03_07
駅舎の中の様子です。貨車駅舎なのでベンチが置かれ
中央には学校机が置かれていました。
宗谷本線03_08
近隣の住民が手入れをしているらしく、殺風景な貨車駅舎も多い中
様々な飾りつけがされておりベンチには座布団が置かれていました。
宗谷本線03_09
ホーム側から見た駅舎です。
貨車駅舎の宿命でこの駅も外壁が剥げかけていましたが
2017年(平成29年)に町による「マイステーション運動」の一環で
近隣住民の手で外壁塗装が塗りなおされご覧の状態となっています。
宗谷本線03_10
ホームの様子です。単式ホーム1面1線の棒線駅となっています。
1984年(昭和59年)のCTC化による無人化までは相対式2面2線の駅だったそうですが、
交換設備が撤去されて駅舎側のホームが残されました。
宗谷本線03_11
ですのでこの駅も線路の反対側にかつてのホームの敷地が残っています。
その先の東側は鉄道防雪林となっており、その向こう側に国道40号線が走っています。
宗谷本線03_12
ホームと広場の間に残る木造駅舎の基礎跡。


宗谷本線03_13
こちらは道道397号豊富停車場線で、駅の北側を走る国道40号線と
駅までのおよそ300mを直線で連絡するいわゆる停車場線です。
国道40号の南側付近が豊富町の中心市街地となっており、
市街と駅とを連絡する役割の道路となります。
宗谷本線03_14
停車場線の起点付近にはご覧のゲートが設けられています。
豊富町には日本最北の温泉郷である豊富温泉があり
ゲートにも温泉地であることが書かれています。
宗谷本線03_15
そのゲート前には舗装された駅前広場が広がっています。
区画などはされていませんが十分な広さがあり
端には駅利用者の車が停められています。
宗谷本線03_16
そしてゲート前から西へは宗谷本線と併走して町道が走っています。
駅近くの町道脇は歩道がインターロッキング舗装されるなど
町による整備がされています。
宗谷本線03_17
その町道脇の線路際敷地に静態保存されているのが
こちらのオエ61救援車のオエ61-67です。
オ(重量32.5トン以上~37.5トン未満)エ(救援車)となり
元々はマニ60荷物車が改造されたものなのだそうです。
宗谷本線03_18
切り返して東へと戻り駅方向へ。
宗谷本線03_19
こちらが豊富駅の駅舎外観です。
1926年(大正15年)9月25日に鉄道省天塩線の駅として開業しあもので、
現在の駅舎は国鉄時代の1966年(昭和41年)に作られたものです。
宗谷本線03_30
駅舎の西側に隣接してあるこちらの建物は豊富町観光情報センターです。
観光案内のほかに物産の販売も行っている施設で、
豊富駅の簡易委託を請け切符類の販売もこちらで行っています。
宗谷本線03_20
駅舎の入口にはご覧の風除室が設けられています。
ベンチが置かれて駅前のバス停の待合室を兼ねています。
宗谷本線03_21
こちらが駅舎内の様子です。
改札前のロビーにストーブを囲むようにベンチが置かれています。
宗谷本線03_22
ロビーの左手を見ると建物の中にログハウスが設けられており、
駅舎内の喫茶店が入居をして営業をしています。
宗谷本線03_23
改札付近の様子。改札ラッチがありますが
簡易委託駅なので現在は改札は行われていません。
宗谷本線03_24
ホームの様子です。相対式ホーム2面2線の駅となっており、
駅舎のあるこちらの北側が1番線の旭川方面行き上りホームとなります。
宗谷本線03_25
豊富駅も特急停車駅でありホームは4両分の有効長があります。
通常の4両編成の特急には対応する長さですが、多客時に特急が増結された場合には
はみ出した車両のドアカットが行われます。
宗谷本線03_26
ホーム東南端の旭川方を見ると左手には留置線があり、
除雪用のモーターカーが留置されていました。
宗谷本線03_27
駅舎前は建物が張り出した屋根があり風雨をしのぐ事ができます。
跨線橋もベースが鉄筋コンクリート製であり、宗谷本線の駅では
比較的新しい設備の駅となっています。
宗谷本線03_28
ホーム西北端側の稚内方の光景。
宗谷本線03_29
ちょうど観光情報センターの裏手付近に跨線橋の階段があり
2番ホームへと連絡をしています。
宗谷本線03_31
跨線橋の中の様子です。
宗谷本線03_32
橋の上から見た駅構内の俯瞰。
宗谷本線03_33
こちらが2番線ホームへと下る階段となります。
宗谷本線03_34
駅の南側の2番線ホームです。下り稚内方面行きのホームとなります。
宗谷本線03_35
ホームにある名所案内。国立公園に指定されているサロベツ原生花園や
豊富温泉などが書かれていますがいずれも車で20分程度の距離があります。
宗谷本線03_36
旭川方のホームの様子です。特急停車の為に有効長を伸ばす必要があったのか
ホーム端がPC板で継ぎ足されて増設されていました。
宗谷本線03_37
こちらの2番線ホームはホーム上には階段以外の構造物は置かれていません。
宗谷本線03_38
そしてホーム北西端の稚内方の階段脇には
砂利でスロープが作られ駅の北側へと抜けられる通路が作られていました。
獣道の様ですが、一応バラストと柵が作られているので
オフィシャルに出入りが認められたものだと思われます。



宗谷本線03_39
宗谷本線もかなり北までやってきて、
残すところは宗谷管内の50kmあまりとなりました。
沿線の光景も田んぼや畑では無く、牧草地や原野がひろがる光景となってきています。

つぎが宗谷本線の終点までの最後となると思いますが、
続きはその8にて。

では。


【写真撮影:2020年8月】

宗谷本線02_c26
引き続きで宗谷本線の記事です。


その1(旭川駅━比布駅)はこちら
その2(比布駅━士別駅)はこちら
その3(士別駅━名寄駅)はこちら
その4(名寄駅━美深駅)はこちら
その5(美深駅━音威子府深駅)はこちら



音威子府駅から先の宗谷本線は天塩川の右岸を併走して西進しています。
川を挟んだ反対側の左岸には国道40号線が同じく川と併走をしていおり、
およそ70kmに渡って鉄道、国道、河川が併走する事となります。
宗谷本線02_b09
音威子府駅から西へ5kmほどの距離の国道40号線から
筬島大橋という橋が天塩川を渡って北へと分岐しています。
この橋が国道から駅への入口となっており、およそ700mほど道を進むと
ご覧の交差点へと差し掛かります。
宗谷本線02_b10
交差点を反対の西側から。
宗谷本線02_b11
この交差点の南東角にはご覧の建物があり、入口には
「筬島農地改良センター」と書かれた跡がありました。
宗谷本線02_b12
この農地改良センターの脇を抜けて交差点南側の道の先には
旧筬島小学校の木造校舎があります。現在はアイヌ出身の木彫彫刻家の
砂澤ビッキ氏の記念館となっています。
宗谷本線02_b13
そして交差点の北側が駅への連絡道路となっており、
砂利道の突き当たりに駅舎があるのが見えます。
宗谷本線02_b14
こちらが筬島駅の駅舎の外観です。
1922年(大正11年)11月に鉄道省天塩線の延伸開業によって設置された駅で、
かつては木造駅舎が建てられていました。
1986年(昭和61年)に駅が無人化された後に木造駅舎は解体された様で
代わりに貨車駅舎が旧来駅舎の基礎跡の上に置かれました。
2012年(平成24年)に貨車駅舎に金属サイディングが貼られてリニューアルされています。
宗谷本線02_b15
駅舎の中の様子です。貨車駅舎ですので中はご覧の広さですが
中は綺麗に手入れがされています。
宗谷本線02_b16
駅舎の置かれている場所の地面の基礎跡。
宗谷本線02_b17
こちらが駅のホームとなります。
単式ホーム1面1線の棒線無人駅となります。
宗谷本線02_b18
ホームはご覧の通り土盛り砂利敷きのものです。
かつては線路の反対側にはもう1面島式ホームがあったそうで
一番外側は貨物用副本線として木材の積み出しが行われていたのだそうです。
宗谷本線02_b19
筬島駅は音威子府村大字物満内小字筬島に所在していますが、
大字物満内の2015年(平成27年)の国勢調査では世帯数7、人口10名となっていて
いわば廃村寸前の状態となっています。
その為2016年(平成28年)にはJR北海道より廃止駅の候補に挙げられており、
2021年(令和3年)4月からは駅は自治体管理へと移行となっています。
宗谷本線02_b20
ホーム西側に作られた花壇には「花駅長」の文字が。


宗谷本線02_b21
こちらは国道40号線から分岐して佐久橋で天塩川を渡る
道道218号板谷佐久停車場線です。国道からおよそ500mほどで
南側からご覧の交差点となり東側の駅へと通じています。
宗谷本線02_b22
反対の北側から見た交差点。この交差点の北側は
道道541号問寒別佐久停車場線という別の道道です。
宗谷本線02_b23
駅側の東から見た交差点。二つの道道がこちらの交差点で合流しており
駅までは重複区間となっています。
宗谷本線02_b24
交差点から駅への光景。
宗谷本線02_b25
こちらが佐久駅の駅舎外観となります。
1922年(大正11年)11月の鉄道省天塩線延伸によって開設された駅で、
ご覧の駅舎は1990年(平成2年)に改築されたものです。
宗谷本線02_b26
駅舎の中の様子です。「佐久ふるさと伝承館」と入口に書かれている様に
地元の中川町が建てた駅舎は地区の公共施設としての役割もあり、
待合のベンチの周りには町の様々な資料品が展示されています。
宗谷本線02_b28
生活品の展示された棚の上の壁には
切り出された材木を運ぶ馬橇(そり)の絵が。
宗谷本線02_b27
待合室左手にはハッカの蒸留装置や馬そりの実物が展示されていました。
宗谷本線02_b29
ホームへと出る改札付近の光景。
宗谷本線02_b30
こちらがホームの様子です。相対式ホーム2面2線の駅となっており、
無人駅ですが列車交換の可能な駅となっています。
宗谷本線02_b31
西側の駅舎のあるこちらが1番線で、下り線の稚内方面行きホームとなっています。
宗谷本線02_b32
ホーム南側の旭川方寄りに駅舎はあり、
その先の南端に構内踏切が設置されています。
宗谷本線02_b33
二つのホームを連絡する構内踏切。
線路部分にだけ板が張られている簡素なものですが、
この踏切は特急列車も通過する踏切です。
宗谷本線02_b34
駅の東側にある2番線ホームです。
上り線旭川方面行きホームとなっています。
宗谷本線02_b35
こちらの2番線ホームは構造物がホーム上には無く
ご覧の通り土盛りのホームがあるのみとなっています。
宗谷本線02_b36
2番線ホームの東側には行き止まりの車庫のある側線があります。
これはかつては副本線だったのだそうで、外側にさらに側線があったのだそうです。


宗谷本線02_b37
こちらは道道438号天塩中川停車場線と道道541号問寒別佐久停車場線が
駅前のおよそ170mほどを東西に走る重用区間の光景です。
宗谷本線02_b38
駅から東側の交差点で二つの道道は合流しており、
北側の道道438号天塩中川停車場線は天塩川を渡って国道40号線へと連絡、
南の道道541号問寒別佐久停車場線は宗谷本線と併走し隣の佐久駅前までつながっています。
宗谷本線02_b44
二つの停車場線の起点となる駅前広場の入口ゲート。
宗谷本線02_b39
ゲート前では駅前広場に接して南北に町道が走っています。
宗谷本線02_b40
駅前広場の様子です。二つの道道の重用区間の東の終端に位置しており、
入口から駅舎の正面への部分は舗装がされていますが
左右の敷地は砂利敷きとなっています。
宗谷本線02_b42
町道へと出る広場の入口脇にある中川町のガイドマップ。
宗谷本線02_b41
駅前広場のゲートを駅舎側から見た光景です。
宗谷本線02_b43
こちらが広場の東側にある天塩中川駅の駅舎の外観となります。
駅は1922年(大正11年)11月に鉄道省天塩線が
音威子府駅から当駅まで延伸された際に誉平(ぽんぴら)駅として設置されました。
現在の駅名となったのは国鉄となった後の1951年(昭和26年)のこととなります。
宗谷本線02_b45
今の駅舎は1953年(昭和28年)に建てられた木造駅舎で、
以前は改修によってサイディングの貼られた味気無い外観の建物でした。
この駅舎が地元の中川町によって2014年(平成26年)に駅舎改修が行われており、
町有林のトドマツの間伐材を燻煙防腐処理して下見張りという
建築当時の姿へとレトロ回帰されて今の姿となっています。
宗谷本線02_b46
そして駅舎の左の前、広場の南側にはこちらの建物があります。
この建物はかつての保線事務所で駅の出札業務もこちらで行っていました。
しかし2016年(平成28年)に天塩中川駅での工務社員の配置が廃止されたことで
保線員もこちらには詰めておらず現在は使われていません。
宗谷本線02_b47
駅舎の中の様子です。2014年(平成26年)の駅舎改修では
建物の所有がJR北海道から中川町へと移管しており、
待合室のベンチや扉、窓枠などにも町有林のトドマツが使われています。
宗谷本線02_b48
広場側の出入口には雪国らしく風除室が。
宗谷本線02_b49
かつて駅務の事務所のあったスペースは交流プラザとして
町の施設となっています。かつての券売窓口の場所には
窓口を模したカウンターも作られています。
宗谷本線02_b50
ホーム側の出入口付近。
宗谷本線02_b51
こちらが駅のホームの様子です。
相対式ホーム2面2線の駅で列車交換が可能となっています。
駅舎のある東側のこちらが1番線ホームで上下主本線となっており、
列車交換が無い場合は基本的に上り列車も下り列車もこちらの1番線で発着を行っています。
宗谷本線02_b52
ホーム側から見た駅舎の外観。
作られてからまだ10年経っていません(註:2021年現在)が
70年前の駅舎を再現しているのでレトロな佇まいです。
宗谷本線02_b53
北側の稚内方のホームの様子です。
駅舎北側に貨物ヤードがあったのは近辺の他駅と一緒で
現在でもその跡を見ることができます。
宗谷本線02_b54
駅舎のホーム側の屋根には雪止めが設けられていますが、
良くみる金具が点在しているのでは無く、棒でバリケードのように作られており
ホーム側への雪の落下を防いでいます。
宗谷本線02_b55
南側の旭川方のホームの光景。
反対側のホームと連絡をしている構内踏切は南端の先に設けられています。
宗谷本線02_b56
こちらがホーム同士を連絡している構内踏切です。
宗谷本線02_b57
西側のホームは1番線ホームに比べて有効長が短い為、
踏切からはご覧の通りホーム入口のスロープが離れているので
通路の石畳が敷かれています。
宗谷本線02_b58
こちらが西側にある副本線の2番線ホームです。
列車の出発信号機がこちらは上り列車側にしか無いので
構造的に上り列車しか停車することができません
宗谷本線02_b59
ですので列車交換時のすれ違いの時に上り列車が使用する、と考えるところですが
近年はこの天塩中川駅での列車交換は設定されておらずその必要がありません。
なので一部の上り列車が使用するのみのホームとなっています。
宗谷本線02_b60
ホームの外側にはかつては引き上げ線があった為、土地に空間があります。
待合室やベンチなどはホームに作られておらずシンプルなホームとなっています。
宗谷本線02_b61
2番線から見た駅舎。
この駅は特急停車駅で1番線には特急が止まりますが、
有効長の関係から特急が増結された場合には一部ドアカットがあります。


宗谷本線02_b62
こちらは道道541号問寒別佐久停車場線の中川町字歌内付近の光景です。
佐久駅の駅前から北にほぼ宗谷本線と併走している道路ですが
8.4kmほど進んだところで次の駅の駅前へと辿り着きます。
宗谷本線02_b63
反対の北側から見た、駅前の交差点付近。
宗谷本線02_b65
駅から正面には町道が伸びており、天塩川を渡って
およそ1.4kmほどで国道40号線へと連絡をしています。
宗谷本線02_b64
切り返して町道から駅方向へ。
道道の先に砂利敷きの駅への道が伸びています。
宗谷本線02_b66
駅へと連絡する道を東へ。
宗谷本線02_b67
砂利道が分岐する右手に駅が見えます。
ちなみに分岐の左手も駅の敷地の様でバラスト(砂利)が集積されていました。
宗谷本線02_b68
こちらが歌内駅の駅の外観です。1923年(大正12年)11月の
国鉄天塩線の延伸によって宇戸内(うとない)駅として開業をしました。
1951年(昭和26年)7月に現在の歌内駅へと改名されています。
宗谷本線02_b69
駅前はご覧の砂利道のつきあたりが広場の代わりとなっているもので
車の転回程度は可能となっています。
宗谷本線02_b70
駅は1984年(昭和59年)に宗谷本線のCTC導入によって無人駅となっており、
その後昭和から平成へと変わったあたりで木造駅舎が解体されています。
現在のヨ3500車掌車を改造した貨車駅舎は解体された木造駅舎の
基礎の上に置かれたもので、現在でもコンクリート基礎が残っています。
宗谷本線02_b71
駅舎の中の様子です。いわゆるダルマ駅と呼ばれる貨車駅舎なので
中はご覧のこじんまりとした部屋にベンチが置かれているものとなります。
宗谷本線02_b72
壁には増設された窓があり、奥にはトイレも増設されています。
時刻表を見ると一日上下3本づつとなっていました。
宗谷本線02_b73
ホーム側から見た駅舎の様子です。
貨車駅舎の置かれた場所を見ると、残った基礎から
元の木造駅舎がそれなりの大きさの建物であったことが分かります。
宗谷本線02_b74
駅のホームの様子です。単式ホーム1面1線の棒線無人駅で
土盛り砂利敷きのホームとなっています。
宗谷本線02_b75
かつては相対式2面2線の駅だったのだそうで、
現在のホームの線路反対側の東にもう1面の単式ホームがあったそうです。
また旧駅舎の基礎の北側には貨物ヤードの引込み線のあったのだそうです。
宗谷本線02_b76
駅のある中川町字歌内の2015年(平成27年)の国勢調査データーでは
世帯数8、人口18名となっています。そのためJRの調査で
1日平均の乗降客数が1名以下となっており、何度か駅廃止の俎上へと上がっていました。
そのため2020年(令和3年)4月からは中川町へと駅の維持管理が移管されています。


宗谷本線02_b77
こちらは道道583号上問寒問寒別停車場線の終点近くの光景です。
隣の歌内駅の前を通る道道541号問寒別佐久停車場線は山側に迂回するルートを取り
南北に走るこの道道の、ご覧の交差点から700mほど北に合流をしています。
宗谷本線02_b78
交差点の西側は道道395号問寒別停車場下国府線という別の道道で、
宗谷本線と天塩川を跨いで国道40号線へと連絡をしています。
宗谷本線02_b79
交差点東側は町道となっており、
二つの道道がこの交差点で合流をして南側の駅へと向かっています。
町道から交差点の向こう側の道道395号線沿いは問寒別の集落で
この近辺では比較的大きな集落となっています。
宗谷本線02_b80
交差点から駅までは二つの道道の重用区間で
舗装が途切れると砂利敷きの駅前広場となります。
宗谷本線02_b81
駅前広場の様子です。広場の一角には北海道ではよく見るD型倉庫が。
宗谷本線02_b82
砂利道と草地で境界が分かりづらいですが、駅前広場の敷地は
どうやらこの広めの空間の一角のみの様です。
宗谷本線02_b83
そして広場の南側にあるのがこちらの問寒別駅の駅舎です。
1923年(大正12年)11月に鉄道省天塩線の延伸開業で設置された駅で、
木造駅舎の置かれた有人駅でしたが1986年(昭和61年)に無人化されると
すぐに駅舎も解体されてヨ3500形車掌車を元とした貨車駅舎が設置されました。
宗谷本線02_b89
旧駅舎の基礎跡の上に現在の貨車駅舎が置かれているのは他の駅と同様で
ご覧の通り今でもコンクリートの基礎跡を確認する事ができます。
宗谷本線02_b84
駅舎の中の様子です。貨車駅舎のダルマ駅ですので
中は他の貨車駅舎と同様にベンチが置かれるのみとなっています。
壁には問寒別駅の歴史が掲示されるなどしており手入れと管理の行き届いた状態です。
宗谷本線02_b85
ホーム側から見た駅舎。2015年(平成27年)に幌延町によって
貨車駅舎の外壁に鋼製サイディングが張られてリニューアルされており
ダルマ駅ながら綺麗な外観となっています。
宗谷本線02_b86
こちらがホームの様子です。単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
この駅もかつては相対式2面2線ホームと、
駅舎北側に貨物引込み線のある駅だったそうです。
宗谷本線02_b87
土盛り砂利敷きのホームの線路の反対側には鉄道防雪林が広がっています。
2015年(平成27年)国勢調査では問寒別駅のある幌延町字問寒別の世帯数は113、
人口は224名となっています。駅前に有る程度の市街地が形成されていることからも
近辺では比較的大きな集落であることが分かります。
宗谷本線02_b88
しかしながら駅前に家があるこの駅でも一日平均乗降客数は3名以下であり
JR北海道より2020年度での廃止候補の駅の一つに挙げられました。
これに対して地元の幌延町は「市街地がある」事を理由として
2021年4月以降当駅施設を自治体管理へと移行する事を了承しています。


宗谷本線02_b90
こちらは問寒別駅から西へ2.1kmほどに位置する町道です。
この付近は河川に阻まれるなどして行き止まりの道が多く、
ご覧の道も問寒別駅と集落側からのみたどり着ける町道となります。
宗谷本線02_b92
切り返して踏切と反対側の北側を見るとご覧の光景で
周辺に建物は見あたりません。
宗谷本線02_b91
町道と宗谷本線の交わる踏切は「中問寒別糠南線踏切」という名前で
踏切の東側を見るとご覧の通りホームがあるのが見えます。
宗谷本線02_b93
踏切の南側に伸びている道は天塩川支流の問寒別川に突き当たり
砂利道となって行き止まりとなっています。
旧川の三日月湖が残るこの付近は問寒別川が天塩川に合流する付近で
釣り師にとってはイトウの名釣り場なのだそうです。
宗谷本線02_b94
切り返して踏切方面へと戻ります。
踏切南側には線路脇には伸びる砂利道が。
宗谷本線02_b95
砂利道を進むとすぐ左手に駅のホームがあります。
宗谷本線02_b96
こちらが糠南駅の駅の全景です。駅は1955年(昭和30年)に
旭川鉄道管理局設定の糠南仮乗降場として設置されたもので
国鉄分割民営化となった1987年(昭和62年)に正式駅へと昇格しています。
宗谷本線02_b97
駅前の砂利道からホームまでは鉄道用地内の草地であり、
ホームのスロープまでけもの道状に道があります。
この線路脇の草地にはかつては木造の待合室があったそうですが
1987年(昭和62年)の台風12号(通過時は温帯低気圧)で崩壊したそうです。
宗谷本線02_b98
こちらが駅のホームの様子です。単式ホーム1面1線の棒線無人駅です。
木造ホームで有効長が1両分といういわゆる朝礼台と呼ばれるタイプのホームとなります。
宗谷本線02_b99
東側から見た駅ホームの光景。奥が稚内方となります。
宗谷本線02_c02
駅の周辺を見渡すとご覧の通りの光景で周囲は牧草地となっていて、
近辺では牧草を丸めてラッピングした牧草ロールを見ることができます。
宗谷本線02_c01
そしてホームの稚内方の西端の入口近くに設けられているのが
この駅を全国的に有名にしているこちらのヨド物置の待合室です。
前述の台風で駅の木造待合室が崩壊した後に、地元の有志が設置したもので
普通の物置の側面に窓が設けられています。
宗谷本線02_c03
ホームから張り出して増設された木製デッキの上に待合室が置かれていますが、
明らかにホームと待合室前のデッキの色が違うのは、JR北海道管理のホームと
町管理の待合室ではメンテナンスの頻度が違うからでしょうか。
宗谷本線02_c04
待合室のデッキの構造と物置の置かれ方から、
元々は大引き(ホームから土台へと架けられた横梁)の上に
一枚張りで床板が張られていた様子です。
宗谷本線02_c05
しかし恐らくは老朽化の為床板が脆くなって踏み抜く危険が出た為、
後から上張りで床板が増し貼りされて補強された様です。
予算の都合なのでしょうが、物置の前だけ渡し板のように補強した通路が
この駅を管理する予算や人員の不足を物語っています
(転落の危険を残す補修は意味が無いので普通はやらないのです。)
宗谷本線02_c07
待合室に物置を転用したのも安価に設置できるからなのだそうですが、
それが逆にこの駅を有名にした上に毎年イベントが開かれて
愛好家の訪問が絶えない観光資源にまでなったのですから分からないものです。
宗谷本線02_c06
待合室の中はご覧の通りで普通の物置の壁に時刻表などが掲示されています。
ベンチの代わりに置かれたビールケースが2つと
除雪の為のスコップやスノーダンプがありました。
宗谷本線02_c08
ホームから踏切への光景です。
糠南駅は問寒別駅と同じ幌延町字問寒別にある為、
駅周辺だけの国勢調査資料はありませんが
新聞記事などによると糠南駅周辺には酪農を廃業した民家が1件あるのみで
JRの調査でもここ10年以上地元の駅利用者は確認されていません。
宗谷本線02_c09
ですのでこれまでも何度も駅は廃止の候補として挙げられてきました。
しかし地元の幌延町が「秘境駅等鉄道系資産によるまちおこしの象徴的存在であり
民間有志による大規模イベントも開催されている」として存続の意向を示し、
2021年4月以降は町の駅施設管理による駅存続へと移行されています。
ただ、待合室のあるデッキの現状を見ると決して前途は安楽では無いでしょう。


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こちらは道道302号雄信内停車場線の光景です。
道の傍らには数軒の廃屋が点在しています。
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この道は停車場線のの曲がり角から南西に300mほどで
道道256号豊富遠別線と合流しており、重用区間となって
南1.2kmほど先の国道40号線へと連絡をしている道路です。
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その停車場線がカーブで北へと曲がり、80mほど進むと駅舎につきあたります。
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こちらが雄信内駅の駅舎の外観です。
1925年(大正14年)7月に鉄道省天塩南線の延伸で開業した駅で、
現在の駅舎は1953年(昭和28年)に建てられたものとなります。
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駅舎前の南側には駅前広場となる砂利敷きの敷地が広がっています。
停車場線の終端の広場は広さは十分にあるので車の転回や駐車も可能です。
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駅舎の中の様子です。1984年(昭和59年)までは
旅客窓口が営業していたので当時の窓口がそのまま残っています。
コンクリート土間の待合室の東側には木製ベンチが設けられています。
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ホーム側の駅舎出入口付近の様子です。
扉の脇には木製の駅名標が掛けられています。
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駅のホームの様子です。相対式2面2線の駅となっており列車交換が可能です。
駅舎のある南側のこちらのホームが下り稚内方面行きホームの1番線です。
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ホーム西端の稚内方の光景。
かつての貨物引き上げ線の線路も残っているのが見えます。
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駅舎はホームの東端側の旭川方に建てられています。
東の先端部には隣のホームとの連絡をする構内踏切が設置されています。
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構内踏切の様子です。線路部分にだけ板の張られた簡素なものとなっています。
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北側にある上り線旭川方面行きの2番線ホームです。
土盛り砂利敷きのホームのみで上屋などはありません。
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ホームの更に北側にはかつては副本線の線路があったそうですが
平成に入ってまもなむ撤去されています。
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旅客扱いの駅員が廃止された後も閉塞を扱う運転要員は詰めていましたが
1986年(昭和61年)には宗谷本線のCTC化によって
それも廃されて完全に無人駅となります。
駅舎の駅事務室だったスペースは冬季の保線要員の詰所として使われているそうです。
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住民基本台帳によると雄信内駅のある幌延町字雄興の
2017年(平成29年)の世帯数は2、人口は5名となっています。
駅周辺も廃屋ばかりで人の姿は無く駅周辺は「廃村」と呼ばれる状態となっています。
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なので駅についてもJR北海道から廃止の提案があったものの、
地元の幌延町が「宗谷本線の歴史を伝える国鉄型木造駅舎の
希少性について考究が必要」として存続を希望。
2021年(令和3年)4月より駅施設を自治体維持管理へと移行しています。



旭川から宗谷本線の駅を順に追って、やっと上川管内から宗谷管内へと入りました。
まだまだ線路は100km近く続いていますので続きはその7にて書きます。

では。

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